懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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※ 寄生虫に関する記述が出てきますので、苦手な方はご注意ください。


第百二十三話:ドリームメイカー

 リィ、レティシア、そして家主であるアビーは、六畳一間のボロアパートの一室で車座に腰かけていた。

 それぞれの前にプルタブの起こされた缶ビールが置かれている。そして、既に中身の無くなった空き缶もいくつか転がっている。

 リィとレティシアは先ほどの店でそれなりの酒を飲んでいるので、今、空けた缶ビールと合わせれば結構な量になるはずだが、二人の顔には一向に朱がさす様子はない。

 対するアビーは、グビグビと、さも旨そうに缶ビールを煽り、ぷはぁと一息ついてから、嬉しそうな表情で口を開いた。

 

「さて少年。きみは、人間の体内にどれくらいの細菌が住んでいるかご存知かな?」

 

 リィは小首を傾げ、チビリとビールを飲んだ。

 その様子をアビーは楽しそうに見遣り、

 

「答えはおよそ百兆から千兆。人間の細胞の数がおよそ40兆であるのと比べるとこれがいかに多いかが分かる。重量にすれば2キロ弱というから、ぼくなんかだと忌々しい体重計の数字の20分の1程度は丸々細菌の重さということになる。健康診断の時だけでもいいから出ていってくれると、乙女心に優しいのにね」

 

 アビーは、自分の下手なジョークにクスクスと笑う。

 

「種類は約一千ほどで、そのほとんどが肌、口腔内、腸内に存在する。善玉菌、悪玉菌、日和見菌に大別されるのが一般的で、その多くは人間と共生関係にある。体外からやってくる有害な細菌などを攻撃してくれたり、消化を助けてくれたり、効用は様々だ。ただ、彼らが存在するのは人体の限られた箇所だけで、例えば脳、心臓などの重要な器官には通常存在しない。血液脳関門などの防御機構が侵入を許さないからだ。免疫力が弱まった時、万が一に侵入を許せば一大事、命の危機を覚悟しなければならない。どうだいレット、この辺りは間違いないかな?」

 

 突然話を振られたレティシアは、さも当然というふうに頷く。アビーが講釈したのは極々初歩的な細菌学の知識であり、医学部に所属するレティシアからすれば常識の範疇である。

 アビーはリィに視線を戻し、

 

「さて、これはよもやま話と思って、聞いてくれるとありがたいんだがね、腸内環境と脳活動は密接な繋がりが認められるという説がある。事実、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニン等、人間の感情を司る脳内神経伝達物質のいくつかは腸内で作られることが知られているし、その中には腸内細菌との共同作業で作られる物資もある。また、腸内を無菌状態にした実験用マウスは学習能力がなく、性格も無気力で、無謀な行動をすると言われているね」

「それって、腸内の細菌が、生き物の思考に影響を与えてるっていうこと?」

「イグザクトリー。早い話がそういうことだ。ぼくらは万物の霊長だなんて大口を叩いているわけだが、ミクロの世界で見れば、細菌如きに思考を支配されている憐れな巨人の奴隷と見ることも出来るってわけさ。寄生虫も一緒だね。例えば、カマキリに寄生するハリガネムシは、宿主の脳にある種のタンパク質を注入し、その行動を操って池に飛び込ませ、水中へと出て繁殖を行う。かつて猛威を振るいいくつもの文明を窮地に陥れた梅毒症の原因である梅毒スピロヘータは、感染者の性衝動を活性化させ、性交渉によって感染を広げることも知られているね」

 

 喉を潤すように、アビーは再び缶ビールを煽る。

 

「つまり、人は大なり小なり、他の生き物と共生し、あるいは寄生され、その行動を操られているということだ。言い換えれば、それらの生き物は、人を操り己の意のままにするために進化したと言うことができる」

 

 リィは、缶ビールを飲みながら、少し眉を寄せた表情だ。自分の思考が細菌に操られているという話が、やや眉唾なのかも知れない。

 

「身近な例でいえば、犬や猫なんかもその例に当てはめることが出来るだろう。彼らも、最初は狩猟や防犯、ネズミ退治など実利的な役割が与えられて家畜化されたわけだが、今やその愛らしさを武器にして、何をするわけでもないのに人に奉仕させ、食う寝る遊ぶの放蕩三昧の上、どこの惑星でも大繁殖だ。ある意味では、逆に人類を家畜化して利用していると言えるかも知れないね」

「その話と、さっきアビーが言ってたリビングドラッグと、どんな関係があるの?」

 

 アビーは機嫌が良い猫のように頷き、

 

「人に寄生する、あるいは感染する生き物は数多い。自身では複製機能を持たず、人の細胞を利用して増殖するウイルス。先ほど言ったみたいに、常に人間の体内に存在する細菌。もっと大きいところだと、回虫やサナダムシに代表される寄生虫。人の体内という、外敵の存在しない環境は彼らにとって非常に魅力的だ。いつだって、どうにか中に入ってやろうと機会を伺っているわけだが、衛生環境の改善、医療技術の進歩によって、その機会は大きく減じている。今の医療技術ならば、ウイルス、細菌、寄生虫、ほとんどの感染症を容易く完治させることが出来る。まだ駆逐できてないのは、まぁ風邪くらいのものかな」

「風邪ってのは重篤な症状を起こさないウイルス感染症の総称であって、そういう病気じゃねえからな。この世にある全てのウイルスのワクチンが完成しなきゃ、なくなるもんじゃねぇよ」

 

 レティシアが、つまらなそうな顔で、ツマミのチーズを口に放り込んだ。

 

「ヴィッキー、ぼくが言ったリビングドラッグってのはね、まさに人に寄生する生き物で、ドラッグのように強い快楽物質を体内で精製して、人の行動を操る生き物のことなんだよ」

「そんな生き物、本当にいるの?」

「さっきも言ったろう?そんなもの、都市伝説みたいなものだって。理屈でいえば、そういう生き物がいても不思議はない。しかし、人間の免疫機構は強力だ。そんな生き物がいたとしても、人体へ侵入して、常在するのは簡単な話じゃない。他にも問題はある。生き物の目的は、煎じ詰めれば増殖することだ。それは、人も細菌もウイルスも変わらない。しかし、人間に快楽を与えることがそのまま、その寄生生物にとって増える手段になるかというとそれが中々難しい。長く人間と共生関係にある常在細菌などは、人が増えることによって自らを増やすこともできるわけだが、ぽっと出の新入り細菌くんが同じことをしようとしても、うまくいかないのは目に見えているからね。しかし──それが、人為的に作られたなら、話は別だ」

 

 アビーは、とっ散らかったデスクの引き出しから、透明の液体の入った、コルクで栓のされた小瓶を取りだした。

 

「これが、最近この界隈で流行ってる新種のドラッグさ。売人はドリームメイカーなんて呼んでるみたいだね」

 

 そして、リィとレティシアの間に置く。

 その瞬間、強く顔を顰めたリィが、うめき声と共に、腕で鼻の辺りを覆った。

 

「王妃さん、どうしたんだ?」

「──レティ、お前、この瓶から何も臭わないのか!?」

 

 切羽詰まった声のリィの問いに、レティシアは小首を傾げる。少なくともレティシアの鋭敏な嗅覚は、何の臭気を感じることはなかった。

 しかし、リィが、生きた毒物探知装置であることは、レティシアも承知している。

 つまり、今、目の前に置かれた小瓶に入っているのは、ただの水や可愛らしいドラッグなどではない。少なくとも、人の生死を左右する、そういう物質だということだ。

 

「おや、ヴィッキー、きみはこの小瓶から、何か臭いを感じるのかい?中に入っているのは、通常の化学判定でいえば、純水に近い水のはずなんだが」

 

 不思議そうなアビーの問いに、腕で鼻を覆ったままのリィが、軽くえづきながら、

 

「凄く嫌な臭いがする。これは──そう、死臭だ。人間の死体が腐った臭い。そうか、この部屋に入った時、何処かで嗅いだことのある臭いがしたと思ったんだけど……あの時、グレン警部からした臭いと同じだ」

「それって、さっき言ってた、あんたを頼ってきた警部さんか。なるほど、その警部さんも、こいつと同じ小瓶を持ってたってわけだな」

 

 レティシアは、リィが強烈な拒絶反応を示した小瓶を容易く手に取り、電球にかざして中を覗き込んだ。

 

「俺もたいがい他人より鼻は利く方だと思ってるんだが、何も感じねぇな。見た目もただの水だ。腐乱した死体の一部がぷかぷかしてるふうでもねぇ」

「でも、これは明確に死臭だぞ。それも、人か、それに近い生物の死体の腐敗臭がする」

「ヴィッキー、きみは、臭いから、どの生物の死臭か嗅ぎ分けることができるのかな?」

 

 わくわくとした調子のアビーの質問に、リィは険しい表情のまま頷く。

 

「生物にとって、自身と同類以外の死臭は、獲物の臭いに分類されることもあるけど、同類の死臭はそのまま危険信号だ。おれは、それを嗅ぎ違えるほど鈍感じゃない」

「なるほど、ということは、これに含まれている線虫は、やはり人間の死体から採取したものの可能性が高いということか。さもありなんだね」

 

 アビーはくすくす笑いながら、嬉しげに何度も頷く。

 

「おい、アビー。ってことは、これに入ってるのは、やばい人体寄生虫ってことか?」

 

 レティシアの質問に、アビーは首を縦に振る。

 

「少なくともぼくの薬物アンテナは、これが、人生をぶっ壊す類のドラッグだと言っている。だから、流石のぼくも、まだこいつを試すつもりにはなれない」

 

 危なくないと判断したならば、この女性は、自分の身体に怪しい寄生虫を招き入れることがあるのだろうか。

 アビーを眺めるレティシアの渋い表情は、それが十分ありうる話なのだと声高に叫んでいた。

 そんなレティシアの方には目を向けることもなく、アビーは続ける。

 

「その小瓶の中に入っているのは、正確に言うと、寄生虫じゃなくておそらくその虫卵だ。線虫類は成虫なら体長が1ミリ以上になる種もあるから、この液体の中に成虫がいれば、おそらく注意深く見れば気が付くはずだ。しかし、虫卵のサイズは約10μm程度、人間の目で認識出来るサイズの最小限界を超えている。その上、半透明で認識し辛いからね、何も入っていないように思えても仕方ないよ」

 

 アビーはレティシアの手から小瓶を受け取り、愛おしそうに眺めた。

 

「最初は、この液体に直接何らかの麻薬物質が溶け込んでいるのかと思ったんだけど、成分分析の結果、そういうことはなかった。顕微鏡で覗いてみても目立った生物は見当たらない。後は、何か細菌がいるのかと寒天培地で培養してみたが、特別な菌類は見つからない。動物実験については、人に近いチンパンジー等の類人猿を使っても目立った反応はなし。結論、これはただの水かと思ったんだけど、ちょっときな臭さが拭えなくてね。試しに、人間のサンプル──ドリームメイカーを摂取した知り合いの何人かから体液や体組織を提供してもらって、寄生虫学専門の学友に分析を依頼した結果、共通した未確認線虫類の成体や虫卵が多数確認出来た」

「一応聞くが、体液ってどの体液だい?」

 

 真剣な調子のレティシアの質問に、アビーは奇妙な笑みを浮かべつつ、頬に手を当てて身体をくねらす。

 

「もう、やだなぁレット、それは聞かぬが華ってやつだよ。乙女の口から話させるものじゃない。それでも聞きたいかい?」

「ああ、もちろん。人から人へ感染する寄生虫症なら、どの体液に虫卵が含まれているかで感染経路がまるで違ってくる。予防医療の観点から言えば、最も重要な質問だと思うぜ」

 

 いかにも医学生らしいレティシアの言葉に、アビーはさも当然というふうに頷き、

 

「体液採取の方法は聞かないでくれたまえ。想像にお任せするよ。まず、血液、精液、糞便、尿にはかなりの数の虫卵が見られた。唾液、鼻水には今のところ確認できていない。検体の感染原因がドリームメイカーだと仮定すれば、経口摂取による感染が最も疑われる。ということは、少なくとも消化器系、循環器系は濃厚に汚染されているということになるだろうね」

「あまり愉快な結論じゃねぇな。ちょっとしたきっかけがあれば、その線虫は爆発的に感染を広げる可能性があるってこった」

 

 レティシアの意見にアビーは頷き、ドリームメイカーの入った小瓶を指さして、

 

「ぼくは便宜上、こいつをハーメルン線虫と呼んでいる。理由は追々話すことになるだろうから、今は割愛してくれたまえ」

 

 二人の会話に、リィが割って入る。

 

「ちなみに、その寄生虫が人為的に作られたっていうのは、どうしてそう断言出来るんだ?」

「いい質問だ少年。寄生虫は、一つの生物の体内で一生を終える種類と、そうでない種類に大別できる。例えば人畜共通感染症である住血吸虫は、中間宿主として淡水の貝類があり、その体内で成虫となり、その後で人に寄生する。逆にいえば、住血吸虫は中間宿主なしに繁殖することができない。それに対して、回虫のように人から直接人へと感染する寄生虫もある。糞尿などに含まれた虫卵が、経口接触で被感染者の体内に入り、そのまま孵化、成長するパターンだね。ではこのハーメルン線虫がどちらに当てはまる可能性が高いかというと後者だ。この線虫は、人の体内で生体サイクルが完結していると思われる。しかし、ハーメルン線虫が従来の人の生活環境に生息していたとするならば、その感染症は既知のものでなければおかしい。そして、現在の寄生虫学では、ハーメルン線虫は未確認だ。ならば、この線虫が人為的に生み出された以外でどんな可能性が考えられるかな?」

 

 リィは少し考えて、

 

「ハーメルン線虫が元々繁殖していた、例えば未開発惑星なんかに、新たに人が立ち入り、そこで感染した」

「なるほど。確かにその可能性がゼロとは言えないが、その線は薄いとぼくは考えている」

「理由は?」

「ハーメルン線虫が、人間以外の生物には寄生することが出来ないからだ。さっきも言ったけど、ぼくはこの線虫を、猿や他の哺乳類などに感染させられないか実験をしてみたが、そのいずれも失敗している。遺伝子的にいえば、人間と99パーセント同じ生き物である猿にすら感染出来ないなら、ハーメルン線虫が、寄生虫として、厳しい自然で種を維持出来るとは思えない。これは、人のみに寄生されるようデザインされた生き物だと考えるのが相当だとぼくは思うね」

 

 アビーの意見に、リィは訊ねる。

 

「人だけに感染する病気なんてそもそもあるのか?」

「例えば、大昔に根絶されたが、かつて猛威を振るい幾つもの文明に大きな爪痕を残した病気で、天然痘という病気があった。これは、天然痘ウイルスに感染することで引き起こされる疾病だったが、ワクチンの製造が比較的容易で安価だったこと、そして何より、人にしか感染しないウイルスだったこともあり、根絶宣言がなされて久しい。これに対して、既にワクチンが作られてあるウイルスであっても、自然界に宿主がいるウイルスは根絶が非常に難しい。天然痘を駆逐できた大きな理由は、やはりそれが人にしか感染出来ない病気だったから、というのは大きいだろうね」

「でも、ウイルスと線虫類じゃ話は全く違うんじゃないのか?」

 

 リィの問いに、アビーは大げさな様子で腕を組んだ。

 

「それはぼくも大いに疑問思うところだ。ウイルスは宿主の細胞を利用しないと自己複製ができないが、線虫はそういうわけじゃないから、ハーメルン線虫はそもそも寄生生物でなかった、そして偶然人間にだけ寄生が可能だったという理屈も成立し得る。だが、人間にだけ感染する線虫が、リビングドラッグとして販売されている現状を鑑みるに、その可能性は著しく低いというべきだろうね。やはり一番自然なのは、最初から人に感染させるために人為的に作られた生き物であるという考え方だと思う」

「ちなみに、ハーメルン線虫が人間にしか寄生出来ない理由は?」

「真っ先に考えたのは、ホモ・サピエンス特有のホルモンやフェロモン、体内環境などがトリガーとなってハーメルン線虫の孵化を促しているんじゃないかということだけど、そのあたりは今後の研究に期待するところだね。現時点で分かっているのは、ハーメルン線虫は人間にしか感染出来ないこと、伝染病となり得る危険性があること、そしてこの小さな糸屑みたいな生き物は、何らかの手段で人の快楽神経を活性化させることだ」

 

 アビーは、ぐびりと旨そうにビールを呷った。

 リィは、意外そうな表情で質問する。

 

「ハーメルン線虫は、宿主を気持ちよくさせるってことか?」

 

 アビーは頷いた。

 

「さっきも言ったけど、多分ハーメルン線虫はリビングドラッグの一種だ。代表的なケミカルドラッグである覚せい剤やヘロインみたいに、刹那的に強烈な快楽を与えるわけではないが、おそらくはセロトニンやドーパミンに近い物質を継続的に分泌して、それを血液の循環を通して脳へと届けているんじゃないかと思う。それとも、もっと直接的に、脳内に寄生して快楽物質を放出しているのかも知れないね。いずれにせよ、ハーメルン線虫は人間の快楽系を強く刺激して、精神を高揚させ、強い爽快感を与えるようだ。感染者の中には『ついに悟りを開いた』、『世界の真実に気が付いた』と豪語したやつもいたよ。ま、全て、ぼくがドリームメイカーの使用者から聞き取った結果だから、絶対的にサンプル数が少ない。そういう傾向がある、程度の認識が現段階では適当かも知れない」

「じゃあ、ハーメルン線虫は、見た目に気持ち悪いけど人には直接の害はないってこと?」

 

 リィの質問に、アビーは含みのある笑みを浮かべる。

 

「さて、それはどうだろう。ヴィッキー、きみはどう思うね?」

「……人に害を及ぼさない生き物を、わざわざ麻薬の売人が売り歩く訳が無い」

「慧眼だね、ぼくも同意見さ。ぼくがハーメルン線虫の生態を、例え朧気ながらでも理解したときのファーストインプレッションはね、この線虫は生物兵器としたデザインされたんじゃないかってことだった」

「生物兵器だって?」

 

 アビーは頷き、

 

「だって、考えてもご覧よ。人間にしか感染しないため環境は汚染せず、例えば飲料水などに混ぜ込めば人知れず感染を狙った地域にだけ拡散できる。普通の疾病ウイルスなどでは、パンデミックの際に敵国はその抑え込みに躍起になるだろうが、ハーメルン線虫は、一義的には宿主の気分を爽快にさせるだけの効用だからね、秘密裡にばらまけば感染症が広がっていると認識することさえ難しいだろう。もしかしたら、使用する側がハーメルン線虫の駆虫薬を先に開発しておけばもっと万全だね。どうだい、こんな理想的な生物兵器は他にあるかい?」

「生物兵器の開発は、連邦憲章の明確な違反だぜ。そんなリスクを冒して、わざわざこんなちっぽけな虫を作り出すもんかね?」

 

 レティシアの意見に、アビーは機嫌の良い猫のように微笑み、

 

「それはどうかな。ついこないだも、バイオテロをするやしないやで大騒ぎになった国があったね。確か、ヴェロニカ共和国だっけ?あの国なら、連邦加盟国とはいえ、中央の目の届きにくい辺境だ。その上、遺伝子操作のテクノロジーが奇形的に発達していて、しかも自然保護思想が極めて強い。別に犯人捜しを楽しむつもりはないけど、そんな国の誰かさんなら、こういう生物を作っても不思議はないかも知れないね」

 

 ヴェロニカ騒乱には浅からぬ縁を持つリィが、内心の動揺は寸毫も表に出さず、冷静な口調で更に問う。

 

「でも、結局のところ、敵国民の気分を爽快にさせるだけなら兵器として意味がないんじゃないのか?」

 

 リィのもっともな意見に、アビーは不吉な微笑みを浮かべる。

 そして、顔の前で人差し指を立てた。

 

「これも使用者からの聞き取りと、そこから導かれる推論に過ぎないんだけどね、ドリームメイカーの効用は、大きく三段階に分かれているようだ。まず第一段階。使用者は、ドリームメイカーを飲んだ直後、奇妙な夢を見る。それがどんな夢なのかはついぞ教えてもらえなかったんだが、どうやら人生観に大きな影響を与える類のものらしい」

「教えてくれなかったの?何で?」

 

 当然ともいえるリィの問いかけに、アビーは残念そうに首を振る。

 

「『どんな夢を見るか知りたければ、自分の身体で試してみろ』と言われてしまってね。そう言われると正しく仰るとおりだから、ぼくもそれ以上は聞けない。しかし、ドリームメイカーで夢を見た全員が全員、口を揃えてそう言うんだ、余程特徴的で、共通する夢なんだろうね。ひょっとしたら心理学者の言うところの、人類共有の無意識領域というやつに関係するのかもしれない」

「俄には信じられないけど……」

「付け加えるとドリームメイカーの使用者は、夢を見る人間と、何度試しても夢を見られない人間に分かれるらしくてね。興味深いことに、夢を見られなかった人間の体液からはハーメルン線虫は検出されなかった」

「……夢を見た人間だけが、この線虫に感染したってことか」

「レット、当たり前だけど因果関係は不明だよ。ただ、偶然にしては結果が偏りすぎている。夢と感染はリンクした症状だと、ぼくは確信しているけどね」

 

 アビーは、人差し指に続き、中指を立てた。

 

「第二段階は、さっきも言ったとおり、感染者はハーメルン線虫から分泌される快楽物質で脳内情報を書き換えられ、異常に活動的になったり、社交性が上がったりする。自室から一歩も外に出られなかった極度の引き篭もりが突然に就職活動を始めたり、アウトローな人生を送ってきた無頼漢が宗教に目覚めたりボランティア活動に勤しんだり、他者から見れば人格そのものが入れ替わったようにしか見えないような変化を起こす。そしてその方向性は、社会的には概ね好まれる方向へ変化する傾向があるようだ」

「けったいな虫を身体に飼うくらいでそこまで人が変わるなら、刑務所みたいな更生施設の人間からすれば、神の恩寵みたいな効用だな」

 

 レティシアの冷めた声が、微妙な強張りを帯びて響いた。

 そしてアビーは、最後に薬指を立てた。

 

「そして第三段階。第二段階から短くて一週間、長くても一カ月以内に、全ての感染者は失踪する」

 

 予想外の言葉に、リィもレティシアも、緊張した顔でアビーを見つめる。

 

「これが、この正体不明の線虫に、ハーメルンの名前を付けた理由だよ。この線虫は、感染者を、笛ならぬ麻薬物質で操り、ハーメルンの笛吹き男よろしく、最後には何処かへと連れ去ってしまうんだ」

「何処かって……どこへ?」

「それが分かれば苦労はしない。可能性だけなら、さっき例に出したハリガネムシみたいに、感染者を操って、池や海に飛び込ませているのかも知れない。水中なら、死体が発見されるまでに相応の時間が必要だろうから、今はまだ見つかっていないだけっていうこともあるかも知れないね。でも、その可能性は僅少だと思う」

 

 アビーは喉を潤すために缶ビールを傾けたが、既に空になっていたようで、缶を垂直に持ち上げても、一滴のビールも垂れてこない様子だった。

 

「レット、お代わり」

「生憎だが品切れだ。水で我慢しろ」

「じゃあ、そこの小瓶を取ってくれるかい?」

 

 アビーが指差したのは、今話している怪異現象の原因であろうドリームメイカーの小瓶であったから、流石のレティシアもがっくりと項垂れた。

 その様子を見て、アビーはからからと笑う。

 

「冗談だよ冗談。さて、喉を潤す黄金水も品切れなら、そろそろこの楽しい会合もお開きだね。ぼくが知っていること、推測していることはだいたいこんなものだ。知り合いの刑事さんにでも話してもらって構わない。ただ、最後に一言。ヴィッキー、この星の、一年間の失踪者の数はどれくらいか、知っているかな?」

 

 リィは首を横に振った。

 

「この星には学生を中心に、約一億の人間が住んでいる。それに対して、昨年の失踪者数は約一万人。同じ規模の居住用惑星の失踪者数に比べれば、約十分の一程度だ。住んでいるのが、一定以上の生活水準、知的水準がある学生達だからね。宜なるかなといったところだろう」

「それがどうしたんだ?」

「今年はね、他の居住用惑星と同じ程度の失踪者数になりそうなんだとさ。ぼくの秘密の知り合いによるとね。さて、その差を埋めた原因は、果たして何なんだろうね」

 

 寒気のすることを言いながら、しかしアビーはクスクスと嗤った。

 

「さっき、この生物が、兵器として作られたんじゃないかって推測したのには、他にも理由があってね。まず、麻薬組織としては、ハーメルン線虫をリビングドラッグとして販売するメリットが薄い。一度感染すれば使用者は次のドラッグを買わなくとも快楽を享受できるわけだし、だいたい、遅くとも一カ月程度で失踪してしまうんだ。継続的に販売が出来ないわけだから、麻薬組織としてはほとんど旨味がない」

「……つまり?」

「多分、今、この星で行われてるのは、何かの実験だ。これは断言してもいい。きっと何の手も打たなければ、近々、失踪者の多発どころじゃない、もっと致命的なカタストロフィが発生するだろうね」

 

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