懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第百三十話:カタストロフィ

 リィとルウは、ルウの学寮の部屋で、床に置かれた小さなテーブルを挟んで座っていた。

 ルウは、魂の相棒であるリィの、突然の来訪をちっとも驚かなかった。いつも通り、暖かな、我が子を見守るような微笑みを浮かべて、リィの来訪を喜んだ。

 対して、リィは少し渋いというか、形容し難い顔をしている。その表情は、天使のようなと評される美貌を持つ彼のその実である、勇ましく猛々しい気性とは些かそぐわないものだった。

 ルウは、優しく微笑んだまま、微妙な表情を浮かべるリィを見守っている。もう、長い付き合いである。変事であれば、リィは単刀直入に用件を伝えるはずだ。

 ルウは、窓ガラスの外に視線を遣った。沈みつつある太陽が、橙色の光を放ち、西の山々の稜線に触れようとしている。反対の空では、一番星が輝いているのだろうか。

 今日も一日が終わろうとしている。何事もないその事実が、ルウにはとても愛おしかった。

 ルウは、自身が、生まれただけで周囲に不幸をもたらす存在だと思い込んでいた時期がある。

 それは、例えば思春期の少年少女によくある、自己憐憫が拗れたものではない。事実として、ルウは一族の同胞から、呪われた者、世界に滅びを齎すだと疎まれ、幽閉されていたのだ。

 あの頃は、自分がどうしてこの世界に生まれたのか──生まれなければならなかったのか、分からなかった。誰にも祝福されない生命なら、それが存在する意味とは何だろうかとずっと悩んでいた。

 死を希うことはなかった。死では、自分がこの世界に生きた痕跡が残る。それは、記憶であり、記録であり、死体であり、墓である。それが、何故か嫌だった。

 だから、死ではなく、時間が巻き戻って、自分がそもそもこの世界に存在しなかった事になればいいのにと、そんなことを考えていた。

 もしもあの頃の自分と話すことが出来るなら、教えてあげたい。きみは、将来、代わり映えのしない毎日を愛することになるんだよ、と。きみには、きみを愛する、きみが愛する、たくさんの人が現れるんだよ、と。だから、絶望しないで、そのつらい日々には意味があるから、と。きみの孤独は、きみが大切なものを大切だと理解するために、必要なことだったんだよ、と。

 きっと、あの頃の自分は、そんな言葉を信じることは出来ないだろう。部屋の隅にうずくまり、膝の間に顔を埋めたまま、何の感情を現すこともないだろう。何故なら、それほどにその頃の自分は、擦り減っていたのだから。

 だけど、その結果として今の自分がいる。他者を愛し、自惚れでなければ、他者に愛される自分が。

 そして、今、目の前に、おそらくは自分を一番愛してくれる、魂の相棒たる少年がいる。

 ならば、このかけがえのない一瞬を、どうして愛さずにいられるだろう。ルウには、遠く沈みゆく太陽に、今日が終わることの寂寥ではなく、夜の始まりと明日の朝の予感の喜びを感じていた。

 しばらくの間時間が流れ、やがて、おずおずと、リィが口を開いた。

 

「あのさ、こんなこと、いくらルーファでも、言うべきかどうか、迷ったんだけど……。やっぱり、言っておいた方が色々すっきりすると思ったんだ」

 

 ルウが、この世で一番大切な人は、見るも見事な黄金の髪の間に指先を突っ込んで、何とも居心地悪そうに頭を掻きながら、

 

「どうやら、おれ、あいつと、本当の意味でつがいになるみたいだ」

「あいつって、王様のことだね」

 

 リィは、この少年には珍しく、照れたように視線を外し、遠慮がちな様子で頷いた。

 その様子を、ルウはやはり嬉しそうに見守る。

 

「あいつに誘われたんだ。今日の夜、おれの部屋で、その、本当の夫婦になろうって。ようやくその覚悟が出来たからって」

「それは一大事だね。エディ、ちゃんと優しく出来る?」

「人間の女性を抱くのは初めてじゃないから、多分大丈夫だと思う。ちょっと不安だし、どきどきするけど」

「エディは、王様のことが大好きで、それ以上に大切なんだね」

 

 リィは恥ずかしそうに頷いた。自分の心を半分持っている相手に、強がりや嘘偽りを口にする必要性を、リィは見出さなかったからだ。

 確かに、リィにとってウォルは、この上なく大切な人だった。魂の相棒であるルウと比べればどうなのだろうと考えてしまうこともあるほどに。

 だが、それは種類の違う問題だ。例えるなら、大好きな色と大好きな料理を比べて、どちらが好きかを問うているに等しい。色と料理では同じ好きでもその領域が全く違うのだから、比べようがないのである。

 そもそもが、ルウと天秤に掛けるような人間がこの世に──厳密にはこの世の人ではないのかも知れないが──いるとは思わなかった。それくらい、リィはウォルのことが好きだった。

 そして、リィは、ウォルのことを愛おしく想ってもいた。それが男女の情愛なのかと問われれば素直に頷くことは出来ない。しかし、自分が何の因果か女性として過ごした六年間、ウォルやその友人たちのことを好ましく思ってはいたが、一度だって、自ら進んで男の胸に抱かれようなどとは思わなかったのだ。今のウォルとて、その思いは同じだろうと、リィは考えている。

 そのウォルが、自分にその身を委ねてくれるのだという。自分になら、女として抱かれてもいいと言ってくれる。あちらの世界で、男だったウォルとの別れの間際、踏ん切りをつけるためのきっかけとして、いわば策略として抱かれようとしたリィとは全く違う。

ただ純粋に、何の損得もなく、抱かれてくれるのだという。リィの子供を産みたいと、そう言ってくれたのだ。

 それが、リィには愛おしかった。我が事ながらどうしてこんな感情が湧き上がるのか分からないが、ウォルを、今にも抱き締めたい。唇を交わし、一緒のベッドで抱き合って眠りたい。それがリィの、偽らざる心情だった。

 そのことを、ルウも理解している。リィが、こんなに恥ずかしそうにするのだ。それが、きっと、この大人びた少年の、男女の愛情の発芽なのではないかと、ルウは思った。

 

「でもさ、おれもあいつもまだ学生だから、まだ子供を作ることはできない。今日は、その予行演習なんだよ」

「それでも、一大事なのには変わりないよ。エディの部屋っていうことは、シェラもいるでしょう?どうするの?」

「正直に話した。そしたら、飛び切り変な顔をしてた」

 

 ルウは、リィから爆弾発言を聞かされた時の、シェラの顔を想像して吹き出した。

 何せ、リィである。そして、ウォルである。二人と最も強い縁を持っているシェラが、その二人が番うと聞けば、きっと喜びはあるだろう。祝福したい気持ちが大きいに違いない。しかし、例えば、妖精や小鬼のような想像上の生き物を突然目にしてしまった人のように、その事実が信じられないという想いが一番強かったに違いないのだ。

 

「頬をつねってなかった?」

「思い切りつねってた。おれたちが番うのって、そんなに変かなぁ」

「変か、変じゃないかでいえば、ちっとも変じゃない。だって、エディ達は夫婦で、そして婚約者なんだもの。今の今まで清いお付き合いだったのが、人間の価値観からすればおかしなくらいだ。まだ、見た目の年齢こそ、そういうことをするにはちょっと早すぎる気もするけど、エディだって王様だって、実は立派に成人なんだからね、自分の決断に、権利と責任を主張できる年齢だ。誰に後ろ指をさされる話でもない」

 

 そう言いながら、ルウはくすくすと笑っている。

 

「ただ、シェラにしてみれば、これは夢じゃないかって思うよね。だって、エディ達は、エディが立派な王妃様で、王様が立派な王様だった頃に、どうしたって同衾しようとはしなかったんだ。性別が入れ替わって、暮らす世界が変わったって、同じ日常が続くってシェラは信じていただろう。それが人間っていうものだ。そんなエディ達が、今日、本当の意味で夫婦になるっていうんだもの。なんで今更って思うのが当然だよね」

「悪いことしたかなぁ」

 

 頬のあたりをぽりぽりと掻きながら、リィは呟く。

 ルウは、優しい表情を浮かべながら、首を横に振った。

 

「絶対に、シェラは、エディ達を祝福してくれるよ。きっと、この世で一番祝福してくれる。エディと王様の関係の変化を、きっと喜んでくれている。それは間違いない」

「でも、今日は一日、部屋を空けてもらうことになったんだ。それは本当に悪いことをしたと思ってるよ」

「確かに、初夜を迎える夫婦の部屋に、どんなに親しい友人であっても他人がいるのは、色んな意味でまずいね。じゃあ、シェラは今日、どこに泊まるの?もしも良ければ、僕の部屋に泊まってもらって構わないけど」

「あ、そっか、ルーファの部屋に泊めてもらうっていう選択肢もあったんだ!うっかりしてた!」

 

 リィは、しまったという表情を浮かべる。

 ルウは小首を傾げ、

 

「じゃあ、シェラは結局どこに泊まるの?近くのホテル?」

「いや、黒すけのところ」

 

 黒すけとは無論のことだが、シェラと同郷である昔馴染み、ヴァンツァーのことである。

 ルウは驚きに目を丸くして、

 

「よく、ヴァンツァーくんがそれを承認したねぇ」

「最初はすごく嫌がられてたし、問答無用に断られかけてた。でも、おれとウォルが、そういうことになるから部屋にいられないって話をしてたら、割とスムーズに話はまとまったみたいだったよ」

「きっと彼にとっても、エディ達のことは青天の霹靂だったんだろうねぇ。あまりに予想外のことを聞かされたから、呆気に取られて首を縦に振っちゃったんじゃないの?」

「でも、いい機会だよな。これがきっかけになって、あの二人ももう少し、仲良くなってくれればいいんだけど」

「中々難しいよねぇ」

 

 リィとルウは、同じような微笑みで苦笑していた。それだけ、シェラとヴァンツァーの関係は複雑なものなのだ。

 シェラからすれば、一度は生死をかけて戦い、そして殺した相手である。

 ヴァンツァーからしても、一族の末端である里出身という同一の出自でありながら聖霊に縛られず、最後まで掟に縛られた自分を解き放ってくれた相手である。

 お互い、好悪愛憎、複雑な感情が入り混じるのは仕方ない。

 その二人が一体どういう夜を過ごすのか、そちらはそちらで興味深い気がするルウだった。

 しかし、それはそれとして、気を取り直した様子でルウはリィに問いかける。

 

「今日、僕のところへ来てくれたのは、その報告をするため?」

「いや、それだけじゃないんだ。実は、ジャスミンに、子供を作る気がないで番うならコンドームくらい用意するのが男のマナーだって言われちゃってさ。それはそのとおりだからどうにかして用意しようと思ったんだけど、この恰好でコンビニや薬局にコンドームを買いに行ったんじゃ、多分すんなり売ってくれないし、下手すれば補導の対象になるかなって思って。でも、コンドームなんて譲ってくれる知り合いって言って思いつくのが、手近にいるのはルーファくらいだったんだよ」

「なるほど。でも、ぼくも生憎手持ちがなくてね。あとで買ってくるよ。ちなみに、サイズはどれくらい?」

「これくらい」

 

 リィが、右手と左手の間で空間を作る。ルウは、なるほどと頷く。どうにも珍妙な会話であるが、二人は真剣な調子である。

 

「あと、もう一つ用件があるんだ」

 

 リィは、自分のカバンをごそごそとして、中から、密封パックに入った小瓶を取り出した。

 ルウは、その小瓶を見た瞬間、緊張に身体を強張らせた。

 

「……何、それ」

 

 硬い声で問う。

 その声を聴いただけで、ルウが、只事ではないと認識していると、リィにはわかった。

 

「最近、この星で流行ってる違法ドラッグの一種。ドリームメイカーっていうらしい」

「なんでそんなものを、エディが持ってるの?」

 

 当然といえば当然すぎる質問に、リィは、これまでの経緯をかいつまんで話した。

 グレン警部の訪問、レティシアとともに訪れた女学生の話、そしてジャスミンがその一件に巻き込まれてしまったこと。

 ルウは黙ってリィの話を聞き、そしてその小瓶の入った袋を受け取った。

 その袋を開けようとするルウに、リィが断りを入れる。

 

「開けるときは、この部屋の窓を全開にしたほうがいい。多分、死臭がすごいから」

「死臭?」

「うん。おれ以外の、レティも含めた人間は、誰もそんな匂いはしないっていうんだけど、おれには明確に、おれに近い生き物の死臭がするんだ。多分、ルーファも感じることができるんじゃないかって思う」

「なるほど。じゃあ、変な臭いが部屋に残っても嫌だから、外に行こうか。ついでに、コンドームも買いに行こう。ぼくが一緒なら、身分証明を求められたりはしないだろうしね」

 

 絶世の美青年であるルウと、見た目は絶世の美少女のリィである。その組み合わせでコンドームを買いに行けば、男女問わず店員が目を丸くすること疑いないが、自分たちを安全無害な生き物と信じている二人は、並んでルウの部屋を出た。

 途中、何人か、ルウの知り合いとすれ違った。そのほぼ全員が、リィの輝かしい美貌に呆気にとられ、どういう関係なのかを聞きたそうな様子だったが、一々説明していては前に進むこともできないので、二人は意図して奇異の視線を無視した。

 学寮の外は、薄暮の時間だった。斜陽が作る二人の影は、細く長い。既に街灯が灯り、仕事や講義が終わって帰宅途上の人影が、歩道にちらほらしている様子だった。

 二人は薄暗がりの道を五分ほど歩いて、学寮近くのコンビニで目当てのコンドームを買った。予想通り、店員は二人を見て何かを想像したのだろう、コンドームを買い物袋に入れるときに何度か取り落としたりしていたが、一応不審者として通報されることはなかったようである。

 コンビニから出たルウは、買い物袋から取り出したコンドームをリィに手渡した。

 

「はい、使い方は分かるね?」

「うん。保健の授業で習ったから」

「くれぐれも、無茶なことはしちゃ駄目だよ?独りよがりには絶対ならないこと。相手のことを思いやってね」

「それも分かってる。……でも、あんまり優しくし過ぎると、逆にあいつ、怒りそうな気もするんだよな。『おれを女扱いするな!男だろうが、もっとどんと来い!』とか言ってさ」

 

 自身の将来の妻の何とも色気のない台詞を想像してしまって、微妙な仏頂面のリィの呟きに、やはりルウはお腹を抱えて笑う。如何にも、あの王様らしくない王様の言いそうな台詞だったからだ。

 見た目だけならば、リィとウォルは、この上なく見目麗しい少年少女でお似合いカップルなのに、例え同衾しても、二人の間で甘い睦み言が交わされるのが想像できない。むしろ、ベッドの上で繰り広げられる、美しい獣同士の決闘のような様子になるのではないか、ルウはそんな想像をしてしまうのだ。

 ようやく夫婦になるつもりになった二人だが、前途は中々多難なようだった。

 

「じゃあ、これで用件は一つ完了だね」

「ああ。もう一つは、そこの公園で済ませようか」

 

 リィが指さした先は、ビルとビルの合間にあるような、小さな公園だった。

 近くに住むルウも、その存在は知っていても名前は知らない、そんな公園だ。遊具の一つもなく、しょんぼりとした街灯とベンチが一つ二つ、その程度の公園だった。

 二人は、公園の古ぼけたベンチに腰掛けた。そして、ドリームメイカーを放り込んだ密封型のビニール袋をカバンから取り出し、ついにその封印を解く。

 当然、中に入っている小瓶は、コルクで封をしている。液体は漏れ出さないし、匂いもほとんど漏れないはずである。なのに、濃密な死臭が鼻の奥を強烈に刺激する嫌な感覚に、ルウは涙を浮かべて顔を背けた。

 

「うぐっ!こ、これはすごいね……」

 

 軽く咳き込みながら悶絶するルウである。

 少し臭いに慣れたリィが、小瓶を袋に戻し、なおも苦し気なルウの背中をさすって介抱する。

 

「大丈夫か、ルーファ」

「大丈夫……っていうわけじゃないけど、ほかの人は、これで本当に何も感じないの?」

「ああ。グレン警部みたいに普通の人ならともかく、レティなら何か反応があってもおかしくないのに、本当に何も感じてない様子だった。今のルーファの反応を見て確信したよ。これはやっぱり、おれ達にしか感じない臭気なんだ」

「僕達……つまり……ラー一族にしか感じない死臭……」

「念のため、もう一人、確かめてみようか。おーい、デモン、悪いけどちょっと来てくれないか」

 

 リィが何もない暗がりにそう呼びかけると、暗がりそのものが形をもったかのような黒ヒョウが闇の奥から姿を現し、足音を立てずに二人に近寄ってきた。

 常人であれば到底理解不可能な慮外の光景に、しかしリィもルウも驚かない。

 

「おい、リィ。お前の急な呼び出しは今日に始まったことじゃないが、今はお気に入りのラジオの時間だったんだ。勘弁してくれよ」

 

 いつの間にか、黒ヒョウが、黒いタキシードをまとった浅黒い肌の伊達男へと変貌していた。

 ラー一族の中でも比較的穏健派で、ルウとの距離も近い、デモンであった。

 人間──というよりも、人間社会に強い関心と興味を持つデモンである。どうやら今も、贔屓のDJのラジオ番組を楽しんでいたらしい。それを邪魔されて、たらたらとした不満顔である。

 しかし、リィとルウの、いわばおもり役を一族全員から押し付けられているデモンとしては、その呼び出しを無碍にするわけにもいかない。無論、彼にも自由意志はあるので、半分は好きでやっていることではあるのだが。

 

「ごめんねデモン。でも、どうしても確かめたいことがあって」

「一応、さっきの会話は聞いていた。その、胸の悪くなるような残臭のことだろう?確認するまでもない。俺も、それは死臭に感じるよ。だから、その袋は開かないでくれ。正直に言うならば、ここにいるのも少ししんどいんだ」

「じゃあ、やっぱりこれを死臭に感じる共通項は、ラー一族であることの可能性は相当に高いわけだ」

 

 デモンは、リィの言葉にきょとんとした表情を浮かべる。

 

「ちなみに、その小瓶は何だ?人類が、対ラー一族用に開発した臭気兵器っていうわけではなさそうだが……」

「そんな物騒なものじゃないけど……いや、場合によれば、もっと物騒な代物の可能性もあるのか」

 

 リィは、これがドリームメイカーという違法薬物であり、この星を汚染しつつあることをデモンに教える。

 デモンは、逆に感心したような表情を浮かべ、

 

「人間のジャンキーは、ドラッグって名前のつくものなら何でもとびつくのが性分だとは知っていたが、それにしたって悪食が過ぎるだろう。こんな悪臭、並の感性なら飛んで逃げたくなるが当然の反応だと思うんだが……」

「あいにく、普通の人間には、ただの水くらいにしか感じないらしいんだよ。そして、この中には、正体不明の寄生虫の卵が仕込まれている」

「……どう考えても、まともな事件じゃないな。常識的な人間が、小金目当てに違法薬物を売りさばくにしてはやり方がおかしい。これは多分、俺達の領域に属する話だぞ」

 

 デモンの意見に、リィも、そしてルウも頷く。

 

「ぼくもそう思う。悪いけどデモン、ユレイノスに繋いでくれる?ちょっと確認したいことがあるんだけど」

「もう繋いでるよ。ぼちぼちお出ましすると思うぜ」

 

 そうすると、どこからか飛来したフクロウが、電灯の上にふわりと舞い降りた。

 夜の森の帝王たる威厳を有する、巨大なフクロウだった。そのフクロウが、美しい翼を優雅に仕舞い、ぐるりと首を巡らし、その満月のような瞳でリィとルウをじっと見つめる。

 そして、聞く者の背筋を無条件に伸ばす、荘厳な声で鳴いた。

 

「久しいな、ルーファセルミィ。そして、グリンディエタよ」

「久しぶりだね、ユレイノス。そして、いきなりで悪いけど、大急ぎで確認してもらいたいことがある」

「なんだ」

「僕が殺した二人の死体は、まだ墓の中にあるか」

 

 ルウが殺した二人。その言葉で、リィは、ルウの過去を思い出した。

 生まれたてだったルウの無抵抗をいいことに、彼をいたぶり、そして最後には狂乱したルウの反撃を喰らい、呆気なく死ぬこととなった愚かな者達。そして、ルウに同族殺しという重たい十字架を負わせるきっかけとなった忌むべき事件。

 リィはかつてその顛末を聞いて、何を感じることもなかった。愚かな者達が、愚かにも触れざるべきものに触れ、そして愚か者に相応しい末路を迎えただけの話だと思った。

 だが、ラー一族の中では、誰もが耳を疑う大事件だったのだと聞いている。ほとんど不死に近い一族の同胞が、同じ一族の手にかかったとはいえ、殺されたのである。その時のラー一族は、デモンやグライアのような少数派を除き、多かれ少なかれルウに対して非道を働いた者がほとんどだった。今度は自分の番か、と戦々恐々するのは、人間でもラー一族でも一緒らしい。

 何故、今、その二人のことが、そしてその死体のことをルウが気にしているのか、リィは一瞬わからなかったが、すぐに思い当たった。

 ドリームメイカーの小瓶から漂う、異様な死臭である。

 ルウは、この死臭が、その二人の死体──ラー一族の死体によるものではないかと疑っているのだ。

 おそらくは、デモンも、そしてユレイノスもそのことに思い至っている。

 ユレイノスは、押し殺すような声で、

 

「少し待て」

 

 それだけを言った。そして、彼の依り代であるフクロウは、電灯の上で動かなくなった。おそらく、本体であるユレイノス自身が、二人の墓へと確認へ走ったのであろう。

 リィは、ルウに問う。

 

「どうして、ルーファが殺した二人の死体が、この死臭の由来だなんて思ったんだ?」

 

 ルウは頷き、

 

「まず、この臭気を感じることが出来るのが、僕達ラー一族だけだっていうことだ。しかも、いずれもが、ただの死臭じゃなくて、同族の死臭に近い、強く不快な臭気とこれを認識している」

 

 ルウの言葉に、リィとデモンは頷く。

 

「ラー一族のことを、普通の人間は、限られた五感でしか感じることが出来ないのは、様々な事象からはっきりしている。例えば、ラー一族の住む星は、見ることは出来ても感知器には反応せず、着陸もできない幽霊星だと、船乗りの間ではまことしやかに噂されている。これは、ラー一族の許可がなければ、普通の人間では、視覚を感じることはできても、物理的な接触──つまり、触感で感じることができないのが原因だ」

「俺達が隠形すれば、普通の人間には、見えないし聞こえないし、当然匂うこともなくなる。しかし、同族同士では、よほど上手いやつを除けば、隠形に意味はない。それも事実だな」

 

 ルウの意見を、デモンが後押しする。

 ルウは一つ頷き、リィが納得の表情を浮かべる。

 

「もしも、人間が通常のラー一族を嗅覚でそもそも認識できないなら、その死臭を認識できなくても不思議はないってことか。確かに、生きたラー一族なら、レティはその気配を感じ取ることが十分できるだろう。それは、五感だけじゃなくて、生き物の気配を読むこと自体にたけているからだ。でも、それが死体になれば話は違う。死体は、ただのものだ。ものから、人間に感じることができない臭いが放たれていたんじゃ、いくらレティでも気がつけない……」

「可視光線に置き換えるとわかりやすいだろうね。人は、光の波長の長さによって、紫から赤までの色を認識するわけだけど、生き物の種類によっては、それ以上の波長域の色を見分けることも可能だ。蛇は赤外線を認識して獲物を捕らえるし、虫は紫外線で花の色を認識する。臭いの場合、その臭気分子の量によって匂いを感じられるかどうかが分かれるのが普通だ。例えば犬なら、鼻の嗅細胞の数が人間より多いから、数千倍から数億倍も匂いに敏感だって言うけど、多分レティシアくんもそれに近いくらい匂いには敏感だろう。でも、これを視覚に置き換えれば、視力の良し悪しということで、可視光線の幅が広いということにはならない。嗅覚の鋭さと、この臭気を感じ取ることができるかどうかは、全く別のベクトルの話ということになる」

「そして、最近死んだラー一族はといえば、ルーファが殺したその二人だけってわけか」

 

 三人が話していると、先ほどまで彫像のように動かなかったフクロウが、短く鳴いた。

 三人の視線が集中する中で、フクロウは、本体の微かな動揺を表すように、数回瞬きをした。

 

「ルーファセルミィよ。結論のみを伝える。死体は、いずれも消え失せていた」

 

 ルウは、むしろ当然というように頷いた。

 

「ラー一族の死体は、例えば人間の死体のように、時間の経過によって風化することはあるのか?」

「そのような記録はない。あるとしても、それは悠久のようなときの後で、我らの死体は星の源となって姿かたちを消失させるのだ。お前があの二人を殺してから、まだ千年と経っていない。そのような短い時間でラー一族の死体が自然に消えてなくなるなど、ありうべからざる話だ」

「つまり、盗まれたね」

 

 ルウの言葉を肯定するかのように、フクロウはだんまりだった。

 その代わりに、宵闇の向こうから、笑いを含んだ声が聞こえてくる。

 それは、少女の笑い声だった。ただし、普通の笑い声ではない。聞く者の耳に不吉を残す、狂気を孕んだ笑い声だった。

 

「ええ、ええ、その通り。その二人は、よほど一族の中でも疎まれていたのでしょうね。墓の周りは荒れ放題、誰の監視もないから、盗み出すのは容易でしたよ」

 

 三人と一匹の視線が集まる中、街灯が作り出す光円に踏み入ったのは、年端もいかない少女だった。そして、リィには、その少女に見覚えがあった。

 

「ペギー・メイ」

 

 思わず駆け寄ろうとしたリィの肩を、ルウが押しとどめる。

 一瞬遅れて、その状況の異常さをリィも理解する。完全に一般人のはずのペギー・メイが、どうしてラー一族の死体盗掘に関与しているというのか。

 そんなもの、有りうべからざる話である。

 ならば、結論は一つだ。

 あれは、ペギー・メイではない。もしくは、操られている。

 

「ご心配なく。この少女の身体は、借りているだけです。役割が終えれば、後でお返ししますよ。いや、ワタクシも、太陽と闇、そしてラー一族の精鋭の前に姿をさらすのは、例え分け身とはいえ、恐ろしくて恐ろしくて……申し訳ないとは思いつつ、いたいけな少女の身体を拝借している次第です」

 

 くつくつと、少女は、その華やいだ声で嗤う。しかし嗤っているのが、少女自身ではなく、少女を操る何者かであることは明らかだった。

 その、ペギー・メイの身体を操る何者かに、リィは問いかける。

 

「お前が、ドリームメイカーをこの星にばら撒いている首魁か」

 

 少女は、にんまりとした笑みをうかべたまま頷いた。

 リィは重ねて問う。

 

「何のためにそんなことを」

「我らが国を、この手に取り戻すために」

「国だと?」

「ええ、太陽と月、そして母なる闇をいただく、偉大なる国です。そして太古の昔、暴虐な力を持つ新しき者達──にっくきラー一族に滅ぼされた、悲劇の国でもある」

 

 太陽と月、そして闇という語句に、リィとルウは総身を固くする。

 やはり、これは、自分たちの出自に端を発した変事なのだ。それを理解したからだ。

 少女は、なおも嬉し気に続ける。

 

「新しき太陽は、ワタクシの課した様々な試練を乗り越え、いまやあなたと同じか、それを凌駕するほどの輝きを放ちつつある。月は、太陽とともに目覚めた。闇は、二人の後で自然と生まれ落ちるでしょう。太陽の輝きを月が受ければ、その陰に闇が生じるのは道理ですからね。そして、後は民草が満ちれば、それは国となる。そのために、あなた方ラー一族の死骸が必要だったのです」

「……お前の言っている意味が分からない」

「わかりますよ。この夜が明ければ、嫌でもね。ただあえて蛇足と承知で説明するならば、我らが同胞の成り末たる人間の魂に、最後の闘いの記憶を思い出してもらうため、その敵の残香として、ラー一族の死体の腐汁を取り込んでいただく必要があった。あとは、覚者となった人間の身体を、ワタクシの分け身である長虫があるべき形に作り替えてくれる。あれは、そういう薬だったのですよ」

 

 少女は、天を抱くように両手を広げ、その喜びを全身で体現する。

 

「ああ、なんと素敵な夜だ!長い仕掛けでした。そして長い苦闘でした。であれば、その顛末を誰かに聞いてもらいたくなるのが人情というもの。ええ、やはり実験にて証明されたように、この星は特異点だった。太陽と月、そして闇がともに暮らすという環境は、疑似化された過日の滅ぼされし国そのもの。ラー一族よ、あなた方がその明白な事実を見落としていたのは、片手落ちの誹りを免れますまい。我らが国の末裔、即ちこの世界において魂を持つ者たちは、因果を紡ぐ織り糸に導かれてこの星へと自然に招き寄せられた。故に、ワタクシの仕掛けも成就した!偉大なる国の復興、ここに成らん!」

 

ペギー・メイに宿った何者かは嬉し気に叫び、そしてにやりと凶悪に微笑み、最後に、悲し気に顔を歪めた。

 

「最後に、一言。新たな太陽と月は、既に我が手に落ちた。せいぜい臍を噛むが良いわ、呪われし一族よ」

「……」

「我らは、我らの太陽と月を頂く。お前たちは、お前たちの太陽と月を頂け。もうこれ以上、我らをいじめるな」

 

 そう言ったペギー・メイは、意識を失い、その場に崩れ落ちた。

 誰しもが、一瞬、我を失ったように動けなかった。

 夜のしじまが、その場を満たしていた。その静寂は、まるで原始の夜のそれのようで、この街から突然全ての人間が消え失せたように、深い深い静けさだった。

 そして、その静けさの中、どこかからか、音が聞こえた。

 

 ──ごくん。

 

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