懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第百三十四話:港町シラッサ

 港町シラッサは、既に夜も更けて久しいというのに、昼間のような明るさで賑わっていた。

 別に、祭りや慶事があったからではない。海と陸の貿易で栄えるこの町は、即ち商人の町である。時は金なりを地で行く彼らは夜も店を閉めることなく、松明の灯りが町を染め上げているのだ。

 人も賑わっている。彼らは昼と夜なく働き、己の富を少しでも増やそう、他人の取り分から少しでも分捕ろうと鎬を削っている。

 当然、破落戸がそうするように、力任せに分捕ることは、余程のことがない限り、彼らはしない。商売とは、何より信用が第一であると心得ているからだ。ただし、彼らは聖人君子でもない以上、信用よりも利益が上回ると判断した場合──もしくは、事態を捨て置けば失うものが大きいと判断した場合は、薄暗い輩に金の匂いを嗅がせて、全てを闇に葬るという手段を選ぶ事もある。

 清濁併せ呑むとはよく言う表現であるが、この町を支配しているのは、そんな商人達だった。

 

「こんばんは、今日も忙しない夜ですなぁ」

 

 人好きのする笑みを浮かべた、海産物の卸を商う老商人が、馴染みの行商人の若者に頭を下げる。

 行商人は、ここで日持ちのする海産物を仕入れ、荷馬車で山間部の村々へ運び、そこで売り捌く予定だった。帰りは、村々の特産品である革製品や鉱石などを仕入れ、それをこの町で商うのだ。

 既に、店の手代と仕入れの商談を終えていた行商の若者は、先代からの付き合いである老商人の挨拶に応じて頭を下げる。

 

「ご無沙汰しております、店主様。いつもお世話になっております」

 

 二人は、店の端っこの椅子に腰掛け、煙管などを燻らせる。

 

「どうですか、行商の路程はご無事でしたか」

「お陰様を持ちまして、万事万端の旅路でございました」

「それはそれは何よりでございましたなぁ。ここ最近、辺境一帯は色々とごたごた続きでしたから、さぞご不安な道のりだったことでしょう」

 

 老商人の労いの言葉に、行商の若者が苦笑で返す。

 行商人とは、長い旅路の中で物を商い、仕入れと売上の差分で身上を賄うのであるが、その苦労は並大抵のことではない。競合する他の行商人の存在、道中の事故、そして何より恐ろしいのが、盗賊やならず者の傭兵の存在である。

 通行料程度のかつあげて済めば御の字、下手をすれば全財産、最悪の場合は命まで奪われるのも珍しいことではないのだ。

 当然、国や領主は商業の発展を奨励する立場から、悪虐を働く盗賊や傭兵の取り締まりに力を入れてはいるのだが、行商人の商うような辺境にはどうしても監視の目が及びにくい。そうすると、必然、法ではなく力こそが物を言う世界となってしまい、行商も隊列を作り、護衛のため傭兵を雇ったりする。

 そうすれば安心かといえば、雇った傭兵が送り狼となり、こちらに牙を剥かない保証もないわけで、やはり心安らかな旅路とはいかない。

 商人の階段の第一歩は行商からというのがお決まりではあるが、中々容易なことではないのだ。

 自身もかつては行商で身を立てた老商人が、行商の若者を労う言葉も、実感が籠もっていた。

 そして、それらの事情を理解している若者は、

 

「今回の旅程は、おかげさまをもちまして、神の恩寵に恵まれたようです。幸いなことに、それなりの利益を出すことも出来ました」

「そのようですな。前回よりも、仕入れの量も質も上がっているようで、何よりでございます」

「いえ、全てはこちらの商品が素晴らしいからです。苦労して目的地に到着しても、肝心の商品が捌けなければ絵に描いた餅も甚だしい。あちらのお客様からは、次の商いが待ち遠しいという有り難い言葉を頂いております」

「それはそれは、何よりでございます」

 

 二人はぷかりと紫煙を吐き出す。

 そして茶などを啜り、若者が、そういえばと口を開く。

 

「ときに、店主様。一つ伺いたいことがあるのですが……」

「はて、私に答えられることであれば」

「いえ、私がこの町を訪れるのはほぼほぼ一年振りということになるのですが、なんと申しますか、町の雰囲気が随分と変わったような気がしまして、果たして何があったのかと」

「ああ、そのことですか」

 

 老商人は苦笑を零し、煙管の灰を灰皿へと落とす。

 

「仰るとおり、ここ最近のシラッサは、毎日が祭りと見紛うほどに賑わっておりますな。方々の町や村、遠くは異国から商人が訪れ、あちこちで商談を交わしておりますよ」

「はて、確かにシラッサは元々商業の盛んな町ではありますが……何か、変事がありましたか?」

 

 若者は、注意深い口ぶりで訊いた。

 商人が俄に活気づくときは、既に大きな変事が起きている、もしくはその匂いを嗅ぎつけていることが多い。

 代表的なのは戦争だろう。国と国が戦うとなれば、武器や糧食、馬や傭兵など、様々な商品が飛ぶように売れるため、商人は今が稼ぎ時と血気盛んにそろばんを弾くのだ。

 しかし、行商を生業とする若者にとっては、戦争で路程が通行できなくなるとすれば死活問題である。

 必要であれば情報料として幾ばくかの金を支払ってでも、その辺りの世情は知っておきたい。

 真剣な顔の若者に、しかし老商人は笑いながら手を横に振る。

 

「いやいや、あなたの心配されるようなことは起きていません。ただ、この町に、正しく飛ぶ鳥を落とす勢いの商会が出来ましてな、そのおこぼれにあずかろうと、噂を聞きつけた連中が大騒ぎをしておるのですよ」

「はぁ、新興の商会ですか」

 

 緊張が解けて、気の抜けたようになった若者の返事に、老商人は頷く。

 

「なんとも奇妙な話なのですがね。この町の外れの、跡継ぎのいない潰れる寸前の商店を、流れ者の女が、それなりの金銭で買い取ったのですよ。するとどうでしょう、その女は、見たことも聞いたこともないような奇妙な品を商いはじめ、それがことごとく大当たり。時流に乗っかる見事さも、まるで未来を知っているかのような有様。やることなすこと全てが黄金を生み出し、吹けば飛ぶようなボロ商店を、わずか一年に満たない間にこの町でも並ぶところのない大商会に成長させたてしまったのです」

「それはなんとも……」

 

 唖然とした若者は、それは何かの詐欺話ではないかと、内心で疑った。

 身代を派手に偽って、『俺はこれだけ儲けているぞ。お前も一口乗らないか』と出資を募り、集めるだけ集めておいて最後にどろんと消え失せるのは、詐欺師の常套手段である。

 そんな、若者の胡散臭げな気配が伝わったのだろう、老商人はほっほと微笑み、

 

「疑われるのも無理はない。しかし、先ほどの話は事実ですぞ。かく言うこの店も、件の商会のおこぼれにあずかっておりましてな。この近辺の海域で、採れはするが売り物にならないから捨てていた海産物を、その女店主の言うとおり加工して売り出してみたら、これが大当たり!この町はおろか、近隣の町からも噂を聞きつけた商人が買い付けに来る評判で、儲けさせて頂いているところです」

 

 言われて見れば、店のあちこちに見慣れない海産物らしき商品が並んでいて、その前で、買い付けに来たらしい商人と手代が、商談を行っている。

 

「どうですか、貴方も少し仕入れられては。先代様からのお付き合いですから、勉強させて頂きますが」

「いえ、私が商いをする山間の村々では、そういった珍妙なものは喜ばれないでしょうから……」

「なるほど、町の流行が山間の村々にまで広まるには、もう少し時間が必要でしょう」

 

 老商人は頷き、若者の商売方針を是とした。

 しかし、老商人の話には興味を惹かれたのだろう、若者が続けて問う。

 

「しかし……その女店主がどれほど商才に恵まれ、発想が素晴らしいものなのだとしても、たった一年でシラッサで一番の商会に成り上がったというのが解せません。商売を広げようとすれば、普通は商売敵の一人や二人とは衝突するもの。そうでなくても、嫉みや僻みで潰しにかかる輩もいるでしょう。その辺りはどうだったのですか?」

 

 老商人は、さもありなんと頷き、

 

「正しく仰る通り。しかし、その女店主の凄いところはそこなのですな。女店主は、金の匂いがするならあらゆる分野に手を伸ばしますが、不思議と敵を作らないのですよ」

「敵を作らない……」

 

 商人と商人は、その業種が被ってしまえば、どれほど表面は仲良く振る舞おうとも、金貨の分け前を取り合う敵同士である。片方が多くのパイを取れば、もう片方の取るパイは少なくなる。それが世の道理である。

 ならば、新たに自身の敵となる新興の商会が興ったとするなら、有形無形の力を使って潰しにかかるのが当然である。

 そんな内心が表情に出ていたのだろう、若者の顔を見て、やはり老商人は微笑む。

 

「あなたの考えも尤もですが、そこがその商会のやり口の肝なのですな。確かに、一番利益を得るのはその商会に違いありませんが、その商会がこの町の商業規模を大きくすることで、結局商売敵も、その商会がなかった頃より儲かっているのです。買い手良し、売り手良し、世間良しの三方良しは良く言う言葉ですが、その商会は商売敵良しの四方良しなのですよ」

「なるほど……」

 

 そんなことが本当に可能なのかは置いておいて、もしも事実ならばその不思議な商会の奇跡的な興隆も納得出来る。

 しかしそれでも納得しかねる表情の若者に、今度は、老商人が声を潜めて、

 

「それに、実は最初の頃は、破落戸を使ってその商会を潰しにかかった者もいたそうなのですがね、これが全く上手くいかなかった。所詮は女店主、男の腕力に物を言わせればしおらしくもなろうと思ったのでしょう。しかし、その女店主の腕力たるや、そんじょそこらの男が束になっても敵わない」

「まさか、所詮は女の細腕でしょう?大の男、それも荒くれ者が束になっても敵わないというのは……」

 

 いくらなんでも俄には信じがたい。

 それは、その女店主とやらを信奉する何者かが、噂に尾ひれをつけた結果ではないだろうか。

 若者はそう思ったが、老商人は面白そうに手を顔の前で横に振り、

 

「いやいや、事実として、その女店主の腕っぷしたるや、都の鍛え上げられた兵士だって敵わないだろう、凄まじいものなのです。まず体格からして、普通の男からは頭一つは大きい。それに、私はこの目で見たのですよ。やくざ者に因縁をつけられた女店主が、そのやくざ者を橋から川に放り投げた瞬間を」

「はぁ……」

「その顔、やはり信じていませんな。よろしい、次にこの町を訪れたときは、その店を尋ねてみなさい。紹介状は私がしたためてあげましょう」

「ありがとうございます。正直、少し眉唾ではあるのですが、会って損はなさそうです。ちなみに、その商会の名前は?」

 

 老商人は、我が孫を褒められたように嬉しそうに答えた。

 

「クーア商会というのです」

 

 

 椅子に腰掛けたジャスミンは、羊皮紙の契約書に書かれた文言を注意深く読み返し、大きく息を吐き出した。

 ぐるりと見回せば、さして贅を凝らした様子もない、殺風景な自分の部屋である。

 それ自体は、元いた世界でも変わらぬことではあるのだが、当然違うことのほうが多い。

 木材で建てられた家の、木材で囲まれた部屋で、木材の机と椅子に腰掛けて、羊皮紙の契約書に目を通す。

 共和宇宙ならば、よほどの自然愛好主義の偏屈者の日常以外、絶対にあり得ない状況であるのだが、ジャスミンがこの世界に強制的に招かれてから、既に一年が経つ。ランプの頼りない灯りにも、慣れてこようというものだ。

 ジャスミンは、手元の呼び鈴を鳴らした。すると、ノックの音と共に扉が開かれ、モノクルを付けた壮年の男性が入室してきた。

 

「お呼びですか、御主人様」

「アルフ、この契約書案だが、船荷に不測の損害が発生した場合の責任の所在が曖昧だ。事業の主体はノラ商会側だからな、きっちりあちらに責任がある旨を文章にさせて先方の了解を得るよう、担当に伝えてくれ」

「承知致しました」

「ところで、ブリガンに頼んでいる武具の納入状況はどうだ?」

「先方からは、予定日通りに納入可能である旨の連絡をいただいております」

「ドランに出した新店舗の売り上げは?」

「今のところ至極順調と聞いております。後ほど、帳簿を届けさせます」

「頼んだ。持つべきものは優秀な秘書だな」

「私はまだ奴隷の身分です。秘書とお呼びいただくのは、私が自分を買い戻してからにして頂けると幸いです」

「そうか。ならば、お前の給金をもっと上げられるよう、気合を入れ直すとしよう」

 

 アルフは、如何にも彼の主人らしいジャスミンの言い方に苦笑を誘われたが、厳格なほど職務に忠実な彼は、結局表情を変えずに一礼した。

 

「お言葉は大変有り難いのですが、私は御主人様の体調が心配です。僭越ではございますが、もう少しお体を労られては如何でしょうか」

「別に無理をしているつもりはないぞ。今は、この店を大きくするのが楽しくてな。趣味を楽しんでいるようなものだ。気を使ってもらう必要はない」

 

 気楽にジャスミンはそう言ったが、アルフは頭を下げたまま諫言を続ける。

 

「しかし、私が今までお仕え申し上げた方々と比べても、今の御主人様は少々根を詰めすぎているように思われます。遠くを良く見通せる賢人は、得てして自身の身体のことは一番見えにくいもの。伸び盛りのクーア商会だからこそ、御主人様がひとたび床に伏せるようなことがあれば、どのような憂き目に合うか分かりません。重ねて、ご自愛下さるようお願い申し上げます」

 

 上に立つ人間にとって真に役立つ人材が何かといえば、上の人間にとって例え耳に痛くとも真に必要な意見を、遠慮なく述べることが出来る人間のことだろう。

 その解釈でいえば、アルフはジャスミンにとって真に必要な人間だった。読み書きが出来る奴隷として売り出されていたアルフを買ったのはジャスミンだが、人間に対してそう表現するのが適切か否かは置いておいて、アルフは正しく掘り出し物だった。

 自分一人で商売をするならいざ知らず、商売をもっと大きな規模で行うならば、人こそ宝であり、優秀で信頼出来る人間は喉から手が出るほどに必要で、かつ何人いても足りない。

 この世界でもジャスミンはそんな人間を、極めて幸運なことに幾人か既に雇用しており、そういう人間には全幅の信頼を預けることで、事業を順調に拡大させているところなのだ。

 そして、そんな人間の忠言は、ジャスミンにとっても有り難いものであった。

 ジャスミンは微笑みながら頷いた。

 

「分かった、アルフ、お前の言うとおりだ。今後はもっと計画的に休養を取ることにする」

「分際を弁えぬ失礼な言葉であったことをお許し下さい」

 

 自身の意見を受け入れてくれる主人の存在は、アルフにとっても有り難いものであるし、自分の存在価値を認めてくれるものでもあった。

 かつてアルフの所有権を有していた人間の中には、彼の忠言に対して怒り狂い、鞭による打擲でもって報いた人間すらいたのだ。そんな人間に仕えることを思えば、ジャスミンのように自分を一人の人間として扱ってくれる主人がどれほど有り難いか、アルフは知っていたのだ。

 相変わらず、深々と頭を下げたままのアルフに、気安くジャスミンは続ける。

 

「何を言う。私は、この世界では物を知らない小娘同然だ。アルフ、お前の忠誠を心底有り難く思う」

「勿体ないお言葉、身に余る光栄でございます」

「今日は私も仕事に区切りをつける。お前も休んでくれ」

「かしこまりました。あと、ウォル様が旅から戻られたようですが、お会いになるのは明朝にされますか?」

「ウォルが帰ってきたのか。それなら、早速通してくれ。いや、その前に、悪いが湯の用意をしてやってくれないか。あれも、一応は女だ。まずは身体を清めたいだろうからな」

「承知いたしました」

 

 ウォルが誰よりも輝かしい美貌を有していた少女であることを知っているアルフは、『一応は女だ』という台詞に強く抗議したいところだったが、すんでのところで思いとどまり、旅塵に汚れただろうウォルを湯で迎えてやるために、召使いのところへと向かった。

 そして、ジャスミンがお気に入りの蒸留酒をグラスの二杯も空けた頃合いに、身体から湯気を立たせたウォルが部屋に入ってきた。

 烏黒の髪は艷やかに照り輝き、火照った肌はほのかに赤く染まり、幼いながらに匂い立つように色めいている。

 身に纏うのはゆったりとした部屋着で、肌寒いこの季節、この町では一般的な着衣である。ただ一つ普通でないところがあるとするなら、その胸元から、こちらも旅塵を落としてさっぱりした様子の、幼い子犬のような愛らしい生き物が、如何にも誇り高い様子でジャスミンの方に顔を向けているのだ。

 無論、狼の、それも子狼に形態変化したインユェである。

 その様子を見て、ジャスミンが苦笑する。

 

「ウォル、年頃の男女が仲睦まじいのは良いことだが、少し甘やかしすぎではないか?」

「まぁ、この程度ならばな。インユェには色々と助けられている。労いも必要だ」

 

 子狼が、きゃんと一声嬉しそうに吠える。

 その頭を一撫でしたウォルが、ジャスミンの前の椅子に腰掛ける。

 

「夜分も遅くにすまんな、ジャスミンどの」

「いや、私こそすまない。本当なら一晩ゆっくりしてもらってからのほうが良いだろうとは思ったのだが、きみが帰ってきたと聞いて、一刻も早く顔を見たくなってしまってな」

「ジャスミンどののように美しい女性にそう言ってもらえるとは、男冥利に尽きるというやつだな」

 

 今は女性のウォルの、下手な冗談にジャスミンは頬を綻ばす。

 そして、蒸留酒の入ったボトルを掲げ、

 

「どうだ、駆けつけ一杯」

 

 大の酒好きのウォルである。無論、否やなどあろうはずがない。

 まるで舌なめずりする有様で、ウォルは嬉しげに答える。

 

「一杯と言わず、何杯でも頂こう……と言いたいところだが、その前に一つ、ことわっておかねばならんことがある」

「ほう、それは?」

「今回の旅で、一人、魔物の生贄にされかかっていた少女を保護した。アーシェラ・ウル・グラムという名前の少女だ。取り敢えず、一緒に湯浴みして、今は客室をお借りしてそこで休ませている。事後承諾で申し訳ないが、一晩宿を貸してやってほしい」

「なるほど、分かった。それは問題ない。それにしても、ウル・グラムとは……そして生贄……。つまり、聖グラム王家の聖餐か」

「聖グラム王家の聖餐?」

 

 ウォルが、自分のために満たされたグラスを受け取り、なみなみと注がれた蒸留酒を一息で飲み干した。

 普通はちびりちびりと飲む強い酒だが、この少女にはその豪快な飲み方が何故だか相応しく見える。

 ジャスミンは、ウォルのグラスに再び酒を注ぎながら、

 

「私が知っているのも、噂程度の話だがな。ウォルは、聖グラム王国を知っているか?」

「いや、寡聞にして聞いたことがない」

 

 ジャスミンは立ち上がり、部屋の壁に貼り付けられた地図を指さした。

 ウォルにとっても既に馴染みとなった、この地域の国家の配置を大まかに示した地図である。

 

「ここが、聖グラム王国だ」

 

 ジャスミンの指さした箇所は、今、ウォル達がいるシラッサの町からすると、かなり北に位置している。もしも足を向けるなら、幾つかの大河と山地を越えることになるだろう。

 簡単に辿り着ける場所ではないということは、ウォルにも容易に想像できた。

 

「国家の歴史は、このあたりでは一番古い。周辺国の王族も、血脈を辿ればこの国に行き着くことも珍しくないほどだ。産業は、牧畜と、聖地巡礼の信徒を客とした観光が主だが、国力自体がそれほど発展しているわけではない。軍事力にも乏しく、聖グラム王国が国として成立しているのは、その宗教的な影響力によるところが大きい」

「宗教というと、三体教か」

 

 ウォルの言葉に、ジャスミンは頷く。

 三体教とは、この地域で広く信仰されている宗教の名前だった。

 

「太陽と月、そして母なる闇の御名において、か。うんざりだな、その言葉を聞くのは」

 

 ジャスミンも、無言でウォルの意見を是とする。

 

「とにかく、三体教の教皇が、聖グラム王国の国王を代々兼任するのが習わしだ。そして、聖グラム王国には奇妙な掟があってな。どのように選定しているかもその頻度も不明だが、各地の魔物の生贄に、本来の生贄として選ばれた人間に代えて、王家の血を引く者を捧げることがある。それを、聖グラム王家の聖餐と呼ぶんだ」

「何故そのようなことを?そんなことをすれば、下手をすれば王家の血を絶やすことにもなりかねないだろうに」

 

 ウォルの当然といえば当然の疑問に、ジャスミンは呆れたような調子で、

 

「一応の達前は、高貴なる者の義務、いわゆるノブレスオブリージュというやつだな。至尊の座に近き者こそ、最も重たい責任を負うべしということらしい。事実、この生贄の代行業のおかげで、聖グラム王家はそれなりに評判が良い。いつの時代も、尊き者の自己犠牲というのはお涙頂戴の物語にしやすいからな。民衆からの支持は、専制政治とはいえやはり支配権の礎となる。あって困るものではない」

「だからといって、それで王家そのものが傾く可能性があるなら、本末転倒ではないか?」

「きみの言い分はもっともだが、どうやらその心配はないらしい。生贄は、王家の血を引くとは言いつつも、その庶子が選ばれるのが常だからだ。いくら王子王女とはいえ、継承順位からすればほぼほぼ王位につくことはない者達だ。無駄飯を食わせておくくらいなら文字通り生贄となって、王家の家名を高めてもらおうというところかも知れないな」

 

 無情とも思えるジャスミンの台詞であったが、これはウォルにしてみれば、思うところの多い話であった。

 無論、ジャスミンはウォルの詳しい生い立ちを知らない。ウォルが男であったかつての世界で、ウォルが国王と侍女の子である庶子として生まれ、その事を隠されて地方貴族の嫡男として育てられて、最終的には王冠を頂く結果となったことなど、知る由もない。

 しかし、今、ウォルが一瞬だけ浮かべた難しい顔を見て、思うところがあったのか、

 

「すまない、どうやら失言があったらしいな」

 

 そう言って詫びた。

 ウォルは再びグラスを空にして、謝罪を受け入れるように微笑み、それから真剣な表情で言う。

 

「そのアーシェラという少女だが、聖餐とやらに選ばれたのならば、既に国では死んだものとして扱われているだろう。それが国に帰って、仮に上手く受け入れられたとしても、もう一度聖餐の犠牲者として白羽の矢が立たないとも限らん。一度死地から帰った少女を、またしても死地に送るのは忍びない」

「きみの言うとおりだな」

「まだ幼い少女だが、性根は真っすぐに思われるし、頭の回転も早いようだ。ジャスミンどのが仕込んでくれるなら、一人前の商人として生きていくことも十分可能だろう。どうだろうか、その少女をこの店で働かせてやってくれないだろうか?」

 

 ジャスミンもグラスの酒を空にし、お気に入りの美酒の味に満足気な溜息を吐き出して、

 

「今は猫の手でも借りたいほどに人手が欲しい状況だ。王として多くの人材を見てきたきみがそういうなら、アーシェラという少女には見込みがあるのだろう。願ってもないことさ」

 

 気安くそう言ってから、自身とウォルのグラスに酒を注いだ。

 当然、アーシェラ自身の身の振り方の希望を確認する必要はあるのだろうが、敏い少女のこと、既に天地の間に身の置所がないことは理解しているのだろう。ならば、仮にも王女の身の上とはいえ、丁稚奉公を今更厭うとも思えない。

 一応、一つの懸案課題が片付いたウォルは、感謝を込めてグラスを掲げ、ジャスミンのそれと軽く合わせた。

 

「ところで、ウォル、どうだったんだ、今回の旅の成果は」

 

 話をかえたジャスミンの質問に、ウォルは諦めたように首を横に振る。

 

「成果らしい成果といえば、アーシェラを喰らおうとしたあやかしを一匹仕留めただけだな。月を司る竜などとたいそうな謳い文句だったが、何のことはない、ただ少し大きなだけの蛇だった」

 

 何とも無慈悲なウォルの台詞である。

 なにせ、ウォルに討たれた大くちなわは、齢千年を越える大妖だったのだから、ただの蛇と言われては立つ瀬がないだろう。

 しかし、ウォルとしては、本当にその程度の相手だったと思っているのだから、当の大くちなわがウォルの言葉を聞けば、歯をきしらせて悔しがったに違いない。

 

「では、闇の手掛かりは未だ見つからず、か」

「ああ。これでは、いつになったらこの世界からおさらば出来るか分かったものではないな」

「きみも私もそうだが、あまり長い間家出をすると、パートナーが暴れ出さないかが気掛かりだ。まぁ、あまりの寂しさに枕を濡らしているという心配だけはないことが唯一の救いか」

 

 腕を組んで憮然とした様子のジャスミンに、ウォルは苦笑する。

 そして、思い出したかのように懐から、一枚の大きな鱗を取り出し、机に置いた。

 

「そういえば、その蛇妖からの戦利品で、剥ぎ取った鱗がこれなのだが、ジャスミンどの、この鱗は売り物になりそうか?」

「どれ、見せてもらおう」

 

 ジャスミンは、机に置かれた大くちなわの鱗を手に取り、ランプの灯りに角度を代えて当てながらじっくりと観察する。

 

「……光の具合で七色に輝く様子は、鱗というより鉱物に近いな。ある種の貝殻等は鉱物元素を豊富に含むというが、この鱗もそうなのかも知れない」

「あやかしの売り文句では、どうやら鉄よりも硬いらしい。事実、おれの全力の唐竹割りも容易く弾き返してくれた」

「ほう、それは大したものだ。そのわりには驚くほど軽いな。あちらの世界でなら、果たしてどんな分子組成になっているか詳しく成分分析をしたいところだが、こちらではそうもいかないか。知的好奇心は置いておいて、どう加工して売り捌くかを考えるほうが生産的だな」

「魚鱗胴などはどうだ?硬くて軽い、良い鎧になりそうだが」

 

 如何にも戦士らしいウォルの意見に、ジャスミンは不敵に微笑み、

 

「いや、研磨も経ない素材の段階でこれだけ美しいんだ。鎧にするのは少し勿体ない。ここはブリガンの工房に依頼して、宝飾品に加工してもらうとしよう」

「宝飾品として売るわけか。しかしそうなると問題は、金持ち連中の、この鱗に対する知名度と蒐集欲をどうやって煽るかだな。確かにこの鱗は希少品で美しくはあるのだろうが、これはこの世に二つとない品ですとどれだけ説明したところで、連中の財布の紐を緩めるのは簡単ではないぞ」

 

 難儀そうに顔を顰めたウォルに、ジャスミンは気安い笑みを浮かべたまま首を横に振る。

 

「なに、希少品であることを説明する必要などない。むしろ反対さ。希少品を売り捌くときに重要なのは、売る側から教えることではなく、買う側に知りたいと思わせることだからな。つまり、宝飾品を高値で売り捌くのに必要なのは、たった二つの条件だ。一つは、女にその宝飾品を欲しいと思わせること。そしてもう一つは、金持ちの男に、その宝飾品を女が欲しがっているのだと理解させること。この二つの条件さえ満たされれば、あとは勝手に世間がその宝飾品のことを知りたがり、そしてその宝飾品が希少であれば、価値は天井知らずに上がっていくのは間違いない」

 

 如何にも商売人らしいジャスミンの言葉に、そういった分野には縁がなかったウォルは、なるほどそんなものかと納得する。しかし、すぐに疑問を思いついたのか、難しい顔で、

 

「ジャスミンの仰ることは道理だが、どうやって女性に、この鱗から作った宝飾品を欲しいと思わせるのだ?まずはそこが問題だと思うのだが」

 

 そう訊いた。

 対するジャスミンは、やはり不敵な笑みを浮かべたまま、

 

「これも至極単純な話だ。いつの時代も、女は、自身よりも賢く、美しく、身分が高い女の真似をしたがるものだからな。つまり、そういう立ち位置にいる適当な女を見繕い、この鱗から作った、例えば指輪やネックレスなんかを身に着けてもらい、社交界で出来る限り目立ってもらえばいいのさ。そうすれば、あの女性のつけている指輪はいったい何だ、何で作った指輪なんだ、どこで商っているんだという話に必ずなる。そうすれば、釣り針に魚は食いついたも同然だ。まぁ、マーケティングとしては使い古された手法だが、使い古されるということはつまり、それだけ有効だという証拠だからな」

「あら、その適当な女って、ひょっとして私のことかしら?」

 

 ノックもなしに開かれた扉の向こうに、輝くような金髪の、美しい女性が立っていた。

 ジャスミンはその女性を見て、嬉しそうに微笑んだ。

 

「やあ、ちょうどいいところに来てくれたな、ジンジャー。私たちは、今を時めく大人気の舞姫を出汁にして、また一儲けさせてもらおうと悪だくみをしていたところだ。お前も一杯どうだ?」

 

 笑い弾んだ声で、ジャスミンは美しい女性に向けてグラスを掲げた。

 その美しい女性──ジンジャー・ブレッドは、呆れたような表情でため息を一つ吐いたのだった。

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