懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第十八話:転入初夜

 連邦大学は、押しも押されぬ共和宇宙最高学府である。

 無論、教育機関と研究機関とは並立し得る、そして並立すべき存在であるから、連邦大学に所属する学生から教鞭を執る教授や准教授、そして彼らの下支えをする職員を数えれば、膨大な人数となる。

 その上、下部組織である小中高の義務教育機関、そして各種専門学校の数だって両手両足の指の数では到底数え切れない程である。それらを合わせると、一つの星を教育機関が埋め尽くすという異常な状況だって、寧ろ当然であると人は納得するだろう。

 しかし、広大な敷地と立派な設備を誇るからといって、無制限に学生の受け入れをしているわけではない。門戸こそ広いが、その中に留まることは一方ならぬ努力を要する。『来るものは拒まず、去るものは追わず』、それを体現するのがこの星の指導方針なのだ。

 当然、学期の途中であったとしても、その授業速度について行けずにこの星を去る学生は多い。逆に、己の力を試してみようとしてこの星を訪れる学生はもっと多い。

 結果として、例えば進級の時のクラス編成時や学期の始めなど、節目以外に新しい学友の顔が増えることだって珍しいことではない。

 しかし、今日はやはり特別であった。

 

「みんな、注目して欲しい」

 

 寮長の、ハンス・スタンセンの朗々たる声が、人も疎らな食道に響く。

 集められたのは、中等科の一年生ばかり。既に食事も終え、あとは各自の部屋で、もしくは自由室で思い思いの時間を過ごそうとしていた学生ばかりだ。

 だが、その顔に、夜も更けたこの時間に突然呼び出された不満などありはしない。むしろ、新しく自分達の仲間になるのが一体どんな人間なのか、隠しきれない興味に瞳を輝かしている。

 

「我々の新しい仲間を紹介する」

「……さて、どんな自己紹介になるのやら」

 

 隣に座った銀髪の少年だけに聞こえるような声で、リィは呟いた。

 どうにも意地の悪い声だったから、シェラは苦笑した。そして、直接は答えずに、こんなことを言った。

 

「それにしても、我々の時に比べると随分人が少ないですね」

「おれ達のときは事情が事情だったからな。これくらいが普通なのさ」

 

 リィとシェラが紹介を受けたときなどは、この寮に住む全ての人間が一堂に会し、その中での紹介となったのだ。

 それは、二人が特別扱いを受けた結果ではない。ただ、二人の整いすぎた容姿によって無用な混乱が起きないよう、寮長たるハンスが機転を利かせただけの話で、リィもシェラのその心遣いに感謝していた。

 それに比べれば、今から紹介を受けるであろう編入生の容姿も、整っているとはいえ、それは性別に則したところの整い方であるから無用な混乱が起きる可能性は無い。もっとも、無用ではない混乱――年頃の少年達が、あこがれの異性に当然抱くような――は起きるかも知れないが、それはハンスとて如何ともし難いものであるのだ。

 

「なんだ、ヴィッキー。お前、転校生が誰か、知ってるのか?」

 

 やはりひそひそ声で、リィの隣に座ったジェームズ・マクスウェルが尋ねた。

 リィが肩を竦めながらそれに応じようとしたその時、手短な説明と前口上を終えたハンスが、扉を開いて外に控えていた編入生の入室を促した。

 

「では、入ってくれ」

「ありがとうございます」

 

 聞こえたのは、少女の声だった。

 転入生の性別を知らなかった寮生達のうち、リィとシェラを除いた半分はにわかに色めき立ち、残りの半分は少しだけ残念がっているようだった。

 程なくして、堂々とした足取りで、一人の少女が食堂に入ってきた。

 それを見た寮生は、一斉に感嘆の吐息を吐き出した。

 まず、39対の瞳が最初に見たのは、その流れるような黒髪だった。

 当然、食堂に集められた生徒の中には同じ色の髪の毛を持つ者も多かったが、しかしそのいずれもが、自分と同じ色の髪であるとは思えなかった。

 黒い髪の毛は、基本的には見る者に重たい印象を与える。それを好む者ならばともかく、年頃の、特に少女などはその重たい印象を嫌がり、髪の毛を染める者も少なくない。この寮に住む者の多くが通うアイクライン校は比較的自由な校風であるので、染髪も、余程に奇抜なものを除けば特に禁止されていない。だから、一見すれば金髪に見える少年少女も、実は黒髪だったということも少なくないのだ。

 しかし、その少女の黒髪の見事さはどうだろう。

 黒に黒を幾重にも重ねたような、深い黒。なのに、どこにも暗いイメージがない。例えるなら若々しい黒豹の毛並みのように、艶やかに煌めきながら電灯の光を受け流している。

 そして、その髪と同色の、意志の強そうな瞳。

 抜けるように白い肌、ほっそりと均整の取れた体つき。

 深窓の令嬢と呼ぶには、身に纏った男もののシャツとスラックスが些か相応しくないようであるが、全体として見ればこの上なく似合っている。

 男装の麗人という、年頃の少女を称するには風変わりな言葉が、その少女の容姿を表すのにぴったりであった。

 

「お初にお目にかかります。私の名前はフィナ・ヴァレンタイン。右も左も分からぬ田舎者ゆえ皆様にはご迷惑ばかりおかけすることになるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします」

 

 その瞬間、38対の視線が、少女以外の人間に集中した。

 それは、その人間の隣に座った、銀髪の少年とて例外ではない。いつもは何があっても落ち着き払った様子を崩さないシェラまでもが、呆気にとられた様子でリィを見つめていた。

 やがて、その中で最も勇気ある少年が、おそるおそると片手を上げながら、探るような声で質問をした。

 

「えーっと、ひょっとして君はヴィッキーの……?」

 

 リィが何か声を上げる前に、少女はにこやかに微笑みながら、少女らしくない口調で言った。

 

「ああ、私はそこにいるヴィッキー・ヴァレンタインの妹だ」

 

 食堂の中に、些か夜には相応しく無い、騒然たる叫び声がこだました。

 

 

 ウォルがリィと離れて惑星ベルトランに一人残ったのは、もちろん事情があってのことである。

 現在、ウォルが身を寄せるこの世界――端的に言ってしまえば共和宇宙に、彼女の存在を根拠づける公的な記録は一切存在しない。ウォルが間借りする少女、エドナ・エリザベス・ヴァルタレンには、一応の記録こそかつては存在したものの、現在では三年前の事件の再来を恐れる政府機関によって徹底的なまでに抹殺されている。

 シェラがリィに言ったように、この世界で生きていく上で、個人の公的な記録というものは欠かすことの出来ない重要な存在だ。無論それを持たない私生児や辺境民がいないわけではないが、少なくとも中央において、そんな人間が日の当たる人生を送ることが出来るはずもない。

 シェラの時は、ロストプラネット出身という、一歩間違えば正気を疑われるような方便をもってその公的記録を獲得したが、ウォルのケースにはその離れ業を使うことは出来なかった。

 二匹目の泥鰌を恐れたのではない。それよりももっと切実な、大きな問題があったのだ。

 それは、ウォルとシェラの過ごしてきた生涯の違いである。

 シェラは幼き日より、流れた先の土地の風俗に合わせてその生活習慣を変え、コミュニティの中に溶け込むための訓練を受けてきた。それに対してウォルは、基本的には一つの場所で、どっしりと根を下ろした生活を送ってきている。

 では、果たしてそのウォルに、シェラほど器用に己の生い立ちについて周囲の目を欺くことが出来るだろうか。それも、右も左も分からぬ異世界で、だ。

 リィはその点について楽観的であったが、しかし当のウォルとシェラは懐疑的であった。

 

「何せ、俺は楊枝一本削ったこともない、不器用を地で行くような男だ。到底シェラの真似が出来るとは思えん」

「おれはお前くらい器用な奴の方が珍しいと思うけどなぁ」

 

 この上なく疑わしげな視線を寄越しながら、リィは呟いた。

 

「お言葉ですがリィ。へ……ウ、ウォリ……は、確かに器用な方だと私も思います。思いますが、これはどちらかというと『慣れ』のほうが物を言う領分ですので……」

「ふむ、流石にシェラはよく分かってくれる」

 

 ファロット伯と呼ばれなかった少年は、安堵の溜息を吐き出した。

 それを横目に見ながら、興味の薄そうな様子でリィは呟いた。

 

「ふーん。ま、シェラがそう言うなら間違いないんだろう」

 

 星間通信を用いたこんな会話があって、結局当初の予定通り、ウォルの身元は非道な人体研究施設から救い出された憐れな少女という設定でヴァレンタイン夫妻に紹介された。当然マーガレットはそれが方便だと知っているが、どうやら全くの嘘でもないようなその説明に衝撃を受け、少女の不遇に涙を流した。

 施設での記憶は、ウォルの宿った少女の脳髄に、嫌と言うほどに刻み込まれている。この点、例え施設の関係者がこの少女を捕まえて尋問したとしても、少女の中に宿っているのが別人格だとは露ほども思わないだろう。無論、ウォル自身を含めたところで数人の人間が、その持ちうる全ての暴力をもってそんな事態を許しはしないのだろうが。

 結果、ヴァレンタイン夫妻は二つ返事でウォルの身元の引き受けを快諾した。

 しかしここで再び問題になったのが、やはりウォルの元々の公的記録である。

 エドナ・エリザベス・ヴァルタレンに関する公的記録は、徹底的なまでに抹消されている。ひょっとしたら、両親の記憶だって操作され、彼女のことを覚えている人間はこの世にいないのかも知れない。

 そんな人間の、いわば元から存在しない人間の後見人になるなど、どだい不可能である。可能であったとしても、彼女の存在を一から公的に認証するためには、シェラのとき以上に面倒な手続が必要になるだろう。

 もとよりそんな些末事に無駄な時間をかけるつもりのなかったウォルは、電話一本でその問題を解決した。

 

『失礼、そちらは連邦主席官邸で間違いなかったかな?』

「はい、その通りです。失礼ですが……?」

 

 この共和宇宙でもっとも多忙を極める役人の詰め所であるそこには、当然多くの電話がかかってくる。しかしその多くは幾重にも張られた厳重なチェックを受けて、担当係官から引き継がれるのが通常である。

 その中で、直通電話のかたちを取られるのは、余程に緊急の連絡か、それとも極々私的な相手なのか。

 それにしても、受話器の向こうにいるのは、どうやら年若い女の子のようなのだ。

 主席付の秘書官は首を捻った。そして、重ねて問うた。

 

「主席にどういったご用事でしょうか?」

『狼女が、朗報を一つ、そして頼み事を一つ持ってきたと、そう伝えて欲しい』

 

 その効果は驚くべきものだった。

 共和宇宙全体の、経済とエネルギー問題を解決すべく集まった各国財務大臣との折衝に臨んでいた共和宇宙連邦主席、マヌエル・シルベスタン三世は秘書官からの緊急呼び出しに舌打ちを堪えつつ、人好きのする笑みを浮かべながら会議室を後にした。

 

「何だ、今がこの会議において最も重要な局面であると、君とて知らぬわけでもあるまいに」

『はっ、お怒りはごもっともですが……その、狼女を名乗る少女から、例の直通回線を通じて連絡が入っておりまして……』

 

 予想だにしなかった名前を聞いて、主席は、赤絨毯の上でへなへなと崩れ落ちた。

 その時誰も廊下を歩いていなかった辺り、この男は幸運を司る星の下に生まれていたのかもしれない。ただ、その星は幸運以上に、気苦労と胃痛と偏頭痛を司っていたに違いないのだが。

 それでも何とか携帯端末を取り落とすことだけは避けた主席は、震える声で問い返した。

 

「そ、それで先方は、なんと、一体何と言っていた!?正確に復唱したまえ!」

『は、はい。ええと、狼女が、朗報を一つ、そして頼み事を一つ持ってきたと、そう伝えて欲しい、と』

「……わかった。すぐにそちらに向かう。電話はそのまま繋いでおくように。それと、くれぐれも粗相のないように気を付けたまえ。冗談では無く、君の対応によってこの共和宇宙の命運が決まるといっても過言ではないのだからな!」

 

 一体何の事かわからずに悲鳴に近い呻き声を発した秘書官を無視して携帯端末を切った主席は、ほとんど全力疾走で主席官邸に向かって走った。主席官邸と連邦議事堂は隣り合った建物であるため、下手な乗り物を使って移動するよりも歩いて行った方が早いのだ。

 それでも、いつもは綺麗に撫でつけられている髪を乱れさせ、額に珠のような汗を浮かべながら疾駆する連邦主席というのはやはり尋常ではない。すれ違った人達は、果たしてどのような異常事態が起きたのかと訝しんだ。

 一方、気の毒なのは主席が到着するまでの間、少女の相手を命じられた秘書官である。

 粗相の無いようにと言われた以上、保留にして待たせるというのも躊躇われたし、かといって一体何を話したものかわからない。そもそも、受話器の向こうにいるのが一体誰なのか、想像すら出来ないのだ。

 

『主席はまだ戻られないのか』

 

 如何なる感情も排したような冷たい声(少なくともこの秘書官にはそう聞こえた)が、受話器から響いてくる。秘書官は、ほとんど祈るような気持で、この正体不明の相手が怒りにまかせて受話器をフックに戻さないよう、願った。

 

「そ、その、ただ今急ぎでこちらに向かっておりますので、もう少々お待ち頂けますか?」

『もしお忙しいようなら掛け直させて頂くが?』

「い、いえ、それには及びません!どうか、どうかこのままお待ち下さい!」

 

 偉大なる連邦主席が息せき切って戻ってきたときに、電話は既に切られていましたでは秘書官失格である。直後に盛大な雷を落とされるのは覚悟しなければならないし、最悪の場合は、生まれたばかりの乳飲み子と愛する妻を抱えて路頭に迷う羽目になるかもしれない。

 秘書官は、今までに一度だって発揮したことのないくらいに真摯な想いを込めて、声だけしか知らない見ず知らずの相手に、電話をつなげておいてくれるように頼み込んだ。

 

『いや、しかしそちらもお忙しいだろう。俺もそうだったから分かるが、国を一つ治める人間というのは身体が二つあっても足りぬほどに多忙を極めるものだ。そんな人の邪魔をするのは気が引ける。やはり、掛け直させて頂こう』

「いえ、いえ、お願いです、後生ですからどうかこのまま電話を繋いで下さい……!」

 

 秘書官にとっては無限とも思える時間、その実、五分を少し越えるかどうか程度の時間の後に、全力疾走を終えて息を切らした連邦主席が官邸に戻ってきた。

 文字通りに神経をすり減らしていた秘書官は、尊敬すべき上司の到着を、今までのどの瞬間よりも嬉しく、そして頼もしく思った。

 

「しゅ、主席!」

「せ、せん、先方は!?まだ、電話を、繋いでいるんだろうな!?」

「はい、はい、」

 

 秘書官が恭しく……というには少々間抜けな様子で差しだした受話器を、主席はもぎ取るように奪った。

 そして、途端に慎重な手つきになり、耳に押し当てて、呟くように言った。

 

「……もしもし」

『おお、主席殿か。久しいな』

 

 豪放磊落を絵に描いたような、野放図な声でありながら、しかしどこまでも耳に心地よい少女の声である。

 主席は、このような声を持つ者が誰なのか、よく知っている。

 例えば、例の騒動の時に、惑星ボンジュイと主席官邸を取り持つことになった、長身のあの男。それとも、その時に同席した、金色の戦士。

 これは、生まれながらにして人を従える、それとも人を惹き付ける、ある種の定めを持った人間の声なのだ。

 羨ましいと思う。彼らは、自分のように、派閥ごとの根回しや、言うことを聞かない政治家に鼻薬を嗅がせるなど、そういう汚い仕事をすることなく、気軽な有様で頂点に立つことが出来るのだろう。

 気に食わない。というよりも、認めたくない。それは、今までの自分の生き方を、真っ正面から否定することになるからだ。

 しかし何より気に食わないのが、この種の人間は、自分が喉から手を伸ばすほどに求めるもの――名誉や権力、金銭や異性――などは、歯牙にもかけないことだ。そもそも価値のあるものとして認識していない。

 それが何よりも腹立たしい。まるで自分自身を無価値なものと断じられたような、疎外感に近いものがある。

 主席は、そういったいくつもの感情を飲み込み、荒々しい呼吸を収め、そして口に出してはこう言った。

 

「お久しぶりです、デルフィン卿。私は貴方からの連絡を、一日千秋の想いでお待ちしておりましたよ」

 

 やや恨みがましくなってしまった声に、電話の向こうの少女は苦笑したようだった。

 

『申し訳ない。本当はもう少し早く連絡が出来たのだが、何せ頭痛が酷くてな。ベッドから起き上がる気にもなれなかったのだ。許して欲しい』

「どこかお悪いのですか?」

『ん?いや、まぁ悪いと言えば悪いのだが……そこらへんはあまり触れないで頂けるとありがたい』

「そ、それは失礼しました」

 

 流石に二日酔いで伏せっていたとは言えないウォルであるから、言葉尻は微妙に濁した。

 主席は、それを女性特有の体調不良であると誤解して、それ以上の追求を避けた。

 結局、二人の間にはどうにも歯痒いような、微妙な空気が流れた。

 

「ま、まぁそれはともかくとしまして……。秘書からは、私に頼み事があるとのことだと伺っているのですが?」

『おお、そうだった。その前にまず一つ、卿を安心させておこうと思う』

 

 それこそが主席のもっとも聞きたかった言葉である。

 主席は、汗ばんだ手で受話器を握りしめながら、さながら少女が目の前にいるかのように身を乗り出して次の言葉を待った。

 

『まず、彼らの怒りはどうにか抑えることが出来た。卿が心配するような事態には及ぶまいよ』

 

 彼らという代名詞が一体誰のことを指しているのか、主席にとっては明白すぎるほどに明白であった。

 脳裏に浮かぶ、緑柱石色の苛烈な瞳と、明確な軽蔑を含んだ青玉の瞳。

 どちらも、主席にとっては悪夢の体現でしかない。

 その彼らが、怒りを収めた。収めてくれた。

 主席は、電話の向こうの少女に対して、神の御使いを遇するにも等しいような真摯さで謝辞を述べた。

 

「あ、ありがとうございます、ありがとうございます!あなたのおかげで、共和連邦に住む全ての住人の命は救われました!」

『大袈裟だな、卿は』

 

 それが決して大袈裟ではないことを、お互いが知っていた。

 

『しかし忘れるなよ。俺が責任を持つのはこの一回だけだ。もし卿らの喉が意外に短く、すぐにでも熱さを忘れるようならば、今度は俺が貴様らに鉄槌を下す役割を引き受けることになるだろう』

「は、はい。それは承知しております」

 

 背筋を伸ばしたマヌエル・シルベスタン三世は答えた。

 

「今後、あなたのような……いえ、あなたの魂の宿るその少女のような被害者が現れぬよう、全力を尽くします」

『それは、一体誰が?』

 

 主席の声は、はっきりとしていた。

 

「私と、私の後ろに連なる全ての連邦主席が、です」

『そう願いたいものだ。俺も、進んで戦乱を巻き起こしたいとは思わんのだからな』

 

 その時は、二人が同時に笑ったようだった。

 主席は安堵の溜息を吐き出しそうになったのを我慢し、その代わりに首元を緩めた。

 

「それで、私に頼みたいことがあるというのは?」

『うむ、この少女のことで少しばかり頼み事がある。聞いてくれるか?』

「私の力の及ぶ限りであれば、喜んで」

 

 ウォルは、今の状態ではどうやら自分がヴァレンタイン家の被保護者になる資格もないことを語り、その状態を改善するためにはどうすべきか、知恵を貸して欲しい旨を伝えた。

 主席はしばし黙考した後、口を開いた。

 

「了解しました。要するに、この世界にあなたが暮らしていたという、公的な証明を作ればいいと、そう言うことですね」

『頼まれてくれるか?』

「共和宇宙に暮らす全国民の命に比べれば安いものでしょう。今日中に用意させます。ちなみに、どういったお名前と経歴がよろしいのですか?」

『名前は、ウォル・ウォルフィーナ・エドナ・デルフィン。経歴は、極々普通のもので構わない』

 

 その後、二三簡単な言葉を交わした後で、ウォルの方から電話を切った。

 主席の言葉に偽りはなく、それから一時間としないうちにウォルのもとに連絡が入り、彼女の公的な経歴と、電子身分証明が送られてきた。

 なるほど、どこの国でも王の権力は大したものだと、ウォルは皮肉げに笑ったものだ。

 

 

「……それはいいさ。折角作った人脈だ、利用できるときに利用するのは当然だな」

 

 怒りを押し殺したような低い声が、狭い室内に響いた。

 それがどれほど危険なものなのかを知り尽くしているシェラなどは、背中に嫌な汗を流していたのだが、当の少女は平然としたものだった。

 フローリングの床に簡単なクッションを車座に並べ、三人で顔をつきあわせている。

 

「ならばリィよ。お前は何でそんなに怒っているんだ?」

「これが怒らずにいられるか!言うに事欠いておれの妹だと!?一体何を考えているんだ、ウォル!」

 

 だん、とリィは渾身の力を込めて、固い床を殴りつけた。

 めしり、と、凄い音が鳴って、憐れな木材は少年の拳のかたちに陥没した。この分では、きっと階下の部屋に住むジェームズ・マクスウェルなどは、果たして何が起きたのかと呆気にとられていることだろう。

 シェラなどはその音に、というよりは迸る怒気に首を竦めたが、当のウォルは平然としたものだった。

 

「別にいいではないか。事実、この子はお前の妹なんだから」

「おれはこいつを妹だなんて認めた覚えはない!」

 

 へそ曲がりな嫁父が花婿を詰るような口調で、リィは言った。

 その後で、流石にこの言い方は不味いと思ったのだろう、ややあらためた口調で言い直した。

 

「いや、百歩譲ってウォルフィーナがおれの妹だったとして……ウォル、お前がおれの妹を名乗る理由にはならないだろう!」

「いや、どうやら立派にお前の妹なんだな、これが」

 

 ウォルはプリントアウトした、己の戸籍記録をリィに手渡した。

 それを荒々しい手つきで奪い取ったリィは、即座に文面に目を通し、そして愕然とした。

 そこには、確かにウォル・ウォルフィーナ・エドナ・デルフィンはヴァレンタイン家の養子となり、エドワード・ヴィクトリアス・ヴァレンタインの義理の妹になった旨が記載されていたのだ。

 リィは、この少年には珍しい、愕然とした表情で固まってしまっていた。

 黒髪の少女は――つい先日、この少年の妹になってしまったらしい少女は、心配そうな声で言った。

 

「……リィよ。俺がお前の妹になったとして、何か困ることでもあったのか?」

「……あのなウォル。食堂からお前が引っ込んだ後、おれがどんな目に合ったと思ってる?」

 

 思い出してシェラも憮然とする他ない。

 ウォルの短い自己紹介の後で、寮生の半分、要するに男子生徒のほぼ全員が、突然現れた美の女神(少なくとも彼らにはそう見えたらしい)との出会いのきっかけを求めて、その兄たるリィの元に殺到したのだ。

 

『おいヴィッキー!お前も人が悪いな!あんなに可愛い妹がいたのかよ!』

『今度、みんなで遊びに行こうぜ!俺、ジンジャー主演の最新作のチケット持ってるんだ!』

『フィナちゃんって何が好きなの?どこかのクラブに入るのかな!?』

 

 当然、フィナ・ヴァレンタインというのはウォルのことだ。リィがいくつも名前を持ち、それを相手によって使い分けているというのが、ウォルにとっては新鮮で面白かったらしい。

 ウォルがもとは男――しかもデルフィニアの太陽と謳われた大英雄――であったことなど露ほども知らない同級生達は、将を射んとせばまず馬を射よの格言通り、彼女の兄であるというリィの攻略に取りかかったというわけらしかった。

 普段は人と深く交わらず一定の距離を保つことを心がけているリィであったが、この一気呵成の猛攻撃には辟易とさせられた。

 しかし、男子生徒の狂熱ぶりも無理はあるまい。

 何せ、彼らは13歳、青春の入り口に差し掛かり、異性のことが気になって仕方ない年頃である。

 そんな中に現れた、リィやシェラと並んでもおさおさ見劣りしないほどに美しい転入生であるから、騒がない方がどうかしている。寧ろ、リィやシェラなどのように同年代の女の子に全く興味を抱かないという男の子の方がおかしいのだから、男子生徒達を責めるのは酷というものだろう。

 加えて、ウォルの纏った雰囲気は、リィの苛烈で火傷しそうな気配や、シェラの孤高で凍て付きそうな気配と違って、万人を受け止めて優しく包み込むような人懐っこいものであるから、何よりも受けがいい。

 当然の結果として、自己紹介から僅か数分というところで、同級生の男の子ほとんどの心を射止めてしまったというわけだ。

 その後すぐにハンスに連れられて寮設備を見学して回ったウォルが知らなかったとしても無理はないのだが、リィに対する質問攻めはその後三十分以上にも及び、これなら戦場で剣を振るう方がよっぽどマシだとボンジュイの黄金の戦士を嘆かせたのだった。

 

「今日の時点でこれだぞ!?本格的に授業が始まったら、おれは一体どんな目に合うっていうんだ!?」

「うむ、えーと、なんというか、その……すまん」

「……いいさ、多分お前のせいじゃあないんだから」

 

 どこまでも疲れたような顔で二人は肩を落とした。

 その後で、気を取り直したようにウォルは言った。

 

「しかしだな。勘違いするなよ、リィ。別に俺が、お前の妹になることを望んだわけではないぞ。俺は別にお前の妹に収まらずとも、ずっと前からお前の夫なんだからな」

「……じゃあ、一体誰が望んだっていうんだ。おれはてっきり、シェラと同じように、アーサーの被後見人に収まるだけだと思ってたのに……」

「俺ではない、そしてもちろんお前ではない。ならばある程度絞られるのではないか?」

 

 刺し殺すようなリィの殺気を、柳に風といったふうに受け流しながら、あくまで涼しい顔のウォルはそう言った。そんな少女を見ながら、この人以外の誰がリィの夫を名乗れるだろうかと、シェラは畏敬の念をあらたにしたのだった。

 そんな二人を尻目に、少しの間考え込んだリィは、弾かれたように顔を上げて、言った。

 

「……まさか……アーサーか!?」

「こんなものを預かっているが、見るか?」

 

 ウォルが懐から出したのは、映像記録用のマイクロチップであった。

 リィはそれを文字通り引ったくり、専用のコンピュータ端末に差し込む。

 すると程なくして、リィの遺伝上の父親であるコーデリア・プレイス州知事の、輝くような白い歯がモニタに映し出された。

 

『やぁ、エドワード!これを見てると言うことはウォルは無事にお前の元に届いたんだね。いや、よかったよかった!』

 

 流石に記録映像に向けて『エドワードと呼ぶな!』と叫んだりはしないリィであるが、しかしその内心が如何ばかりかは、緑色の瞳が赤く燃え盛っていることから明らかである。

 ウォルも、これがただの記録、いわば手紙の親戚にすぎないことを知っているから狼狽えたりはしないが、しかし何とも便利な世の中になったものだと感嘆の溜息を吐き出した。

 そしてシェラは、仮にも一国の王を捕まえて荷物のように呼ぶリィの父親に対して、やはりこの人は一角の人物なのではないだろうかと首を捻った。

 そんな三人の心など素知らぬふうに、画面の中のアーサーは続ける。

 

『ウォルから話は聞かせて貰ったよ。駄目じゃないかエドワード、折角のお婿さん、もといお嫁さんを放っておいて、自分だけ寮に帰ったら。いいかい、エドワード。ウォルを逃したら、きっとお前には一生お嫁さんのなり手なんて見つからないぞ。だから自分の目の届かないところに置いちゃあいけないな』

「余計なお世話だっ!」

 

 疑いようのない余計なお世話に、流石のリィも声を荒げた。

 これはリィでなくても怒るに違いないとシェラも思った。

 

『既にウォルから聞かされていると思うが、彼女はお前の紛れもない妹だ。少なくとも、戸籍上はね。その理由を聞きたいか?』 

 

 リィは言葉も無く唸った。まるで、目の前にアーサーがいるかのようだった。

 

『本当はシェラの時と同じように、僕が後見人を務めるだけでもよかったんだが、しかしそれだけだと、恋愛に奥手なお前のこと、ウォルをほったらかしにしそうじゃないか。駄目だぞエドワード。恋愛には誠実さとまめさが何よりも大切なんだ。そこらへんがお前にはとんと抜け落ちているから、父さんは心配で心配で……』

 

 よよよ、と泣き真似を作ったアーサーである。

 リィは無言で立ち上がった。

 その背後に揺らめく殺気から彼が何をしようとしているのかを察知したシェラが、慌ててその身体を抱き押さえた。

 

「止めるなシェラ!映像とはいえ、せめて一発ぶん殴らないと気が済まない!」

「駄目です、リィ!せめて、せめて最後まで見ましょう!」

「……いやぁ、リィ。お前の父親は中々の大人物だな。俺ならばこんな大それたこと、あまりに恐ろしくて、とてもではないが思い付かんぞ」

 

 大騒ぎの室内であったが、入室禁止の表示をしているためか、誰一人として扉を開けて覗こうとはしなかった。この表示がされているときに理由も無く部屋に立ち入れば、寮規則に従って罰せられるからだ。

 リィの部屋の周囲の生徒は真面目らしく、この大騒ぎの最中もドアを開けることはなかった。ある意味、リィは助けられたと言ってもいい。寮の管理係に通報されかねない、それほどの大声で騒ぎ喚いていたのだから。

 しかし規則云々を言うならば、男性用宿舎にあるリィの部屋にウォルが居ること自体あってはならないことなのだが、この連中に常識というものを求めるのがそもそも無謀なのだ。

 そして監視カメラや防犯装置は普通に階段や廊下を使う人間を相手にするから有効なのであって、トカゲのように建物の外壁を這い上がってきた少女を捕まえる便利な罠など、いくら科学の進んだこの世界であっても存在しない。

 

『その点、ウォルがお前の妹になれば、世話焼きなお前のこと、おはようからおやすみまでウォルの面倒を見ることになるだろう?いいじゃないか、恋愛というのはそういう日々の触れ合いから生まれるものだ。思い出すなぁ、僕とマーガレットの出会いを……』

「放せシェラ!せめてこのアホな映像を止めさせろ!」

「放すなよシェラ!これほど面白いリィはそうそう見られるものではないぞ!」

「そ、そんな……!」

 

 シェラの心は常にリィの味方である。それは、偉大なる国王が相手であっても変わるところはない。

 しかし、当のシェラもこの映像の続きが見たかったので、内心でリィに詫びながら、やはりその羽交い締めを解くことは無かった。

 そんな騒ぎの中、感動的な夫婦の出会いを語り終えていたらしいアーサーの後ろで、ぴょこりと黒い髪の毛が顔を覗かせた。

 ルウであった。

 

『心配しないで、エディ。君の籍が置かれているコーデリア・プレイス州の法律では、養子と実子間の婚姻は禁止されていないんだ。難しいことは考えないで、親公認の男女交際だと思って羽根を伸ばしたらいいんじゃないかな?それに、君と王様が兄妹なら、同じベッドで寝てたって誰も咎めようがないじゃないか』

 

 的外れな慰めの言葉を、黒い天使は満足そうに言った。

 それを受けて、アーサーも満面の笑みを浮かべた。

 

『おお、ルウ、なかなかいいことを言うな。その通りだ、エドワード。早く孫の顔を見せてくれ。この年でお爺ちゃんになるとは思っても見なかったが、しかしお前の子供にお爺ちゃんと呼ばれるなら悪くない』

『うわぁ、楽しみ!どんな可愛い赤ちゃんが生まれるんだろうね!』

『今度は持って行くなよ、ルウ!』

『うん!でも、名前は僕に付けさせて!』

『駄目だ!絶対に僕が名付けるんだ!そして、今度こそお爺ちゃんと呼ばせて見せるからな!』

 

 ふと気がつけば、二人の手の中には、琥珀色の液体で満たされた小振りで形のいいロックグラスが握られていた。

 一体どういう経緯でアーサーが、『人さらい』と毛嫌いするルウと酒を注ぎあっているのかは知らないが、どうやらこの二人は相当な量のアルコールを身体に入れているらしい。元々酒が顔に出ない二人だから分からないが、しかしこの不自然に陽気な有様からして間違いあるまい。

 リィとウォルの二人と共にあれだけの酒を飲み、それに相応しい報いとしての二日酔いに苦しみながら、またしても大量の酒瓶を空にするあたり、酒豪のリィの父親に相応しい飲みっぷりであった。

 その後もモニタに映し出された二人はぎゃあぎゃあと喚き散らし、程よく気分が落ち着いたところで別れの挨拶を告げ、映像はそこで途切れた。

 無音の部屋に残されたのは、何とも気まずい沈黙と、そして怒りに身を震わすリィのみである。

 

「……ウォル、一つ聞きたい」

「う、うむ。何だ?」

 

 流石に気圧されて口籠もった己の夫に、戦女神をその身に宿した王妃は問うた。

 

「お前がこのマイクロチップを受け取ったのはいつだ?」

「……俺があの星を発った日だったから……三日前か?」

 

 机まで歩いて行ったリィは無言で受話器を取り、実家に繋がる外線用の番号をプッシュした。

 程なくして、彼の遺伝上の母親の、柔らかな声が部屋に響いた。

 

『はい、ヴァレンタインです』

「アーサーはどこだ」

 

 有無を言わさぬ剣呑な響きの声であったが、自分のお腹を痛めて産んだ子供の声であったから、マーガレットは迷うことは無かった。

 

『まぁ、リィ。どうしたの?』

「アーサーはどこだ」

 

 繰り返された同じ問いに、マーガレットは溜息を吐いた。きっと、また例の親子喧嘩だと思ったのだし、それは完全な事実であった。

 

『アーサーなら昨日、近くの星系の視察に行くとかで、慌てて飛び出していったけど?』

「視察?そんなの聞いていないぞ」

『ええ、そうなの。私も聞いてびっくりしちゃって……』

 

 逃げたな。

 三人は、同時に思った。

 

「……仕方ない、掛け直すよ。じゃあ、ドミとチェイン、デイジーによろしく伝えておいてくれ」

『ええ、分かったわ。リィも、私の新しい娘に、よろしく伝えておいてね』

 

 リィは何とも形容し難い複雑な表情を浮かべて、受話器をフックに戻した。

 そして、間髪を入れずに新しい番号をプッシュした。

 

『はい、こちらはフサノスク校舎学寮管理係ですが』

「ルーファス・ラヴィーに急ぎで繋いで頂きたいのですが」

『少々お待ち頂けますか……あ、申し訳ありません、ルーファス・ラヴィーは船体整備実習のため、長期研修中でして……。今はおそらく星間移動中ですから、通常電話では繋がらないと思うのですが……』

「わかりました。ありがとう」

 

 こちらもか。

 三人は同時に思った。

 リィの小さな手に握られたままの受話器から、ぴしりと、小さなひびの入る音が聞こえた。

 ウォルは声を潜めて、隣に腰掛けた銀髪の少年に問いかけた。

 

「……なぁ、シェラよ。一つ尋ねて良いか?」

「ええ、フィナ。どうぞご存分に」

 

 シェラは平然と言った。

 それを聞いた黒髪の少女は、見事なまでに眉を顰めて、言った。

 

「おい、シェラ。それはよそ行き用の名前だ。身内には違う名前で呼んで欲しいのだがな」

「では陛下とお呼びしても?」

 

 にっこりと、あまりにもにっこりとしていて背筋が冷たくなるような、百点満点の微笑みだった。

 ウォルは、自分の宿題が、目の前の少年をどれほど追い詰めていたのか、あらためて思い知らされた。

 

「……わかった。ウォルで我慢しよう。だからその微笑みは止めてくれ。夢で魘されそうだ」

「ではウォル、質問とはなんですか?」

 

 一切のためらいなく、シェラは言った。

 一週間前に再会を果たしたときは、ウォルと呼ぶことにすら戸惑いを覚えていた少年とはとても思えない。

 どうやら今日までの間に相当の葛藤を経験し、悩みに悩んだあげく、どこかで吹っ切れてしまったらしい。もう、いっそ晴れ晴れとした表情であった。

 

「いや、リィのお父上のことなのだがな。前にリィに聞かされた、頑固で融通が利かない一徹者という説明にはどうにもそぐわないお人のように思えるのだが……俺の気のせいか?」

「いえ、私がこちらの世界に来たときは確かにそんな感じだったのですが……あの人もリィに引っ張り回されて、マフィアの人質になったりもう少しで殺されそうになったり、色々と経験していますから……」

 

 要するに、朱と交わってしまったのだ。

 誰よりもその朱が人を染めやすいことを承知しているウォルは、気の毒そうな表情で頷いた。

 

「ヴァレンタイン卿も苦労しておられるのだなぁ」

「それにしても、今回の悪戯はよく分かりませんね。逃げるくらいなら最初からしなければいいのに」

「いや、シェラ、全くもってその通りではあるのだがな、人は理屈のみで行動する生き物ではないらしいのだ。差し詰め、酒の勢いとその場のノリでリィを驚かすことを決めて手続をしてはみたものの、後から考えればどれほど命知らずなことをしてしまったのかに思いが至り、今更ながらに恐ろしくなって、とりあえずの心の平穏を求めて遠くに旅だった、そんなところではないかな?」

 

 シェラは思いっきり胡散臭そうな視線でウォルの横顔を射貫いた。

 

「……見てきたような仰りようですね」

「うむ、俺もそういう経験が無いわけでもない」

「……一体誰に何をなされたんですか?」

「しらふで言えるか、そんなみっともないこと」

 

 埒もないことを呟き合った後で、二人は怒れる戦女神のほうを見遣った。

 そして、二人の秀麗な顔が、ほぼ同時に引き攣った。

 リィは、微笑っていた。

 それはもう、この二人だって今まで見たことがないというくらい、優しく、深く、慈しみ溢れる有様で。

 しかし勘違いしてはいけない。

 笑うという行為は本来攻撃的なものであり、獣が牙をむく行為が原点である。

 つまり、なんというか。

 あれは、とんでもなく、怒っているのだ。

 

「ふふふ、覚えておけよ、二人とも。この愉快な悪戯の報いは、きっちり払って貰うからな」

 

 ちっとも笑っていない目で、獰猛に牙を剥いた金色の狼。

 ウォルとシェラは、自分の身体が震えているのは、きっと隣に座った自分以外の誰かが震えているからだと、お互いに思っていた。

 そして、リィの報復の顎に晒される二人の人間(?)のことを思って、心の中で手を合わせたのだ。

 むーざんむざん。

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