懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第十九話:緑の星にて

 宇宙船ピグマリオンⅡから一歩外に出ると、そこには原始の森が広がっていた。

 ウォルは、その威容に、そして美しさに、息も忘れて見入っていた。

 視界を埋め尽くすような緑、緑、緑。鳥が歌い、虫が戯れ、風が踊る、少女のふるさとだった。

 湖面は青く輝き、まるで巨大な一枚の鏡のようですらある。その上に立って一曲踊れば、きっとこの上なく心地よいのではないだろうか。

 一体、いつ以来だろう。長く苦しかった闘病生活、どれほどに故郷の懐かしき光景が恋しかったことか。国王としての身体は置いておいて、心だけはいつだって深い森の中に旅立っていたのだから。

 やっと思い出した息を、思いっきり深く吸い込んでやる。

 草の匂いが胸を梳くようだ。思わず涙が零れ落ちた。

 そこは、ウォルのふるさとだった。人はいない、見知らぬ土地、異郷の地。一度だって見たことのない大地のかたち。

 それでもそこは、ウォルを構成する魂の、重要なふるさとであった。

 

「嬉しいか、ウォル」

 

 いつの間にか、タラップの向こうに人影が見える。

 茫然とこの光景に見入っていた自分の横を、するりと抜けていったのだろうか。それに気がつかないなど間の抜けた話であるが、しかし恥であるとは思わなかった。

 ウォルは微笑んだ。流れ落ちる涙をそのままに、夜明け色の頭髪と、森の精を固めた瞳を持つ、己の同盟者に向けて。

 

「ああ。とても……とても嬉しいな」

 

 リィも笑った。

 彼の前に立つ、風に遊ばれるその黒髪を抑えつつ、同色の目を細める少女。

 その姿形が誰であったとして、彼女は間違えなく、二つの世界で唯一の、彼の配偶者だった。

 

「ありがとう、リィ。お前はいつだって、俺の欲しいものをくれる」

 

 リィはその言葉を聞いて目を丸くした後、後ろを向いて、その黄金色の頭を掻き毟った。

 照れているらしかった。

 そんな二人の後ろから、呆れたような、それとも面白がっているような声が響いた。

 

「二人とも、じゃれ合ってないで荷物運びを手伝ってくださいね」

 

 がちゃがちゃと、凄い音のするリュックサックを担いだシェラの言葉である。

 荷物のことをすっかりと忘れていた二人は、慌てて船内にとって返した。

 彼らが立っている星、惑星ヴェロニカは、二十日以上もの間、狩猟の『狩』の字も知らない中学生10人を、僅か二人の狩人の(それが凄腕であったことは否定し得ないが)手前で養いうるほど獲物の豊かな星である。

 それゆえ、彼らの荷物の中に、いわゆる普通の食べ物は入っていない。肉も魚も野菜も、全て現地で調達するつもりであったからだ。

 しかし、そのためのささやかな道具、例えば切れ味のいいナイフや鉈、釣り針などはあらかじめ用意しておいたほうが作業がはかどる。それに、各種調味料は、料理の味には拘るシェラ(作り手としては、自分が納得出来ない料理を食卓に上げるなど屈辱の極みである)には必須の品であった。

 そして何より大きな体積を占めたのが、色取り取りの酒瓶に入った甘露の群れである。こればっかりはこの星のどこかから調達するというわけにはいかないし、この三人――途中で四人に増えるのは目に見えている――は世間一般でいう酒豪以上の酒豪であったから、その彼らが一晩飲み明かせばリュックサック一つや二つ程度の酒では到底たりない。

 二人は船内の荷物置き場から、身体が隠れてしまうのではないかという程に大きなリュックをひょいと取り上げ、軽々と背中に担ぎ上げた。

 それを見ていたダン・マクスウェル以下、ピグマリオンⅡの乗組員は、あらためて感心したように目を見合わせた。

 

「……今更だが、その小さな身体のどこに、それだけの馬力があるんだ?」

「それに、その酒、全部お前らが飲むのかよ?」

 

 胡散臭そうにそう言ったのは、ピグマリオンⅡには古株である、タキとトランクである。

 その台詞も無理はあるまい。

 何せ、リィやウォルの小さな身体からすれば小山のように大きなリュックサックの中には、これでもかというほどに種々の酒が詰め込まれ、手慰みばかりのサバイバル器具が肩身薄そうに押し込まれているのだ。当然その重量たるや、並の大人であっても背負いきれるようなものではない。

 第一、彼らは三日後にはこの星から離れるのだ。そのための迎えだってピグマリオンⅡが務める運びとなっているのだから間違いない。にもかかわらず、三人が三人とも背負った膨大な量の酒――それも、その殆どが火のつくような蒸留酒ばかりである――を空にするというのか。

 

「これでも足りるかどうか分からないくらいだ」

 

 リィは、肩に掛かった金色の髪を揺らしながら、大きく肩を竦めた。その拍子に、彼の背中の大荷物から、ガチャリと盛大な音が響いた。

 

 そして、自分の脇に立った黒髪の少女を親指で指しながら言った。

 

「何せこいつときたら普段は日向ぼっこしてる熊のくせに、酒にはうわばみときてる。まったく、詐欺みたいな生き物だ」

「お前こそその身体で何を言うか。俺がうわばみなら、お前は酒好きの龍だろうが。今度こそ負けんぞ、リィ」

「ほう。自分から連敗記録に黒星を並べたいのか。不敗の闘神も随分丸くなったものだな」

 

 二人は、不敵な笑みと剣呑な眼光を同時に浮かべるという器用な芸当を見せながら、傲然と胸を反らしていた。

 タキとトランクの二人は、心底惜しいと思った。今は反らしてもほとんど膨らみのない少女の胸だが、あと十年、いや、あと五年もすればきっととんでもない目の保養になっただろうに、と思ったのだ。

 この二人を前にしてそんな暢気なことを考えられるあたり、腕利きの船乗りでも尻尾を巻いて逃げだす辺境宇宙を遊び場にしてきたピグマリオンⅡの乗組員はひと味違う。つい先ほどまで、船内のアクションロッドの競技場で、年端もいかないこの二人にめためたに伸されていたというのに。

 船長であるダンは、彼らが『そういう』人種だということを、それこそ嫌というほどに理解させられているから、もはや一言も無かった。ただ、目の前で可愛らしく胸を張る黒髪の少女を眺めて、類は友を呼ぶという格言の意味を思い浮かべ、自分がその友にならないことを神に願ったのだ。

 そして、それら人外人種を集めるフェロモンでも発しているとしか思えない金髪の少年は、輝くような笑みで言った。

 

「ダン、無理を言ってすまなかった。本当にありがとう」

 

 なにせ、誰かの助けを借りなければ、公共航路の設定されていない惑星ヴェロニカに辿り着くのは、少年達には不可能だったのだ。

 たまたま連邦大学を訪れていたダンを見つけ、駄目もとで頼み込んでみたのだが、意外なことにダンはそれを快諾した。

 それでもダンは、母親によく似た灰青色の瞳に驚きを浮かべて、言った。

 

「……君からそんな殊勝な言葉が聞こえるとは、帰りの航路は本気で宇宙嵐の心配をしなければならないらしい」

「おい、おれはいつだって礼儀正しいぞ。時と相手を選ぶだけだ」

 

 言外に今までの自分を非難されたダンは、やはりこれが『あの』少年なのだと、逆に胸を撫で下ろした。

 そんなダンを横目に、リィは続けた。

 

「しかしダンよ、お前のほうこそ一体どういう風の吹き回しだ?おれの顔を見れば飛んで逃げるはずのお前が、こんな面倒な頼み事を聞いてくれるなんて」

 

 不思議そうな顔をしたリィの、あまりに率直な疑問に、ダンは諦めたような顔で答えた。

 

「馬鹿なことを言うな。君が、ジェームズを助けてくれた君が、まさにジェームズを助けてくれたこの星に行きたいと言ったんだ。どの親がその頼みを断れる?」

 

 それはダンの心からの気持であったが、それ以外の事情も存在する。

 万が一にダンがリィの頼みを断り、億が一にそのことがダンの母親に伝われば、今度こそ力尽くでズボンを引きずり下ろされて、思い切り尻を叩かれるに違いない。

 それを思って、ダンは顔を顰めた。いい年をして母親に尻を叩かれるのが情け無いというのは勿論のこと、怒りに目を金色に染めた『あの』母親に本気で尻を叩かれれば、心以上に身体に傷を負うことになることは明らかだった。これでも忙しい船乗りなのだから、尻が痛くて操縦席に座れないというのは致命傷だ。

 そんなダンの心持ちを知って知らずか、リィは意外そうに言った。

 

「へえ。恩知らずなあんたの言葉とも思えない」

「馬鹿なことを言うな。私は、受けた恩は絶対に忘れない。ただ、時と相手を選ぶだけだ」

 

 その相手というのが誰のことを言っているのか、リィには、そしてダン自身にも明らかだった。

 一年前であれば、その言葉を友に対する侮辱と受け取って即座に行動に移したであろうリィは、やや苦み走った笑みを浮かべただけであった。

 それは、リィとその友人との関係が薄らいだからでも、リィの列気に翳りが生じたからでもない。ただ、その友人に――ルウに、いいように操られているダンのことを、ほんの少しだけ憐れに思っただけである。

 そういう意味では、ほんとに微妙に、そして本来の意味とはかなり外れたところで、二人の関係は少しだけ改善していた。

 ダンはリィのことを、相変わらず危険な人外生物だと認識していたし、息子の通う学校に蔓延る爆発物だという認識もあらためていなかったが、やはりリィはジェームズの命を助けてくれた大恩人であった。

 リィはダンのことを忘恩の徒と認識していることに違いはないものの、それなりの筋は通す希有な大人であることは認めざるを得なかったし、ダンがルウを毛嫌いするに至った経緯については同情の余地が十分以上にあることも認めていた。

 お互いを嫌っているが、しかし心の底から憎むことはできない。そして、一目置くべき人物だと認めながらも隣にはいて欲しくない。

 もっと簡単に言えば、ダンはリィのことが苦手であったし、リィはダンのことが苦手であった。

 なんとも珍しい関係な二人であった。そのことをリィは理解していたが、ダンはただ感じていただけだ。そこが、根本的な二人の違いといってよかった。

 

「ま、お前がルーファのことを悪くいうのはもう止めないさ。でも、おれの前でいうのは止めてくれ。おれは、それなりにお前のことが好きになれそうなんだ」

「それは御免こうむる」

 

 にこやかに言ったリィに対して、ダンはきっぱりと言った。しかし、だからといってリィの前でルウを不当に貶めようとは決してしない。口ではなんだかんだいって、やはり恩を受けた自覚はあるらしいのだ。

 こういう可愛らしいところがリィの心の琴線に触れることを、ダンは知らなかった。それが幸か不幸かは、彼の人生の終わりにならないと分からないことであった。

 その時リィが浮かべた笑顔は、他者に気を許した獣が浮かべる貴重なものだったというのに、顔を逸らしたダンが見ることはなかった。彼が正面に視線を戻したときには、いつも通りの不敵な表情をしたリィがいるのみだったからだ。

 

「しかしダンよ、お前なんで連邦大学にいたんだ?何か用があったのか?」

 

 その言葉を聞いて、ダンは意表を突かれたような顔をした。

 

「ヴィッキー、君は知らないのか?」

「だから聞いているんだ。ジェームズに何かあったのか?」

「まぁ、そういう言い方が出来ないわけではないがね。今度開かれるティラ・ボーンの統一スポーツ祭があるだろう?たまたま仕事に空きが出来たんでね。仲間を連れて、ちょっとした保養に来ていたんだよ」

 

 リィは首を傾げた。

 統一体育祭のことは聞いていたが、それに我が子が出場するからといって、仕事を抜け出して星々の間を飛び抜けて、遠く離れたティラ・ボーンにまでわざわざ来るダンは相当な親馬鹿なのかと思った。

 ダンはそんなリィの内心を察したのだろう、教壇に立つ講師のように言った。

 

「ヴィッキー。君はテレビを見るかい?」

「ニュースくらいならたまに」

「じゃあ、たまたま時間帯が悪かったんだろう。今、中央の公共電波でも、TBOのことを放送していない日はないくらいだからね」

「TBO?」

 

 リィの首は、更に急角度に曲がった。まったくの初耳だった。

 

「ティラ・ボーン・オリンピックですね?」

「うむ。やはり君は頭がいいな、シェラ」

「お褒めの言葉ありがとうございます、ダン教授」

 

 いつの間にかリィの背後に、銀髪の天使が立っていた。

 その、美貌と呼んでいいほどに整った顔立ちはいつも通りであるが、しかし背負った巨大な背嚢がアンバランスで、何とも滑稽であったかもしれない。

 

「シェラ。てぃらぼーんおりんぴっくとは何だ?」

 

 リィの内心を、ウォルが可愛らしく代弁した。

 シェラは丁寧な口調で言った。

 

「どうやらこの世界では、惑星単位で開催される大きなスポーツ大会を、オリンピックと称するようなのです。更に大きな、国家対抗で行われるようなものになると共和宇宙オリンピックと呼ぶようですが」

「うむ、その通りだ、シェラ。まぁ、この程度のことは小学生でも知っている、極々一般常識なんだがね」

「シェラ……お前、そんなこと、いつ知ったんだ?」

 

 いつの間にか、この世界の常識においてシェラに追い抜かされていたリィは、驚愕の表情も露わに、シェラに尋ねた。

 シェラは恐縮しながら、言った。

 

「いえ、こないだ例のパッチワークを提出に言ったときに、手芸部の女の子に色々と聞かされまして……」

「それってこないだあった、寮対抗のスポーツ大会とは違うのか?」

「根本的にはそれほど違いは無いようなのですが……。出場単位が寮ではなく学区単位であり、そして規模が比べものにならないくらいに大きい、といえばおわかり頂けますでしょう?」

「そりゃあ大変だ。あのときだって、とんでもないくらいの観客やらマスコミやらが押し寄せてきたもんなぁ」

 

 ティラ・ボーンは、連邦大学星と呼んだ方が通りがいいくらいに、一つの用途に特化した星である。広い共和宇宙を探しても、これほどに特異な星は二つと無い。

 その星で開かれるスポーツ大会なのだから、これはどこぞの田舎の星系で開かれるスポーツ大会とはわけが違う。

 ついでに言えば、連邦大学には各方面に有望な学生が数多く集っており、それはスポーツ方面だって例外ではない。大学を卒業後、プロスポーツ方面に進むことが決まっている学生も数多くいるのだ。

 ならば、いわば将来のスター選手の卵、もしくは既に大きな名声を獲得している選手が数多く出場するスポーツ大会が、アマチュアとはいえ注目を浴びないはずがない。当然そうすればスポンサーだってつくし、テレビや星間インターネット等のマスコミも鼻息を荒くする。

 結果、ティラ・ボーン・オリンピック、TBOは共和宇宙全体の大きなエンターテイメントとして、確固とした地位を築いているのだ。

 

「それにジェームズが出場するのか?あいつが得意なのは……アクションロッドか」

 

 なんだかんだいってルウに手ほどきを受けたのだから、ジェームズのアクションロッドの腕前は大人顔負けである。

 ある意味では、ジェームズの兄弟子といえないこともないリィは、不審そうな顔をダンの方に向けた。

 

「確かにジェームズは筋がよかった。でも、そんな大会に出場できるほどとも思えなかったけどな」

 

 ダンは、蕩けそうに嬉しげな顔で言った。

 

「その点は君に感謝しなければならないな。あの事件の後、いつかヴィッキーを助けるんだと、操船や機械操作、そしてアクションロッドに至るまで、ジェームズの熱の入れ用は鬼気迫るものがあったらしい。こないだ会ったときは、なるほど一皮剥けていると思ったよ」

「子供っていうのはそういうもんだな。ちょっとした切っ掛けで、驚くくらいに成長する」

 

 どこからどう見ても子供にしか見えないリィが言ったのだから本来であれば笑うところだが、ダンの口の端は少しだって持ち上がらなかった。

 話を聞いていたシェラやウォルは、ジェームズの背伸びの仕方が微笑ましかった。特にリィを助けるのだといって頑張るところなど、不可能とは言えないにしても著しく難しいことは、誰よりも彼らがよく知っている。

 ダンとて、自らの両親ですら舌を巻く金色の少年を目標にして頑張るジェームズが不憫でないわけはない。いつか、越えられない壁にぶつかって、思い悩む日が来ることが目に見えているからだ。

 だが、ダンは、その壁と向かい合ったときに、ジェームズという人間の真価が問われるのではないかと思っていた。その壁にぶつかって捻くれるならばそこまでの人間だ。その壁を避けて違う道を探すのも一つの生き方だ。

 そして、それでも挫けずにその壁を乗り越えようと奮戦するならば、ダンは惜しみなく手を差し伸べるつもりだったし、それはジェームズにとっても決して恥ではないはずだった。

 

「当然、あの子はまだ中学生だからね。テレビに映るような華やかな試合ではないはずだ。それでも下馬評では、中等部では敵無しらしい。我が子が活躍すると決まっているのに、親としては見物にいかない手はないだろう?ちなみに、他にも操船技術を競うスペースボートの部にも出場が決まっている」

「それは卑怯な話だ。だってジェームズは、曲がりなりにも本物の宇宙船を操ったことがあるんだろう?戦争で人を殺したことのある戦士と木剣で稽古したことしかない兵士が闘うようなものだ。不意打ちじゃないか」

「残念ながら、出場資格には『実際に操船したことの無い者に限る』という条項はなくてね。利用できるものは精一杯利用する、それが正々堂々というものだろう?」

「そうか。なら、お前の言葉はもっともだな」

 

 ダンの言葉に、リィは真面目な顔で頷いた。

 確かに、闘う以上は全力を注ぎ込むべきだ。それは、身体も、そして精神も。ならば、ルールに反しない限り、そして己の覚悟に背かない限りで出来ることは全てするべきである。それが全身全霊を尽くすということである、敵への礼を尽くすということである。

 

「ところでヴィッキー、君は出場しないのか?」

「おれは今日までそんな大会があることすら知らなかったんだぞ。それなのにどうして出場できる?」

「それはよかった。君が出場したら、いくらジェームズでも優勝は諦めなければいけないからな」

 

 そう言ってダンは会話を締めくくった。

 リィとシェラ、そしてウォルは重たいリュックを背負い、船のタラップを渡った。

 

「迎えに来るのは二日後でいいんだな?」

「ああ。ジェームズの試合に間に合うか?」

「そのスケジュールなら、君らを乗せてティラ・ボーンに戻った翌日がジェームズの試合だ。是非応援に来てくれ」

「もちろんだ」

 

 ダンは微笑いながら小さく手を振り、リィも苦笑しながらそれに応じた。

 小さな音を立ててタラップは収納され、搭乗口は音もなく閉じられた。

 三人が程よく遠ざかった頃合いに、船のエンジンがけたたましく鳴り響き、その巨体が宙を舞い、少しもしないうちに空に浮かぶ小さな点となり、消えた。

 ピグマリオンⅡを見送った後で、リィは呟いた。

 

「そんなイベントがあったから、いやに簡単に休暇が取れたんだな」

「きっと職員や教授の皆さんも、お祭り騒ぎに加わりたいんでしょう」

「確かに、他人がお祭り騒ぎをしているときの書類仕事ほど腹立たしいものもないからな」

 

 妙に実感の込められた声で、ウォルは言った。

 リィとシェラは、顔を見合わせて笑った。

 

「さ、行こうか。例の小屋までは少し距離があるぞ」

「どれくらいだ?」

「そうだな……あっちの世界ふうに言うなら、10カーティヴってところか?」

「なんだ、そんなものか。日が暮れるまでにつけばいいのだから、昼飯の腹ごなしに丁度いいくらいだな」

 

 ウォルは肩すかしを喰らったように言った。

 これがいわゆる普通の中学生の女の子――例えば例の遭難騒ぎの時にリィとシェラが引率したような――であれば、そのキチガイじみた距離に目を回してへたり込んでいたであろうが、スーシャの野山を駆け回っていたウォルにしてみれば、そんなもの隣の家まで遊びに行くのに等しい距離である。

 そんなことを知っているから、リィとシェラは、やはり顔を見合わせて笑った。

 彼らの事情を知らないウォルは、少しだけ不満顔である。

 その柔らかな頬を膨らませてぷんぷんと怒っていた。

 

「なんだ二人とも、感じが悪いぞ。言いたいことがあったら面と向かって言え」

「うん。やっぱり、こういうところに遊びに来るならウォルみたいな女の子と一緒がいいな」

「そうですね。テレビゲームがない、お化粧がしたい、お菓子が欲しいと言って泣き喚く女の子のお守りをするのは、もうこりごりです」

 

 不思議そうに首を傾げたウォルの愛らしい様に、金銀天使は揃って笑い声を上げた。

 

◇ 

 

 三人が小屋に着いたのは、太陽も程よく傾いて、そろそろ夕焼けが西の空を染め始めるかどうかという頃合いであった。

 自分の体重ほどの大荷物を担いだ三人は流石に疲れ顔であったが、荷物を床に下ろして一息吐くとたちまち若々しい精気に満ちた顔に戻るあたり、どう考えても普通の少年少女ではありえない。

 

「あー、重たかった」

 

 苦笑いを浮かべながらリィが言った。

 訝しげな少女の声が、その言葉を遮った。

 

「俺を担いで馬と並んで走れるお前が言っても、ほんの少しも説得力が無いな」

「馬と並んで走れるからって疲れないっていうわけじゃあないんだぞ。こんな荷物を担いでこれだけの距離を歩けば、それなりに疲れるさ」

「そうか。俺はまだまだ動けるが、ならばリィは横になっていろ。たちまち獲物を捕まえてきてやるからな」

「言ったな、ウォル。勝負するか?」

「では、負けた方が今晩の酌女をするというのはどうだ?」

 

 腕まくりをした二人が、挑戦的な笑顔を浮かべた顔を突き合わせていた。

 リィは言うに及ばず天性の狩人だし、スーシャの山々に鍛えられたウォルとて狩りはお手の物である。

 シェラは、賢王と諸国に名高かったデルフィニア国王は果たしてこんな性格だっただろうかと、自分の記憶を辿り直し、どうにも絶望的な溜息を吐き出した。

 絶対に、こんな人ではなかった。確かにお化け屋敷の大親分ではあったが、人前では威厳を崩さなかった人なのに。

 きっと、王座を離れたこの姿がこの人の『地』なのだろうと悟り、もう一度重たい溜息を吐き出したのだ。

 それはともかく、この二人が自ら狩りに出るというのだ。ならば己の役目が獲物を捕まえることではないことを悟っていたから、今にも飛び出していきそうな二人に、こう言った。

 

「では二人とも、完全に日が暮れるまでには帰ってきて下さいね。私は小屋の掃除と、料理の下準備をしておきますので」

「なら、風呂のほうも頼んでおいていいかな。今でも結構汗臭いから、さっぱりしたいんだけど」

 

 そう言ったリィに対して、シェラは笑って頷いた。

 

「前に我々が割った薪がまだ残っていますから、大丈夫でしょう。それに蒸し風呂なら水もそれほど要りませんしね」

 

 この小屋の目の前にある湖の畔に、蒸し風呂小屋が設えられているのをリィは思い出した。蒸し風呂は、焼けた石と気密性の高い建物、そして少量の水があればいいのだから、普通に風呂を沸かすよりは確かに手間が省けるはずだった。

 

 ウォルも思い切り頷いた。

 

「では、俺からも頼む。あのリュックサック、確かに便利は便利だが肩が擦れていかんな。ほら、こんなに赤くなっている」

 

 ウォルは、ざっくりと着込んだTシャツの肩口をずらし、赤くなった皮膚を見せるようにした。

 すると、痛々しいまでに赤くなった少女の肩口から、水色の紐のようなものが見えた。

 リィはともかく、シェラが顔を赤くして、たまりかねたように言った。

 

「ウォル!女性はそういうものを人前で見せるものではありません!」

 

 思わず怒られたかたちのウォルは、きょとんと目を丸くしながら言った。

 

「そういうものとはなんだ?」

「ブラジャーの肩紐です!」

「なんだウォル、お前そんなもの付けてるのか?」

「別におかしな話ではないだろう?この世界の女性では、当然の嗜みであると聞いたが」

「いや、でもおれが女の子になっちまったときは、間違えたってそんなもの付けてやろうとは思わなかったぞ」

 

 またしても、話が変な方向に逸れ始めた。

 どうしてこの二人は、一人一人だと至って堅物で結構まともな人格なのに、二人になるとこうも扱いづらい生き物に変わるのか、シェラは不思議でならなかった。

 頭を抱えるシェラを尻目に、ウォルは唇を尖らせながら言った。

 

「俺は要らんと言ったのだが、それは不味いとヴォルフ殿がだな」

「ヴォルフが?」

「うむ。とりあえず今のあんたは女の子の身体にいるんだから、女の子の身体を労るのは男の義務だと。そう言われては返す言葉がないではないか」

 

 確かに、膨らみ初めの女性の胸だから、色々とデリケートだ。ヴォルフの忠告ももっともである。

 それに、こんな薄着で下着を着けていなければ、色々なものが浮き出てしまって、少年連中には目に毒である。しかも当の本人に自覚が無く、その上これほどの美少女なのだから、年頃の男の子がなにか気の迷いを起こしてしまってもそれを責めることはできなくなってしまうだろう。

 

「嫌じゃないのか?」

 

 女の子の身体の時は、そういうものにとことん嫌悪感を示したリィであるから、不思議そうに言った。

 

 ウォルは気安く答えた。

 

「まぁ、別に嫌ではないな。普通の女性なら普通に付けているものなのだろう?なら、今の俺も女なのだから普通に付ければいい。そういうものではないのか?」

「うーん、そういうものなのかなぁ。でも、動きにくかったり苦しかったりしないか?」

 

 リィはやはり承伏しがたい顔である。

 

「こんなもの、慣れてしまえばどうということはないぞ。ほら」

 

 ウォルはがばりと服を捲し上げた。

 シェラは、ぴしりと固まってしまった。

 処女雪もかくやというほどに白い肌、くびれた腰、へその窪み、そして淡い水色の可愛らしいブラジャーが、嫌でも目に飛び込んでくる。

 ウォルの、よく引き締まった健康的な肉体、特にようやく育ち始めた胸元などは、シェラにとっても目に毒であった。

 なのに、リィは、そんなものどこ吹く風で言った。

 

「いや、やっぱり苦しそうだって」

「意外と柔らかい素材で出来ていてな、一度付けてしまえばそれほど気にはならん。それに最近は、何も付けていないと胸と服が擦れて痛いのだ。その点、これを付けていればそういうこともない。中々に便利な道具だ。さわってみるか?」

「あ、ほんとだ。柔らかい」

 

 リィはウォルの胸元をぺたぺたとさわって、その手触りに驚いていた。

 

「もっとごわごわしてるかと思った」

「あまり強く触れてくれるな。本当に痛いんだ」

「うん、おれもそうだったから分かる。膨らみ初めは、さわっただけで痛いんだ。それにしても良くできてるなぁ、これ」

 

 カップの部分をさわったり紐の部分を引っぱってみたり、初めて与えられた玩具に目を輝かした男の子みたいに、リィはブラジャーを弄んでいた。

 リィの手つきがもう少し嫌らしければ、その光景は女の子に悪戯をする男の子以外の何ものでもないのだが、リィの心のどこにも疚しいところはないし、ウォル自身も興味津々といった感じでリィに身を任せているから、そういう現場にはどうしても見えない。

 それでも、もう少し回りに気を配るというか、周囲の目を気にするというか、もっといえば自分の存在を考慮に入れてくれてもいいのではないかと、シェラは溜息混じりに思った。

 

「……あの、二人とも。以前ティレドン騎士団長も仰っていましたが、そういうことは暗くなってから、ベッドの中でやって下さい」

 

 申し訳無さそうに目を閉じ、赤らめた頬をそのままにしてシェラは言った。

 

「……どうして?」

 

 怪訝な顔をしたリィである。

 シェラは、幼稚園児に性教育を施す母親のような気持で答えた。

 

「どうしてもです。そういうものなのです」

 

 普段は我を押し出さないシェラがこうまで強く言うと、リィやウォルとしても返す言葉がない。

 リィは残念そうに手を引っ込め、ウォルはぶつぶつ言いながらシャツを元に戻した。

 

「別にそれほど気にすることではないと思うが。なぁ、リィ」

「うん。それにシェラ、お前はそう言うけどさ。男とこんなことをベッドの中でやっていたら、それこそ変態だぞ……って、そうでもないのか」

 

 リィは隣に立つ、自分よりやや視線の低くなってしまった夫を眺めて言った。

 以前、リィの身体は、何かの間違いで女の子のものになってしまっていたが、しかし実のところ、リィの本質は男性であった。それに比べて、今、ウォルが宿っている身体は、紛れもない女性のそれである。

 ならば、目の前の少女とベッドに入っても、それほど問題が無いことにリィは気がついたのだ。

 だから、口に出してはこう言った。

 

「シェラはああ言ってるけど、今からベッドに行くか?」

 

 他人が聞けば唖然とするしかない台詞に、ウォルは平然と応じた。

 

「別に構わんが、今は腹の虫を宥める方が先決だな。夫婦の絆を深めるのは後にしよう」

 

 リィは真剣な面持ちで頷いた。

 

「もっともだな、ウォル。交尾はいつでも出来るけど、狩りは日が高いうちでないと厳しい。夜は彼らの時間だからな」

「よし、ならば善は急げだ。さっさと準備をしよう」

 

 シェラはもはや一言も無く、いそいそと狩りの準備を始めた夫婦を尻目に、自分の役割を果たすために地下室へと向かった。

 そこに置いてある箒で、積もった埃と一緒にこのやりきれない気持も、掃きだしてしまいたかった。

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