懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第二十一話:仲直りと少女の悲鳴

 シェラの用意してくれた食事はとても美味しかった。

 各種香草とウサギの骨で出汁を取ったシチューは、蕩けるような兎肉と根菜が絶妙の取り合わせだったし、塩竃で蒸し上げた雉肉は噛めば滲み出る肉汁とほろりほろりと解ける肉の線維が官能的だった。

 そして、シェラが料理の合間に釣り上げてくれた鱒をパイ包みにして焼いたもの、リィやウォルが拾ってきた木の実を炒ったものなど、およそ食材を一から調達したとは到底思えないような豪勢なメニューが食卓を飾り、ウォルとリィの目と鼻と舌を大いに満足させたのだ。

 当然のこととして、その立役者であるシェフには、惜しみない賞賛の言葉が贈られた。

 

「うん、美味い。この世界で何が一番美味いかって、シェラの料理に勝るものはないよな」

「そんな、大袈裟ですよ」

 

 口いっぱいに雉肉を放り込んだリィの、当人としては至極真剣な言葉に、シェラは微笑って応じた。

 ウォルも、少女とは思えない程に豪快な様子で兎のシチューを胃に流し込みながら、リィの言葉に頷いた。

 

「謙遜するな、シェラ。西離宮でご馳走になった頃より、更に腕を上げているぞ、間違いなく。お前は、これで身を立てていくつもりはないのか?」

 

 舌鼓を打ちながらの、思い付く限り最高の賛辞である。

 救国の英雄とまで言われた男に――今は少女であるが――ここまで言われて、いつも冷静なシェラとて嬉しくないはずがない。菫色の瞳を細め、口元をほころばしている。

 しかし、口に出してはこう言った。

 

「とてもありがたいお言葉ですが、ウォル、今のところ、私はそういう方面で生きていくつもりはありません」

「ほう、それは勿体ないな。何故だ?」

「これはあくまで趣味ですので。職にしてしまうと、気に食わない人達の食事まで作らないといけなくなるでしょう?」

 

 それが嫌なんですよ、とシェラは微笑った。

 料理に限らず、自分の腕は、自分の仕えるべき、あるいは敬愛すべき人達のために使いたい。それが、シェラなりのこだわりらしかった。

 何とも頭でっかちで、そしてこの聡明な少年にしては不器用なことであるが、自分以外の人間の意志でもって闇雲に他者の命を奪い続けた半生、その反動であるのかもしれない。

 と考えてしまうと何とも重たい話になってしまうのだが、ウォルは暢気な調子で続けた。

 

「気に食わない奴の分だけ断ればいいのではないか?」

「ウォル、それでは職とは言えません。職とは、金銭を得るために我を押し殺して契約と職務に従うということでしょう?自分でお客さんを選ぶなら、お金を頂いていたとしても趣味の域を出ませんよ」

 

 ぴしりと言った。

 なるほどそんなものかとウォルは思った。

 彼は若くして人を使う者の頂点にあり、最後まで在り続けたので、そういう一般的な職業観はとんと育たなかったのである。

 何せ彼女は、誰しもが羨み、そして畏れる至高の玉座にありながら、どうにかしてこの座り心地の悪い椅子と頭に乗っかった重たい王冠を捨てる方法がないものか、一度ならず真剣に頭を悩ませていたのだ。

 彼女に心酔していた少なからぬ人達が聞けば、間違いなく自分の耳がおかしくなったかと疑うに違いない、ある意味では大陸で最も、そして極めつけに不遜な王であった。

 

「ではシェラよ、お前は将来、どうやって身を立てていくつもりだ?いつまでもヴァレンタイン卿の脛を囓っているわけにはいあんあろう?」

「お行儀が悪いですよ、陛下」

 

 途中から口調がおかしくなったのは、兎の脛の骨に齧り付いたからである。

 シェラに冷たくお小言を頂いても、ウォルの口はもごもごと骨と格闘し続けた。この世界でもあちらの世界でも、骨にこびり付いた肉が一番旨いというのは子供でも知っている常識であった。

 ウォルはしばらくの間、可愛らしくなってしまったその口の中で骨をしゃぶり、骨入れの中に、肉片の一つだって付いていない綺麗な骨を吐き出した。テーブルマナーにうるさい貴婦人が見れば眉を顰めそうな作法であるのだが、何故か下品な印象がない。

 無論、上品で洗練されているとはお世辞にも言えないのだが。

 これも王族の特権かなと、シェラは苦笑した。そして、先ほどのウォルの質問について、真剣に考えてみた。

 

「そうですね……今のところ、こちらの世界で何をして生きていくのか、まだ決まっていません」

「あまり無理をいうなよウォル。シェラだって、こっちの世界に来てからまだ一年も経ってないんだ。自分が何に向いてるか、何をしたいのか、探してる最中なんだよ」

「探してる最中と言うが……そろそろ独り立ちの時期だろう?何か、漠然としたものでも決めておかねばまずいのではないのか?」

 

 心配そうに眉を寄せたウォルに、リィとシェラは顔を見合わせて笑った。

 何か自分が変なことを言ったらしいとウォルは思ったが、しかしその内容が見当もつかない。

 結局、この世界の先輩方に、教えを乞うしかなかったりするわけだ。

 

「……あのな、二人とも。もう慣れたことだが、この世界に来たばかりの俺を捕まえて一々物笑いの種にするというのは、些か趣味が悪いと思うぞ」

「すみません、ウォル」

「ごめんごめん。でも、お前の言ったことがおかしいんじゃないんだよ。お前が、おれやシェラと同じことを思ったのがおかしくって……」

 

 ウォルは、可愛らしく小首を傾げた。

 シェラは、ほんの少しだけ先輩風を吹かしながら、このことを話せばウォルも驚くに違いないと思いつつ、言った。

 

「私も初めは驚いたのですが……。どうやらこの世界の子女は、我々の世界のそれに比べて独り立ちが驚くほどに遅いのです」

「遅いと。具体的に言うと?」

「物凄く早く自活する奴で、だいたい16歳。少し早いと18歳。たいていのやつは22歳前後まで、親の金で飯を食っている」

「22歳!?」

 

 予想通りの驚きの表情に、リィとシェラはあらためて笑いを堪えるのに苦労した。確かに、この世界について疎いのはウォルの責任ではなかったし、ならばそのことについて笑うのは失礼だからである。

 無理をして無表情を装った二人だが、しかし口元が微妙に震えるのは如何ともし難い。それを見て取ったウォルは憮然としながら言った。

 

「……そういうふうに気を使われる方が、なんだか腹立たしいな」

 

 厳めしく腕を組んだ少女がおかしくて、金銀天使は笑った。

 大声で笑った。

 ウォルはしばらくの間自由にさせていたが、二人の笑いが収まる頃合いにあらためて問うた。

 

「つまり、この世界で真に一人前と呼ばれるのは、二十歳も過ぎてからのことということか」

「いや、それでもようやく子供じゃあないっていうだけだ。一人前とは、とても見てもらえないな。本当に一人前と言えるのは、そうだな、結婚して子供も出来て、自分の家も持った時くらいかな?」

「それはまた、随分とのんびりしたものだな」

 

 ウォルの表情は、驚いているというよりも感心していると形容した方が相応しいものだった。

 事実、少女は感心していた。一人の人間にそれだけの時間と費用をかけて教育を施し得る社会。そして、社会に出てもまだ一人前と呼ばれないということは、その後も何らかのかたちで教育制度に近いものがあるのだろう。

 それに比べれば、ウォルの世界では、戦士であれば15歳で叙任し、その後は生と死が隣り合わせになった凄惨な戦場が己の生きる場所となる。農家や商家の子供であればもっと早い時期に働きに出る。職人などは更に早いかも知れない。

 この差は、どこから生じるのか。

 ウォルは、この世界が、それだけ豊かなのだと考えた。ヴァレンタイン家のように裕福な家でなくとも、子供を労働力として使役する必要が無いのだ。そうでなければ、貴重な労働力ともなる子供を長期間養い、高い費用をかけて教育できるはずがない。

 無論、ウォルの考えは正しい。余程辺境の惑星か、それともスラムのように劣悪な環境を除けば、この世界は教育や福祉が高い水準で行き届いており、飢えた人民が道ばたで犬のように死ぬことなど滅多にない。

 ウォルは、羨ましいと思った。波乱に満ちた彼女――当時は彼であったのだが――の前半生に比べてやや輝きに劣る堅実な後半生であったが、だからこそ武勇や知略では如何ともし難い、分厚い壁にぶつかることが多かった。その壁のいくつかをウォルは乗り越えてきたが、しかしいくつかは乗り越えることが出来なかった。それは彼女の責任というよりは、時代の業とでもいうべきものだったのかも知れない。

 ともかく、ウォルは、自分の力の及ばないところで、誰からも顧みられることもなく朽ちていく命を、歯がみしながら見送ってきたのだ。そんな彼女がこの世界を見て、羨望を覚えない方がどうかしているというものだろう。

 だから、その時の少女を飾った表情は、苦笑と呼ぶにはほろ苦すぎるものだったのかも知れない。

 

「こちらの世界を知る度に思う。この世界にありふれたものの、ほんの少し、たった一つでもいいからあちらの世界にあれば、どれほどよかっただろう。そうすれば、どれだけたくさんの人の笑顔が守られただろう、と」

「……陛下。お気持ちはよく分かります。それはきっと、他の誰よりも私が分かると、そう思います」

 

 気遣わしげな声は、シェラのものである。

 菫色の瞳に真剣な光を湛え、ウォルを正面から見つめた。

 

「シェラ。お前もそう思うことがあるのか」

「はい。それでも、いえ、だからこそ、それは考えてはいけないことなのではないかと、そうも思います。特に陛下、あなただけは」

 

 ウォルは、表情を引き締めてシェラの声に耳を傾けた。

 

「確かに、この世界は素晴らしい。少なくとも、人の命が草のように刈り取られることもなく、お腹を空かせた浮浪児の群れが路地裏で蹲っていることもない。それだけで、あちらの世界よりも素晴らしいと、私は思うのです。それに比べて、あちらの世界の人の命は、あまりにも安かった」

 

 それは完全な事実であったから、ウォルもリィも何も言わなかった。

 

「けれども、それを少しでも良い方向に改めるために、多くの人が努力を惜しまなかったことを、私は知っています。陛下やリィは、その人達の旗頭でした。いわば、希望でした。ならば、貴方達だけは嘆いてはいけない、羨んではいけない。そうでなくては浮かばれません」

 

 誰が浮かばれないのか。

 この世界に生を受ければ死ぬ必要の無かった命。それとも、その命が失われる様を黙って眺めるしかできなかった人達。

 きっとシェラ自身にも分からなかったはずだ。

 リィもしたりと頷いた。

 

「その通りだな、シェラ。確かにこの世界の連中が、あちらの世界の人達を『助けてやる』ために大挙して押しかける段取りになったりしたら、おれは全力で阻止すると思う。例えおれの行為が、あちらの人達にはありがた迷惑だったとしても、だ」

「……俺は、どうだろうか。もしかしたら、それを歓迎するかもしれんな。こちらの世界と交わることで彼らの誇りが失われることになっても、それで飢えて死ぬ人が一人でも減るならば」

 

 リィは、痛ましい表情で王の横顔を眺めた。

 きっとこの少女は、王座に君臨する間、絶え間なく苦悩の日々を送っていたのではないだろうか。

 王座とは、詰まるところ疫病神の住処でしかないのかもしれない。享楽に耽る王が座れば、不幸は国民へと降りかかる。真に民を思う王が座れば、王自身の背中に疫病神は取り憑くだろう。

 どちらにせよ、碌なものではない。

 

「誰もが誰も、戦士の魂を持つわけではない。寧ろそれは極少数だ。そして、誇りで腹は膨れん。誇りで病は癒えん。腹を膨らすのは飯だ。病を癒すのは薬だ。それが、あちらの世界には無くて、こちらの世界にはある。ならば……いや、難しい。何とも難しい命題だ。これはやはり、正にその時にならねばわからんか」

 

 ウォルは頭を一振りして、底なし沼のような思考を振り払った。

 現実問題としてこちらの世界とあちらの世界を繋ぐ手段が無い以上、この問題については如何なる思考も無価値である。ウォル自身、そしてリィもシェラも、そんなことは百も承知だ。その上で、これは避け得ぬ煩悶であった。二つの世界に暮らした彼らが一つの世界に留まる以上、避け得ぬ煩悶であったのだ。

 しかし、これ以上議論しても仕方ないことであるのもまた事実であるから、シェラが声色を変えて言った。

 

「話を戻しますが、リィ。私のことは置いておいて、あなたは何か将来やりたいことはあるのですか?」

「おれ?うーん……」

 

 既に一杯目のシチューを平らげ、二杯目の征服に取りかかっていたリィは、天井を見上げて唸ってしまった。

 これはシェラにとって、中々に興味深い疑問であった。

 『目指せ一般人』という、果たして本気か冗談か疑ってしまうような目標を掲げて学生生活を送るリィであるが、だからといってこの人が一般人というカテゴリに含まれてしまうことに途方もない違和感を覚えるシェラである。それはトカゲと恐竜が仲間であると言われた子供が感じる違和感を、更に強くしたものと言ってもいい。

 だから、この人が将来、誰かの下についてサラリーマンや公務員として生活するなど、もはや想像の埒外、笑い話にすらなりはしない。

 かといって、例えばケリーやジャスミンのように、大企業の経営者として星を跨いで活躍をする姿も、どうしても思い浮かばない。能力の問題ではなく指向の問題として、である。

 政治や経済、運動や学問。あらゆる方向に類い希な才能を持ちながら、しかしその方向性の定まらないリィである。果たして何を志して勉学に励んでいるのか、シェラならずとも興味の尽きないところであろう。

 正しくウォルもその一人であった。シェラの質問に頭を悩ますリィを、興味深そうに見遣っている。

 焼け付くような二人の視線の先で、黄金の少年は絞り出すような声で言った。

 

「……おれが学校で学んでいるのは、おれの生きる世界のことを良く知って、どこにどんな危険があってどんな罠が張られている可能性があるのか、それを効率よく排除するにはどういう手段が有効なのかを知るためだからなあ」

 

 これは、自身の失態に対する苦い教訓である。

 二度とあのような醜態は晒さない。

 だからこそ、学び、知識を得て、次の危難に備える。リィにとっては至極当然の選択肢であった。

 それ故、今後の人生についての進路を決める上での意味を、学園生活に求めているわけではないリィである。

 しばらくの間唸った後、きっぱりと諦めた。

 

「駄目だ。いきなりやりたいこととか言われても、何も思い付かない」

「リィなら何でも出来るのでしょうけど……」

 

 シェラも苦笑いである。何でも出来るが故に何をしたいか分からないとは、何とも贅沢な悩みではないか。

 シェラと同じように曖昧な笑みを浮かべたウォルは、そんなリィを見ながら、気楽な調子で言った。

 

「お前なら、物作りなどが向いているのではないか?」

「物作り……っていうと?」

「そうだな……例えば、家具職人とか、鍛冶屋、細工師とか……」

「うーん……」

 

 やはり考え込んでしまう。

 以前、体験学習で辺境の惑星にホームステイした際に本職顔負けの木製の椅子を作ったリィであるから、手先の器用さは折り紙付きである。ならば、その道でも大成することは疑いないが、しかしどうにも違う気がする。

 それでも、例えばサラリーマンや公務員となって堅実な家庭を築いているリィなどから比べれば、幾分現実的と言えるのかも知れないが。

 

「では、ルウの設計した宇宙船に乗って宇宙を旅するというのは?」

 

 気安くシェラが言った。

 

「楽しそうだけど、それはルウの夢だな。おれが便乗するべきものじゃないと思う」

 

 こういうところの線引きはきっちりしている二人である。

 相棒とはいえ、四六時中べったりするような関係を、二人は望んでいない。彼らは、お互いがこの宇宙に存在し、その魂に背くことなく生きていさえすればそれで十分なのだ。

 

「おれも、今はこれといって思い当たらないかな。でも、いつまでもアーサーに世話になるわけにもいかない。それこそ『お父さん』って呼ばないといけなくなる」

「それは大問題だな」

 

 リィの性格をよくわかっているウォルは、先ほど笑われたお返しとばかりに、如何にも真心の籠もらない気の毒そうな顔で言った。

 少女の妻は、それを不機嫌そうに見遣ってから息を一つ吐き出した。

 

「そう言うお前はどうなんだ、ウォル。お前、あっちでは散々王様なんて止めたい逃げだしたいってぼやいてたけど、何かやりたいことがあるのか?」

「俺か。うーむ……」

 

 確かに、今のウォルを縛り付けるものは何も無い。王座も王冠も、国王の称号も。

 全てから解き放たれるということは、即ち全てを失い全てを奪われるということでもある。

 そんな少女にこの問いかけは少し残酷だったかも知れない。無論、ただの少女であれば、の話であるが。

 そして、どう考えても『普通』というカテゴリに含めていいはずのない黒髪の少女は、手を顎にやり、考え込んでしまった。

 シェラは、この世界の後輩に当たる同郷人の様子を見て、助け船を出してやることにした。

 

「やはり、そう簡単に将来の希望など見つかるはずがないですよね……」

「実は、やってみたいことがあるのだ」

 

 リィとシェラは、同時に匙を落とした。ぱしゃりとシチューの汁が跳ねたが、二人ともそれに気づきすらしない。

 二人して唖然と口を開き、決意めいたものを含んだ視線を前に向ける少女を見つめている。

 その表情のまま、リィは尋ねた。

 

「ウォル、お前、なりたいものがあるのか?」

「うむ。そのことでお前達に相談しなければいかんと思っていたところだ」

 

 少女はこくりと頷き、少しの間だけ躊躇ってから口を開いた。

 

「その、だな。なんと言ったものか……」

「えらく勿体付けるな。はっきり言えよ」

「あいどる、というものになるのは、どうしたらいいのだろうか?」

 

 しばらく、静寂が部屋を満たした。

 二人は、果たしてその言葉が本当に少女の口から出たものなのか、記憶の反芻を繰り返し、その度に理性で肯定し感情で否定した。

 とにかく、混乱した。

 今、こいつは(この方は)何を言ったのだ?

 確かに聞こえた。

 あいどる、と。

 あいどる。アイドル。

 この単語に、どのような意味が与えられていただろうか。

 リィが、そしてシェラが思い浮かべたのは、テレビの中で煌びやかな衣装を纏い、安っぽい愛やら恋やらをテーマにした歌を歌い、ファンに媚びた笑顔を振りまき、若さと美しい容姿を売り物にして日々の糧を得る、踊り子のことだった。

 どこをどう考えても、目の前で雉肉に齧り付く少女――デルフィニア国王であり幾多の死地を潜り抜けた戦士である――に相応しい職業であるとは思えなかった。

 たまりかねたシェラが、おそるおそると口を開いた。

 

「……あの、陛下。陛下が仰っている、アイドル、とは、一体どのような職業でしょうか……?」

「なんだ、そんなことも知らんのかシェラ。よいか、アイドルというものはだな、テレビの中で煌びやかな衣装を纏い、安っぽい愛やら恋やらをテーマにした歌を歌い、ファンに媚びた笑顔を振りまき、若さと美しい容姿を売り物にして日々の糧を得る、踊り子のことだ」

 

 得意げに講釈したウォルである。

 ……どうやら、その認識の正誤は別にして、自分と共通の認識は抱いているらしいとシェラは思った。

 それ故に、よりいっそうに混乱した。

 ウォルが、アイドルになる?

 目の前の少女が、ひらひらきらきらごてごてした装束を纏い、マイク片手にテレビカメラに向かってウインクする?少しきわどい水着を着て、カメラの前でポーズを決める?ドラマや映画で、どこの馬の骨とも知れない男優と愛を語らいキスやベッドシーンを演じる?

 

 ……それは何という名の悪夢だろうか?

 

「……やめてください陛下。どう考えても、あなたに相応しい職業ではありません」

「そうか?意外と向いているんじゃないかな」

 

 これはリィの言葉であった。

 シェラは弾かれたようにリィの方へ向き直った。自分の耳を疑ったというのもあるが、リィの正気を疑ったというのもある。

 しかし当のリィは、あくまでいつも通り、平然とした有様であった。そのまま続ける。

 

「顔は文句なしで可愛らしいし、人を惹き付けるものだって十分にあるだろう。あとは運さえよければ成功するさ」

「お前にそう言って貰えると安心だな」

「こっちの世界に帰ってきてから、そっちの方面にもちょっとした知り合いが出来てさ。お前さえよければ、今度紹介するよ」

「すまんな」

 

 この場合のちょっとした知り合いとは、半世紀に渡って銀幕の表と裏を牛耳る、『芸能界の奇跡』、もしくは『銀幕の妖怪』のことである。ひょっとしたら、最近、その『妖怪』を起用した映画を撮ったことで名を上げた、新進気鋭の映画監督もセットでくっついて来るかも知れないが。

 シェラは、こめかみ辺りに激痛が走るのを自覚した。

 どうやら自分は、この二人と同等に張り合うにはまだまだ器のサイズが控えめすぎるらしいと思った。

 それでも一応、思ったことは言うことにした。これだけ強いストレスに晒されているのだから、どこかで発散しないと破裂してしまう。別に自分の容姿にこだわりのあるシェラでは無かったが、後頭部にはげが出来ては少女に扮するのが難しくなるから、苦労性とは早いところ縁を切りたかった。

 

「……リィ。『目指せ一般人』の標語は、早くも短い生涯を終えられたのですか?」

 

 というよりも、この黄金の獣が一般社会の中で暮らしていくなど不可能であるとシェラは確信しているし、そうあるべきではない、そんなのあまりに勿体ない、とも思っている。

 しかしこの際、武器に出来るものは何でも武器として闘うべきである。

 闘うとは、一体何と?

 彼を悩ます偏頭痛と、である。

 そんなシェラの葛藤というか決意というか、に対して、リィは平然と答えた。

 

「おれやお前、あの二人みたいに危なっかしい連中にはまだまだ有効継続中だ。でも、こいつはそんなに危なくないし、なにより本人がやりたいって言ってるんだ。無理矢理止めさせるわけにもいかないだろう?」

 

 正論である。

 しかし、自分達を、あの二人――死神とまで呼ばれた一族の精鋭――と同列に置いて欲しくはなかったシェラである。

 

「だいたい、この頑固者の熊が、いったん言いだしたことを改めるもんか。そんな殊勝な奴なら、あっちの世界でのおれの苦労がどれだけ減ったことか……」

「全く同じ台詞を、熨斗を付けて叩き返させてもらいたいところだな」

 

 目の前の料理をすっかり平らげたウォルは、ワイングラスを傾けながら言った。

 思わず満足の溜息が漏れる。

 

「美味かったぞ、シェラ。少々腹が物足りないところだが、まぁ仕方あるまい。悪いのは俺とリィだからな」

「いえ、お粗末様でしたウォル。しかし……何故、いきなりアイドルになりたいなど……?」

「うむ、実はだな……」

 

 少女が口を開いた、まさにその時である。

 ロッジの外、扉のすぐ傍から、どさりと重量感のある音が聞こえてきた。

 三人は、先ほどまでの緩んだ空気を振り払い、即座に行動を開始していた。

 シェラが、卓上に灯されたランプの火を吹き消す。

 ウォルは音もなく扉に歩み寄り、外の様子を伺った。

 リィは床に耳を貼り付け、不審な物音がないかを探る。

 しばらく耳を澄ましたが、何かが走り去るような、小さな音が聞こえただけだ。

 リィは、視線だけでウォルに合図を送った。部屋の中に灯りと呼べるものは無く、普通の人間であれば自分の腕だって視認できないほどに深い闇だったが、ウォルは無言で頷くことで了解の意を返した。

 ゆっくりと扉を開ける。その時点で、シェラの片手には鉛玉が握りこまれ、もう片方には銀線の細い光が煌めいている。

 開け放たれた扉から、冷たい外気が入ってくる。

 ウォルは、鼻をひくつかせた。

 人の気配も、鉄の気配もない。しかし、濃厚な血の臭いを感じる。

 いっそう神経を張り詰めさせ、ゆっくりと顔を出し、辺りを探る。

 すると――。

 

「あ」

 

 間の抜けた少女の声が、リィとシェラの耳に届いた。

 二人とも、得物を取り落としそうになり、ほとんど同じような非難を込めた視線を、ウォルの背中に向けた。

 しかし、当のウォルに、反省の色はない。そのままのんびりとした足取りで外に出て、

 

「おおい、二人とも、こっちに来てみろ」

 

 顔を見合わせたリィとシェラは、首を傾げてから、ウォルの言葉に従った。

 最低限の警戒は解かずにロッジの外に出ると、そこには……。

 

「あ」

「凄い」

 

 二人が同時に口に出した。

 そこには、小山のように大きな、何かが横たわっていた。

 ぴくりとも動かない。当然だ。命を失った生き物は、肉の塊に成り果てるのだから。

 リィは、それに見覚えがあった。

 昼間、散々追いかけ回して、惜しくも逃がしてしまった、あの鹿だ。

 夜目の利くものでないと分からないが、額のところに小さな傷がある。

 矢傷だ。おそらくこれが致命傷であり、そしてたったの一撃だったのだろう。

 一体、どのようにすれば野生の鹿、それもリィが手こずるほどに老練な牡鹿の正面から矢を射て、その頭に命中させることが出来るのだろうか。

 恐るべき手並みである。

 

「一体誰が……」

 

 シェラの呟きである。

 それに、積まれているのは鹿だけではなかった。

 野苺や山桃、胡桃などの木の実や果物。鱒や岩魚に近い種の川魚。料理には欠かせない各種香草。茸や根菜なども揃っている。

 これだけで盛大なパーティーが開けて、さらにお釣りが来るであろう、食材の山であった。

 小さな食材だけでイマイチ腕の振るいようのなかったシェラであるから、食材の山に駆け寄りそうになったが、しかしふと気付いてリィの方を振り返った。

 リィは、小さく頷いた。

 

「大丈夫、全部食べられるものばかりだ。毒が仕込まれているとか、そういう勿体ないことはないみたいだぞ。それどころかこの鹿なんて、きちんと血抜きもされてる」

 

 確かに、喉のところが大きく切り裂かれている。

 額の矢傷が致命傷だったとすれば、これはこの鹿が息絶えてから、血抜きをするために作られた傷ということになるのだろう。

 シェラはますます首を傾げた。

 

「今、この星には我々しかいないはずですよね。一体誰が……?」

「だいたい想像はつくけどな」 

 

 リィは足下に転がっていたドングリを手に取り、二三度ぽんぽんと掌で浮かせてから、正面の草むらにえいやと放り投げた。

 

「あいた!」

 

 こん、と、固いものにぶつかる軽い音が聞こえて、それから間の抜けた悲鳴が聞こえた。

 緊張に身体を硬くしかけたシェラとウォルであったが、その声が聞き覚えのあるものであったから、すぐに解いた。

 それによく考えてみれば、本来は無人であるはずのこの惑星に宇宙船以外の手段でもって現れるという非常識、一体この人以外の誰に可能であろうか。

 

「さっさと出てこいよ、ルーファ」

 

 むっつりとしたリィの声、それに応えるように、がさごそと騒がしい音が草むらから鳴り響き、夜空に負けないほどに黒い髪の毛と、青空にだって負けないくらいに青い瞳が、恥ずかしげに顔を出した。

 

「あ、あはは、久しぶりだね、王様、シェラ」

「うむ、久しいな、ラヴィー殿」

「ルウ……」

 

 きらきらと目を輝かしたウォルと、眉間を抑えて黙り込んでしまったシェラである。

 

「……人為的に不可能なことはラー一族でもタブー。私はそう理解していたのですが?あなたが生身のままでこの惑星にいることは、人為的に可能なことなのでしょうか?」

「で、でも、ここにいるのはみんな、きちんと秘密を守ってくれる人達ばかりだし……!」

「それを言ってしまえばどんなときだって他人に秘密を守らせるくらいわけはないあなたでしょうに」

 

 人間の記憶の操作くらいは造作もないルウであるが、あまり好きではなかったりする。

 シェラもそのことは知っているから、これはただの皮肉、もしくは嫌味であった。

 勿論、ルウがこの場にいるのが嫌なわけではない。しかし、付いてくるつもりなら前もって言って欲しかったのだ。

 

「だって、僕が一緒に行くって言ったら、ダンも船を出してくれなかったかもしれないし……」

「かも知れないし?」

「……エディが凄く怒ってると思ったから……」

 

 ルウは俯いて黙り込んでしまった。

 そんな彼に、リィは手厳しい視線を向けた。

 

「ふうん。なら、おれが怒るようなことをしたっていう自覚はあるわけか」

 

 びくり、とルウの細い肩が揺れる。

 そして、雨に打たれた子犬のような顔で、リィを見上げた。

 

「だ、だって、王様がエディと結婚すれば、とても素敵だと思ったんだよ!」

「結婚ならもう済ませた。今更、こいつがおれの妹になる必要なんてないだろう」

「でも、今のままだと、いつまでたっても赤ちゃんが出来ないし……。妹になって、もっと親密になって、一緒のベッドに寝ることになれば、そういうこともあるのかなぁ、なんて……」

「そうか。つまりお前は、おれとこいつを交配させて、次世代の個体を観察したかったっていうわけか?」

「交配だなんて、そんな!」

 

 冷たいリィの言葉に非難の視線を寄越したルウだが、今はどちらが優越的な位置に立っているのか、子供にだって明らかだった。

 ルウは再び視線を落とした。

 

「でも、お前がしようとしたことはそういうことだろう。絶滅寸前の珍獣の雌雄を同じ檻に閉じ込めて、無理矢理に番わせて卵を産ませようとする馬鹿な研究者と何が違うっていうんだ?そもそも、そんな無理矢理なことをして産ませた命に何の価値がある?滅びようとするものはそのまま滅ぼしてやればいいのさ。人の手を借りないと生きていけない生き物なんて憐れなだけだ」

 

 それは遠回しに自分のことを言っているのだろうかとシェラは思った。

 この世でただ一人、ただ一匹の、黄金の獣。

 シェラは、自分でも何を言うべきか定まらぬままに、口を開こうとした。

 正にその時、ルウが、押し殺したような声で言った。

 

「……ウォルフィーナは、違うかも知れないじゃないか」

「何だと?」

「だって、ウォルフィーナは女の子だもの。きっと、好きな人の赤ちゃんが欲しいと思うはずだよ。だから、赤ちゃんを産ませてあげないといけない、そう思って……」

 

 ぐすぐすと、鼻を啜る音が聞こえた。

 いつになく語調の鋭かったリィであるが、流石にこれ以上はまずいと思ったのか、大きく溜息を吐き出して次の言葉を飲み込んだ。

 そして言った。

 

「なぁ、ルーファ。そういうことは、お互いの意志に任せるべきだとは思わないか?おれがいつの日か愛する人を見つければ、勝手に発情して勝手に子作りをするさ。こいつだってそうだ。こいつだって、無理矢理に尻を叩かれて子供を作らされたって、嬉しいはずがないだろう?」

 

 リィの指さす先には、彼の夫たる少女がいた。

 少女も、はっきりと頷いた。

 

「そういうことだなラヴィー殿。今回の件は、あなたが悪いと思う。少なくとも、リィにはきちんと相談すべきだった」

「……反省してます……」

「なら、まず言うべき事があるのではないか?」

 

 ウォルの言葉にルウは頭を上げ、怯えたような視線をリィに向けて、言った。

 

「ごめんね、エディ」

「うん、もういいんだ、ルーファ」

 

 リィはにこりと笑って、そう言った。彼が欲しいものはその一言だけで、それ以外の何ものでもなかった。

 だから、本当にそれだけで終わりだった。

 ルウは嬉しそうに目元を拭った。最初からこの人は許してくれると知っていたけど、きちんと許された喜びは他の何物にも代え難かった。

 

「ありがとう、エディー!」

 

 草むらから飛び出して、リィに抱きついた。

 

「うわ、お前泥だらけじゃないか!」

「だって、エディに許して貰おうと思って、たくさん獲物を狩ってたから。木の実だってこんなに集めたんだよ!」

「わかった、わかったから!」

 

 ルウは腰を屈め、リィの頭を抱きかかえて、思いっきり頬ずりをした。

 ルウの頬についた泥がリィのほっぺたに黒い煤のように広がったが、当のリィはあまり嫌そうではなかった。ルウの頭に絡まった、蜘蛛の巣やら木の葉やらを丁寧に取ってやっている。

 

「ああもう、こんなに汚して。折角綺麗な髪なのに勿体ないだろ」

「うん、ごめんねエディ」

「あとでちゃんと風呂に入るんだぞ。それと歯も磨けよ」

「うん!」

 

 まるで幼子と母親である。

 その様子を苦笑混じりに見つめていたシェラは、咳払いを一つしてから、威厳のある調子で言った。

 

「ちなみにリィ、あなたもですよ」

「は?おれはもう、一度風呂に入ったぞ?」

「今のご自身の身体を見てから、そういうことは言ってくださいね」

 

 リィは、今の自分を見た。そしてなるほどと思った。

 泥だらけのルウに抱きつかれたリィの身体は、負けず劣らずにどろどろになっていた。このまま床に入れば、シーツやらマットやら毛布やら、色々なものを汚してしまうだろう。

 

「わかったよ、シェラ。蒸し風呂、まだ入れるよな?」

「ええ。後で私が入るために、石を焼いておきましたから」

「悪いな、シェラ」

「いえ、大した手間ではありませんから。それに、あなたが風呂に入っている間に鹿の下拵えと新しい料理を作っておきましょう。どうせ、先ほどの料理では足りていないのでしょう?」

「流石シェラ、おれのことをよく分かってくれてるよ」

 

 満面の笑みを浮かべたリィと、烟るように淡い微笑みを浮かべたシェラの主従である。

 それを、微笑ましいものを見るような様子で遠目に見ていたウォルであるが、その肩ががっしと掴まれたことに気がついた。

 背後に、いつの間に近寄ったのやら、黒い天使が立っていた。

 

「ら、ラヴィー殿?」

「うん、王様も一緒に入ろう?」

「は?」

「僕とエディと一緒にお風呂に入ろう?ねっ?」

 

 有無を言わさぬ口調であった。

 別にそれは構わないが……そう言おうとしたウォルの脳裏に、先ほどの悪夢が蘇った。

 身体中をまさぐられ、舐め回され、弄ばれ続けた、笑い地獄……。

 金の天使だけで、あれだけ惨い目に合わされたのだ。それが、二人になれば……。

 

「い、いや、遠慮しておこう。俺はもう、さきほど十分に汗を流して、身体も清めたのでな」

「ええーっ?そんな、一緒に入った方が絶対に楽しいよ?」

「だから、もう、既に済ませたのだと……」

「そういえばウォル、ルーファとアーサーの記録映像に慌てるおれを見て、散々笑い転げてくれたよなぁ……?」

 

 ルウに掴まれたのと逆の肩を、今度は金色天使ががっしと掴んだ。

 

「り、りぃっ!」

 

 情け無い、悲鳴にも似た声が、覇王の化身たる少女の口から漏れだした。

 少女は、自分が狩られる獲物で、この二人は肉食獣なのだと悟った。そして、その牙が、既に喉元に突き付けられていることも。

 それでも、必死の抵抗を試みた。それが、生きとし生けるものの義務であるかのように。

 

「シェラ、シェラ、助けてくれシェラ―――!」

「すみません、私も出来ないことはあるのです、陛下」

「おのれ国王を見捨てるか、恩知らず、不届き者、不忠者―――!」

「私はもともと、デルフィニア国民ではなかったもので……」

 

 下手に関わっては自分のもとに火の粉が降りかかる。

 シェラは、両脇を抱えられたままサウナ小屋に連行される黒髪の少女を、掌をひらひらさせながら見送った。

 その後、小屋の裏手で鹿の解体をするシェラの耳に、悲鳴だか嬌声だか笑い声だかわからない、何とも形容し難い少女の声が届いたのだが、彼はそれを完全に無視し続けた。

 さわらぬ神に祟り無しである。

 一時間後、全身を弛緩させて痙攣を続ける、少女のかたちをした軟体動物が出来上がったとか。

 

「おのれ、しぇら、おぼえておけよ……」

 

 ひくひくと頬を引き攣らせて、ウォルは呟いた。

 

「なっ。こいつ面白いだろ?」

「うん。また遊ぼうね、王様!」

 

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