懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第二十二話:昔語り

※『紅蓮の夢』とは設定が異なりますのでご注意ください。

 

 四人は車座に座り、中央にあかりを灯したランプを置いた。

 ゆらゆらと、そして赤々と燃える、小さな炎。この世界の日常では目にすることの少ない、原始の光である。

 ウォルは、懐かしいものを見るようにその炎を見つめた。彼女にとっての灯りとは、太陽と月と星、そして炎の事だった。それ以外の光など、怪しげな魔道のもの以外存在することすら知らなかった。

 彼女の真正面には、弱々しい光の中でも力強く輝く、黄金色の頭髪をした少年が座っている。彼も少女と同じく、行儀悪く床に直接腰掛けているが、咎める者はいない。

 

「まず、なにから話そうか……」

 

 少女は面白そうに、しかしほんの少しだけ困った様子で、その可憐な口元を綻ばせていた。それは勿体付けてそうしているのではなくて、話したいこと、話すべきこと、話さなくてはならないことが多すぎて、本当に弱っているからだった。

 そんなウォルの様子を見守りながら、彼女の左に腰掛けた銀髪の少年が、空になった少女のグラスの中に酒を注いだ。

 相当に強い、葡萄から作った蒸留酒だった。

 

「すまんな、シェラ」

 

 少年は、無言で微笑した。これが自分の役割だからと、そう言いたげな顔だった。

 ウォルはシェラに注いでもらった酒で唇を湿らし、そして考えて、それから頭を振った。

 

「駄目だ。どうにも、何から話して良いのかが分からん。そこでどうだろう、お前達の聞きたいことから順に答えていくというのは」

「じゃあ、最初はエディだね」

 

 少女の右に腰掛けた、漆黒の髪の青年が言った。

 その手には、琥珀色の液体でなみなみと満たされた、小振りなグラスが握られている。もう、何杯目かもわからないほどに飲んでいるはずだが、その白皙の肌には一向に朱が刺す様子が見られない。

 今だって、酔いの気配も見せないはっきりとした口調で、リィに話を振った。

 そしてリィは、しばらくの間考えて、言った。

 

「あのときの子供は、無事に産まれたのか?」

 

 あのときの子供。

 それは、リィがこの世界に帰る間際に、ウォルの愛妾であったポーラが身籠もった赤子のことである。

 リィは、大事な遠征の途中であったのに国王の首根っこを引っ掴んで里帰りさせるほどに、その子とポーラのことを気にかけていた。彼らのことをまず真っ先に知りたがったのは、寧ろ当然だろう。

 真剣な、それでいてどこか心細そうなリィ、そして残る二つの視線を受けて、ウォルは確と頷いた。

 

「無事に生まれた。勿論、ポーラも無事だ」

 

 ほう、と、三つの溜息が漏れた。

 

「男の子か?女の子か?」

「男の子だ。フェルナンと名付けた」

 

 それは、ウォルにとっての二人の父親のうち、彼を育ててくれたほうの父親である。

 そして、デルフィニア国王の正当性を巡る一連の政変の中で非業の死を遂げた、偉大なる貴族の名でもあった。

 事の経緯は、三人だって知っている。それどころか、リィは、長期間に渡る幽閉と度重なる拷問によって死の淵にあったフェルナン伯爵を、難攻不落の城塞から助け出した張本人であるのだ。

 それ故に、その名前を聞いたときの感慨もひとしおであった。

 

「そっか、フェルナンって名前を付けたんだな」

「おかしいか?」

「いや、相応しいと思う。きっとフェルナン伯爵は、自分の名前が次の国王の名前になることよりも、お前の息子の名前になることをこそ喜んでくれただろう」

 

 ウォルは恥ずかしそうに微笑った。

 それは、誰よりもウォル自身が確信していることだったが、自分以外の誰かがそう言ってくれたことが嬉しかった。

 シェラとルウも、それに倣った。

 

「おめでとうございます、陛下、いえ、ウォル!」

「おめでとう、王様!きっと可愛い赤ちゃんだったんでしょ?」

「ああ、とても、そうだな、とても可愛い赤ん坊だった。最初は猿みたいな顔で、本当に自分の息子だとは信じられなかったが……」

「……まさか、ポーラの前でそんな寝ぼけたことを言ったんじゃあないだろうな?」

 

 不穏当な響きをもったリィの言葉に、ウォルのこめかみは冷たい汗に濡れた。

 黒真珠のように美しい瞳は宙を泳ぎ、小振りで愛らしい口は『えーと』とか『その』とか、あたふたとした言葉を吐き出すのみ。

 リィは、いっそう声を低めて、言った。

 

「おい、ウォル。お前、まさか……」

「つい、だ!なんとなく、父親になった実感も湧かなかったから、つい口に出してしまったのだ!そんな意味で言ったのではない!」

「当たり前だこの馬鹿!うすらとんかち!女の敵!もしそんな意味で言ったんなら、今からお前の首根っこに縄をかけて、何としてでも向こうの世界に連れて帰って、ポーラに土下座させてやるところだ!」

 

 そんな意味、とは、この世に蔓延る責任感と優しさの欠如した父親、もしくは妻の不貞を疑わなければならない可哀想な男達が口にする、最悪の台詞であった。

 ウォルは、無論そのような意味で言ったのではない。ただ、初めて目にした生まれたての赤ん坊があまりに人間離れした容姿だったから、本当につい口から飛び出てしまっただけなのだ。

 慌てて弁明するウォルを、ポーラも笑って許してくれた。彼女は、自分が夫に選んだ男のことを心底信頼していたし、自分にだってちっとも後ろ暗いところはなかったからだ。

 許してくれなかったのは、男連中からその話を聞いた、彼らの妻達である。

 

『陛下のことを見損ないましたわ』とは、タウの自由民に嫁いだ溌剌とした少女の弁。

『私の教育が不味かったのでしょうか……?』とは、かつてウォルと結婚を誓い合った貴婦人の弁。

『例え真意では無いとして、そのように柔弱な言を口にされるとは、天の国の王妃もお嘆きでしょう』とは、ポーラよりも先に双子を出産した男装の麗人の弁。

『ジルがそんなこと言いやがったら、口を縫い付けてアレを切り落としてやるのにねぇ』とは、歳の離れた夫へと嫁いだ女山賊の弁。

 

 これらの発言に、夫である勇者達は異を唱えようとしなかった。

 ウォルの気持だって分からないではないのだ。何せ、自らのお腹を痛めて子を育んだ女達と違って、男は種を撒いただけ、それからのことは完全に蚊帳の外なのだから。

 しかし、ここでウォルを庇っては、一体どのような雷が自分達に落ちるのか、分かったものではない。そして、嵐は大人しく避難して、通り過ぎるのを待つに限るのだ。

 結局、男達の中で、ウォルを庇おうという勇気ある者はいなかった。

 

『今回のことはお前が悪い。全面的に悪い。一度死んだと思って心を入れ替えろ、な?』とは、国王の幼友達であり、信頼すべき独騎長の弁。

『あの、陛下……お気を落とされずに』とは、国王の絶体絶命の危地を、命を賭して救おうとしたラモナ騎士団長の弁。

『出産の後は、猫だって気が立つものです。あなたはその髭を切り落として、傷口にからしを塗ったも同然。しばらくは雌猫たちの矢面に立つことを覚悟なされることですな』とは、こういうことに関しては一度だって小火を出したことのない、国王の従弟の弁。

『いや、名高きデルフィニア国王とはいえ、団結した女達には刃が立ちませんか。そこらへんはコーラルの宮中であろうがタウのあばら屋であろうが、変わらんもんですなぁ』とは、タウの荒くれ者を統べる族長の弁。

 

 彼らは遠巻きにそう言って、弱り切った国王の情け無い顔を肴に酒を飲んでいたりする。

 とにかく、本当の四面楚歌とはどういうものかを味わって、今後一切女を敵に回すことは慎もうと、ウォルは心に誓ったのだ。

 

「だから、もう許してくれ!罪があったことは認めるが、十分に罰は受けたのだ!」

 

 まさか事件の40年後に、こうも真摯な謝罪をしなければならないとは夢にも思わなかったウォルである。

 その、国王と呼ぶにはあまりに憐れな様子にリィも溜飲を下げたようで、体内の圧力を逃がすように鼻息を一つ吐き出すと、上げかけた腰を下ろした。

 

「まったく、お前ってやつは……。ほんと、おれがいなかったらどうなってたんだか」

 

 リィは心底呆れた様子でそう呟くと、傍らに置いたグラスを引っ掴み、その中身を空にした。

 シェラは無言で酌をした。自分の右側に腰掛けた少女が、これ以上無いくらいにその身を縮めてしまっているのが、どうにも可笑しかった。

 

「……で、ウォル。お前、その子とポーラを大事にしてあげたんだろうな?」

「当然だ!リィ、いくらお前でも、そこまで疑うのは酷いぞ!」

「冗談だ。怒るなよ、我が夫」

 

 くすくすと笑い、リィは炒った木の実を一つ掴み、口に放り投げた。

 こりこりと固い音を立てて噛み砕くと、ほんの少しの渋みと同時に濃厚な甘味を感じることが出来る。一つまみの塩が、その甘味をよりいっそう引き立てているようだ。

 リィは、もう一つ摘み、口の中に放り込んで、それから酒を飲んだ。

 美味い酒だった。それはきっと、酒の質以上に、他の何かが素晴らしいからだろう。

 

「では、他の皆様はどうされたのですか?お元気ですか?」

 

 これはシェラの言葉である。

 本当にそのことを聞きたかったというのもあるが、それ以上にこのまま国王夫妻を放っておくと、どんどん話が逸れていく気がしたからだ。

 事実、ウォルは気を取り直したような口調で言った。

 

「ああ、みんな元気だとも。イヴンとシャーミアン殿の間には男子が産まれた。ナシアスとラティーナ……いや、ジャンペール夫人の間にもだ。なんとも賑やかな年だったな。特にジル殿とアビー殿は子宝に恵まれてな、男子を出産された後に、なんと双子の赤ん坊を三度も授かったのだ。流石のジル殿も、三度目には目を回しかけていた。ロザモンド殿……ベルミンスター公爵などは天罰だと微笑っていたがな」

 

 懐かしい、あまりに懐かしくて聞くだけで暖かい気持にしてくれる名前の群れに、三人は顔をほころばした。

 彼らがこの世界に帰って、一年近い月日が流れている。それは、あちらの世界でウォルが体験した月日の流れに比べれば、ほんの一瞬と言っても過言では無いものである。

 たった一年。たったそれだけの間顔を見なかった人達の名前が、どうしてこうも胸を暖かくしてくれるのだろうか。人間嫌いであったかつてのリィであれば、こんなことはなかったに違いない。

 リィは、自身の変化に戸惑いながらも、しかしその変化をちっとも疎んではいなかった。

 そして、自身に宿った優しい感情を愛でながら、言った。

 

「そういうお前はどうだったんだ、ウォル。ポーラとの間に授かったのは、フェルナンが一人だけか?」

 

 ウォルは、照れたように頬に手をやり、おそらくは無意識にそこを撫で回した。

 少なくともリィがいた頃には、そんな癖は無かったから、無意識でやっているとするならリィが去った後についた癖だろう。こんなところにだって時の流れの違いは、しっかりと刻まれていたりする。

 

「その翌年に、女の子を一人。次の年にも、女の子を一人授かったよ」

「へぇ。それはめでたいな!でも、ポーラは大丈夫だったか?あんなに小さいから、大変だったんじゃないのか?」

「ああ。あれは自分が言うように、何より丈夫が取り柄な女性だった。子を産んで、気力も体力も使い果たしたはずなのに、翌日にはけろりとした顔で口いっぱいにパンを頬張っていたりするのだからな。まったく、リィ、お前の人を見る目は外れたためしがないな。ポーラはどこまでも、俺の妻に相応しい女性だった」

 

 リィは、口いっぱいにパンを頬張ったポーラが、その顔を愛すべき夫に見られてあたふたと慌てふためく様を想像して、思わず声を出して笑ってしまった。

 きっと顔を真っ赤にして、でも一度口に含んだ食べ物はきちんと良く噛んでから飲み込んだだろう。あの子は、絶対に食べ物を粗末にする性分ではなかった。

 ポーラの人となりを知るシェラとルウも、思わず吹き出してしまった。

 

「ちなみに、二人の女の子は、何て名付けたんだ?」

 

 やっとのことで笑いを収めたリィが言った。

 その質問を予想していたのだろう、ウォルは、少女には些か似つかわしくない不敵な表情でにやりと微笑った。

 

「上の子は、グリンダ・シャムス」

「……はぁ?」

「下の子は、シェラ・カマル」

「はぁぁ!?」

 

 先の『……はぁ?』がリィの声で、後の『はぁぁ!?』がシェラの声である。

 それも当然だろう。まさか自分の名前が、遠い異世界――彼らにとっては縁深い世界ではあるが――の王女の名前になっているなど、誰が想像しうるだろうか。

 それが偶然であればどうということはない。しかしこの国王に限って、そういうことはまずあり得ないだろう。

 全部分かっていて、その名を付けたはずである。

 

「何を驚く?偉人や英雄から名前を頂くなど、どこの国でもありふれた事だろう?」

 

 ウォルは、外見は何食わぬ顔を装いながら、しかし内心では楽しげに、狼狽える二人を見遣った。

 そして、期せずして名前を『頂かれて』しまった二人は、異口同音に、こんなことを言った。

 

「おい、ウォル!下はともかく、上の名前はどういうことだ!?」

「陛下!上のお子様はともかく、下のお子様の名前はどういうことですか!?」

 

 金銀天使は、色違いの瞳に剣呑な色を湛えて、右と左から少女に詰め寄った。

 

「シェラはともかく、おれの名前なんて付けて、その子が男みたいな性格になったらどうするつもりだったんだ!嫁の貰い手がいなくなるぞ!」

「リィはともかく、暗殺者如きの名前を王女に与えるなど、正気ですか陛下!?不吉にも程があります!即刻考え直して下さい!」

「そう言われても、既に二人とも、二児の母親なんだがなぁ……」

 

 ウォルはぽりぽりと頭を掻いた。

 リィとシェラははっとした。

 確かに、ウォルがその子達を授かったのは、あちらの世界では遠い昔のことである。今更文句をつけたところで何が変わることでもないのだ。

 二人は、如何にも不平そうな顔で黙り込んでしまった。その顔たるや、おあずけを言いつけられた空腹の子犬さながらである。

 

「……ウォル。お前は卑怯だ」

「……はい。私もそう思います。私などの名前をつけられては、王女様があまりに憐れです」

 

 ここまで言われると、ウォルとしても反論しなければ愛娘の名誉に関わる。

 

「おいおい、そうは言うがな。シャムスもカマルも、遠国にまで聞こえるほどの美姫だったのだぞ?年頃になったときには、縁談の引く手が数多過ぎて、俺もポーラも辟易したほどだ」

「……それは大変だっただろうなぁ」

 

 それはリィも実際に体験したことだったから、その声にも決して同情や憐憫でないものが含まれていた。

 確かに、年頃の王子や王女は政の道具として珍重される。固い同盟関係を作るに、血縁ほど手軽で信用できるものもないからだ。

 ましてその道具が、万里に響く程に美しく、そしてタンガとバラストの二大国を抑えてなお飛翔せんとするデルフィニアの王女であるならば、他の国が放っておくはずがない。

 きっと、リィの時に、更に輪をかけたような大騒ぎだったに違いないのだ。

 

「じゃあ、二人とも他の国に嫁いだのか?」

「うむ。シャムスはタンガのビーパス王に、カマルはサンセベリアの、オルテス王とリリア殿の息子、現在のサンセベリア王たる方の元に嫁いでいったよ」

 

 ウォルは、そう嬉しそうに言った。

 リィも嬉しそうに頷きながらも、しかしその表情のどこかに寂しげなところがあった。

 ウォルは、すかさず言った。

 

「政略の道具として扱われた彼女達が憐れか?」

 

 リィは肩を竦めた。

 リィとて、何の間違いか、一時は王女として、そして王妃としての地位にいたのだから、それらがどういうもので、どういうさだめにあるのかを知らないわけではない。

 王女としての生を受け、蝶よ花よと愛でられる。王と王妃は彼女達に惜しみない愛を注ぎ、周りの人間も傅く。

 しかしその代償は、将来、見たことも、下手をすれば聞いたことすらない国の、得体の知れない王子との結婚を強制されること。いや、結婚と言えばまだ聞こえが良すぎる。

 つまるところ、王族同士の結婚は契約の一種である。そして王女は、契約書のインクか筆か、そこらと同じだ。それが無ければ契約が結べないが、別にそのインクでなくとも契約は結べる。

 好きな相手と結ばれることが出来ない。それは当然である。しかし、その個性すらを、人間性すらを認めて貰えないとなれば、それは憐れといって差し支えないものなのではないだろうか。

 リィはそう思い、結局何も言わなかった。

 自分の同盟者ならば、何も言わずとも分かってくれると思ったからだ。

 然り、ウォルは全てを察していた。そして言った。

 

「お前の想いはもっともだがな。俺の娘の場合、それは見当外れな同情だぞ」

「はっ?」

「あれは、二つとも、政略結婚に名を借りた恋愛結婚だ。全く、あのときはどれほどに頭を悩ましたものか……」

「へ、陛下。しかし、カマル王女のほうはともかく、シャムス王女はタンガに嫁いだのですよね?」

 

 シェラが遠慮がちに尋ねた。

 

「ビーパス王子……いえ、ビーパス王は、我々があちらの世界にいたときで二十歳に手が届こうかというお年だったはず。では、シャムス王女が嫁がれたときは……」

「確か、ビーパス殿が35歳、シャムスが14歳だったかな?」

 

 14歳と言えば、王族が輿に入るに早すぎる年齢とはいえない。両手の指の数に届かぬ年齢で配偶者を迎える王族は、決して珍しいものではないのだ。

 しかしそれは、政略結婚の場合のみである。

 恋愛結婚においては……この年の差をどう考えるべきだろうか。

 流石に口籠もったシェラであったが、リィはもっと勇猛果敢であり、何より直接的であった。

 

「ビーパスはロリコンだったのか?」

 

 シェラとウォルが、口に含んだ酒を同時に吹き出した。そして盛大に噎せ返った。

 二人が同時にげほげほと咳き込むものだから、狭い山小屋の中はとたんに騒々しくなってしまった。窓の外で、鳥が飛び立つ音まで聞こえる始末である。

 嵐のような時間が過ぎ、やっとのことで人心地をついたウォルが、恨みがましい視線で自分の妻を睨みつけた。

 

「おい、リィ。お前、言っていいことと悪いことの区別もつかんのか?仮にも相手は一国の王だぞ?お前が元の身分で、そして公式な場の発言であれば、これが原因で戦争に発展してもおかしくない無礼だ」

「お前こそ無礼な奴だな。おれだって時と場所くらいは弁えた上で口を開くさ。元の身分の時だってそうだっただろう?」

 

 そう言われるとウォルとしても返す言葉がない。

 確かに、あちらの世界でのリィは、とんでもない『役者』であった。

 馬に跨れば一騎当千の女武者、農民の姿に身を窶せば凄腕の細作、行者装束を纏えばどのように堅牢な城にでも潜り込み、輝くようなドレスだって誰より優雅に着こなしてみせる。

 ウォルは重たい溜息を吐き出した。

 

「お前がそんなだから、俺はあんな苦労を背負い込む羽目になったのだ」

「……一体何だよ、藪から棒に」

「まぁ聞け。お前がいきなり天の国に……まぁこの世界に帰ったおかげで、国中に大混乱が起きた。それはそうだろう、デルフィニアの守護神が天に帰ってしまったのだからな。これでデルフィニアは終わったと嘆く者も、冗談では済まされない数いたほどだ」

「なんて勝手な奴だ。おれがいるときは、やれ野蛮だ、やれ王族には相応しく無い、やれ女らしくしろって口うるさく言っておいて、いざいなくなったらそれかよ。それに第一、おれは最初から言ってたじゃないか。時が来れば自分の世界に帰るって」

「リィ、お前その台詞を、お前がいなくなった直後のポーラを見ても言えたか?」

 

 ウォルの言葉に、リィは口をつぐんでしまった。

 

「あれはな、お前が国に帰ったと聞いて、本当に心を痛めていたのだ。最初に俺が伝えたときは頭から信じようとしなかったし、どうやらそれが事実らしいと理解したときには卒倒して気絶しかけた。その後も泣いて泣いて、泣き伏せって。妊娠中だというのに食事も喉を通らぬ有様だったのだ」

 

 リィは、この少年には珍しく、母親に叱られた幼児のように俯いてしまった。

 

「でも、急な話だったんだし……」

「あのとき、俺の耳を引っぱって芙蓉宮に連れ帰った時に、まだこの世界に帰るつもりがなかったとは言わさんぞ。事実、お前はバキラの狼たちには別れを告げていたそうではないか」

「……」

「確かに、お前は時が来たればこの世界から離れると言っていた。それでも、別れ方と言うものが在るだろう。男連中はともかくとして、せめて妊娠中のポーラには気苦労をかけないような別れ方というのもあったのではないか?」

「……ごめん。あの娘を泣かせるのが、怖かったんだ」

 

 確かに、どれほど上手に言い含めたところで、ポーラはリィを引き留めただろう。何せ、彼女の中のリィは、ほとんど神聖化されていたに等しいほど絶対的なものだったのだから。

 それでも帰ると言えば、間違いなくポーラは泣いたはずだ。泣き喚いたはずだ。

 だが、それを承知の上でも、きちんとお別れを言うべきだったのだ。少なくとも、普段のリィであればそうしていたはずだ。何より、それがお世話になった人達への最低限の礼儀であるはずなのだから。

 それをしなかったのは、きっとリィの中にも、あの世界に対する一抹の未練があったからだろう。

 

「……まぁ、それはいいのだ。何度も言うが、ポーラは強い女性だ。ひとしきり落ち込んだ後は、きれいに吹っ切れたよ。こんなに情け無い姿を、いつかこの世界に戻ってきて下さる王妃様にお見せするわけにはいかない、とな。だから、それはいいのだ。しかし問題はだな……」

「……まだあるのか?」

 

 リィはうんざりした様子だった。

 確かに、今からでも自分が何とか出来る問題であるのならば、この少年にとってはものの数ではない。どのような困難事であろうと、その腕力と知力に任せて解決してみせるだろう。

 しかし、それが遠く離れた世界の、しかも既に終わってしまったこととなると話は別だ。ラー一族に迎え入れられるほどに常識離れした力を持つ少年であるが、それでも出来ることと出来ないことというものがある。

 

「ただでさえお前を慕っていたポーラだ。その上お前があのような消え方をしたものだから、真剣にあの方は軍神の現し身だったのだと思い込んでしまった」

 

 無理もない。

 何せリィは、万を超える軍団の戦闘のまっただ中で、いかづちは落とすは竜巻は起こすわ巨大化するわの大暴れの後で、夫婦の契りを結んだ国王を祝福して、大空に消えていったのだ。事情を知らない人間が見れば、どう考えても神様にしか為せない業である。

 正直、少しやりすぎたかと思わなくもないリィは、気まずそうに首の辺りを撫でさすった。

 

「で、大事なのはここからだ。お前を敬愛し、心酔しているポーラが、一時はお前もそうだった王女を教育するに、一体どのような方針をとったか、一々説明しなければならないか?」

「……一応説明してくれるか?」

「……デルフィニア王女は、武勇をもって尊ぶべし。決して男に守られる弱い存在である無かれ」

 

 あり得ない。

 決して、王女を育てるための標語などではない。これは、騎士団か、それとも貴族がその子弟を鍛え上げるときに掲げるべき標語だ。

 ウォルは、盛大な溜息を再び吐き出した。今度は、リィとシェラもそれに倣った。

 

「……うん、なんていうか、ごめんな、ウォル」

「……フェルナンもな、決して弱い男の子ではなかったのだ。年の近いユーリ―などと手合わせをしても引けを取らなかった。それなのに、あの二人にかかっては……」

 

 もう、気の毒すぎてそれ以上は聞けないリィとシェラである。

 ただでさえ女連中には痛い目を見せられたウォルであるから、ポーラには頭が上がらない。それに加えて、数少ない男の味方である息子が、女である娘達にこてんぱんにのされるのを目の当たりにした日には……。

 何の因果か、今は少女の姿をしたウォルの目に、光るものが浮かんでいたのだって気のせいではあるまい

 

「……そんな娘だからな、他国に嫁がせるのはどうかとも思った。しかし、自国の貴族に嫁がせたのでは、アエラ姫の例がある。将来に禍根を残さんとも限らん。どうしようかと思い悩んでいたときに、タンガ国王の歓迎式典が執り行われた。当然、年頃の娘達も臨席したのだが……」

 

 リィは、おそるおそると尋ねた。

 

「……どちらからだ?」

「……シャムスからだ」

 

 ウォルは、そのときの事を思い出して、青ざめていた。

 

「普段は、人前では楚々とした様を崩さないシャムスが、突然に席から立ち上がったと思ったら、ビーパス王を指さして言うのだな。『これより明朝、互いの名誉を賭けて正々堂々と一騎打ちをしろ』と」

 

 ……そこまでいくと自分のせいではなく、その少女の生来の性格ではないかと、流石のリィも思った。

 それでも、一応は尋ねた。

 

「……なんで?」

「自分の夫は、自分より強いものでなくてはならないから、だそうだ」

「……なぜに?」

「俺とお前がそうだったから……とはポーラの弁だな。どうやら、お前と俺とでした、あの大喧嘩が城中の語り草になっていたらしい」

 

 あのとき、バルロとブルクスは厳重な箝口令を敷いた。しかし、この手の話題は、どうやって取り繕うとしてもどこかから漏れ出てしまうものだ。特に男と女が絡んだ話になるともういけない。

 取り締まる方も、一体どこから漏れ出たのか分からないし、第一、どれほど高貴な身分の方々のお話とはいえ、所詮は夫婦喧嘩である。結局大事には至らなかったのだし、その程度のことで部下や同僚の首が飛ぶとあっては、血相を変えて取り締まるのも憚られる。

 故に、ウォルやリィは知らなかったが、結構早い段階であの『夫婦喧嘩』は、細かい事情を抜きにしたところで衆目の知るところとなっていたのだ。

 

 それも、ウォルの武勇伝として。

 

 これもまた無理はない。

 これが仮に、花も摘んだことのないように細腕の王女を相手に暴力を振るったというのであれば、諸国に名高いデルフィニア国王の名にも傷が付こうというものだが、何せ相手が『あの』グリンダ王妃である。

 ロアの黒主を乗りこなし、美技を誇るラモナ騎士団長に剣技で勝り、剛力無双の副団長を力のみで正面から打ち破り、槍においてはヘンドリック侯爵をねじ伏せ、武勇豪傑で知られるティレドン騎士団長を寄せ付けもしない。

 これが本当に一人の人間の評判かと疑うような、いっそ妄想癖をもった気狂いが語る武勇伝としたほうがしっくりくるような恐るべき武勲であるが、事実これはただ一人の少女の武の誉れを謳ったものである。

 その少女こそ、デルフィニア国王妃、グリンディエタ・ラーデン。

 ならば、その王妃を、素手とはいえ正面から闘って叩き伏せたのだ。

 しかも、偉大なるデルフィニア国王、ウォル・グリーク・ロウ・デルフィンが。

 闘神の娘を調伏できるのは、どう考えても闘神のみである。

 ならば、この国の王様は、闘神の現し身ということになるではないか。

 国民は、この話を好んで語った。この国は、神々に愛されているのだと。

 

「……とにかく、何をどこでどう間違えたのかは知らんが、シャムスは、デルフィニア王女が嫁ぐのは、王女よりも強い男でなければならんと、そう思い込んでいたらしい」

「……酷い話だ」

「うむ。しばらくの間は悪夢で魘されたぞ。あの阿呆な事件が切欠で、再びタンガとの間に戦火が巻き起こる、最悪の悪夢だった」

 

 自分の娘の行いが原因で人死にが出れば、親としては首を括るしかない心境である。

 実際、ウォルはその時、生きた心地がしなかった。

 

「……で、ビーパスは、あのそばかす王子はどうしたんだ?」

 

 リィは、たった一度だけ顔を合わせた、幼さと聡明さを等分に含んだ灰色の瞳を思い出していた。

 あの気性のまま健やかに成長したのであれば、さぞ良い国王に、そしてウォルの友人になってくれただろう。

 

「真剣な面持ちで頷いた。その申し出、受けて立とう、と。そして言ったのだ。『私が負ければタンガはそなたのものだ。その代わりに、私が勝てばそなたは私の嫁となれ』とな。その時のシャムスの真っ赤に染まった顔、お前にも見せてやりたかったくらいだ」

 

 自分が負ければ、タンガの王妃に。

 そして勝ったならば、タンガの女王に。その場合、夫になるのは無論、目の前の国王だ。

 要するに、可憐な王女の一世一代の告白劇は、勝負の前に想いが成就していたのだ。

 騒ぎが収まった後、珍しく真剣な顔で叱責する父親の前に立っても、シャムスの表情が弛緩したままだったとして、仕方のないことだろう。

 

「で、結果は?」

「あれは、タンガに嫁に行ったのだ。決して婿を迎えに行ったのではない」

 

 要するに、ビーパスの勝ちだったらしい。それが、シャムスの手心(下心とも言う)によるものなのか、それとも真実ビーパスの武勇によるものだったのかは、闘った当人同士にしか分かるまい。

 ただ、タンガに嫁いだ後のシャムスは、それまでのおてんばを嘘のように潜めさせて、常に夫を前に立てるお手本のような王妃として振る舞い、タンガ国民に愛された。その変化が、特大の猫を被り続けたことによるものなのか、それとも愛する男の胸に抱かれたことによる心境の変化なのかは、それこそ当人にしかわからないことである。

 そして、一つだけ間違いないのないこと。

 それは、彼女は自分の見たこともない異国の地で、確かな幸福を勝ち得たということだけだ。

 

「……じゃあ、下の子も、シェラもそんな感じか?」

「そっちの名前で呼ばないで下さい……」

 

 シェラが、居心地悪そうに言った。

 

「カマルは……もっと酷い」

 

 ウォルが、体育座りをして顔を埋めてしまった。

 もう、これ以上のことを聞くのは躊躇われたが、ウォルは壊れたラジオみたいな調子でしゃべり続けるのだ。

 

「……一目惚れは構わん。一向に構わん。ならば、俺かポーラに言えばいいのだ。俺だってそれなりの地位にいるのだから、男女の仲を取りなすことくらいは出来る。なのに、なのにカマルは……」

「……一体どうしたんだ?」

「……夜這いをかけに行った」

 

 ……もはや、言葉も無いリィとシェラである。

 

「……隣の屋敷に忍び込むのならば、何とか我慢もしよう。だがな、デルフィニアの広大な大地を馬で一人駆けし、バラストの関所を突っ切り、サンセベリアに忍びこみ、あまつさえ城壁を乗り越えて王子の部屋に忍び込んだのだぞ!これが王女の所行か!?」

 

 王女の所行ではない。

 しかし、王妃の所行ではある。

 そして、当の王妃たる少年は、居心地悪そうに視線を泳がせた。

 

「あー、と、もしかしてそれも……?」

「……俺は知らなかったのだ。ただ、ポーラが……ポーラが……」

 

 ――デルフィニア王女たるもの、城壁如きに行く手を阻まれてはなりません。

 ――そんなことでは、愛する人が敵の手に落ちた時に、お救いにあがることも出来ませんよ。

 

 ……知らぬは男ばかりなり、である。

 

「……で、どうしたんだ?」

「……後一歩というところで、ダルトン殿に取り押さえられたらしい。その時、サンセベリア王子は下着を剥がされ、真っ裸だったそうな」

 

 おそろしい話である。

 これも、一歩間違えば、いや、間違えなければ国際問題となっているはずだ。

 

「……そんな話、誰から聞いたんだよ」

「……当人が悔しそうに言っていた。あと一歩だった、とな」

「……で、どうしたんですか?」

「……内密に、そして丁重に送り返されてきた娘を北の塔にぶち込んだ国王は、後にも先にも俺だけだと思う」

 

 北の塔は、ウォルの治世になってからは決して呪わしい場所では無くなっているが、しかし住み心地快適な場所とはとても言い難い。

 何よりウォルにとっては、自らの父の命数を奪い取った、忌まわしい場所である。

 そこに娘を軟禁したのだから、その時のウォルの怒りがどれほどか、推して知るべしだろう。

 

「……でも、その子はサンセベリアに嫁いだんだろう?」

「……カマルを北の塔に叩き込んで三日後に、サンセベリアの使節団がやってきた。俺はてっきり、この不始末の責任を取らされるのだと、戦々恐々とした。あの老練なブルクスだって匙を投げたのだ。陛下、この際どのような無理難題を突き付けられようと、サンセベリアの言うとおりになさいませ、とな」

 

 リィがいた頃だって、すでに熟練と呼ぶに相応しい外交手腕を誇っていたブルクスである。その後、タンガやバラストとの戦後処理の折衝や、サンセベリアやキルタンサスとの友好関係の構築、スケニアに対する牽制など、ブルクスの腕前は神技と言って良いものだった。

 そのブルクスが、完全に匙を投げたのだ。この、どう考えても冗談ごとにしか思えない事態が、その実どれほど深刻なものであったか、その一事だけで窺い知れようというものだ。

 

「彼らは言うのだ。陛下は、かかるような事態を引き起こした責任を如何にしてとられるおつもりなのか、とな。もう、あのときの俺は生きた心地がしなかったよ。正直、五年は寿命が縮んだと思う」

 

 あちらの世界での天寿を全うしたウォルが言うと、どうにも冗談に聞こえない。

 

「彼らの先頭に立ったダルトン殿がな、如何にも意地の悪い顔で言うのだ。事ここに至れば、貴国の責任の取りようは一つしかないでしょう、とな」

「……なるほど。要するに……」

「我が国の宝であるテオドシウス殿下の貞操を汚した償いとして、貴国の王女を王妃に迎えたい。それがサンセベリアの要求だった。……全く、馬鹿らしい。最初からカマルの策略通りにことが運んでしまったのだ」

 

 つまり、こういうことだ。

 自分の容姿と才覚に自信のあったカマルは、一度先方に自分を印象づけることさえできるならば、相手の心を射止めることができると確信していた。

 そして、出会い方は強烈であればあるほどにいい。

 結果、彼女が選んだのは、数ある方法の中でも極めつけに強烈であり、そして不穏当なものだった。一体どこの誰が、他国の王女が自分の居城へ、夜這いをかけに来ると思うだろう。

 もし思っている者がいるとすれば、歪んだ妄想癖を持つ危険人物である。即刻廃嫡した方がいい。

 サンセベリアのテオドシウス王子は、そのような危険人物ではなかったから、大いに驚いた。

 驚きすぎて声も出ないほどだった。

 もし不埒な侵入者が男であれば、例え敵わずとも王家の誇りを見せるため、一太刀は浴びせただろう。その前に、大声で増援を呼ぶことだってできたはずだ。

 しかし、名前の通りの月光に照らされたデルフィニア国第二王女は、そんな当たり前の対応を忘れさせるほどに美しく、ただ美しかったという。

 年頃の男と女が、一つの寝台の上で語らう。

 そこで、一体どのような会話が交わされ、そして王女が王子を押し倒したのか、それはわからない。

 ただ、それまで女っ気の無かったテオドシウス王子は、父と母に対して宣言したのだ。

 デルフィニア国第二王女、シェラ・カマル・ウル・デルフィンを妻に娶りたい、と。

 そして使わされた使節団である。その先頭に立っていたのが国王の腹心であるダルトンであったのだから、サンセベリアもこの機を逃すまいと必死だったのかも知れない。

 ここまで事態がお膳立てされては、もはやウォルに選択肢はない。言葉の通り、まな板の上の鯉である。それどころか、あのように過激な娘を大事にしてくれるのであれば、渡りに船というものだろう。

 ウォルは、ブルクスの勧め通り、一も二もなく頷いた。ウォルは結局最後まで知らなかったのだが、実はブルクスにも手回しが済んでいたりする。

 カマルからすれば、正しく『計画通り』である。

 

「……とても、お前とポーラの間に生まれた女の子とは思えない」

 

 リィは、驚きや呆れを通り越して、寧ろ感心したように言った。無謀や無思慮、無遠慮や無鉄砲もそこまでいけば立派である。

 

「陛下、ではその後、カマル様はサンセベリアに嫁がれたのですか?」

「その後ではない。正にその日だ」

 

 シェラもリィも、言葉を失った。

 無言で、どういうことかを尋ねた。

 

「……ポーラは、全てを知っていたらしい。知っていてカマルの夜這いを見送り、そして北の塔から会見の場にこっそりと連れ出したのだ」

「……おれはポーラのことを誤解していたんだろうか……?」

「しかも悪いことに、使節団の末席に座っていたのが今回の事件の被害者、サンセベリア第一王子、テオドシウス殿だったようでな……俺が二人の婚姻を認めた途端、飛び出してきたカマルと抱き合って、誓いの接吻を済ませてしまった。全く、抗議の声を入れる間もなかったよ」

 

 少女は、漂白された綿布のような顔色で、薄ら笑いを浮かべていた。

 この、太陽のように朗らかで明るい少女にはどうにも似つかわしくない微笑みだったので、リィとシェラも気圧されたように仰け反った。

 この人は、国王として、一体どのような気苦労を背負い込んできたのか、同じく苦労性のシェラなどは、同情の念が隠せない。

 慰めるような口調で言った。

 

「で、でも、お二人ともお幸せになれたんですよね」

「うむ!それがな、二人が産んだ孫も可愛いのだ!目に入れても痛くないとはこのことだな!子供は憎らしくても孫は可愛らしいというが、あれは本当だぞ!」

 

 ウォルは別人のように顔を輝かせた。

 ぱぁぁっと、雲間に光が差したような、いっそあっぱれな様子であった。

 リィは『子供は憎らしくても』の部分に突っ込むのは止めようと誓った。

 そして言った。

 

「そっか……。じゃあ、色々あったらしいけど、みんな幸せだったんだな」

「その通りだ。本当に、色々あった。神々の名を呪った時もある。それでも、みんな幸せだったと思う。これがお伽噺なら、きっとめでたしめでたしで締めくくられる物語だ」

 

 ウォルは、誇り高く言った。

 それは、無二の同盟者から世界を託され、守りきった英雄の、誇り高い言の葉だった。

 リィもしっかりと頷いた。自分の同盟者を誇るように、しっかりと。

 シェラも、嬉しそうに頷いた。自分を育んでくれたあちらの世界が幸福に満ちていた――少なくとも自分の知る人達は――ならば、それは祝福に値する出来事であるはずだった。

 その場にいた全員が、無言でグラスを手に取り、赤々と光るランプの上で鳴り合わせた。

 

 ……と思った。

 

 しかし、重なったのは三つのグラスだけで、その場の人数と比べると、どうやら一つ足りなかった。

 シェラは、気遣わしそうな表情で、もう一つのグラスの主に問いかけた。

 

「あの、どうしたのですか、ルウ」

「……僕の、僕の名前だけ、ない……」

 

 黒の天使は、その渾名に相応しい漆黒のオーラを身に纏い、盛大にいじけていた。

 どうやら、リィとシェラの名前が子供につけられたのに、自分の名前がつけられなかったことが悔しいらしい。

 漆黒の髪の毛がウネウネとうねり、辺りに不吉な気をまき散らす。

 これには、流石の三人も、ちょっとひいた。

 

「あ、あのだな、ラヴィー殿。確かに悪かったが、しかし貴殿の名を用意してはいたのだぞ?ルーファス・ステラ・ウル・デルフィン。いい名前だと思わんか?」

「あれ、ルーファの名前だけ、性質と違うんだな。おれは太陽でシェラは月なのに」

「うむ。これほど明るく、そして優しいかたの名を冠しておいて、次に続くのが『闇』ではどうにもしっくり来なくてな。二人と合わせるために、星と付ける事にしていたのだが……。何せ、二人の娘がとんでもないおてんばで、乳母泣かせで……。俺もポーラも、その世話にかかりきりになってしまい、とても次の子を設けている暇など無かったのだ。許してくれ、ラヴィー殿」

「……わかったよ、許して上げる、王様。だから、一つだけ、僕のお願いも聞いてくれるかな?」

 

 ウォルは小首を傾げた。

 しかし、不思議そうな顔をしたまま、頷いた。

 

「僕のこと、みんなみたいにルウって呼んで欲しいな。ラヴィー殿っていうのも王様らしくて好きなんだけど、ルウの方が可愛いから好きなんだ」

「なるほど、それは重大なお願いだな」

 

 名前には拘る二人である。

 決して『その程度のお願い』というわけにはいかない。

 だから、ウォルは真剣な面持ちで、言った。

 

「では、これより卿のことを、ルウと呼ぶことにする。それでいいか?」

「うん!やっぱり王様っていい男だね!」

「あ、こら、抱きつくな!俺は男に抱かれて喜ぶ趣味は……あ、そこは触るな!」

「うーん、王様の胸、ちょっと固いけどふかふかー!」

 

 とんだセクハラ青年であったが、しかし当人に疚しいところがないから、ウォルとしても怒るに怒れない。

 結局、ルウに為されるがままであった。

 そして、ころりと寝転がされ、ルウに膝枕してもらう格好になり、諦めたように呟いた。

 

「……本当、俺はルウのことがよくわからない」

「そんなの、僕だってそうだ。僕は、ラーデンガー・ルーファ・ルーファセルミィのことを、ちっとも理解できてないよ?本人だってそうなんだから、いくら王様にだってわかるはずがないでしょう?」

「それもそうだが……大切な友人のことだからな。少しでも多く知りたいと思うのは、いけないことか?」

「ううん、ちっとも」

 

 ルウは大きく首を振った。

 その度に艶やかな黒髪が流れるように宙を舞い、蝋燭の炎を反射してきらきらと輝く。

 ウォルは、星々の輝きが如きそれを、うっとりと見つめた。

 

「……卿の名に星を従わせようとしたのは、どうやら間違いではなかったらしい」

「うん?何か言った?」

「いいや、何も」

 

 ウォルは苦笑し、寝転がった体勢のまま行儀悪くグラスを傾けた。

 無理な体勢で口を開いたから、少しだけ酒が零れて、ルウの太腿を汚した。

 ルウはそのことに気がついたが、少しも怒らなかった。この夜に起きたことなら、きっとどんなことだって許してしまうのだろう。

 

「少し、話し疲れた。今度はお前達の話を聞きたいな。俺がいないこの世界で、一体どんなことがあったのだ?」

 

 自分以外の三人、金銀黒と三色揃った天使たちが、平穏無事な生活を送ってきたとはちっとも信じていないウォルである。

 リィは、自らの夫の言葉に一度頷き、楽しそうに口を開いた。

 

「驚くなよ、ウォル。実はな、こっちの世界でも友達が出来たんだ!」

「友達?狼か、それとも馬か?」

「違う。でも、極めつけにぶっそうだ。ケリーとジャスミンっていうんだけど……」

 

 少年と少女、そして青年の、楽しそうな声は途切れることはない。

 この静かな夜に、いつ終わるともなくこだまし続けた。

 それでも、物事には終わりがある。始まりがあれば、その終わりがあるのは必然である。

 やがて、夜に、静寂がおりた。

 遠くでフクロウが鳴き、どこかで狼が遠吠えを放つ、冷たい夜。

 そこに抜け出した、小さな影は少女のものだ。

 ウォルは、みんなが寝静まったのを確認してから、こっそりと部屋を抜け出した。

 今は、一面の草むらを寝台にして、満天の星空を見上げている。

 少女は、自分の見知った星座を探そうとして、諦めた。

 そこには、あちらの世界の四季で見られた、あらゆる星座がなかった。無論、こじつけて作ろうと思えば似たようなものはいくつも作ることができるが、しかし全く同じものは一つとしてない。

 当たり前だ。何故なら、この星は自分が住んだ、自分を育んでくれた星ではない。

 そして見上げる夜空だって、何一つ自分を覚えているものではないのだ。

 

 ――自分は、寄る辺を求めて彷徨う旅人である。

 

 何とも幼稚な感慨であったが、不思議と今のウォルの胸に染み入るものが在った。

 暖かいものが、頬を目尻を伝い、こめかみを流れ、湿った地面の上に流れていった。

 その感覚は、少女の知っている、懐かしい感覚だった。

 

「なんだ、泣いているのか、ウォル」

 

 少女は、顔を上げることすらなかった。

 ただ、目の前の夜空を見上げていた。

 それは、隣に誰かが寝そべっても、同じことだ。

 何故なら、其所にいるのが誰か、圧倒的なまでにわかりきっているのだから。

 

「そうだな、俺は泣いているのだ、リィ」

「まるで女の子みたいだ」

「まるでではなく、今の俺は女の子なんだぞ。知らなかったのか?」

「いや、知っていた。少し意地悪だったな。謝るよ」

 

 ウォルは笑った。

 リィも微笑った。

 彼らの回りの夜が、少しだけ騒がしくなった。

 もう少しだけ、夜の闇は続くようだった。

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