懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第三十一話:Hänsel und Gretel

「だから、そいつは俺のモンなんだってば!財布でも何でもそうじゃねえか、道ばたに落っこちてるモンはな、最初に拾った奴がそれを貰う権利があるんだ!」

「すまん、ヤームル殿。醤油を取ってくれんか?」

「はい、どうぞ」

「すまんな」

「なら、俺のモンを俺がどう扱おうが俺の勝手だろうが!売っぱらおうがドレイにしようが、誰にも文句の言われる筋合いじゃねえぞ!」

「お、ウォル。お前、目玉焼きには醤油派か。あたしは断然ソースだぜ」

「ソースも中々乙な味だが、少しスパイスが邪魔をするな。俺は、この、醤油とかいうものシンプルな味が一番好きだ」

「はっはっは、お嬢様方はまだまだ甘い。目玉焼きにはマヨネーズ。これこそ、至高にして究極、この世における唯一の真理と言っても過言ではありますまい」

「げっ、ヤームル、マジか!?しかも、そんなに大量に……!」

「だからな、ウォル!お前はこれから、俺のことをご主人様って呼べよ!そんで、俺の命令には絶対服従だ!……おい、聞いてんのか!」

「確かこの、『まよねーず』というものの材料も卵だと聞いているのだが……それでは味がダブってしまうのではないのか?」

「ダブるのではありません。卵とマヨネーズの相乗効果によって、より高みへと舞い上がるのです」

「お前ら、俺の話を聞けー!」

「そうか、ヤームル殿がそう仰るのなら、俺も一度……。ん、インユェ、その目玉焼きはいらんのか?なら俺が……」

「あー!俺の目玉焼きー!ウォル、てめえ、ドレイの分際でご主人様のメシに手を出すたぁ、いい度胸じゃねえか、覚悟は出来てんだろうな――」

「なんだクソチビ、腹が減ってねぇならそう言えよ。あたしがきちんと処理してやるからさ」

「おい、姉貴、それは俺の納豆――!」

「まったく、朝食は一日の動力源。それを疎かになさるとは、御館様も草葉の陰でお嘆きのことでしょう……」

「ヤームル!ふざけたこと言う前に、その塩鮭を返せ!ウォル、てめ、ほうれん草のおひたしは俺の好物、姉貴、その海苔は、待て、お前ら、ちょ、せめて味噌汁だけは残しておいてくれぇ!」

 

 少年の悲しげな慟哭が、狭い船室の中に響き渡り、最後に宇宙の虚無に溶けていった。

 

 

「ああ、うまかったなぁ。やっぱり、朝は納豆と味噌汁と白い飯だなぁ」

 

 起き抜けの腹の虫を満足させたメイフゥが、のんびりとした様子で言った。

 彼らの朝食に使われた食材は、当然、元からこの船に積んでいたものではない。何せ、この船の船員達は、冗談ではなく餓死の一歩手前だったのだから、およそ人が口に出来るものは悉く姿を消している。

 卵や米、各種調味料に、納豆の原料となる豆。それらは、途中に立ち寄った星で鹿肉と物々交換を行い手に入れたものである。この時代、物の流通には当然の如く貨幣が用いられるが、星の性格によってはまだまだ物々交換が通じる場所も、結構あるのだ。

 昨日の夜に、長い眠りから目が覚めたばかりのウォルも、旺盛な食欲を発揮して、自分のために用意された朝食を全て平らげた。そして、一度シャワーを浴びて汗を落とし、きちんと着替えた。

 ウォルは着替えの持ち合わせなどなかったので、服はメイフゥのお下がりの紬である。

 派手好きのメイフゥの例に漏れずその紬もけっこう華いだもので、淡い桜色の生地に鮮やかな紅色の花がいくつも刺繍されていた。

 古い箪笥の中から目当ての品を引っ張り出したメイフゥは、自分の腰の辺りに手を当てて、

 

『あたしが、こんながきんちょの時分に着てたやつだ』

 

 機嫌の良い顔で、ウォルに自分のお下がりを押し付け、見慣れぬ装束に戸惑うウォルに着させてやった。

 確かに、すらりとした長身のメイフゥには小さくなりすぎた紬だ。だが、今のウォルが着ると少し大きい。メイフゥには、『こりゃあ七五三だな!』と笑われてしまった。ウォルには一体何のことだか分からない。

 しかし、ウォルは初めて袖を通すこの不思議なかたちの服を結構気に入っていた。見た目に色鮮やかで意外に軽く、何より着心地が良い。

 それに、ウォルの腰まで届く癖のない黒髪と、凛とした漆黒の瞳が、華やかな色合いの紬の上で良く映えるのだ。

 メイフゥは悪意無く笑ったが、男性陣はただただ感嘆の溜息を吐き出すばかりであった。

 ぼうっとウォルを見つめるインユェをよそに、一足先に我に帰ったヤームルが、自慢の孫を褒めるかのように言った。

 

『よくお似合いですぞ、ウォル。この爺の目には、どこぞの姫君のように映ります。いや、あと五十年ほども若ければ、必ず声の一つもかけたでしょうに、口惜しいことです』

『うーむ、そういう褒められかたは何とも複雑だなぁ』

 

 ウォルは苦笑するばかりである。居候の身分、服に贅沢を言えるわけでもなし、別に嫌々着ているわけではないのだが、やはりまだ女としての自分を褒められても素直に喜ぶことができない。

 

『いえ、何をご謙遜なされるか、まったき事実を述べたまでのこと。お坊ちゃま、これお坊ちゃま。これほど美しい女性を目の前にして、何か一言、言うべき事があるのではありませんかな?』

『え、うん、ああ、そうだな……。ま、まあ、悪くはないと思うぜ、そういうのも』

 

 顔を真っ赤にしたインユェは、おそらく気の利いた台詞でも吐こうとしたのだろうが、途中でどもってしまって大したことは何も言えなかった。

 先ほどまで、自分のおかずを横取りしていたウォルに、どんな仕置きをしてやろうかと、色々と暗い妄想をしていたのに、それらが全て飛んでしまっていた。

 その様子を見たヤームルは、額に手を当てて、

 

『……お坊ちゃま。そのような台詞で女性の心を射止めることが出来るとお思いか。ああ、御館様であれば千の薔薇にも勝る麗句でもって女性の美を褒め称え、たちまちにその心を我が物としていたでしょうに……』

『う、うるせえ!いいだろうが、どうせこいつは俺のドレイなんだからな!俺のために綺麗でいるのだって、ドレイの義務だ!』

 

 もう、ヤームルは言葉も無かった。メイフゥとともに、盛大な溜息を吐き出すばかりである。

 しかし当のウォルは、まだまだ顔の赤いインユェに向けて微笑み、小犬と戯れるような気分で言った。

 

『そうかそうか、インユェ。俺のことを綺麗と言ってくれるのか』

 

 楽しげな様子で、ウォルは淡く微笑んだ。

 年頃の少年から見れば、正しく天使のような微笑みである。

 期せずして本音を漏らしてしまったインユェは、これでもかというくらいに赤くなった。もう、これ以上人の顔が赤くなるのだろうかと思わせるくらいに、真っ赤になった。

 元々色素が薄く、髪の毛ですらくすんだような銀髪の彼である。一度赤くなると目立つことこの上ない。

 二の句を告げずに固まってしまったインユェを前に、ウォルは、

 

『どうだろう、本当に似合っているかな?』

 

 手を大きく広げ、くるりと軽やかに身体を回す。すると、紬の袖がふわりと流れ、少女の癖のない黒髪がはらりと踊り、まるで異国の舞姫のように可憐で華やかだ。

 言葉を失って、目の前で微笑む少女を見つめる少年。その鼻孔を、えもいわれぬ良い香りが擽った。

 遠い昔、懐かしいと美しいが同じ意味に思える程に遠い昔、誰かの胸に抱かれながら、嗅いだ香りだった。

 インユェは赤らめた顔をそのままに、俯き加減で視線を外したまま、ぼそりと呟いた。

 

『……うまく言えないけど、すごく似合ってる……と思う』

『ありがとう、インユェ。千の薔薇にも勝る麗句もいいが、お前のようにわかりやすく反応してくれた方が俺も嬉しいぞ』

 

 聞きようによってはからかっているような言葉であるが、インユェはそう受け取らなかった。

 まるで茹で蛸のように顔を赤らめたまま、部屋を飛び出してしまったのだ。

 その後ろ姿を見送りながら、ウォルは晴れ晴れとした顔で笑った。

 

『うーむ、初々しい。俺もあれくらいの時分は、女性というものが自分とは違う世界に住む、化け物か何かのように思えたものだが、なるほど、立場を違えると男というのは何とも可愛らしい生き物なのだなぁ』

『……なぁ、ヤームル。あたしは、生まれて初めてあの馬鹿に同情するぜ。こいつは、どう考えてもあいつにどうこうできる器量じゃねえよ』

『はい、その点については深く同意します、お嬢様』

 

 そんなことがあって、今その部屋には、ウォルとメイフゥ、そしてヤームルの三人が居る。

 それほど広くない部屋だ。落ち着いた色の壁には、白と黒の濃淡のみで描かれた山水画が掛けられ、華やかさよりも落ち着きを醸し出している。柱や扉の枠などに良い香りのする木材が多く使われ、ここにいるだけで不思議と心安らぐ。

 宇宙船の中とはとても思えない、特異な作りをした部屋だった。

 おそらくは所有者の趣味だろうが、特異だったのは部屋の作りだけではない。そこに置かれている家具もまた、ウォルの初めて目にするものばかりである。

 部屋の中央には脚の短い机――彼らの故郷ではちゃぶ台と呼ぶらしい――が置かれている。その上に布団が掛けられ、中には電熱器の優しい熱が籠もっている。

 コタツというものだそうだ。

 メイフゥのお下がりの紬を纏ったウォルは、干し草で織られた絨毯――これは畳といったか――に直接座り、コタツの中に足を突っこんでいた。少し肌寒いくらいの室温と相まって、爪先からほんわりと暖めてくれるコタツの熱が何よりもありがたい。

 狭いコタツの中に三人分の足が押し込まれているから、少し身動ぎすれば誰かの足にぶつかる。離れようとすれば、反対側の足にぶつかる。やがて、足と足が触れ合っているのが自然に感じられるようになり、何となくそのままの状態になる。すると、今度は電機の熱ではない、人の体温を暖かく感じることが出来る。その熱の、なんと心地良く、なんと安心できること。

 ああ、これはいいなぁと、ウォルは夢見心地で思った。

 

「如何でしたかな、ウォル。我らが故郷の朝食は?」

 

 ウォルの向かいで、同じようにコタツにこもったヤームルが、やはりのんびりとした調子で言った。

 普段はぴんと張った背筋も、猫のように丸くなっている。好々爺然とした表情は、膝に乗せた孫を愛でる、人好きのする老人のようである。

 ウォルは、遠い昔、自分が戦士として独り立ちをする前に、育ての親が自分を見る瞳が、この老人と同じふうだったことを思い出した。

 

「大変美味だった。あのナットウというものには驚かされたが、口にしてみれば中々味わい深い。それに、目玉焼きにまよねーずの組み合わせも乙な味だったな」

「それはそれは、ようございましたな」

 

 最初、腐って糸を引いている豆を食えと言われたときは、これはやはり遠回しな嫌がらせかと訝しんだのだが、メイフゥやヤームルが普通に口にしているのを見て、ウォルは恐る恐るといった有様でその異様な物体に箸をつけた。

 タレと、刻んだ野菜(ネギ)と、香辛料を練り上げたような黄色いペースト(辛子)を器の中に放り込み、腐った豆と一緒に混ぜる。すると、粘ついた糸が空気を含んでブクブクと泡立ち、形容し難い様相になる。色や臭いと相まって、まるで沼地の泥炭をかき混ぜているような気分になる。

 その時点で、ウォルはほとんど泣きそうになった。

 しかし、居候の身分で、出された食事に手もつけないなど失礼の極み。

 覚悟を決めたウォルは、毒杯を呷る心地で、その異様な物体を口に運び――

 

『……うまい』

 

 クセのある臭いも、ネギや辛子の鮮烈な香りに紛れてそれほど気にならない。

 味はと言えば、タレの中に含まれた芳醇なうまみと納豆の持つ甘さが相まって、複雑玄妙な、しかし文字通りに糸を引くうまさだ。

 

 ――こんなうまいものを独り占めするのは申し訳ない。帰ったら、是非、リィやシェラにも食べさせてやろう。

 

 ウォルは内心でそんなことを呟き、少女には些か似つかわしくない邪悪な微笑みを浮かべた。

 他の料理も、ウォルの初めて口にするものがほとんどであった。唯一口に馴染んだ料理といえば卵をそのまま焼いたシンプルなものがそうだったが、『目玉焼き』というネーミングセンスには首を捻らざるを得ないウォルであった。

 そして、食事を終えたウォルは、自分の『拾い主』一行と一緒にコタツで温もり、食後のお茶を楽しんでいたりするのだ。

 

「ところでウォルよう。お前、なんであんな星にいたんだ?」

 

 薫り高い緑茶を啜ったメイフゥが、満足の吐息とともに、そんなことを言った。

 彼女の金に輝く硬質な髪は綺麗に結い上げられ、ちらりと項が覗いている。僅かにはだけた紬の胸元と相まって、何とも色っぽい有様だ。

 果たしてこれが本当に自分と同年代の少女なのだろうかと、ウォルは訝しんだ。決して羨んだわけではない。

 ウォルは少し考えてから、正直に答えた。

 

「大切な友人と、少しばかり昔話をするために、遊びに行っていた」

「遊びに行ってたって、ウォルよう。お前、あの星がどんな星か、知ってんのか?」

 

 メイフゥは疑わしげな声を隠そうともしなかった。

 この広い共和宇宙に、今ではどれだけ残っているのかすら定かではない、第一級の居住用未登録惑星。それも、巨大な惑星の全方位に高価な電波吸収パネルを張り巡らせているなど、正気の沙汰ではない。

 どう考えても、頭のねじの緩んだ金持ちの道楽である。

 そんな星に、ただ遊びに行く?では、この少女はあの星の持ち主の関係者なのだろうか。

 だが、ウォルはこの世界に来てまだまだ日が浅い。何が正常で何が異常なのかなど、分かるはずもない。

 ウォルにしてみれば、夜空に浮かぶ数多の星々を駆け巡って野遊びに行くなど、それ自体が常識の範疇から大きく逸脱している。ならば、その星がどういったものなのかなど、考えが及ぶはずもない。

 だから、ウォルはメイフゥの質問の意図するところが分からずに、不思議そうに目を丸くして、首を横に振ってみせた。

 メイフゥは事の真偽を量るようにウォルの瞳をじっと覗き込んだが、やがて肩の力を抜き、力の無い鼻息を一つ吐き出した。

 

「どうやら嘘は吐いてないらしいな。くそっ、お前が頭のいかれた金持ちの愛娘とかなら、娘を助けた見返りにちっとばかしの礼金をいただくのも吝かじゃあなかったんだが」

「いや、なんというか、すまん」

「いいさ、別に悪いのはお前じゃねえからな。しかし、それならどういう伝手であの星のことを知ったんだ?一般人が容易く見つけられるような星じゃあなかったぜ、ありゃあ」

「まことに相済まん。そこらへんの事情は、俺はとんと分からんのだ」

 

 書類上の事実としては、あの星はウォルの伴侶でありそして婚約者でもあるリィの持ち物である。リィ自身は受け取った覚えはないので、あの星はジャスミンのものだと思っている。

 要するに、あの星の所有権――果たして惑星にそんなものが成立するのかどうかは置いておいて――が誰に属する物なのか、それ自体が非常に曖昧なのだ。だから、リィもウォルにはきちんとした説明をしていない。する必要もないことだと思っていたのかも知れない。

 

「しかし、それならウォル、お前は、その大切な友人とやらと一緒にあの星まで来てたわけだよな、当然」

「うむ。それがどうかしたか?」

「なら、これから先、そいつらとの付き合いかたは考えた方がいいぜ。あんな冬山にお前さんを一人残して自分達はさっさと帰るなんて、どう考えたって友達思いの奴のすることじゃねえだろ」

「冬山?」

 

 ウォルは思わず聞き返した。

 はて、本当にそうだっただろうか。

 確か、自分達が滞在したあの小屋のある地域は、初夏の気候だったはずだ。もしも季節が冬ならば、いくらリィと抱き合いながら眠ったとはいえ、風邪の一つもひいているに違いない。

 それに、蒸し風呂から出た後や翌日の湖遊びの時に、裸で泳いでいる。あのときの水温は、どう考えても冬場のそれではなかった。

 

「ちょっと待ってくれ、メイフゥどの。冬山?それに、さっさと帰ったとは一体?」

「言葉の通りさ。ウォル、あんたがグースカ寝てたのは、霜柱も降りて吐く息だって凍り付くような冬山だった。雪こそ積もっちゃあいなかったが、あと少しインユェが見つけるのが遅れれば、お前さん、危なかったんだぜ」

「そんな馬鹿な……」

「馬鹿なもんかよ。だからお前さん、三日以上も意識を失ってたんだろうが。まったく、インユェからお前を渡されたときは、あまりに冷え切ってて凍った死体かと思ったぐらいなんだからな」

「……」

 

 ここで、ヤームルがメイフゥの言葉の後押しをした。

 

「ウォル、お嬢様の仰ることは事実です。確かにあの時の貴方は、普通であれば命を失うか、それとも手足の指が根刮ぎ腐り落ちる程に寒さにやられていた。今、こうして普通に会話を出来ていること自体、わたくしなどには信じ難いことです」

 

 ウォルは言葉を失っていた。

 あの場所、リィやシェラ、そしてルウと語り明かしたあの小屋のあった場所は、これから正しく夏の盛りを迎えようという季節だったはずだ。鮮烈な新緑も、湿り気と暑さを帯びた風も、それを教えていた。

 なのに、目の前の二人は、意識を失って倒れていた自分を、冬山の中で発見したという。

 自分を、担ごうとしているのだろうか。

 しかし、二人とも嘘を吐いているような雰囲気ではないし、こんなくだらない嘘を吐いて、年端もいかない少女が慌てふためくのを楽しむような趣味があるようにも見えない。

 第一、見ず知らずの他人である自分にそんなくだらない嘘を吐いて、一体どんな益があるというのだろうか。

 もう一度、あの日の記憶をたぐり寄せてみる。

 朝、リィと共に目覚め、シェラの手料理に舌鼓を打った。

 昼、三人と一緒に湖に行き、思うさまに遊んだ。

 そして、それから――。

 何があった。

 何か、先ほどから心の片隅に、どうしても引っかかって取れない何か……。

 掴み取ろうとする度に、するりと指先から逃げていく、霞のような何か。

 

『いやなに、少し確かめたいことがあってな』

 

 自分はそう言って、山の中に入っていった。

 それは覚えている。

 しかし、何を確かめたかったのか。

 何か、とても大切なものだった気がするのだが……。

 

「……い、おい、ウォル!」

 

 気がつけば、肩に手を置かれ、激しく揺さぶられていた。

 はっとして、顔を上げる。

 目の前には、獰猛な怒りを目の奥に讃えた、虎のような少女がいた。

 

「……メイフゥ、どの?」

「……ウォル。正直に言え。お前、その友達とやらに何をされた?どうして、あんな山の中で一人きりだったんだ?」

「……何、とは?」

「お前が、思い出しただけで顔を真っ青にして……涙を流さないといけないような何かをされたのかと、そう聞いているんだ」

 

 果たして、この少女は、一体何を言っているんだろうか。

 きょとんとした様子のウォルに、ヤームルがそっとハンカチを差し出し、腰を上げて襖の奥に姿を消した。これから先の話は、男である自分がいると話しにくくなると、そう思ったのだ。

 機械的にハンカチを受け取ったウォルは、何となく、顔を拭ってみた。

 すると、空色のハンカチは群青色に化け、少女の涙を吸ってじとりと重たくなった。

 

「……お前を見つけて、あたし達は周りに人がいないか、探し回ったよ。ひょっとしたら登録が済んでいないだけで、有人惑星だっていう可能性が無いわけじゃあないからな。でも、辺りに人がいた痕跡は全くなかった。建物はおろか、キャンプの跡すらもない。綺麗なもんだったぜ」

「建物が、なかった……?」

 

 メイフゥは頷いた。

 彼らはウォルを保護した後で、周囲100㎞ほどの範囲を入念に探索した。山の中で年端もいかない少女が意識を失って倒れていたのだから、すぐ近くに保護者なり仲間なりがいると考えたのだ。

 険しい山地であり、季節は冬である。まさか歩いて探すわけにもいかない。上空から、センサーと目視を併用した探索になった。だが、辺りに建物はなかったし、テントや宇宙船も見つからなかった。

 鬱蒼とした森であるから目標を見逃した可能性もないわけではないが、はっきりとした人工建造物があればセンサーが見逃すはずはないし、メイフゥもヤームルも、自分の視力と注意力には自信があった。普通、雪山に持ち込まれるテント等はあえて目立つ色のものが選ばれるため、濃緑一色の中であれば5キロ先でも容易に見つけることが出来ただろう。

 音声と電波による呼びかけも行った。13、4歳くらいの、黒髪の少女を保護している。思い当たる者はすぐ迎えに来い、と。

 丸一日を周囲の探索に費やし、誰かから連絡があるのではないかともう一日待った。

 しかし、当然の如く、彼らの宇宙船に対してコンタクトはなかった。

 もしも少女の関係者がこの星に残っているならば、例えば少女が宇宙漂流者の築いた未開の文明に属している等の僅少の可能性を除けば、彼女の安否を確かめる通信の一つでも入れるものである。

 それすらなかった。

 万が一に、この少女が宇宙漂流者の子孫であり、未開の文明の中に生きているとしても、周囲にそれらしい集落は全く見当たらない。

 つまり、彼女はこの星に一人、置き去りにされたのだろう。

 珍しいことではあるが、あり得ないことでない。事実、昨年だったか、数名の学生が誘拐され、未開の惑星に置き去りにされたという事件があったばかりではないか。

 何より、この少女は美しい。ひょっとすると、彼女によからぬ想いを抱く不届き者が、そのねじ曲がった欲望を遂げるために誘拐し、ことが済んだ後で事件の発覚を恐れ、この星に置き去りにしたのではないだろうか。

 そうすれば少女は行方不明として処理され、事件は闇に葬り去られただろう。訳の分からない密室を作って殺人を犯し、最後には素性の知れない探偵に暴かれてお縄になる三文ミステリー小説の犯人よりは、遙かに賢い隠蔽方法だ。

 少なくとも、今、自分達が少女をこの星に置き去りにすれば、遠からず彼女は死ぬだろう。凍えて死ぬか、飢えて死ぬか、冬眠に備える熊や狼の贄と成り果てるか。

 メイフゥ達はそう判断し、黒髪の少女――ウォルを保護したのである。

 

「正直に言え、ウォル。確かにあたしらは他人同士だが、袖振り合うもなんとやらって奴さ。お前が出来ないなら、あたしがその友達とやらを、親兄弟だってそいつとわからないくらいにボコボコにしてやる」

 

 静かだが凄みの利いた言葉で、メイフゥは言った。

 ウォルは内心で、流石にそれは難しいのではないかと思ったが、口ではこう言った。

 

「……お気持ちはありがたいのだが、メイフゥどの、それは勘違いだ。俺をあの星まで連れて行ってくれたのは、俺の友であり、伴侶であり、そして婚約者でもある、誇り高き狼なのだから」

「……友であり伴侶であり、婚約者で、狼ぃ?」

 

 それはどんな関係だ、とメイフゥは声を上げかけて、辛うじて飲み込んだ。

 

「――だがよ、ウォル。そいつが一体どんな野郎か、あたしは知らないが、しかしお前をたった一人であんな場所に置き去りにするなんて、とても誇り高いやつがすることとは思えないな」

「そこだ。そこが、メイフゥどのの話と俺の記憶で、どうにも噛み合わない」

 

 ウォルは姿勢を正し、言った。

 

「まず、俺達がいた山小屋は、ようやく暑さも本格的になろうかという、初夏の気候だった。裸で湖に飛び込んでも凍えることはなかったし、朝方は息も白くなるものの、外で一夜を明かして風邪をひくようなこともなかった」

「……あたしが嘘を吐いてると、そう言うつもりか?あたしらがお前を攫ってきて、これはその言い訳だと?」

「いや、そうではない。メイフゥどののお人柄からいって、こんなくだらん嘘を吐くとは思えんし、嘘を吐いて何か益があるとも思えん。第一、あなたは人を攫うなら太陽に顔を向けたまま堂々と攫い、自分こそが犯人だと胸を張る御仁だろう。なんとも奇妙な言い方ではあるが……」

 

 確かに奇妙な言い方ではあったが、メイフゥは大きく頷いた。

 メイフゥは、別に人攫いが悪いこととは思っていない。無論、幼子を攫い、それを痛めつける様子を映像として親に送りつけ、恐怖と絶望を与えることで多額の金銭を巻き上げるような外道は問題外だが、例えば財布が重すぎて腰が曲がるような金持ちを自分の船に招待して、その代金と、あとは身の安全に対する受講料として少々の金をせしめる程度のことならば、十分にビジネスの一つだと思っている。

 だからこそ、目の前に座るか弱い少女(見た目だけならば間違えてはいない)を、非道にも婚約者の手から攫った犯人だなどと当の本人から疑われては、立つ瀬がなさ過ぎるというものだ。

 

「嬉しいぜ。あたしのことをよくわかってるじゃねえか、ウォル」

「だからこそ納得がいかんのだ。俺は、俺の言っていることが真実だと知っている。しかし、メイフゥどのが嘘を吐いて俺を担ごうとしているのではないことも、はっきりと分かる。それに、食い違うことはまだあるのだ。先ほど、俺が倒れていた場所の周囲に、建物はなかったと、そう言っていたな」

 

 メイフゥは無言で頷く。

 その灰褐色の瞳はやはり真剣で、人を騙している人間特有の後ろ暗さというものがまるでない。

 もしこれで彼女が詐欺師や人攫いの類であれば、到底自分の太刀打ちできる相手ではないなと、ウォルは思った。

 

「それは、やはりおかしい。俺達は、湖の畔にある山小屋に泊まっていた。あの日、俺は確かにかなりの時間山道を歩いた気はするが、しかしそれでも10カーティヴ――10キロに満たない距離だったはずだぞ」

「馬鹿なことを言うな。お前が倒れてたところから10キロ以内にある湖なんて、あたし達の船を停泊させてた湖くらいのもんだ。あの周囲には、山小屋なんて絶対に無かった。それとも、その山小屋はわざと見つけにくく、隠密用に拵えているものだったのか?」

 

 何の為に、と問いたくなるところではあるが、何せ星そのものを隠してしまおうという道楽者がいるのだから、いわんや小屋の一つにおいてをや、である。

 しかし、ウォルは首を横に振った。あの山小屋は、別段目立つふうに作られているわけではなかったが、逆に人目を気にするように作られているふうでもなかった。少なくとも自分ならば、山の頂から見下ろせば容易に見つけることが出来ただろう。

 

「なら、間違いなくそんなものは無かった。あたしの目と鼻と、この自慢の牙にかけて誓ってやるさ」

 

 メイフゥは口の端を指で引っかけ、人の倍ほどもある立派な犬歯を露わにしながら、言った。確かに、これほど立派な牙にかけて誓われるならば、嫌でも信じなければならないだろう。

 微笑みを浮かべかけたウォルだったが、その表情がぴたりと凍り付いた。

 今の自分の置かれた状況が、どこかで聞いた話に酷似していることに気がついたのだ。

 ずっとずっと昔に聞いた話。

 一人の少年の話だ。

 暖かな草原でうとうととしていたら、突然辺りで剣戟の音が聞こえる。たった一人で多勢に立ち向かい、剣を振るっていた青年。そいつを助けて話を聞いてみれば、ここは見たことも聞いたこともない世界。やることもないし、迎えが来るまで、目の前の愉快な男の手助けをしてみようか――。

 遠い昔、金色の毛並みをした、この世でもっとも美しい狼から聞かされた話だ。

 心臓が、どくりと一度、拍子を外して跳ね上がった。

 

「メイフゥどの!」

 

 突然声を荒げて腰を上げたウォルに、メイフゥもたじろいだ。

 たじろいだがしかし、ちゃぶ台に身を乗り出したウォルの黒い瞳に、しっかりと相対する。

 

「な、なんだよいきなり。何か思い出したのか?」

「……この世界の、この世界の王の名前は何と言ったか!?」

「王って、連邦主席のことかい?」

「ああ、そうだ、その方の名前だ!」

「あたしらの航海中にとんでもないスキャンダルでも巻き起こってなければ、マヌエル・シルベスタン三世がまだ務めてるはずだが……それがどうかしたかい?」

「そ、そうか……」

 

 ウォルは若干放心した様子で、ぺたりと座り込んだ。

 その小さな口から、安堵の溜息が漏れ出す。今自分がいるのが、己の同盟者の住む天の国であるとわかり、安心したのだ。

 何せ、40年振りに、長く家を留守にしていた妻と再会できたのだ。その上、今度はあいつを夫として迎えるべく婚約まで済ませたのだから、今更無責任に違う世界に迷い込むなど許されることではない。

 そして、人心地ついた頭で考える。

 この世界があいつの世界ならば、あいつが俺の存在に気がつかないはずがない。それに、彼の相棒であるルウの手札。リィが敵の奸計にかかり、薬をかがされて囚われの身になった時、易々とその監禁場所を特定した、予知にも似た占い。あれがあれば、今の自分の居場所も彼らには明らかなのではないか。

 三日以上も自分が眠りこけていたと聞かされて、彼らがどれほどに心配しているだろうと思い気が気でなかったウォルだが、このとき初めてルウの占いに思いが至り、少しだけ安心した。もちろんこちらからも連絡はしなければならないが、ひとまずは、と言ったところである。

 だが事実としては、ルウの占いはこの時点でウォルの死亡を伝え、リィやシェラといったウォルに親しい人間を絶望の底へとたたき落としていたのだが、それは彼女には何の責めもないことである。

 

「おい、ウォル、本当に大丈夫か?お前、さっきから少し変だぞ」

 

 今度はメイフゥがちゃぶ台に身を乗り出し、心配そうにウォルを覗き込んでいた。

 素面の自分を見られたウォルは、羞恥に頬を染め、しかしはっきりと微笑みながら言った。

 

「メイフゥどの、俺を助けてくれたこと、あらためて御礼を申し上げる。どうにも腑に落ちんこともあるが、この世は不思議なことばかりとも言うし、おおかた神隠しにでもあったのだろうさ。大丈夫、俺の友は、メイフゥの心配なさる非道を出来るような人間ではないし、俺が置き去りにされたのではない。ただ、俺が迷子になっただけのようだ」

 

 なんとも曖昧な言葉であった。

 メイフゥも疑わしげにウォルを見つめるが、少女の晴れ晴れとした表情のどこにも嘘を吐いている気配はない。

 眉間に皺を寄せて、溜息を一つ吐き出した。

 

「ま、お前さんがそう言うならそうなんだろう。しかし、家に連絡を入れるのは少し待って欲しい。この船は今、ちょっぴり厄介な宙域を飛んでいてね、恒星間通信が効かないんだ。あと一日もすれば、惑星ヴェロニカに着くだろうから、それからでもいいだろう?」

「出来んというものを無理に、と言うほど俺も道理の弁えない人間ではないつもりだ。それより、見ず知らずの俺がこの船に留まるのを、許して下さるのだろうか?」

「何を今更。あたしたち宇宙生活者はな、『困ったときはお互い様』、こいつが絶対のルールなんだよ。そうじゃないと、あんなに冷たい世界で凍えずには生きられない。だからウォルよ、いつかあたしらが困ったとき、そのときに今度の借りを返してくれ。利息はトイチにまけとくからさ」

 

 照れたようにはにかみながら、ちゃぶ台に頬杖をついたメイフゥは、そんなことを言った。

 そして、ウォルは頷いた。まさかこのときの言葉が、後になって自分の頭に兎耳をつけさせるはめになるとは露知らず、このときのウォルは確かに幸せだった。

 

「あと、こいつは返しとくぜ」

 

 メイフゥは紬の袖から何かを取り出し、ちゃぶ台の上にことりと置いた。

 

「……これは?」

「意識を失ってたお前さんが、大事そうに握りしめてたもんだよ。いらないなら捨てておけ」

 

 小振りなナイフほどの大きさのそれは、太く鋭い、獣の牙だった。

 それも、肉食獣の、いわゆる肉を噛み裂く用途に用いられる牙ではない。大きく婉曲し、その先端は三つに枝分かれをしているという、独特のものだ。

 しかし、ウォルにははっきりと見覚えのある形状だった。

 

「これは、あの猪の……?」

 

 ウォルがあの星で取り逃した、老獪な大猪。その口元から、この牙は生えていたのではないだろうか。

 それが、何故ここに……?

 

 

『生?焼く?煮る?揚げる……は無理だけど、蒸すくらいならなんとか』

 

 

 少年の、嬉しげな言葉が、聞こえた。

 それだけではない。この牙の持ち主である大猪、その肉を噛み切るときの筋張った感触や、滴る血の味までをも思い起こしていた。

 そして、猪のものではない、鉄臭くて甘い液体の味も。

 それはきっと、永遠を誓った愛情と、永遠に引き裂かれた別離の、とろけるような甘さだった。

 ウォルは、またしても目の奥がずきりと痛むのを感じて、顔に手を当てた。

 少女の肌の感触のするそこは、新しく流れ出した涙で、薄く湿り気を帯びていた。

 

「……ウォル、お前、もう少し休んだ方がいいぜ。別に今お前さんに働いてもらうつもりもないから、ヴェロニカに着くまで横になってろ」

「ああ、情け無いが、お言葉に甘えさせていただくとしよう。ところで、インユェはどこにいるのだろうか。俺を見つけてくれたのは彼だし、一度きちんと御礼をしておきたいのだが」

「ああ、あの馬鹿?あいつに礼が言いたいなら、ヴェロニカに着いた後でも十分だろう。今はゆっくり休め」

 

 その言葉に頷いたウォルは、自分にあてがわれた船室に引き上げた。

 やはり、まだまだ身体は休息を必要としていたのだろう。ベッドに入って間もなく、気絶するようにウォルは眠りに落ちた。

 夢は、見なかった。

 夢の世界に答えを求めたわけではないが、何とも残酷なことだと、ウォルは思った。

 

 

 結論からいえば、《スタープラチナ》号は無事に惑星ヴェロニカへと到着した。

 途中、規模の大きな宇宙嵐や、突如発生した小惑星帯に飲み込まれるなどのトラブルもあったが、天の采配か、それともヤームルの操船の腕前か、航海自体に支障をきたすような大事故に見舞われることはなかった。大揺れする船に不慣れなウォルが二、三度目を回し、船には慣れているはずのインユェが五、六回トイレに駆け込んだ程度のものである。

 スクリーンに映る惑星ヴェロニカが、はっきりと目視出来る大きさになってから、船内には緊張感が満ちた。

 何せ、この船は、実質的には他人の物になってしまっているのだ。常識的に考えてもそんな怪しい船がまともな国に入国できるはずはないし、下手をすれば不法入国の未遂として手が後ろに回ってもおかしくない。

 彼らは正規の入国航路ではなく、そのちょうど裏側、入国審査用宇宙ステーションのない箇所からの入国、そして着陸を試みた。だがそこは惑星ヴェロニカを取り巻く監視衛星のレーダー圏内であり、そのようなところから理由無く入国を試みる船があれば、ヴェロニカ軍の哨戒用軍艦が即座に駆けつけ拿捕、もしくは撃墜する手筈となっている。

 

「あとは神に祈るばかりですな」

 

 のんびりと言ったヤームルであったが、流石に表情は硬い。

 インユェが神経質に爪を噛んでいるのはいつものことであったが、普段は肝の太いメイフゥも、無駄口を叩くことさえなくスクリーンを注視している。ウォルも船内に満ちる緊張感から、久しぶりに戦場の空気を思い出したほどである。

 だが、彼らの心配は杞憂に終わった。

 《スタープラチナ》号は、軍艦はおろか商業船用の臨検船に見つかることもなく、無事に惑星ヴェロニカの地表に着陸した。

 モニター越しに迫る惑星ヴェロニカの地表を眺めながら、インユェは信じられないといった面持ちで呟いた。

 

「どうなってやがんだ、この星の警備は。これでも連邦加盟国かよ?」

 

 惑星ヴェロニカは、歴とした連邦加盟国だ。だからこそ、ティラ・ボーンの学生の短期留学や自然学校の開催地にも選ばれているのだし、逆に連邦大学へと学生を留学させることも出来る。

 それ故に、インユェが呆れた様子で呟いたのも無理もないことであった。

 連邦加盟国はこの宇宙に数多い。だが、逆に言うと、全ての国が連邦に加盟しているというわけではない。

 そして、連邦への加盟を望みながら未だ実現していない国の数も、驚く程に多いのだ。

 連邦に加盟するための条件は数多い。

 例えば、基本的人権に一定水準の配慮をする政府が権力を保持していること。非人道的な人体実験その他の連邦憲章に触れる違法行為に政府が荷担していないこと、テロリスト等の犯罪組織の温床になる違法な兵器の製造及び密輸入やマネーロンダリング等に荷担していないこと、数え上げればきりがない。

 『ウィノアの大虐殺』によって滅びた東西ウィノア統一政府も、経済規模から言えば共和宇宙でも屈指の実力を誇る国だったにもかかわらず、その非人道的な軍事実験から長く連邦加盟は見送られてきたという経緯がある。

 そして、それら厳しい連邦加盟条件の一つに、『海賊その他の違法行為を働く可能性を有する宇宙船舶の入国を固く禁じていること』というものがある。

 海賊行為はそれ自体が重犯罪であるのだからわざわざ特記するまでもないことのようにも思える条項だが、こういった条項を特別に設けなければならないほどに、残虐な宇宙海賊によってもたらされる被害は甚大なのだ。

 脅すのではなく、殺してから奪い取る。身代金のためではなく、人身売買の商品として女を拐かす。貴重な宇宙航路そのものを破壊し、自分達の支配する宙域を通らざるを得ないようにしてから、莫大な通行料をせしめる。一昔前の海賊には存在したはずの仁義も、一線を越えてしまった感のある現代の海賊には通用しない。

 だからこそ連邦は海賊の殲滅を一つの行動目標として掲げているし、加盟国にはその目標に対して一定の努力を要求する。それが、徹底した船舶検査及び密入国の取り締まりである。

 であれば、いくら辺境惑星とはいえ、連邦加盟国の惑星ヴェロニカであるから、それなりに厳重な警備を敷いているはずであり、またそれは事実であった。にもかかわらず不審船《スタープラチナ》号をいとも容易く入国させてしまったのだ。これではインユェでなくとも驚くはずであった。

 

「絶対におかしい。どうしてこの船だけ素通りなんだよ。何か、とんでもない罠でも張っているんじゃないか?」

 

 船長席に座りながら深刻な表情で考え込むインユェを、その姉は鼻で笑った。

 

「あほが、んなわけあるかよ。この船が、例えば伝説の海賊王の船とかなら別段、所詮はただの不審船なんだぜ。哨戒船の三隻もありゃあ簡単に撃墜ができるんだ、わざわざそんなご大層な罠に追い込む必要がどこにあるってんだ。ちったあそのミニマムな脳味噌を働かせやがれ、ケツの穴まで小せえクソチビが」

「っじゃあ、どうしてその『不審船』を、ヴェロニカの国境警備隊はこうもあっさり見逃すんだよ、ええっ!?」

「んなこと知るか、ばぁーか。どうだっていいじゃねえか。怖い怖い軍人さん達にお目こぼしいただいたんだからよ、無力な小市民のあたしはありがたく素通りさせてもらうだけさね」

 

 小馬鹿にするようなメイフゥの声である。

 インユェは言葉に詰まってしまった。まったくもってメイフゥの意見は正しいものだったからだ。

 偶然にせよ必然にせよ、ヴェロニカへの密入国はうまくいったのだ。ならばそのことが何故成功したかよりも、これからのことにこそ頭を悩ますべきである。

 とりあえずのところ現状では船はまだ手元にあるが、かといって借金そのものが消えて無くなったわけではない。どのようにしてそれを返済し、資源探索者として再起を図るか。考えなければならないことは山ほどある。

 その程度のことインユェも分かっているが、しかし姉の意見にそのまま頷くのは業腹であった。

 むかむかとした気持をぶつけるように、叫ぶ。

 

「おい、ウォル!茶だ!茶を持ってこい!」

 

 すると船長室の奥の方から、のんびりした声で答えが返ってくる。

 少女の声である。

 ウォル・ウォルフィーナ・エドナ・デルフィン・ヴァレンタインの――ウォルの声であった。

 

「おーう、しばし待たれよ。今ちょうど湯が良い加減なのだ。もう少しすれば上手く茶葉が開いてくれる温度になるからな」

 

 この世界に来てから、シェラやマーガレットを見習ってお茶や料理、裁縫などにも興味を見せ始めたウォルである。

 果たしてそれが将来リィと結婚するための、花嫁修業の一環なのかどうかは本人に聞かねば分からないことだが、お茶を煎れるウォルは至って楽しそうだ。例えそれが、彼自身の世界に住む多くの人間が目を覆いたくなるような姿だったとしても。

 とにかく、鼻歌を歌いながらキッチンに立つ美少女というのは、見る者の目を楽しませるに十分過ぎる光景だった。華奢な後ろ姿に流れるような黒髪、それを飾り付ける真っ白のエプロン。少年の理想を具現化したような立ち姿である。

 一瞬ウォルに見とれていたインユェは、しかしすぐに我に返り、若干裏返った声で怒鳴った。

 

「う、ウォル、てめえ、俺が茶を飲みたいって言ったらさっさと持ってくるんだよ!もたもたしてんじゃねえ!」

「そうは言うがな、インユェよ。やはり上手に煎れてやらねば折角の茶葉が泣くぞ。お前も不味い茶よりは旨い茶のほうがよかろう?」

「だーかーら、俺が飲みたいと思った瞬間に一番旨い茶が煎れられるように準備しとけっての!このノロマ!」

「うーん、そう言われてもなぁ」

 

 ウォルが頭をこりこりと掻いた時、インユェの頭が盛大に鳴った。

 正しく鈍器を叩き付けるようなその音は、彼の双子の姉が振り下ろした掌によるものである。

 目から火花が散ったように錯覚したインユェは、涙の滲んだ瞳を加害者に向ける。

 

「ってぇな、姉貴、何しやがんだっ!」

「くっだらねえことをグチグチ喚くからだ。そんなに茶が飲みたきゃ自分で煎れるか、それともちったあ黙ってやがれ。聞いてる方がいらいらするんだよ、てめえの女みてえに甲高い声は」

「何だとぉ!誰が女みたいだって!?」

「んん、なぁんだ、その口の利き方は?こないだ、小便をチビリながら『許してお姉ちゃんっ!』って叫ばされたのを、もう忘れたかい?」

「だ、だだだ誰が小便を漏らしたよ、誰がっ!」

「てめぇだよてめぇ、ばーかばーかっ!」

「んだとぉっ!?馬鹿って言う奴が馬鹿なんだよ、この馬鹿姉貴っ!」

「そうか、ならやっぱり馬鹿はおまえじゃねえかよ、このミニマム脳味噌!」

「どぅどぅ、メイフゥどのもインユェも、少し落ち着かれよ。ヤームル殿がお困りだぞ」

 

 余裕と嘲弄の入り混じった笑みを浮かべて見下ろすメイフゥ、怒りと恥辱に顔を真っ赤にして姉を見上げるインユェ、二人の間に割り入って宥めるエプロン姿のウォル。ここ数日、《スタープラチナ》号の至る所で見られる光景である。

 ついこないだまで二人の喧嘩(ウォルなどにはじゃれ合いにしか見えないのだが)を止めるのはヤームルの役割だったので、一つ仕事の減ったかたちのヤームルはウォルに感謝の視線を送った。

 紬の上にエプロンを被るというアンバランスな格好をしたウォルは、その小さな唇を尖らせるようにして言った。

 

「メイフゥどの。いくら仲の良い姉弟同士とはいえ、弱い者いじめはよくないぞ。力のある者は、弱い者を守るためにこそ力を振るうべきだ」

「ほーい、了解いたしましたー」

 

 メイフゥは、小指で耳掃除をしながら気のない返事を寄越した。

 ウォルは、別に咎めたりはしなかった。

 そして、今度はもう一人の、小さいほうに向けて言った。

 

「インユェ。おまえはこの船の主であろう。なら、あまり小さなことにきゃんきゃん喚くのは見栄えがよろしくない。ヤームル殿が常日頃仰るように、万事もっとどっしり構えるがよかろう」

「っるせえな、そんくらい分かってんだよ!だいたい、他の二人は『殿』づけで、なんで俺だけ呼び捨てなんだ!お前は俺のドレイで、俺はお前のゴシュジンサマなんだぞ!」

 

 ウォルが目覚めてから、インユェはことある事にウォルの所有権を主張していた。

 確かに、森の奥で眠りこけるウォルを拾ったのはインユェである。もしもそれが見ず知らずの少女などではなくて高価な宝石などであれば、インユェの言い分も間違えてはいない。

 自分のことをドレイ扱いする少年に対して、かつて至高の冠を有する身の上だったウォルは、しかし平然として、

 

「そうか。それは失礼した。ではご主人様、ご主人様はこの船の主なのだから、船を信じ部下を信じ、何より己を信じて泰然自若となされよ。小事に騒いではご自身の器の底が知れるぞ?」

「ウォル、おまえまで俺のことを小さいとかぬかしやがるか――!」

「身体が小さいとは言っていないぞ。ただ、器が小さいと……」

「なお悪いわ!ドレイの分際で生意気な口を叩きやがって!躾けてやる!」

 

 激昂したインユェが、ウォルの着る服――メイフゥのおさがりの紬だ――の襟を掴んだ。そして、もう片方の手を平手にして振りかぶり、力一杯思い切り、ウォルの柔い頬を打った。

 否、打とうとした。

 しかし、その手は大きく空振り、いつのまにやらインユェの身体は宙でくるりと回り、盛大に床に叩き付けられていた。

 

「ああ、すまんインユェ、つい!」

 

 襟首を掴まれたウォルが、反射的にその手の持ち主――この場合はインユェである――を投げ飛ばしていたのだ。一連の動作は、ウォルが幼少の時代に厳しい父から護身術として叩き込まれた、いわば反射運動に近いものであったから、手加減など加える余裕がない。

 背中を強かに打ち、息を吸うことも出来ずに悶絶しているインユェを、ウォルは助け起こした。

 

「少し痛むぞ。……むんっ」

「――ぐぇ、げほっ、げほげほ……」

 

 背中に活を入れると、ようやく横隔膜に機能が戻ったのだろう、インユェは激しく咳き込んだ。

 ウォルは、彼の背中を優しくさすってやった。

 

「襟を掴むなど、身構えてくれと言っているようなものだ。やるならいきなり、相手が身構える暇を与えず、殴られた後に殴られたのだと気がつく、そんな拍子でやらなければな」

「うる、げほ、うるせえ……!」

 

 まだ苦しげなインユェであったが、自分を労るウォルの細腕を振り払い、よろよろと立ち上がった。

 

「どこへ?」

「俺の部屋だよ!ついてくんな!」

「いや、もとよりそんなつもりはないが?」

 

 ウォルはまったくいつもの調子で、あっさりと言った。

 いつも通りの、花が咲いたような笑顔である。

 

「それだけ強がりが吐けるなら、もう大丈夫だ。どこへなりと行かれるがよかろう」

 

 にっこりと微笑うウォルに、顔を真っ赤にしたインユェは、

 

「ちっくしょー!」

 

 涙に濡れた叫びを一つ残して、扉の向こうに消えたのだった。

 その直後、溜息が二つ漏れ出した。

 メイフゥと、ヤームルのものであった。

 

「すまねぇな、ウォル、愚弟が迷惑をかけた。それと、礼を言うぜ。お前があいつを投げ飛ばさずに黙って殴られたりしてたら、わたしが、顔のかたちが変わるくらいにあいつをぶん殴らなけりゃいけないところだった」

「いや、俺もまずかったからなぁ」

 

 思い出すのはつい先日、インユェと初めて顔を合わせた時のことだ。

 あのとき、可愛らしいエプロンを纏い、手には分厚いミトンと湯気の立つ土鍋、長い銀髪を後ろで一括りにしたインユェは、どこからどう見ても男には見えなかったのだ。

 だから、つい、言ってしまった。

 

『メイフゥどの。こちらは、卿の妹御か?いや、なんとも可愛らしい方ではないか』

 

 最初にボタンを掛け違えると、後からどう取り繕おうとしても、どこかに齟齬が生じる。この場合のウォルとインユェは正しくそれであって、インユェはウォルのことを『自分の事を馬鹿にした、得体の知れない女』と認識してしまったし、ウォルはウォルで彼のことを少女と間違えてしまった後ろめたさというものが離れない。

 どうやら年頃のインユェにとって、自分を女と間違えられるのは屈辱的なことだったらしい。ウォルの周りには、女に間違えられることに飽きてしまった少年が何人もいるから実感として理解できないのだが。

 

「なんとかしたいとは思っているのだがなぁ……」

 

 こういう場合、年長者から自分の非を認め、謝罪するべきだとウォルは思っている。だからこそ自分の方から積極的にインユェに話しかけたり、何かと世話を焼こうとしているのだが、見た目の年齢はインユェとさほど変わらないウォルであるから、これがまたインユェには気に入らないらしい。

 なんとも難しい年頃である。

 ウォルは気遣わしげに溜息を吐いた。

 そして、何かに気がついた表情で、

 

「あ、そうだ。インユェ、茶のことをすっかり忘れているぞ。あんなに飲みたがっていたのに。どうしよう、部屋まで届けてやろうかな」

「……すまん、ウォル、それは勘弁してやってくれ。いくら愚弟でも、その仕打ちは気の毒だ」

「何故?」

「武士の情けってやつだ。察してやってくれ」

 

 何はともあれ、一行は無事にヴェロニカ共和国へと密入国を成功させた。

 全てはこれからである。《スタープラチナ》号の乗組員達はこの星で一から再出発であり、ウォルは自分がここにいることを近しい人達に知らせ、一刻も早く彼らを安心させてやる必要がある。

 船を人目につかない山中に着陸させ、搭載していた小型のエア・カーに乗って、四人は市街へと向かった。

 運転するのはヤームルである。決して小さくはない宇宙船を険しい山地に見事着陸させた腕前は、その得物を選ばないようである。エア・カーの運転も見事なものだ。

 後部座席には、双子の姉弟が、姉のほうはふんぞり返って、弟の方はふてくされた様子でサイドガラスを眺めて、座っている。

 助手席には、ウォルが座っている。その黒い瞳は今にも輝かんばかりの有様で、フロントガラスの向こうから流れてくる景色を見つめていた。

 緑、緑、緑。

 視界に映るのは、空の青の他には地表を埋め尽くす緑のみ。それは草原の淡い緑であり、森林の濃い緑であった。

 時折赤茶けた、おそらくはこの星の地面が見える。過剰とも思える緑の中で、時折見えるその色が何とも毒々しく思えるのは、それらが補色関係にあるからだろうか。

 初めて見るその光景に、ウォルは興味津々だ。

 ちらりと横を見たヤームルが、柔らかい声で尋ねた。

 

「ウォル、ヴェロニカがそんなに珍しいですかな?」

「いや、確かにこの星も見事だが、この乗り物がな」

 

 ウォルははにかんだように微笑んだ。

 この時代、空を飛ぶ車というものは地面を走る車と同じ程度の希少価値しかない。

 要するに、別に珍しいものでもなんでもないのだ。

 しかし、この少女は、ごくごくありふれた生活用品にも、目を丸くして驚くことがままあった。まるで生まれたての子猫のように、その目に映る全てのものが面白くて堪らないらしい。

 おっかなびっくりといった様子で掃除機のスイッチを入れる少女と、直後に聞こえる吸引音に文字通り飛び上がった少女は、見る者に微笑みを与えた。

 だが、今のウォルの瞳は、物珍しさ以外の何かで輝いているらしかった。

 

「速いな、この乗り物は」

「本当は宇宙船のほうがずっと速いのですよ」

「ああ、それはこないだ聞いた。音よりも、ひょっとすると光よりも速く移動することができるのだと。しかし、それとこれとは違う速さだ。そんな気がする」

「違いますか」

「うん。そうだな、昔、初めて馬に跨り草原を駆けた、幼き時を思い出してしまう。あれは、本当に楽しかった。自分が風になったのだと思えた」

「それはようございますな。確かに、馬の背から眺める草の海、彼らと一体になって駆けたときの風の音、全て何事にも代え難い、素晴らしいものです」

 

 ウォルは、隣でハンドルを握る老人の顔を、まじまじと見つめた。

 

「ヤームル殿も、馬で駆けたことがおありか」

「はい。この時代では珍しいことなのでしょうが、わたくしの故郷――お坊ちゃまとお嬢様の母君の故郷でもある星は、人よりも馬や獣の数のほうが多いという場所でございました。幼き日、御館様とわたくしとで共に遠駆けし、二人して道に迷い、朝になってようやく家に辿り着いたとき、待ち構える親父殿達がどれほど恐ろしかったか……。今にして思えば親父殿達のほうがよほど恐ろしかったのでしょうが、あのときは誰も知らない土地まで逃げだそうかと、二人で真剣に話し合ったほどでございます」

「ああ、よくわかるぞ、その気持ち」

 

 ウォルも、幼き日は『山猿』と異名を取るほどの悪戯坊主であったから、自分の身を案じてくれた時の大人の怒りがどれほどのものか、骨身に染みている。特に、育ての親であったフェルナン伯爵と、悪友であり親友であったイヴンという少年の父親であるゲオルグ小父のげんこつの痛かったことといえば、その後の人生で負った手傷など蚊に刺されたものと勘違いしてしまうほどである。

 思わず頬を綻ばせたウォルは、そういえばこの世界に来てから、一度も馬に跨っていたなかったことを思い出した。

 

「ヤームル殿。卿らの故郷というのは、遠いのだろうか」

「思い立てば、行けないという距離ではございませんが……如何いたしましたかな?」

「一度、行ってみたい。この世界に来てから、せっかく自由な身の上を取り戻したのだ。卿のような人を育んだ場所であれば、きっと素晴らしい場所だと思う。そこで、一度遠駆けでもしようではないか。今度は大人である卿が一緒なのだから、誰に咎められることもあるまいしな」

「そいつはいいな、ウォル。最近はおふくろの墓も参ってないし、小金が貯まったら一度帰るとするか。ちなみにお前さん、馬は乗れるんだろうな?このチビみたいに、高い怖い降ろしてとピィピィ泣き喚かれたら堪らねえからよ」

 

 メイフゥは、隣に座るインユェを指さしながら言った。

 その言葉に、インユェは鼻で笑いながら、

 

「くっだらねぇ。あんな不便な乗り物の、どこがいいんだか。すぐに息は切れやがるし糞は垂れる、水と餌がなけりゃああっという間にくたばる。よっぽどこのエア・カーのほうが素晴らしいぜ」

「インユェ。それは違うぞ。彼らは乗り物ではない」

「じゃあ、何だってんだよ」

 

 ウォルは厳かに言った。

 

「友だ」

 

 一瞬目を丸くしたインユェは、直後に、蔑むように笑った。

 

「友?あの、気色悪い顔をした、くっせえ畜生が?くっだらねえ!」

「この世界においてはどうかは知らんが、少なくとも俺のいたところではそうだったな。ともに戦場を駆け、命を預け合うのだ。インユェ、彼らのことを単なる乗り物だとお前が思っているならば、きっと彼らはお前のことを単なる重しだとしか思っていないだろう。それでは、彼らがその背を許すはずもないぞ」

「ふん、馬なんぞ乗れなくったって困ることはねえし、頼まれたって乗ってやらねえ」

 

 そう言ってインユェはそっぽを向いてしまった。

 車内での会話は、それきりだった。

 しばらくすると、遙か前方に、乱立する高層ビルの群れが見えた。

 この国の、そしてこの星の首都である、ヴェロニカシティだ。空にはたくさんの物資を積んだ商船が行き交い。この距離からは小鳥が戯れているようにも見える。

 

「さて、わたくしは旧交を温めに参るつもりですが、皆様は如何なされますか?」

「あたしは、街をブラブラするつもりだ。あんだけ大きな街なら、ちったあ珍しいもんの一つくらいはあんだろ」

 

 メイフゥが言うと、ウォルがぴしっと手をあげた。

 

「俺も連れて行って欲しい」

「あん?金ならねえから何も買ってやれねえぞ……って、ああ、そうか」

「うむ。一刻も早くみんなに俺が無事でいることを伝えねばならん。きっと、みんな、心配しているだろうから」

 

 連邦加盟国であるヴェロニカからならば、その他の連邦加盟国まで易々と恒星間通信が飛ばせる。当然、連邦大学や惑星ベルトランもその中に含まれているはずだ。

 街に行けば、恒星間通信機能を備えた公衆電話があるだろうし、無ければ警察か、それに類する組織に借りるという手がある。

 

「ま、それくらいの小銭はあるさ。なんならそこらの金持ちからちょっぱってやるのもいいしな。おい、チビ。お前はどうするんだよ」

「めんどくせえ。俺は車で寝とく」

「ああ、そうかい。そんなんだからお前は大きくなれねえんだ」

「ほっとけ、でか女」

 

 ばしっと、頭を叩く音が聞こえたが、それきりだった。いつもなら、ここから罵り合いの口喧嘩に発展し、最後はウォルが宥めるはめになるのだが。

 どうにも、インユェの調子がおかしいようだった。ウォルに投げ飛ばされて以来、覇気というものが感じられない。

 程なくして目的地に到着したエア・カーから降りたのは、三人だけで、一人は車内に残った。

 

「では、わたくしはあちらに」

 

 ヤームルが指さした先には、うらびれた雰囲気のする酒屋の看板があった。

 そこで待ち合わせでもしているのだろう。

 

「ああ。じゃあ、日が落ちたらあたし達もあの店に行くから、待っててくれ」

「それでは、また後で落ち合いましょう。お嬢様、くれぐれも迷子になどなられませんように。そして、火遊びはほどほどになさいませ」

「了解了解」

 

 はて火遊びとは何かとウォルは頭を捻ったが、とにかく今はリィたちに自分の無事を知らせることが第一である。

 ずんずんと先を行くメイフゥに、慣れない服を着て小走りのウォルがついていく。遠くから見ると、まるで姉妹のようにも見える。

 

「……けっ」

 

 そんな二人を眺めながら、インユェは一人毒づいた。

 別に、何が気に入らないわけではない。

 ただ、気がつけばあの少女を目で追っている自分がいる。

 それが、どうにも気に食わないのだ。

 

「鬱陶しい。寝よ寝よ」

 

 座席をリクライニングさせたインユェは、ごろりと横になり、目を閉じた。

 最近は、どれだけ眠っても疲れが取れない感じがする。眠っても眠っても、眠気が取れないのだ。

 何か、夢を見ているらしい。何か、大事な夢だったような気がするのだが、起きた時には全てを忘れている。胸の奥が空っぽになったような虚無感が、なおいっそう彼を苛立たせる。

 インユェは懐から睡眠薬の錠剤を取り出し、口に放り込んで噛み砕き、それから目を閉じた。

 ぐっすりと眠れば、夢を見ることもあるまい。そう思ったのだ。

 加速度的に解体されていく思考。

 ああ、今日は夢を見なくても済むのかもしれない。

 

『死んじゃうよう、いかないでよう』

 

 どこからか、声が聞こえた。

 ちくしょう、またか、と。

 そして少年は、少女の名前を思い出す。

 獰猛に歯を剥きながら、嗚咽を堪えていた少女の顔を。

 それは彼にとってこの上ない幸福であり、その記憶を持ち帰れないことがこの上ない罰であった。

 

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