懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第三十七話:Tiger fight

 ──ふぅん、そいつは良い心がけだねぇ、お姉さん。

 

 二人の背後で、安らかな声がした。

 ぞくりと背筋が粟立つ。

 近づいてくる気配は、ちっともしなかった。無論、油断をしていたわけではない。

 馬鹿な、と思う。だが、惚けていれば即ち死ぬ。

 ケリーもジャスミンも、振り返るではなく、這うようにして前方へと飛び、着地と同時に体を強引に捻った。

 四肢で伏せるような姿勢のまま、襲撃者を見上げる。

 そこには、女が立っていた。

 体格の良いケリーやジャスミンと比較しても、おさおさ見劣りのしない、立派な体格の女である。逆に言えば、体格そのものは常人の範囲内だ。それ自体は異常でもなんでもない。

 だが、その風体は異様そのものであった。

 女は、一糸纏わぬ裸体である。均整のとれた体つき、そして束ねた鉄条のようにしなやかな筋肉。髪の毛は長く、腰まで届くほどに長い。見事なくらいに癖のないまっすぐな髪の毛で、太陽のもとならばさぞ映えるのだろう。

 その髪の毛の先から、ぽたりぽたりと、液体が滴っている。極端に彩度の失われた視界では液体の色は分からないが、ねっとりと糸を引く様相から、この噎せ返るような鉄臭さの原因がその液体であると分かった。

 液体に濡れているのは、髪の毛だけではない。少女が身じろぎする都度、全身を濡らした粘性の液体が、ぬちゃりと嫌らしい音を立てる。

 その少女の右手には、バスケットボールほどの大きさの球体が握られていた。球体から生えている髪の毛を無造作に掴み、ぶら下げているのだ。

 子細に見入るまでもない。

 人の頭部である。

 人の頭部を無造作にぶら下げた少女が、猫科の猛獣が如く目を爛々と光らせて、切れるような笑みを浮かべてたたずんでいるのだ。

 二人の灰色の視界を満たすのは、正しく悪夢のような光景であった。

 間違いない。この少女が、先ほど見た不可解な死体を作り上げ、そしてたった一人で二個分隊の猛者を片付けたのだろう。

 二人の背を、凄まじい戦慄が走り抜けた。今自分は、生き死にの狭間にいるのだと否が応でも理解させる、金属質な感覚である。

 

「……で、怪奇小説愛好家のあんたから見て、あれはいったいどんなお化けだ?」

 

 固い声でケリーが問う。

 同じく固い声でジャスミンが応える。

 

「残念ながら海賊。わたしには、あれは可愛らしい女性にしか見えないな。どこからどう見ても、化け物のように可愛げのあるものではなさそうだ」

「同感。足のない幽霊なら舌先三寸で追い返すんだが、あれはちっと厳しそうだぜ」

 

 背筋に灼けた針金を押し当てられたように、二人の全身を脂質の汗が濡らしていた。極度の肉体的苦痛、あるいは精神的圧迫を感じたときに流れる、粘い汗だ。

 二人のやりとりを興味深げに眺めていた女が、くつくつと、重たい声で笑い始めた。

 

「ああ、いいなぁ、あんたたちは、とても素敵だ。さっきまでの木偶の坊とはモノが違う。でも、分かるかい、得てしてそういう人達こそ殺したくなる気持ちって。可愛いから壊したい、好きだから磨り潰したい、つくづく人間って複雑だよなぁ」

 

 女が、歩を進める。素足のはずなのに、硬質な地面とすれて、ずしゃりと堅い音がなった。

 足の裏がよほどに硬いのか、それとも皮膚ではない別のもので覆われているのか。

 常人であれば虎に睨まれた子鹿の如く、全身から動きを奪われていただろう。そのまま、延髄に牙が突き立てられるのを、無意識に待ち望んでいたかも知れない。

 だが、二人にとって生死の境に身を置いたのは初めての経験ではない。むしろ彼らの日常には死の気配が充ち満ちていた。少年は見世物の戦場で明日をも知れぬ戦いに身を投じ続けたのだし、少女は自分が老女になれない宿命だと知っていた。

 その経験が、まさに二人を生かしたのだ。

 ケリーもジャスミンも、弾かれたように体勢を整え、手にした銃の照準を目の前の女に合わせ、躊躇無く引き金を絞った。

 光条が数本、闇を切り裂き、血塗れの少女へと殺到する。

 必殺のタイミングであり、そして必中の射撃であった。どうしたって避けようのない一撃であった。

 しかし女は、二人を嘲笑うように、必殺の射撃をひらりと躱した。

 光線そのものを躱せるはずがない。二人が銃を構え、照準を合わせ、引き金を絞ろうとした刹那に、その照準から逃げおおせて見せたのだ。

 言うは易し行うは難し、というよりもほとんど不可能事である。だが、二人の知己には、それを行いうる少年が、四人ばかり存在する。

 驚愕はしない。しかし間違いなく驚嘆に値する。

 なるほど、これはそういうレベルの生き物か。二人は心中で強く舌打ちをした。

 

「はっはぁ!いいなぁ、あんたら、いいよぉ!とってもとっても、とっても素敵だ!」

 

 再び走る致死の火線を、女はこともなげにくぐり抜ける。

 素人の射撃ではない。超一流の射手が二人で放つ、サブマシンガンの弾幕である。どれほどの身体能力を有していても、到底避けきれるものではないはずだ。

 だが、女は巧み、あるいは狡知だった。速射性にこそ優れるものの精密射撃の点で一歩劣るサブマシンガンの性質を理解し、ケリーとジャスミン、二人の中間に自分の体を踊らせて、同士討ちをさせようと狙っている。

 こんなこと、普通の人間にできるはずがない。そんなことをしようとすれば、あっという間に蜂の巣だ。だが、壁面をすら足場として捕らえ三次元的な動きを可能とさせる運動能力と、それを助ける外的環境、おそらくは天性ともいえる勘の良さがその絶事を可能としていた。

 いくつもの戦場を渡り歩いたケリーとジャスミンですら、こんな敵とまみえるのは初めてだった。なるほど、これならば二個分隊の特殊部隊を一人で壊滅させたのも頷ける。

 これは、人ではない。少なくとも、普通の人間ではありえない。

 ケリーは忌々しげに舌打ちし、散発的な射撃を繰り返しながら後退しようとした。この少女に翻弄されるのは距離が接近しすぎているからであり、もう少し距離を開けることができれば銃器の優位性は歴然とする。

 だが。

 

「逃がさねえよう!」

 

 何かがすごい勢いで飛んでくるのを感じて、ケリーは咄嗟に体をよじった。身を仰け反らせたケリーの眼前を、バスケットボール大の何かが、鼻先を擦過するようにすっ飛んでいく。

 ケリーは、その物体を、確と見た。鼻先を通過するとき、目すら合わせてしまった。

 うつろで、もう二度と事象を認識することのないどんよりとした瞳。だらりと半開きになった口から、暗色の液体が糸を引いて垂れている。

 人の、顔。

 この禍々しい襲撃者の手にかかり、息絶えた、特殊部隊の猛者の、恨めしげな顔である。

 慄然としたケリーの背後で、ぐちゃりと、物体が壁にぶつかって拉げる音が響いた。ケリーは、振り返ろうとは決して思わなかった。

 

「もらった!」

 

 ジャスミンの短い叫びが木霊した。

 動きの止まった女に向けて、サブマシンガンの集中砲火を浴びせかける。

 

「おおっと、あぶねえなぁ!」

 

 女は、空いた右手で地面に寝転がっていた荷物──グリフィン上級軍曹の体である──をむんずと掴み、それを盾として集中砲火を防いだ。

 人体であれば易々と貫通するであろう銃撃も、最新式のアサルトスーツを纏った軍人の体躯は貫き得なかったらしい。

 舌打ちを零したジャスミンの眼前で、さらにあり得ないことが起きた。

 女が、盾にしていたグリフィン上級軍曹の体を、あろうことかジャスミンに向かってぶん投げたのだ。

 女の細腕が、大の大人を、風船人形かなにかのように軽々と片腕で投げつける。これが現実のことなのか。

 高速で迫り来る、人体の形をした弾丸に、さすがのジャスミンも咄嗟の回避行動を取ることができなかった。

 

 このままでは潰される──。

 

 刹那、ジャスミンの肩を、どんと、何かが横合いから突き飛ばした。

 顔を見るまでもない。そこに誰がいるかなど、わかりきっている。

 仰向けに倒れながら、ジャスミンは、咄嗟にその名を叫んでいた。

 

「海賊!貴様!」

 

 暗視ゴーグル越しに、いつも通りの皮肉気な笑みを浮かべた、ケリーの顔が写った。

 突き飛ばされたジャスミンの眼前で、ケリーとグリフィン上級軍曹の体は激突し、もつれ合い、洞穴の壁まで吹き飛ばされて、そこで制止した。

 ぱらぱらと零れる土埃に塗れて、二人とも、ぴくりとも動かない。

 それを見遣り、女は感極まったように呟いた。

 

「いい男だねぇ。女をかばって死ぬなんて、勇者の誉れだ」

「……勝手に人の亭主を殺さないでもらおう。あの程度でくたばる男なら、わたしが既に十回は殺している」

 

 あの程度で、海賊王とまで言われた男がくたばるものか。

 

「へぇ。そんなに頑丈なんだ」

「折り紙付きだ。それが取り柄で選んだようなものだからな」

 

 ジャスミンは、ゆっくりと立ち上がった。

 残弾に不安のあるサブマシンガンを捨て、自らの手に馴染んだ大型拳銃を引き抜く。かつては連邦宇宙軍の正式武装にも採用されていた、MB72ハンド・ガン,通称ヴィゴラス。全長40センチを超える銃身と総重量4.8キロの重量を持つ携帯型拳銃は、ハンド・ガンではなくハンド・キャノンと表現する方が適切かもしれない。 

 

「あの色男は、あんたのご主人かい?」

 

 ジャスミンは、苦笑を浮かべた。

 

「そういう紹介の仕方をしたことはないが、成る程、世間一般的に言うならば、確かにこの男はわたしのご主人ということになるな」

「ふぅん、そうかい。じゃああんたを殺せば、この男は鰥夫になるってぇことだな?」

 

 女が、楽しくて仕方ないといったふうに笑った。

 

「よしきた。あんたを殺してこの男はあたしがもらう。あたしの情夫にしてやる。他の男は、どうにも駄目だ。ちょっと小突いただけでぴぃぴぃ泣き喚きやがるからな。その点、この雄は中々に丈夫そうだ。こいつの子種ならさぞかし強い子が産めるに違いねえ」

「……別にわたしを殺さなくても、この男はお前のような美人相手ならば、喜んでお相手すると思うぞ」

「それはなんとも剛毅な話だねぇ。だけどさ、やぱり他人様のものを横からかすめ取るのはよくねえよ。それはコソ泥の仕業だぜ。どうせ奪うなら、堂々と、正面から奪い取るべきだ。そうは思わねえか?」

 

 暫し呆然としたジャスミンだったが、やがてくすくすと、身を屈めるようにして笑い始めた。

 目の前には、圧倒的な死の気配を纏った化け物がいて、状況はちっとも改善されていない。むしろ、二対一が一対一になったぶん、状況は悪化してさえいる。

 それでも愉快なことには違いがない。

 こんなところで、自分と同じ価値判断で男の善し悪しを選ぶ女と出会うとは、夢にも思わなかった。これが可笑しくなくて、何が可笑しいだろう。

 そして、そういう価値判断をする女が、こぞってこの男に惹かれるのが面白かった。黙っていても女の選り好みには苦労しない男ではあるが、自分と同じような女を惹き付けるフェロモンでも発散しているのかも知れないと思った。

 

「……何が可笑しい」

 

 女が、感情を殺した声で呟いた。

 ジャスミンは、笑いを噛み殺しながら、

 

「……自慢ではないが、わたしの亭主はかなりいい男だ。街中を歩けば必ず声を掛けられる。男と女を問わずにな」

「だろうな」

「今まで、この男がどこの女と寝ようが、別に気にも止めなかった。この男も、わたしがどんな男を銜え込んでも気にしない。二人とも、一応の礼儀としてお互いにことわりを入れてから、束の間の逢瀬を楽しんだものだ。幸い、一夜の情熱を求める相手には、お互い苦労しなかったしな」

「なんだい、惚気話かい」

「その一夜の恋人の方にも、わたしは必ず一言ことわりを入れる。自分には配偶者がいるから、あなたとは一緒になることができない、とな。この男もそうだ。しかし度し難いもので、勘違いをした相手に付きまとわれることもある。だが不思議なことに、どれほど美しい女だろうと地位のある女だろうと、わたしがこの男の隣に立てば、すごすごと帰って行く。自分と一緒になってくれないと死んでやるとまで言ってこの男を辟易させた女でも、わたしを一目見るなり尻尾を巻いて退散したよ」

「根性無しだなぁ。こんなにいい男と寝ておいて、正妻がお出まししたくらいで逃げ出すなんざ、雌の風上にも置けねえや」

 

 無論、相手方にも言い分はあるだろう。

 この二人が、例え一夜限りとはいえ見初めた相手であるから、世間一般ではそれなり以上に通用する魅力を備えている者がほとんどである。だからこそプライドも高い。

 そしてそういう人間が、既に配偶者を得ている異性に夢中になったときは、必ずこう思うものなのだ。

 例え今はどんな女が妻の座に居座っていようと、自分のほうがこの男には相応しい。必ず妻の座から蹴落としてみせる。なぜなら自分はこんなにも美しく、若く、そして賢いのだ。この男は、必ずそれに気づいてくれる。

 しかし、そう確信した、あるいは盲信した女でも、ケリーの隣にジャスミンが並べば、自分の入り込む隙間がそこに無いことなど一目で気がつく。それほどに、この二人は『絵になる』のだ。

 ジャスミンは、赤金色の巻き毛を掻き上げながら続ける。

 

「だから、これほど明け透けに、しかも面と向かって略奪愛を宣言されたのは初めてなんだ。なるほど、これがメロドラマとか、嫉妬に狂った女の愛憎劇とか、そういうものなんだなと思うと感慨深い。今までそういうものは、小説や舞台劇の中でしか見たことがなかったからな」

 

 一人頷き、納得していた。

 そんな正妻の前で、どうやら略奪愛を宣言したらしい女は、腹を抱えて笑っていた。

 

「そ、そうだな、こいつは正しくメロドラマだ!一人の男を巡って、女同士、金切り声で泣き叫んで、髪の毛掴んで大立ち回りだ!あたしも、まさかそんな間抜けたことをするはめになるなんざ、ついさっきまで考えもしなかったぜ!」

「そうだろう?だから、考えてみるとどうにも可笑しい。まさしくお笑い草だ。ちなみに、こういうときは、正妻としてはお前のような女を、何と呼べばいいのだろうか?」

 

 女は、真剣な表情でしばし黙考し、

 

「やっぱり、『泥棒猫!』とか言って灰皿の一つでも投げつけるもんじゃねえの?」

「なるほど。実際に猫が亭主をかっ攫っていくのかどうかは置いておいて、よく聞く台詞ではある。それではこれからお前のことを、泥棒猫と呼ぶことにしよう」

 

 ジャスミンは、女に、正面から相対した。

 遙か昔、人類の揺りかごがたった一つの惑星の地表、そのごく一部に過ぎなかった頃、荒野で決闘するガンマンがそういう構えを取ったように、全身から力を抜き、神経をただ一点、右手に握った愛銃に注ぎ込む。

 女も、やはりジャスミンに、正面から相対した。

 体を少しずつ落とし、これから人類未到の大記録に挑む短距離走者のように、全身に揺るぎなく神経を走らせ、脚に、つま先に、いつでも駆け出すためのエネルギーを注ぎ込む。

 じりじりと、焦げるような緊張感が、二人の神経を灼く。

 女は、気がついていた。先ほどの、サブマシンガンを装備して、男と二人がかりで自分を責め立てていたときのジャスミンよりも、今のジャスミンのほうが遙かに危険であることを。暗視ゴーグル越しに自分を見つめる金色の瞳が、今まで見てきた生き物の中で、最も危険な光を灯していることを。

 二人の女が、瞬き一つせずに、相手をじっと見ている。

 視線で殺している。

 動かない。

 動けないのではない。動かないのだ。

 相手を仕留めきれると確信するまで、相手の死体が、どんなふうに倒れ、どれだけの血反吐を垂れ流して死ぬか、それが像を結ぶまで、動かない。

 動いてやらない。

 そして、二人とも、石像のように立ち尽くす。

 だが、どちらからか動かなければ闘争は永遠に終わらない。

 最初に動いたのは、銃を携えた女の方だった。

 銃を目線まで持ち上げるではなく、だらりと下げた右腕をそのままに、女へ向けて銃弾を放った。古代の、古式ゆかしいガンマンの決闘のまんま、恐るべき早撃ちである。

 しかも狙いは正確であった。女の眉間に吸い込まれるように、光条が走った。

 しかし、女の顔は、既にそこにはない。女は既にそこにはいない。

 撓めに撓めた全身のバネを一息で解放し、地面を蹴りつけ、壁面へと跳ねる。

 ジャスミンがそれを追って、着地面に狙いをつけて発砲する。だが女は一拍早くそこを蹴り、今度は天井へと取り付いている。

 

 ──ピンボールでももう少しお淑やかに跳ね回るものだ!

 

 ジャスミンは内心で叫び声を上げた。

 それでも、ここで愚痴って趨勢が変わるはずもない。人間は、与えられた外的条件の中で最善を尽くすしか生きる手段はないのだ。

 三度、天井に張り付いた、蝙蝠のような女に照準を合わせて、発砲する。これほど近距離の目標に、これだけ命中する気がしないのは、銃把を握って以来初めての経験だった。

 然り、致死の光線は人を捕らえることはなく、その背後にあった壁面を僅かにえぐり取るにとどまった。

 

「ちぃっ!」

 

 身の危険を感じたジャスミンが、ステップバックで距離を取ろうとする。

 だが、弾丸のような速度で地面に舞い降りた──突き刺さったというほうが適切な表現だろうか──女は、その拍子を見逃したりはしない。

 着地した姿勢のまま、女は、四足獣のように身を撓めた。まんま、獲物を狙って構える猫の如き姿勢である。

 ジャスミンの視界の中で、蹲った少女の背筋が、大腿筋が、むくりと膨れあがった。ぱんぱんに、まるで破裂する直前の風船のように。

 女が、顔を上げる。ジャスミンの視線と交わった少女の視線が、血に酔って笑っていた。

 

 ──くる!

 

 経験ではない。勘ですらない。敢えていうならば、本能がジャスミンを救った。

 ほとんど大砲で打ち出された弾丸の速度で襲い来る、人の形をした暴力の塊である。どうしようもない。どうしたって避けられない。

 何の理屈もなく、銃で顔面を庇った。その動作が、ジャスミンの顔が、先ほど見た死体と同じ有様になるのを防いでいた。

 顔の前に盾代わりに構えた鉄の銃身に、とんでもなく重たい何かがぶつかり、硬質な火花を散らした。

 少女の右腕。

 もっと正確に表現するならば、その爪であった。

 

 ──冗談を言うな、これが人間の爪か!?

 

 分厚い。

 鋭いとか、堅そうとか、そういう印象ではない。

 ひたすらに分厚いのだ。まるで指から骨が突き出ているように、分厚く、太く、重たそうな爪。当然の如く先端は鋭く尖っているが、そんなことはおまけか何かにすぎないように思える。

 凶器だ。

 これは、到底人体に存在しうる器官ではあり得ない。

 これではっきりした。先ほどの死体の失われた前頭部は、この爪によって貫かれ、剥ぎ取られ、斬り飛ばされたのだ。あの鋭利な切断面を描きうるほどに、これは致死の武器なのだ。

 つまり、この女があの死体を作り上げた。

 そして、自分もあの死体と同じ運命を辿るところだった。

 あらためてジャスミンの脳髄を戦慄が満たした。

 だが、戦慄を感じたのはジャスミンだけではなかった。

 爪の持ち主の瞳が、信じられないものを見たように見開かれている。今、その左手で同じ攻撃を振るえば勝利は彼女のものとなるにも関わらず、そのことに思考が追いついていない有様だ。

 唖然とした表情で、自分の爪を受け止めた銃身を、ただ眺めている。

 

「……へぇえ」

 

 いまだ女の爪と、ジャスミンの持つ銃は鎬を削り合っている。

 ジャスミンはそのまま満身の力を込めて押し返そうとしたが、女の腕は小揺るぎとしない。彼女の顔は、些かの力を込めている様子は無いにも関わらず、だ。

 力を込めるのが顔に出ないだけ、そう思い込めれば幸せだっただろう。

 だが、ジャスミンはその甘えた思考、あるいは幻想を切り捨てた。

 頭の中で算盤を弾く。馬力は相手の方が上、身のこなしも叶うまい。

 ならば、どうやって勝つ?

 自分が勝ちうるものはなんだ?

 走馬燈を回すのではなく、ありとあらゆる引き出しをひっくり返す。そうやって生きる術を探すのだ。

 しかし、そんな暇すらありはしなかった。

 女は無造作に右足を上げ、突き出すようにジャスミンの腹を蹴った。

 

「がはっ」

 

 低いうめき声が、ジャスミン本人の意志を無視して口から飛び出る。浮き上がった体が猛烈な勢いで後方へとはじき飛ばされ、壁へと叩き付けられた。

 凄まじい威力の蹴りだ。ジャスミンの引き締まった腹筋を丸ごと貫くような衝撃だった。もしジャスミンが、いわゆる普通の女であったならば、事実つま先が腹部を貫いていたかも知れない、そういう蹴りだった。

 横隔膜が痺れ、呼吸機能を放棄する。胃がせり上がり、酸っぱい唾液が口の端から垂れる。目がちかちかと意味不明の光を捕らえ、何故自分がここにいるのか、どうしてこんなことをしているのかが分からない。

 ガシャリと、ジャスミンの手から離れた銃が、地面に落ちる音が響いた。

 

「しゃああぁっ!」

 

 洞穴中に響くような雄叫びを上げて、女が飛びかかってくる。

 よろめくようにして壁から跳ね飛ばされてきたジャスミンの眼前で跳躍し、彼女の顔めがけて蹴りを放つ。

 咄嗟に両腕を顔の前で交差させて防御する。

 女は、かまわずにそのまま蹴った。ジャスミンの、両腕のちょうど交差した部分に、女の踵が突き刺さった。

 みしりと、手首の骨が軋む音を、ジャスミンは聞いた。

 殺しきれなかった衝撃はジャスミンの体を再度吹き飛ばし、壁に激突させる。

 後頭部を、強かに打ち付けた。意識が遠のき、全身の力が抜ける。

 

「もういっちょぉ!」

 

 女が、再び跳ねる。そして、もう一度跳び蹴りだ。

 今度は、壁に貼り付けになったままのジャスミンに蹴りが放たれた。

 もう無意識に防御していた腕を、再び鋭い衝撃が貫く。だが、今度は吹き飛ばされるだけのスペースが背後にない。

 ジャスミンの頭部は、女の蹴りと背後の岩壁に挟みつぶされた。

 頭蓋が、脳みそが、悲鳴を上げる。足から力が抜け、体が前方に倒れようとする。

 

「とどめだ!」

 

 女が叫び、右手を大きく振りかぶった。

 これが最後の一撃だ、とジャスミンは思った。

 これで、自分を殺すつもりなのだろう、と。

 恐ろしいほどに女の動きがスローモーションになる。ゆっくりと、自分をいたぶるために殊更ゆっくり動いているように見える。

 死ぬか。

 ここで死ぬか。

 そう思うジャスミンがいる。

 死ぬか。

 誰が、死ぬか。

 死んでたまるか。

 そう思うジャスミンがいる。

 そして、ジャスミンはそう思った。

 こんなところで、死んでたまるか。殺されてたまるか。

 ジャスミンは、遠ざかる意識、その尻尾を強引に掴み、自分のほうに引き寄せた。

 

「かぁっ!」

 

 口をついて出たのは、獣の叫び声だ。

 今のままでは死ぬ。だから、体を動かせ。無様でもいいから、とにかく体を動かせ。

 その意識が、ジャスミンを救った。

 木偶人形のように馬鹿になった体の神経、その末端までに檄を飛ばす。

 後頭部を壁に打ち付け、腹を貫いた衝撃も抜けきらず、いまだ意識の朦朧としたジャスミンだ。その動作は考えてのものではない。

 だが、考えるよりも早く、膝を折り、身を低く屈めた。

 こういうときに一番不味いのは、闘争を放棄すること。そして、行動を放棄して立ち止まることだ。

 動くことを止めさえしなければ、意外と何とかなることを経験から熟知している。

 然り、先ほどまでジャスミンの頭部があった場所を、女の爪が疾駆した。キィンと、コンクリートカッターの擦過音のような高い音が響いて、頑強な岩壁の一部が爪の形に抉れた。

 

「往生際の悪い!」

 

 女の、痛烈な舌打ちが耳朶を叩く。

 いいじゃないか。物わかり良く突っ立っていれば、自分は今頃あの死体の仲間入りをしていたのだ。こういう場合の舌打ちならば、褒め言葉に等しい。

 無理矢理に口元を持ち上げて、ジャスミンは笑っていた。

 

「あいにく、それだけが取り柄なものでな!」

 

 明日をも知れない命を抱えて34年間も見苦しく生き足掻き、つつけば死ぬような病体のまま40年間も眠り続けたのだ。自分ほどに生き汚い人間も他にはいないだろうと、ジャスミンは確信している。

 そして、誇りに思っている。

 ならば、こんなところで死んでたまるか。それは、今の今まで生にしがみついてきた自己への侮辱だ。

 残された最後の力を振り絞り、全力の一撃を躱されて踏鞴を踏んだ女、その足にジャスミンは飛びついた。

 両足を大きく抱えて、そのままバックへと周り、リフトアップし、体を捻って地面へと叩き付けようとする。

 変形のスープレックスだ。

 相手の体重に、自分のそれを預けて、頭から落としてやる。下は、競技用のマットではない。ごつごつとした岩石質の地面だ。下手に落とせば──いや、この場合は上手く落とせばだろうか──首が折れる。頭蓋が割れる。一撃で片が付く。そしてジャスミンは一切の手加減をしない。

 足掻く獣が、肩口に爪を突き刺した。皮膚を破って肉の中に爪が埋もれる怖気のする感覚は、しかしジャスミンから闘志を奪うには至らない。

 満身の力を込め、両手を女の膝でクラッチさせたまま、綺麗にブリッジをして、頭から叩き落とす。

 

「くあぁっ!」

 

 女が、悲鳴をあげるように叫んだ。

 咄嗟に、手で頭を庇おうとする。このまま地面に衝突すれば、どう考えても無事には済まないからだ。

 だが、ジャスミンはお構いなしだ。思い切り、力一杯に投げた。

 ごしゃり、と、肉と骨のつぶれる、ぞっとする音が聞こえた。

 女の体がジャスミンに抱えられたまま、思い切り地面に叩き付けられていた。頭と地面が直接衝突したわけではない。咄嗟に、その間に腕を差し入れて、頭蓋が直接岩と激突するのを防いでいる。

 しかし、だからといってダメージが完全に無くなるはずもない。かなりの衝撃に脳しんとうを起こした女の視線が、曖昧な様子で宙を追う。

 ジャスミンは、僅かに身じろぎする女を両腕に抱えたまま、立ち上がった。

 

「むんっ!」

 

 そして再び、思い切り背を反らして、腕の中の女を、後頭部から地面に叩き付けた。

 今度は手を差し挟む余裕すらなく、女の後頭部は直接岩石と激突した。

 勝負ありである。それどころか、常人であればまず生きていない。

 ジャスミンもそれは分かっているはずだ。

 分かっていて、腕の中で微動だにしない女の体を再び抱え上げ、もう一度、後頭部から地面へと落とした。

 とどめの一撃だ。確実に仕留めるための一撃だ。

 三度、人の体の壊れる音が響いた。

 女を両手で拘束したまま、立ち上がる。

 女の両手が、だらりと力なく投げ出されていた。首が、赤子の首のようにカクンと曲がったまま戻らない。

 それを見て、ジャスミンが僅かに力を緩めた。

 その瞬間。

 腕の中で、女の体が爆ぜた。少なくともジャスミンはそう思った。

 女は、死んでいなかった。

 両腕のクラッチを切られ、次の刹那に、強かに顔面を殴られた。

 鼻の奥がつんと痺れ、頭の中で火花が舞い散る。二、三歩よろけて後ずさる。

 どろりと、鼻の下を暖かな液体の感触が伝った。

 

「……どうして生きていられるんだ、あれを食らって」

 

 感嘆を含んだジャスミンの呟きに、さすがに焦点の合わない視線をした女が応える。

 

「……いやぁ、死ぬかと思った。本気で死ぬかと思った。しゃれこうべの拉げる音が聞こえたぜ、ほんと」

 

 ふらり、ふらりと、今にも倒れそうな体だ。

 女の髪を、他人のものではない血液が伝い、滴り落ちている。

 ふらり、ふらりと、今にも倒れそうなのに、頬には寒気のする笑みが浮かび、まだ戦おうとしている。だらりと下げられた両の手には、尖った爪がぶら下がっている。

 ああ、そうか。この生き物は、それが折れるまで止まらない。そういう生き物なんだな。

 ジャスミンも、鼻血を流しながら笑った。

 ああ、そうか。

 これは邪魔だな。

 ジャスミンは、視界を遮るゴーグルを、無造作に脱ぎ捨てた。

 ジャスミンの金色の瞳孔が、野生の獣のように拡大した。

 視界が暗色に染まったはずなのに、なぜかさきほどよりも、女の姿が鮮明に写る気がする。

 体中にアドレナリンが行き渡り、全身の神経細胞が活性化しているのだ。

 褐色の肌、朱に染まった金色の直毛。視線は獲物を狙う鷹の如く、鋭くぎらついている。

 だがそれは、さきほどまでの凶相ではない。

 年相応の不安定で弱々しい瞳が、最後の意地を守るためにぎらついているだけだった。

 ああ、そうか。

 この女は、一度見覚えがある。

 

 ──馬鹿馬鹿しい。

 

 ジャスミンは、自分と自分の伴侶である男の間抜けを思って、少しだけ微笑した。

 

「いい加減にしろ。普通の人間なら、あれできっちり三回はくたばっているんだ。わたしは必要とあらばためらわないが、出来るだけ殺したくない」

「けっ、お優しいんだな、あんた」

「大人は誰だって、子供には優しくあるべきだ。違うか?」

 

 女の顔が、奇妙にゆがんだ。

 癇癪を起こす寸前の幼児のように、ゆがんだ。

 

「何言ってるんだよ、お姉さん。さぁ、やろうぜ。せっかく盛り上がってきたんじゃねえか。さっきのはすげえきいたよ。だから次はあたしの番だぜ。今度こそ殺してやる」

「駄目だ。我が儘を言って大人を困らせるものじゃない」

「なあ、お姉さん。さっき、言ってたじゃねえかよ。あれは嘘かよ。やるときは、がんがん行くって言ったろう。相手が誰だろうとやるって言ったろう。それとも、相手があたしじゃ駄目かい?泥棒猫じゃあ、本気になってくれないかい?」

 

 今にも泣き出しそうな声で言うのだ。

 薄く涙を浮かべた瞳で言うのだ。

 

「いや、相手にとって不足はない」

「じゃあやろうぜ。今すぐやろうぜ。こんなに楽しいんじゃねえか。今さら止めるなんて、けちくさいこと言わないでくれよ」

「ああ。わたしもそう思うのだが、今日のところはここまでだ」

 

 これ以上ないくらいに優しい声で、ジャスミンが言った。

 女は──少女は、泣いた。

 ぼろぼろと涙をこぼし、口をへの字にして、泣いた。

 泣きながら、駄々をこねた。

 

「どうしてだよ。どうしてそんなこと、言うんだよ。あんた、楽しくなかったのかよ。あたしをあれだけ痛めつけておいて、そんな悲しいこと、言わないでくれよ」

「すまない。心の底から申し訳ない。だが、君にここで死なれるのは、とても厄介なんだ」

「やっかい?」

 

 少女が、鼻を啜りながら問い返した。

 嗚咽で、途切れ途切れになる声で、みっともない調子で問い返した。

 

「厄介ってさぁ、厄介ってなんだよぅ。あたしが死んで、どうしてお姉さんに迷惑がかかるのさぁ。あたしの死に場所くらい、あたしに選ばせてよぅ」

「君に死なれるとな、あの手品の種が分からなくなるんだ。わたしは夫に、あの手品のトリックを暴いてみせると大見得を切ってしまったからな、いまさら引っ込めるわけにもいかないだろう?」

「手品?」

「君が今日、あの酒場でやっていた、入れ替わりマジック。あれは見事だったと、夫が褒めていた。だからこそわたしも、何としても種をあかしてみせる。そのときに、正解を知っている人間があの男だけでは、それが本当に正解かどうか分からないじゃないか」

 

 君は、あのときの女の子だろう、と。

 少女はぽかんとした表情でジャスミンを見た。

 

「お姉さん、あのとき、酒場にいたのかい?」

「ああ。ついでに言うならば、わたしはウォルの友人で、彼女を助けるためにここに来たんだ。どうしてわたしと君が争わなければいけない?」

 

 唖然とした顔で、少女が問う。

 

「……ウォルと、友達?」

「そうだ。結婚式に招待してもらう約束も取り付けた。加えて言うならば、彼女の将来のご夫君は我々夫婦の命の恩人だ。これは十分に友達といっていいと思うんだがな」

「はっ……なんだ、お姉さん、連中の仲間じゃなかったのか。あたしはてっきり……」

「それを知って、まだ続けるのか?それは、なんとも間の抜けた話だとは思わないか?」

 

 少女は、一度大きく頷き、

 

「そりゃあ、間の抜けた話だなぁ。じゃあ、これ以上あんたと喧嘩しても、しまらねえよなぁ」

「ああ、わたしもそう思うよ。何ともしまらない話だ。それと一言断っておくが、君にはあの男のことは諦めてもらおうと思う」

「どうして?」

「あの男は──わたしもそうだが──絶対に未成年には欲情しない。それほど異性に飢えてはいないからな。泥棒猫ならいざ知らず、泥棒子猫では、最初からわたしの敵にはならない。もしもわたしからあの男を奪うつもりなら、きっちり成人してからもう一度来ることだ。そのときは君を泥棒猫として認め、正々堂々とあの男を賭けて戦ってやる」

 

 少女は目をぱちくりとさせ、くすりと笑みを零してから、

 

「あー、それじゃあ、今は、勝てないか……残念……じゃあ、今日はあたしが負けておくよ……いやぁ、強いねぇ、お姉さん……」

 

 そう言って一度大きく体を揺らがせて、後方にばたりと倒れ込んだ。

 少女が地面に伏せる音は、驚くほどに軽やかだった。

 その様子を確認してから、ジャスミンは大きく息を吐き出し、全身に漲る殺気を吐き出した。

 どかりと、倒れ込むように座る。もう二度と立ち上がれないんじゃないか、そう思うくらいに足腰が言うことを聞かない。

 ああ、疲れたな。

 無性に、酒が飲みたくなった。

 

「終わったかい?」

 

 肩越しに投げかけられる声に、しかしジャスミンはちっとも驚かなかった。

 ケリーは、投げ捨てられた暗視ゴーグルをジャスミンに手渡し、倒れた少女に駆け寄って、脈を測り、瞳孔の様子を確かめた。

 特に異常は無さそうだ。しかし、今すぐにどうこうというわけではなかったとしても、常人ならば一撃で死ぬほどの衝撃を三度、頭の同じ箇所に叩き込んだのだ。この少女が何者かは知らないが、可及的速やかに医者に診せる必要がある。

 

「おい、海賊、死んだふりをしていたんだから元気だろう。その女の子を担げるか?」

「ああ、元気いっぱいだぜ。あんたが危なくなったら適当なところでとんずらしようと思ってたんだが、銃の通用しない相手を、まさかバックドロップで仕留めるとは思わなかった。恐れ入ったぜ。流石は七軍の魔女だな。見事なマジックだ」

 

 どこの世界に知識よりも筋力がものをいう魔法の世界があるのかは知らないが、あったとすればジャスミンは間違いなく超一流の魔女になる資格があった。

 だが、特殊部隊の二個分隊を一人で片付けた少女を、追い詰められたとはいえ素手で仕留めてのけたのだ。結果だけを見れば、魔女という表現は決して間違いではない。

 その魔女は、普段の彼女らしからぬ拗ねた声で、唇を尖らせて言った。

 

「それなりに危なかったんだぞ。援護の一つくらいしろ、薄情者」

「そうは言うがよ、女王。俺だって一度はちゃんと気を失ったんだ。なのに目が覚めてみたら、いつの間にか俺はあんたらの景品みたくなっちまってたじゃねえか。あの状況で俺があんたの味方したら、後味が悪いったらねえぜ」

「ではわたしが負けたら、素直にこの子の種馬になったのか?」

「それなんだよなぁ。あんたの言うとおり今のこの子のお相手をする予定はねえがよ。ウォルと同じで、あと十年もしたら是非御相手願いたいべっぴんさんになるぜ、この子。惜しい話だねぇ」

 

 ジャスミンは苦笑した。彼女とてまさか本当に怒っているわけではない。

 感傷的だと自分でも呆れるのだが、先ほどの戦闘は、ある時点から自分とこの少女の一騎打ちになっていたのだとジャスミンは思っている。しかも自分は銃を手にしており、あちらは素手だ。どちらが卑怯かと言えば、客観的に見れば間違いなく自分のほうである。

 その上に援護射撃などが入ろうものならば、弁解のしようがない卑怯を冒すことになるだろう。もしもケリーが自分を助けていれば、そのことにこそ彼女は怒りを覚えたかも知れなかった。

 先ほどの戦闘は、何度も危ない場面があった。ケリーの腕前ならば、背後から少女を狙い撃つのは如何にも容易かっただろう。それを自制することがどれほど耐え難かったか。

 ケリーの陰りのない笑みを、ジャスミンはまぶしげに見遣った。

 

「軽口はここまでにしておこう。さっさとその女の子を担げ。決して変な真似はするなよ。これでもまだ未成年の子供みたいだ」

「ああ、そりゃあこの顔を見りゃ嫌でも分かるさ。どこからどう見ても将来の美女の卵だ」

 

 酒場で、ステージの上に立つこの少女を見たときは、分からなかった。既に成人した女性かと思った。

 さっき、戦っている最中は、そもそもこの少女が酒場で見た女と同一人物だとはどうしても思えなかった。顔の造作などの単純な差異ではない。もっと根本的なところで、人間と同じ生き物とは思えなかったのだ。

 それが今はなんとも無垢な寝顔で寝息を立てている。

 不思議な少女であった。

 

「ちなみに、そっちのおっさんは?」

「まぁ大丈夫だろう。最近の兵装の安全性の進歩具合には恐れ入る。一昔前なら、どれほど性能の良い防弾スーツでも、至近でサブマシンガンの斉射を受ければ命はなかったものだが……」

 

 覚醒の直後に愛機を駆って宇宙戦に挑んだときも思ったことだが、この時代の武器はどれもお行儀がいい。ジャスミンなどの感覚からすれば、少々お行儀が良すぎて調子が狂うくらいだ。

 武器でさえそうなのだから、身を守るための防具においての進歩性は想像以上である。これは一度、自分の装備がそれらの防具に対してどれほど有効たり得るかを真剣に検討する必要がありそうだった。

 そんなジャスミンに、ケリーが言う。

 

「まぁ、とにもかくにもこの迷路みたいな洞窟から抜け出すのが先決だな。問題は出口がどこかなんだが……」

「ウォルたちが出口を知ってここに逃げ込んだことを祈ろう。もうわたしはへとへとなんだ。いまさらあの店に引き返して追撃部隊と一戦やらかすのは、さすがにぞっとしない」

「同感だ。なら、さっさと行くとしようぜ」

 

 ケリーは、血塗れの少女をひょいと抱えた。

 ジャスミンは、ふらつく足を叱咤して、強引に立ち上がった。

 

「肩を貸そうか?」

「いらん」

「惜しいなぁ。あんたを担げりゃまさしく両手に花なんだが」

「言っていろ馬鹿者」

 

 二人は少女を抱えたまま、闇の中へと駆けていった。

 

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