懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第四十五話:TAKE ME HOME, COUNTRY ROADS

『偉大なる始祖たちは、数々の苦難を乗り越えてこの星に辿り着いた。

 そこは、死の星であった。

 荒涼たる大地は人の支配を拒むかのようである。水に乏しく、吹き荒ぶ嵐は人の営みを軽々しく薙ぎ倒していく。

 人知の及ばぬ新世界。

 おお、偉大なるヴェロニカの大地。

 真紅の大地を踏んだ人々の頬を、滂沱の涙が伝った。

 しかし、神々は厳格であった。彼の人の門扉の前で頭を垂れる私たちに、数々の試練をお与えになった。

 麦は実らず、井戸は容易く涸れ、母牛の乳は出ず子牛は育たない。

 病を乗せた風が吹き、赤子も老人も死んだ。手足を石のように強ばらせ、舌は言葉を失い、口から胃の腑を吐き出して、死んだ。

 だが、思い違いをしてはならない。

 彼の人の慈悲は無限である。死は罰ではなく、歴とした救いであったのだ。

 大地を追われ、大地に還ったのは、心弱きもの、心卑しきものばかりであった。彼らは肉を食べ、母牛の乳を奪い、赤々と実った無垢の果実を貪った。

 大いなる大地から、奪い取った人々であった。

 彼らにとって、死は罰ではなかった。

 彼らは、大地から奪い、大いなる罪を犯した。

 そして、罪は彼らとともに、大地に還ったのだ。大いなる循環のうちに戻ることを許されたのだ。

 だが、罪は大地に刻まれる。罪の刻まれた大地は、いずれ我らに本当の罰を下すだろう。

 敬虔なる信徒たちよ。赤き大地の子供たちよ。

 彼らの死を、確と心に置き留めよ。

 神の愛は無限であるが、我らがそれに甘えれば、心の弱さに相応しい残酷な死を迎えることになるだろう。

 この大地を、罪で染めてはならない。我らが大地に還るのは、汚れなき魂とともに。

 ヴェロニカの大地に栄光あれ──』

 

「……気違いだな、こいつを書いた連中は」

 

 助手席に座ったメイフゥは、分厚い本を後部座席に投げ捨てた。

 ジャスミンから手渡された、ヴェロニカ教の教典であった。

 そのまま鈍器として使えそうなほどに分厚い本である。一から十まで目を通せば、慢性的な肩こりと眼精疲労に悩まされることは必至だ。

 しかし、幸いなことにメイフゥはそのどちらにも悩まされずに済みそうだった。何せ、最初のページの半ばほどまでしか読んでいないのだ。肩が凝る時間すらない。

 

「お気に召さなかったか」

「駄目駄目。あほらし、あんなもん読んでるくらいなら煎餅片手にワイドショーでも眺めてる方が幾分生産的ってもんだぜ、お姉様」

 

 なんとも罰当たりな台詞を事も無げに吐き出した少女を横目に見ながら、ジャスミンは車のハンドルを握っていた。

 

「そう言ってやるな。我々には到底理解不能な暗号の羅列であっても、人によっては人生の指針になりうるんだ。それを頭から否定するのは、失礼というものだぞ」

 

 ジャスミンの駆る車は、ヴェロニカの赤茶けた大地を軽快に飛ばしていた。

 途中、宇宙時代とは思えない粗末な集落をいくつか見かけた。中世と呼ばれる時代の村落を絵に描いたような景色である。

 ヴェロニカ共和国は、首都であるヴェロニカシティをはじめとしたいくつかの大都市を除けば、本当の意味で自然と共生した生活が基本になっているようだ。

 集落には、必ず大規模な農場が併設してあった。

 農場といっても、いわゆる普通の農場ではない。敷地は全て角張った透明な建物で覆われており、中で何人かが手仕事で農作業をしている。彼らのいじる土も、ヴェロニカの赤土ではなく、いかにも滋味に富んでいそうな黒土だ。

 見慣れていなければ、どうにも違和感のある眺めではあった。自然からの搾取を禁じているというが、自然の土から作物を作ることすら禁忌に触れるのか。それとも、遺伝子交配によって生み出した新種作物は土から選ばなければ機嫌良く育ってくれないのか。

 あまりに長閑な眺めに、メイフゥはあくびを噛み殺していた。今から向かうのが敵地であるとわかっていても、どうにも緊張感を保てない眺めだったのだ。

 努力して、あくびの代わりにため息を一つ吐き出したメイフゥが、彼女の体格からすればやや手狭な助手席で猫のように身体を伸ばした。

 

「お姉様の言ってることもわかるけどさ、どう考えても頭がおかしいぜ、この本を書いた連中は。何をどう間違えたら、神様にぶっ殺されることが救いになるんだよ。古今東西どこの国で聞いたって、死刑ってのは考えられうる最悪の刑罰だぜ。それが救いだってんなら、この国の人間はみんな感謝の涙を流しながら絞首台に上るってのかい。お姉様、世間じゃあそういう連中のことを、気違いとかバケモンとか呼ぶんだぜ」

 

 容赦ないメイフゥの感想であったが、全く理解できないわけではない。むしろ、価値観としてはジャスミン自身のそれに近い。

 ジャスミンがそこまで過激な感想を持たないのは、共和宇宙全域を股に掛けるクーア財閥の経営者として色々な星を渡り歩き、そこに根付いた多種多様な価値観と親しんでいるからである。その経験がなければ、やはりメイフゥと同じようなことを言っていたかもしれなかった。

 

「お前が目を通した場所なんてまだましなほうだぞ。次の章に入ると少しずつ選民思想が漂いはじめ、三章では終末思想がまじり、最終的には自分たちが選ばれた人間なのだから、他の星の人間の蒙を啓き、導いていかなければならないというくだりに辿り着く。ヴェロニカ教の始祖たちは宗教的な対立が原因でもと住んでいた星を追われた人々らしいが、その意趣返しとも思えるほどに過激な言葉が羅列されていた。読み終えた後は、脳味噌の皺を伸ばしてくれるコミック雑誌が恋しくなったほどだ」

 

 ジャスミンのげんなりした呟きに、隣に座ったメイフゥが目を丸くした。

 

「……お姉様、まさかさっきの分厚い奴を、全部読んだってのかい」

 

 信じられない、といったふうのメイフゥである。灰褐色の瞳を猫みたいにまん丸にして、驚嘆の視線を寄越している。

 

「まぁ、この星に用が出来てから、文化風俗、一応のことは頭に入れてある。特に宗教は重要だ。ほとんどの失礼を笑って流してくれる寛容な民族でも、この一点について侮辱されれば殺人も辞さないというのは共和連邦加盟国でも珍しくないことだからな。用心はするに如かずさ」

 

 さらりと事も無げに言ったジャスミンを、メイフゥは異星人と出会ったかのような顔でまじまじと見つめた。

 メイフゥは優れて頭の良い少女であったが、こつこつと積み上げるように勉強するのは苦手であったし、ちっとも共感できない文字の羅列をひたすらに詠み進めるなど拷問以外の何ものでもないと感じてしまうのだ。それが出きる人間は、既に彼女の理解の範疇から脱している。

 

「原典がお気に召さないなら、こういうのはどうだ?これもなかなかに興味深いぞ」

 

 ジャスミンはサイドボードに手を伸ばし、そこに置いていた豪奢な装丁の本をメイフゥに手渡した。

 興味の薄そうな顔をしたメイフゥは、何気なくページをぱらぱらとめくる。

 

「え、と……『聖女ヴェロニカ、聖地ナハトガルにて守護聖獣とともに天に昇ること』……?」

 

『──ついにヴェロニカは、最後まで己の運命を嘆き悲しむことはなかった。

 

 刑場までの道は、彼女に蔑みと好奇の視線を投げつける、ナハトガルの民衆で満たされていた。その中を、彼女はただの一度も俯くこともなく、毅然と正面のみを見据えて歩き続けた。

 七日間、朝と晩となく降り続けた雨は止み、天は、どこまでも青い空で満ち満ちている。火刑に処される彼女の運命を、神すらが見放したようであった。

 しっかりとした歩みは、聖女を火刑台へと速やかに運ぶ。

 彼女を魔女と認定する異端審問官の声が高らかに響き、民衆の歓声と罵声が年端もいかぬ少女を貫く。

 一際高い場所に設えられた火刑台からヴェロニカの見る光景は、自分の死を望む無数の民の姿で満たされている。それは、万軍を率いる武将の雄々しき心をすらへし折るに十分な眺望であったに違いない。

 しかし、千の罵りも万の嘲りも、無限の絶望すらも、彼女の慈悲に満ちた魂に毛の先ほどの傷をつけることも叶わなかった。

 なぜなら、ヴェロニカは知っていたのだ。己の正しきことを、そして神の無限の寵愛を。ならば、どうして己の行いを恥じることが出来るだろうか。

 ヤドリギの幹に縛り付けられた幼い身体の足下には、恐ろしいほどの籾柄と枯れ枝が積み上げられていた。ひとたび炎が舞い上がれば、少女の身体は骨まで焼き尽くされるのは明らかであった。

 それでも、鉄鎖で巻かれた少女は、どこまでも穏やかであった。

 最も苦痛に満ちた死を前にしながらも、己を暗い地の底へと追いやろうとしているすべての人間に幸多からんことを願って、一心に祈っていた。

 そして、神はヴェロニカに最後の試練を与え給うた。

 魔女の魂を地の底に封じる祝詞が高らかに読まれる中、民衆の中から一人の男が飛び出してきたのだ。

 垢まみれのぼろ布を身体に巻き付けた、蓬髪の老人であった。

 彼はたちまちに刑吏に取り押さえられながら、それでも声を限りに叫んだ。

 

 おお、哀れなヴェロニカよ。あなたの行いはいつだって正しかった。あなたはこれまで、ひたすらに神にだけ仕えてきたのだ。誰が知らずとも、私だけは知っている。だからこそ、己を裏切った民を恨め。己を見放したもうた神を恨め。この世の全てを恨むがいい。それはちっとも恥ずべきことではない。そうしなければ、無念に染まったあなたの魂は、地の底で無限の苦役に曝されるだろう。私には、いつもあなたとともにあった私には、たったそれだけがどうしても許しがたいのだ。

 

 男は、いつのまにか恐ろしい化け物の姿に変じていた。

 全身を黒い鱗で覆い、肩と背中から無数の蛇を生やした巨人の姿であった。

 それは、今までのありとあらゆる時と場所で、ヴェロニカの耳に涜神と背教の言葉を吹き込んだ悪魔の正体であった。

 その化け物が、誰一人嘆き悲しまない聖女の死に、誰よりも嘆き悲しんでいたのだ。

 涙とともに放たれた化け物の声に寸分も構うことなく、無慈悲の炎は放たれる。

 種火はたちまちに業火となり、少女の身体を包み込んだ。

 しかし聖女ヴェロニカは、なおも穏やかな声で化け物に向かって曰く。

 

 悪魔よ。悪鬼よ。それとも、私の心に宿った醜いところよ。最後の最後まで私に付き合ってくれてありがとう。だけれども、そろそろ幕引きだ。わたしは神の愛とともに神の御元へ帰るのだ。あなたの言葉はどこまでも優しく暖かだ。だからこそ、今の私の穏やかな心を、どうかあなたの温もりで汚さないでいただきたい。

 

 悪魔と呼ばれた化け物は、ヴェロニカの言葉に、更なる涙で頬をぬらす。垢で黒ずんだ化け物の顔が、涙の伝った箇所のみ鏡のごとく美しく輝いた。

 返して化け物、耳を塞ぎたくなるような嗚咽で喉を振るわし、世界を揺らすような大音声で曰く。

 

 おお、ヴェロニカよ。この世界で、もっとも敬虔に私の言葉に耳を傾け続けた端女よ。この世界で、もっとも頑なに私の言葉から耳を背け続けた聖女よ。あなたを、私の主の御元へと誘おう。彼の人のもとで、その疲れた身体を休めるがいい。

 

 化け物、たちまちに真白く立派な狼へと変じ、炎に包まれたヴェロニカに歩み寄る。

 あまりに神々しいその姿に民も刑吏も道を開け、炎すらもが白き獣を恐れ敬うように消え失せた。

 故無き罪の業火に焼かれ、黒こげになったヴェロニカ。しかし白き獣が身を寄せると、おお、傷ついた聖女の身体は、たちまちに生まれたての赤子の如き美しい肌に生まれ変わったのだ。

 神の御使いたる白狼は、ヴェロニカを背に乗せると、羽根無き身体で天へと駈け上っていった。

 至上の奇跡を目の当たりにした民草は、己の行いを深く悔い、聖女ヴェロニカの教えに帰依した。以来、この星に病魔を乗せた風が吹くことは無くなったという……』

 

「ふぅん……白い狼、ねえ」

 

 メイフゥは気のない声でそう一言呟いただけだった。

 意外を覚えたのはジャスミンである。これもしょせんは子供向きの寓話であるのだが、けちをつけようと思えばいくらでもつけられる話だ。それが野暮であることは百も承知といっても、この少女のことだから、絶対に何か一言あると思っていたのに。

 

「その話はお気に召したか?」

 

 からかい調子のジャスミンの声に、メイフゥは鼻を一つ鳴らしてから、

 

「子供向けの絵本噺にけちをつけるほど、あたしだって野暮天じゃないさ。そりゃあ、白い狼が身を寄せただけで火傷が治るはずがないとか、羽根の無い動物がどうやって空を飛ぶんだとか、突っ込みたいところは山とあるけどさ」

「……」

 

 ジャスミンは、メイフゥの言葉にわずかな異物感を覚えたが、とりあえずそのままにしておいた。何か、もっと不思議を覚える箇所が、他にあった気がするのだが。

 僅かに生まれた気まずい空気を嫌がるように、今度はメイフゥが口を開いた。

 

「しかし、聖女ヴェロニカ、ねぇ。この気の毒な女の子、この星と同じ名前なんだね」

「当然だ。なにせ、ヴェロニカ教という名前自体、この、聖女ヴェロニカから貰ったものなんだからな」

 

 ジャスミンの言葉が余程思いがけないものだったのだろう、メイフゥが驚いた声で、

 

「……そうなの?」

「珍しいことではないだろう。確か、一時期は人類の大部分が信仰していた原始一神教の一つに、教祖自身の名前を冠したものがあったのではなかったかな」

 

 遠くを見るように言ったジャスミンである。

 遙か昔、家庭教師から聞かされただけの知識だ。定かなものではなかった。

 

「そういえば、その宗教にもヴェロニカという名前の聖女がいたな。たしか、処刑の丘に十字架を担いで登るその教祖の、血と汗で汚れた顔を拭き清めたとかなんとか……」

「顔を拭っただけ?たったそれだけのことで、聖女として名前が残るの?そいつは美味しいなあ、どっかにいねえかな、処刑の丘に登る教祖様。あたしが優しく顔を拭ってやるのに」

「いや、彼女の名前が聖人の列に叙された理由としては、彼女の行為そのものよりも、どちらかというとその後の奇蹟の方が重要だな」

「その後の奇蹟?」

「彼女が教祖の顔を拭った麻布にな、なんと教祖の顔が浮き出たらしいのさ」

「うげ、気持ち悪っ!」

 

 にべもないメイフゥの感想に、ジャスミンは笑った。

 それでもメイフゥは、悪臭に鼻を摘んだ様な表情で続ける。

 

「奇跡っていうより、祟りなんじゃねえの?あたしなら、そんな気持ちの悪い布っきれ、さっさと燃やしっちまうけどなぁ」

「だが、教祖を信仰する連中からすれば紛れもない奇跡だ。それに、どちらかというと、この逸話の主人公はヴェロニカという女性個人ではなく、正しくその奇跡本体のようでな」

「……どういうこと?」

「ある学者が言うには、ヴェロニカという女性は後日に付け加えられた架空の登場人物で、ヴェラ・イコン──真たる聖像という意味だが──が訛った言葉らしい。この場合は、教祖の顔の浮き出た聖顔布のことだな。つまり、教祖の顔の浮き出た聖顔布という奇跡が先にあり、同じ名前を冠した登場人物が後から生まれたのさ。如何にも奇跡を重んじる宗教らしいエピソードだと思わないか?」

「ふぅん、形式が先にあって、その後に実質が肉付けされたってわけか。ま、よくある話だね。詐欺師や山師が考えつきそうなこった」

「……さきほどから聞いていると、君はよほど宗教というものに恨みがあるのか?」

 

 メイフゥは後頭部を乱暴に掻きむしり、

 

「いや、こいつはどっちかっていうと嫉妬とか羨望の類だなぁ」

「ほう」

「だってさ、考えてもみてよ。この世のありとあらゆる金持ちの中でさ、働くこともなく元手をつぎ込むことも危険を冒すこともなく、それでもたらふく儲けてるのって、ぶくぶく太った生臭坊主くらいのもんだぜ?あたしみたいな、朝から晩まで働いても食うや食わずの貧乏人からしたら、羨ましいったらねえさ」

「……なるほど」

 

 ほとんどは呆れたジャスミンだが、一理あるとも思った。

 確かに、宗教ほどに効率のいい金儲けのシステムは他にない。そして、喜捨という名目の金銭から寄付した人間の信仰心をさっ引けば、そこに残るのは詐欺じみた後味の悪さだけである。

 当然、反駁する意見は山とあるだろうし、宗教というシステムによって救われている人間が無数にいるのも事実だ。だから、宗教自体が悪だという極論は、ジャスミンも好むところではない。

 それでも、年若いメイフゥの意見には頷かざるを得ない部分があるもの、また事実であった。

 

「そういえばお姉様、お姉様はどうしてこの星に来たんだい?まさか観光目的って訳でもないんだろう?」

「ん?そうか、まだ君には話していなかったな」

 

 ジャスミンは、自分とケリーがこの国を訪れるきっかけとなった、連邦大学中等部学生大量誘拐事件の顛末を語った。

 ジャスミンの説明は要点を得ていたし、メイフゥもよく理解した。

 事件解決の立役者となったダン・マクスウェル船長の身が危険に曝されているところまで説明すると、メイフゥは深く感銘を受けた様子でしっかと頷いた。

 

「ふぅん、知り合いの身の安全のために、トリジウム密輸組織を丸ごとぶっ潰す、か。いいねぇ、粋だねぇ、男前だねぇ」

 

 知り合いとは、ジャスミンの一人息子のことである。

 不惑を迎えた男性をまさか自分の息子であるとは説明できず、知り合いということにしたのだ。

 

「その事件なら小耳に挟んだぜ。確か、連邦警察も血相変えて組織を追っかけてるとかなんとか。……ひょっとしてお姉様って、連邦警察の捜査官か何かかい?」

 

 おそるおそるといった様子でメイフゥが尋ねる。

 なるほど、そう考えてみれば、ジャスミンの言葉の端々や所作には、規律厳しい集団に属した者特有の、癖のようなものがある。

 メイフゥはかなり本気だ。

 

 ──海賊王の妻である自分が連邦捜査官か。それも面白いかもしれないな。

 

 ジャスミンは笑いを堪えながら、逆に訊いた。

 

「もしそうだとしたらどうする?」

「金輪際、連邦警察の目の届くところでは大人しく生きていくよ。もしも連中のみんながみんな、お姉様みたいな手練れ揃いだったら、どう考えても勝ち目がねえもん」

 

 ぶるりと体を震わしたメイフゥであった。

 それも無理はないかもしれない。なにせ、つい先日まで自身の宇宙最強――たった一人を除いて――を疑っていなかったメイフゥである。その自分を打ち負かした人間が警察の人間で、しかもそんな人間がごろごろといるならば、この世の構造そのものを考え直さなければならないと思っているのだ。

 ジャスミンは、更にこみ上げてくる笑いを押し殺し、言った。

 

「警官か。それはそれで面白そうだが、今生で警察手帳を持ったことはまだないな」

「あ、そうなの?よかったぁ!」

 

 起伏に富んだ豊かな胸をほっとなで下ろしたメイフゥに対して、冷ややかな視線を向けたジャスミンが、

 

「だからといって、君が好き放題やっていい道理はないぞ。言っておくが、わたしは君みたいな子供が荒事に首を突っ込むのはあまり好きではないんだ」

 

 メイフゥという少女の人間離れした戦闘力は、嫌というほどに理解している。なにせ、冗談ではなくあと一歩で殺されるところだったのだ。

 だが、それとこれとは話が別である。

 戦力としてはこの上なく頼りになるのを承知しているが、子供が血を流したり流させられたり、殺したり殺されたりすることには嫌悪感が拭いきれない。ジャスミンにはそういう甘い部分がある。

 普段子供扱いなどほとんどされたことのないメイフゥは、自分を子供として扱うジャスミンが、どこまでも新鮮な存在であった。

 だから、ハンドルを握るジャスミンの横顔を眺めたメイフゥは、意地の悪い声で尋ねた。

 

「ふぅん、子供は子供らしく、おうちでおままごとでもしてなさいってか。じゃあ、今からあたしが大暴れするのも禁止かい?」

「いや、それは大いに期待している」

 

 あっけらかんとしたジャスミンの返答に、メイフゥが不思議そうに首を傾げた。

 

「なのに荒事に首を突っ込むなって?それって矛盾してないかい?」

「平時と非常時との間には要求される倫理感の質量に開きがあって当然だ」

 

 しれっと答えたジャスミンである。

 メイフゥは、大きく肩をすくめた。どう考えてもジャスミンの意見は正しい。

 日曜日の昼下がり、陽光の射す教会で神の愛を説くのは結構なことだ。尊ばれるべき行いでもあるだろう。

 しかし、銃弾の飛び交う戦地で、今まさに自分に銃口を向けている敵兵に対して神の愛の尊さを説いたところで、一秒後には鉛の塊が頭部を吹き飛ばすだけなのだ。

 野生の草食動物だって、飢えれば屍肉を食らうこともある。生き残るのに必要なのは、理屈ではなく適応力だ。そして、与えられた状況に適応できない生き物は死ぬしかないのだ。

 

「ま、いっか。で、お姉様はどうしてこの国に目を付けたんだい?あの事件、これといった手がかりも見つからずに捜査も進展してないって噂だけどさ」

「ちょっとしたつてがあってな。証拠物であるトリジウム原石の袋を一部融通してもらって、その成分分析をした」

 

 メイフゥは今度こそ目を剥いた。

 つてがあるというが、連邦警察の押収した証拠物件を融通してもらうほどのつてとは何だろう。同年代の少年少女に比べれば人生経験の豊かなメイフゥも、寡聞にしてそんなものは聞いたことがない。

 

「……あらためて訊くけどさ、お姉様って一体何者なんだい?」

「わたしはジャスミン・クーアだ。それ以上でもそれ以下でもあったためしはない」

 

 メイフゥは胡散臭そうに眉をしかめた。

 

「あのさ、あのジャスミン・クーア──クーア財閥二代目のジャスミン・クーアならいざ知らず、何の後ろ盾もないジャスミン・クーアに証拠物件を渡してくれるほどお優しくはないと思うぜ、連邦警察って」

「ただのジャスミン・クーアなら渡してくれないとも。だが、わたしは一応、クーア財閥二代目のジャスミン・クーアらしいからな。連邦警察もこころよく渡してくれたぞ」

 

 またも、猫科の獣みたいに目を丸くしたメイフゥが、一瞬遅れて、お腹を抱えて笑い始めた。

 メイフゥはシートベルトを締めていなかったので、笑い転げているうちにジャスミンの太股に寝ころんでしまった。それくらい、豪快に笑い転げた。

 

「おい、運転の邪魔だ。死にたいのか」

 

 ジャスミンは結構厳しい声で言ったのに、当のお邪魔物には全く堪えたところがない。

 それどころかメイフゥは、子猫が母猫にするように、甘えた様子でジャスミンを見上げながら、なおも笑いに染まった声で言った。

 

「いやぁ、ごめんごめん。でも、意外だったよ。お姉様って結構冗談が好きなんだねぇ。もっと堅物かと思ってた」

「わたしは一言だって冗談なんて口にしたつもりはないぞ。それより早くどきなさい」

「了解了解」

 

 メイフゥは名残惜しそうにジャスミンの太股から体を離したが、先ほどのジャスミンの言葉を信じているふうではちっともなかった。

 ジャスミンも、別に自分の言葉を信じてもらう必要性があるとは思わなかったので、それ以上は何も言わなかった。

 

「あともう一つ。参考までに訊いとくけど、お姉様の一味って、どれくらいの兵隊を抱えているんだい?」

「一味などという物騒なものを率いた覚えはない」

「じゃあ、ひょっとしてダイアナの姉御と、あの色男だけか?」

「あとは、わたしの愛機がいる」

「……それだけ?」

「十分さ。むしろ、よくぞこれだけ揃ってくれたと神に感謝してしまうほどだ」

 

 ジャスミンは至極真面目に答えたつもりだ。

 彼女は、自分たちが十全の力を発揮できるならば、連邦軍の哨戒艦隊までならなんとか相手にできると確信していた。また、木っ端海賊程度であればどれほど束になろうと彼女たちに冷や汗の一つもかかせられないのは事実でもあった。

 だが、一般常識の持ち主であれば、あるいはジャスミンたちの実力をよく知らない者であれば、たった二人(感応頭脳を含めれば三人、さらに戦闘機を含めるなら四人である)でトリジウム密輸組織を壊滅させるなど、よくて冗談言、悪くすれば精神異常を疑われてしまう。

 その点、たった二人(未熟者の弟を含めれば三人、太陽のように笑う不可思議な少女を含めれば四人である)でこの星を牛耳る暴力組織に正面から喧嘩を売りつけたメイフゥは、自身を打ち負かしたジャスミンの言葉を疑ったりはしなかった。無論、彼女の精神異常を心配することもない。

 喜びと興奮に頬を赤らめ、灰褐色の瞳を薄く濡らしてジャスミンを見ている。

 それは、恋した乙女の表情であった。

 

「ああ、どうしてお姉様はお姉様なんだろうなぁ。あんたが男だったら、絶対に逃がしたりしねぇのになぁ。今日にでもあたしの星に攫っていって、祝言をあげてやるのになぁ」

「それは残念だったな。だが、わたしよりもわたしの夫のほうがいい男だぞ。君が成人したら、存分にアプローチをかけなさい」

 

 絶対に妻の台詞ではない。少なくとも、捕らわれの夫をこれから命を懸けて救い出そうとしている妻の台詞ではありえない。

 だが、当のジャスミンは平然としているのだ。これには、むしろメイフゥのほうが声を小さくして、

 

「……ほんとにいいの?」

 

 年頃の少女らしい可愛げのある声である。

 ジャスミンは思わず苦笑を漏らしてしまった。

 

「意外と弱気だな。どうした、泥棒猫のきみらしくもないじゃないか」

「うーん、それを言うならお姉様も、ちっとも本妻らしくないんだけど」

 

 至極もっともな台詞だったので、ジャスミンも頷いた。

 

「わたしも時々そう思うんだ。どうしてあの男は、こんな女が好きなんだろうなぁ」

 

 聞きようによっては傲慢とも受け取ることの出来る台詞である。

 自分のどこに惚れているのかはわからない。しかし、自分に惚れていることは確信している。

 そういう台詞であった。余程の自信と、その裏付けとなる事実がないと、到底こんなことが口から出ようはずもない。

 メイフゥは、溜息を吐き出した。どう考えても、目の前の女を手に入れるのも、目の前の女の夫を手に入れるのも、不可能事にしか思えなかったからだ。

 手を頭の後ろに組み、低い天井を見上げながら、一言だけ呟いた。

 

「ま、いいや。この世には星の数ほども男がいるっていうしね」

 

 メイフゥが諦めの台詞を口にした時、後部座席から、かすかな呻き声が聞こえた。

 不審を覚えたメイフゥが身体を後部座席に向けると、そこには、頭を抱えてうずくまる銀髪の少年がいた。

 

「……何してんの、おまえ」

「──こんの馬鹿女!てめえのせいだろうが、てめえのっ!」

 

 涙声のインユェが、声を限りに叫んだ。

 見てみれば、鈍器と見間違えるほどに分厚いヴェロニカ教の教典が、涙目のインユェの足下に落っこちていた。そして、少年の額には特大のこぶが出来ているのだ。

 ああなるほどと得心のいった姉は、いかにも気安く顔の前で手を合わせ、

 

「わり、見てなかった」

「わりい、だとぅ!?わりいで済んだら連邦警察はいらねんだよ!」

 

 インユェは大いに憤慨した。

 至極当然である。

 しかし、こういう場合にものをいうのは、どちらに理があるかよりも、どちらのほうに力があるかだったりするわけだ。

 加害者であるはずのメイフゥは、被害者であるインユェよりもふてぶてしい有様で、

 

「いいじゃねえか、どうせこれ以上悪くなることもねえんだしよ、その不景気な面も、残念な脳味噌もな」

「何だその言い草はぁ!?本当に謝る気があんのか!?」

「ああ、うるせえなぁ、そんな小せえことをぐちぐち言ってやがるから、いつまでたっても小せえままなんだ、ガタイもアソコもよ」

「て、てめえ、人が気にしてることを……!」

「あ、図星かよ。気にしてたんだ、こりゃあ悪いことを言っちまったなぁ、ごめんなぁ、ウォルには秘密にしておいてやるからなぁ、てめえのモノが粗末なことはよぅ」

「こ、殺す、絶対に殺してやる!」

 

 ぎゃあぎゃあとうるさい姉弟を横目に、

 

「いや、兄弟というものは賑やかでいいものだ。これなら、少し無理してでももう一人産んでおくんだったかな?」

 

 聞く人が聞けば──例えば歳の離れた彼女の子供などである──頭を抱えたくなるような台詞を呟いたジャスミンは、アクセルを強く踏み込んだ。

 

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