懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第五十二話:mimicry

「ああ、もう、うるせぇなぁ。おちおち昼寝もできやしねえじゃねえか」

 

 ぼそりとした呟きが、不思議なほどはっきりと、廃屋に響き渡った。

 自我崩壊を起こした青年以外の、この場にいる全ての人間の視線が、一点に集中した。

 視線を向けられた男が、少し慌てた様子で、肩に担いだ荷物を見た。

 だらりと力なく投げ出され、軽々と担がれた、ほっそりとした体。屈強な男の体格と比べれば、あまりに頼りない。

 その体が、さも不快そうに、もぞもぞと動いた。

 

「ああ、苦しいったらねえな」

 

 男は、ぎょっとして、自分の右脇あたりにある、気を失っていたはずの荷物の顔を確かめた。

 そして、正しく目が合った。

 荷物は、少年僧は、ぎらぎらとした名状しがたい視線で、男を睨み付けて、笑っていたのだ。

 

「おい、おっさんよう、お前、たんまりと銭の方はもってるんだろうなぁ。いつまでもベタベタと、あたしの体を、穢れない乙女の体をまさぐったんだ。こいつは高くつくぜぇ」

 

 少年僧が、愉快げに言った。

 一番驚いたのは、その体を担いでいた男である。

 普通人間というものは、一度意識を失えば、覚醒する際に、何らかのシグナルを発するものである。呻き声を上げる、体を捩る、それとも呼吸のリズムを乱す等々。

 だが、この少年僧は、そういった兆候を一切見せることなく、突然に目覚めたのだ。まるで、擬死行動を取っていた、野の獣のように。

 慌てた男は、反射的に肩に担いだ荷物を、地面へと下ろした。そして、自分達の司令官であるテルミンに対して、目で指示を求めた。

 テルミンは、興を削がれた表情で、面倒くさそうに言った。

 

「何をしているのですか、さっさと眠らせなさい。まぁ、別に殺してしまっても構いませんがね」

 

 上官の指示を受けた男は、何のためらいもなく、手足を縛られたまま床に転がされた少年僧に飛びかかった。

 男は、少年僧を殺そうとしたのではない。ただ、もう一度眠ってもらおうとしただけだ。

 そのためには、首を締めて落とすのが一番簡単で、効率的である。

 ようやく上半身を起こした少年僧の後ろに回り込み、丸太のように太い腕を、細い首に巻き付ける。

 手足の利かない少年僧に、為す術などあるはずがない。顎を引き、のど元を隠すことで、首を直接絞められることを何とか防いだが、それだけだ。

 抵抗とも呼べない、抵抗。

 そして、その程度であれば、いくらでもやりようはあるのだ。

 首を絞めようとしている方とは違う、もう一本の手で、少年の鼻の穴に指を突っ込み、強引に持ち上げてやる。そうすれば、いつまでも顎を引いていられるはずがない……。

 そこまで考えた男の脳裏は、赤く爆発する光に思考の全てを奪われた。

 

「ぎゃあぁぁっ!」

 

 全員の聴覚を、苦痛に満ちた男の叫びが奪った。

 男は、少年僧の体から離れ、コンクリートの床をごろごろと転げ回っていた。まるで、生きたまま焼けた鉄板の上に載せられた、蛇のように。

 脂汗を満面に浮かべた男は、左手で、右手の二の腕の半ばあたりを押さえていた。そこは、ちょうど、少年僧の顎を押さえたあたりである。

 満身の力の込められた左手、その下から、どろりと、大量の赤い液体が流れ出した。

 

「こっ、ここ、こいつ、こいつ、かみちぎりやがったぁぁ!」

 

 甲高い、大の男のものとは思えない悲鳴である。

 それは、苦痛に精神を屈服させられた、人間の声だ。

 

「あーあ、これじゃあ、体を汚された慰謝料には、ちっとばかり足りねえぜ、おっさん。あとで追加分はきっちり払ってもらうから、覚悟しとけよ」

 

 からからと、愉快げな声で、少年僧は笑った。

 その、三日月のように歪められた口元が、べったりと、やはり赤い液体に濡れている。

 もごもごと口を動かした少年は、地面に、赤黒い固体を吐き出した。

 一部に、白い、軽石みたいなものが付着した、それ。

 骨ごと囓り取られた、肉の塊であった。

 手足を縛られたまま難無く立ち上がった少年は、後ろ手に縛られていた両腕を、器用に跨いで、体の前面に持ってきた。

 そして、血にまみれた口を、もう一度、あんぐりと開く。

 血と唾液の混じった粘着質な液体が、前歯と前歯に糸を架けていた。

 少年は、そのまま、己の両手を縛った、太い麻縄に噛みついた。

 一瞬の抵抗もない。

 ぶちり、と、乾いた音が鳴って、麻縄は噛み千切られていた。

 

「ちくしょう、最近は、なんか不味いもんばっか食ってる気がすんなぁ。帰ったら、お姉様にはたんまり弾んでもらって、ちっとは精のつくものを食わなきゃ、自慢の牙が腐っちまうぜ」

 

 少年僧は、噛み千切った麻縄を、さも不味そうに吐き出した。

 全員が呆気にとられて、少年の、自由になった両腕を見ていた。

 あり得べき話ではない。丈夫な麻縄に思い切り噛みつけば、折れるのは歯の方である。人の歯は、そこまで丈夫には作られていないのだ。

 なら、この少年僧は何者か。

 その場にいた全員のうちで、一足先に我に返ったテルミンが、声を限りに叫んだ。

 

「何をしている!さっさとそいつを殺せ!」

 

 弾かれたように、その場に居合わせた男達の全員が、懐から銃を抜いた。

 そして、響き渡る銃声。

 

「ぐあぁ!」

 

 悲鳴は、野太い男のものであった。

 男のうちの一人が、太股を撃ち抜かれて、床に崩れ落ちていた。

 

「銃撃か!」

「どこからだ!」

 

 集団の注意が自分から離れた、一瞬。

 少年僧は、すでに懐から小さな刃物を取り出して、自分の両足を縛り付ける戒めを切り裂いていた。

 

「ようし、ナイスアシストだクソチビ。愛しのお姉様が褒めてやるぜ」

 

 少年僧の呟きを、誰が聞いていただろう。

 男のうちの数人が聞いていたとしても、それは即座に頭蓋の外に叩き出されることになったに違いない。

 両手両足の自由を取り戻した少年が、近場にいた男の数人を、ほぼ同時に殴り倒し、蹴り飛ばしていたからだ。

 冗談のように吹き飛ぶ人間の体を見て、銃撃のほうに意識を囚われていた男達は、こちらも尋常ではない脅威だと悟る。

 だが、正体不明の狙撃手と、目の前の少年、どちらに対応すべきなのか。銃撃を防ぐために散開し、物陰に隠れるべきなのか、それとも、この少年を一斉に取り囲んで制圧、ないし殺害するべきなのか。

 辺りは、大混乱になった。

 数的優位で言えば、圧倒的に男達が勝る。

 しかし、建物の外から狙撃され、平常心を失ったところに、常識外れの戦闘力を有する少年僧が暴れ回ったのだ。冷静に対処出来るはずがない。

 

「おい、やめろ、撃つな!同士討ちになるぞ!」

「馬鹿を言うな!じゃあ、どうやってあの化け物を……ぐああ!」

「ちくしょう!どこから狙っていやがる!」

「誰かを建物の外に向かわせろ!だいたい、見張りの連中は何をやっていやがったんだ!」

「それよりも、この化け物をなんとかしてくれぇ!」

 

 怒号と銃声が響き渡るが、それも長い間続かなかった。

 死屍累々の倉庫の中で、最後に立っていたのは、ついさっきまで力なく荷物のように担がれていた少年僧ただ一人であった。しかも、二十人を越える屈強な男達を薙ぎ倒しておいて、息の一つも乱した様子がない。

 まだまだ、十分以上に余力を残している。

 テセルを庇い、ずっと地面に伏していたビアンキは、辺りが落ち着いたようなので、そっと顔を起こした。

 そして、寝所にて自分の世話をしてくれていた、少年と目を合わせた。

 

「き、きみは、いったい……」

「ああ、悪い、ちょっと待ってくれよ、じいさん……かぁっ、ぺっ!」

 

 少年僧は、盛大に喉を鳴らし、行儀の悪い様で、地面に向かって痰を吐き出した。

 だが、吐き出した痰が地面とぶつかって鳴らしたのは、液体の音ではなく、金属質な、カチャリという音である。

 少年は、痰の中から小さな機械をつまみ上げ、服の袖でごしごしと拭いて、懐に入れた。

 

「へへっ、捨てていくのはもったいねえもんな」

 

 嬉しそうな呟き声は、すでに少年のものではない。

 それは、年若い少女のものであった。

 呆気にとられるビアンキの前で、少女の声をしたその人物は、頭に巻いた布を解き放った。

 ふわりと、驚くほどの量の髪の毛が、土埃と硝煙に塗れた空気の中に舞い上がる。

 薄暗がりでも、ビアンキは、その髪の美しさには目を見張らざるを得なかった。

 長身の少女、その腰まで届く真っ直ぐな金髪。まるで、少女の背後を飾り付ける豪奢なマントのようではないか。

 少女は、懐からヘアバンドを取り出して、髪を全て、後ろに流した。そうすると、少女の整った顔立ちがビアンキの目にも明らかになった。

 

「あたしの名は、メイフゥ。美しい虎って書いて、メイフゥだ」

「メイフゥ……」

「そっ。あんたが今日の……あ、もう昨日かね、昼間に会った、でっかい女の人の、一味だよ」

 

 ビアンキは、突然に来訪し、自分への面談を求めた、赤毛の女性のことを思い出していた。

 自分を正面から射貫く、あの青灰色の瞳。燃えさかるような赤毛。並の男など、はるか頭上から見下ろせるほどの体格。

 どれをつけても、棺桶の中に入るまで忘れられないような、鮮烈な印象を残す女性であった。

 だが、それだけではあるまい、と、ビアンキは確信している。

 あの女性の外見的な特徴などは、その内側に隠し持った何かを隠すための、ヴェールに過ぎないのだろう。あれは、そういう存在だ。

 そして、おそらくは目の前の少女も。

 

「……そうか。きみは、ジャスミン・クーア女史の、御友人か」

 

 メイフゥは、頬の辺りを指先で掻いた。

 

「友人っていうと、なんだか面映ゆいね。あたしは、あの人に憧れて、ちょこちょこ後ろをくっついてるだけみたいなもんなんだし。あの人に、いつかはそう紹介してもらえたら、嬉しいんだけどなぁ」

 

 照れくさそうに言うメイフゥを、ビアンキは微笑ましく眺めた後で、

 

「……では、さぞかしわしを軽蔑しているであろうな」

 

 暗く落とした声に、メイフゥが首を傾げた。

 

「軽蔑?なんで?」

「知れたこと。きみは、先ほどのテープを、全て聴いていたのであろう?わしは、あの女性との会談の全てを黙って録音し、あまつさえ草の者を……工作員を送って、その身柄を拉致せよと指令したのだ。到底、許されることではあるまい。だが、ここに誓う。必ず、あの方の身柄は即座に解放させる。無論、この星にこれ以上とどまって頂くわけにはいかぬが、無事に彼女の故郷まで送り届けさせること、ここに約そう」

 

 メイフゥは、名状しがたい表情を浮かべて、曲がった首をさらに傾げた。

 

「……どうやって?」

「……どうやって、とは異な問いを。具体的に身柄を、どのように解放させるか、か?それは、わしの全責任において、必ずや……」

「いや、そうじゃなくてよ、捕まってもいない人間の身柄を、どうやって解放するのかと思ってね」

 

 今度は、ビアンキの眉が顰められた。

 

「……それこそ、どういう意味だね?もう、だいぶ前に草の者は放たれたのだ。であれば、とうに彼女は拘束され、いずこかに監禁されているはずだが……」

「ああ、そういうこと!」

 

 メイフゥは、喉に刺さった小骨が取れたように晴れ晴れとした顔で、ぽんと手を合わせた。

 

「それならちっとも心配するこたぁねえよ、じいさん。あんたの部屋に行く前に、お姉様から連絡があってさ。よくわからない連中が押しかけてきたから、けつ引っぱたいて説教して追い返したってよ。やっこさんら、けつが腫れてしばらくは使い物にならねえかも知れないから、謝っておいてくれって言われてたんだ。わりい、すっかり忘れてたよ」

 

 合わせた手を顔の前に持ってきて、片目を瞑った。

 どうやら、謝罪の仕草らしい。

 だがビアンキは、少女の仕草などに気を配る余裕はなかった。

 年甲斐もなく、あんぐりと口を開けて、目をまん丸にしている。

 

「草の者を……ヴェロニカ教が誇る熟練の工作員を、追い返した……?殺すこともなく、尻を引っぱたいて?」

「まぁ、少しやり過ぎたとは言ってたけどね。あの人がやり過ぎたって言ってるんだから、多分尾てい骨に罅くらいは入っていると思うよ。あと、じいさんに、お姉様から伝言」

 

 ビアンキは、呆然とした表情をあらためた。

 今度こそ、自分の卑劣を糾弾する言葉が投げかけられると思ったからだ。

 別に、不満は覚えない。むしろ当然である。自分を信頼し、たった一人で、しかも武器を帯びることなく訪ねてきてくれた女性を、自分は、裏切りをもって報いたのだ。

 だが、メイフゥの言葉は、ビアンキの予想を完全に裏切ったものであった。

 

「えぇっと、何だったかな……そうそう、たしかこうだ。『あなたがたの身内を痛めつけてしまい、申し訳ない。だが、一人暮らしの女性の家に多数をもって押しかけるあたり、そちらにも相応に非がある以上、勘弁して頂けるとありがたい。今後はお互いのためにも、工作員を派遣するのであれば、事前に連絡していただけると嬉しい。そうすれば、必要以上に彼らを痛めつけることもないと思う』だってさ」

 

 先ほどまで呆然としていた老人は、今度は愕然とするはめになった。

 自分達が手塩をかけて育てた凄腕の工作員を、たった一人で撃退しただけではなく、それを謝罪してくるとは。

 これがただの皮肉であれば理解の範疇だが、おそらくはそうではないだろう。あの女性は、草の者程度の連中では、それを脅威とすら考えてくれないのだ。寧ろ、必要以上に痛めつけてしまったことに、罪悪感を覚えるほど、彼我の実力はかけ離れたものだったのだ。

 もう、真剣に罪悪感を覚えている自分が馬鹿馬鹿しくなったビアンキは、背を細かく震わして、笑いの衝動を堪えていた。

 

「では、きみはどうなのだ。自分の尊敬する方を拉致しようとしたわしを、軽蔑したりはしないのか」

「軽蔑って言うか、可哀相だとは思うね。だって、平時ならいざ知らず、臨戦態勢のお姉様だぜ?あんなの、機甲師団一個小隊用意したって、到底相手にならねぇよ、多分。今のお姉様を監禁しようとしたら、そうだな、直径30メートル、厚さ1メートルの超合金製のでっかいお椀を用意してさ、今いる家ごと、上からかぶせちまうくらいしかねぇんじゃねえの?それでもあの人には、自分が監禁されているっていう自覚はないんだろうけどなぁ」

 

 手を組み、再び首を傾げながら、何とも真面目な口調でメイフゥは言った。

 そして、さばさばとした様子で続ける。

 

「連中が、殺すつもりで来なかったのが幸いしたね。あの人は、自分を殺すつもりの人間には容赦しないよ。でも、まぁ、自分を傷つけるつもりのない人間が来たんなら、手加減できる相手なら一応手加減するんじゃないの?ついでに言うとさ、あのとき、お姉様もちゃっかり録音用のレコーダーは隠し持ってたんだぜ。それに、あたしとあたしの弟が、何かあったときのために、建物の外に控えてたんだ。携帯用のロケットランチャーとサブマシンガン構えてな。で、あたしはそのまま残って、こっそりあんたの寝所に潜り込んだってわけさ」

 

 その言葉に、ビアンキは破顔した。

 これが愉快でないわけがない。あの女性は、自分は一人で来たと言っていたのだ。何の躊躇もなく、そう言ったではないか。

 なるほど、騙していたのは自分だけではない。彼女も、打つべき手は打っていたということか。

 清々しい、夏の涼風にも似た感情が、ビアンキの胸の内を吹き抜けていった。

 

「そうかそうか、なるほど、それがあの女性の正体か!このビアンキ、ついに耄碌したわ!今の今まで、一度足りとて人の底を見通せなかったことなど、なかったというのにな!」

 

 腰を折って笑うビアンキを前にして、

 

「それは違うんじゃねえかな」

 

 メイフゥは、そう呟いた。

 これを聞いたビアンキ、笑いを収めて問うた。

 

「メイフゥくん、それはどういう意味だね?」

「あんた、お姉様のこと、好きだろ?」

 

 少女の放った剛速球のような質問は、老練手管を誇るビアンキもかわしきることが出来なかった。

 正面から、真剣な調子で答えた。

 

「ああ、好きだとも。願わくば、あと50年、いや、60年早く出会っていたかったと思うほどに」

「なら、あんたはお姉様に、捕まって欲しくなんてなかったのさ。だから、その程度の人間しか派遣しなかったんだ。そして、絶対に傷つけるな、なんて、連中の手足を縛るような指令まで出してね。違うかい?」

 

 ビアンキは、あめ玉を飲み込んでしまったような顔をした。

 それから、少しずつ、笑みに近い表情を浮かべ、最後にそれは自嘲の笑顔に落ち着いた。

 

「買いかぶりだ。わしは、ただの卑怯者だよ」

「……まぁ、自分のことは自分では分からないっていうしね。じいさんがそれでいいなら、それでいいんじゃねえの?とりあえず、あんたが可哀相だってのは取り消しとくよ」

 

 メイフゥは、あくまであっさりとした調子だった。

 

「でもさ、じいさん。あたしは、やっぱりあんたのことは軽蔑しようとは思わないけど、でも、不思議な人だとは思うよ」

「不思議、と。それはいったい?」

 

 ビアンキは、猫かなにかと戯れるような気持ちで、目の前の少女と話している自分に気が付いた。

 この少女の、先ほどまでの暴れっぷり。そして、男の肉を食いちぎった、血塗れの顔。今だって、その口元は、べったりとした人血で鮮やかな様子だ。

 どう考えても、普通の少女ではない。そして、その牙が、今度は自分の喉元に突き刺さらないなど、どこにも保証はない。

 だが、この少女──危険な何かをまだまだ隠しているであろうこの少女のことも、ビアンキは好きになってしまっていた。

 

「だってさ、あんた、お姉様より、あそこに並んだ連中のことが、好きなんだろう?」

 

 メイフゥは、こともなげに、無惨な死体と変わり果てた、五人の老人を指さした。

 ビアンキは、言葉を飲んだ。

 

「あんた、お姉様のことが好きなのに、お姉様には頼らずにさ、あの連中に頼ったじゃないか。自分ではかたのつけられない面倒事抱えてさ、お姉様が何とかしてやるって訪ねてきてくれたのに、それに頼らず、頼ったのがあのしわくちゃのミイラみたいな連中だろう。それが、あたしには不思議で不思議でたまらねえのさ」

 

 メイフゥの言葉に、ビアンキは、喉から絞り出すような声で答えた。

 

「……わしには、守るべきものがあった。守るべき立場があった。それらは、決して軽いものではないのだ。だから、あの時、全てをクーア女史に打ち明けるわけにはいかなかった。そして、今後も、あの方を頼るつもりはない」

「ふーん。背負ったものが大事ってわけかい。でもさ、あんた、ずっとそれを下ろしたがってるじゃないか。だから、その兄さんにも、教えることができなかった。その兄さんが、自分と同じ苦労を背負うのが不憫でしかたなかったから。違うかい?」

 

 メイフゥが、次に指さしたのは、ビアンキの傍らで倒れ伏している青年であった。

 自己の外側にある全てを裏切ってまで熱望した、ヴェロニカ教の奥義をついに授かり、そして、自己の内側にある全てに裏切られた、青年である。

 瞼は、閉じられている。どうやら眠っているらしい。

 ビアンキは、せめて夢の世界がこの青年に優しくあってくれるよう、祈らざるを得なかった。

 

「あたしならさ、自分の背負いきれない荷物を、どこぞの誰かさんが自分に任せてくれって言ってくれるなら、はいはいどうぞどうぞってなもんで放り投げちまうけどなぁ。あんた、どうしてそうしなかったのさ。それが不思議でならねえんだよ」

 

 ビアンキは、答えなかった。

 ただじっと、俯いている。

 メイフゥは、そんなビアンキをちらりと見て、あっという間に興味を失ってしまったらしい。

 

「まっ、どうでもいいか、そんなこと」

 

 視線を外されたビアンキは、名状しがたい寂しさを覚えるはめになった。

 別に、自分は何を期待していたわけでもない。慰めの言葉も、暖かい言葉も。逆に、糾弾の言葉も、冷たい言葉も、欲したわけではない。

 だが、この、ぽかんと心に開いた空洞は何なのか。それはきっと、目の前の少女の、若さがゆえの無邪気さがつけていった爪痕に違いなかった。

 

「少しおしゃべりが過ぎたぜ。それより、あたしにはもっと大事な役目があるんだった」

 

 先ほどまでビアンキと話していた少女とは同一人物とは思えないような、血塗れの顔で笑った。

 

「おい、死んだふり、してるんじゃねえよ、兄さん。言っとくがよ、あたしはどんなに暴れ回ったって、自分がぶん殴った男の顔は忘れねえんだ。あたしは、あんたに指一本触れちゃいない。なのにあんたが伸びちまってるのは、一体全体どういう手品だい?」

 

 メイフゥの視線は、ぐったりと倒れ伏した男達、その一人に注がれていた。

 その男は、しばらくぴくりとも動かなかったが、やがて、悪びれない調子で体を起こし、少し乱れていたブラウンの髪を、手で撫でつけた。

 

「中々抜け目のない人ですねぇ、あなたは。」

 

 へらへらと、薄ら笑いを浮かべた男が、いかにも億劫そうに立ち上がった。

 

「ワタクシはね、とても眠いんですよ。何せ、昨日、一昨日と徹夜で仕事をして、ようやく今日はゆっくり眠れると思ったら、突然呼び出されて、こんな仕事です。もう、何度部下に丸投げしようと思ったことか。それで、あなたみたいな面倒が現れて。どうしてあのまま寝かしつけてくれなかったんですか?」

 

 眉を寄せ上げて、心底辛そうな顔で言った。

 メイフゥは、獰猛な牙をぎらつかせながら、

 

「今、精一杯気を張って、ちゃきちゃきあたしの質問に答えるのがいいか、それともこの場で、一生徹夜の心配をしないで済むはめになるのがいいか、てめえはどっちを選ぶんだい?」

「あなたも人が悪いですねぇ、それならそうと、最初から言ってくださいな。そういう条件なら、しっかり起きていますとも。眠いのも疲れるのも、命あっての物種です」

 

 テルミンは肩を竦めて言った。

 メイフゥは頷いた。

 

「よし、じゃあ最初の質問だ。てめえが、この星を牛耳ってやがるアーロン・レイノルズとかの太鼓持ちの、アイザック・テルミンとかいう野郎だ。それで間違いねえな?」

 

 テルミンは、不承不承といった様子で頷いた。

 

「一応、主席秘書官っていう肩書きがあるんですけどねぇ。太鼓持ちっていう呼び方は、少し酷くないですか?」

「てめえみたいになよなよした野郎は、あたしは大っ嫌いなんだ。太鼓持ちって呼び方だって、本物の太鼓持ちの皆さんに失礼ってもんさ。ま、とりあえず本人で間違いないなら、次の質問だ」

 

 メイフゥの、灰褐色の瞳に、今までで一番危険なものが籠もった。

 

「てめえらが攫いやがった、ウォルとヤームル、お姉様の旦那のケリーって男は、どこだ」

 

 背後に、揺らめき立つような殺気を背負ったメイフゥに対して、テルミンはあくまで涼しげに答えた。

 

「はて?我々は攫うなどという、物騒な真似をしたことはありませんが。それこそ、そこにおわします、ヴェロニカ教の大家様と違いましてね。何かの間違いではありませんか?」

「よし、知らねえってんだな。じゃあ、もういい。てめえは死ね」

 

 メイフゥが、牙を剥き出し、飛びかかる姿勢を見せた。

 これを見たテルミンは、さすがに焦った様子で首を横に振った。両掌を広げて、顔の前に突き出し、目の前の危険物を押しとどめるような仕草をする。

 

「いやいやいや、知らないとは言っていないじゃないですか。ワタクシは、攫うなどという野蛮な手段を金輪際使ったことがないと、そう申し上げているだけでございます。ですから、あまり早まった真似をせず、穏便に、ここは穏便に、ね?」

 

 メイフゥは無言で、相も変わらずのへらへら笑いを浮かべたテルミンに一歩近づき、テルミンの、広げられた掌から生えた指の一本をむんずと掴み、無造作に逆側へと捻った。

 枯れ木の折れたのと同じ、想像以上に軽い音が、何とも間の抜けた調子で、屋内に響いた。

 

「えっ?」

 

 左手の小指を、本来曲がるはずのない方向にねじ曲げられたテルミンは、一瞬不思議そうにそれを眺め、それから、声もなく地面に崩れ落ちた。

 

「ぐぅぅぅぁぁぁぁぁっ……!」

 

 跪き、神に捧げる供物のように、左手を目の前に捧げている。

 顔には異様な量の脂汗が浮き上がり、口からは絶えず苦痛の呻き声が漏れ出る。目は、相変わらず信じられないものを見たように、驚愕に見開かれている。

 さっきまでこの男が抱えていた余裕の、一片すら感じられない、憐れな様子であった。

 

「おれの、おれの、ゆび、がああぁぁ……!」

「どうだい。意外とショッキングなもんだろう、てめえの指が逆側に曲げられた様ってのはさ」

 

 メイフゥは、先ほどのテルミンのように、軽薄なへらへら笑いを浮かべて、楽しげに言った。

 

「せめてもの情けで、利き腕じゃないほうの、それも小指にしてやったんだ。右手が残ってりゃ、箸も握れるしペンも持てる、マスだってかけるだろう。だが、これから、あたしが少しでもあんたの態度が気にいらなけりゃ、遠慮無く残りの指もへし折るぜ。あんたの両手が前衛芸術のオブジェみたくなったら、次は耳を千切り取る。鼻をもぎ取る。歯を、一本一本、毟り取ってやる」

 

 ぱきぱき良い音がなるんだ、ありゃ、と言って、メイフゥは堪えきれない笑みを浮かべた。

 そして、その笑顔を見たテルミンの顔が、いっそう青ざめた。

 青ざめながら、苦痛に塗れた声を、歯の隙間から絞り出すようにして、言った。

 

「……ずいぶんと、使い古された拷問方法をなさるんですねぇ」

「あいにく、こちとら最新式の拷問方法なんてのは知らないんでね。それに、老婆心で言っておいてやるがよ、使い古された拷問ってのは、そのまま有効な拷問ってのと同じ意味なんだぜ」

 

 しゃがみ込んだメイフゥが、蹲ったテルミンと、同じ高さの視線で呟いた。

 

「そんで、有効な拷問ってのは、いてぇいてぇ拷問ってこった。そこんとこ、十分に理解したかい?」

「……ええ、大変不本意ながら、ね」

 

 メイフゥは、にっこりと笑った。

 

「マイナス一点だな。おら、一番折られたい指を出しな。選ばせてやるからよ」

「なっ!?」

「それとも、耳を引き千切られるのがいいかい?それでもいいんだぜ?なぁに、今日日の医療技術はすげえからさ、その気になりゃあまた生えてくる。痛くて、しばらくものが聞こえなくなるだけさ。そっちのほうが好みかい?」

 

 了解了解と頷いたメイフゥが、そのほっそりとした手を伸ばし、テルミンの右耳を掴んだ。

 途端、テルミンは、耳の裏側、耳と頭部との接着面から、びりっと、布の裂ける音がするのを聞いた。

 そして、灼け付くような痛みと、文字通り灼け付くような熱。

 みちみちと、怖気のする音。ぶつんと、何かが体から離れていく音。

 次の瞬間、どろりと熱い液体が耳道に流れ込んできた。

 

「ほいよ、プレゼントだ。ホルマリンにでも漬けて、家に飾っておくんだな」

 

 テルミンの、地に着いた膝の先に、ぽとりと何かが落ちた。

 千切られた、右耳であった。

 テルミンは、もはや一言も漏らさず、がたがたと震える視線を己の耳だったものに送っていた。

 

「さて、あたしの声が聞こえるかい?聞こえないはずはねえよな、もう一つ耳は残ってるんだから。だからさ、これからも、あんたの耳は万全だって方向で話は進めるぜ。もし、あたしの話を一言でも聞き逃したら、今度こそ指を選ばせるか、それとも鼻をもぎ取る。わかったか?」

 

 テルミンは、無言で頷いた。

 メイフゥは溜息を一つ漏らし、

 

「まだルールが飲み込めてないみたいだな。あんた、意外と頭悪いね。あたしの機嫌を損ねたらどうなるか、まだわかってないんだ」

 

 メイフゥが、無造作に手を伸ばした。

 

「わかりました!ルールは把握しました!だから、もう止めて下さい!」

 

 テルミンが、ぼろぼろと泣きながら言った。

 メイフゥは、にっこりと笑い、

 

「よし、じゃああたしの海よりも広い心に感謝しな。今回だけは、勘弁してやるさ」

「……」

「おや、まだわかってないのかい?」

 

 テルミンは、弾かれたように頭を下げて、

 

「あ、ありがとうございます、あなた様の寛容に感謝します……」

 

 メイフゥは、テルミンの後頭部を眺めながら、無感動に言った。

 

「よし、ぼちぼちお前さんもわかってきたね。じゃ、さっきの話に戻そうか。それと、顔は上げていいよ。そうじゃないと、話しにくくて仕方ないからさ」

 

 テルミンは、やはり弾かれたように頭を上げた。

 その目には、もはや落としようのない、怯えの色がこびりついている。

 

「じゃあ、もう一度質問だ。ウォルとヤームル、それとケリーはどこにいる」

「……その方々は、おそらく、我が主であるアーロン・レイノルズのお住まいに、招かれておるのだと思います。思いますというのは、私も、あの方の為すことの全てを把握しておらぬからです。ですから、全員が全員、絶対にそこにいるかと問われれば、確実であると申し上げることは出来ません」

 

 涙と鼻水と涎、そして右耳から垂れ落ちる鮮血で、顔をぐしゃぐしゃにした男が、そう言った。

 メイフゥは、頷いた。確かに、この男は嘘を言っていない。

 

「その中の、一人でも良い。誰か、確実な居場所を知らねえか」

「……」

「よし、話せねえなら……」

 

 テルミンが、のけぞり、後ろに尻餅をついた。

 そして、小指の折れ曲がった左手を前に出し、メイフゥを必死に遠ざけようとする。

 

「違います!聞いて下さい!ヤームルという人物、ケリーという人物のことについては、私は知りません!これは本当です!ただ、ウォルという名前には聞き覚えがあります!ありますが、私の知る人物とあなたの仰る人物が同一か、確証が持てなかったから、考え込んだだけでございます!誓って、隠し事をしようとか、そういうことでは……」

「わかった、信じてやる。じゃあ、お前さんのいう、そのウォルって人間は、どんな特徴があるんだい?」

「……少女でした。男性のような名前で、最初はこちらの手違いかとも思いましたが、それは紛れもない少女でした。その少女ならば、大統領のご自宅で、見かけたことがございます」

 

 どうやら間違いないらしいと、メイフゥは理解した。

 

「次の質問だ。その大統領のご自宅とやらは、いったいどこにある?」

「レガ教区……この大陸の西部に広がる、ムワヴ山脈の中腹に、中世ヨーロッパの古城を復元した建物があります。その地下牢に、その少女はいるはずでございます」

 

 メイフゥは、手首に巻いた通信機に、話しかけた。

 

「ダイアナの姉御、間違いねえかい?」

 

 通信機から、理知的な調子の、女性の声が返される。

 

『ええ、確認したわ。確かに、そこに時代錯誤なお城があって、アーロン・レイノルズ大統領の私宅に使われてるみたいね。その点に、嘘はないわ』

 

 メイフゥは、満足げに頷いた。

 

「ちなみに、増援の部隊は、いつころ到着しそうだい?」

『あと一時間ってところね。あまり遊ばずに、さっさとけりをつけて頂戴』

「あいあいさー」

 

 メイフゥは、通信機の電源をそのままにして、再びテルミンへと視線を移した。

 

「だとさ。つまり、あと一時間はたっぷりとてめえから色々聞けるってわけだ。その間に、指が一本も折れなければいいなぁ」

 

 テルミンは、悔しげに歯を噛んだ。

 増援部隊を呼んだのは、彼だった。そして、のらりくらりとした会話で時間を引き延ばせば、勝機はあると考えていたのだ。

 しかし、目の前の、少女にしか見えないこの生き物は、そんな甘い考えの通じる相手ではなかったらしい。

 

「次の質問だ。お前らは、どうしてウォルを狙った」

 

 観念したテルミンは、淀みなく答えた。

 

「あの少女は、次の満月の夜に開かれる、ヴェロニカ教の祭事である回帰祭にて、その生け贄を勤めて頂く所存でございました。かの少女は、惑星ベルトランの州知事の娘であり、その高貴な生まれが、大変此度の祭りの趣旨に相応しいと……」

「生け贄だとぉっ!?」

 

 メイフゥは、無意識に目の前の男の首元をねじり上げていた。

 テルミンは、憐れなほどに狼狽えて、どもりどもり、泣きそうな声で言った。

 

「暴力は振るわないで下さい!私は、誠心誠意、あなたの質問に対して正直にお答えしているのです!それに対して暴力で報いられれば、今後、私はあなたの質問に対してどのように答えればよいか、分からなくなるではありませんか!」

 

 なるほど、テルミンの言い分にも一理ある。

 鼻息を荒くして、今にも目の前の男に齧り付きそうだったメイフゥは、掴んだ襟首を放した。

 そして、振り返り、テセルの看護をしていたビアンキに向かって、一言。

 

「……あんたを軽蔑はしねえけどさ、あんたの背負ってきたものは、よっぽど血生臭い荷物だったみたいだね。今の時代、生きた人間を人身御供に捧げる宗教がこの共和宇宙にあるなんて、あたしはついぞ知らなかったよ」

 

 ビアンキは、刺し貫くようなメイフゥの視線に、首を横に振ることで答えた。

 

「知らぬ。いや、これはくだらぬ保身などではない。回帰祭は、本来は神の恵みに感謝し、その御業を讃えるための祭事、決して人身御供を捧げるような、野蛮なものではない」

「ふぅん、じゃあ、やっぱりてめえらが勝手に、ウォルを殺そうとしてやがるってことか」

 

 テルミンは、青ざめた顔で黙り込んでしまった。

 メイフゥは、次の質問に移った。

 

「ウォルを生け贄に捧げるってぇことは、その回帰祭とやらが開催されるまでは、ウォルは無事ってことだな」

「……」

「おい、何黙り込んでやがんだよ。お前ら、まさか……」

 

 メイフゥが、座り込んだテルミンの襟元を再び捻り掴み、そのまま高く持ち上げた。

 男性を含めて勘案しても、なお長身を誇るメイフゥである。その彼女が腕を高く持ち上げたため、テルミンの足は、完全に地面から離れてしまった。

 ぶらぶらと持ち上げられたテルミンが、口元を戦慄かせ、それでも何とか、言葉らしきものを話した。

 

「い、言います!正直に言います!ですから、どうか、どうか暴力は振るわないでください!」

「……わかった。約束する。だが、そこまで言わなけりゃ、確実にぶん殴られる内容だってことだな」

「……はい、おそらく、私はそのまま殺されていたでしょう」

 

 鼻の頭に皺を寄せた、今にも鎖を引きちぎりそうな野獣の顔をしたメイフゥが、精一杯の理性を働かせて、テルミンを解放した。

 どさりと、再び床に落っこちたテルミンが、げほげほと咳をして、それから言った。

 

「……私は、誓って彼女に手を出していません。指一本触れていません。しかし、アーロン・レイノルズの一人息子である、ルパート・レイノルズという青年が、その、なんと言いますか、年端もいかない少女に対して性的欲望を覚える性質の人間でして……」

 

 どくり、と、メイフゥの心臓が、不吉な調子で跳ね上がった。

 

「……続けろ」

 

 これ以上ないというほどの殺気を込められた視線が、テルミンの全身に突き刺さっている。

 テルミンは、精神性の粘い脂汗と、激痛による刺激性の汗で、全身をびっしょりと濡らしていた。

 

「ルパートという青年の特殊性は、少女を性愛の対象としてみるだけでなく、その、少女の藻掻き苦しむ様に何よりも性的興奮を覚えるという、少々歪んだ性癖にも現れておりまして……」

「……要するに、ロリコンで、しかも極度のサディストの変態くそ野郎が、ウォルに対して好き放題やってやがると、そういうことか」

「は、はい、非常に端的で的を射た表現だと思います。ルパートという人間は、その趣味が高じて、対象の少女を責め殺してしまうことも珍しいことでは……ひぃぃっ!」

 

 テルミンが、甲高い悲鳴とともに息を止めた。

 それほどに、今のメイフゥの凶相は凄まじいものがあった。これならば、怒り狂った野獣の方が、まだいくらか穏便であるだろう。

 メイフゥは、ぎしりと歯を噛み鳴らした。

 女が攫われたのだ。最悪、そういう事態は覚悟しておくべきだとは思っていた。

 しかし、ウォルは、少なくとも外観だけは、まだまだ幼い少女だ。どれほど美しくとも、普通の男であれば、性的欲望を刺激する要素は少ないに違いない。それに、敵がどのような目的で彼女を拉致したのかもはっきりしない以上、一縷の望みがあるとも考えていた。

 だから、その目的が儀式の生け贄だと聞かされたとき、メイフゥは寧ろ安堵したのだ。生け贄には、古来より純潔の乙女が尊ばれる。であれば、彼女はまだ手をつけられていないはずだ、と。ならば、彼女を無事なまま助け出せる可能性が残っている、と。

 だが、現実は、数ある予想の最悪を極めていたらしい。

 全ては手遅れだった。

 蕾は、花開かないうちに、その美しさを理解しない卑劣漢の手で、踏みにじられてしまったのだ。

 この星にウォルを慰留したのは、メイフゥである。であれば、彼女が遭わされた悲劇の責任の一端は、自分にあるということになる。

 どれほど詫びても詫びきれないことを、メイフゥは知っていた。だが、せめて、純潔は守れなかったとしても、命だけは救ってみせる。

 メイフゥは、決意を刻んだ双眸で、テルミンを見下ろした。

 

「……ウォルはまだ、生きているんだろうな。もし違うなら、勢い余ってお前さんも殺しちまうかもしれないが、一応正直に言ってみろよ。そうでないと、どうせ死ぬはめになるんだぜ」

 

 テルミンは、一拍の間もなく、答えた。

 

「生きています!私の知る限りでは、生きていました。少なくとも、肉体的には!」

 

 メイフゥの、はっきりと静脈の浮いたこめかみが、ぴくりと動いた。

 

「肉体的には、だぁ!?てめえ、そいつはいったいどういう意味だ!」

「か、彼女は、激しい暴行を受けて半死半生になった後で、トポレキシン系の麻薬を打たれていました!それも、常人であれば一回で発狂するほどの量を、一時間おきに、何度も何度も、です!私が最後に見た彼女は、まだ最後の理性を残していましたが、今、それがどうなっているのかは分かりません!」

 

 トポレキシン系の麻薬を、しかも常人であれば一回で発狂するほどの量を、一時間おきに、何度も何度も──。

 メイフゥは、怒りに目の前が真っ赤に染まり、絶望に目の前が真っ暗に染まるという、二色の世界を同時に見ていた。

 悪いときには、悪いことは幾らでも重なるのだ。神は、無慈悲な方向にのみ、万能なのだ。そう、メイフゥが確信するに十分なほど、その響きは最悪を極めていた。

 トポレキシン系麻薬は、その徹底した非人道性から、単純所持でも量によっては死刑が免れず、売却目的で所持していたのであれば量に関わらず最低でも終身刑という、この宇宙で最も厳しく取り締まられた、卑劣を極めた性質の麻薬である。

 広義の向精神薬に分類されるその薬品の効果は、視床下部、大脳辺縁系、前頭連合野、側頭葉にまたがる快楽神経系の活性化、それによる脳内快楽物質の過剰供給である。

 だが、それだけならば普通の向精神系麻薬と異なるところはない。

 トポレキシン系麻薬が、他の向精神系麻薬と一線を画するのは、もたらされる快楽が、何故か性的刺激に偏傾し、また、使用者が性的刺激を求めて自ら行動するよう、脳に直接働きかけるということだ。

 加えて、一度使用すればもはや人並みの生活に戻ることは出来ないと言われる、その中毒性の強さ。

 端的に言えば、乱用者は、自ら望むと望まざるとに関わらず、性的快楽を求めて自我を崩壊させることになるということだ。そしてこの薬物は、男性よりも女性に対してより顕著であることが、数々の悲劇的な事件から知られていた。

 極めて短期間であるが、ある時期において、この効能が、女性を商品として拉致、あるいは非人道的手段をもって生産し、セックススレイブと仕立て上げて闇市場に流す、人身売買業者には珍重された。また、その禁断症状の苦しさが常軌を逸していることから、尋問用の薬物としても需要があった。

 だが、一度この薬品に依存すると、死ぬまで薬を求め続け、性的な刺激を誰彼構わずに求め続け、発情期の動物のようになり、最終的には、人間としての理性は完全に破壊される。

 そのため、人道を省みない闇商人の間でも、奴隷の商品価値が下がるとして、よほどのケースでなければこの薬を使うことはなくなった。また、その非人道性から、尋問の際に使用することは、共和連邦条約にて規制されている。

 悪魔のような、とは陳腐な形容の仕方であるが、もはや、そのように言い表す以外、他に形容の出来ない、最悪の麻薬なのだ。

 その、悪魔の麻薬を、一日に何度も。それも、常人であれば発狂する量を、である。

 メイフゥは、そのルパートという男が、ウォルを性的奴隷として扱ってくれていることを、望むほか無かった。

 そうであれば、まだウォルを必要としている──それがどういう目的かは別にして──ということだ。

 もしも、そうでなければ……これは完全に、ウォルの殺害を意図しているとしか思えない。

 せめて、ウォルの理性が完全に崩壊するか、それとも完全な服従を約した時点で、その使用を思いとどまってくれていれば。

 もう、少女が、彼女自身のことを覚えてくれていなくても、人としての生活を望むことが出来なくても、彼女は生きてくれている。

 そうでなければ、次にウォルとあったとき、彼女は物言わぬ狂人の死体へと姿を変えているということだ。

 ちくしょう、と、無限の後悔の込められた呟きを、メイフゥの口が発した。

 

「……聞いてたかい、ダイアナの姉御」

『……ええ、聞いてたわ』

 

 普段は明るい船の女神は、あの、朗らかに笑う少女の現在と未来を思い浮かべて、沈痛な声を絞り出した。

 

「……頼む。どうか、このことは、お姉様には知らせてもいいから、インユェにだけは黙ってやってくれ。あいつ、本気で、ウォルに惚れていたんだ。初めて、本気で惚れてたんだ。なのに、こんなの、残酷すぎるじゃねえかよ」

『……でも、それでも、いつかは真実を知るかも知れないわよ。その時は、どうするつもり?』

「あたしが、腹をかっさばいて詫びる。必ずな」

 

 だから、死んでも助けてやる。例え少女が、どんな姿になっていたとしても。

 そう自分を鼓舞したメイフゥは、辛うじて理性の残った視線を、目の前で蹲った憐れな男へと向けた。

 

「よかったなぁ、どうやら、あたしは相当丸くなったらしいや。お前さん、まだ生きていられるみたいだぜ」

 

 その言葉を聞いて安堵できる人間が、この世に一人だっているだろうか。

 メイフゥの言葉の下に、恐るべき歯牙を研いだ死神がいることは、信仰心の薄いテルミンにも明らかだったのだ。

 

「次の質問だ。ウォルが捕まっている建物には、今、どれくらいの兵隊が……」

 

 メイフゥが質問を続けようとした時、通信機から、けたたましい呼び出し音が鳴り響いた。

 メイフゥは、危うく口から心臓を吐き出しそうになるくらい、驚いた。なぜなら、通信機に表示された相手方が、先ほどの会話にあがった、インユェその人であったからだ。

 まさか、会話が聞かれていたのか。震える指で、通信機のスイッチを入れる。

 

「ど……どうした、あほちび、何か、あったのか」

 

 我ながら、震える声が情けなかった。

 もし、もし、さっきの会話が聞かれていれば。自分は、一生、インユェの前に立つことが出来ないだろうと思った。いや、それならば、ウォルを一刻も早く助けて、それからけじめをつけてやる、それだけのことだ。

 だが、通信機から流れる弟の声は、そういう風情ではなかった。

 

『おい、呼んだらさっさと出ろよ!やばいことになってるんだ!』

 

 メイフゥは、安堵の溜息を、何とか我慢した。

 

「やばいこと、だと?」

『ああ!山間に、いくつも、車のヘッドライトが流れてやがる!あれは、多分、こっちに向かってるぜ!』

 

 立ち上がったメイフゥは、咄嗟に、足下に転がった男を睨み付けた。

 テルミンは、思い切り首を横に振った。自分ではない、というアピールだ。

 先ほど、ダイアナは言った。増援が来るには、あと一時間近くかかると。

 情報を操り、収集することについては右に出る者のいない、ダイアナである。その情報には信頼が置ける。また、その話をした時の、テルミンの態度からも、その正確性を窺い知ることができる。

 であれば、今、この場に向かっている正体不明の部隊は、おそらく、テルミンが呼んだのとは違う指揮系統に属する部隊なのだろう。

 どちらにせよ、次に来るのは、間違いなく重装備を抱えた精鋭部隊である。地下道のように限定された状況であればいざ知らず、このように開けた場所では、近代兵器の優位性は、如何に人間離れした身体能力を有するメイフゥでも覆しがたい。

 

『どうするんだよ、姉貴!』

 

 指示を求める弟の声に、メイフゥは応えた。

 

「どうするじゃねえ!さっさとずらかるぞ!あたしはあたしで逃げる!インユェ、お前、一人で逃げろ!お前がバイクでかっ飛ばしゃあ、いくら連中でも追いつけねえだろう!」

『でもよ、それじゃあ姉ちゃんが……!』

「うるせぇ!あたし一人なら、どうとでも逃げられるんだよ!傍受されると厄介だから、通信機は切るぞ!いいな!」

 

 通信機の向こう側で、言葉を飲み込んだ気配がする。

 それが、情けない弱音なのか、それとも、姉を気遣う弟の言葉なのか。

 とにかく、一拍の間があって、切羽詰まった様子の声が、した。

 

『わかった。姉貴、絶対に捕まるなよ!』

「誰にもの言ってやがるんだ、くそちびが!十年早えぞ!」

 

 くすりと笑う気配があって、通信は、向こうから切られた。

 やせ我慢でも上等だ、と、メイフゥが含み笑いを溢す。

 

「さて、ま、そんな具合さ。あたしらはとんずらこくからよ、いいか、そのルパートって奴に伝えておけ。絶対にてめえは生かしちゃおかねえ。だが、少しでも楽に死にたけりゃ、これ以上ウォルに手を出すんじゃねえってな」

「は、はい、承知しました」

「ちょっと待ってくれ!」

 

 声の主の方に、メイフゥが首を向けた。

 

「わしも一緒に、連れて行って欲しい」

 

 そこには、老人がいた。

 しかし、今までの老人とは違う何かを、その瞳に宿している。

 メイフゥは、問うた。

 

「山道を駆け下りるぜ。じいさんには、少し酷な道行きだと思うがね」

「構わん。これでも、並の人間よりは、足腰は強いと自負しておる。それに、遅れるようならそのまま置いていってくれればよい。そこで死ぬならば、それもわしの運命じゃろう」

「そこの、壊れちまった兄さんのことは、いいのかい」

「……この馬鹿者に、これ以上、わしが出来ることは、無い。これからこの男が抱える苦悩は、懊悩は、全て自らの力で乗り越えねばならぬ、そういう類のものじゃ。もはやこの男に、年寄りのお小言など必要あるまい」

 

 それは、無慈悲とも思える言葉だった。全てを裏切り、全てに裏切られた青年に、手を差し伸べることもしないというのだから。

 だが、ビアンキは知っていた。もし、これからの一生を、自分の日陰の中で生きるならば、それもいい。しかし、もしも自分の影の外で生きるのならば、そのための拠を、この青年は探さなければいけないことを。

 

「なら、行こうぜ、じいさん。そうだな、どんなに下手打ったって、どうせ失うのはてめえの命くらいのもんさ。人間、どうせいっぺんは、遅かれ早かれ死ぬんだぜ。恐れる何があるってんだ。死に水くらいはとってやるからよ、鼻歌を歌いながらくらいがちょうど良い塩梅ってなもんじゃねえか」

 

 メイフゥの声に応えるように、ビアンキは歩き出した。

 それは、彼の生涯で、初めて、全ての柵から解き放たれて歩む、一歩であった。

 ヴェロニカ教に関係なく、信徒としての立場、導師としての立場、老師としての立場に関係なく、ただ、ミア・ビアンキという人間としての、歩み。

 足を出した先にある地面、そのなんと頼りなく、なんと心躍ること!まるで、あの夢の、漆黒の道行きのようではないか。

 ビアンキは、振り返った。そこには殺風景な倉庫の眺めだけしかなかったのに、なぜか、灼熱の溶岩を纏った、光輝の女性が笑っている気がした。

 

 

 老人と少女は、走り去った。

 一人取り残された少壮の男は、乱れに乱れたブラウンの髪を、手櫛で撫でつけ、応援の到着を待った。

 それは、予想外に早かった。

 

「遅れました、申し訳ありません、テルミン秘書官」

 

 その声も、先ほどと同じ、年端もいかない少女のものだ。だが、当然声色は全く違う。

 さっきの少女の声を野獣の遠吠えとでも称するならば、これは、自らの思考を放棄した機械の音声だ。

 テルミンは、振り返った。

 そこには、夜間戦闘用の迷彩服を纏った、赤毛の少女が、いた。

 

「いやぁ、助かりましたよ、マルゴ大尉。あなた方のおかげで、何とか命拾いをしました」

 

 マルゴ・レイノルズ特殊軍大尉は、その表情を一切動かすことなく、

 

「我々がここまで先行できたのは、私の功績ではなく、我々に出動命令を出した、大統領の功績です。もしもあなたが恩義を感じているようならば、大統領への忠誠をもってそれを証明していただきますよう、お願いします」

 

 なるほど、と、立ち上がったテルミンは、スーツの尻を叩きながら思った。

 あの人間の能力は、この星に到着してから、今までに増して冴え冴えとしている。きっと、水か、それとも空気があっているのだろう。彼らには、そういうケースが間々あることを、テルミンは知っていた。

 これは存外拾いものだったなと、拾いものに救われた男は苦笑した。彼は自分を過大評価していなかったから、あのまま少女の暴力に晒され続ければ、どうしても秘匿しなければならない最後の一線をしゃべってしまう、その自覚があったのだ。

 立ったままのテルミンに、マルゴは早足で近づいて、その左手を取った。

 

「治療を」

「ええ、頼みます。出来るだけ痛くしないでくださいよ。ワタクシは、痛いのが死ぬほど嫌いなんです」

「努力しましょう」

 

 少女は、折れた小指に応急処置を施すと、今度は頭部に包帯を巻き付けた。耳は、組織再生療法を使えば完全に復元するだろうが、それにしても出血は可及的速やかに止める必要があるからだ。

 

「他の方々は?」

「もう少し時間がかかります。私だけが、全速力で先行しましたから」

「なるほど、では追加部隊のトラックに、ライトを点けさせたのも……」

「そうすれば、頭の良い人間であれば、即座に引いてくれるでしょう。もしもあなたが拉致されるなり、殺害されるなりの危険が生じれば、私が単体であの少女に挑むつもりでしたが……」

 

 テルミンは、首を横に振った。

 

「あれは化け物ですよ。あなたがどれほど優れた軍人でも、一人では勝てない。おそらく、逆立ちしてもね」

「全く同意します。正直、あの少女の危険に晒されて、それでも正気を保ち続けたあなたの神経には驚かされます」

 

 テルミンは、苦笑した。

 

「褒めるつもりならば、もう少し言葉を選びなさい」

「はっ。以後、肝に銘じます」

「それと、できればスーツの替えをお願いできますか。股間の辺りが冷たいんですよ。これは、少々粗相をしてしまったかも知れません。こんな格好で大統領に面会するのは、流石の私も気が引ける」

「わかりました、用意させましょう」

 

 マルゴは思わずテルミンの股間に目をやったが、そこには少しも濡れた様子はなかった。

 これは、彼なりのジョークだろうかと、少女は内心で首を傾げた。

 

「遠からず、そうですね、早ければ両日中にでも、彼らは城に攻め込んでくるでしょう。良い具合に、ウォルという少女の状況が、彼らを誘い出す餌になってくれているようですから。それを歓待してあげるのは、マルゴ大尉、あなたがたの役目ですよ」

「はっ。その時は、自分達が如何に身の程知らずかを、骨の髄まで思い知らせてやりましょう」

「心強いですねぇ、その意気ですよ、その意気」

 

 さて、どうなるか。

 これでいよいよ、状況は混沌としてきた。

 ビアンキ老師のもとを訪れた女性が、あのジャスミン・クーアであることに、もはや疑いようはない。いや、元々テルミンは、確信をしていたのだ。

 そして、あの、人間離れをした少女。

 彼女らが力を合わせれば、それだけでどれほどの脅威になるか。当然、二人だけで攻めてくるということはないだろうから、脅威はいや増すに違いない。

 そして、あの城を守るのは、大統領虎の子の、特殊軍の少年少女である。

 いったいどちらが生き残るのやら。そして、その時自分は、生きているのだろうか。

 テルミンは、じくじくと傷む傷口を愛おしげに撫で、生の証でもある、痺れるような痛みを愛でていた。

 

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