懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他) 作:shellfish
トリジウム。
魔法の金属と呼ばれる。
需要は、特にエネルギー関係と宇宙開発関係に集中している。
クーア・システム、重力波エンジン、ショウ・ドライブ、感応頭脳……。その他、現在の人類が宇宙に飛躍するきっかけとなった発明のほとんどは、この金属がなければ成功しなかったと言われている。
ある意味では、宇宙開拓時代の立役者となった、物質だ。
稀少で、高価な、物質でもある。宇宙を漂白する資源探索者が、最も希う物質でもある。
それが、この星の地下に、埋蔵されているという。
「ミズ・クーア。あなたは、この星の秘密に、いつの時点で気が付かれましたか?」
ビアンキの質問に対して、ジャスミンは、慎重に言葉を選んで答えた。
「……元々、この星の上層部の人間が、何らかのかたちでトリジウムの密輸に荷担している可能性が高いとは、思っていました。しかし、トリジウム鉱山から流れる鉱毒は、極めて強い毒性を有している。まさかこの星に、有人惑星にトリジウム鉱山があるとまでは、考えていませんでした。無論、惑星全体がトリジウム鉱山であるなどと言う、荒唐無稽な話も」
ビアンキは頷いた。ジャスミンの意見は、極めて常識的なものだったからだ。
「しかし、メイフゥが、憂国ヴェロニカ聖騎士団から奪ってきたコンピュータチップ、その中に入っていたデータを見たとき、全てが理解できました」
ジャスミンは、椅子の脇に置いていたブリーフケースから書類を取り出し、テーブルに広げた。
惑星ヴェロニカの世界地図の上に、いくつかの赤点が付されたもの。そして、共和宇宙歴と思しき数字の横に、様々な数値の並んだもの。
それは確かに、メイフゥがダイアナに解錠と解読を依頼した、例のデータをプリントアウトしたものであった。
「まず、こちらの世界地図。こちらに付されたマークと、この星に存在するあらゆるデータを比較検討しましたが、納得のいく精度で合致したものはありませんでした。ただ一つ、マークの付された場所のごく近くに、ヴェロニカ教の遺跡が存在すること以外は」
「なるほど」
ビアンキは嬉しそうに頷いた。
「では、ミズ。その印は、何のことだと思われましたか?」
「おそらくは、現在採掘中の、或いは過去の採掘の行われたことのある、トリジウム鉱山」
「何故、そう判断されたのですか?」
ジャスミンは、湯気の立つカラ茶を啜った。
喉を潤し、余裕のある様子で答える。
「遺跡にも、いくつか種類が存在します。例えば、古代の建築物のように、既にその全容が明らかになり、歴史家や建築史家の研究対象となるような遺跡。そして、その全容が未だ地中に埋没し、これからの発掘作業と研究を待つ、考古学者の研究対象としての遺跡。この大きな区分から言えば、マークの付された地域に存在しているヴェロニカ教の遺跡は、間違いなく後者です。なぜなら、地上には未だ何物も姿を見せず、僅かな発掘作業が行われているだけだったのですから」
「なるほど、仰るとおりでしょう」
「そこまで考えが至った時に、メイフゥが言ったのですよ。この遺跡にお宝でも埋まっていれば、と」
ジャスミンは、メイフゥを見た。
突然に視線を向けられたメイフゥは、びっくりしたように目を見開いた。
「老師のお話のとおり、ヴェロニカ移民は貧しい人々だったのでしょう。であれば、まさか彼らに、埋蔵金を捻出するような余力があったとは思えない。しかし、埋蔵金に匹敵するような宝物が、もとからこの星に埋まっていた可能性ならば、あるのではないかと」
「ふむ」
「そう仮定した時、その発掘作業をカモフラージュするのに、遺跡の発掘作業を装うのはあまりに都合がいいことに気が付きました。ヴェロニカ教の遺跡であれば、その発掘に携わるのは、当然のことながら教団の息のかかった人間ということになる。また、外部の人間の目も眩ましやすい。例えば、発掘に伴って邪魔になった土砂であれば、それをどこか人目の届かない場所まで運び去って処分したとしても、誰も不思議に思わないでしょう。例えばそれが、トリジウムを豊富に含んだ鉱石だったとしても」
ビアンキは、純粋な感嘆を含んだ視線で、ジャスミンを眺めていた。
そして、感慨深げに首を振り、言った。
「お見事です。この地図だけで、そこまでを見抜かれましたか。いやはや、最初から我らに勝ち目など、なかったはずです」
「それだけではありません。こちらのデータにも、十分過ぎるほどのヒントが隠されていました」
ジャスミンは、ほんの少しだって得意げではない、淡々とした調子で続ける。
「左端の、整然とした数字の列を共和宇宙歴だと仮定すれば、その続きの数値について、明らかな異常値を叩き出している年がいくつか存在します。例えば、627年、704年、781年」
その場にいる全ての人間の視線が、ジャスミンの指の先の数字に集中した。
「627年は、当時の有力なトリジウム産出地であったシリウス星系で内乱が勃発し、その供給に重大な不安が生じた年です。704年は、ラヴォス星系とルガル星系を結ぶ唯一の航路が使用不可能になり、その交易が断絶しました。ラヴォス星系は、トリジウムの精製を手がける工業国であり、ルガル星系はシリウスと同じくトリジウムの産出国です。その交易が断絶したことで、やはりトリジウムの安定供給が問題となりました。781年はエストリアとマースの軍事的緊張が最高潮になり、その軍用艦の建造のため、トリジウムの需要が急増した年です。そのいずれもが、トリジウムを商う人間にとっては、破滅と栄光を背中合わせに感じた、忘れざる年であるはずです」
その三年について、このデータは見事に異常値を表している。
であれば、このデータとトリジウムが無関係であるとは、到底考えられない。
「おわかりですか。そもそもこのデータに、事実を秘匿しようとする意図はありません。寧ろ、婉曲的に、見る人間が見ればそれとわかるように、トリジウムという物質を巧みに示唆しているのです」
「……それは、どういった意図のもとに、でしょうか」
ビアンキの質問に、ジャスミンは首を横に振った。
「このデータが、如何なる意図をもってこの星にばらまかれたのか、それは分かりません。しかし、それが、いわゆる正常な思考をする人間の所業ではないことだけは、確信できます」
ジャスミンの意見に、老人は頷いた。
そして、今までにないほど真摯な表情で、口を開いた。
「ミズ・クーア。あなたは、人類がこれまでに発掘したトリジウムの総量がどの程度が、ご存じですか?」
ビアンキの質問に、ジャスミンが答えた。
「……わたしの記憶違いでなければ、およそ30万トン程ではなかったかと」
30万トン。トリジウムの密度から換算すれば、大型トラックのコンテナ一杯に収まるほどの体積だ。
人類がトリジウムを発見してから現在まで、全ての資源探索者が目の色を変えてその鉱山を探し、発見した鉱山を根刮ぎ掘り尽くし、そして精製したトリジウムの全てで、トラック一杯程度。
他の金属、例えば金やプラチナなどの稀少金属と比べても、その産出総量の少なさは際立っている。
それも無理はない。
過去に発見された、最も高純度のトリジウム鉱山で、1トン当たりの岩石に含まれるトリジウムが20グラム。しかも、これは、統計資料に加えるのも憚られるほど極々例外的に産出量が豊富であった鉱山のデータであり、通常の鉱山であれば、1トンあたりの岩石にミリグラム単位のトリジウムしか含まれていない。
そして、通常の埋蔵量である鉱山ですらが、この共和宇宙に数えるほどしか存在しないのだ。
膨大な量の岩石から、一粒のトリジウム結晶を探り出し、それを精製する。当然、気の遠くなるような手間と莫大な費用がかかるが、生み出されたトリジウムは、その労苦を補って余りある利益をもたらす。
錠剤ほどのサイズの結晶が、集合住宅一棟ほどの価格で取引される、この世で最も高価な物質。
それが、トリジウムなのだ。
「仰るとおりです、ミズ・クーア。そして、この星に埋蔵されていると思われるトリジウムの総量は……」
ビアンキは言葉を一度切り、決意とともに吐き出した。
「およそ、300億トン」
「さん……」
誰かが思わず呟いて、しかし最後まで呟き得なかった。
訪れた静寂。
しんと静まりかえった部屋。
ビアンキは、深い溜息を吐き出した。
濃い、疲労に満ちた、溜息であった。
事実、ビアンキの全身を、粘い疲労が覆っていた。何せ、今し方彼が紡いだ言葉は、正しくヴェロニカ教の秘奥であり、今まで彼が、その人生の全てを賭けて守ってきた秘密なのである。
老人の額にはぽつぽつと汗が浮き、痩せた胸は大きく上下した。
それでも、この言葉を聞いた三人の狼狽には及ばなかっただろう。
長くクーア財閥の舵を取り、およそ荒唐無稽と呼べる話など聞き飽きるほどに聞いてきたはずのジャスミンですら、言葉を奪われ、ただ目を見開いている。
それほどに、惑星ヴェロニカに埋蔵されているトリジウムの総量は、常識を外れていた。
ならば、年若く、今の今まで『普通の』トリジウム鉱山の発見を夢見て宇宙を流離ってきた姉弟の驚きは、いっそ憐れと呼べるものだったのかも知れない。
姉は、蒼白の顔に驚愕を貼り付けたまま、ぴくりとも動かない。
弟はぽかんと目を丸めて、口を開きっぱなしにしている。ただただ、事態を飲み込めていないような有様だ。
とにかく、三人は共通して、言葉というものを忘れてしまっていた。
その中で、いち早く我を取り戻したジャスミンが、掠れた声で呟いた。
「……これまで、宇宙開拓者が血眼で探し回り、多大な犠牲を支払いながら採掘したトリジウム総量の、一万倍ですか」
ジャスミンは、発作的な笑いを抑えるのに一方ならぬ苦労を必要とした。
300億トン。これは、通常の居住用惑星に含まれる、卑金属元素の総埋蔵量とほぼ同じだ。
つまり、この星におけるトリジウムは、他の星における鉄元素やら銅元素やらアルミ元素やらと同じ程度の希少性しか有しないということになる。
これが笑わずにいられようか。
だが、それに答える老人の声は、むしろ苦々しげであった。
「はい、そのとおりですミズ・クーア。この星は、それだけ高濃度のトリジウムで、汚染されていたのです」
そうなのだ。
この星に辿り着いた初期の移民達は、誰も、そんなものを求めてこの星を目指したわけではない。
ただ、己の信仰と安寧の守られる、新天地を目指しただけだったはずだ。
そして辿り着いたこの星は、恐るべき鉱毒によって汚染されていた。そのことを、誰も知らなかった。知る術すらなかった。
事実を知ることすら許されず、ただ、その身をトリジウム鉱毒に冒され、死んでいったのだ。
ジャスミンは再び言葉を奪われた。
「この星の動物も、植物も、環境も、全てが、常識では考えられないほどに高濃度のトリジウムで汚染されております。ゆえに、全ての食物は、一度人の手を介さないと、到底口に入れられるものではありません」
「……確か、岩塩ですらが摂取を禁止されているのは……」
「同じことです。海水から、特殊な精製法をもってトリジウム鉱毒を取り除かないことには、安全な塩すら手に入れることが出来ない。ここは、そういう星なのですよ」
ビアンキは、ぼんやりとした視線で、窓の外を見遣っていた。
そこには、朝ぼらけの風に腰を折る、カラの群生があった。
「不思議なもので、この星の生態系に元々組み込まれていた生き物は、致死量に相当するトリジウムを摂取しても健康を害されることがありません。おそらく、彼らの体内ではトリジウムが無害化されているのでしょう。それとも、通常のミネラルと同じように、体内サイクルにおいて何らかの役割を担っているのかも知れませんな。しかし、我らがそのような能力を得るためには、時間という壁はあまりに分厚かった」
老人は、湯気の立つカラ茶で喉を潤してから、ヴェロニカ移民の歴史に話を戻した。
「ヴェロニカが、肉食を禁じ、カラ以外の自生青果の摂食を禁じたことで、我らは、何とかこの星に生きることを許された。だが、問題が解決したわけではない。カラは、トリジウム鉱毒に汚染されず、しかも各種の栄養に富んだ食物ではあったが、それ単一で人が生きるに必要な栄養素の全てを補えるほどに、万能な食物ではなかった」
「だからこそ、あなた方は品種改良を重ね、完全栄養作物の開発に漕ぎ着けたわけですか」
心持ち平静を取り戻したジャスミンの声に、ビアンキは首を横に振った。
「事情は、それほど単純ではありませんでな。しかし、どちらにせよ、それは遙か時を経てのこと。当時の我々に、そのような作物は正しく夢物語の中の宝物でしかなかった。そして、そのような宝物を持たない我らは、常に栄養失調と背中合わせの、貧しい生活を送るしかなかった。加えて言えば、飲み水や脱脂粉乳、そして海水から精製した塩にも、少量ではあるが、トリジウムは含まれておる、やはり体は少しずつ蝕まれていく。当時のヴェロニカ移民は、孫の顔を見ずに死んでいくのが普通でした。トリジウムが体に及ぼす害毒と、慢性的な栄養失調。致命的な鉱毒症を発症することがなくても、その程度しか、生きることが出来なかった」
つまり、平均寿命は40歳程度しかなかったということか。
戦乱も疫病もなく、平穏無事な人生を送った人間の寿命にしては、驚くほどに短い数字である。
この星を覆った死の呪いは、闇の中へと立ち去ったわけではなかったのだ。ただ姿形を変えただけで、厳然とこの星の上に在り続けたのだ。
「多産が奨励され、コミュニティ全体が家族として機能することで、ヴェロニカ教を中心とした社会は、辛うじてその存在を維持することができた。その中で、ヴェロニカの教えは正しく神格化され、誰もそれを疑問に思うことはなくなった。だが、その身を蝕む空腹以外の飢餓に悩まされ、肉食へ至った信徒は、決して少ない数ではなかった」
ビアンキは、痛ましそうに言った。
「わしは、この時代に生まれて、本当に幸福だったのだと思う。肉を食わずとも、この体を形作るために必要な栄養の全てを何不自由なく摂取することが叶うのだから。もしもわしがかの時代に生まれていれば、慢性的な栄養失調に苦しんで、やはり肉食へと至っていたかもしれん」
枯れた唇から、重々しい溜息が吐き出される。
「一度肉を喰らえば、その味が忘れられなくなる。そして、二度、三度と喰ううちに、罪悪感が薄れていく。体調はかえって良くなり、なんだあれは迷信かと自分を納得させる。そして、四肢に麻痺が現れたときには、全てが手遅れ。あとは、水や塩に含まれる微量のトリジウムを摂取するだけで症状は進行し、いずれ言語障害を併発して、最終的には体中の組織が壊死、融解して死に至る。それが、この星における破戒者の死に様です」
そして、その無惨な死に様は、生き残った信徒の信仰心を、より強固なものにしていく。
ヴェロニカ教徒は団結し、神への、そして聖女ヴェロニカへの崇拝を続ける。
この星の人間の行動原理として、ヴェロニカ教の戒律が根付くのに、多くの時間は必要でなかった。
薄氷の上に立ちながらも、信仰の自由を約束された、穏やかな時間。
だが、ある意味において平穏な時代は、意外なほどに早く終わりを告げた。
「我らが、青息吐息の有様で、それでも何とかこの星で生きていく術を確立させた頃、外の世界では重大な転換期が訪れていた」
「……ゲートの発見、ですね?」
ジャスミンの言葉に、ビアンキは頷いた。
この場合、ジャスミンが特別明敏だったわけではない。宇宙開拓史の大転換点といえば、ゲートの発見、ショウ・ドライブの発明など、いくつかの事象に絞られる。ジャスミンが口にしたのは、その一番最初の事象だっただけのことである。
「ゲートが発見され、人類の足跡は、今まで踏破された領域を遙か越えて、文字通り宇宙の果てまで及ぶ可能性が見いだされた。しかし、ゲートはそれだけで利用できる代物ではない。ゲートをジャンプするために必要な、新型エンジンの開発が必要不可欠となる。宇宙科学の権威達は、その精力の全てを注ぎ込んで新型エンジンの開発に尽力したが、それは容易いものではなかった。目の前のある宝の山を、彼らは、何百年という長きにわたって、指をくわえて見続けるしかなかったのだ」
ビアンキの言葉に、ジャスミンが頷く。
そして、口を開き、
「ですが、それはついに成し遂げられる。ゲートの不安定な波動を捕らえ、三次元の綻びを縫い付けるために必要な装置……重力波エンジンは、ついに開発、実用化に漕ぎ着けた」
「その通り。そして、そのために必要不可欠じゃった素材が、トリジウムよ」
今まで、まるで蝋のような顔色をしていたインユェとメイフゥが、ごくりと唾を飲み込んだ。
「むしろ、因果関係は逆だったかもしれん。重力波エンジンの開発にトリジウムが必要だったのではなく、『魔法の金属』と呼ばれるトリジウムが発見されたことによって、重力波エンジンがこの世に産み落とされた。つまり、トリジウムという鉱物がこの世に存在しなければ、今でもゲートは、夢の世界への扉のままに違いない」
「老師の仰るとおりでしょう。重力波エンジンの開発者の偉業は賞賛されて然るべきでしょうが、宇宙開発史への貢献度を考えたとき、トリジウムの発見者へ贈られるべき勲章は、重力波エンジンの開発者へ贈られるものよりも、遙かに重く荘厳なものにならざるを得ません」
「そして、その偉業によって、この星はさらなる混乱の渦中に投げ込まれることになりました」
ビアンキは、感情を押し殺した声で言った。
「長く、この星の風土病だと思われていた奇病が、トリジウム鉱毒症だと最初に気が付いたのは、当然の如く医師であった。彼は外の星に留学し、当時において最先端の医学知識をもった若者じゃったが、同時に敬虔なヴェロニカ教徒でもあったから、その重大な事実を声高にふれ回ることなく、まずヴェロニカ教の指導者である老師に報告したらしい」
「そして、この星には大量のトリジウムが埋蔵されていることがわかった」
ビアンキは頷いた。
「同時に、高濃度のトリジウムによって、星全体が汚染されていたことも判明した。そして、我らが何を思ったか。メイフゥくん、分かるかね?」
突然に水を向けられたメイフゥは、掠れた声で、
「……喜んだんじゃねえのかい?だって、足下にとんでもないお宝が埋まっていることがわかったんだ。それなら、喜んでそいつを掘り出すのが普通の人間ってもんだぜ」
ビアンキは、にっこりと笑った。
そして、首を横に振った。
「違う。我らは、恐怖したのだ」
「それは……トリジウム鉱毒の恐ろしさに、かい?」
「それも違う。我らが恐怖したのは、ようやく手にした平穏の地を奪われ、再び迫害と流浪の歴史へと返されることよ」
老人は、カラ茶を啜った。
「トリジウム鉱毒など、もはや我らにはどうでもよかったのだ。限られた食物、苦しい栄養失調、それもどうでもよかった。我らに必要だったのは、自らの信仰を守ることの出来る自由の場所、そして誰からも迫害されない静かな時間。それだけだったのだ」
老人以外の一同が、静かに息を飲んだ。
「この星に、人類の歴史そのものを揺るがしかねない埋蔵量のトリジウムが存在する。その事実が外部に知れられれば、あらゆる理屈とあらゆる暴力的な手段をもって、共和宇宙の全体幸福という錦の御旗のもとに、この星は奪い取られるだろう。そしてこの星の緑は全てほじくり返され、資源の全てを吸い上げられて、誰も住むことの出来なくなった、文字通りの死の星だけが我らの手に残される。ならば、我らはどうすればいい?死の荒野に取り残され、何もかもを奪われた我らに、いったい何ができる?」
「……いくらなんでも、そこまで阿漕なまねを、共和政府のお偉方が、するのかよ」
インユェが、ぽつりと、納得できないように言った。
ビアンキは、少年の、若さに相応しい義憤とでもいうべき表情を微笑ましげに眺め、それからジャスミンを見て、
「如何思われますか、ミズ・クーア」
ジャスミンは、無表情に口を開いた。
「連邦加盟を果たした現在のヴェロニカ共和国ならば話は別ですが、当時の、いわば辺境の一惑星に過ぎなかった惑星ヴェロニカにおいて、老師の仰った懸念が現実のものとなった可能性は、極めて高いでしょう」
普段であれば、理知的でありながらも十分な暖かみを感じさせるジャスミンの声が、どこまでも冷徹に響いた。
「金鉱脈の上に住む、文明的に劣った──少なくとも加害者達の、そう信じる──原住民を、鉛の玉で追い立て、虐殺する。あるいは、絶望的な移民を成功させ、艱難辛苦の末に独自の文化を築くに至った宇宙移民を、たかだか資源のために彼らの星から追い出す。それは確かに蛮行であり、恥ずべき行いですが、長い人類の歴史から見れば珍しいことではない。寧ろ、当然の如く繰り返されてきたことです。であれば、この星が、今まで繰り返されてきた悲劇と同じ末路を辿らなかった保証など、どこにもない」
無慈悲なジャスミンの意見に、インユェが、険しい顔つきで反駁した。
「だけどよ、この星に埋まってるトリジウムの量は、ちっぽけな金鉱脈程度とは訳が違うんだぜ。ならよ、そん中から、この星の人達が新天地を見つけるために必要な引っ越し代なんて、簡単に捻り出せるんじゃねえのかよ」
ジャスミンは、首を横に振った。
「そういったケースの被害者に向けられるのが『全人類の幸福のために自分達の故郷を追われた憐れな人々』という同情の視線であれば、そういった救済も考えられる。しかし、自分達の強欲によって彼らを追い立てたという加害者達の負い目、罪悪感の深さが、そういった当たり前の感情を奪い取る。加害者達は、自分の視界の中に、被害者連中がいるのが、どうにも我慢できなくなる。その結果、被害者であるはずの彼らに与えられるのは、中央から離れた厳しい住環境と、先に住んでいた人々から向けられる冷たい視線と迫害さ」
クーア財閥の支配者として、人類の紡いできた歴史の裏側を知るジャスミンは、醒めた口調で言った。
ジャスミンの言葉は、少年の口を封じるに十分な、絶対零度を思わせる冷たさに満ちていた。
冷え切った室内で、ビアンキが続ける。
「果たして現実に、ミズ・クーアの仰るようなことが行われたのか。それは誰にも分からん。しかし事実が外に知られた場合、間違いのないことは、この星から──聖女ヴェロニカが眠り、神の坐すこの星から、我らが立ち去らねばならなかったこと。そして、この美しい惑星が、無惨な死の星に変えられてしまうだろうということ。この二つの確定された未来図のみをもって、当時のヴェロニカ教指導陣にとって、トリジウム埋蔵の事実を声高に喧伝するなどは、以ての外でした」
ジャスミンは頷いた。
あまりに性悪説的な考えに偏っていたのかも知れない。しかし、資源という魔性が人の理性をどれほど簡単に、そしてどれほど醜く狂わせるかを知り尽くしているジャスミンにとって、当時のヴェロニカ教指導陣の判断は、極めて正しいものであったと考えざるを得なかったのだ。
「トリジウムを発見する切っ掛けを作った医師たる青年には、当時の老師が、事実を口外することのないよう厳しく言い渡した。そして、その青年は、個人で秘匿するには、そして医師として秘匿するにはあまりに重たい事実を抱えたまま、この星で短い一生を終えた」
「短い、というと、それはまさか……」
ジャスミンの懸念を、老人は否定した。
「違う。誰かが口を封じたのではない。医師たる青年の死因は、トリジウム鉱毒症だったのです」
「しかし彼は……」
「当然、この星の危険を知っておった。加えて言うならば、当時は既に重力波エンジンを用いたゲート航法が一般化しており、惑星ヴェロニカのような辺境においても、他星系から食料を輸入するのがそれほど難しいことではなくなっておった。つまり、青年がその気になれば、全くトリジウムに汚染されていない食物を採り続けることも、不可能ではなかった。しかし彼は、この星の食料しか口にしなかった。しかも、カラ以外の、トリジウムに汚染された青果も口にした」
「それは、何故?」
老人は、無感動な声で言った。
「分からん。いったい、その青年が何を思い、この星の食物を採り続けたのか。しかも、トリジウム鉱毒症を発症してもなお、それを続けたのか。もしかすると、真実を知りながら無数のトリジウム鉱毒症患者を見殺しにした、自身への罰だと考えたのかも知れん。もしかすると、全てを秘匿しこの星の惨状を見過ごし続ける、ヴェロニカ教指導陣への無言の抗議だったのかも知れん。それとも、わしの想像の及ぶ範囲に、彼の真意はなかったのかも知れん。ただ分かっておるのは、その青年が、壊死した臓物を吐き出しながら、無惨な有様で死んだこと。そして、今後も同じく真実に気が付く者が現れる可能性があること。それだけです」
ビアンキは、壁に掛かった時計を見た。
既に、彼が話し始めてから、かなりの時間が経過している。
部屋に差し込む太陽の光も、熱を帯び始めていた。
「そして、おそらくはその頃からでしょう。ヴェロニカ教が、更なる変質を余儀なくされたのは」
「更なる変質、ですか」
「左様。それまでは、形骸化しながらも、何とか神への信仰を保ち続けたヴェロニカ教の中枢は、この星に隠された秘密を知るや、その隠匿、即ちトリジウムの秘匿だけを意図した組織へと変貌した。真実を知った者を排除するために、草の者という非合法の人間を飼い始めた。同時に、この星におけるトリジウム鉱毒症患者の存在によって外部に秘密が漏れることを防ぐため、完全栄養作物の開発へと乗り出した」
そこでメイフゥが待ったをかけた。
「じいさん、それじゃあ何かい?ヴェロニカ政府が品種改良やら遺伝子組み換えやらの技術を使って完全栄養作物を作ったのは、ヴェロニカ教の戒律を守るためでもなければヴェロニカに住む人間を守るためでもなくて、ただ、トリジウムがこの星に埋蔵されていることを隠すためだったって、そういうことなの?」
「そのとおり。飲み込みが早くて助かる。トリジウム鉱毒症とこの星の風土病に共通項を見いだす人間は、少なければ少ないほどに都合がよろしい。ならば、この星におけるトリジウム鉱毒症患者の数をゼロにしてしまえばよいのだと、指導陣は判断したのだ」
トリジウム鉱山の希少性は言を俟たない。
トリジウム鉱毒症は、その稀少な鉱山の周囲に住み続け、さらに、極めて高濃度のトリジウムに汚染された食物を摂取し続けなれば発症しないのだから、共和宇宙全域を見ても、極めて珍しい、いわば奇病である。
惑星ヴェロニカに蔓延る風土病、それも既に過去のものとなりつつある病と、トリジウム鉱毒症が同じものだと気が付く人間は、極めて限られたものとならざるを得ない。
例えば、知識を極めた医師。
例えば、トリジウム鉱山を探す資源探索者。
だが、そういった危険な職種の人間であっても、惑星ヴェロニカの上から奇病がまったく無くなってしまえば、もはや鉱毒症と奇病が同一であると気が付くことはなくなるだろう。
まして、星全体に蔓延る奇病が、どうしてトリジウム鉱毒症と同一の病であると、誰が思うだろうか。もしもそうならば、星全体がトリジウム鉱山だという、奇天烈な理屈が成立してしまうというのに。
「カラと同じくこの星の土壌で育ててもトリジウムに汚染されず、タンパク質を含む各種栄養に富んだ作物の、人為的な開発。しかし、言うまでもないことだが、この星は極めて貧しい星です。今もそれほど豊かとは言えんが、当時のそれとは比べるべくも無い。ならば、当時のヴェロニカ政府がそのような作物の開発を進めるには、決定的に資金が不足しておるのは明らかでした」
老人の皺だらけの頬が、皮肉げな笑みを形作った。
「そして我らは、我らを危地に陥れた悪魔に、膝を屈するしかなかった」
「……不思議だったのですよ。どうして、失礼な言葉ですが、これほど貧しい星の上に、遺伝子操作や高度の品種改良といった、多額の資本投下を要する産業が根付いたのか。なるほど、答えは極めて簡単だった。あなた方には、それだけの資金源があったのですね」
ジャスミンの言葉に、ビアンキは、頷く必要性すらを見いださなかった。
「冗談半分で、彼らは地下を掘った。土砂を精錬し、そこからトリジウムを取り出した。時間にして、ほんの半年ほど。投下した人員は当時のヴェロニカ教総本山に属していた、僅かな僧のみ。にもかかわらず、彼らは、当時の惑星ヴェロニカ全体のGDPの総額にも等しい価値のトリジウムを手にしてしまった。果たして彼らは何を思ったでしょう。わしには、彼らが憐れでならない」
老人は、心底辛そうに言った。
ジャスミンも、そしてメイフゥとインユェも、言うべき言葉を失ってしまった。
今の今まで、自分達を苦しめ、祖先たちの命を嘲笑うかのように容易く刈り取ってきた悪魔が、ほんの少し土を掘り返しただけで、自分達の一年間分の労働よりも高い価値の金銭として姿を現したのだ。
憎むべき悪魔に頭を垂れ、その慈悲を乞うことでしか、自分達は生き残ることを許されないのだ。
その無念、そして無力感。当時の僧達は、血涙を流しながら、土を掘ったのだろう。
「今も、人知れずヴェロニカシティの地下に延びる大洞窟が、当時の発掘の痕跡です。あれは、当時の僧達の無念を体現した場所であり、現在のヴェロニカ教が生まれた、文字通りの聖地でもある」
「あれが、トリジウムの発掘跡だって!?」
メイフゥが、驚愕に満ちた叫び声を発した。
メイフゥ達が、特殊部隊の襲撃からの逃走経路として用い、そしてメイフゥとジャスミン、ケリーが死闘を繰り広げた、正体不明の洞窟。
確かに、自然が作り出した地形には見えなかったが、それがまさか、トリジウム発掘に用いられた坑道であるなど、想像の埒外である。
メイフゥがしばし言葉を失ったとして、何人も彼女を非難し得まい。
しかし、驚いたのはメイフゥだけではなかった。
「なんと、メイフゥくんは、あの地下道を知っていたのか」
ビアンキが、目を見開いて言った。
メイフゥが、掠れた声で答える。
「あ、ああ。あたしだけじゃない。ジャスミンお姉様も、インユェも、知ってる。事情があってさ、あの地下道を逃げ道に使ったんだ」
「逃げ道に?では、あの道のことは、そもそも誰がご存じだったのだね?」
「それは、あたしらの育ての親の、ヤームルって男だけど……」
「ちょっと待ってくれ。ヤームル?……はて、その名前は、どこかで……」
ビアンキは、深く考え込んだ。
まるで自己の内側で、記憶をふるいにかけるように、口元に手を当てて考え込む。
そして、何かに思い当たったのだろうか、はっと顔を上げて、言った。
「それは、まさか、あのヤームルくんか!?ならば、あの坑道を知っていて当然だ!」
予想外の人物から聞かされた知己の名前に、メイフゥとインユェは腰を浮かした。
「じいさん、あんた、ヤームルのこと、知ってるのか!?」
「知っているも何も、彼は、いや、彼らは、惑星ヴェロニカの大恩人だ!もしも彼らがいなければ、今の惑星ヴェロニカはなかった!」
老人は、目を白黒させながら、しかしメイフゥとインユェの顔を見た。
交互に見た。
そして、ぼんやりとした、忘我の声で呟いたのだ。
「ああ……そうか、全て、思い出した……そういえば、君たちのどこかに、面影がある……よく、とてもよく、似ている……そうか、君たちは、あの少年の、血を引いているのか」
予想外の言葉に、姉弟は声を失った。
「そうだ。ヤームルと名乗った少年の隣に立っていた、同じ歳の頃の少年。顔立ちも、雰囲気も、よく似ている。ああ、そうか、なんということだ……」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て、じいさん!」
メイフゥは、テーブルに身を乗り出すような姿勢で、大声を出した。
「あんた、あたしらの親父さまと、会ったことがあるってのか!?」
対照的に、まるで夢見るように弱々しい声で、老人は呟いた。
「ああ……そうだ。おそらく、いや、ほとんど間違いなく、わしは、もう数十年も前に、君たちの父親と、顔を合わせたことが、ある」
「じゃあ、名前は!?あたしらの親父さまの、名前は!?」
興奮したメイフゥが、ビアンキの襟を掴み、激しい表情で問い質した。
枯れ木のような老人の体は、メイフゥの豪腕に容易く持ち上げられた。
テーブルの上のマグカップのいくつかが、衝撃に宙を舞い、そのいくつかが床に落ちて盛大に砕け散った。
「落ち着け、メイフゥ」
「邪魔すんじゃねぇ!すっこんでやがれ!」
牙を剥き出しにした猛獣のような表情で、メイフゥがジャスミンを威嚇した。
常のメイフゥ、ジャスミンを自らの姉が如く慕う少女からは、想像だに出来ない、切羽詰まった表情だ。
だが、その程度で気圧されるジャスミンではない。
適度に加減した、しかし常人であれば意識を刈り取るような張り手を、メイフゥの左頬に叩き込む。
肉を肉で打つ、高い音が部屋に響いた。
「落ち着けと、わたしは言ったんだ。聞こえなかったのか、メイフゥ」
しばし空白の時間が流れた後で、頬を赤くしたメイフゥが、ビアンキの襟を離した。
どさりと、老人の体が椅子に落ちる。
首元を締め上げる恐ろしい力から解放されたビアンキは、枯れ木のように立ち尽くす、メイフゥの表情を見た。
そこからは、普段のメイフゥを彩る溌剌とした覇気が、ごっそりと失われていた。
「……ごめん、お姉様。あたし、聞こえてなかったよ」
「よし、今は聞こえているな。ならばいい。座れ。そして、老師の仰ることを、落ち着いて聞くんだ。出来るな?」
メイフゥは、血の気の失せた顔で、こくりと頷いた。
とさりと、軽い音を立てて椅子に腰掛ける。
ビアンキは、こころもち青ざめた顔色で、首の辺りを撫でさすり、言った。
「……すまんが、メイフゥくん。わしは、きみの父親であろう少年とは、名前の交換はしなかったのだよ。話し合いは、全て、ヤームルくんを通じて行われた。つまり、当時も今も、きみの父親たる方の名前は知らない」
「……そうか。悪かったよ、じいさん」
ぽつりと、消え入りそうな声で呟いた。
項垂れた少女を、老人は気の毒そうに見遣ったが、しかし気を取り直したような口調で続ける。
「とにかく、それはヴェロニカ教にとって、一大転換であった。これまで、自らを害し続け、病魔を連れた死に神でしかなかったトリジウムに、自らの命運を託したのだ。それに伴って、ヴェロニカ教の教義も変わらざるを得なかった」
「……それは、いったい、どのように?」
「全ての教義が、トリジウムの秘匿のために、再構築された。肉を食うな、自生の青果を口にするなという教えには、わざとらしい自然崇拝的な思想が付加され、それと同時に、森林伐採のような大規模な開発も厳に禁止されるにいたった。この星で、土を掘り返すには、ヴェロニカ教の許可が必要不可欠となった。当然、地質調査を要するような大規模な開発行為は数を減らし、行われたとしても、総本山の厳しい監視が必ず付けられた」
「なるほど、自然愛護思想の全ては、地下に埋蔵された大量のトリジウムを隠匿するためのものだった、と。そして、我々の知る、ヴェロニカ教が生まれたのですね」
ビアンキは、苦々しげに言った。
「そのような思想は、祖先が、厳しい迫害を受けながらも守り続けてきた、原初ヴェロニカ教には存在しなかった事項です。いや、それだけならば構わん。時代の趨勢とともに信仰が新たな有り様を見つけるのは、当然でしょう。しかし、新たなヴェロニカ教で言うところの神という概念は、この星の自然と同義であり、この星に住まう存在でしかない。反して旧ヴェロニカ教の神は、母なる惑星に住まうもの。どのような美辞麗句をもって糊塗したところで、その存在を同一であると偽ることは出来ぬ。つまりは、神のすげ替えよ。それほどに、我らの教義は、根本からして変節した。しかも、この星の指導者を名乗る、限られた人間の手によって」
「ってことは何かい?この星の人達は、トリジウムを守るために、自分達の信じる神様を鞍替えしちまったってぇことかい?」
メイフゥの、邪気の無い驚きが、ビアンキの顔をいっそう暗くさせた。
「そのとおりだ、メイフゥくん。我らの祖先は、教えを守るためにこの星を見つけ、死の淵を彷徨いながらも何とか定住に漕ぎ着けた。それは全て、自分たちの信仰を守り抜くためだけに。ならば、ただトリジウムを秘匿するために、自らの信じ続けた神を、信仰を捨て去った子孫を、神と呼ばれる存在が見れば、どのように思うだろうか」
「……目的と手段が、入れ替わってしまったと、そういうことですか」
ジャスミンの冷静な指摘に、ビアンキは首肯した。
「なんと……なんとさもしいことだと、思われませぬか。もはや、この星に神はおらぬ。よしんば、母なる惑星からこの星への移住が成功したのが、正しく神の御業だったとしても、既に神はこの星をお見捨てになった。わしは、ずっとそう思い続けてきた」
しかし、闇の中に一縷の光条を見つけたように、老人は、二人の姉弟を見た。
「君たちに、出会うまでは」
今度は、老人の柔和な笑みが、姉弟の喉から言葉を奪っていた。
どうして自分達の存在が、この疲れた老人をして、これほど穏やかな笑みを浮かべさせることができたのか。どう考えても、全く理解出来なかったからだ。
どのように反応していいのか戸惑う姉弟を尻目に、ジャスミンが口を開いた。
「この星は、そこに住む人民の意図せざるところで、トリジウムを隠匿する集団へと変貌した。そこまでは理解できました。では、そのトリジウムを処分して得た豊富な資産を注ぎ込んでまで推し進めた、完全栄養作物の研究は、完成したのですか?」
ビアンキは、首を横に振った。
「いくら資金が豊富にあろうとも、そのように都合の良い作物が、一朝一夕に完成を見るはずもなかった。そも、当時の惑星ヴェロニカは連邦未加盟国です。高い技術を学ばせるために留学生を出そうにも、受け入れ先が存在しない。存在したとしても、最先端の技術に触れることができない。到底、満足の行く修学など、出来ようはずもない。それに、研究に必要な機械類も、論文その他の研究結果も、連邦未加盟国への輸出は厳に禁止されている。技術も資材も人材もなければ、そのように高度な研究が、達成されるはずもかったのです」
今でこそ、ヴェロニカ共和国出身の学生は、例えば連邦大学のような最高学府にもちらほらと存在するが、それは、現在のヴェロニカ共和国が連邦加盟国だからこそである。
連邦未加盟の国家は、一様に辺境と見なされ、共和宇宙連邦からは軽んじられるのが常である。であれば、高い技術を学ばせるための貴重な留学生枠に、辺境国家の学生が選ばれるなど、余程の幸運に恵まれなければあり得べき話ではない。
「ちょっといいかい、じいさん」
掠れた声で、メイフゥが話に割り込んだ。
「どうぞ、メイフゥくん」
「さっきから聞いてるとさ、少し不思議なんだよ。大昔ならいざ知らず、今の話の時代なら、ゲートを使ったワープ航法もかなりコストダウンしてたんだからさ、遠くの星系から食料を運び込むのも不可能じゃなくなってたんだろう?なら、わざわざけったいな作物を無理矢理作らなくても、外から食料を輸入すりゃ話は丸く収まったんじゃねえの?」
率直なメイフゥの意見に、ビアンキは頷いた。
「確かに、食糧問題の解決という一点においては、それが一番の解決策だったろう。実際に、そのような意見もあったと聞いておる。しかし、当時のヴェロニカ教指導陣において、それはどうしても採用できる方法ではなかった」
「どうしてさ?」
「まず、この星は極めて豊かな生態系を有する惑星であること。それが、例え外見上のことに過ぎなくてもな。ならば、そのような惑星が、どうして自分達で食料を生産せず、他星系の輸入に頼らざるを得ないのか。不自然極まりない。当然、疑惑を呼ぶだろう。そうなったときに、誰かがこの星の秘密を見抜くかも知れん。それが、一応の建前よ」
「建前、かい?」
「うむ。わしは、本当は、恐ろしかったのではないかと思う。そもそも、祖先が、数々の危難を乗り越えてこの星に至ったのは、全て、母なる星での迫害に端を発しておる。であれば、それまで殻に籠もり外界との接触のほとんどを絶ってきたヴェロニカの人々が、その生命線でもある食料問題を、容易く他星系の人間に──今の今まで自分達を虐げ続けてきた人間に、任せることができるだろうか」
メイフゥは、不服げな顔つきで、沈黙した。
彼女は、まだ若い。それに、今まで自分の前に立ちはだかってきた諸問題のほとんどを、頭の回転の速さと、腕っ節の強さで、文字通りに薙ぎ倒してきたという自負がある。
だから、自分以外の人間を恐れ、陰鬱に閉じこもった、そのような考えが理解出来なかったのだ。
ビアンキは、そんな少女を微笑ましげに見て、再び口を開いた。
「完全栄養作物の研究は、そう簡単なものではなかった。しかし、だからといって何を焦る必要もない。我らは、今までずっと耐えてきた。ならば、それがこれからも耐えねばならんだけの話。それに、完成には至らずとも、カラよりも各種栄養に優れ、トリジウムに汚染されない作物というものも、いくつか開発され、実際に栽培もされた。そんな中、鉱毒症患者は確実に数を減らしていた。ならば、辺境惑星の忘れ去られた奇病と、トリジウム鉱山を結びつけるような人間がそうそう現れるはずもない。我らは、そう高をくくっておった。しかし、そうもいかん状況が、訪れた」
老人は、遠い目をした。
「共和宇宙歴にて、930年頃。突如として、この星は、とある騒動の渦中に巻き込まれた」
「930年ってえと……もう、じいさんは生まれている頃じゃねえの?」
ビアンキは微笑んだ。
「うむ、わしはまだ一介の修行僧として、総本山にて修行を積んでおったゆえ、恥ずかしながら、世俗のことには酷く疎かった。しかし、それでも、何となく浮ついた雰囲気を感じ取ることの出来るほどに、この星の空気はおかしかった」
「それはいったい、何故?」
ジャスミンの質問に、老人は、力ない笑みを浮かべた。
「その時期、とある噂話が、このような辺境星域を含む、全共和宇宙を席巻したからです」
「噂話、ですか」
「はい。惑星の外殻の全てがトリジウム結晶で覆われた驚くべき宝の星があるという、お伽噺のような話です」
ジャスミンは、口に含んだカラ茶を吹き出しかけた。
それは、彼女にとって、あまりに身近に感じる『噂話』だったからだ。
「あ、それって知ってるぜ!今も、あたしら資源探索者の間では有名な、海賊王の埋蔵金の話だろ!」
メイフゥが、元気よく言った。
ビアンキが頷く。
「うむ。当時は、まだ海賊王などという言葉は、おいそれと用いられることはなかったが、しかし、巨大な天然トリジウム結晶を密売組織に流す少年がいるというのは、まことしやかに噂されておった」
「それが、後の世にいう、海賊王その人だったと、老師はそう仰るのですか?」
心持ち抑揚に富んだジャスミンの声に、ビアンキは、それほど奇異の念を覚えなかったらしい。
「ことの真偽など、わしは知りはせぬ。ただ重要なのは、そのような噂話が、資源探索者の数を劇的に増やし、そして、惑星ヴェロニカのような辺境の地にまで、彼らの足を運ばせたことです」
「……ちょうど、今のあたしらみたいに、か」
「資源探索者は無頼を気取っており、中には粗暴者を画に描いたような連中もおるが、独立独歩の気概を持った知恵者も多い。彼らの多くは、外宇宙へ至る中継点として、あるいは探索活動の基地としてこの星を訪れたに過ぎなかったが、当時のヴェロニカ教の指導陣は大いに慌てた。何とかして、彼らをこの星から追い出そうとした」
「それは、成功したのですか?」
「いや、このような辺境の政府がどれほど怒鳴り散らしたところで、資源探索者の情熱を止めることは叶わなんだ。かといって、何の理由も用意せず、強権的に彼らを排除したのでは、いらぬ疑惑を招きかねん。第一、この星は、その面積のわりには人口も居住用区域も少なく、当然、警察力や軍事力も他国に比して大きいものではない。独力による取り締まりには、限界がある」
「では、指をくわえて見ていた……というわけでもないのでしょう?」
ビアンキは、頷いた。
「そろそろ潮時だという意見が、当時の長老会の意見であったらしい。長きにわたる品種改良の成果は芳しくなく、未だ完全栄養作物の開発には至らない。星を訪れる資源探索者の数は、増加の一途を辿り、一向に減少する気配すらない。このままでは、早晩ヴェロニカの秘密は白日のもとに曝され、この星に埋まったトリジウムは共和政府を名乗る盗賊達に奪われてしまう」
「では……」
「そう。ヴェロニカ政府、旧ペレストロス共和国政府は、共和宇宙政府への加盟申請を、決定したのです」
ビアンキは、骨と皮だけのような腕を組んだ。
「一つの賭けには違いなかったのでしょう。共和宇宙連邦へ加盟すれば、連邦警察がその治安維持に協力してくれる。また、加盟を希望する国家が、それ以前よりも治安維持に力を注ぐのは当然のことともいえるため、惑星ヴェロニカを闊歩する不法入国の資源探索者を取り締まる格好の口実を作ることもできる。万が一トリジウムの埋蔵が露見したときにも、加盟国であればそれほど無体な扱いを受けはしないだろうという、打算もあったに違いない。それに、完全栄養作物の開発に必要な人的資源や技術の提供も、飛躍的に増大するであろうという意見もあった」
しかし、と続ける。
「共和連邦に加盟すれば、それまでよりも秘密が暴かれる可能性が、ある意味では高くなるのも事実。ヴェロニカ教は宇宙規模で見ても特異な教義を持つ宗教ゆえ、その文化的、歴史的な調査が行われる可能性は極めて高い。その過程で、この星の風土病とされた病とトリジウム鉱毒症との共通点に気づかれる可能性は、もちろん存在した。それに、人的、経済的交流が他国と盛んになれば、それによってもたらされる変化がこの星にどのような影響を与えるか、それは全くの未知数です」
老人の言葉について、ジャスミンは考えた。
確かに、危うい状況であったのは間違いない。今まで、何の目的もなくこの星を訪れた、物好きな旅行者などと違い、その時期にこの星に大挙して来襲したのは、トリジウム鉱山の探索に目の色を変えた、資源探索者の群れである。
当然、トリジウム鉱毒症のことは知っているだろうし、その他にも、資源探索に必要な知識は間違いなく備えている。
そんな人間に、この星の奇病のことが知られれば、トリジウム鉱山の存在に気づかれる可能性は、決して低いとは言えない。
だが、同時に違和感も覚える。
それまでのヴェロニカ政府の方針──つまり、ヴェロニカ教の老師達の採ってきた方針は、どちらかといえば受け身の色彩が強いものであった。
共和宇宙経済の根幹を揺るがすほどの埋蔵量のトリジウムの存在を確認しながら、実際に採掘したのは、作物の品種改良のための資金としての、僅かな量のみ。しかも、その研究成果事態が芳しくなくても、その進展を促すために、追加で資金を投下するようなこともしていない。
であれば、どうしてその時だけ、連邦への加盟申請という、極めて積極的な方策に打って出たのか。第一、彼らは、外の人間に対して根強い不信感を持っていたはずなのに。
追い詰められていた、だけでは説明のつかない何かが、ある気がした。
「納得がいかないと、そういう顔ですな、ミズ・クーア」
ビアンキが、笑いながら言った。
ジャスミンは、正直に頷いた。
「ミズ。あなたが何に対して奇異の念を抱いておられるのか、わしにはよく分かります。実はその時、この星が共和連邦加盟という重大な決断を下す直前に、惑星ヴェロニカで、人知れず、一つの事件が起こっていたのですよ」
「事件、ですか」
「ついに、この星の秘密を暴いた人間が──秘匿されたトリジウム鉱山の存在に気が付いた人間が、現れたのです」
言葉に反して、ビアンキの表情は、如何にも嬉しげであった。
そして、その嬉しげな表情を、インユェとメイフゥの姉弟に向ける。
「それは、少年でした。二人の、資源探索者の少年です。彼らは、既に大部分が改竄されるか、それとも焚書されていたこの星の歴史書を、埃まみれになりながら蒐集し、断片的な記録をつなぎ合わせて、この星の真相に辿り着いた。もしも彼らの惑星間通信を妨害し、その身柄を拘束することがなければ、この星の秘密は共和宇宙の常識と成り果てていたやも知れませんな」
「おい、じいさん、その少年って、もしかして……」
「そうだ。君たちの育ての親であるという、ヤームルという人物。それと、もう一人が誰か、言うまでもないだろう?」
姉弟が、ごくりと唾を飲み込んだ。
正しく、言うまでもないことだ。
ヤームルの、片割れの少年。
それは、この二人の、実の父親である。
「捕まえた少年二人の処遇を巡って、喧々諤々たる議論が交わされた。殺してしまえという意見。薬物で記憶を消去すればいいという意見。トリジウム鉱山で強制労働させればよいのではないかという意見。様々な意見が出て、しかし舵を取る人間はいない。そうこうして時間が経つうちに、驚くべき人物が、この星を訪れた」
「驚くべき人物だって?」
「メイフゥくん、きみも宇宙生活者ならば、一度くらいは耳にしたことがあるだろう?二百隻もの船団と千人を越す部下を従え、中央銀河を席巻した大海賊。その時代においては、小国の大統領よりも強い権力を有したと言われる、大海賊の名前を」
メイフゥが、息を飲み、無意識めいた声で呟いた。
「……大海賊……シェンブラック……」