懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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幕間:在りし日の老人その二

 困ったことになった。

 ビアンキは内心で頭を抱えていた。

 古びた牢屋、その鉄格子の前に椅子を置き、じっと前を見つめながら、何度も同じことを考えてしまう。

 

 ──どうしてこんなことになったのか。自分は、ただヴェロニカ教の真理を知るために、その門を叩いたのに。

 

 この星に、ヴェロニカ教徒は多い。一握りの外国人以外、全てがヴェロニカ教を信奉しているといって過言ではないのだ。 宗派はいくつも存在し、外から見れば全くもってどうでもいいような教義の違いを巡って丁々発止の議論と不倶戴天の敵意を交わし合っているが、結局のところそのいずれもがヴェロニカ教徒であることに変わりはない。

 しかし、信徒ごとの信仰の度合いには、当然のことながら深浅が分かれる。

 肉食や野生の青果を食わないといった、信仰の根幹に関わるところは別にして、 それ以外の部分、例えば、ヴェロニカ教の教えを守りながら外で働くのか、それとも信仰をより深めるために出家するのか、そういった選択は個人の信仰心の問題であり、誰が強制できるわけでもない。

 若き日のビアンキは、様々な葛藤の末に、出家の道を選んだ。

 幼き頃よりその才覚を知られ、将来を嘱望された彼である。

 この星で最も難しい学府に受かり、そこで、辺境で許される最先端の医学を修めた。 そのまま医者の道を歩けば、輝かしい未来を約束されていたのだ。

 それでも彼は、全てを捨てて出家し、ヴェロニカ教の指導者としての人生を選択した。

 その選択は、決して間違えてはいなかったと、ビアンキ自身は確信している。それが、やむにやまれぬ選択だったとしても、だ。

 だが、これほどの重責を肩に負わされて、このように辛気くさい場所に押し込められてしまうと、どうして自分はここにいるのかという根本的な煩悶が空白の思考にこだましてしまう。

 一週間だ。

 一週間後には、この星の運命が、自分の選択によって決せられてしまう。

 どうして自分なのだろうか。

 相応しい人間は、いくらでもいるのだ。

 長老でもいい。

 大統領でもいい。

 出自も知れない肩書きと勲章をじゃらじゃらとぶら下げた、学者だっているだろう。

 この星を我が物顔でのし歩く、原始移民の子孫連中でも構わないじゃないか。

 なのに、どうして自分なのだ。いまだ老師の階位にも至らず、導師の身分とて手に入れたばかりの。

 何度考えても分からない。

 しかし、時間だけは無情に過ぎていく。 ビアンキの事情など、汲んではくれない。

 どれほど考えても、考えなかったとしても、許された時間の終わりを告げる鐘の音は、いずれ三日後に届くだろう。

 その時、自分は決断しなければならないのだ。

 少なくとも、自分が、このままヴェロニカ教に身を置き続けるならば。

 そうだ。

 身を置き続けるつもりならば、決断が必要だ。

 だが、そうでないならば。

 逃げる、という選択肢も、ある。

 このままこっそりとこの城を抜け出して、近くの街まで逃げ込めば、まさか誰かが追ってくるということもあるまい。よしんば誰かが追ってきたとしても、三日間逃げ切ればいいだけの話だ。

 自分が捕まる頃にはこの問題にも一応の方向性は出来ているだろう。

 だが、その後は?

 当然、自分の居場所は、ヴェロニカ教の総本山にはないだろう。

 今更、医師としての道に戻れようはずもない。

 手に職があるわけでもなく、特別な技能があるわけでもない。

 もう、年も30を越えている。自分が歩み続けてきた道を違えるには、全てが遅い年齢だ。

 ならば、逃げてどうする?

 逃げられない。

 逃げれば、それは、ミア・ビアンキという人間の社会的な死を意味するからだ。

 ならば、どうにかして決断を下すしかないのだが……。

 

「どうしたんだよ、おっさん。さっきから変なうなり声をあげてさ。腹でも痛いのかい?」

 

 苦悶するビアンキを眺めながら、二人の少年のうちの饒舌な方が、不思議そうに言った。  名前を、ヤームルといったはずだ。

 栗色の柔らかい髪の毛をした、利発そうな瞳の少年だった。誰かに殴られたのか、片方の目が腫れてふさがりかけている。体中に青痣も拵えている。 見た目はぼろぼろだ。

 それでも、弱々しい印象のどこにもない、子供だ。

 ビアンキは、ヤームルを、ぎろりと睨み付けた。その剣呑な視線の理由は、まだ自分がおっさん呼ばわりされる年齢ではないという抗議の意志だったのかも知れないし、自分がこれほど苦悩する理由そのものである彼らが、その重大性を全く理解していないように見えるのが苛立たしかったのかも知れない。

 ビアンキ自身にも、よく分からない。

 とにかく、ビアンキは、ぎろりと睨み付けた。

 薄明かりの中である。そして、朽ちた牢獄の中である。

 今や看守の立場となったビアンキに睨み付けられれば、普通の人間であれば肝を冷やして然るべきなのだが、ヤームルという少年はあっけらかんとしたものだった。

 後ろ手に手錠を嵌められ、足錠も嵌められ、立ち上がることも叶わず、芋虫のような姿勢のまま、無垢な瞳でビアンキを見上げている。

 そんな視線を寄越されては、いつまでも怒っているのが馬鹿らしくもなる。

 ビアンキは溜息を一つ溢して、つるりとした禿頭を一撫でした。

 

「……お前は、事態の深刻さが分かっているのか。私の決断一つで、お前達はこの世を去らねばならんのだ。それも、別に三日後のことではない。私が決めれば、それは今すぐのことにもなるというのに」

 

 脅しとも嘆きとも取れない、曖昧な声であった。

 今、少年二人の生殺与奪の権利を握っているのは、間違いなくビアンキであり、それは少年達も十分理解しているはずである。

 だというのに、少なくともヤームルという少年については、その表情のどこにも、恐怖とか怒りとか焦りとか、そういう感情が読み取れない。

 ある意味において、人間性というものが一部欠落しているのではないかと疑ってしまうほどに、自然体であり、無邪気な様子でもある。

 これが、宇宙生活者というものなのだろうか。

 ビアンキの知己に、そういった職を持つ人間はいない。そもそもヴェロニカ教徒のうちに、宇宙に生活の場を求める人間は、数少ないのだ。

 ヴェロニカ教の思想を守るならば、宇宙で生活を送るのは簡単なことではない。

 最も難しいのが、食事制限の戒律を守り続けることだ。

 惑星ヴェロニカで仕入れた食材ならばいざ知らず、他の星で食材を仕入れたとき、それが戒律に触れるものかそうでないかを見分けるのは非常に困難だ。缶詰の裏に記された原材料を調べても、それが天然のものなのか人の手を加えられたものなのかを見分けるのは、事実上不可能に近い。

 であれば、ヴェロニカ教の人間が宇宙に赴く機会は、自然と限られてくる。もう少し時代が進み、ペレストロス共和国が今より栄えることがあれば話は変わってくるのだろうが、少なくとも今は極々一部の人間しか宇宙に関係する職にはついていない。

 当然、ビアンキも宇宙を旅したことはない。そして、そういった知人を持つこともなかった。

 そして、どうやらビアンキが初めて出会った宇宙生活者である少年は、あっけらかんとした調子で口を開いた。

 

「おれたちが騒いだり怒ったり嘆いたりして事情が変わるなら、いくらだってそうしてるさ。あんたらの靴の裏だって舐めてやってもいい。でも、何をしたって何も変わらないなら、何をする必要もないだろう?だからこうしてる」

 

 ヤームルは、平然と言った。 至極ごもっともな台詞である。ビアンキも、不快そうに顔を顰めこそしたが、一言の反論をすることも敵わなかった。

 もう一人の少年は、ヤームルのほうをちらりと見てから、再び毛布に頭を突っ込んで動かなくなった。

 ビアンキは、しばらく二人をまんじりともせずに監視していた。

 やがて、昼になった。

 草と呼ばれた男達が、昼食を持って地下牢へと降りてきた。

 仮にもヴェロニカ教の導師であるビアンキには、湯気の立つ豪勢な食事が運ばれてきた。 対して二人の少年には、果たしてこれは人の食事かと問い詰めたくなるような、残飯まがいの品であった。

 端の欠けたプラスチックの大皿に、盛りつけなど念頭にない有様で、得体の知れない食材のごった煮のようなものが盛られている。 決して食欲を沸き立たせるような料理では、なかった。

 男達は、鍵で鉄格子を開け、房の入り口に近いところに二人分の食事を置いた。

 

「おい、飯だ」

 

 草の男は、二人の少年に、冷ややかな声をかけた。

 寡黙な方の少年はもちろん、ヤームルも、その声に反応を示さなかった。 毛布にくるまったまま、視線を寄越しさえしない。

 そんな少年二人を忌々しげに見遣った草の男は、舌打ちを一つ零して、地下階から姿を消した。

 

「さ、飯だ飯だ。危うくお腹と背中がくっついちまうところだったぜ」

 

 毛布をはじき飛ばす勢いで体を起こしたヤームルが、途端に表情を崩し、残飯まがいの昼食の盛られた皿に、口を付けた。

 それは、文字通り、口を付けたのだ。

 彼の両手は、後ろ手に拘束されている。その状態で地面に置かれた皿から食事をしようと思えば、自然、犬が餌に鼻先を突っ込むような姿勢にならざるを得ない。

 到底、人の尊厳のある、食事ではない。

 ビアンキは、思わず目を逸らした。顔を汁まみれにしながらがつがつと食事をする少年が不憫に思えたのかも知れないし、年端もいかない少年にそんな真似をさせておきながら人並みの食事をする自分が、どうにも浅ましく思えたのかも知れない。

 

「おい、インシン。お前も食えよ。これ、なかなかいけるぜ」

 

 顔をべたべたにしたヤームルが、やはり毛布にくるまったままの、もう一人の少年に声をかけた。

 ビアンキは、思わず視線を戻した。

 インシン。

 それが、もう一人の少年の、名前なのか。

 ビアンキの視線に気が付いたのだろうか、ヤームルは地に這いつくばった姿勢のまま、ビアンキの方を見遣り、

 

「あ、いっとくけどな、おっさん。こいつの名前、インシンなんかじゃねえからな」

 

 自分で呼んでおいて違うとは、何とも奇妙な言いぶりだ。

 声に出さずとも表情には出ていたのだろう。ヤームルは、ビアンキの難儀な顔を眺めて、くすりと笑った。

 

「こいつ、びっくりするくらいに無口なんだ。だから、誰も名前を知らねえ。おれが勝手に名付けて、勝手に呼んでる」

「……それは奇妙な話だな。では、どうしてその少年を、インシンなどと呼ぶ?」

「ああ、そいつは、おれの故郷の言葉で……」

 

 ヤームルが話し始めた隣で、もそりと体を動かした少年──インシンと呼ぶべきなのか──が、ヤームルと同じ姿勢で、皿に盛られた飯に顔を突っ込み、もそもそと食べ始めた。

 ぺちゃぺちゃと、汁の跳ね散る音が聞こえた。

 ヤームル少年に比べると、何とも覇気のない有様である。

 そして、ヤームルと同じく、体中に青痣を作っている。

 髪は埃にまみれて灰色に染まり、顔は垢じみて薄黒い。身に纏ったぼろと相まって、そのまま浮浪児の仲間に入れても何ら見劣りしない姿形である。

 つん、と、饐えた汗の臭いが、ビアンキの顔を顰めさせた。

 二人の様子を意図的に視界の外に置いて、自分の食事に集中した。

 機械のように手を動かし、味のしない食事を黙々と口へと運ぶ。そうしていると、どうしても、出口の見えない煩悶がむくりと鎌首をもたげて、ビアンキを底なしの泥濘の中へと放り込もうとするのだ。

 

「あのさ。あんた、確か、ビアンキって言ったっけ?」

 

 ビアンキは、弾かれたように顔を上げた。

 ヤームル少年と目が合う。

 

「……口の利き方を知らない子供だ。自分達の置かれた立場を理解しているのか」

 

 顔を汁でべたべたにしたヤームルは、ちょうど食事を終えた犬がそうするように、長いしたで口の周りを舐めとった。

 

「十分に理解してるってば。どうせこれ以上悪くなりようがないならさ、今更神妙にしたってどうしようもないだろう?」

 

 ヤームル少年の言うとおりであった。

 ビアンキは、溢れそうになった舌打ちを、何とか堪えた。

 

「で、さ。結局のところ、おれ達はどうなるんだ?このまま殺されて、どっかに埋められて終わりかい?」

「……そうだと言ったら、どうするつもりだ?」

「いや、あんたらも中々勇気があるなって思ってね。おれ達があんたらにとっ捕まってることを、親父は間違いなく知ってるぜ。なら、あんたらには、おれ達みたいな薄汚れたガキの命をたった二つと引き替えに、自分達がぶっ殺される覚悟があるってことだろ?それは、きっと珍しいことだ」

 

 ビアンキは、昨日、会見の場で遠くから見た、あの男を思い出していた。

 大海賊、シェンブラック。

 世間一般で知られているほどに暴力の匂いを醸し出す男ではなかったが、その分、奥に秘めた何かには恐ろしいものがあった。

 あの男は、やるといったらやるタイプの人間だ。

 そして、そのシェンブラックが、二人の身柄を引き渡さなければこの星を滅ぼすと言った。確かに、彼の暴力を集結させるならば、共和連邦にも所属していない辺境国家一つを叩きつぶすくらい造作もないだろう。

 それなのに、この二人の身柄を引き渡すことだけは、どうしても出来ないのだと長老は言う。

 例え、この星の大多数の人間が死に絶えたとしても、それだけは出来ないのだと。

 そこが、ビアンキにはどうしても理解出来ない。

 いや、そもそも──。

 

「なぁ、お前達は、一体何をしでかしたんだ?何を知ったんだ?いい加減、それを教えてくれないか」

 

 懇願するような、ビアンキの口調である。

 これまで、何度も尋ねた。彼らが何を知り、ヴェロニカ教団は何を秘匿しているのか。それを知れば、決断の下しようもある。

 しかし、ビアンキは何も知らない。知らされていない。一切の事情を弁えないまま、最も重たい責任を負わされたのだ。

 ならば、少しでも多くの情報を知りたいと思うのが当然だろう。

 だが。

 

「言えない」

 

 取り付く島もない様子である。

 

「どうして」

 

 ビアンキが食い下がった。

 

「言っても、きっと理解してもらえない」

「理解出来ない?」

「ああ。多分、あんたには無理だ」

 

 非礼な台詞であった。しかも、目下の人間に言われたのだ。

 ビアンキは思わず声を荒げかけたが、しかしヤームルの表情を見て、怒声を飲み込まざるを得なかった。

 まるで、哀れむような、自分を気遣うような、悲しげな視線。

 ビアンキは、上げかけた腰を、再び椅子へと下ろした。

 

「ずいぶんと、見くびられたものだ」

「見くびってなんていない。あんたはここに来てから、一度だっておれ達を馬鹿にしなかった。見下さなかった。こんな薄汚れた、宇宙生活者の子供をだ。それは、きっと立派なことだと思うよ」

 

 慰めるような口調であった。

 ビアンキは、自嘲の笑みを浮かべた。

 

「これはこれは、嬉しいお言葉だな」

「皮肉を言ってるって思われてるのかな?違うよ、本当にそう思う。おれ達は、いつだって、人間未満の扱いを受けてきたんだ。正面から、真っ直ぐに話しかけてくれるのは、親父くらいのものだった」

「親父とは、シェンブラックのことだな」

 

 ヤームルは頷いた。

 

「あの男とお前達は、どういう関係なんだ」

「親父と息子」

 

 簡潔であるが故に、誇り高い言葉だった。

 自分達が裏切られるとは、見捨てられるとは、一握りだって疑っていない言葉だ。

 ビアンキは一瞬、この少年を羨ましいと思ってしまった。

 

「どこで、知り合った?」

「さぁ?もう忘れた」

 

 ヤームルは、興味薄そうに言った。おそらくは嘘だろうが、もしかしたら本当に覚えていないのかも知れない。

 

「当てもなく故郷を飛び出してさ。宇宙船の下働きをしながら、食うや食わずで星の間を彷徨ってた。いつかは正式な船員に認めてやるって言われてたから、必死で働いてさ。寝る暇ないくらい、必死で働いてさ。でも、そんなうまい話が転がってるはずもなくて、ちょっと病気で働けなくなったら、あっさりと捨てられた。その、名前も知らない星の、場末の酒場の路地裏で、半分死にかけながら生ゴミを漁ってた。そこで、親父と会ったんだ」

「……それで?」

「息子になれって言われた。そんで、飯を食わせてもらったんだ。それだけで、この人のために死んでもいいって思えたよ」

 

 あまりにあっさりとした言葉だった。

 だが、それが、言葉どおりのものではないことを、ビアンキは知っている。

 目の前に、その光景が浮かぶようだった。

 痩せこけ、髪の毛には蚤と虱が湧いた、不潔な浮浪児が、酒場の裏口に置かれたポリバケツに手を突っ込み、半分腐った他人様の食べ残しを必死に漁っている。

 体は、ぼろぼろだ。重度の栄養失調であばらは浮き、頬はこけ、目だけが爛々と、獣のような光を宿している。他の浮浪児との縄張り争いで、体中は傷だらけ。

 時折、体を折って咳き込み、血の混じった痰を壁に向けて吐き出している。

 ただの、浮浪児だ。

 明日、道路の片隅で死んでいたとしても、おそらく誰も気にも止めないだろう。眉を顰め、気の毒だと思うことがあっても、次の瞬間には忘れている。犬や猫の死骸と同じ感慨しか抱かない。そして、街の清掃員がその死骸を片付けて、あとはいつも通りの日常が訪れる。

 寒さと飢えに怯え、明日への希望も人としての尊厳もなく、生物としての義務を全うするためだけに生き続ける、子供。

 それは、別に珍しい存在ではない。共和宇宙加盟国の清潔な都市部であっても、少し路地裏を探せばいくらでも見つかるのだ。この宇宙全体でどれだけの数になるのかなんて、想像もつかない。

 彼らの運命は、決まっている。飢えて死ぬか、寒さで死ぬか、病気で死ぬか、けちな喧嘩に巻き込まれてあっさりと殺されるか。

 少し見栄えが良ければ、誰かに囲われて、その玩具として生きることが許されるのかも知れない。それとも、春を売って生きることも出来るだろうか。それにしても、子供と呼ばれる年齢でその短い生を終える者がほとんどだ。

 まるで原生生物のように少ない可能性で成人出来たとしても、まともな教育も受けていない彼らが就ける職など、たかが知れている。暴力組織の鉄砲玉か、麻薬の売人か。

 夢も、希望も、あったものではない。

 そんな少年に、酒場から出てきた、立派な身なりの男が、何気なく声をかける。

 俺の息子になれ、と。

 半信半疑どころか、たちの悪い冗談だと思っただろう。全てに裏切られてきた少年は、暗い表情で一瞥しただけで、路地裏の奥へと立ち去ろうとしただろうか。

 だが男は、少年のやせ細った腕を確と掴み、酒場の中へと引きずり込む。

 少年の身なりと悪臭に眉を顰める他の客と店員を獰猛な視線で黙らせ、少年に暖かい食事を食べさせてやる。

 何とも安っぽい情景だ。今時、映画のワンシーンに使うことさえ、ためらわれてしまうような。

 だが、それがどれほどに嬉しいことかを、ビアンキは知っていた。

 理解していたのではない。知っていたのだ。

 

「お前も、そうだったのか」

 

 ぽつりと呟いた。

 

「お前もって?」

 

 ヤームルの問いに、ビアンキは答えなかった。無表情に、どんよりと表情で押し黙ってしまった。

 その後、しばらくの間、誰も口を開かなかった。若き僧侶は彫像のように身じろぎせず、少年二人は毛布にくるまり、死体のように動かない。

 時計の針だけが、無情な様子で乾いた音を立て続ける。

 やがて、日の落ちる時間になった。

 牢屋の室温は、どんどんと下がっていく。

 ビアンキは、自分の吐き出した息が白く色づいているのに気が付いた。傍らから綿の入った上着を取り出し、羽織った。

 

「寒くないか」

 

 常日頃から清貧を旨とし、厳しい修行に耐えているビアンキである。この程度の寒さならば辛いとは思わないが、薄手の肌着に擦り切れた毛布だけという少年二人は、さぞ寒かろうと思ったのだ。

 

「風邪をこじらされても困る。何か、着るものを用意しよう」

「いいって、このくらい」

 

 ヤームルが毛布から顔を出し、言った。

 

「このくらいなら、慣れてるからさ」

「慣れてる?」

「おれ達くらいの年でもさ、宇宙生活者をやってりゃ、色々あるのよ」

 

 したり顔であった。

 

「極寒の惑星を、半分凍死体になりかけながら彷徨ったことだってあるんだ。それにくらべれば、この程度の寒さ、何てことはないさ」

 

 極寒の惑星。

 生まれてから、この星を一度も出たことのないビアンキには想像も出来ない世界である。

 

「酷寒地仕様の特殊テントの内側がばりばりに凍っちまうんだ。同じく寝袋だって何の役にも立ってないんじゃないかってくらいに冷たく凍ってる。燃料は切れて、暖房器具って呼べるのは自分の体温だけ。外は風がごうごう鳴って、テントは今にも吹き飛ばされそう。切り詰めた食料は今日の分で底をつく。そんな状況に比べれば、これくらいの寒さを寒いなんて言ってられないよ」

「……そのような場所を、何でわざわざ?」

「その星には、未発見の金鉱山がごろごろ転がってるっていう噂だった。だから、おれとこいつで一山当てに行ったんだ」

「……お前達のような子供に相応しい仕事ではないだろう」

 

 ビアンキの至極まともな意見に、ヤームルは笑った。

 

「あんたの言うことはもっともだけどさ。でも、やむにやまれぬ事情ってやつがあったんだよ」

「事情?」

「親父に、家族に、恩返しがしたかったんだよ」

 

 ヤームルは、照れくさそうにそっぽを向いて、

 

「おれ達はまだまだ子供だからさ。親父たちのために、何にもさせてもらえないわけよ。船には乗せてもらえないし、海賊だって名乗らせてもらえない。だから、せめて資源の一つでも探して、恩返しがしたくてさ」

「それを、シェンブラック老は喜んだのか?」

「あとでばれて、顔の形が変わるくらいに殴られた」

 

 そうだろう。

 あの男は、息子と呼んだ子供が自分のために危険な目に遭うことを、決して喜びはすまい。

 遠目に見ただけだが、そんな気がした。

 

「でも、おれ達、ちゃんと金鉱脈の一つを見つけたんだぜ。代わりに凍傷で指を二、三本なくしかけたけどさ」

「金鉱脈を?」

 

 ビアンキは驚きの声を上げた。

 金鉱脈がどれほどの規模か分からないし、それがどれほどの富をもたらすのかも分からないが、決して個人の財布に収まるような規模ではあるまい。

 

「それで、どうしたんだ?」

 

 身を乗り出すようにしたビアンキを、醒めた視線で一撫でしたヤームルは、

 

「親父にあげたよ。当然だろう?だって、そのために行ったんだ」

「あげたって……もしかしたら一生遊んでくらせるかも知れないんだぞ?」

「一生遊んでくらすよりも、親父が笑ってくれたほうが嬉しい。ま、実際はこっぴどく怒られたんだけど」

 

 でも、抱き締めてくれたよ。

 そう言って、少年は笑ったのだ。

 

「凍傷の治りかけた手を、優しく摩ってくれた。寒かったろう、辛かったろうって、涙声で労ってくれた。それで十分さ」

 

 ビアンキは言葉を失った。

 やがて、夕食が運ばれた。

 ビアンキには昼食と同じく、湯気の立つ豪勢なもの。少年二人には、残飯まがいのごった煮である。

 三人は、やはり黙々と食べた。

 そして、消灯の時間になった。

 少年二人はいち早く毛布にくるまり、既に寝息を立てている。

 ビアンキは、自分のために用意された寝室を断り、毛布を牢屋まで持ち込むよう指示をした。

 別に、二人を監視するためではない。情けない話ではあるが、今の精神状態のまま一人で眠るのが耐えられなかったのだ。それならば、彼らの寝息を聞きながら眠ったほうが、幾分でも気が紛れると思った。

 それに、彼らと少しでも長い時間を共にすることで、天啓のようなものでも舞い降りてきはしないかと、祈りにも似た甘い考えを抱いていたというのもある。

 とにかく、ビアンキは、少年達と同じような格好で眠りについた。

 眠りは、浅かった。

 慣れない石床の固い感触。遠くでこだまする囚人の狂声。何より、一介の導師に過ぎない身に負わされた、あまりに重たい責任。

 うつらうつらと、眠りと覚醒の中間を漂っていたビアンキの意識は、夢とも現とも取れないあやふやな映像を映し出していた。

 ふと気が付けば、いつもの寝台を起き出して、いつもの修行場へと向かおうとしている自分がいる。

 ふと気が付けば、少年二人が鼠になり、鉄格子の隙間をよいしょとすり抜けている。

 ふと気が付けば、辺りに立ちこめる硝煙の臭いと、少年二人の死体と、それらを前に立ち尽くす自分……。

 あまりに現実感の乏しいそれらの光景が、どうしてか、奇妙なほどの既視感を伴った現実として認識される。ああ、これがいわゆる明晰夢というやつだろうと、自分の後頭部を見下ろすようにしながらビアンキは考えている。

 シェンブラックに踏みにじられ、瓦礫と死体の山となったヴェロニカの大地。

 ヴェロニカ教を追い出され、物乞いをしながら日々の糧を得る自分。

 遠い昔、断念した医師の道を、順風満帆に生きている自分。隣には若く美しい妻、彼女に手を引かれる、頑是無い幼子の瞳。

 ああ、自分の歩くべき未来が、歩けなかった過去が、ここにある。

 もやもやとした、薄紅色の霧の中を、ビアンキは漂っているようだった。

 幸せと不幸せの中間。

 そこからビアンキを引きずり下ろしたのは、自分の懐をまさぐる、何者かの手の感触だった。

 弾かれたように顔を上げたその瞬間に、横面を思い切り殴られた。

 横倒しに倒れ、すかさず腕を強引にねじり上げられる。肩の関節が、きしきしと軋む音が聞こえた。

 ちかちかと、視界が明滅を繰り返す。何か固いもので殴られた頬が、痛みと熱さが入り交じり、何が何だかよくわからない。

 口の中に、小さな異物感がある。吐き出すと、白いものがからりと転がった。

 折れた奥歯だった。

 

「騒ぐな。騒ぐと殺す」

 

 感情の込められない少年の声が、熱痛に喘ぐビアンキの脳髄に響いた。

 視界は霞んで、そもそも薄暗がりで、何もかもがあやふやだ。

 しかし、声にははっきりと聞き覚えがあった。

 

「お前、ヤームル……!」

 

 首筋に、ちくりとしたものが突きつけられる。

 霞がかった視界の端に、割れた食器が映った。その破片だろうか。

 果たしてそれが致死の凶器なのかどうなのか分からないが、それが無くともここまで見事に制圧されてしまっては身動ぎ一つできない。

 

「……どうやって……鉄格子を破った!?」

 

 ビアンキは、密やかな声で、しかし精一杯に険を込めた声で問うた。

 少年二人を閉じ込めておくための鉄格子は、あまりにもあっさりと解錠されていた。

 鍵は、常に自分が懐に入れていた。ならば、針金か何かを使って鍵の代わりとしたのか。それにしても、厳重な身体検査を行い、そのような可能性を持つ道具の全てを取り上げているはずなのに……。

 ビアンキの、当然といえばあまりに当然な疑問の返答は、冷ややかな笑い声だった。

 

「ぼけてんなぁ、おっさん。おれとあんたは、立場が逆転してるんだぜ?今更そんなことが何の問題になる?」

 

 話の内容よりも、その声の冷たさにこそビアンキは恐怖した。

 そうだ。この少年は、どれほど若くともあの大海賊シェンブラック海賊団の一員なのだ。これまでに修羅場の一つもくぐり抜けているだろうし、人の命の重量というものが、時と場合によって軽くも重たくもなるのだということを十分弁えているに違いない。

 であれば、今の状況。

 彼らが脱獄を意図しているのはあまりにも明らかだ。そしてその場合、自分という存在がどれだけ邪魔になるかも。

 人を黙らせるのは想像以上に難しい。ならば、もう二度と口をきけない状態にしてしまうのが一番簡単で、手っ取り早い。

 ビアンキは、死を覚悟した。

 ゆっくりと目を瞑る。死の瞬間には今までの人生が走馬燈のように思い浮かぶというが、そういうことはなかった。

 それ自体、お伽噺じみたただの言い伝えなのか。それとも、最後の瞬間ですら思い出せないほど、自分の人生の密度は薄弱だったのか。

 おそらく後者だろうと思い、ビアンキはうっすらと笑った。

 ちくりと、凶器の先端が首の皮膚を貫いた。

 いよいよかと、歯を食いしばる。死を恐れはしない。自分は神の御許へ、聖女ヴェロニカの胸の中へと還るのだ。

 そう言い聞かせても、粘い汗は噴き出し、心臓は恐怖に早鐘を打った。

 

「じゃあな、おっさん。ま、あんたは割と嫌いじゃなかったぜ」

 

 冷たい感覚が、肉に突き刺さり、灼熱の痛みに化ける。あとは、頸動脈を横一文字に切り裂かれて、噴水のような出血が起こり、自分は死ぬのだ。

 しかし。

 

「やめろ、ヤームル」

 

 聞き覚えのない声が、ビアンキの命を救った。

 

「……どうしてだ。こいつらなんかの命に、救う価値があるのかよ」

「殺すのは、いつだって出来るじゃないか。それよりも、今はこいつの手を借りた方が手っ取り早い」

 

 固く瞑った瞼を持ち上げれば、そこに、もう一人の少年が立っていた。

 確か、ヤームルから、インシンと呼ばれた少年。

 埃まみれの髪の毛を掻き回し、如何にも億劫そうな様子だ。

 ビアンキは、インシンを見上げながら、首筋に突き立った凶器から力が抜けていくのを感じていた。

 

「……わかった。インシン、お前の言うとおりだ」

 

 インシンは、何も答えなかった。

 ただ、冷たい視線でビアンキを見下ろしていた。

 

「おい、おっさん。いいか、良く聞け。返答しだいで、今からほんの少しの間、あんたを生かしておいてやってもいい。だが、忘れるなよ。主導権を握っているのはこちらで、あんたは捕虜だ。そこんとこは理解しているか?」

 

 ビアンキは無言で頷いた。

 

「よし。なら、おれ達はここから逃げる。あんたはその手伝いをしろ。くれぐれも妙な真似はするなよ。その気になれば、おれ達はあんたの手伝いなんかなくったって、二人で逃げることができるんだ」

 

 ビアンキはもう一度頷いた。

 しかし、妙な話ではあった。先ほど、インシンは、ビアンキを利用するために生かしておくと言ったのではなかった。自分達だけで逃げられるならば、それこそ生かしておく必要などないはずだが……。

 当然といえば当然すぎる疑問を、賢明にも飲み込んだビアンキは、掠れた声で問うた。

 

「……何をすればいい?」

 

 ヤームルは少し考え、

 

「……総本山から、おれ達の身柄を移す旨の指示があったことにしろ。この城から出れば、あとはおれ達の好きなようにやるから、あんたに付き合ってもらう必要はない」

「ちょっと待ってくれ」

 

 ビアンキが慌てて言った。

 

「好きなように、とは、お前達、どこへ行くつもりだ!シェンブラックのもとに帰るのではないのか!?」

「親父のところには、いつかは帰る。でも、その前にやるべき事がある」

「やるべき事だと?いや、それよりも、今お前達に逃げられるのは困る!よしんば逃げるならば、いったんシェンブラックのところに帰ってくれ!」

 

 そうでなくては、三日後に、この星を大災厄が襲うことになる。

 電話や通信映像では納得しないと、あの男自身が言っていた。もしもシェンブラックにおもねるならば、二人の身柄を差し出さないと意味がないのだ。

 二人はこの牢屋から逃げました、今はどこにいるのか分かりませんで、宇宙を統べる大海賊が納得するはずがない。

 ビアンキは、必死の思いで懇願した。いまだ首筋には凶器が突きつけられ、肩の関節がきりきりと痛んでいる。生きた心地は全くしないが、それでも主張しなければならない意見というのは確かに存在するのだ。

 だが、ビアンキの必死の懇願にも、ヤームルは冷淡だった。

 

「それはおたくらの都合だろう。おれ達は、おれ達の都合でこの星を訪れたのに、おたくらの都合に付き合わされてこんなかび臭い場所に閉じ込められてたんだ。これ以上、あんたらに付き合う義理は、ない」

 

 子供の言うことではあるが、まったくもって仰るとおりの理屈である。

 しかし、時には理屈を曲げてもらわねば立ちゆかないこともあるのだ。

 

「それはそのとおりだろう。お前達が拘束された理由も、殺されそうになった理由も、わたしは知らない。だが、詫びろと言うならばいくらでも詫びさせてもらう。金を寄越せというならば、わたしに可能な限りで工面させてもらおう。とにかく、今、お前達に逃げられるのは非常に不味いんだ。この星の、幾億という人間の命運がかかっている。そうだ、お前達の身柄は、今からシェンブラックに引き渡すことにする。すぐに総本山に連絡をいれる。その後で、お前達の行きたいところに行けばいい。そうすれば、お互いに不都合はないじゃないか。なっ、そうしよう」

 

 ビアンキの必死の懇願は、しかし。

 

「そんなこと、知ったこっちゃないね。顔も見たことのないどこかの誰かさんがどれだけくたばろうが、おれに関係はない。そもそも、こんな事態を招いたこと自体、あんたらの身から出た錆じゃないか。そんなもののために、どうしておれ達が煩わしい思いをしなけりゃならないのさ。それに、おれ達の身柄を親父に引き渡すっていうけど、そんなことをわざわざしてもらわなくても、おれ達は親父のところにいつだって帰れるんだ。余計な気遣いはいらないよ」

 

 ヤームルの言葉に、ビアンキは声を詰まらせた。

 それでも、最後の望みとばかりに、喉を絞り上げるような声で言った。

 

「頼む。わたしに出来ることなら、なんでもする。だから、どうか、逃げないでくれ」

 

 絶望的な気持ちで、最後の藁に縋るように言った。

 当然、無情にあしらわれると思っていた言葉は、しかし。

 

「本当だな。本当に、何でもするんだな」

 

 意外なほどに熱の籠もった調子で、ヤームルは問い質した。

 そこに活路を見いだしたビアンキは、何度も何度も、必死に頷いた。

 

「する。何でもする。だから、頼むから、逃げないでくれ!」

「それは出来ない。おれ達は逃げる」

 

 やはりか、とビアンキは落胆した。

 この残忍な少年は、自分の反応を見て楽しんでいるのだと。猫が、瀕死の鼠をいたぶりながら補食するように。

 だがヤームルは、ビアンキの首筋に突きつけた凶器を離し、絞り上げた肩を放した。

 

「だから、おれ達に好き勝手をさせたくないなら、お前がついてこい。今度はお前が、おれ達の都合に付き合え。それなら、ぎりぎりで許容してやるよ」

 

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