懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第五十八話:Judas Priest

 森の中は、粒子状の炭素で埋め尽くされていた。墜落したヘリが炎上し、燃料タンクから漏れ出した高純度航空用燃料に引火、結果として森全体が激しく燃えさかっているのだ。

 耐熱スーツに身を包んだ年若い兵士は、油断無くライフルを構えた姿勢のまま、強く舌打ちを漏らした。

 燃えている。森が、自然が。ヴェロニカ教の、守るべき存在が。

 彼は、自身に与えられた任務とは別のところで、現在のヴェロニカ共和国大統領をあまり快く思ってはない。理屈を抜きにして、あの死んだ魚のように感情の知れない視線が気持ち悪いのだ。どうしても、信頼が出来ない。だから、自分に火の粉の及ばないところで上手に暗殺してくれるなら、それはそれで構わない。

 しかし、自分が護衛任務についている最中に暗殺を決行し失敗、しかもヴェロニカの自然にこうも醜い爪痕を残すとは何事か。これほど美しい自然が形作られるまでにいったいどれだけの時間が必要とされるのか、愚かなテロリスト共はほんの少しでも想像力を働かせたことがあるのか。

 この黒煙は、無惨に踏みにじられた大自然の怨嗟の叫びだ。そして、彼らを哀れんだ聖女ヴェロニカが流した、哀しみの涙なのだ。

 先ほどからヘルメットの内側に、有毒ガスに対する警戒音が鳴り響いている。一酸化炭素や煤塵などが、生命活動の障害になるレベルであることを教えているのだ。追跡部隊の人間はエアクリーナーの内蔵されたアサルトスーツを身に纏っているが、そんな便利なものを付けていない森の生き物は、ガス中毒でばたばたと死んでいるのだろう。否、殺されているのだ。

 銃把を抱えた腕に、思わず力が込められた。あのテロリストを殺してはならないと命令されてはいるが、腕一本を撃ち抜くくらいは許容の範囲内のはずである。なに、言い訳はいくらでも出来る。なにせ相手は非道なテロリストなのだから。

 それにしても視界が悪い。もくもくと沸き上がり続ける煙によって可視光線のほとんどは遮られているし、延焼箇所から放たれる赤外線で暗視装置も上手く作動しない。

 兵士はヘルメットのゴーグル部に手をやり、光線認識から超音波による画像認識にセンサーを切り替えた。すると、色彩こそ不十分なものの、まるで真昼のように鮮明な視界が広がった。

 その一部が、不自然に動いた。獣の動きではない。まして、風が作ったものでもなかった。兵士は、通信機のスイッチを入れた。

 

「司令部、こちらデルタ。ジャスミン・クーアを捕捉した。これより捕獲作業に移る。オーヴァー」

『慎重に接近せよ。相手は熟練の軍人だ。決して油断するな。オーヴァー』

 

 炎から逃れるようにして茂みから飛び出したのは、確かにあの女だった。

 だが、司令部の大型スクリーン越しに見えたあの勇ましい姿は、かけらほども残されていない。見るも無惨な敗残兵の姿が、そこにはあった。

 獅子のたてがみのようだった赤毛は焼け落ち、髪の毛と呼べるものはほとんど残っていない。禿げ上がった頭部と顔面のほとんどは、赤黒く醜い火傷に覆われている。

 身に纏っていた野戦服も焦げや血痕で派手に染色され、すでに迷彩用途を為していない。パーソナルジェットはもちろん、武器の類も手にしていないようだ。そんなものはどこかに捨ててしまったものと思われた。

 戦場で武器を捨て去った軍人。何とも無様なことだ。兵士は女の様子に、嘲弄を隠しきれなかった。

 そんな兵士のことなど露程も気づかぬ様子で、女は数歩よろよろと走り、木の幹に背を預け、座り込んでしまった。

 へたり込んだ女の腹部の動作から、相当に息が荒いのが見て取れる。おそらく超高熱の有毒ガスを吸い込んだことで呼吸器に重大な障害を起こしているのだ。

 瀕死の有様だ。

 だが、まだ生きている。この場所では、こんなにもたくさんの命が消えつつあるのに、その犯人が生きている。

 兵士の胸の奥で、激しい怒りがわき起こった。

 数発、上空に向けて銃弾を放った。

 

「ちくしょう、気づかれた!現在銃撃を受けている!こちらも応戦する!オーヴァー」

『応戦を許可する。しかし、決して殺すな。繰り返す、決して殺すな』

 

 ああ、殺しはしないさ。今から行われるのは、尊ばれるべき教育的指導だ。

 兵士はヘルメットの内側で、堪えきれない笑みを浮かべた。

 あの女は悪くない。だが、あの女が受けてきた教育が悪かった。環境が悪かった。だから、少し、ほんの少しだけ、この森で死にゆく命達の気持ちを分からせるだけだ。それは、あの女にとって幸せなことだ。蒙が啓ければ、真に大切なものが何か、そして己の行いが如何に愚かしいものだったかに気づくことが出来るだろう。

 兵士は、ゆっくりと、わざわざゆっくりと歩を進める。足音も、わざと派手に立ててやる。がさりがさりと、敢えて灌木の中を踏み分けてやる。

 女が、近寄ってくる兵士に気が付いた。のろのろとした様子で頭を上げ、絶望に満ちた視線をこちらに寄越した。

 そして、必死の様子で逃げようとした。だが、既に足が満足に動かないのか、走り出して数歩のところで膝が砕け、盛大に転倒した。それでも、赤子がはいはいするような四つん這いの姿勢で、根を限りに逃げようとしている。まったく、頭の悪い女だ。そんな動きで逃げられるはずがないのに。

 兵士は、サディスティックな欲望に身を任せ、女の右足の大腿部に銃口を向け、躊躇なく引き金を引いた。

 発砲音。

 光線ではない実弾が、女の肉付きのいい太股を吹き飛ばした。盛大に血と肉が飛び散り、彩度の無い視界に白い液体がまき散らされた。

 

「きゃあぁぁっ!」

 

 一瞬遅れて、ジャスミン・クーアの悲鳴が森の奥までこだまする。

 女 が、傷口を押さえてごろごろと転げ回っている。

 ああ、痛いだろう。銃弾で足を一本、吹き飛ばされたのだ。痛くないはずがない。

 だが、木は、動物は、森は、もっと痛かったんだ。聖女ヴェロニカは、もっと苦しんでおられる。

 兵士は再度、女に銃口を突きつけた。

 女が、火傷と水膨れに覆われた顔で、必死に命乞いをしていた。

 

「おねがい、ころさないで、ころさないで、投降するから、これ以上ひどいことしないで……」

 

 ぼろぼろと涙を流しながらそう言った。

 男は通信機のスイッチを切った。

 

「ずいぶんと勝手なことを言うものだな。見ろ、この森の惨状を。これは貴様がしでかしたことだ。この森で焼き殺されている命は、全てお前が殺したんだ。なら、お前の右足が一本吹き飛んだくらい、何だというんだ」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

「ついでだ。腕の一本も無くなればバランスも取れるし、もう二度とこんな馬鹿な真似は考えなくなるだろう。そうすれば、この森の精霊も溜飲を下げてくれるというものだ。そうじゃないか?」

 

 引き金に力を入れる。

 女は、啜り泣きながら、何度も何度も懺悔の言葉を口にしていた。

 もうしません、こんな馬鹿なことな二度としないから許してください、と。

 男はその情けない有様に満足したのか、銃口を下ろし、通信機のスイッチを入れた。

 

「司令部、応答してくれ。ジャスミン・クーアを確保した。銃撃戦の結果、重傷を負わせてしまったが生きている。早急に救護班を寄越してくれ。オーヴァー」

『重傷の程度を報告せよ。捕獲対象に生命の危機があるなら、応急処置を施して救護班の到着を待て。オーヴァー』

「対象は右大腿部に実弾をくらいのたうち回っている。足が千切れかけているみたいだ。全身を2a度から3度相当の火傷で覆われている。すぐに死ぬことは無いと思うが、組織再生療法の準備をしておいたほうが無難だろう。まったく、馬鹿な抵抗さえしなければせめて足の傷はなかったものを、愚かな女だ。オーヴァー」

 

『──ふぅん、瀕死の女性が迫り来る敵兵から這って逃げようとするのを、銃撃戦とか馬鹿な抵抗っていうのね。あなたの主観が正しいのなら、全宇宙規模の辞書の書き換えが必要だわ』

 

 男は我が耳を疑った。

 突然、軍用専用回線に割り込んできたのは、女の声だった。やや甘いアルトの音域と、教養を感じさせる口調とを併せ持った、悪戯げな女の声。

 それが、明白な嫌悪に濡れていた。

 兵士は、その言葉の中に己に対する侮蔑を嗅ぎ分け、ただでさえ血の上った頭に、沸騰する血液を詰め込んだ。

 

「貴様、何者だ!民間人か!民間人が軍用回線に割り込むことは重罪だぞ!即刻回線を外し、近隣の警察署に出頭せよ!さもなくば……」

 

 恫喝する兵士の声に、通信機の向こう側の女は、呆れたように溜息を吐き出した。

 

『しかも全然反省してないわね。いいわよ、メイフゥちゃん。この人には、きつめのお仕置きをしてあげても』

「メイフゥだと!?貴様、何を訳の分からない……!」

 

 兵士が最後まで言葉を紡ぐ前に、彼の頭部をすっぽりと覆っていたヘルメットが、外部からの力によってすっぽりと取り外されてしまった。

 視界が、突然に変化する。彩度のない超音波探知の世界が、色鮮やかな森の色合いに変化する。

 唖然と、目を丸くした兵士。その正面には、空っぽのヘルメットを片手に、蕩けそうな笑みを浮かべた、妙齢の女性が立っていた。

 

「ま、こういうこった。理解できたかい?」

「……」

「あれま、さっきの調子づいた様子はどうしたよ。逃げる女に銃口を向けて、さぞ勇ましい様子だったじゃねえか。それとも、女は女でも、二本足で立ってる女相手に銃口を向けるのはおっかねえのかい?」

 

 何だ。これはいったい、どういうことだ。

 こんな女は、センサーには少しも反応していなかった。いや、そもそも焼け落ちつつある森の中に、どうしてこんな女が。どうして、山火事の中を、裸同然の軽装備でうろつけるのか。

 無数の疑問が兵士の頭の中を漂白処理していたのだが、それでも彼は厳しい訓練を積んだ軍人である。頭が現実に追いつく前に、体がそれに反応した。

 

「う、うわぁぁぁっ!」

 

 とにかく、目の前にいるのは敵だ。ここは戦場で、この女は味方でないのだから、敵に違いない。

 敵ならば殺せ。万が一、戦場に迷い込んだ民間人だったとしても、後からどうなりと言い訳は出来る……。

 本能的な恐怖と打算が脳裏に渦巻き、兵士は銃を持ち上げ引き金を引こうとしたが、

 

「遅ぇよ、馬鹿」

 

 女性の、ヘルメットを持たない片手が、稲妻のような速度で疾駆し、男の顔面に突き刺さった。

 男の体は、吹き飛んだりはしなかった。ただ、腰を視点にして半回転し、後頭部から地面に激突しただけである。

 ぴくぴくと痙攣する兵士、その顔の中央は、女の拳のかたちに綺麗に陥没していた。

 

「うん、ま、データだけの偽もんとはいえ、あたしのお姉様をいじめた罰さ。それと、あたしの鬱憤晴らし。ま、運が悪かったと思いねぇ」

 

 白目を剥いて悶絶している兵士に、女性──メイフゥの呟きは届いたのだろうか。

 メイフゥは、懐から紐を取り出し、気絶した兵士の手足を縛り付けた。万が一のことを考えて身体検査をし、危険物の全てを草むらの向こうに放り投げた。

 それだけの作業を終わらしてから、ふぅと軽い溜息を一つ吐き出して、

 

「こいつで十人目か。まったく、せせっこましい作業だぜ。もっとこう、大暴れは出来ないもんかね」

 

 ぴったりと肌に張り付く素材のアサルトスーツを纏い、要所にレガ-スとプロテクターを嵌めただけという簡素な出で立ちのメイフゥが、こきこきと肩を鳴らした。いつもはヘアバンドで後方に流している長髪も、今は邪魔にならないよう、後ろで一括りにしてスーツの内側に仕舞い込んである。

 うんざりとした表情の少女の耳に付けられたピアスから、やはり妙齢の、やや甘いアルトの音域の声が聞こえた。先ほど、兵士の通信に割り込んだ、女性の声だ。

 

『そう不平不満を言うものじゃないわ。この兵隊さん達を城内から誘き出すのに、わたしがどれだけ苦労したか。それに比べれば、あなたの作業なんて楽なものでしょうに』

「いや、それは分かってるんだけどよ、ダイアナの姉御。それにしたって、戦いってのはもっと緊張感があって、ぞくぞくするもんじゃなきゃいけねえと思うんだよ。あたしは戦士で海賊ではあるつもりだけど、真っ昼間から白昼夢に酔っ払ってうろうろ徘徊する夢遊病患者専門の看護婦さんになったつもりはねえんだけどなぁ」

『ほらほら、愚痴ばかり言ってたら、小皺が増えちゃうわよ。もう一人おびき寄せたから、なんとかして頂戴』

 

 ダイアナの声の通り、茂みの向こう側から、注意深くライフルを構えた一人の軍人が、こちらを目指して近づいてきた。

 体を低く構え、しかし銃はしっかりと正面に向けていつでも発砲できる体勢だ。油断無く周囲を見回し、ほんの少しの異常も見逃さないよう目を凝らしているのが分かる。

 だが、正面に立っているメイフゥの存在に、少しも気づいている様子がない。

 メイフゥは、大げさな溜息を吐き出した。まったく、ダイアナが施したハッキングによって機械装置が誤情報を送り続けているとはいえ、正面にいる敵に気が付かないというのはどういうことだ。気配を読むとか、そういう訓練は受けていないのだろうか。

 あらためて、最新鋭の幻術に騙されて霧中を泳ぐ憐れな被害者を眺めてみる。

 耐熱仕様のヘルメットと全身スーツ。見るからにごてごてしく、動きも鈍重な様子だが、その一事をもって彼を非難することは出来ないだろう。何せ、彼の認識する現実の中では、この森は大火事を起こして毒ガスと火の粉の舞い散る地獄絵図なのだ。そこに生身で飛び込むほうがどうかしている。

 だが、その様子を第三者的に見れば、あまりにも間抜けだ。

 だって森はこんなにも穏やかで、美しい様子なのに。木々の間をたっぷりと涼気の孕んだ風が吹き渡り、小鳥が歌い、虫が舞う。今だって、木の葉の間を透過して恥ずかしげに降り注ぐ陽光が、ちらちらと眩しくて、可愛らしい。

 ああ、いい場所だ。こんな場所で大の字に寝転んで昼寝が出来れば、どれほど幸福だろうか。

 本能的な欲求に負けて欠伸を一つ溢したメイフゥであったが、仕事は仕事である。それも、敬愛して止まないジャスミンから任された仕事なのだ。手を抜いて下手を打つわけにはいかない。

 嫌々な様子で、ジャスミンは兵士に近づいていった。ヘルメットを取り上げてパンチを一発叩き込むだけの簡単なお仕事は、簡単ではあるがどうにも気乗りがしない。普段の戦闘が狩りだとすれば、これは害虫駆除の類だ。

 

「あーあ、あたしもインユェと一緒に、お姉様にくっついてたほうが良かったなぁ……」

 

 年若い少女の嘆きは、小鳥に囀りに混じって、無限の青空に吸い込まれていった。

 

 

 ダイアナの作り出した電子情報のジャスミンを追って、城内はほとんど無人になっていた。

 城壁と、そこに設えられた砲台から、濛々と黒煙が立ちこめている。これは当然のことながら現実の煙だ。ジャスミンがその財力にものを言わせて買い取った三台のヘリコプター、それに搭載した焼夷弾を気前よくばらまいた結果だった。

 井戸から這い上がったジャスミンは、天空に立ちのぼる黒煙を見上げて、作戦の上首尾を悟った。

 

「ダイアナ、状況はどうだ」

 

 ジャスミンが呟くと、彼女の右耳についたピアスから、ジャスミンにしか聞こえない程度の小さな声が発せられた。

 

『今のところ、上手に騙されてくれてるみたいよ。警備兵の大半は、森に逃げ込んだあなたを追いかけて出撃したわ』

「ここまで上手く食いついているとは思わなかったな。偉大なるアーロン大統領は、あの男だけでなくわたしにも用があるらしい。あんな得体の知れない老人をファンにしてしまうほど、わたしの顔は広かったとも思えないんだがな」

 

 しかし好都合である。これで、城内を自由自在に動けるというものだ。

 今、この城に配備されたヴェロニカ共和国軍の精鋭達は、空を埋め尽くさんばかりの大量の戦闘ヘリと空中戦を繰り広げ、森の奥に逃げ込んだテロリストのリーダーを捕獲するために躍起になっているはずだ。

 もちろん、そんなものは存在しない。全て、通信機器を掌握したダイアナが作り出した、幻である。

 ケリー達の監禁場所がはっきりした以上、その場所を攻め落とすのにダイアナの力を借りない手はない。こと機械を用いた情報戦において、ダイアナの右に出るものはない。状況次第では、厳重なガードを付けられた共和宇宙軍宇宙空母の感応頭脳でさえハッキングしてしまう彼女にとって、この程度の城の全情報端末を乗っ取り、誤作動させる程度朝飯前の腹ごなしにもなりはしない。加えて言えば、ジャスミン達が城内に侵入したとき、その存在を隠すのは造作もないことである。

 だが、そのダイアナをして辟易とさせるのが、最も原始的な監視装置──人の目であった。

 ダイアナがどれほど精緻に絵図面を引いても、こればかりはどうしようもない。そして、偶然居合わせた人間のたった一組の眼球により積み上げた全ての計画がおじゃんにされたことも、一度や二度ではなかったのである。

 だからこそ、ケリー達の救出に当たって一番の課題となったのが、城内に存在する人の目を如何にして減らすかという一点だ。しかも敵は、こちらの襲撃を十分に予想している。当然、普段とは比べものにならない数の警備兵が駐屯していることだろう。その全ての目をかいくぐり、監禁されているケリー達を救出することが可能か否か。

 不確定要素の存在を嫌ったダイアナの意見で、ジャスミンは狂言芝居の片棒を担がされる嵌めになり、戦闘用ヘリを確保するために走り回ることになった。もしも成功していなかったら、果たしてどういう作戦が決行されたのか。幸いにも優れたバイヤーの知己がいたため事なきを得たが。

 結果、焼夷弾の生み出した煙幕により城から周囲への視界はほぼゼロになり、煙幕の向こう側を覗くことの出来る機械装置は、全てダイアナの掌の上である。この城の監視網は、完全に無力化されていた。そして、ダイアナの送り続ける誤情報に踊らされ、翻弄され続けている。

 当然のように、城内の警備は相当手薄であった。井戸から建物の入り口に至るまでに、人の影は存在しない。監視カメラが設置はされているが、気にする必要な全くない。今から数十分の間、あのカメラは静止画のように平和で無害な映像を、コントロールセンターに送り続けるのだから。

 それでも警戒して姿勢を低くしたジャスミンの後ろで、ぜぇぜぇと荒く息を継ぐ少年が姿を現した。

 

「ち、ちくしょう、隠し通路はいいけど、もう少し、楽な道は無かったのかよ」

 

 山城に掘られた井戸だ。当然、その深さは並大抵ではない。その井戸の深さ分の梯子を、駆け上って来たのである。少年が喘ぐのも無理ないことではなかったのだが、少年よりも重たい体でありながら息の一つも乱していないジャスミンは、振り返ることもなく、

 

「無駄口を叩くな。どうしても我慢できないなら、その口を糸で縫い付けてやるぞ」

 

 この女はそういう冗談を言わないのだと、学習能力にやや乏しい少年も、既に理解していた。主に、痛覚神経に対する刷り込みによって。

 少年──インユェは黙った。黙って井戸から這い出て、ジャスミンに倣い、低い姿勢のまま走った。

 

「それにしても、あの洞窟が、こんなところまで伸びてたのか。ったく、俺たちは間抜けだぜ。敵に繋がる一直線の真上で寝起きしてたなんてよ」

 

 インユェが、頬を伝う汗を手の甲で拭いながら呟いた。

 今、ジャスミンとインユェがこの城への侵入路として使ったのは、メイフゥ達が特殊部隊から逃走するのに使ったあの洞窟であり、遡れば、若き日のビアンキ老師が、ヤームル少年達と一緒に城から逃亡するのに使った洞窟であった。

 ジャスミンは、ビアンキの告白を聞き、おそらくは未だにこの通路が誰の目にも触れていないだろう事を予測し、奪還作戦に利用することを考えたのだ。この点、ビアンキも成功の可能性が高いことを保証した。無論、城の侵入を果たした後のことは別問題であるが。

 予想は違わなかった。ここに至るまで警報装置らしきものはただの一つだって取り付けられていなかったし、今も監視の目はこの古井戸に向けられてはいない。おそらく、外壁を中心に人員配置を行い、テロリストの侵入に備えていることだろう。

 状況は、全てジャスミンの味方であった。ある意味、上手く行きすぎて空恐ろしい程に。

 ある種の運命論者であれば、ツキがありすぎるとき程その反動を警戒したかも知れなかったが、ジャスミンはそうではなかった。事態が自分の思う通りに運んでいるのは、自分達が状況を上手くコントロール出来ている証であり、そういう時はガンガン攻めた方が素晴らしい結果を引き寄せるだろうことを、経験から学んでいたからだ。

 ジャスミンは低い姿勢を保ったまま石畳の上を駆けた。インユェも、やや遅れがちながらもジャスミンの後を追った。

 門が見えた。表玄関ではない。勝手口のようなものだろう。門自体に使われている木材もそれほど質のよいものではなく、年月の経過による摩耗が激しい様子だ。

 ジャスミンは壁に張り付き、ゆっくりと扉を開けた。さも、年月を経て立て付けの悪くなった扉が、風に煽られて開いたふうを装った。

 ぎしりと、蝶番の擦れる音が、不思議なほど大きく聞こえる。神経が研ぎ澄まされているからだということを、ジャスミンは知っていた。

 しばらく聴覚に神経を集中させたが、何の音もしない。ジャスミンは、するりと扉の中に身を滑り込ませた。

 城の中は、薄暗い。しかし不自由はない。間取りはダイアナが盗み出した情報により把握しているし、その子細は頭に叩き込んである。

 その中で、人質が監禁されている可能性が高いの地下の牢屋だ。だが厄介なことに、この城の地下階はいくつものブロックに区切られており、ブロックごとの行き来が出来ない仕組みになっている。城の構造も複雑そのもので、まるで迷路のような有様であった。

 おそらく、敵が攻めてきたときに容易く陥落されないための仕組みなのだろうが、時代は鉄と馬のそれではなく、宇宙開拓が叫ばれて久しい頃合いなのだ。ただの趣味で作られた建築物にしては凝り過ぎだろうと、ジャスミンは溜息を吐いた。

 

「ダイアナ。三人がどこに監禁されているか、分かるか」

『駄目ね。どうも、この城の地下には相当数の人間が監禁されているみたいなの。物資やエネルギーの使用状況からは、どのブロックにもケリー達がいる可能性があるっていうことくらいしか分からない』

「なるほど。では、知っている人間に聴くのが一番手っ取り早いな。この近くで、それらしき人間はいないか」

『ええ、ちょっと待ってね……。いたいた、あなたが今いる廊下を突き当たりまで進んで、右に曲がって頂戴。そしたら、階段があるわ。それを上がりきって一番最初に見えるのが、この城の執事長を務める男の部屋よ。この男なら、何か知っているでしょう』

「執事長?今、その男は部屋にいるのか?」

『多分、非常事態が宣言されているからかしらね。大統領の警護は当然兵士が務めるんでしょうし、荒事に不向きな人間は邪魔だから自室待機ってところじゃないかしら』

「どちらにせよ好都合だ。その男に案内をしてもらうとしよう」

 

 ジャスミンは、足音を殺しながら、しかし可能な限りの速度で駆けた。辺りに兵士がいればダイアナが教えてくれるはずだが、用心はするに如かずである。

 ジャスミンと比べればやや隠密姓に欠けるものの、インユェもそれに続いた。元々体重の軽い少年であったから、普通に走ったとしてもそれほど足音は立たないのだが。

 ダイアナの指示に従い、廊下を突き当たりまで進み、右に曲がった。石造りの階段を駆け足で昇る。壁に掛けられた燭台の火が、ゆらゆらと燃えていた。

 階段を昇りきると、確かに、すぐ近くに扉が見えた。

 ジャスミンは油断無く扉の横側に回り込み、こつこつと軽くノックをした。

 

「はい、こんな時にどなたですかな?」

 

 穏やかな口調で、年配の男性の声がした。なるほど、ダイアナの情報は間違えていないらしい。

 

「あ、あの、執事長、パメラです。こんな時に申し訳ありません。でも、折り入って申し上げたいことが……」

 

 ジャスミンの声ではなかった。

 ジャスミンの右耳につけたピアスから、全く別の女性の声がしたのだ。ジャスミンにしてみれば耳元で突然大きな声がしたわけで、少し驚いたが、取り乱したりはしなかった。精々煩そうに顔を歪めた程度である。

 ダイアナの作り出した合成音声に聞き覚えがあったのだろう、ドアの向こうで誰かが近づいてくる音がした。そして、扉が静かに開かれた。

 顔を見せたのは、銀色の頭髪を綺麗に撫でつけた、老齢の男だった。

 

「いったいどうしたのだねパメラ、こんな非常事態に……」

「非常事態だからこそ、あなたのお力をお貸し頂くとしよう!」

 

 ジャスミンが、男の顔を鷲掴みにし、そのまま部屋の中へと押し込んだ。

 男は咄嗟に藻掻き、大声を上げようとしたが、その口はジャスミンの大きな掌で塞がれてしまっている。もぐもぐと籠もった呻き声を上げるので精一杯だった。

 ジャスミンは、そのまま男をベッドに押し倒し、片手だけで貼り付けにした。そして、空いているほうの片手で器用に男の両手両足を紐で縛った。今まで数多くの荒事を経験しているジャスミンにとって造作もない仕事である。

 文字通り手も足も出なくなった男は、なおも何事かを喚こうとしていたが、ジャスミンはそれを一番効果的に黙らせた。男の眉間に、黒光りのする銃口を突きつけたのだ。

 

「わたしの言いたいことは推測して頂けると思う。まず、大声で助けを呼ぶのは貴様の命を縮める愚行であると理解してもらおう」

「き、貴様、この城を襲撃しているテロリストの一味か!」

「正解だ。だからこそ、わたしの構えたこの銃の引き金が、どれほど軽いものかを試させないで欲しい」

 

 ジャスミンは、見せつけるようにして銃を構え直した。

 老齢の執事長の細い喉が、ごくりと鳴った。

 

「よ、要求はなんだ!どうして私をこんな目に……」

「わたしの要求はただ一つだ。貴様の知っている、全てのことを話せ」

「何だと!?」

「一昨日の夜か、それとも昨日の朝。この城に、わたしよりも大柄で人目を引く、とんでもなく美男子で歳の頃は二十台後半くらいの男が連れてこられたはずだな。その男はどこに監禁されているかを教えてもらおう」

「し、知らん!だいたい、ここは恐れ多くも現ヴェロニカ共和国大統領であらせられる、アーロン・レイノルズ閣下の居宅だぞ!監禁などと、そのような犯罪行為が行われるはずが……」

 

 ジャスミンは、男の長口上をそのままにしたりはしなかった。気に障る云々ではなく、単純に時間が惜しかったからだ。

 男の頭部をわずかに外して、光線が走った。光線はベッドのマットレスを貫き、床に突き刺さった。男のこめかみ辺りの髪の毛が、一房、光線に焼き切られて宙を舞った。

 髪の毛の焦げた嫌な臭いが、部屋に充満した。

 男は、口を僅かに開いたまま、血の気の失せた顔で硬直していた。

 

「一応断っておくが、貴様が先ほどの質問の答えを知る唯一の人間であるとは、わたしは認識していない。つまり、わたしが貴様を殺した上で、貴様以外の人間から質問の答えを聞き出すこと可能性は、十分以上に存在するわけだ。そして、その時に貴様の生首でも見せつけてやれば、この上なく効果的に答弁を引きずり出せるだろう」

 

 ジャスミンは、再度、銃口を男の額に擦りつけた。

 男の顔は、蒼白を通り過ぎて土気色に変色している。ぶつぶつと細かく口を動かしているのは、神に対して救いを求めているからかも知れない。

 

「さて、もう一度聴くぞ。その男はどこに監禁されている。そして、その男以外にも、二人の人間がこの城の連れてこられたはずだな。少女と老人だ。その二人がどこにいるのかも、分かりやすく答えてもらおうか」

 

 いくら主人に忠実なことが優秀な執事の最低条件であるとはいえ、これ以上口を塞ぐほどの義理を男は持ち合わせていなかった。

 

 

 結局、執事長を勤める男は、呆気なく口を割った。銃口はもとより、飢えた野生の猛獣さながらに殺気立っていたジャスミンの瞳が、何よりも恐ろしかったのだ。

 ジャスミンは、男への脅し文句を、脅しで終わらせるつもりは毛頭無かった。もしもあれ以上男が質問に答えなければ、本当にその生首を切り取って、次の不幸な候補者のところへ押し入るつもりだったのだ。ある意味では、あの男は賢明だったといえるだろう。

 質問の答えを口にし、精魂の全てを使い果たしたように見える男を、ジャスミンは厳重に縛り上げて、ベッドの脇に転がしておいた。

 今、ジャスミンとインユェは、男の口にした地下ブロックの階段へ向けて全速力で走っていた。

 途中、何度か兵士とニアミスする場面があったが、今やこの城の監視装置はジャスミン達の味方である。余裕をもってやり過ごすことが出来た。

 

『それにしてもジャスミン、あなたの会社はとんでもないものを作ってるわね』

 

 疾走するジャスミンに、ダイアナがぽつりと溢した。

 ジャスミンは、無言で続きを促した。

 

『わたしの用意した戦闘ヘリ……っていっても、もちろんデータだけの偽物だけど、本当に蠅や蚊みたいにあっけなく撃墜されてるわ。本物相手にしても、まったく同じ結果になるでしょうね。あの兵器、機甲兵というカテゴリに含めるのが馬鹿らしいほど、技術革新が飛び抜けている』

 

 ジャスミンは、虚空を飛ぶように駆け抜けていった、黒い機甲兵を思い出した。

 

「わたしの会社だと?あれは、クーアカンパニーの兵器開発部門の作った代物なのか?」

『調べてみたけど、どうもその通りみたいよ。名称がTYPHON零型試作機。往年の名機、HYDRAシリーズの後継機として作られたみたいだけど、引き継いでいるのは外見的なフォルムくらいで中身は全くの別物。超々小型化に成功したクーアシステムの搭載されたジェネレーターは、最大出力や最大戦闘継続時間を、現在の最新鋭の機体と比べても桁違いなくらい進歩させている。その上、搭乗者の神経組織と機体を直接繋ぐ新しい操縦システム。しかも、20センチ砲なみの威力を備えた荷電粒子ライフルに、宇宙戦艦の超分子複合装甲でも切り裂けるだけの高出力エネルギーナイフ。どう考えても、地上戦にはオーバースペックよ』

「ということは、宇宙戦闘を念頭に開発された機体か」

『おそらくはね』

 

 作戦中にも関わらず、ジャスミンの頬がにんまりと笑み崩れた。

 

「欲しいな、それ」

 

 基本的に物欲には乏しいジャスミンであるが、武器や兵器と名前のつくものについては別である。まして、それがかつて自分の乗りこなしたHYDRAシリーズの後継機ときては、食指が動かないわけがない。

 今回の事件を無事に切り抜けたら、真っ先に兵器開発部門の責任者を呼び出そうと決意して、ジャスミンは走った。

 いくつかの廊下を通り、階段を上り下りして、二人は辿り着いた。

 ぽっかりと、地獄の底の入り口のように、地下階への階段が姿を現した。階下から吹いてくる風は、どこか生臭く、そしてかび臭い。どこからか聞こえてくる人の悲鳴のような音が、たいそう心地よく聴覚を刺激してくれる。

 この先にある空間が、ジャスミン達の立ち入りを拒んでいるかのようだった。

 だが、その程度のことで足を竦ませるジャスミンではない。

 遠慮無く、階段に足を踏み入れた。

 しかし。

 

「……どうした。行くぞ」

 

 数歩先を行ったジャスミンが振り返った。

 階段の手前で、インユェが、立ち止まっている。

 どうした怖じ気づいたのかと声をかけようとしたジャスミンだったが、尋常ではない様子のインユェの顔を見て、言葉を失ってしまった。

 視線が、おかしい。階段の先、振り返ったジャスミンの後方に目を向けているのに、明らかにそこを見ていない。まるで闇の先が見通せるかのように、何か、見えないものを見ている。

 ジャスミンは、ごくりと一度唾を飲み下してから、

 

「どうした、インユェ。何かあったのか」

「……ここじゃ、ない」

 

 ぽつりと少年は呟いた。

 

「ここじゃない?どういう意味だ……あ、こら、待て!」

 

 インユェはさっと身を翻し、ジャスミンの視界から消えてしまった。

 

「くそっ!」

 

 階段を駆け上ったジャスミンだが、既にそこにはインユェの姿は無かった。

 

「ダイアナ!あの馬鹿者の行く先を追えるか!?」

『ええ、それは大丈夫だけど……!でも、変なのよあの子!こっちから何を話しても、一向に反応が無いわ!ぶつぶつと支離滅裂なことを呟いて……一種のトランス状態になっちゃってるみたい!』

「……仕方ない!わたしの方は大丈夫だから、ダイアナは全力であの馬鹿者をサポートしてくれ!くれぐれも、兵士達と鉢合わせしないよう頼むぞ!」

『わかったわ!ジャスミン、気をつけてね!』

 

 ジャスミンは瞬時に未練を断ち切り、再度階段を駆け下りた。

 

 

 遠く、遠く、壁の奥のそのまた奥から、僅かな音が聞こえた。

 かつ、かつ、かつ、と、固い物が跳ね回る音だ。

 固くて、重たくて、到底女には思えないのに、抱いてみると柔らかくて、いい匂いのする何かが、跳ね回って、急いで、誰かを捜し求めている音だ。

 知っている。俺は、この足音の持ち主を、よく知っている。

 お笑いぐさだ。この俺が、足音一つで誰かが分かるくらい、一人の女に入れ込むなんて。

 いや、入れ込んでいる、っていうのは少し違う気がする。

 そうだ。要するに、しっくり来ちまってるってことだ。

 隣にあいつがいないと、何故か落ち着かない。家に居着いた猫がずっと姿を見せないとどうにも気になるように、そわそわしてしまう。

 もちろん、あいつは帰ってくるのだ。俺が探さなくても、帰ってくる。何せ、こっちから姿を消したのに、わざわざ向こうから探しに来るくらいなのだから。

 こうして目を瞑っていても、足音が近づいてくるのが分かる。あいつの気配が、どんどん濃厚になる。

 闇夜の向こうから、赤金色の髪の毛と、黄金色の瞳が覗く気がする。

 足音がどんどん近づいてくる。

 どこかで扉が、力一杯開かれた。

 もう、匂いでも分かる気がする。それとも、戦闘の時に醸し出す、野生の豹みたいな、触れれば切れそうな程に研ぎ澄まされた気配。

 牢屋の中を、覗き込む気配。

 違う、そこじゃない。

 短い舌打ち。そうそう、次の牢屋に早く移れ。

 でも、そこでもないんだ。

 俺がいるのは、次の次の次、一番奥の部屋なんだから。

 短い舌打ちと呪いの言葉が、きっちり三回。

 そして、足音は、ここで止まった。

 

「海賊!」

 

 俺は、ゆっくりと瞼を持ち上げて。

 

「遅かったな、女王」

 

 

 いきなり、閃光が闇を切り裂いた。

 百戦錬磨のケリーも思わず身を固くしたが、閃光は正確にケリーを拘束していた鎖を破壊した。

 最初から鍵を探さない潔さが、むしろジャスミンに相応しかった。

 もう一度閃光が走り、もう片方の手も自由になった。手錠はまだついたままだが、この際贅沢は言えない。

 立ち上がったケリーは、長時間貼り付けになっていた体をほぐすために、肩と腕を回した。

 

「助かったぜ。恩に着る」

 

 ジャスミンは、牢屋自体の錠前を、やはり拳銃で撃ち壊した。

 

「気にするな。妻が夫を助けるのは、当然の権利であり義務だ。恩に着てもらう必要はない」

「妻が夫をって……普通は逆じゃねえか?」

「今のお前の有様でそんなことが言えるのか?」

 

 ケリーは諸手を挙げた。言い返す気力も起こらないほど、ジャスミンの言うことは正しかったからだ。それほどに、ケリーの有様は情けないものだった。上半身は裸で、右目の義眼は外されたまま。髪は土埃に塗れてばさばさで、色男が台無しだ。

 だが、そんなことでこの男の価値が上下するはずもない。少なくとも、ジャスミンの中での価値観は、いっかな揺るがない。

 ジャスミンは、無言で拳銃をケリーに手渡した。

 手に馴染んだその冷たい感触に、ケリーの頬が僅かに緩んだ。

 

「有り難い。これがないとどうにも落ち着かなくてな」

「さっさと逃げるぞ。意趣返しはその後だ」

 

 ジャスミンは来た道を引き返して走り出した。

 ケリーも、ジャスミンの後を追った。

 丸一日以上、冷たい石壁に貼り付けられていた体である。突然の激しい運動に各所の筋肉が悲鳴を上げたが、それで根を上げるほどに柔な鍛え方をしているケリーではない。びりびりとした痛みを、露程も表情には出さない。あくまで飄々とした顔のまま走った。

 

「それにしても、例の誘拐事件の後始末をするつもりで訪れたこの国で、こんな面倒事に巻き込まれるとはな。人生って奴はいつだって退屈しないように出来てるもんだ」

 

 走りながら呟いたケリーに、先を行くジャスミンが応えた。

 

「それだ。どうも、件の事件と今回の事件は、全く無関係というわけではないらしいぞ」

「無関係じゃない?それは一体、どういう意味だ?」

 

 ジャスミンはケリーに語った。

 ビアンキ老師から聞いた、この国の真実。

 大量に埋蔵されたトリジウム。

 それを隠すために変質したヴェロニカ教と教団。

 大海賊シェンブラックの協力により生まれたトリジウム密輸組織。

 そして、この国の大統領の手によってばらまかれた、トリジウム鉱山の地図。

 

「なるほど、あの密輸組織は、じいさんが作ったものだったのかよ」

「そして、ほとんど間違いなく、わたしの父もそれに一噛みしていた。父は商売人だ。ならば、この星に埋蔵されたトリジウムに興味を抱かないはずがない。例の星を基地として提供する見返りに、相当量のトリジウムを融通してもらっていたはずだ」

「なら、あの星にヴェロニカって名前を付けたのも、案外そういう意味だったりしてな」

「十分にあり得べき話だと思う」

 

 つまり、その時期に故マックス・クーアの心を独り占めしていた貴婦人は、人ではなく、この世で最も高価な金属だったということだ。

 

「シェンブラック老が一線を退いて以来、密輸組織はその部下に引き継がれたらしい。今もその指揮系統が存続しているのかは不明だが、とにかく組織とヴェロニカ教首脳陣の蜜月は現在に至るまで続いていたということだな。もっとも、件の事件の後はどうか知らないが……」

「つまり、この問題を徹底的に解決しちまえば、俺たちがこの星に来た目的も達成できるわけか」

「そういうことだ。だが、その前に、遙かに厄介な問題が立ちはだかっているぞ」

 

 ジャスミンの言葉に、ケリーは深く頷いた。

 

「一体、あの男がどういう意図をもってトリジウム鉱山の地図などをばらまいているのかは分からんが、少なくともあの男が所謂まともな神経の持ち主でないことだけは確かだ。これ以上の厄介事に巻き込まれる前に、我々は早急にこの星を離れるべきだと思う。そして、一端体勢を立て直した上で、それこそ徹底的な逆撃に出るべきだ」

 

 ケリーは、端正な顔を歪めて笑った。

 

「いいや、女王。話は極めてシンプルだぜ。俺は、あの野郎がこの星で何をするつもりなのか、あんたの話を聞いてはっきり分かった」

 

 薄暗い地下に、仄かな灯りが差し始めた。

 出口が近いのだ。ジャスミンは、後ろから聞こえるケリーの声に注意を注ぎつつ、全力で走った。

 

「あいつは、この星に内戦を引き起こすつもりだ」

「何を目的に?」

「目的?そんなものはありゃしねえよ。敢えて言うなら、内戦を引き起こすことそのものが目的なんだ。おそらく、そのおあつらえ向きの舞台だからこそ、あの男はこんな辺境の大統領に収まった」

「内戦を引き起こすことが目的だと?どういうことだ、海賊」

 

 ケリーは階段を駆け上がりながら、くつくつと薄ら寒い声で笑った。

 ジャスミンは、背筋を死に神の鎌で撫でられたような気がした。

 

「あいつは得意げに語ってくれたよ。この星に、惑星ウィノアを作るんだとな」

 

 ジャスミンは、思わず足を止めて振り返り、ケリーの顔を見た。ケリーの口からは決して聞くはずのない単語を聞いたからである。

 そして、ジャスミンは見た。爛々と輝く不気味な光を宿した琥珀色の左目と、光ですらを飲み込む闇と絶望を宿した虚空の右目を。

 

「やっこさんは、天使と会いたいらしい。そのためには、惑星ウィノアで、東西ウィノア特殊軍が殺し合ってくれないと不都合なんだとさ」

 

 今度はケリーが語り手になる番だった。

 アーロン大統領との短い会談。

 そこで聞かされた、あの男の出自と人生。

 ヴェロニカ特殊軍を名乗る、少年少女。

 そして、怖気を催す、極彩色の熱情。

 全てを聞いたジャスミンは、寒気のする恐怖を抱いた。それは、アーロン・レイノルズという男に対してではない。自分のすぐ後ろに立つ、ケリー・クーアという男に対してだ。

 

「……つまり、あの男は、この国で内戦を起こし、惑星ウィノアの二の舞をこの星に作り上げるつもりだということか?」

「ああ。ヴェロニカ教っていう特異な宗教に、億トン単位で埋蔵されたトリジウム。そして、表立っては分からないが、はっきりと根付いた身分社会。これだけの要素があれば、この国を泥沼の内戦に引きずり込むのはそれほど難しい話じゃない」

「だが、その後は?ウィノアを作るとは、どういう意味だ?」

「内戦が起これば、当然戦闘が起きる。人が死ぬ。だが、誰だって痛い思いをするのは嫌だし、可能なら自分以外の誰かに戦場に行ってもらいたいと願うものさ。それが、自分達とは関わりのない人間ならなおいいだろうし、例えば人工的に培養されたクローン人間だったりすれば申し分ないんじゃねえか」

 

 ジャスミンは思わず息を飲んだ。そして、止まっていた足を動かした。

 階段が終わり、長い廊下が姿を見せる。廊下は回廊状になっており、開けた中庭に沿って、いくつもの太い柱が廊下の両端に立っている。

 その中央を、二人は走った。

 

「クローン兵士なんかで戦争ごっこをするとなれば、当然馬鹿みたいに金がいるが、その点この国は何の心配もいらねえ。少し土を掘れば、鉱物の顔をした銭がいくらでも埋まってやがるんだ。懐具合の心配は、最初から必要ないのさ」

「だが、人工培養した人間を殺し合わせるような、非道な行いを本当にするのか?仮にも連邦加盟国だぞ?」

「加盟国じゃなけりゃ、現実にやった国があったじゃねえか。今はもうどこにもないけどな。それに、今この国は国際社会で孤立している。連邦脱退もそう遠い話じゃないだろう。そうなれば、誰の目を気にすることもなく、お人形さんを使った戦争ごっこに興じられるって寸法さ」

「……」

「自分達に火の粉の及ばない戦争やら悲劇やらってのは、人類が文明を築き上げて以来最高の娯楽で在り続けたんだ。そんな状況になれば、間違いなく戦争ごっこはこの星で一番のエンターテイメントになり、誰しもがそれを楽しむようになるだろう。一方、何も知らされない特殊軍の兵士達は、自分と同じ生まれの兄弟を不倶戴天の敵だと洗脳されて、不毛な殺し合いを続ける。はい、これで惑星ウィノアの一丁出来上がりだ」

 

「──そのとおり。そして、思い上がった人民に天誅を下すのは、あなたの役割です、ウィノアの亡霊」

 

 熱さも冷たさもない、感情そのものの込められない虚ろな声が、二人の足を止めた。

 ジャスミンには、聞き覚えのない声である。しかし、ケリーは嫌と言うほどにその声を聞いた。その声が、自分をウィノアの亡霊と呼び、ケリー・エヴァンスと呼び、天使への恋慕を語ったときのことを、ケリーはしっかりと覚えていた。

 

「……それは、どういう意味だい?」

 

 返答は、一片の湿度すら含まないような、乾ききった声で、

 

「この国で殺し合うのは、ケリー・エヴァンス、あなたが惑星ウィノアで友と呼び、上官と呼び、恋人と呼んだ人間のクローンです。そんな人間の戦いが、生が、死が、何の価値も生み出さない愚かな見世物にされたとき、あなたはそれを見過ごすことの出来ない人間だ。違いますか?」

 

 柱の陰から、ゆるりと男が姿を現した。

 纏っているのは、ヴェロニカ教の高僧のみに許された紫紺の法衣。頭巾を目深に被り、表情は窺い知れないが、奇妙な輝きを宿した青い瞳が、黄色く濁った白目に浮かんでいるのだけは見て取れた。

 その瞳が、微妙に焦点を外した視線で、二人を射貫いた。

 

「……これはこれは、不逞のテロリストの捕縛に、大統領自らがお出ましかい。身に余る光栄とはこのことだな」

「不逞のテロリスト如きであれば、私自身が姿を見せる必要はありません。しかし、何度も申し上げたとおり、あなたは私の恩人であり、大切なお客様です。それをもてなすのは、ホストである私の義務でしょう」

「じゃあ、これも何度も聞いた質問だがよ。どうして俺が必要になる?あんたは惑星ウィノアを作りたいだけなんだろう?なら、どうして俺に拘るんだ?」

 

 男は──現ヴェロニカ共和国大統領、アーロン・レイノルズは、痩けた頬に柔らかな笑みを浮かべた。

 

「決まっています。天使が愛しているのがね、ケリー・エヴァンス、あなただからですよ」

 

 アーロンは、さも嬉しそうに言った。

 

「惑星ウィノアを襲った悲劇は、決して特殊軍の亡霊を慰めるためのものではない。数億の人間の死とそれに倍する人間の苦難は、ただ一人の人間の魂を安らげるための供物に過ぎなかった。その人間が、ケリー・エヴァンス、あなただ。そして、あなたに供物を捧げた存在こそ、あの惑星に決定的な滅びをもたらした天使に他ならない」

「……それはそれは、ずいぶん買いかぶって頂いたようで、光栄だね」

「あなたは神に愛されているのです、ケリー・エヴァンス。そして、天使にもね。だから、この星に天使を呼ぶのであれば、あなたという要素が必要不可欠になる。あなたの怒りが、無念が、天使を降臨させる呼び水なのです。無数の特殊軍の屍の上で、あなたが再び垂れ流す慟哭こそ、天使に対する呼び鈴となるのです。全ての仕掛けに対する最後の藁が、あなただ。だから、私はあなたを欲している。どうですか、分かりやすいでしょう?」

「……では、この男が貴様の望みに必要不可欠なのだとして、どうしてわたしまでそれに巻き込まれなければならないのだ?」

 

 油断無く銃を構えたジャスミンが訊いた。その銃口は、法衣の老人の急所に、ぴたりと会わされていた。

 それでも表情を変えないアーロンは、やはり薄ら笑いを浮かべたまま、

 

「この星にウィノアが出来るまで、どれほど短く見積もっても半世紀の時間が必要になります。それほどの時間が経てば、私はこの世に生きていないでしょうし、あなたがたも敵討ちなどに勤しめるほど、健康な肉体を有しているとは思えない」

「……だから?」

「ケリー・エヴァンス。あなたはこの後、私と同じ冬眠カプセルに入って頂く。そして、目が覚めたときには50年後。あなたの目の前には、あなたの知り合いと同じ顔をした人間が殺し合う戦場と、それを楽しむ愚民共が待っていることでしょう。その時、奥方様、あなたが一人年老いていたのではあまりに不憫だ。私も、愛し合う夫婦の絆を、時間の暴虐をもって引き裂くのは本意ではありません。なので奥方様、あなたにも一緒に、我々と同じ冬眠カプセルに入って頂きたいのですよ。そうすれば、あなた方夫婦は同じ時間を生きることができる。素晴らしいとは思いませんか」

「……お心遣い痛み入る、とでもいえば満足か、アーロン・レイノルズ。生憎だがな、わたしは今まで生きてきて、これほど腹の立つありがた迷惑を被ったのは初めてだよ」

 

 アーロンは鷹揚に頷いた。

 

「今、分かって頂けるとは思っていません。しかし、悠久の時の果てに、あなた方は私に感謝するはずだ。よくぞあの時、二人を一緒に冬眠させてくれた、とね」

「……なるほど、確かにそうかも知れない。わたしがこの男を心底愛していて、片時も離れたくないと思っているならば、貴様の提案は喜ぶべきものなのだろう。だがな、その問題を解決するのに、もっと簡単で、もっと根本的な方法があることに、貴様は気が付いているか?」

「ほう、それはどんな?」

「貴様が死ねばいい!」

 

 ジャスミンは気兼ねなく引き金を絞り、アーロンの眉間を狙い撃った。

 人をいとも容易く死に至らしめる白熱の光条は、正確にアーロンの眉間へと吸い込まれ、しかし命中することはなかった。

 

「何だと!?」

 

 ジャスミンは、信じがたいものを見た。

 躱したわけではない。躱したというならば、先に死闘を繰り広げたメイフゥは、幾度もジャスミンの射撃を躱してみせたのだ。今更驚くに値しない。

 だが、今回は違う。

 アーロンは、一歩も動かなかった。躱す素振りすら見せなかった。

 躱したのは、光線である。

 光が、アーロンの眉間の手前でねじ曲がり、あり得ない軌道を描いて遙か後方の柱に突き刺さったのだ。

 既存の物理法則では説明のつかない現象にジャスミンは声を失ったが、すぐに平静を取り戻し、柱の陰に身を隠した。

 

「気をつけろ、女王!その男に銃は通用しない!」

 

 ジャスミンと同じく、柱の陰に隠れたケリーが、叫んだ。

 

「ええ、その通り。正解です」

 

 アーロンは笑った。

 

「その男は特異能力者だ!それも、とびっきりのな!」

「ええ、それも、正解」

 

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