懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他) 作:shellfish
これは、誰だ。
今、俺が見下ろしている、この銀色の頭は、誰の頭だ。
俺?
違う、俺じゃない。俺であるはずがない。
何故なら、俺はここにいるからだ。
ここにいて、こんなことを考えながら、こいつの間抜けな後頭部を見下ろしているっていうことは、俺はこいつじゃないってことだ。
もしも俺がこいつなら、俺は薄暗い廊下を、ぜいぜい喉を鳴らしながら必死の形相で走っていなけりゃならないってことだ。
俺と、こいつは、全然別の人間だ。
ならば、どうして、俺にはこいつの考えていることが分かるんだろう。
こいつの、溢れるような感情。
胸を掻き毟りたくなるような焦慮。己の所有物を奪われた怒り。大切なものを守りきれなかった後悔。
もう少しで愛しい人に会える、歓喜。暖かい感情。綺麗な感情。
全てが手に取るように分かる。言語化される前の、ぐつぐつに茹だった坩堝の中身みたいな思考の渦から、混和する前の、結晶みたいな感情を取り出すことが出来る。
それはつまり、こいつは俺だっていうことじゃないのか。俺とこいつが同じ人間だから、こんなふうに、こいつの胸の内が読み取れるんじゃないのか。
でも、もしもそうなら、どうして俺はこんなところから、こいつのことを俯瞰しているのだろう。
分からない。そもそも、俺はいったい、誰だ。
名前が思い出せない。
昨日のことも、ついさっきのことも、全てが同列にあり、全てがあやふやだ。今の自分のことも思い出せない。
まるで原生動物のように、ただ目の前のことだけを認識しながら、ふよふよと宙を漂っている。
漂いながら、この男の必死な様を、見下ろしているのだ。
ああ、どうしてこの男は、こんなにも必死なのか。ぶつぶつと、誰かの名前を呼びながら、必死に走っている。
恋人の名前を何度も。
カマル、カマル、と、何度も何度も呼んでいる。
死なせない、絶対に死なせないと、何度も何度も何度も。
それは誰の名前だ。一度だって聞いたことがない、名前だ。
少なくとも、この世界では。
俺の知っている人間の名前では、ない。俺が助けたい少女の名前でも、ない。
俺が助けたいのは。
そうだ。そのために、俺はここまで来たんだ。
あいつを助ける。絶対に、助ける。
助けてみせる。
そのためなら、この痩せ犬みたいな命がどれほどのものだというのだ。
名前は、言わない。口に出せば、誓いは意味を失うからだ。ただの願望に堕するからだ。
だから、俺は何も言わない。この、情けない様の男みたいには、お前の名前を呼ばない。
お前の名前を呼ぶのは、お前をこの手に取り戻したときだ。その時に、お前の頬に口づけをしながら、お前の名前を呼ぶんだ。
俺が、お前を助けるんだからな。
ウォルよう。
◇
煌びやかな部屋だった。
天井を見上げれば、精緻な装飾の施されたクリスタルガラス製のシャンデリアが吊られている。壁に目を向ければ、一面に豪奢なステンドグラスが嵌められ、シャンデリアから漏れる灯火を七色の光で色づけている。床は、ともすれば足を取られかねないほどに毛足の長い絨毯が敷き詰められている。
大きな部屋だった。
ちょっとした体育館ほどの高さと広さと奥行きを有しており、奥には緞帳が下ろされた舞台が設えられている。それ以外のスペースには円形のテーブルがいくつも設置され、一点の染みもないテーブルクロスの上には目にも舌にも鮮やかな色取り取りの料理と、美しい花の生けられた花瓶が置かれていた。
陰鬱とした地下階の中で、この空間だけが別世界のようですらあった。
その部屋は、研究発表の場であった。自分達が丹精込めて調律し、調教し、磨き上げた作品が、どれほど美しく、従順で、淫らになったのか、それを同好の士に発表し、自慢するための部屋だった。参加者は、首輪で繋いだ作品を足下に侍らせ、口に出すのも憚られるような行いをさせて性欲を満たしながら、舞台の上で行われる催しもので目を楽しませ、豪華な料理で舌を満足させる。それが、この部屋の作られた目的であった。
だが、今この部屋にいるのは、二つ足で歩く人間だけだ。四つ足で這いつくばることを強制された愛玩動物はいない。仕立ても生地も最高級の礼服に身を包んだ紳士淑女が、シャンパングラスを片手に、会話に花を咲かせている。
「いやいや、まったく参りましたよ。こないだ、新しく購入した子犬と遊んでいたら、思い切り噛みつかれてしまいまして。せっかく外国産の珍しい毛色の犬だったのに、とんだ災難でした。ほら、まだこんな痣が残っている」
老紳士が、ただでさえ柔和な顔をいっそう笑み崩れさせながら、衆目に掌を見せた。
小指側の掌に、丸く小さな歯形が残っている。肉食獣特有の尖った牙によるものではない。もっと平べったく、丸く、幼い歯によって作られた歯形だった。
「それはそれは、心よりお見舞い申し上げますぞ、マルシャル卿」
「飼い主に噛みつくとは、いくら躾のなっていない生肉食いの野良犬とはいえ、けしからんことです。親の顔を見てみたいというか……」
「しかし、そういう不従順な犬を躾ける時にこそ、我らの腕の見せ甲斐があるではありませんか。最初から全てを諦め受け入れてしまっていては、何の面白みもない。素材は強気で自尊心に溢れていれば、それだけ挑戦心と克己心が燃えさかるというもの。そうではありませんか?」
「いや、ジョラス卿。それはまったく仰るとおり。仰るとおりなのですが、やはり悪戯をした動物にはきちんとお仕置きをしてやらねば、何度でも繰り返しますぞ。何しろ、彼らは物覚えが悪く、愚かなのです。悪いことをしたその時にきつく叱ってあげないと、自分がどれほど許されざることをしでかしたのか、分からない。他の人間に迷惑をかけるかも知れない。きちんと叱るのは飼い主の義務というものでしょう」
掌に噛み跡を残した老紳士が、深く、嬉しそうに頷いた。
「全くもってあなたのお言葉の通りですなレニエ卿。こういうことを放置すると、大きくなってからも噛み癖が残ったりもするものです。掌や指ならともかく、それ以外の場所に噛みつかれては男としての面目が立たなくなってしまうかも知れませんので、それはご勘弁願いたい」
その場に居合わせた男性の全てが、苦笑いを浮かべた。
「では、きちんと罰を与えたと?」
「ええ。ただ、悪いのは憐れな子犬自身ではなく、子犬に与えられた歯という危険な武器です。そんな危ない物がなければ子犬が怒られる必要もなかった。なので、危ない物は全て没収しました。そうすれば、子犬が怒られることは二度とはない。そうではありませんか?」
なるほど、と、全員が深く頷いた。歯を失った口がどれほど懸命に噛みついたところで、噛み跡を残すなど出来ようはずが無い。いや、そもそも、噛みついてまで反抗しようという気力など既に残されているとは思えないが。
そんな話を嬉しげに聞かされても、嫌悪感を浮かべる人間は一人だっていなかった。
「しかし、たった一度噛みついただけで、これからの長い一生を流動食しか口に出来なくなったというのは、少し不憫な気がしますな」
「いえいえご心配には及びません、それはまだまだ幼い子犬でして。もうそろそろすれば、どうせ新しい歯が生えてきますからな。彼女が流動食しか食べられない期間も、そう長いものではないでしょう」
「ならば安心だ。成長期の子供用の入れ歯を作るというのも、これが中々大変でして。私も以前、たいへん難儀したのですよ。私と同じ苦労をマルシャル卿が背負うことがないようで、一安心です。いや、苛烈な調教で知られるマルシャル卿にも人の心というのは残っていたのですな」
「無論のことですよ。まぁ、もしももう一度噛みついたりするようなら、例え永久歯が生え揃った後であっても根刮ぎ引っこ抜いてやろうとは思っているのですが」
「これは酷い」
一同が快活に笑った。
そんな、身の毛もよだつような会話が部屋の各所で交わされ、しかし誰一人として眉を顰める者はいない。何故なら、この場にいる人間の全てが、マルシャルと同じ趣味嗜好を持つ人間ばかりだからだ。
その中の一人が、珍しく眉を顰めながら言った。
「それにしても驚かされました。以前から噂にはなっておりましたが、不逞なテロリスト共め、まさか恐れ多くも大統領の住まう城をその標的にするとは……」
「それも、よりにもよってルパート君の新しい門出を祝う、慶ぶべき日を狙ってです。全くもって許し難い」
「先ほどちらりと小耳に挟んだところでは、どうやら捕縛された仲間の奪還を目的としているそうですぞ。愚かなことだ。今やこの城にはヴェロニカ共和国軍の精鋭が集い、憐れな獲物が飛び込んでくるのを手ぐすね引いて待ち侘びていたというのに」
「まぁ、この素晴らしい式典が終わり我らが帰路に着く頃には、害虫駆除の全ては滞りなく完了しているでしょう。我らはそのような雑事にはかまけず、ただ将来有望な青年の洋々たる前途を祝せばいい。そうではありませんか?」
全員が頷いた。
そんな会話も一段落した頃合いに、部屋の照明が突然落とされた。
テロリストの一件もあり、部屋全体が少しざわめいた。が、緞帳の下ろされた舞台、その脇に立った青年にスポットライトが当てられるに至って、安堵の溜息と、盛大な拍手がわき起こり、地下階全体を揺らすようだった。
「ルパート君、この幸せ者め!」
「人生の牢獄に進んで繋がれようとするとは、きみも中々奇特な青年だな!」
冷やかし混じりの野次が飛び、赤毛の青年は照れたように頭を掻いた。
少し時間を空けて、ルパートがマイクを手にした時には、部屋全体がしんと静まりかえった。
「本日はお忙しい中、私たち二人の結婚式にご出席頂きまして、誠にありがとうございます。まずは、今回の話がとても急に立ち上がったものであり、皆様に招待状を送るのが式の直前になってしまった不手際を、この場を借りてお詫びさせて頂きたいと思います」
ルパートは、隙のないタキシード姿に精気と自信を漲らせ、よく響く漲る声で淀みなく言った。
「本日、お呼びさせて頂いております皆さまは、私にとっては、家族と言ってもいいほど大切な方々ばかりでございます。このように、今日、私と妻がここへ立つ事ができているのも、皆様方のお力添えがあったからこそと言えます。本当に心より感謝申し上げます」
それは、極々一般的な式のスピーチと代わりがなかった。部屋も、些か豪華すぎるものかも知れなかったが、所謂結婚式場と見られないこともない。
だが、式が始まっても姿を見せたのが新郎だけで、花嫁がどこにも見えないのが異様といえば異様であった。普通の結婚式ならば、新郎と新婦は並んで入場するのが常であるのに。
「さて、私ことルパート・レイノルズと、新婦たる女性は、これから式を執り行い、誓いの接吻を交わすことで夫婦となります。しかし、式と一言に申し上げても、その種類には様々なものがあることは皆様もご承知のことかと思います。それぞれの信じる神に誓う。祖先の霊に誓う。国王や族長に対して誓いを捧げる。このヴェロニカ共和国では、父たる天の神、母たる聖女ヴェロニカ、そして我々を守護し給う精霊に対して誓いを捧げるのが一般的ではありますが──」
ルパートは、ぐるりと会場を見渡した。
部屋の照明は依然落とされたままで、部屋の細部まではほとんど見ることが出来なかったが、この場にいる全ての人間の視線が自分に集中していることはひしひしと感じられた。
「私は、人前式の作法に則って、彼女との式を執り行いたいと思います」
一拍置いて、
「当然、私はヴェロニカ教の敬虔な信徒であります。式は、ヴェロニカ教の形式で執り行うのが最も望ましい。ですが、新婦たる女性は、ヴェロニカの神に頭を垂れて、まだまだ日が浅い。そのような二人が一生の誓いを立てるのに、神のお心を煩わすのは大変忍びないと、私は愚考しました」
会場のあちこちで、頷く気配がする。
「なので、これは恐縮な話なのですが、私が最も懇意にする皆様を、我々が誓いを交わした証人と仕立て上げてしまおうと企んだわけです。こうすれば、万が一、今日この場で私に不利な誓いが交わされたとしても、後日誤魔化しようがあるというもの」
微かな笑い声が漏れる。
「しかし、人という生き物の悲しさ。年月の経過に伴い、人の記憶は薄れゆく。記録映像に残すなどという無粋をしなければ、どれほど明敏な者であっても、人はいずれ忘れてしまいます。まして、他人の結婚式の記憶など、人が生きていく中で最も必要のない記憶の一つでしょう。万が一の時に私が皆様に助けを求めても、式を執り行った記憶そのものが無くなってしまっていては一大事。そこで……」
ルパートは、天井より垂れ下がっていた紐を、ぐいと一気に引いた。
すると、重々しい緞帳が、少しずつ少しずつ持ち上がり、舞台から漏れ出す光が部屋を照らし始めた。
「式は、出来るだけ皆様の記憶に残るよう、特別なものにしたいと考えました。それは、私の希望でもあり、もちろん私の妻になる女性の希望でもあります」
緞帳が、じわじわと持ち上がる。
そして、最初に見えたのは、靴の先だった。
白く、艶やかに輝いた、小さな小さな靴の先がちらりと恥ずかしげに姿を現し、ドレスシューズの大きく空いた甲の部分には、透き通るほどに白い肌が見えた。
ただ異常だったのは、それが宙に浮かんでいたことだ。普通ならば舞台を踏みしめているべき新婦の足が、舞台から30センチほど上の空中を、ぶらぶらと浮いていた。
「婚儀を交わした夫婦の最初の共同作業は、一般的にはウェディングケーキへの入刀などが執り行われますが、そんな行為に夫婦の本質はありません。夫婦の本質は、ともに助けあい、慈しみ合い、子を育て、次代への責任を果たすことにこそ存在します」
緞帳が、どんどん持ち上がっていく。
よく見れば、ウェディングドレスの長い裾部分が、舞台の上に垂れ落ちている。しかしそれは後ろの部分だけで、前の部分は、花嫁の白い足が向き出しになるよう、大きく切り開かれたデザインとなっていた。細い足首も、艶めかしいふくらはぎも、愛らしい膝小僧も、全てが観客に対して無防備に晒されていた。
「では、本当の意味での夫婦の共同作業と呼ぶに相応しい行為は、何か。それは、次代の命を設けるための、尊い作業。子を作ることですよ。そのための交わり、まぐわい。男と女の、最も神聖で、美しい行為。これこそ、本当の意味で夫婦の共同作業と呼ぶに相応しい」
緞帳は、止まらない。
新婦の滑らかな太股の半ばまでが露わになったが、流石にそこから上部分はドレスで隠すことを許されていた。
体のラインの浮き出るマーメイドタイプのドレスの下に、少女の未成熟な肢体が押し込められていた。まだまだくびれの弱い腰周り。膨らみかけの乳房。ドレスの胸もとはぐるりと切り込みが入れられ妖艶さを醸し出しているが、それが少女の体とどうしてもそぐわない。たまらないほどにアンバランスである。そして、少女の背後を飾り付ける、極上のハープ弦のような黒髪。
その全てが、痛々しいまでの背徳性を織りなしている。
「私は、皆様の前で人前式を執り行うにあたり、皆様の前で、妻と最初に一つになろうと決心しました。無論、我々のまぐわいなど、皆様にとってお目汚しなのは重々承知の上であります。その上で、未熟な夫婦の初めての繋がりを、どうか記憶に止め、可能であれば祝福の言葉を賜れればと存じます」
そして、緞帳は上がりきった。
露わになったのは、宙づりにされた、黒髪の少女だった。
少女は、美しかった。今まで幾多の美少女を飽きるほどに漁ってきた会場の男共が、思わず息を飲むほどに。
痩せぎすではない、適度に肉が乗り、その上でしっかりと均整の取れた体つき。悩ましげに顰められた眉、アーモンド型の瞳、つんと可愛らしい鼻、小振りで愛らしい唇。呆けた様な表情であったが、それすらも少女の美の一要素でしかない。
そんな少女が、宙づりになっていた。
純白のウェディングドレスに身を包み、呆けたような表情を浮かべた少女が、天井から垂れ落ちた無骨な鎖に腕を繋がれ、ぶらぶらと宙づりになっていたのだ。
あり得ない光景だった。幼い少女が、淫靡なデザインのウェディングドレスを纏っていること。その少女が見世物のように宙づりにされていること。その少女が、これから結婚式に名を借りた陵辱に晒されること。
そのどれも、全てが現実感に乏しい光景だ。
しかし、観客は大いに盛り上がった。
盛大な拍手、新郎に対する賛辞は、大きく轟き、一向に止む気配がない。
「なんと素晴らしい!ルパート君、これこそ我らのように、真の美と愛に生涯を捧げると誓った者に、相応しい結婚式だ!」
「君と、斯様に美しい花嫁の最初の契りを見ることが出来るとは、光栄だよ!」
「しかし、我々はまだ、その美しい雌犬……もとい、花嫁の紹介を受けていないぞ!ルパート君、あまり勿体ぶらず、早く彼女を我々に紹介してくれんかね!」
「そうだ、そうだ!」
ルパートは、轟々たる非難に心底困ったように、眉根を寄せた。
そしてマイクを口に近づけ、
「そういえば、皆様に、私の新婦の紹介をしていませんでした。これは不徳の致すところ。決して皆様に対して秘密主義を貫いていたわけではありません。どうかご容赦下さい」
この嘘つきめ、と悪意の無い罵声が飛ぶ。
ルパートは、笑っていた。
「この少女の名前は、ウォル・ウォルフィーナ・エドナ・デルフィン・ヴァレンタイン。この星ではない、遙か遠くの惑星の生まれです。どうです、この中で、彼女の名前に聞き覚えの無い方はおられますか?」
ルパートは、ぐるりと会場を見回した。
舞台から漏れ出す灯りで仄かに照らし出された会場、そこにいる人間の表情のうちに、不審に首を傾げたものは存在しない。皆が、驚愕に目を大きく見開いている。
ルパートは、満足げに頷いた。
「そう、この少女は、来るべき次の回帰祭の、生け贄として選ばれた少女であります」
会場の幾人かが、ゴクリと唾を飲み下した。
「当然のことではありますが、無辜の信徒が回帰祭において、野獣の贄となるべき役割を振り当てられるはずもない。彼女には、無数の罪科がある。この星には不法な手段をもって秘密裏に入国した上、遊び半分にテロ行為や違法薬物の密売に手を染め、殺人の罪を犯したことも一度や二度ではありません。私の敬愛すべき同士である憂国ヴェロニカ聖騎士団の団員の中にも、彼女の毒牙にかかってこの世を去った者がおります」
ルパートは苦しげに言った。
会場のほぼ全ての人間から、憎悪と軽蔑の入り交じった視線が少女に向けられているのを感じる。
「この星に来る前から、彼女の非行は始まっておりました。そもそも、父親の教育方針に大きな問題があったのでしょう。彼女の父親が、自らが知事を勤める惑星においてどのような所業に及んでいたのかは、皆様も報道でご承知のところだと思います。無計画な乱開発により貴重な自然を広範囲に荒らし、いくつもの野生動物の住処を台無しにして、多くの希少生物を絶滅へと追いやった。狩猟を趣味とし、いたずらに生き物の命を奪っては骸をただ打ち捨て、命を弄ぶ。我々ヴェロニカ教徒からすれば、鬼畜にも劣る所業です」
会場から、割れ裂けんばかりの糾弾の声が巻き起こった。
中には、その罪を少女の身体をもって雪がせろという、過激なものもあった程だ。
だが、新婦に対する非難を、ルパートは怒らなかった。諫めようとすらしなかった。寧ろ当然という顔で、神妙にその声を聞いている。
やがて、声が収まった頃合いを見計らって、
「ですが、それは父の罪。そして、そのような卑劣漢の背中を見て育ち、物の通りも弁えず、己の犯した罪の非道も分からぬまま、生け贄とされる彼女があまりにも憐れ。許されざる罪を背負ったのだとしても、その罪が罪たる所以を知らずに死ねば、その魂は無間地獄を永遠に彷徨うことになりましょう。私はそう思いました」
しん、と会場が静まりかえった。
「私は渋る父を説得し、この少女との面談を繰り返しました。そして、少女自身と父親の犯した罪の深さを説き聞かせました。無論、最初のうちは、彼女は聞く耳など持ちませんでした。唾を吐きかけられたのも一度や二度ではありません。しかし、真理は万人に共通であり、本当の慈悲の心は必ず伝わるもの。いつしか少女はヴェロニカの神に頭を垂れ、その罪深き一生の全てを懺悔したのです」
会場から、感激に啜り泣く声が聞こえた。
それは、ルパートの行為を賞するものであり、少女の不憫を忍んで流されるものでもあった。何しろ、彼女が真実の愛に気が付いても、早晩生け贄としてこの世を去らねばならないのだから。
「彼女は、自分の罪はこの身を生け贄として儀式に捧げ、大いなる自然の循環に戻ることでこそ償えるのだと私に言いました。ですが……ええ、彼女の決意には非常に申し訳ないことなのですが……私には、もう、彼女を手放すことなど考えられなかった。僅か二日ほどの彼女との交流が、私にはどうしても忘れがたかった……。私は、彼女に恋をしてしまっていたのです。それも、致命的なほどに」
ルパートは、恥ずかしげに頭を掻いた。
「父に、直談判をしました。もちろん、最初は酷く叱責されました。ヴェロニカ教の大罪人に惚れるとは何事だと、勘当すらもちらつかされましたが、それでも最後には、彼女との仲を認め、祝福してくれました」
「では、儀式は……」
「無論、彼女以外の罪深き者が、生け贄に供されることになるでしょう。何せ、彼女は既に悔い改め、その罪を深く恥じ入っているのです。これ以上の罰が彼女に必要なはずがありません」
会場から沸き上がった疑問に、ルパートは満足げに答えた。
何人かが、深く頷いた。
「彼女ももちろん、喜んで私の妻になることを承諾してくれました。でも、罪に汚れた自分では、私に相応しくないと言うのです。そこで、私は考えました。どうすれば彼女が忌まわしい過去をして、私の妻となってくれるのかを」
ルパートは振り返り、自分の所有物となった少女と相対した。
「私は、彼女に名前を上げることにしました。生まれ変わった彼女に相応しい、清楚で、可憐で、穢れ無き名前を」
舞台へと昇る階段を、一歩一歩踏みしめ、花嫁へと近づいていく。
少女は、自分に近づいてくるルパートを、呆けた視線で、嬉しそうに見ていた。
「これは、我々の結婚式であると同時に、新しい彼女の生誕を祝う式典でもあります。どうか皆様、新しい彼女の名前を、祝福してあげてください」
ルパートは、黒髪の少女の耳に口を近づけて、囁いた。
「さぁ、言ってごらん。僕が君にあげた、君だけの名前を」
少女は、嬉しそうに、唾液で糸引く唇を開いた。
「わ……たしの、なまえ……は……エレオ……ノラ……です……ご主人……様……」
──はい、堕ちた。
ルパートが、堪えきれない笑みを浮かべた。
◇
少年が、走っていた。
もう、彼自身、どのような道を通ってここまで来たのかを覚えていない。
そもそも、何も考えていない。ただ、体の内から聞こえる何者かの声に従って、ここまで来たのだ。
だが、少年は、それとも少年の体を突き動かしている何者かは、知っていた。自分の道行きが正しいこと。そして、その先に、自分の最も愛しい誰かがいること。
少年は走る。ほの暗い廊下を駆け抜け、草いきれの香しい中庭を駆け抜け、やがてぽっかりと口を開けた地下階への階段を見つける。
ほとんど飛び降りるのと変わらない勢いで、そこを駆け下りた。
地下階の廊下は複雑に枝分かれしており、その先に細かく区切られた牢屋がある。そのどこに誰が囚われているか、ここの構造を知らない人間には分からない。
少年の敏感な嗅覚は、この地下に、異性の匂いが充満していることに気が付いた。それも、血と脂に塗れた、饐えた臭いだ。
その中の一つに、どこかで嗅いだ覚えがあった。他の雑多な臭いとは比べようもないほど、甘い匂い。良い匂い。
少年は、それを目指して走った。もはや疑いようも無かった。ここにいるのだ。もう、すぐ近くにいるのだ。
石壁に設置された、小さな燭台だけが灯りの全てである。普通の人間であれば、歩くことが出来ても走ることなど到底できない程の薄暗さだ。
だが、少年には真昼も同然だった。神経が高ぶり、視神経が、ほんの少しの光を普段の何百倍にも明るく伝えている。
だから、少年は走った。
何度も曲がり角を曲がり、いくつもの赤錆の浮いた鉄扉を無視し、走った。
そして、見つけた。先ほどまでの扉とは明らかに異なる、豪奢な扉を。
そこに、その奥に、いるのだ。自分が、これほどまでに恋い焦がれる、あの少女が。
だが、その扉の前には、談笑する二人の男が。
「それにしても今から楽しみだねぇ、あのガキを嬲るのがよう」
「ルパートの奴も、早く飽きてくれればいいのになぁ」
「俺は、思い切りぶん殴って、ぼこぼこにしてみてぇよ。あの生意気そうな面が、腫れ上がってどこぞの化け物と間違えるくらいになったら、楽しいじゃねえか」
「俺は、全身の関節を逆方向に曲げてやるんだ。前に進もうとしてるのに後ろに戻っちまう間抜けな様子を、腹を抱えて笑ってやるぜ」
──邪魔を、するな。
少年の脳髄に、殺意と同じ意味の怒りが、迸った。
男達が、遅まきながら、自分達の方向に突っ走ってくる少年に気が付いた。
「なんだ、てめぇは!?」
二人の男のうち、大きなほうが、大きな声で威嚇した。
咄嗟に懐から取り出した拳銃で、少年を狙い、撃った。
だが、銃口の先に、すでに少年はいなかった。少年はその身を限界まで低くして、二人の男に突っ込んでいた。勢いそのまま大きな男に突進し、拳を突きだし、大男の鳩尾に思い切り叩き込んだ。
大男の分厚い皮下脂肪と腹筋を、拳から放たれた衝撃が、一気に貫通した。
「ぐえぇっ!?」
大男が地面に転がり、盛大に反吐をまき散らした。目を限界まで開き、呼吸することすら許されずに悶絶している。
だが少年の興味は既にそこにはなかった。
ひゅん、と、少年の頬を風がなぶった。寒気のする金属質な光が、暗闇を文字通りに切り裂いていた。
「てめぇ、よくもハンクを!ぶっ殺してやる!」
痩せぎすの、病質的な男が、慣れた手つきでナイフを構えていた。
だが、少年は意に介さなかった。
突き出されたナイフを躱し、その手を掴み、思い切りねじ上げた。
痩せぎす男の関節が、あり得ない方向に曲がり、それと一緒に、ぶちぶちと、鳥の手羽先を引きちぎったような音が聞こえた。
「お、おれの、うでが、うでがぁ!」
男はナイフを取り落とし、歪にねじ曲がった自分の肘関節を眺めて、ぱくぱくと口を動かしていた。
だが、その様子も、少年は見ていなかった。
そして、扉に走り寄り。
その重たい扉を、一気に開け。
迸る光に目をしばたかせ。
そして、見たのだ。
青年と少女が、下半身の一点で繋がっている有様を。
少年の意識が、憤怒の色で真っ赤に染まった。
◇
ルパートは、黒髪の少女の横に立った。こうしないと自分達の繋がっている部分が観客に見えないのだし、第一、目上の人間に対して尻を向けるのは失礼だからだ。
躊躇いなくズボンのチャックを下ろし、既に充血した男性自身を取り出した。それは、存分に使い古されて赤黒く、臍まで反り返るほどに巨大だった。
少女の、真白いウェディングドレスを纏った華奢な様子との比較が、冒涜的ですらあった。
会場にいた男のほとんどが、感嘆の息を吐き出した。会場にいた女の全てが、蠱惑的な吐息を漏らした。
青年は、会場にある全ての眼球が自分達に向けられていることを意識しながら、少女の片足を掴み、天高く掲げた。少女の足は上下に大きく開脚され、処女性を表す白い下着が剥き出しにされた。
「さぁ、エレオノラ。ようやく僕たちは一つになれる。今まで酷いこともしてしまったが、全ては君のためを思えばこそだ。許しくれるね」
「あ……あ、あ……」
エレオノラと呼ばれた少女の頬が、官能に紅潮した。瞳は潤み、唇が細やかに震えている。
愛しい雄によって己の内側を侵略されることを待ち侘びる、雌の表情だった。
ルパートは、堪えきれない表情でほくそ笑んだ。ああ、これで、名実ともにこの雌は自分のものになるのだ。そしてこの雌は、一生涯を尽くして夫に仕え、夫の喜びを己の喜びとして、いつかは夫のために死んでいくのだろう。
その時は絶対に、自分の掌でこの細い首を縊ってみたい。この細い首が折れ曲がったとき、どれほど官能的な音が鳴るのだろうか。
ルパートは、少女の首を優しく撫でさすってやった。少女が、恥ずかしげに鼻を鳴らし、顔を逸らした。
「恥ずかしがることはないよ。これから、僕たちは毎晩、今よりももっと激しくて恥ずかしいことをするんだ。このくらいで恥ずかしがっていては、身が持たない」
「は、ぁ……」
「いいから、全て僕に任せて。いいね」
少女が、恥ずかしげに俯いた。ルパートは手を伸ばし、その頭を撫でてやった。
まるきり従順な雌犬そのものだ。この様子なら、腕を縛る鎖だって要らなかったかも知れない。まぁ、宙づりの体勢で犯し続けるのも興がない。最初の一度が終われば、手錠を外し、色んな体位で楽しんでみるのも良いだろう。
ルパートは、少女の片足をぐいと引き、その太股を脇に抱え込んだ。そうすると、少女は再び恥ずかしげに顔を背けたが、ルパートは止まらなかった。
己の男性自身を数回しごき、より一層の血液を送り込んでやる。今から、自分と比べるのも馬鹿らしいほど狭い場所に割入らなければならないのだ。どれほど固くても、固すぎるということはない。
少女の体を抱え直す。少女の秘部を隠す下着をずらしてやると、新雪の積もった雪原のように、つるりと白い下腹部が姿を現した。
ルパートはその体勢のまま、空いた片腕でもう片方の足も持ち上げ、少女の腰を両手で抱え上げて、露わになった秘部に、己の男性自身を押し当てた。
「さぁ、きみの初めてをもらうよ、エレオノラ……」
ルパートは、己の鼻息が荒くなるのを自覚していた。
仕方のないことだ。今まで想い続けてきた愛しい少女と、ようやく一つになることが出来るのだから。この様子を想像して、何人もの少女を責め殺してしまった。ならば、少しは興奮しないと、身代わりになった彼女達に申し訳ないというものではないか。
今から、このグロテスクな肉の塊が、少女の初めてを奪い、その純血に塗れるのだろう。少女の内側は、どれほど情熱的に自分を包み込み、その精をねだるのだろうか。
ルパートは息を止め、満場の拍手と歓声に背中を押されるように、腰をゆっくりと突き出した。
少女の柔い粘膜に、先が擦れたのを感じる。あとは、このまま押し入るだけだ。とろけるような快楽を、ルパートは予感した。
だが、その目的は、中々上手には達成されないようだった。
「おっと、これはなんとも積極的な!」
「ルパート君!負けてはおられんぞ!きみも頑張りたまえ!」
会場から笑い声が起こった。
少女が、待ちきれないと入ったように、ルパートの腰にその細い足を巻き付けたからである。結果的にルパートは前につんのめり、少女に体重を預ける体勢になった。男性自身はつるりと滑り、少女の尻の下に収まってしまっている。
ルパートも苦笑した。苦笑しながら、少女の頭を撫でてやった。
「こらこらエレオノラ。駄目じゃないか、はしたない。待ちきれないのは分かるが、今日は僕に花を持たせておくれ」
そう言って、己の唇を、少女のそれと重ねようとした。
その時である。
己の体の内側から、みしりと、奇妙な音を聞いた気がした。
「え……?」
ルパートが、思わず、自身の体に巻き付いている少女の足を見た。
それは、やはり少女の足だ。
白く、滑らかで、ほっそりとして、触れば柔らかそうな。
その太股で膝枕をしてもらえば、どこまでも心地よい眠りを味わえそうな。
そんな少女の足が、恐るべき力で、自分の胴体を締め上げていた。
ルパートは、痛みや苦しみよりも先に、困惑を覚えた。
どうして。おかしい。何故。
僕のエレオノラが、こんなことをするのか。この体のどこに、こんな力があるのか。
「ようやく、捕まえたな」
事態に思考が追いつかず、表情を空白にしていたルパートの眼前で、少女がにぃと微笑んだ。
今までの、呆けたような笑みではない。確固とした自我を備えた、獰猛な笑みだった。
「え……れお……のら……?」
「誰のことだ、それは?」
愉快そうな声が、不吉な響きを伴って耳道にこだました。
その声と、めしめしと絞り上げられていく肉の音を同時に聞きながら、しかしルパートには、まだ自分の身に起きつつある事態が飲み込めていなかった。
どうしてだ?どうして僕のエレオノラが、こんな勇ましい表情で自分を見上げているのだ?これではまるで、あの少女のようではないか。
このルパート・レイノルズのことを憐れだと言い、どれだけ暴力を振るっても言うことを聞かなかった、あの少女。
いや、違う。そんなはずはない。あの少女の自我は、薬で完膚無きまでに破壊されて、既にこの世界のどこにも存在しないはずなのだ。粉々のごみくずになって、精神の海の中にばらまかれたはずなのだ。
ここにいるのは、僕のエレオノラのはずなのだ。
なのに、どうして?
「貴様には何のことか分からんだろうが、一応は教えておいてやる。この体はな、俺の魂を宿す前に、ありとあらゆる拷問を経験したのだ。げすな薬物による実験を含む、ありとあらゆる拷問と陵辱をな」
何のことだ。エレオノラ、きみはいったい、何を言っているんだ。
ルパートは叫びたかった。
だが、胴を締め付ける恐るべき力に、呼吸すらもままならない今の彼では、叫び声を上げることはおろか、身動ぎ一つすることは出来なかった。
赤毛の頭髪の間からだらだらと脂汗を流し、引き攣った表情のまま、目の前の少女の顔を見続けるしか出来なかった。
「この体に宿った精神は、その度に汚泥の中に叩き込まれ、死にたくなるような恥辱を味あわされてきた。初めてだと?笑わせるな。既にこの少女の体は、考えられ得る全ての陵辱を味わっている。あの、げすな薬の耐性が、体の内に宿るほどにはな」
べきり、と、体の中から音がした。圧力に耐えきれなくなった肋骨が、へし折れた音だった。
だが、力は緩まらない。それどころか、ますます強くなっていく。
この時点で、ルパートはようやく死の予感を覚えた。自分は、この少女に殺されるかも知れないという、予感だ。
ルパートは藻掻こうとした。だが、ぴくりとも動けない。体が、脳の命令を拒絶している。少しでも動けば、自分が死ぬと理解していたからだ。
少女だけが正面から見ることの出来るルパートの顔は、本来の端正な顔立ちを投げ捨てて、異常なまでの苦痛に歪みきっていた。
眉がしかめられ、だらしなく開け放たれた口からは舌が突き出され、その先を伝って涎が垂れ落ちる。蒼白になった顔面を、滝のような脂汗でいっぱいだ。
どこにも、支配者としての尊厳はない、滑稽な顔だった。
地獄を味わい続けるルパートの耳に、不吉な声がかけられた。
少女だ。先ほどまで、自分に捧げられた神からの供物であった、少女だ。
その少女が、烈火の如き烈しい視線でルパートを居抜きながら、腹の底に響く不吉な声で囁いた。
「おいおい、この程度で根を上げてくれるなよ。俺はまだ、半分も力を出していないのだぞ」
「ひぃっ……」
ルパートが、肺に残された貴重な酸素を、悲鳴として吐き出した。
嘘だ。今だって、少女とは思えない、いや、そもそも人間とは思えない力で自分を苦しめているというのに。どう考えても、これ以上の力を人間が出せるはずがない。
だが、もしも。万が一、いや、億が一に、少女の言葉が嘘ではなかったとしたら。自分はいったいどうなってしまうのか。
「さっさとこの不快な鎖を外せ。俺は、あまり気が長い方ではない。それともこのまま──」
少女──ウォルが、肉食獣の顔で、笑った。
「口と尻の穴から、はらわたをひり出してみるか?」