懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他) 作:shellfish
出来の悪いホラー映画に紛れ込んでしまったようだ。
ケリーとジャスミンは、同じ感慨を同時に抱いていた。
彼らは、必死に走り、逃げていた。戦いながらであるが、はっきりと逃げていた。
何から?
彼らを追って迫る、一人の男からである。
「冗談ではないぞ、あれは!」
ジャスミンがたまらずに声を上げた。
ケリーも、大いに同意した。
「ちくしょう、あれは反則だろう、いくら何でも!」
「怪奇小説の怪物でも、もう少し可愛げがある!」
ジャスミンは、振り返り様に銃を構え、引き金を数回絞った。
光条が薄暗い廊下を走り抜け、そこに突っ立った男の急所の悉くに命中した。
否、命中したかに見えた。
だが、光条は、男に着弾する直前にあり得ない方向に屈折し、その先にある壁を破壊しただけであった。
「これでどうだ!」
ケリーが手にしていたのは、ジャスミンが愛用する光線銃ではなく、鉛の実弾を発射する昔ながらの拳銃である。しかも、相当に口径が大きい。
ケリーはそれを片手で構え、引き金を引いた。危うく銃身を取り落としそうになるほどの激しい衝撃が腕全体を襲うが、ケリーの鍛え込まれた肉体は衝撃に打ち勝った。
マズルフラッシュが閃き、空の薬莢が宙を舞い、回転しながら猛スピードで直進する弾頭が男の眉間へと吸い込まれていく。普通ならば次の瞬間には男の体が後方へと吹き飛び、仰向けに倒れた男の頭部を中心とした血の花が、鮮やかな様子で咲き誇るはずだ。
だが、ケリーは信じがたいものを見た。
鉛の弾頭が、男の額の前で、静止していたのだ。激しく回転し、あと一歩で目標を殺せる悔しさに歯噛みするように唸りを上げながら、しかし見えない壁に突き刺さったかのように空中で静止していた。
「やっぱりか!」
ケリーは、既に、あの男に一度敗れている。その時に、あの男の常識外れの力は嫌と言うほど味わっていた。しかし、それにしたって常識外れにもほどがある。
あれは、正真正銘の化け物だ。少なくとも、化け物というカテゴリに入った生き物と戦っているのだという覚悟が無くては絶対に勝ち得ない、そういうレベルの存在であった。
「さぁ、存分に抵抗して下さい、ミスタ・クーア、ミズ・クーア。私はその全てを台無しにしてみせましょう」
男──この国の大統領であるアーロン・レイノルズが、豪奢な刺繍の施された紫紺の法衣、その頭巾の奥に隠れた口元をにこやかに歪めながら、淡々とした歩調で二人に近づいてきた。
光線銃や鉛の弾頭程度では、その歩みを少しだって止めることは出来なかった。
「どうする、女王!」
今のところ、ケリーの手の中には、あの男の醸し出すプレッシャーに対抗するにはあまりに貧弱に思える、小さな拳銃が一丁だけである。これでは、逆立ちしたって勝てない。
対抗する装備を持っているとしたら、それはジャスミンのバックパックの中を頼るしかない。
「当面の策はある!だが海賊、今はとにかく逃げるぞ!」
「すまん、頼らせてもらうぜ女王!」
二人は逃げた。
行きしなに通った、回廊状の廊下を抜ける。大人の男性二人でようやく抱えられるほどに太い大理石の柱が、廊下の城側と中庭側に、交互に立てられていた。
午後の光に照らされた中庭では、噴水の作った細かい水の粒子が光に照らされて、小さな虹が出来ていた。まるきり、のどかな午後の美しい光景である。
では、背後から迫り来る化け物はいったい何なのか。あれは、住処の時間的領域でいうならば、間違いなく丑三つ時に属する存在のはずなのに!
あまりの理不尽さに、ジャスミンは舌打ちを一つ零した。
「どうだい、ここは。奇襲にはもってこいだぜ?」
ケリーが、人の体を隠してあまりある柱の列を見て、言った。
だが、ジャスミンは首を横に振った。
「後ろを見てみろ!あんな化け物相手に、豆鉄砲の奇襲が通用すると思うのか!」
ケリーは振り返った。そして、思わず頭が冷たくなるほどに、血の気が落ちていくのを感じた。
アーロンは、回廊の中央を、悠然と歩いているだけだ。
にもかかわらず、アーロンの目の前にある大理石の柱が、突然轟音を立てながら大きく変形した。とんでもない力でぐにゃりと曲がり、螺旋状に崩れ落ちている。まるで、柱の上下を怪力の巨人が握り、雑巾絞りを行ったような有様で。
それも、一本や二本ではない。アーロンが悠然と歩く度に、城全体を振るわしながら、柱が次々と無惨な様子になっていく。この分では、全ての柱が破壊されるのも時間の問題だろう。これでは柱の後ろにかくれんぼなど、出来ようはずが無い。
ケリーは、恐怖を通り越して唖然としてしまった。いくら特異能力者という存在そのものが常識外れなのだとはいえ、これはその常識外れを更に逸脱していると言わざるを得ない。
到底、人類に許された力ではなかった。
銀河を支配する大財閥の長として、あるいは未踏の宇宙を駆ける無頼漢として、長く生きたケリーも、こんな常識外れの人間は初めて見た。
「ひでえ冗談だ!あいつは本当に人間か!?」
「親の顔を見てみたいものだ!実は人間とラー一族の混血だとか言われたほうがしっくり来るぞ!」
ケリーとジャスミンは走って逃げた。そうすると、一時的にアーロンとの距離は稼げる。しかし、アーロンは悠然と歩いているように見えて、その歩調は意外なほどに早い。それほどの距離は稼げなかった。
回廊を抜け、再び薄暗い廊下に入る。
その時、突然立ち止まったジャスミンは、同じく立ち止まったケリーに、重たい金属の塊を手渡した。
「少しでいい。あの化け物の足止めを頼む」
手渡されたのは、フルオートの実弾式サブマシンガンとそのマガジンケース、そして少し大ぶりなグレネードランチャー用の薬莢であった。マシンガンの銃身下部にはアンダーバレル・グレネードランチャーが装着されている。制圧能力は、当然のことながらハンドガンの比ではない。
「1分だ。どれだけ頑張っても、それが限界だぜ」
「十分だ」
ジャスミンはそのまま廊下の向こうに走っていった。
ケリーは振り返り、後ろから近づいてくる法衣の男に、サブマシンガンの斉射を浴びせかけた。
盛大なマズルフラッシュと発射音、そして硝煙の臭いが狭い廊下に充満する。銃弾は、サブマシンガンの集弾性能を越える精度で、アーロンの体へと襲いかかる。
だが、やはりというべきか、全ての弾はアーロンの手前で静止し、その体にかすり傷一つ付けることは叶わなかった。
「こいつでどうだ!」
ケリーは、躊躇無くアンダーバレル・グレネードランチャーの引き金を引いた。ポンッと間の抜けた音が鳴り、白煙が辺りに立ちこめる。
放たれた擲弾は男のわずか手前の地面に命中し、盛大に爆発した。爆風が狭い廊下を走り抜け、ケリーの巨体ですらが後方へと倒れそうになった。
土煙が囂囂と立ちこめ、もはや視界はゼロに近い。息を吸えば多量の粉塵が肺に立ちこめ、思わず噎せ返ってしまう。
だがケリーは手を止めなかった。グレネードランチャーに次弾を込めて、おそらくは男がいるであろう方向に向けて次々と放った。
立て続けに起こる爆発と、その度に聞こえる、鼓膜を痛めるほどの爆音。時を置くほどに濃度を増す土煙は、もはや暴力的ですらあった。
それでもケリーは手を休めず、グレネードランチャーの弾を撃ち尽くすと、次にマシンガンを、マガジンが空になるまで撃ちまくった。空になったマガジンを新しいものに交換し、それも空にしてやった。義眼を外したケリーには命中しているかどうかの確認のしようなどないが、とにかく撃った。
そして、手持ちの弾薬の全てが空になってから、土煙の中を泳ぐようにして走り出した。無論、ジャスミンの走り去った方向にである。
ケリーは決して悲観主義者ではなかったが、だからといってこの程度の攻撃であの男を仕留められるとは決して思わなかった。それは、ウサギ狩りの罠で獅子を仕留められるのだと思い込むほど、危険な勘違いに他ならないことを知っていた。
大きく噎せ返りながら土煙の中を走ると、すぐにその濃度が劇的に薄まった。広い空間に出たのだと、ケリーは直感した。
「横に避けろ、海賊!」
突然の怒号である。それが女の喉から放たれたものだと、誰が信じるだろう。
この世で唯一それを信じられる男であろうケリーは、何を確認することもなく思い切り横に跳んだ。この女がそう言うからには、避けなければとんでもないことになるだけの何かをするつもりなのだ。
然り、何かが甲高い音を立てながら飛来する音を、ケリーは聞いた。土埃の中、回転するプロペラを纏った対戦車用特殊大型擲弾が宙を舞う姿を、ケリーは見た。
それも、一個や二個ではない。たくさんだ。
ああ、確かに、これは避けなければ死ぬな、うん。
感動的なまでに容赦のない女だ。だが、その容赦のなさが、こちらへの信頼ゆえにだと思えば可愛くもある。そして、そういう思考の出来ない男に、この女の旦那はつとまるまい。
ケリーは半笑いのまま床に倒れ伏せ、耳を塞いだ。
直後に、先ほどまで自分の立っていた場所から聞こえる、爆発音。
爆発音。
爆発音。
爆発音。
次々と、一撃で戦車をスクラップに変えてしまう規模の爆発が起こる。普通の人間であれば、一撃で十回は死ねる威力だ。
それが、絶え間なく。
携帯用グレネードランチャーから発射された擲弾とは、その威力を比べるべくも無い。
またしても凄まじい濃度の土煙が立ちこめ、ケリーとジャスミンのいるホール部分を埋め尽くした。
「何をしている!逃げるぞ、海賊!」
倒れたままだったケリーは、その腕をぐいと引かれて、強引に引きずり起こされた。身長2メートル弱、体重は100キロ近いケリーを片手で引き起こすジャスミンに、ケリーはあらためて奇異の視線を寄越した。
だが、いつもの無駄口を叩いていられる状況ではない。
「あれでも仕留めきれていないのか、女王!」
「わからん!しかし、お前の攻撃では傷一つついていなかった!あれで仕留めたと安心するのは早すぎる!だが、少なくともこれで時間は稼げるはずだ!」
ケリーは後ろを振り返った。先ほど自分達が通った通路の入り口は、大量の瓦礫に埋もれて完全にふさがっていた。あれを再び通れるようにするためには、重機の一つでも持ち込んで長い時間の作業をする必要があるだろう。
しかし、これだけの大騒ぎをしてしまったのだ。この城に残っていた数少ない警備兵も、さすがに異常に気が付いただろう。監視機能の全てをいまだダイアナが掌握しているとはいえ、自分達にとって不利な状況になったことに変わりはない。
「どうする!?このまま逃げるのか、女王!?」
赤毛を振り乱しながら振り返ったジャスミンは、金色に染まった瞳を激情で輝かせながら、言った。
「あいつは、いつでもわたしたちを仕留めることが出来た!その上で、好き放題をやらせていたのだ!要するに、わたしたちを弄んでいたのだぞ!よくぞやってくれたものだ!ここまで虚仮にされて、黙って引き下がれるか!」
ケリーは頷いた。まったくもってジャスミンの意見は正しいのだし、ジャスミンの方針も尚のこと正しい。
「あの男、絶対にこの場で仕留めてやる!」
◇
進むべき道行きを大量の瓦礫で塞がれてしまったアーロンは、思わず忍び笑いを漏らした。
「ふむ、なるほど。私を仕留めるのが目的ではなかったということですか。賢明な判断、さすがはジャスミン・クーアといったところでしょう」
これだけの瓦礫を除去しようとすれば、いくら常識外れの特異能力を誇るアーロンでも、流石に骨が折れる。ここは二人の思惑に乗ってやって、違う通路からの追跡を試みるべきだろう。
唯一の懸念は、二人がこのまま城から脱出してしまうことだったが、アーロンの死んだ魚のように濁った瞳には、二人分の真っ赤に燃え上がった魂を見て取っていた。二人の戦意は燃えさかっており、それはアーロンを物言わぬ死体に変えるまで燃え続けるに違いない。
何も心配は無いのだ。彼らは、自分が自分であるために、このアーロン・レイノルズに挑み続けるだろう。
そして、敗北する。今の自分に勝てる人間など、この世には存在しない。
アーロンは、法衣の奥の枯れた相貌に、暗い笑みを浮かべた。
来た道を引き返し、しばらくの間歩くと、前方から人の近づいてくる足音が聞こえた。それも、一人や二人ではない、足音だ。
「閣下!ご無事でしたか!」
やがて廊下の角から姿を見せた軍服姿の男が、大仰な声で言った。
そこにいたのは、この城の防御を司る責任者である、軍人の男であった。名前は……忘れてしまった。
その男を先頭にして、油断無く銃を構えた分隊規模の兵士が続いていた。いずれの兵士の表情にも、突然の事態に狼狽えた様子は寸分もない。凛々しく引き締まった視線は、日頃の厳しい訓練に耐え抜いた自分たちへの自信と信頼に充ち満ちていた。
「閣下、申し訳ございません。我らの不手際で、この城に不逞のテロリストどもの侵入を許してしまったようです。お叱りは後ほど頂戴しますゆえ、どうか安全な場所まで避難していただきますよう、よろしくお願いします。無論、我らがご案内いたしますので」
中年の、がっしりした体格の軍人を前にして、アーロンは微笑んだ。
「叱るなどとんでもない。君たちは、精一杯にその職務を果たしてくれている。それは正しく尊敬に値することだ。その君たちを、どうして私のように安全なところから指示だけを下す人間が、叱責することが出来るだろうか」
「閣下……」
中年の軍人の瞳が、感激の涙で薄く濡れだした。
巨躯の軍人を前にしながら、しかしアーロンは表情を歪め、心底弱ったような様子で続けた。
「ただ、一つだけ問題があってね。私は、この城に大事な忘れ物をしてしまったのだ。今も、それを回収に行く途中だったのだよ。そうだ、君たちも手伝ってくれると嬉しいのだがね」
軍人は首を横に振った。
「残念ですが閣下、それは後回しにしていただきます。現在、この城の警備システムは原因不明の動作不良を起こしており、どこにテロリストどもが潜伏しているか、全く掴めておりません。このような状況では、一秒でも早くこの城を脱出するのが一番大事。その忘れ物がどれほど大事であっても、閣下のお命とは比べるべくもございません」
一徹者の軍人は、国家の大重鎮に対して、正面からそう言い切った。立派な軍人、立派な部下の定義が、目上の人間であってもその誤りを見過ごさない人物であるとするならば、この男は正しく立派な軍人であり部下であった。
あまりにきっぱりと自分の意見を否定されたアーロンは、困ったように眉を顰め、
「君の言いたいことは重々承知なのだよ。しかし、忘れ物というのが、本当に大事なものなんだ。私が、大統領などという過分な職務を得る前から探し求めていた、本当に大切なものなんだ。だから、どうか見過ごしてはくれないだろうか?」
「いけません。あまりご無理を言われるならば、例えこの階級章を肩から外すことになっても、引きずってお連れいたしますぞ」
「どうしても、これだけ言っても駄目なのか?」
「どうしても駄目です!」
軍人は、大統領ですら威圧するように胸を張りながら、びしりと言い切った。
アーロンは、しゅんと項垂れてしまった。
「そうか、では仕方ないな」
軍人は、控えめに道を指し示した。
「ではこちらに。前後は我らで警備いたしますので……」
「本当に勿体ない。君たちは、これほど有能で忠実な軍人だというのに、残念な限りだよ」
その瞬間、兵士の一人の首から、奇妙な音が鳴り響いた。
ぽきり、と、枯れ木の枝をへし折ったような、軽い音。
その場にいた全員の視線が、音の源に集中する。それは、音を鳴らした兵士自身も同じだった。
どうして自分の体から、突然こんな音がなるのか。日頃の訓練で疲労が溜まり、関節が音を立てたのだろうか。
それにしてもおかしい。どうして自分は、いきなり後ろを向いているのだろう。背嚢から突き出た通信アンテナの先が、どうして目の前にあるのだろう。
あれ、これはおかしいぞ。後ろを向いているのではない。背嚢が、体の前面に付けられているのだ。
自分はいつの間に、こんな間の抜けた格好をしていたのだろうか。大統領の居宅をテロリストが襲撃するという、前代未聞の大事件の最中にこの格好では、鬼のバスク大佐に、殴られるでは済まないような叱責をもらうに違いない。
兵士は、慌てて背嚢を下ろそうとした。だが、その作業が上手くいかない。腕を背嚢の肩ベルトから引き抜こうとしたのだが、これが上手くいかないのだ。腕が、自分の意識したのとは反対に動いてしまう。動作が、面白いほどちぐはぐになる。
あれ、あれ。おかしいぞ。おかしいぞ。でも、急がなくては。急いでこの背嚢を下ろして、背中に担ぎ直さなくては。
あたふたしていた兵士の視線が、ふと、今一番怖い人間である、バスク大佐の、呆気に取られた視線とぶつかった。
ああ、駄目だ。怒られる。
「すみません、大佐、すぐに直します……」
兵士は、そう言おうとした。だが兵士の言葉は、ごぼごぼと口から溢れる大量の血液に邪魔されて、濁り、変質し、誰にも正確に聞き取ることが出来なかった。
首を前後反対にした兵士は、顔と背中の両方をバスク大佐の方に向けたまま、濁った言葉で何事かを呟いて、ゆっくりと後ろに倒れていった。
体は俯せに倒れているのに、顔と首だけは、色を失った瞳で天井を見上げていた。芯の折れた首の肉が、奇妙な様子で捩れていた。
誰も、何も言わなかった。敵襲かと、銃を構えることもなかった。あまりに現実感の乏しい光景が、この場にいた、加害者以外の全ての人間から、意識を奪っていた。
「ああ、本当に残念だ。素直に私の手伝いをしてくれていれば、こんなことにはならなかったのになぁ」
アーロンが、倒れた兵士の脇にしゃがみこみ、見開かれたままの瞼を下ろしてやった。
そして、いまだ事態を飲み込めない他の兵士に掌を向けて、
「きみも、悪いなぁ。本当に、申し訳ない」
次の瞬間、掌を向けられた兵士の体が、大きく後方に吹き飛び、城全体を揺るがすような轟音を立てて壁に衝突した。
憐れな兵士は、やはり何が起こったか分からぬまま、大きく目を開き、息絶えていた。
ずるずると壁からずり落ちた兵士の残骸。彼が衝突した石壁には、人のかたちをした大きな窪みと、血肉で描かれた真っ赤なタペストリーが残されていた。
「ああ、本当に、申し訳ない、申し訳ない」
アーロンは、ぱちりと指を鳴らした。
その瞬間、呆然と立ち尽くしていた兵士数人の全身が、燃えさかる業火に包まれた。
「う、うわあぁぁ!?」
「はひいぃぃ!」
「な、なんだ、どうして火が、火がっ!?」
「け、けしてくれ、たのむ、はやくけしてくれぇぇ!」
絶叫。じゅうじゅうと、脂の焦げる音。髪の毛と肉が焼ける、ヴェロニカ教徒には馴染みのない臭気。
人が、生きながら焼かれていた。炎を纏って暴れ回り、転げ回り、苦悶に身を捩り、喉を掻きむしり、最後に動かなくなった。人のかたちをした、大きな松明と化した。
目の前で次々と息絶えていく戦友達を、彼らは、身動ぎもせずに見守っていた。あまりに突拍子もない死に様に、既に意識が追いついていなかった。
その中でただ一人、バスク大佐だけは、遅まきながら、次々と部下を惨殺しているのが、アーロン・レイノルズ大統領であると気が付いた。無論、どうやって殺しているのかは分からないのだが。
「な、何をしておいでなのですか、閣下!忠実なヴェロニカ軍人を、あなたの部下を!」
「何とは……きみも、おかしなことを聞くものだ。だって仕方ないではないか。私は、忘れ物を回収に行きたいのに、君たちはそれを阻止するというのだ。なら、方法は一つだろう?」
アーロンは、大きく掌を開き、それを閉じる動作をした。
「君たちに、この世を去ってもらうしかない」
「えぎゅぅぅうぅ……」
その掌を向けられた先の兵士が、奇妙な声を上げながら、小さく丸められていた。
全身をあり得ない角度で折りたたまれ、体のあちこちから血を吹き出し、ぴくぴくと痙攣しながら丸まったその姿は、人のかたちを残した肉団子だった。全身の関節をへし折られ、小さく丸められてしまった人間は、そのままスーツケースに入れて持ち運べそうな様子だった。
「私もね、悲しいのだよ。それを分かってくれたまえ、ええっと、……きみの名前は何と言ったかな?」
紫紺の法衣に身を包んだ老人は、まるで、古代の世界において大いなる邪神に魂を捧げた、邪悪な老魔術師のようであった。
ならば自分達の肉と魂は、その邪神に捧げられる供物でしかないのではないだろうか。
「う、うわあぁぁぁっ!」
本能的な恐怖に突き動かされて、バスコ大佐は、腰に備え付けたホルスターから愛用の拳銃を抜き放った。
◇
兵士達が次々と物言わぬ肉塊に変えられていく様子を、恐るべき早業で司令室を乗っ取ったケリーとジャスミンは、監視カメラの映像を通して見守っていた。
「ひでぇ……」
大型スクリーンの前に腰掛けたケリーが、ぼつりと溢した。幾多の死体に見飽きたケリーをして辟易とさせるほど、気の毒な兵士達の死に方の悉くが、人間としての尊厳を失ったものであった。
ケリーは、喉の奥からこみ上げてくる吐き気と戦っていた。兵士のグロテスクな死に様に動揺したのではない。圧倒的な力を持つ強者が、逃げ惑う弱者を蹂躙する様子の醜さにこそ、ケリーは吐き気を覚えていたのだ。
『サイコキネシス、テレキネシスにパイロキネシス。貴方たちとの戦いを見ていると、一種のクレヤボヤンスも使えるみたいね。これほど多彩な超能力を、これほどの出力で使いこなす能力者なんて、過去のどの実験記録にも残されていないわよ』
ダイアナが、冷静な調子で説明した。
ケリーの隣に立ったジャスミンも頷いた。
「わたしは仕事柄、色々な立場の人間とのコネクションには事欠かなかった。その中に、特異能力者を自称する人間も多くいた。そのほとんどは二流三流の山師に過ぎなかったが、中には本物もいて、その能力に度肝を抜かれもした。だが、これほどまでに桁を外れた能力者など、ついぞお目にかかることはなかったぞ」
「力を解放した黄金狼や天使は別格だがよ、それにしたってこの男は怪物だ。こんな化け物と正面から戦うのは、どうにかして遠慮したいところだぜ」
ケリーが、額にぽつぽつと浮いた冷や汗を手の甲で拭った。
カメラの先で、最後まで生き残った隊長格の兵士──大佐の階級章を肩に付けた男だ──が、ささやかな、そして最後の抵抗を試みていたが、アーロンの歯牙にもかからなかった。打ち込まれたハンドガンの弾は、悉く宙に静止し、一つとして大統領の痩せた体には届かなかった。
兵士は壁際に追い詰められた。アーロンが、無慈悲な様子で、兵士に向けて手を伸ばした。
『く、来るな、来るんじゃない、あっちへ行け、この化け物め!』
兵士は破れかぶれの有様で、弾を撃ち尽くした拳銃を放り投げた。黒光りした鉄の塊は、しかしアーロンの顔の前で運動エネルギーの全てを奪われ、重力に従って垂直に落ちた。
いよいよ追い詰められた兵士が、懐から何かを取り出し、苦し紛れに投げつけた。
掌にすっぽり収まるほどの直方体の物体は、大統領の胸にこつんと命中し、軽い音を立てて地に落ちた。
まだ封の切られていない、煙草の箱だった。
アーロンは、地に落ちた煙草の箱を呆気にとられたように眺め、それからくすくすと笑った。
『……人間、追い詰められると色々と面白いことをするものだね。まさか、煙草のケースでわたしを倒せるとでも思ったのか?』
アーロンは、顔面蒼白になった兵士に掌をかざした。
次の瞬間、ぱんっ、と、水風船の割れるような音がして、兵士の頭が内部から吹き飛ばされていた。
血と肉と脳漿が飛び散り、アーロンの顔と紫紺の法衣を汚した。首から上を無くした兵士の体が、噴水のような血液を断続的に吹き上げて、やがてゆっくりと倒れていった。
アーロンは、鮮血に塗れた顔をぐいと拭い、それからカメラに視線を向けて、楽しそうに口を開いた。
『さぁ、そろそろそちらへ参りますよ、お二方。どうぞ、精一杯あがいてください。私は、その姿を心から応援しますゆえ……』
ぶつりと、監視カメラの映像が途切れた。
「くそったれが!」
ジャスミンが、コンソールを思い切りに殴りつけた。
遊んでいる。あの男にとって、自分達は、狩りの獲物なのだ。いや、獲物ですらない。幼児が捕まえた虫けらの脚を千切って遊ぶように、自分達の苦しむ様子を見て楽しんでいやがる。
ジャスミンはかつて様々な場所で戦ってきた。幼き日は病院で。成長してからは、軍隊で、宇宙で、社交界で。その全ての戦いはジャスミンにとって心休まるものではなかったが、それにしてもこれほどの屈辱を受けたことはない。
ジャスミンの象徴でもある金色の瞳が危険水域を遙かに超える怒気に染まり、あまりの怒りに赤毛が逆立つようだった。
「おいおい、ちょっとは落ち着けよ、女王」
「わたしは落ち着いている!」
「落ち着いているあんたが、そんなふうに声を荒げたためしが、今までにあったか?」
ジャスミンは、思わず、自分の夫の顔をまじまじと見返した。
そこには、凪いだ海のように平静の、琥珀色の瞳があった。
ジャスミンは、吐き出しかけた罵声を飲み込み、目を閉じて、深い息を吐いた。
「……すまん、言葉が正確ではなかった。つい今しがた、落ち着いたところだ」
「ああ。そういう切り替えの早さが、あんたの長所だな」
「茶化すな。しかし海賊、状況は最悪だぞ。わたしは正直、あの男には勝てる気がしない。少なくとも、今の状況ではだ。ならば、尻尾を巻いて逃げ出すのも一つの手だと思う」
ジャスミンの瞳は金色の輝きを放ち続けており、彼女の激情が本当の意味で収まっていないことをケリーに教えた。そんな状態でも、逃げるという最も屈辱的な選択肢を提示できるあたり、何度も死線をくぐり抜けた熟練の戦士の面目躍如といったところか。
それにしても、何とも彼女らしい、飾り気の『か』の字も無い言い方だ。普通の軍人ならば、こういうときは撤退とか転進とか、オブラードに包んだ言葉を選ぶものではないか。そう思い、ケリーは片頬だけを歪めて笑った。
「あんたの言うとおりだが、女王、このまま逃げるのも業腹だ。少しだけ悪あがきをしてみようじゃねえか」
「それは、いったいどんな?」
ケリーは、その細い顎に手を当てて、少し考え込んだ。
「……まず、あの男の目的ははっきりしている。俺たちを捕まえて、50年後の世界に送り込むことだ。だが、それにしちゃあ手段が妙だぜ。あれだけのテレキネシスやらサイコキネシスやらがあれば、さっきの銃撃戦で俺たちを捕まえるのは難しくなかったはずだ。違うか?」
ジャスミンは頷くことで同意を示した。
「違わない。少なくとも、もしもわたしがあの男と同じ立場だったら、あの瞬間にわたし達を捕らえていた自信がある」
「じゃあ、どうしてあの男はそれをしなかった?やっこさんが致命的な間抜けだっていう可能性を除けば、どういうふうに考えられる?」
『多分、貴方たちを屈服させるつもりなんだわ』
画面に、船員服を纏った、魅力的な女性が映し出された。
ケリーの相棒、宇宙船《パラス・アテナ》の感応頭脳、ダイアナ・イレブンスその人であった。
『よく動物の調教で行われる手法よ。聞き分けのない動物に対して、飼い主には何をどうやったって、全ての面において敵わないんだということを、何度も何度も、それこそ骨身に染みいるまで経験させる。そうすると、どんな反抗的な動物だって、飼い主が自分の上に立つ生き物だということが分かる。そうした動物は、物わかりの良い、従順なペットになる……』
「ほう、それはそれは、ずいぶんと高い喧嘩を売りつけてくれたものだな……!」
ジャスミンの声が、あまりの怒りに細かく震えていた。
辛うじて笑みを浮かべたその表情も、尋常ではない危険で満たされている。口元の刻まれた笑い皺の深さが、彼女の危険度と正比例をしているようだ。もしも目の前に真っ赤な林檎があれば、それをあの男の顔に見立てて思い切りに握りつぶしていたであろう表情だった。
だがケリーは、如何にも平然とした調子で、
「へぇ、そいつは何とも有り難い話だな。あの辛気くさい男にも気前の良いところがあるじゃねえか。助かるぜ」
「海賊!」
「要するに、結局のところあいつは俺たちを傷つけることが出来ない。少なくとも、殺すことは出来ない。俺たちがどんな無茶をしでかしても。そういうことだろう?」
背もたれを倒したケリーが、悪戯げな表情を作ってジャスミンを見上げた。
ジャスミンは一瞬目を丸くして、諦めたような笑みで頷いた。
「……そういうことだな、海賊。これは、紛れもなくわたし達のアドバンテージだ」
「あいつが、俺たちの手の内の全てを受け止めるつもりなら好都合だ。考えられる全ての作戦であの男を攻撃してやる。それで手も足も出ないってんなら、それこそ仕方がねえさ。あいつの隣で50年間の昼寝としゃれこもうや。目が覚めたら、今度は曾孫や玄孫とご対面だ。それはそれで面白い人生なんじゃねえか?」
「全力で御免被る。あの男と同衾したいなら、一人でやってくれ。わたしはその前に逃げ出すからな」
「おお、冷てえこった。自分の旦那がしわくちゃ爺に寝取られそうになってるのに、見捨てて逃げ出すのかい?それは妻の風上にも置けない女のすることだぜ?」
「知っていたか海賊、その台詞を口にする資格があるのは、少なくとも夫の風上くらいには何とか置ける男だけなんだぞ」
「俺は、押しも押されぬお手本通りの立派な旦那様だろう?」
「よく言う。わたしはお前と結婚して以来、わたし以外の女の隣で眠るお前を想像して何度枕を涙で濡らしたか。この悪夫め。過去の悪行の数々を、胸に手を当てて思い出すがいい」
少しだけにらみ合った後で、ケリーとジャスミンは同時に笑った。ダイアナは、一人、この変わり者夫婦のやり取りを、溜息混じりに眺めていた。
『お二人さん、惚気るのもいいけど、状況を考えてよね。あなた達だけ眠っちゃって、わたし一人、50年も宇宙を漂っているのは嫌よ。そんなことになったら、本当に浮気しちゃうんだから。そうだ、あなたたちのお孫さん。あの子も宇宙船乗りを目指してるのよね。あの子が成長した暁には、モーションかけちゃおっかなぁ』
艶やかな唇に人差し指を添えながら、妖艶な仕草で言った。
ケリーは大いに慌てて、がばりと体を起こした。
「ちょっと待てよダイアン。それは駄目だ。それは困る。50年経って起きてみたら、愛船が孫に靡いてましたじゃあ、海賊の端くれとして浮かぶ瀬も立つ瀬もあったもんじゃねえぞ」
この言葉を聞いたジャスミンが、ケリーに恨みがましい視線を送った。
「わたしの浮気は見過ごすのに、ダイアナの浮気は困るのか。つれないじゃないか海賊。これでは本気で嫉妬を覚えてしまうな」
「いや、そういうわけじゃなくてだな女王。っていうか、全部分かってて言ってるだろう、あんた」
ケリーがやはり恨みがましい目でジャスミンを睨み付けるあたりまでが、この三人にとっての限界だった。
今度は風変わりな感応頭脳も一緒に、腹を抱えて笑った。
「どうにも緊張感がねえな」
『ええ、いつも通りに、ね』
「これくらいがちょうど良い塩梅さ。さぁ、海賊。冗談は抜きにして、あの男を倒す方策があるのか。全く可能性がゼロなら、さっさと逃げよう。その方が生産的というものだぞ」
「ないことはない。少し耳を貸してくれるかい?」
◇
二人がアーロンを迎え撃ったのは、この城で一番面積の広い、大広間であった。別に、特別な意図があったわけではない。その部屋が単純に、アーロンと、ケリーとジャスミンの二人との、ほぼ中間に位置していただけの話だ。
アーロンが、やはり悠然とした歩調で部屋に立ち入る。
その部屋は少し変わった造りになっており、いくつもの出入り口があった。そのいくつかは直接階段と繋がっており、上部階や下部階に用事があるときは、この広間を通り抜けると便利なのだ。
大広間というよりも、廊下を極端に大きく広げたスペースと言った方が正確かも知れない。
いわば、この城の中心である。
その部屋の、アーロンとは正反対の入り口に、一組の男女が立っていた。部屋の左端と右端、そこに立った太い柱に寄り添うようにして、距離を開けた状態で一人一人、立っていた。
右にいるのが、燃えるような赤毛の女。
左にいるのが、良く磨かれた黒髪の男。
ともに、溢れんばかりの覇気と闘志でその巨躯を満たしている。内側に満ちたものの圧力で、今にも体が弾けてしまいそうな有様だ。
その立ち姿を見ただけで、分かってしまう。この二人は、普通の人間に用意されたのとはひと味もふた味も違う星のもとに生まれ育ったのだと。
アーロンは、その二人を、なんとも眩しげな視線で見遣った。
「さて、ずいぶんとお待たせしてしまったようで申し訳ありません。しかし、そろそろ日も暮れようかという時間帯。鬼ごっこで遊ぶのは止めにしましょうか」
「ああ、その意見には全面的に賛成だぜ」
「無論、終わり方にもよるがな」
アーロンは頷いた。
「賢明なるお二方のこと。既に私の意図するところなどお見通しでしょう。おそらくはさぞご不快な思いをさせてしまったと愚考いたしますが、それもこれもお二人のためをお思えばこそ。どうかご容赦頂きたい」
「貴様は、貴様の望むことを為すために、貴様の考えられ得る最善の方法を選んでいるだけだろう。わたし達は、わたし達の望むことを為すために、わたし達の考えられ得る最善の方法を選ぶ。それだけの話だ。別に、謝って頂く筋合いはないな、アーロン・レイノルズ大統領」
「恐れ入りますミズ・クーア。そう言って頂けると肩の荷のいくつかが降りる思いです。非常に有り難い。しかし、そこには重大な問題がありますぞ。もしも、わたしの為すべき事と、あなた方の為すべき事の間に大きな齟齬があり、どうしてもその溝を埋めることが出来ないときは、どのようにして摺り合わせることが出来るでしょうか?」
ジャスミンは、うっすらと笑った。
「単純だ。おそらく、この宇宙が始まって以来、ありとあらゆる場面で適用されてきた、最もシンプルな手段があるじゃないか」
「ほう、それは?」
大量の返り血に、鮮やかな紫紺からどす黒い暗紅へと色を変えた法衣を纏った男は、楽しげに聞き返した。
ジャスミンは、はっきりと、何の臆面もなく言った。
「決まっている。腕尽くで、相手に言うことを聞かせればいい」
言葉と同時に手にしたスイッチを押し、即座に柱の影に身を隠した。
次の瞬間、部屋の各所で爆発が起きた。
巧みにカモフラージュされた、指向性対人地雷の炸裂した音だった。
地雷の内部に仕込まれた高性能爆薬の生み出したエネルギーにより、1000発を越える、直径1ミリほどの鉄球が打ち出された。それらは秒速1000メートルを超える運動エネルギーを得た小さな殺戮者である。人の肉を容易く突き破り、跡形もなく人体を破壊する。
その地雷が、同時に四機。最有効加害範囲を、今正しくアーロンの立っている場所に設定した状態で、爆発したのだ。
襲い来る鉄球の数、4000発以上。普通ならば、人のかたちすら残らず、ずたずたのボロ雑巾のようになった肉の残骸だけが残されるだろう。
轟音が鳴り響き、石壁に、男に命中しなかった小さな鉄球が撃ち込まれた。城全体が、衝撃に揺れた。いくつかの弾が跳弾を繰り返し、硬質な音を何度も奏でた。
それでも、その男は無傷であった。自分の立っている場所を中心として、高さ3メートル直径2メートルほどの円筒形の空間に無数の鉄球を浮遊させて、その中心で微笑んでいた。
「まさか、これが策の全てだというわけではありますまい!さぁ、姿をお見せなさい!」
アーロンは、二人が隠れた柱を破壊した。ぐしゃりと、大理石の巨大な柱が、見えない巨人の手に握りつぶされたように圧縮され、悲鳴を上げ、折れ砕けた。
濛々とした砂煙、その後ろに、果たして二人は立っていた。
しかし、素手ではない。傍らに、とんでもなく巨大な鉄の塊を従えている。
アーロンは、一瞬目を疑った。いったい、この短時間で、それをどこから調達してきたというのか。
「さぁ、大統領。招かれざる客である我らをもてなすために、大統領御自らにこんなところまでお越し頂いたのだ。我らも、あなたのご厚情に応えるため、それなりの手土産は用意した。とことん、骨の髄まで味わってもらおうか」
二人が握っているのは、鋼鉄製の三脚により地面に固定された、地対空重機関砲の銃把だった。
巨躯を誇る怪獣夫婦の体でさえ小さく見えるほどの巨大な重機関砲である。いくら人並み外れた膂力を誇る二人でも、到底持ち上げて構えられるものではない。
その、非現実的な銃器の怪物が、同時に咆えた。
爆撃音と紛うほどの強烈な射撃音と共に、直径2センチを越える巨大な銃弾が螺旋状に空気を切り裂いて、大統領に襲いかかった。
一発で、頑丈な軍用装甲車のエンジンをぶち抜く化け物ライフルである。威力は、今まで二人が攻撃に使ってきた拳銃や軽機関銃とは桁が違う。この城の外壁ですらを容易く貫通するだろう、古代の破城槌を凌ぐ威力の銃弾なのだ。
アーロンも、これには流石に平静でいられなかった。
手を顔の前にかざし、特異能力の全てを防御に集中させた。
「ぬぅん!」
二人には、アーロンの目の前の空間が、何か目に見えない強烈な力で圧縮されたように見えた。空間そのものがぐにゃりと歪み、その先にあるアーロンの姿が、奇妙に捻れて見える。
そして、銃弾と空間が衝突した。
人間の作り出した暴力の結晶と、人間が憧れ続けたお伽噺の異能との、正面対決である。
拳銃や軽機関銃の弾丸程度であれば容易く静止させる濃密な力場に、重機関砲の巨大な弾丸が突き刺さった。
唸りを上げて回転し、力場の先にいるアーロンの胴体を突き破ろうと、少しずつ前進していく弾丸。だが、それを許すまいと、アーロンは力場に込めるエネルギーをどんどん加重していく。
アーロンは必死の形相だった。今まで余裕と共に二人をいたぶっていた、済ました表情はどこにもない。死んだ魚の瞳を血走らせて、汗を垂れ落としながら、迫り来る銃弾と必死に戦っている。
それでも、費やした時間はそれほどのものではなかった。
数秒の、生死をかけた鍔競り合いの結末は、異能の勝利であった。運動エネルギーの全てを使い果たした親指ほどの金属の塊が垂直に落下し、床とぶつかって重たい音を立てた。
アーロンは、その痩せた肩を大きく上下させて、息を継いでいた。
「……まったくもって驚嘆に値するな、あなたの異能は。同じ人の身として尊敬するぞ、そのひん曲がった頭の回路は別にしてな」
ジャスミンは、呆気に取られたような声で呟いた。
「しかし、状況が状況だ。あなたには悪いが、この城の武器庫に置かれていた全ての武器が果たしてあなたの異能に対して有効たり得るか、その実験に付き合って頂くとしよう!」
二人の握った重機関砲が、再び火を噴いた。
今度は単発ではない。機関銃の名に恥じぬ連続斉射である。
銃弾が吐き出される度に、強烈な発射ガスが吹き出し、巨大な空薬莢が石床を叩いた。機関銃があまりの反動に跳ね上がり、二人はそれを押さえ込むのに一方ならぬ労力を費やした。
それでも、発射された銃弾を受け止めるアーロンは、二人とは比べものにならないほどの労を強いられることになった。
次々と襲い来るのは、一撃でも止め損なえばアーロンを体丸ごと吹き飛ばす鉄の塊である。
アーロンは、流石に、全ての弾丸を受け止めることを諦めた。出来うる限りの弾丸の角度を変え、後方へと受け流す。どうしても角度を変えられない弾丸のみ、正面から受け止めた。
とばっちりを受けたかたちの、アーロンの後方の壁が、いとも容易く形を変え、やがて崩れ落ちた。このまま撃ち続ければ、いずれ城そのものが崩壊するのではないかと思われるほどの銃撃だった。
ジャスミンは、それでも顔色を変えず、機関砲を撃ち続けた。
だがケリーは早々に銃把を離し、後方に積んであった銃器の山から肩打ち式の簡易ロケットランチャーを引っ張り出して、アーロンに向けて打ち出した。
広大な部屋の片隅から、反対方向の片隅に向けて、ロケット弾がすっ飛んでいく。
着弾。爆発。爆風がジャスミンとケリーの顔を叩いたが、それでも攻撃の手は休めなかった。
ケリーは空になった砲を投げ捨て、次の砲を引っ張り出し、再び撃った。
やがて天井が崩落し始めた。床が崩れ、部屋の半ばまでが完全に瓦礫の山と化した。
それでも二人は、淡々とした様子で撃ち続けた。
これは、我慢比べである。
アーロンが、どれほどの威力を誇る武器であっても人間の構えられる武器程度では倒しきれない存在なのだと、二人は悟っていた。だからこそ、城の武器庫を漁り、ありったけの重火器を用意したのだ。その全てを味わってもらわないと、多額の軍費を税金で支払った、納税者の方々に申し訳が立たないというものではないか。
崩れた天井や石壁がもの凄い量の土煙を巻き起こし、すでにアーロンの姿は見えない。それでも、そこにあの男がいることだけは確かだった。ちりちりとしたうなじの毛の感覚が、ジャスミンとケリーにそれを教えていた。
要するに、まだまだ死んでいない。耐え凌いでいる。
ならば、こちらもまだだ。まだまだだ。
ジャスミンとケリーは、手が痺れて感覚がなくなるまで撃った。撃って撃って撃ちまくった。
そして、弾薬が底をついた。
静寂が部屋を満たした。今までの暴力的な騒音とは真逆の、耳が痛くなるほどの静寂だ。
重機関砲の銃身は焼けて、凄まじい高熱を放っていた。この様子では、しっかりとオーバーホールをしてやらないと、使い物にならないだろう。
肩で息をしたジャスミンは、正面の、煙の塊のようになった空間を睨み付けていた。
「もう、お終いですかな?」
その声は、二人にとっての絶望を孕んでいた。
あれだけの火力による一斉射撃を、この男は、正面から凌いでみせたのだ。
ぱちりと、指が鳴らされた。その瞬間に強烈な風が吹き、煙の全てがどこか別の場所に運ばれていった。
そして、煙が晴れた、その空間に、アーロンはいた。
すでに、天井は無い。壁も破壊されて跡形もない。そして、床でさえが姿を消している。
アーロンは、浮かんでいた。空中に浮かび、ずたずたになった法衣を纏って、くたくたになったジャスミンとケリーを、笑顔と共に見ていたのだ。
背後に、暮れなずむ夕日が見える。その斜光を背負いつつ、アーロンは笑っていた。
「まさか、一人の人間を相手取るに、ここまでの火力を用意してくるとは思いませんでしたよ。力押しも可能性の一つとは考えていましたが、これほどに徹底されるとは予想外でした。流石に、冷や汗を掻かされた……」
事実、アーロンの額には、一筋の白髪が汗によって張り付いていた。
アーロンは、それを煩わしげに掻き上げた。
「さぁ、次の手は何ですか?まさか、これで終わりというわけではないでしょう?」
宙を歩き、やがて無事な床に足を下ろしたアーロンが、こつりこつりと規則正しい足音を立てて二人に近づいていく。
だが、ジャスミンとケリーは、ちっとも動かなかった。空になった機関砲の銃把から手を離し、がっくりと項垂れたまま立ち尽くしていた。
「なるほど、これで手仕舞いですか。よろしい、人間は諦めが肝心です。しかし、それほど落ち込むこともない。別に、あなた方の人生がここで終わるというわけではないのです。ただ、あなた方の時間軸と世界の時間軸が、50年ほどずれるだけの話。特にミズ・クーア、あなたなどは一度、その経験をされているはずですな。であれば、それが二度に増えるだけの話ではありませんか。それほど落ち込むほどのことでもありますまい」
アーロンは、慰めるような調子で言った。
ジャスミンが、悔しげに歯を軋らせた。
「……貴様などに、わたしの気持ちが分かってたまるものか。50年だぞ。赤子だと思っていた我が子が、いつの間にか人の親になり、自分よりも年老いているんだ。親交の深かった人達は、ほとんどが手の届かない世界へと旅立っている。生き残っている人間も、自分の歯では物を噛めない老人ばかり。残されたのはわたしだけだ。どうだ、これでも落ち込むほどのことがないと言えるのか」
ジャスミンの言葉を聞いて、アーロンは残念そうに首を振った。
「お気持ちは、痛いほどに分かります。しかしこればかりはどうしようもないこと。どうか、ご自身の宿命とお諦め下さい」
アーロンは、丁重な様子で頭を下げた。
だが、ジャスミンは、アーロンの姿など見てはいなかった。俯き加減のまま、悔しげに手を握りしめて、立ち尽くしていた。
「……わたしのことはいい。わたしは、確かに一度、世界から忘れられた人間だ。周りの人間が私と違う時間を生きていくのにも、慣れている。だが、夫は、初めてなんだ。それに、目を覚ました瞬間に、またしても血生臭い争いの中に叩き込まれるだと?冗談ではないぞ」
虚ろな表情のジャスミンが、まるで何か悪いものに取り憑かれたかの様子で、ぶつぶつと呟いた。
これには、アーロンだけでなく、ケリーも奇異の視線を寄越していた。
「女王……あんた、いったい何を言っている?」
「そうだ。そんなことを許してはいけないんだ。もう二度と、お前が、あんな重たい罪業を背負うなんて、わたしは耐えられない」
ケリーの方を見たジャスミンの顔は、微笑んでいた。赤い斜陽に照らし出されたその顔は、どこまでも透き通っていて、触れれば割れる、薄っぺらなガラスのようだった。
「海賊。お前は、もしもお前の目の前で、お前の昔なじみと同じ顔をした人間が不毛な殺し合いを強制されていた時、それが許せるか?」
ケリーは、ジャスミンが何を言っているか、分からなかった。今、どうしてそんなことを聞くのか。
ただ、正直には答えた。
「その時になってみないと分からねぇよ」
「そうか」
ジャスミンは、脆い笑みのまま、頷いた。
「なぁ、海賊。わたしはきっと、お前を、この宇宙で二番目によく知っている女だ。だから、分かる。お前はやるよ。絶対にやる。お前の誇りに泥を塗った人間を、お前は絶対に許さないだろう。そしてわたしは、わたしの夫が、数億人の人間を再び殺すなんて、耐えられないんだ。だから──」
ジャスミンは、腰に備え付けたホルスターから、拳銃を抜いた。今まで、散々に撃ちまくった重機関銃からすれば、まるで玩具のように見える、普通の拳銃だ。
その照準を、ケリーの胸の中央に合わせた。流れるような自然な動作で。誰しもが不審を覚えられないほど、当たり前の有様で。
そして、言った。
「だから、すまない、海賊」
拳銃から放たれた光線が、ケリーの左胸に突き刺さった。
ケリーは、自分に何が起きたのか、妻が自分に対して何をしたのか、全てが分からないという表情を浮かべたまま、ゆっくりと倒れた。事実、ケリーには全く分からなかった。どうして自分が、ジャスミンに殺されなければならないのかを。
全てに疑問符をつけたまま、遠ざかる意識を必死になって繋ぎ止めようと足掻いた。