懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第七十話:そして少年は前を向く

「おれの名前はリィだ。お前の名前はインユェ。それで間違いないな?」

 

 金色の獣は──リィは、あまりに素っ気なく言った。そこに、自分が修羅場にいるのだという気負いは存在しない。何故なら彼は、こういう場所で生きるべく定められた生き物なのだから。

 

「背伸びするのもいいけどさ、大人に頼れるのは子供だけの特権だぞ。今のうちに使わないでいつ使うんだよ、お前」

 

 溜息を吐き出すような調子でそんなことを言う。

 リィの言葉に、インユェはかちんとした。それが場違いな怒りだとは理解していたが、どうにも我慢出来なかった。

 

「なんだとこのチビ!誰が子供だ!?」

「お前だよ、インユェ。自分の力も弁えずに騒ぎを起こして、結果的に女の子を一人危険に晒している。十分過ぎるくらいに子供の仕業だ」

 

 はっきりと言われてインユェは言葉に詰まった。

 

「……百歩譲ってそうだったとしても、大人ってのは誰の事だよ!?まさかてめぇのことじゃねえだろうな!」

「間違いなくおれのことだ。なんたって、これでもおれは実年齢で20歳を超えているんだから」

 

 事も無げなリィの言葉に、インユェは目を丸くした。

 

「……嘘だろ、おい」

「ああ、ウソだよ。少なくともこの身体は、14歳の子供の身体。でも、おれ自身は20歳を超えているし、結婚だってしたんだぞ」

 

 呆気に取られたインユェが咄嗟に噛み付くこともできないでいる間に、間抜けな様子のまま銃を構えていた男が、怒りとともに叫んだ。

 

「おい、てめぇら、俺様を無視して何をくだらねぇじゃれあいをしてやがるんだ!この俺を誰だと思っていやがる!マルデロだ!泣く子も黙るコンラート一家のマルデロ様だぞ!」

「ああ、そういえばそんな名前だったな、あんた。ルーファにやられて情けない有様だったから、すっかり忘れてたよ。ごめんな」

 

 冷たい視線で男を一撫でしたリィが、なんとも気軽に言った。

 

「ならもう一度忠告しておくけど、もうおれ達からは手を引いたほうが利口だぞ。おれの相棒も言ってたけど、これ以上首を突っ込んでも何もいいことなんて無い。しなくてもいい怪我が増えるだけだ」

「この、クソガキ……!」

 

 マルデロは、インユェに照準を合わせていた拳銃を、リィの方に向けた。

 否、向けようとした。

 しかし、それは為し得なかった。銃口がリィの身体を捕らえる前に、リィの小さな身体はマルデロの懐に飛び込み、手刀一閃、その腕から銃を叩き落していたからだ。

 マルデロは、たちの悪いペテンに引っかかったように、目を丸くした。それは、遠くから二人のやりとりを見ていたインユェとマルゴも同じことだ。一体どのタイミングでリィが動いたのか、そしてどのようにしてマルデロの懐まで移動したのか、その過程が全く見えなかったのだ。これでは当事者であるマルデロが何が起きたのか理解できなくても仕方がないと思った。

 リィは、自分を化け物のように見るマルデロをはっきりと睨みつけながら、さも面倒といった様子で口を開いた。

 

「もう一度言うぞ。これ以上おれ達に関わるな。これが最後通牒だ」

「て、てめえら、何してやがる!このガキを殺せ!」

 

 周囲にいる仲間に向けて、マルデロは叫んだ。この子供がどれほど化け物じみていても、所詮は一人だ。数で押し包んでしまえばどうとでもなる。

 しかし、マルデロの魂胆は達せられなかった。その場にいたやくざ連中は、マルデロを除いて、全員がすでに地面に転がっていたからだ。

 

「あーあ、だからぼくは言ったのにねぇ。人の親切に聞く耳を持たないからこういうことになるんだよ」

 

 ひゅん、と空気を切り裂く音とともにロッドが振るわれた。

 死屍累々と倒れ伏す男たちの中心に、青年が立っていた。

 およそ暴力の気配とは縁遠い、なよついた感すらある青年である。しかし、この場にいて男たちを叩きのめすことが出来たのは、どう考えてもこの青年だけだ。

 またしても、インユェとマルゴは驚きに目を丸くした。いつの間にこの青年がロッドを振るったのか、いつの間に並いる男たちを倒したのか、そもそもいつからこの場にいたのか、認識することが出来なかった。

 驚愕の視線を寄越す二人に軽やか笑みで応えた青年は、わずかに吹いて来た風に黒い長髪を抑え、そして運ばれて来た悪臭に眉を顰めた。

 

「さ、目的は果たしたんだし、早くこんな場所からはお暇しようよ。ぼく達には時間がないんだし、第一ここに長居したら嫌な臭いが染み付いちゃいそうだ」

「ああ、その通りだな、ルーファ」

「……ちょっと待て、てめぇらぁ!」

 

 この場における唯一無事なやくざ者となったマルデロが、屈辱に顔を赤らめながら叫んだ。

 

「いいか、お前らはコンラート一家に正面から喧嘩を売ったんだ!知らねェのか、俺達の親父は警察はおろか入管にも顔が効くんだ!お前らはこの国から逃げることは出来ねェ!一生、俺達の影に怯えながら生きていくことになるんだ!」

 

 リィとルウは、うんざりしたのを隠さない表情でお互いを見遣った。

 

「こういうふうに、組織の実力と自分の実力を履き違えた人間って、本当に厄介だよな」

「下手に信じられる物があるぶん、簡単に折れてくれないから面倒だよねぇ」

 

 そう言ながら、申し合わせたようなタイミングで同時に溜息を吐き出した。

 その様子を見たマルデロは、正しく憤死せんばかりの有様だ。今まで、裏の世界でのし上がるために幾つもの屈辱を耐え忍んできた彼だったが、これほど虚仮にされたのは初めてだった。

 

「て、てめえらぁ……」

 

 顔を真っ赤にして唸り声を上げたマルデロだったが、遠くから聞き慣れたエンジン音が近づいてくるのに気が付き、僅かに顔色を戻した。

 これは、コンラート一家が他の組織を襲撃する時に使用する、装甲トラックのエンジン音だ。

 応援が来たのだ。きっと誰かが本部に連絡を入れたに違いない。そしてトラックの荷台には、機関銃や手榴弾で武装した組織の殺し屋達がわんさかと載せられているはずだ。

 これで形勢は逆転だ。マルデロは、前歯の失われた間抜けな表情でほくそ笑んだ。

 

「おい、てめぇら。命乞いをするなら今のうちだぜ。今からここに、重武装した一家の精鋭が集結する。ここにいるチンピラ連中とは訳が違うぜ。どいつもこいつも、軍の特殊部隊から引き抜いた猛者揃いだ。お前達が何者かは知らねえが、一瞬で蜂の巣だ!」

 

 鼻の穴を膨らませながら、マルデロは叫んだ。

 リィは肩を軽く竦めて、

 

「そんなに言うなら、もう少しだけど待ってやるよ。おれ達も友達を待ってるところだから、丁度いいといえばいいんだけど」

「ふん、吠えずらかくなよ、クソガキどもが!」

 

 エンジン音は少し遠くの通りで止まったようだ。かなり大きなトラックなので、この路地には入ってこれないのだろう。

 その代わり、がしゃがしゃと金属の擦れる神経質な音、そして地面を踏み抜くような重たい足音が近づいて来た。

 マルデロは、路地の出口、足音のする方向に向けて走った。このままこの場所に留まって機関銃で蜂の巣にされるのは、どう考えても間の抜けた死に様だ。

 

「へっ、ざまあみやがれ、調子に乗ってるから長生き出来ねェんだよ!」

 

 やがて曲がり角の向こうから、巨大な影が姿を現した。

 マルデロはその巨大さに息を呑んだ。

 機甲兵だ。それも、おそらくは何らかの兵器だろう、大きな荷物を抱えている。

 市街戦に投入される人型兵器。戦車の制圧力とバイクの機動力を併せ持つ鉄の巨人。

 まさか一家にこんなものがあるなんて、マルデロも聞いたことは無かった。

 だが、これほど頼もしい味方はいない。これで決まりだ。あの連中がどれほどの手練れであっても、軽火器では機甲兵の装甲に傷など付けられるはずもない。

 マルデロは多いに興奮し、叫んだ。

 

「おおい、あいつらだ!あのガキどもが目標だ!皆殺しにしろ!いや、手足を潰してもいいから決して殺すな!」

 

 そうだ、これだけ自分を、そしてコンラート一家をコケにしたのだ。楽に殺してなどやるものか。考えられうる最も残酷な方法で一人一人を犯し嬲り責め殺して、許しと慈悲を乞いながら寸刻みになっていく映像を一家に背いた愚か者の末路として晒してやるのだ。そうしてこそ、守られるべき秩序が守られるというものではないか。

 

「ふぅん。俺の目標はあいつらなんだな?」

 

 小脇に荷物を抱えた機甲兵は、のんびりとした調子で言った。

 必死に走ったマルデロは、ようやく機甲兵の隣に並び立ち、今まで自分がいた場所を指差して、もう一度叫んだ。

 

「そうだ、あいつらを半殺しにしろ!報酬は思いのままだぞ!」

「報酬は思いのまま、ねぇ。お前さん、そんなことを勝手に決められるくらい、偉いさんなのかい?」

 

 何を馬鹿なことを言ってやがる。

 そう言おうとしたマルデロだったが、ふと感じた違和感に言葉を飲み込んだ。

 今聞こえたのは、機械を通した人の声ではなく、生の人の声ではなかったか。

 違和感を確かめるように、隣に立った機甲兵を見上げる。

 大きい。確かに大きいのだが、いわゆる一般的な機甲兵に比べると、一回り以上小さい。

 ではこの物体は何かと考えてみれば、記憶の端から端を探しても、適合する物が見当たらない。敢えて言うならば……古代のお伽噺に登場する、財宝を守るという青銅の大巨人だろうか。 

 よくよく見れば、その物体が身に纏っているのは金属製の超重量級装甲服だった。つまりこれは、装甲服を纏った人間だということだ。身長は……少なく見積もっても、250センチは越えているように見える。であれば、中に入っている人間も、それに近しい巨体だということになるが、それは到底人類という範疇に入れて良いサイズではない。

 理解不能な物体を前にして言葉を失ったマルデロを、装甲服のヘルメットがぎろりと睨み下ろした。マルデロは、幼少の頃に暗闇の奥の奥に対して無条件に感じた、得体の知れない不安感を思い出していた。

 ぐびり、と、喉が情けない声を上げた。

 しかし、どちらにせよこれは味方なのだ。機甲兵でないのは残念だが、この兵士ならばあのなよなよしい連中を半殺しにするのは赤子の手を捻るようなものだろう。

 

「お、俺はコンラート一家の若頭のマルデロだ!口先だけの空手形は切らねえよ!心配しなくても約束は守るぜ!」

「そうかい。じゃあ、実は欲しい物があるんだが、お願い出来るかね。それも、強突張りで申し訳ないが、先払いをお願いしたいんだ」

「何でもいいさ、言ってみろよ」

 

 気を大きくしたマルデロは、大いに胸を張りながら言った。

 この化け物がいったい何を要求するか分からないが、言わせておけばいいのだ。どうせ端金に命を賭ける傭兵の類の人種である。要求する金の額も知れているだろう。見当違いの数字を言ったとしても、後で上手く丸め込むだけだ。総じて、大男というのは鈍重で頭が悪いものと相場が決まっている。

 

「俺が欲しいのは、実は土地の権利なんだが、それでもいいかい?」

 

 少し予想に外れた返答に、マルデロは驚いたが、それでも頷いてやった。今はこの化け物に気持ちよく仕事をしてもらうのが一番だ。

 

「いいぜ、言ってみろよ。どんな土地だって手に入れてやる。コンラート一家の名前を出してうんと言わねえ馬鹿がいるなら、力尽くで追い出してやるさ」

「それは心強い。実は、ほら、あのビルが建っている辺りの土地なんだが、大昔に俺の爺さんが、タチの悪いやくざ連中に奪われちまったものなのさ。爺さん、臨終の際まで悔しい悔しいって泣き喚いてたから、せめてもの供え物に取り戻してやりたいと思ってな」

「おお、結構な話じゃねえか。そうだな、先祖の霊は大事にしなけりゃいけねぇ。俺達は任侠者の集まりのコンラート一家だ。絶対にお前の爺さんの面目は立ててやるさ」

 

 馬鹿を言うなとマルデロはほくそ笑んだ。ビルが聳え立つような地区の土地一画など、こんなけちな仕事の報酬に支払っていいものでは到底無い。この化け物には、常識的な経済観念というものが備わっていないらしい。

 まぁ、それならそれで好都合だ。適当な場所の、猫の額みたいな土地を切り売りして、それで報酬にしてやろう。具体的な契約書を交わしたわけではないのだから、どうとでもなる。

 第一、土地の前払いとは笑わせる。土地は、しっかりした段階を踏み、権利書を渡した時点で所有権が移転するのだ。口先だけで交わされた移転契約など、鼻くそほどの価値もない。

 そう内心で算盤を弾いたマルデロであったが、先ほど巨人の指さした方向を確かめてから首を傾げた。

 

 はて。

 

 あのビルは、どこかで見たことがなかったか。闇夜を貫き、他のビルを睥睨するように聳え立つあのビルは……。

 

 確か、コンラート一家の本部事務所の入った……。

 

「だとよ、親分さん。この気前のいい若頭さんは、俺に、あんたらのビルの土地をくれるらしいぜ」

「んー、んー!」

 

 巨人が小脇に抱えた荷物が、もぞもぞと身を捩った。

 マルデロは、その荷物に初めて目を向けて、文字通りに目が飛び出るほどに驚いた。

 まるで工事現場の若者が担ぐセメント袋のような荷物が、実は手足をぐるぐるに縛られた人間であり、その人間というのが自分のよく見知った人間──コンラート一家の親分である、ジャンパオロ・コンラートその人だったからだ。

 

「お、親父!」

「んー!んー!」

「そうかそうか、親分さんも了解してくれるんだな。ってことは、あの土地はもう俺のものってことだ。なら、その上に建ってるビルをどうしようが、俺の勝手ってことだよな」

 

 巨人は含み笑いを漏らしながら、

 

「ほい、点火っと」

 

 手に持った小さな機械のスイッチを押した。

 

 その瞬間、街が揺れた。

 

 閃光。

 

 轟音。

 

 立ちのぼる白煙と、火薬の臭いを孕んだ爆風。

 

 それらを背景に、ゆっくりと傾いていく巨大なビル。

 

「おー。こりゃ凄えわ」

 

 巨人が手を庇のように翳しながら見守る先で、ビルは大きく傾いたまま、呆気ない様子で地面へと沈んでいった。

 膨大な砂煙が立ちのぼり、街を覆い隠していく。そして風が埃を吹き飛ばしたとき、先ほどまでビルが建っていた場所には何も残されていなかった。

 マルデロは、前歯の欠けた口をあんぐりと開けたまま、その現実離れした光景を見守っていた。巨人が抱えた荷物も、呆然と目を見開いたまま身動ぎ一つしなかった。

 そんな二人を見て、巨人は太い声で大いに笑った。

 

「そんな顔して、心配することはねぇよ。あのビルにいたあんたらのお仲間は、今頃全員病院のベッドでおねんねだ。それに、近くの住民には爆破解体工事をするってんで、とっくに避難勧告を出してるからな、誰も死んじゃいねえさ。なぁ、ダイアナの姐さん?」

『ええ、そうね、ヴォルフ。あなたの言うとおりだわ』

 

 聞こえたのは、やや甘いアルトの音域と教養を感じさせる口調とを併せ持っている、魅力的な女性の声だった。

 その声の持ち主も、巨人の笑い声に応えるように、言葉の端々で笑っていた。

 

「もちろん、各種補償金迷惑料はおたくらコンラート一家持ちだ。気前よくばらまいたからな、みんな喜んでたぜ」

『あとで銀行の預金残高を見ても驚かないことね。きっと凄いことになってるから』

 

 ヴォルフとダイアナは、二人して悪戯小僧のように笑った。その背後で、金と黒の天使が、胡散臭そうな目つきのまま二人のやり取りを眺めていた。

 

「……確かに、ぼく達に手を出したら火傷じゃ済まないとは言ったけど……。何て言うか、エディ、これって、ねぇ」

「少しやり過ぎな気がするのはおれだけかな、ルーファ」

 

 やるからには徹底的に。そう提案したのは確かにこの二人である。

 だから、一家の本拠地に乗り込むと気安く言った大男を止めなかった点、リィとルウにも責任はあるはずなのだが、それにしたってここまでするとは思わなかった。おそらく、というかほぼ間違いなく、何事につけ派手好きであるダイアナ謹製の入れ知恵と助力があったに違いない。少なくとも、あれ程見事な爆破解体を演出するための各種演算はダイアナが喜び勇んで引き受けたに違いないのだ。

 黒の天使と金の天使は、同時に首を振った。

 そしてその更に後ろ、今日限りの命を覚悟していたインユェとマルゴは、事態の推移に全く付いていくことができずにただただ唖然とするばかりだ。

 

 ──いったい、何が起こっているのか。

 

 猛悪なやくざ連中と揉め事を起こし、路地裏に追い詰められた。退路は断たれ、あとは前に出て討ち死にするばかりと腹を括った瞬間に、先ほど酒場で一悶着を起こした四人組の二人が現れて、あっという間に荒くれ者を片付けてしまった。そして、敵の援軍らしき正体不明の巨人が現れたと思ったら、どうやら敵の本拠地らしきビルを丸ごと爆破してしまった。

 残されたのは、痴呆を患ったかのようにぴくりともしない、敵の親玉と子分が二人だけである。

 これは果たして現実のことだろうか。インユェとマルゴは、同時に自分の頬を抓っていた。

 

「まだ……まだだ……」

 

 ぼつりと、調子が外れて裏返った声が聞こえた。

 ヴォルフは、おやと声の主を見た。まだ、声を出すだけの気力が残されていたのか。それはそれで立派なことだと、他人事のように思った。

 

「まだ、とは、どういう意味だい?もらえるものはもらったぜ?まだ何かくれるってことか?」

 

 半ば本気でそう問いかけた。

 声の主、マルデロは、十も年を取ったように見えるほど窶れた顔にぎらぎらとした狂気を貼り付けて、叫んだ。

 

「ああ、いいじゃねえか!あのビルと土地は、てめぇにくれてやるさ!だから、さっさとあのガキ共を血祭りに上げてこい!こっちは払う物は払ったんだ!てめぇも契約に従え!」

「ふむ、なるほど。まぁ、それも道理か」

 

 装甲服のヘルメットを外したヴォルフは、顎に手を当てて考え込んだ。そして、後ろにいる二人の天使に顔を向けた。

 

「どうする?リィ、ルウ、いっちょやらかすかい?」

 

 水を向けられた二人は、あっさりとした調子で応じた。

 

「それもいいけど、もう少し落ち着いてからだな。おれ達は、さっさとあの馬鹿を助けにいかないといけないわけだし」

「連邦大学に戻ったら思う存分に遊ぼうよ!体育館とか予約しておくからね!」

「そうか、残念だなぁ」

 

 唇を尖らせたヴォルフは、再び雇い主であるらしいマルデロに向き直り、

 

「悪いなぁ、俺がやる気でも、あっちにやる気がないらしい。だから、この契約は無しだな。土地の方も返すよ。別に、もとから欲しかったわけでもないし」

 

 二人に負けず劣らずあっさりとした調子で言った。

 

「か、か、返すだと、て、てめぇ、あ、あれだけの、あれだけのぉ……!」

 

 もう、あまりに怒りすぎて、魚のように口をぱくぱくさせながら、しかし顔は真っ赤のマルデロであった。言いたいことが多すぎて、上手くしゃべることが出来ずにどもってしまっている。

 

「おいおい、落ち着けって、冷静に、冷静に」

 

 どうどうと、ヴォルフは牛を押さえつけるような手振りをした。

 それに従ったわけではないだろうが、マルデロは何度か喘ぐように呼吸を繰り返し、少し落ち着いてから、いっぱいいっぱいの様子で叫んだ。

 

「じ、爺さんが欲しがった土地だとか言ってたじゃねぇか、てめぇ!」

「すまん、ありゃ嘘だ。俺の爺さんは、俺が生まれるとうの昔にくたばってるからな」

 

 ヴォルフは顔の前で手を合わせた。

 

「ビルを木っ端微塵にしておいて、今更返すはねえだろうが!んな馬鹿な話が通用するか!」

「ああ、それもそうだなぁ、悪かったなぁ。今度弁償するよ。公務員の安月給だ、返すのに何百年かかるか分からんが、気長に待っていてくれなぁ」

 

 後頭部を指の先で掻きながら、気の毒そうにそう言った。

 マルデロは、あまりの怒りに総身を震わせ、ついに懐に隠した拳銃に手を伸ばした。

 

「てめぇ、ぶっ殺してやる!」

 

 何の躊躇もなく、弾倉が空になるまで引き金を引いた。

 マルデロの放った弾丸はヴォルフの身体に命中した。全て命中した。しかし、ヴォルフの纏った総重量で50キロ近い金属の鎧は、小さな弾丸を、豆粒のようにはじき返したのだ。

 

「ああ、そうだ、もう一つ返すものがあったなぁ」

 

 自分が銃撃されたことなど蚊に刺された程度にも気にしていないヴォルフは、小脇に抱えた荷物──未だ呆然と我を失ったコンラート一家の親分である──をむんずと掴んだまま、大きく振りかぶった。

 

「お前の大事な親分さんだ。落っことすなよ」

 

 涼しい声で言って、思い切りぶん投げた。

 野球選手が投げる剛速球さながら、凄まじいスピードで飛んでくるのは人の身体である。

 マルデロは、飛んでくるのが大恩ある人物だと知っていたが、それでも躱そうとした。巻き込まれれば押しつぶされるのは必至だからである。恩も義も、命あっての物種だ。

 だが、間に合わなかった。

 

「ひぇっ」

 

 何とも奇妙な声を上げたマルデロは、飛んできた親分と衝突し、勢いそのままに吹き飛んで、もみくちゃのまま壁にぶつかった。

 白目を剥いて気絶し、手足がくたりと力無いマルデロの様子は、使い古しのマネキン人形に似ていた。

 

「聞けば、お前さんも結構あくどい真似をしてきたみたいじゃないか。別に、これが天罰だとか世直しだとか気取るつもりもないが、天災ってやつは他人の頭の上にだけ落っこちるものじゃあないってことが分かっただけでも、儲けもんだと俺は思うよ」

 

 自身を天災程度には物騒だと自覚しているらしいヴォルフは、どこまでの他人事のように言ってから、面倒くさそうに顎の無精髭を撫で摩った。

 それに、とヴォルフは思う。

 

「終わったぜ。さ、引き上げるとするかね」

 

 振り返ったヴォルフの目に飛び込んでくる、金色の少年と黒色の青年の姿。この二人の物騒さときたら、自分はおろか本物の天災だって裸足で逃げ出すほどだ。田舎やくざ風情には、どう考えたって荷が勝ちすぎる相手である。

 同情はしないが、まぁお気の毒に、と、しばらくは意識の戻りそうにない似非マネキンに、ヴォルフは哀悼を捧げた。

 

「……何のつもりだよ、てめぇら」

 

 ヴォルフの視線の先、金と黒の天使達の更に後方の闇から、絞り出すような声がした。

 全員の視線が、声の主に集中する。

 

「これで、俺を助けたつもりかよ。そんで、俺が這いつくばって感謝の言葉でも述べると思ったのかよ。ああっ!?」

 

 インユェは、獣が毛を逆立てるようにして叫んだ。その様子は、深手を負った野生の生き物が、近寄る全てのものに対して牙を剥く姿に似ていた。

 

「勝手なことをしやがって。誰が助けてくれって頼んだよ。少なくとも俺は頼んじゃいないぜ。だから、お前らは勝手に厄介ごとに首を突っ込んで、勝手に走り回っただけのことさ。へっ、ずいぶんご苦労なこったなぁ!」

「ああ、そうだ。おれ達は、誰に頼まれるでもなく、勝手にあの連中を潰した。別に、お前に礼を言われる筋合いじゃない。なんだ、ちゃんと理解してるじゃないか。思ったより頭がいいんだな、お前」

 

 リィは、素直に感心したふうな口調で言った。

 インユェは、酸っぱいものを口に含んだように奇妙な顔をしてから、思い切り唾を吐き捨てた。

 

「けっ。じゃあ、お前は何であいつらを潰したんだよ。まさか、本当に正義の味方気取りか?悪い悪いやくざを懲らしめて自己満足か?はん、だったら褒めてやるよ!見事なナルシストだ!致命的な精神病患者様だ!褒めてやるからさ、感謝してやるからさ、さっさとこの世で一番厄介な内戦のまっただ中にでも飛び込んで、見事に犬死にしてくれよ!」

「正義の味方?おれ達が?馬鹿も休み休み言えよ。この面子を見て、どうしてそんな単語が浮かぶかなぁ?」

 

 リィは、自分の周りの面々をぐるりと見回してから、急角度に首を傾げた。

 ルウは自身とリィ、あとは自分の気に入ったごく僅かな人達のこと以外については結構冷淡だったりするし、ヴォルフは見た目からして正義の味方というふうではない。むしろ、悪の怪人役の方がしっくりくる様子だ。無論、中に詰まっているものは置いておいて。

 そして自分は、どう考えてもそんな役回りは御免である。自分が立ち回らなければ世界が終わると勘違いするほどのペシミストでなければ、我が身を引き替えにしてまで無関係な誰かを助けたいと願うほど自己犠牲の精神が豊かなわけでもない。むしろ、その対極にいる生き物だと自覚している。

 

「おれがあいつらを叩きつぶした理由はただ一つ、おれの目的を達成するのに、あいつらが邪魔だったからだ。それに、これから先にちょろちょろされるのも鬱陶しいからな。徹底的にやった。それも少しやり過ぎな気がしてるけど……」

 

 ちらりとヴォルフの方を見た。

 大男は、にこりと良い笑顔で笑った。褒められたのだと思ったらしい。

 リィは、小さな溜息を吐き出した。

 

「……へぇ。じゃあ、聞かせてくれよ。お前の目的ってやつをさ。さぞ壮大で、俺如きには理解出来ないほど崇高なものなんだろう?」

「お前さ、一々そういう言い方してて疲れないか?もっと、肩肘から力を抜いた方が生きやすいと思うんだけどなぁ」

 

 リィは、さも呆れたというふうに肩を竦めた。その姿を見たインユェは声を荒げかけたが、しかしこのままでは話が前に進まないことを理解したのか、ぐっと言葉を飲み込んだ。

 

「おれの目的は、お前だよ」

 

 リィは、そう言った。

 そして、その視線の先には、他ならぬ自分がいる。

 インユェは、素っ頓狂な声を上げた。

 

「俺ぇ?」

「そうだ。おれ達には、お前が必要だ。だから、お前に害を為そうとしている、あの連中を叩きつぶした。どうだ、単純な理屈だろう?」

「……俺が必要?……へっ、なんだ、お前、女みたいななりしてやがるから、そういう趣味かよ。だが残念だったな、俺にはそんな趣味は──」

「そういうことは、冗談でも言われて良い気分じゃないんだ。今度言ったら侮辱と見なすぞ」

 

 金髪の少年の視線は、インユェが想像したよりも遙かに苛烈だった。インユェは、自分以外の意思でもって言葉を失った。

 

「おれがお前を必要としているのは、お前の身体に性的な興味があるからなんかじゃない。お前が、この世界で二人目の銀盤の月だからだ」

「……銀盤の月、だとぉ?」

 

 インユェは胡散臭そうに眉を顰めた。

 そういえば、あの酒場で顔を合わす前、四人の会話を盗み聞きしてたときもそんな単語が聞こえた。

 そして、思い出されるのは、月と対になる、もう一つの単語。

 太陽。

 その言葉は、インユェにとって、失われて二度と戻らない、あの少女の笑顔を思い起こさせた。

 インユェは、ぎしりと歯を軋らせた。

 

「……それで、俺が銀盤の月とやらだとして、それがお前にとって何の意味があるんだい?」

 

 リィは、今までで一番燃えさかる視線でインユェを捉えて、その言葉を口にした。

 

「決まってる。ウォルを助けるんだ」

 

 そしてその言葉が、インユェに残されていた最後の理性をはじき飛ばした。

 インユェは、リィに飛びかかった。一晩中マルゴを背負って走り回った疲労の面影はどこにもない。飢えた狼さながらの俊敏で、そして獰猛な動き。

 かっと見開いた瞳、食いしばった歯、奥歯が見えるのではないかというほどに引き絞られた口元。

 それは、憎悪をそのまま体現したような表情だった。

 リィは、黙って地面に押し倒された。

 馬乗りになったインユェは、両手で、無抵抗のリィの首を力一杯に掴んだ。

 

「月がどうとか太陽がどうとか!しゃらくせえんだよてめぇは!今更お前がどう足掻こうが、あいつは死んだんだ!もうこの世にいねぇんだ!犬の餌になっちまったんだよ!ああ、認めてやるさ、てめぇは強いよ!俺よりも、俺の姉貴よりも、もっともっと強いさ!なら、どうしてあの時にウォルを守ってくれなかった!お前がいれば、あの時お前がいてくれたら、ウォルは死なずに済んだのに!」

 

 二人の様子を見て、ヴォルフは止めに入ろうとした。インユェの掌は、リィの首をぎりぎりと絞め上げている。あれは、子供の喧嘩にしてはやり過ぎだ。

 だが、その大きな肩を押さえる掌があった。

 振り返ると、ルウが、静かな面持ちで首を横に振っていた。視線を二人に戻せば、インユェは、もうリィの首を絞めていなかった。リィの胸に顔を埋めながら、静かな声で噎び泣いていた。

 

「どうして、どうしてまもってくれなかったんだよう……どうして……どうして……」

 

 胸を引き絞るように悲痛な泣き声が、静かな路地裏にこだましていた。

 

「……分かるよ、大事な人を守れなかったつらさは。おれも、そういうことが、何度かあったから」

 

 仰向けに天を仰いだリィは、そう言ってインユェの頭を掻き抱いてやった。

 そうしても、インユェはいっかな抵抗しなかった。まるで母に甘える幼児のように、リィの胸で泣き続けた。

 

「でも、お前は幸せ者だよ、インユェ。だって、お前は大事な人を、まだ助けることが出来るんだから。まだ取り戻すチャンスがあるんだから」

 

 ぴくりと、銀色の髪で覆われた頭が動いた。

 インユェが、恐る恐ると顔を上げ、涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃの顔のまま、リィを見下ろした。

 その情けない顔を見上げながら、リィははっきりと言った。

 

「ウォルは生きてる」

 

 その言葉の意味が、果たしてインユェに理解出来ただろうか。

 すぐには不可能だった。だが、砂地に撒いた水のように、じわりじわりと染みこんでいくその言葉を何とか理解出来たのは、インユェの心の奥底に、正しくその願望があったからに違いない。

 もしかしたら。万が一でも。奇跡が起こるならば。

 もう一度、あの少女に会えるかも知れない。あの、太陽のように朗らかな微笑みで、自分に笑いかけてくれるかも知れない。

 願いがもしも叶うならば、この魂が地獄に堕ちても後悔はしない。

 

「……嘘だ。あいつは死んだ。くそったれな儀式の生け贄になって」

 

 だが、その可能性に縋り付けば、裏切られたときに生きていけなくなる。いや、生きていけないどころではなく、もう、死ぬ気力さえ失った生ける屍として生きていくしかなくなる。

 だから、インユェはそう応えるしかなかった。自分の言葉が否定されることだけをひたすらに希って。

 そして、金髪の少年は、優しく首を振った。それは、縦にではなく、はっきりと横に。

 

「詳しいところはダイアナから聞いた。あいつを連れ去った男は、あいつを太陽として生け贄に捧げると言った。そうだな?」

 

 インユェは、ウォルとの別れの場面を思い出した。

 そうだ、あの男、姉を拷問し殺したと嗤ったあの男は、確かにそう言っていた。

 だが、それがいったいどういう意味を持つのか、インユェには分からない。

 

「いいか、確かにあいつは太陽の属性を持っている。今や、この世界における二つ目の太陽と同じ存在だっていうくらいにはっきりと」

「……それで?」

「インユェ。あいつはあの時、体調を崩していなかったか?」

 

 体調。

 そういえば、確か、あの少女は──。

 

「ああ、確かに体調を崩していたけど……」

「理由は?」

 

 そう問われてインユェは口ごもった。果たしてそれは、軽々しく他人に伝えていいものかどうか、判断に迷ったのだ。

 そんなインユェを見て、リィは微笑んだ。

 

「答えられないならおれが言ってやるさ。あいつは月の障りを患っていた。違うか?」

「お前、何でそれを……」

「ずっと不思議だったんだ。銀盤の月が近くにいるだけで、どうしてルーファの手札が死に神を指し示すくらいにあいつの存在が弱まっていたのか。大怪我でもして死にかけているのかと思えば、ぴんぴんしている写真が送られてくるし。でも考えてみれば何のことはない。あれはつまり、あいつの間借りしたウォルフィーナの身体が女性として成熟することの予兆だったんだよ」

 

 リィは勢いをつけて身体を起こした。

 インユェは、ぐすりと盛大に鼻を啜り、服の袖で顔をごしごしと拭いてから、リィの身体を離れた。

 

「お前は、あいつから聞かされなかったか。あいつの前世のことを」

「……確か、何とかっていう国の、王様だったとか……」

「うん、そうか、やっぱりな。あいつは、お前になら本当のことを教えても良いと思ったんだな」

 

 そう言ったリィは、輝くような笑みを浮かべていた。何か、嬉しくて仕方ない何かを見つけたように。

 インユェは、訳も分からず赤面するはめになった。嬉しいような、恥ずかしいような、何とも名状し難いむず痒い感情をどう扱えばいいのか、少年はまだ誰にも教わっていなかった。

 

「……でも、だからどうしたってんだよ」

「前世のあいつは、それこそ太陽を体現したみたいな王様だったんだ。そしてその魂のかたちを保ったまま、この世界へと転生してきた」

 

 リィは、埃に汚れた背中と尻を叩いて綺麗にした。

 

「太陽を体現しているのが果たして男性神なのか女性神なのか、宗教学的には議論の尽きないところらしいけど、あいつの場合、太陽を現していたのは間違いなく男としての魂だ。それが女性の身体に宿り、初めての生理を迎えた。だから、あいつの中の男の部分、太陽を構成する要素が、著しく弱っていた」

「……」

 

 リィは、自身を見つめるインユェの胡散臭げな視線に気が付いて、くすりと笑みを溢した。

 

「まぁ、これは科学的な話じゃないのは重々承知だ。だけど、相手も科学的じゃない要素を重視して、あいつを生け贄に見定めたんだ。相手と同じ視線でものを見るっていうのはすごく大事なことだぞ」

「……わかった。続けてくれ」

「生理っていうのは、どう足掻いたって女性的な現象だ。特に初潮は、出産に向けて母胎が成熟した証なんだからな。その時に、男としてのかたちを残したあいつの魂が、強い影響を受けないはずがない」

 

 そういえば、と、インユェは、異常なほどに苦しげだったウォルの様子を思い出した。

 顔を真っ青にして立ち上がることも出来ず、何度も嘔吐を繰り返していた。それも、あれだけ気丈で、体力も優れた少女が、である。何か、生理以外の致命的な病気を患っているのではないかと心配したほどだ。

 

「もう一度言うけど、この国の誰かさんは、ウォルを太陽として生け贄に欲していた。それなのに、月の障りのあるあいつを生け贄にしたんじゃあ本末転倒だ。100カラットのダイヤモンドをわざわざ粉々に砕いて工業用のダイヤモンドカッターを作るようなものかな?勿体ないにもほどがある」

「……」

 

 まだ承伏しかねるようなインユェに、リィは笑いかけた。

 

「それに、もしもあいつが本当に死んだんなら、おれにもお前にも挨拶に来ないってのが妙な話じゃないか?あいつは、世話になった人間に別れの挨拶もせずに死ぬほど、礼儀知らずじゃない。おれはそう思う」

 

 呆気に取られたインユェの頬が、少しずつ持ち上がり、そして、何とか笑みと呼べる表情になった。

 それは、久しぶりの、本当に久しぶりの、本物の笑顔だった。

 

「じゃあ、あいつは、まだ生きているのか……?」

「あいつを攫った誰かさんが、致命的な間抜けじゃない限りは」

「でも、あいつが生け贄に捧げられたって、みんなが言ってる。儀式は滞りなく終わったって、女の子が生け贄に捧げられたって……」

「じゃあ聞くけど、お前はその女の子がウォルだってその目で確かめたのか?」

 

 インユェは首を横に振った。

 

「二週間前に、誰かが正気じゃない宗教儀式の生け贄に捧げられたのは本当だと思う。その可哀相な女の子が野犬に喰い殺されたっていうのも、本当だろう。でも、それはウォルのことじゃない。絶対に違う。おれは、絶対に信じない」

 

 インユェは嬉しくなって、笑おうとした。叫びたいくらいだった。

 しかし、それが出来なかった。ウォルの代わりに生け贄に捧げられた女の子に思いが至ったからだ。

 その子には、当然のことながら、その子の人生があったはずだ。もっと生きたいと願っていたはずだ。その想いを踏みにじられて、時代錯誤も甚だしい宗教儀式の生け贄にされた。

 到底許していいはずがない。それは、断じて許されてはいけない。そう思ったのだ。

 それでも。それらの全ての事情を飲み下しても、なお。

 

「……俺は、嬉しい。あいつが生きていてくれるなら、夢みたいだ。他の誰かが犠牲になったんなら、それは心底気の毒だと思うけど……それでも、あいつが生きていてくれて、よかった……」

 

 ぐすり、と鼻を鳴らした。

 リィは、確と頷いた。

 

「時間は無い。もう、あいつの体調はもとに戻っているはずだ。なら、次の満月──明日の晩には、多分もう一度儀式が執り行われる。その時生け贄に捧げられるのは、今度こそあいつだ。そんな馬鹿なこと、絶対にさせない。おれは、あいつを助ける。そのためには、インユェ、あいつと対の存在である、お前の力が必要になるはずなんだ。だから、力を貸して欲しい。頼む」

 

 リィは、インユェに頭を下げた。

 インユェは、喜び勇んで頷こうとした。だが次の瞬間、その顔は暗い靄に包まれ、その首は前に項垂れてしまった。

 

「……どうしたんだ?」

「……俺は、あいつに三回も命を助けられておいて、見捨てたんだ。今更どの面下げてあいつに会えるかよ。あいつの前に顔を出す資格なんて、助けに行く資格なんて、俺には無いんだ。だから、リィ、あいつはお前達だけで助けに行ってやってくれよ。俺なんかがいなくったって、お前らならあいつを助けられるさ」

「……お前、それ、本気で言っているのか?」

 

 リィの声に、険しいものが込められた。

 インユェも、それが何故なのか、理解していた。自分がどれほど柔弱で意気地無しなことを言っているかも。

 

「お前はさっきまで、あいつが死んだと思い込んでいた。だから腐っていた。それはいいさ。大切な人が死んだんだ。ショックを受けない方がどうかしてるもんな。でも、あいつが生きていると分かった、少なくともその可能性があると分かった。なのに、お前は腐ったままなのか。それなら、おれはお前を軽蔑するぞ」

 

 リィの言うことは、至極正しかった。あまりに正しく、そして鋭いその穂先はインユェの胸を容易く貫くほどだ。

 インユェは、悔しげに唇を噛んだまま俯いてしまった。彼にだって、何が正しいのか、自分がどうするのが一番良いのか、理解は出来ている。しかし、納得が出来ないのだ。こんな矮小な自分が、あの太陽のような少女の前に、もう一度姿を晒していいのか。それは、果たして許されることなのか。

 黙ったままのインユェを見て、リィは忌々しげに舌を打った。

 

「分かった。もういい。あいつは、おれ達だけで助ける。何か、伝えておきたいことはあるか?」

「……世話になったって。それと、幸せにって」

「分かったよ。気が向けば伝えてやるさ。きっとあいつ、がっかりするだろうけどな」

「えっ?」

「あいつは、お前を友達だと思ってたんだ。だから、本当の自分の身の上を教えた。それなのに、お前が助けに来てくれなかったと知って、がっかりしないはずがないさ。それでも、あいつはきっと笑うんだろうけどな」

 

 あいつはきっと笑う。

 そうだ、あの少女は、きっと笑うだろう。自分がいてもいなくても、きっと笑っている。そして、自分がいなければ、その笑顔が向けられるのは、自分以外の誰かなのだ。

 例えば、目の前にいる、金髪の少年に対して。

 嫉妬は感じなかった。目の前にいる少年と自分とでは、あまりに格が違いすぎるのだと思った。あの少女の隣にいてどちらが絵になるかなど、思い描くまでもない。

 それでも。もしも許されるなら。

 

「……わたしは行くわ、連れて行って」

 

 インユェの背後で、赤毛の少女が立ち上がった。

 

「わたしは、あなた達の助けようとしている女の子を、力尽くで攫ったわ。それに、生け贄に捧げられるのが彼女の幸福であると確信していた」

「それはどうして?」

 

 ルウが、優しげな調子で訊いた。

 マルゴは、しばらく躊躇して、

 

「……そうね、きっと、お父様がそう言ったから、なんだわ。お父様の言うことは、全てが正しいのだと思っていた……」

「今は違うと思っているの?」

 

 マルゴは、正直に首を振った。

 

「分からない。もしかしたら、まだ正しいと思っているのかも」

「じゃあ、何であの子を助けようと思ったの?」

「わたしは、あの子を助けようなんて思ってないわ。ただ、あの子がまだ生け贄に捧げられてないのなら、生け贄に捧げるその場に、きっとお父様は姿を現す。わたしは、どうしたってもう一度お父様に会わなければいけない。裏切り者と、恥知らずと詰られても」

「ぼく達は、王様を助ける。そしてきみは、お父さんと話す。その結果、やっぱりお父さんの言ってることが正しいと思ったら……」

「あなた達と戦うわ。正直、勝ち目なんて無い気がするけどね」

 

 赤毛の少女は、勝ち気な表情で笑っていた。それは、生命の輝きを体現したような、美しい笑みだった。

 インユェは、羨ましかった。自分も、一度でいいから、そんなふうに笑ってみたいのだと思った。

 

「清々しいくらいに正直な女の子だね、きみ」

「マルゴよ。あなたは……」

「ぼくはルウ。こっちがぼくの相棒でエディ。でも、きみが呼ぶときはリィって呼んでね。それで、あっちにいる象さんみたいな人が、ヴォルフ」

「よろしく、ルウ、リィ、ヴォルフ」

 

 マルゴは何の気負いも無く、インユェを残して、前へと歩いて行った。

 インユェは、理由もなく手を伸ばしそうになった。自分を見捨てるのか、自分を置いて先に行くのか、と。

 ああ、これではあの時と一緒だ。あの少女を見捨てて、一人、森の中で立ち尽くしていた、あの時と。

 置いて行かれてしまう。

 また、見捨てるのか。また、あの絶望を味わうのか。これでもしも、ウォルを助けることが出来なかったとき、俺は俺のことを許せるのか。

 インユェは、背中を向けて立ち去ろうとしている金色の少年と赤毛の少女の足音を聞きながら、じっと自分の爪先を睨み付けていた。ぎゅっと握り込んだ拳が、細かく震えていた。

 

「ぼくは、誰かを助けたいと思ったときは、そんなに難しいことは考えないよ」

 

 驚いて顔を上げる。

 そこには、我が子を見守るように優しげな顔をした、黒髪の青年がいた。

 

「あんた……」

「ぼくは、助けたいから助ける。手伝いたいから手伝う。それが迷惑だと言われたら少し悲しいけど、でも、ぼくがそうしたいと思ってるんだから、仕方ないよね。迷惑だと思われても、我慢してもらおう。だって、ぼくがそうしたいんだから」

「……」

「資格の有る無しなんて、それはただの言い訳だ。確かに、見捨てたのは傷かも知れないし、後ろめたいかも知れない。でも、それを言い訳に使うのは、弱さを武器にすることじゃないかと思うし、それは卑怯なことだと思う。結局、あの子を助けたいのか、助けたくないのか。その二つに一つだよ」

「……うるせぇ。偉そうに言われなくたって、分かってんだよ、そんなことくらい……!」

「なら、言い訳は無しだ。自分に甘えるのも過去に酔うのも禁止。その上で、きみはあの子を助けたいの?それとも……」

 

 インユェは、きっと顔を持ち上げた。

 その瞳に、迷いは無かった。逡巡も無かった。ただ、純粋な意思だけがあった。

 あの少女に、もう一度会いたい。そして、謝りたい。いや、違う。ありがとうと、そう言うのだ。

 その一言を伝えるまでは、絶対に死なない。泥水を啜っても、絶対に生き延びてやる。

 

「俺の名前はインユェだ!」

 

 リィが、振り返った。マルゴも振り返った。ヴォルフとルウは、微笑みながらその声を聞いた。

 蛹が蝶にかえる瞬間というのは、どんな時でもうきうきするものだ。それが美しい種ならなおのこと。

 

「銀色の月って書いてインユェ!リィ、ルウ、ヴォルフにマルゴ!ウォルを助けるまでの短い時間だが、よろしく頼むぜ!」

 

 そう叫び、先を行く二人の横に並んだ。

 もう、情けないところの全ては見せた。どん底は十分に味わった。あとは、上に昇るだけだ。

 

「じゃあ、これは返さないといけないね」

 

 ルウが、懐から鈍く光る刃物を取り出し、柄をインユェに差し出した。

 インユェは、神妙な面持ちでナイフを受け取った。

 ルウは少年の気色ばんだ表情を見て、少しだけ羨ましいと思った。血の繋がらない赤の他人のために命を賭けられる生き物が、美しいとすら思った。

 

「それと、もう一人、紹介しなくちゃいけないよね」

 

 ルウが、ビルとビルに挟まれた、人一人がようやく通れるほどに狭い通路に視線を遣った。

 インユェもつられて同じ場所を見たが、そこはどこまでも暗い空間で、その奥には何も見えない。

 

「もう終わったの?」

 

 気安いルウの声に、

 

「ええ、ちょうどいいタイミングですね。こちらも全て片づきましたよ」

 

 闇の奥から、少女のように軽やかな声が聞こえた。

 そういえば、とインユェは思った。あの酒場で、リィに飛びかかろうとした自分を、それだけで殺せるのではないかという殺気で射貫いた、銀髪の少年がいたはずだ。

 路地の奥の方で何かが煌めいたと思ったら、足音はおろか何の気配もなく、一人の少年が姿を現した。

 銀色の髪。菫色の瞳。肌は抜けるように白く、この世の者とは思えないほどだ。しかしその頬に付いた赤い液体の痕跡が、彼も此岸の生き物であると教えてくれる。

 

「結構手こずったみたいだね」

「恥ずかしながら。あちらの世界ならこんな不手際は無かったのですが……」

 

 銀髪の少年──シェラは、恥ずかしげに俯いた。

 その手には、端の切れた鎖が握られており、もう一方は依然闇の中に沈んだままである。  シェラは、それを無遠慮に引っ張った。ずるりずるりと地を滑る音が聞こえ

て、やはり闇の奥から、得体の知れない何かが姿を現した。

 

「誰、それ?」

「よく分かりません。自分でも自分が何者か、はっきり分かっていないのではないでしょうか。何を聞いても答えようとしません」

 

 鎖に雁字搦めにされたそれは、男だった。

 背格好は、この星における一般的な成人男性のそれであるが、妙に節くれ立った指先と、蛇のように鋭い眼光が、荒事に慣れていない一般人には相応しくない。猿ぐつわの噛まされた口をもごもごと動かし、おそらくは呪いの言葉を吐いていた。

 

「あちらの世界でのわたしと同じような世界に生きる人間ではないかと」

「誰かの道具だってことだね」

「はい、ほぼ間違いなく」

「拷問はしてみた?」

「別の人間に。ですが、何も漏らしませんでした」

 

 怖いことを、まるで今日の晩ご飯のおかずを尋ねるような何気なさで、二人は言い合った。

 ふぅんと呟いて、ルウは捕虜の男の前にしゃがみこんだ。

 

「こんにちは、僕の名前はルウ。あなたの名前も聞きたいけど、猿ぐつわを取って舌を噛まれても困るので、そのまま話させてもらうね」

 

 男はぷいと明後日の方向を向いた。

 

「なるほど、あなたの名前はブランドか。昔の言葉で、武器とか剣とかいう意味が込められてるんだよね。君みたいな人間にはぴったりな名前だね」

 

 男が、あまりの驚きに顔を強張らせて、ルウを見た。

 

「別に難しいことじゃないよ。君の頭の中で響いている声を、拾っただけだから」

「……!」

「そんな馬鹿なって?そうだね、常識で考えればそのとおりだ。でも、現にこうしてぼくは君の心の声を聞いている。だから、別に正直に答えようとしなくてもいいよ。どうせ嘘は吐けないんだし」

 

 相も変わらずにこやかに微笑んでいるルウだが、彼を見上げる男の顔は気の毒なほどに蒼白であった。当たり前だ。普通のいや、普通でなくとも常識的な感覚を持つ人間であれば、心の中を覗き見られて平静でいられるはずがない。

 もう少し大仰な仕掛けや前振りでもあるならば、ペテンか手品かと疑うことも出来るだろうが、あまりにもあっさりと自身の名前を言い当てられた男はたいそう狼狽した。

 

「無理だよ、何も考えないようにするのは。それは、素質のある人が長く苦しい修行とかをしてようやく到達できる境地らしいから」

「んー!んー!」

「さて、あなたはどうしてインユェを狙っていたのかな?それに、いつから彼のことをつけ回していた?今日、あの酒場から、じゃないよね?」

「……!」

「理由は知らない、と。そうか、二週間前から。つまり、王様が拉致された直後から、わざわざこんな子供を監視していたわけか。ご苦労様」

 

 インユェは目を丸くして驚いた。

 二週間といえば、例の隠れ家を飛び出して、この街に潜り込んだ時期である。それからずっと、自分は尾行されていたということか。

 しかし、どうして自分のような子供を。もう、戦う手段を失って、自暴自棄になっていただけの子供を、何故わざわざ監視する必要があったのか。

 

「それともう一つ。今晩のあなたたちは、明らかにインユェを殺そうとしていたね。どうして監視が、いきなり殺害に変わったのかな?」

 

 男は肩を落として項垂れてしまっていた。喚いたり暴れたり、抵抗をしようという気力が根刮ぎ奪われてしまったような有様だ。これなら、猿ぐつわを外しても舌を噛み切ろうはしないかも知れない。

 そんな男に、ルウはあくまで淡々と尋問を続けた。尋問と言っても、ルウが一方的に質問をして、一人で答えを得るだけなのだが。

 

「ふむ、それも詳しいことは知らされていない、と。ただ、事情が変わったらしい、か……なるほど、多分切っ掛けはぼく達だね。まだ未熟な銀盤の月である彼に、闇と太陽と月が接触したから、完全に覚醒する前に殺そうとした……。どうやらあなた達のお偉いさんは、ぼく達の世界に近い人みたいだ。じゃあ、これが最後の質問だよ。ウォルっていう女の子はどこに監禁されているのかな?」

 

 男は、もはやぴくりとも動かない。

 ルウも、首を一つ振って立ち上がった。

 

「もう、この人から得られる情報は全てもらったから。適当な場所に捨ててきて」

「わかりました」

 

 無慈悲なルウの言葉に、やはり無慈悲な調子でシェラが応じた。

 男を縛った鎖を持ち、引きずったまま再び闇の奥に消えていこうとする。その最後の瞬間に振り返り、インユェの呆然とした顔をぎろりと睨んだ。

 少女のように美しい顔立ちが、背筋を凍らせるほどの殺意に染まっている。その不吉な齟齬がインユェの背中を僅かに仰け反らせた。

 

「わたしの名前はシェラだ。シェラ・ファロット。先に断っておくが、わたしは他の方々ほどには貴様に優しくない。もし、リィに対してあの酒場のような無礼をもう一度働いてみろ。その首と胴体がどれほど容易く分離するものか、貴様の身をもって教えてやる」

「……覚えておくよ、お嬢ちゃん」

 

 ひゅん、と甲高い音立てて何かが飛んできた。

 インユェは咄嗟に身を捩り、その何かを躱した。そして背後から聞こえた衝突音。

 おそるおそる振り返ると、すぐ後ろのコンクリートの壁に、何かがめり込んでいた。ちょうどインユェの頭部のあった場所に突き刺さっていたそれは、木の実ほどのサイズの鋲みたいな金属片であった。

 もしもインユェの反射神経が人並み外れて優れていなければ、あの金属片は今頃額の肉を貫き骨を抉り、脳内深くに突き立っていたに違いない。

 インユェはごくりと唾を飲み下した。

 

「駄目だぞ、インユェ。多分おれ達の中で、シェラが一番冗談が通じないんだからな。折角目指せ一般市民で頑張ってるのに、ついうっかりで人殺しなんてさせたくないし」

「……心得ておくよ。ちなみに、なんだよその『目指せ一般市民』ってのは」

「うーん、何だと言われると説明に困るけど……当面の、おれ達の生活目標かな?」

 

 そう言われて、インユェは頬を引き攣らせた。

 

「……ま、目標は自由だよな。あんたが何を目標に生きていくとしたって、俺が口出す筋合いじゃねえよ。まぁ、出来るだけ頑張ってくれ」

「ああ、もちろんだとも。それでルーファ。あいつがどこに監禁されているか、分かったか?」

 

 ルウは首を横に振った。

 

「駄目だね。あの人達には、そんな大事なことは一切知らされていない。あるのは宗教的な使命感。ヴェロニカ教に仇為すものを始末する、その情熱だけだったよ」

 

 ルウの吐き捨てるような言葉を聞いて、リィは顔を顰めた。一つの事象に生涯を捧げるというのは立派な生き様なのかも知れないが、外の世界があることを知らず、或いは知らされることもなく黙々と他者のために生きる様子は、人の姿形をした働き蟻のようで生理的嫌悪を催すのだ。

 

「じゃあ、結局はあいつの場所は分からないまま、か。全く、この前だってそうだったけど、いなくなるならなるで場所くらい書き置きしていってくれればいいのに。残される方の身にもなってみろってんだ」

 

 リィが思い出しているのは、あちらの世界で囚われの身となったウォルを探して東奔西走したときの、何とも苦い記憶である。

 

「それを言うなら、エディだって敵に捕まって王様を困らせたことがあるよね。その上、ぼくが間に合わなかったら変態王子の奥さんにされていたじゃないか。つまり、似たもの同士ってことなんじゃないの?」

 

 そういえばそんなこともあっただろうか。リィは居心地悪そうに頭をがしがし掻いた。

 

「あのよ、ルウ……さん」

 

 二人の会話に、おずおずとした調子のインユェが割りこんだ。

 

「ルウでいいよ。どうしたの?」

「……酒場でのあんたたちの話を思い出してたんだけどさ、あんた、占いが上手いんだってな。でも、ウォルを探すことは出来ない。それは、俺が原因だ。そこまでは間違えていないよな?」

「うん、その通りだけど?」

「例えば。例えばの話だぜ。もしも銀色の月が……俺がこの世から消えてなくなれば、ウォルを探し当てることが出来るのかい?もしあいつの居場所さえ分かるなら、あんたらなら今すぐにあいつを助けられるはずだよな?それなら、それならよう……!」

「ねぇ、インユェ。それ以上言ったら、ぶつよ?」

 

 にっこり笑いながら、しかしルウの目の奥は笑っていなかった。

 インユェは、思わず息を飲んだ。『ぶつ』という、何とも子供っぽい表現の言葉が、心底恐ろしかった。おそらく、顔のかたちが変わるくらいでは済まされない、凄まじい一撃が飛んでくるだろうことを予想した。

 

「確かに、きみがこの世界からいなくなれば、王様を捜し出すのは容易いだろう。でも、そんなことをしたって後から王様にばれたら、ぼく達は只じゃあ済まないだろう。それこそ、ぶつどころじゃ許してくれないはずだ。インユェ、君はぼく達を、そんなに酷い目に遭わせたいの?」

 

 年若いインユェでも、ルウの言葉の真意が字面通りでないことくらいはわかる。

 今までの利かん坊が嘘のように、インユェは素直に頭を下げた。

 

「……すまねぇ、馬鹿なことを言った。だけど、もしも本当にいざって時は、何をされても俺は文句を言うつもりはねぇ。捨て駒にしてくれても本望だ。それだけは覚えておいてくれ」

「じゃあぼくからも一つ忠告だ。君が大好きなあの子は、そういうふうに自分の命を省みない人間が何より嫌いだよ。あれは、もっと情け容赦ない子だからね、命を賭けてようやく出来るかどうかってことを、成し遂げた上で生還するよう要求するだろう。だからあの子を手に入れたいなら、それくらいは鼻歌交じりに出来るようになっておきなさい。そうじゃないと、エディには勝てないよ」

 

 ルウは、少し強めにインユェの肩を叩いた。インユェはリィの方をちらりと見遣ってから、真剣な調子で頷いた。

 二人を、少しばかりうんざりとした顔で眺めていたリィが、

 

「しかし、結局手がかりは無しか。時間もないし、どうやってこの広い星であいつを探すかだな」

「この国の大統領が主犯なのは分かっているんだ。なら、それらしい政府関係の施設を片っ端から制圧するかい?」

 

 装甲服を身に纏ったヴォルフが、ちょっとそこまで買い物に行く程度の気負いも無くそう言った。わずか数時間のうちに、仮にも武装暴力団の本部を制圧し、爆薬を仕掛け、ビルを瓦礫に変えてしまった彼の言葉なので、本当に実行しそうなのが恐ろしい。

 だが、ルウは首を横に振った。

 

「そんなことをしてる時間が勿体ないよ。それに、全く当てがないわけじゃないからね。少し、ぼくのアイデアを聞いてもらってもいい?」

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