懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第七十三話:朝

 どうして。

 どうして自分が、こんな目に。

 神様、わたしは、いったいどんな罪を犯してしまったというのですか。

 怖い。

 怖い。

 怖くてたまらない。

 生け贄?

 あの連中は、絶対に頭がおかしい。気が狂っているに違いない。それとも、悪魔に魂を売り渡したのだろうか。

 暗い通路。壁が寒々しくひび割れている。来た道には鉄格子が嵌められ、どうしたって後戻りは出来ない。

 

 ──早く、早く祭壇へ

 

 祭壇って、なに?

 

 ──巫女よ

 

 違う、わたしはそんなものじゃない。

 

 ──祭壇へと、進まれませい

 

 のっぺらぼうの顔に、ぽっかりと開いた空虚な空洞が、無感動に囃し立てる。

 嫌だ。

 このままあそこに行けば、この通路の先に行けば、きっとわたしは殺される。

 行ってたまるものか。鉄格子に齧り付いてでも、わたしはここから動かない。絶対に死にたくない。パパとママと弟に、もう一度会うまでは。

 

 ──諦められよ、贖罪の巫女

 

 嫌だ。わたしは絶対に諦めない。わたしには夢がある。千万のスポットライトに照らされた舞台の上で、あのジンジャー・ブレッドのように華々しく輝くトップスターになるのだ。

 

 ──あなたの生は、ここで神への供物となるために紡がれたもの

 

 違う、わたしの今までの努力は、苦しみは、幸せは、そんなもののためじゃない。

 

 ──最後は潔く、自分の足で、祭壇へと進まれませい

 

 突然、異臭が鼻を刺した。

 ぱちぱちと、何かが燃え爆ぜる音。しかし炎の明るさはどこにも見えず、全てを覆い隠すほどに凄まじい煙が、どっと押し寄せる。

 途端にいがらっぽさが喉を焼き、目からはぼろぼろと涙が零れ、息苦しさが肺から押し寄せ猛烈な咳となって外へ出る。

 体を折り、咳を繰り返す。立っていることすら苦痛になり、這うようにして煙の薄い方へ薄い方へと進んでいく。濛々とした煙は視界を奪い、壁伝いに、重度の酔っ払いがそうするように、よたよたとした足取りで。

 やがて煙が薄れ、空気が新鮮みを帯びたとき。

 そこは、千万のスポットライトではなく、しかしそれらよりも遙かに眩しい、ただ一つの満月に照らし出された、舞台だった。

 擂り鉢状に設えられた観客席に、無数の人間の顔が浮かび、そのどれもが非難と侮蔑と嘲りを体現している。

 わたしを中心にして渦巻く歓声は、幾重にも入り交じり、意味を失った怒号として体の中心に重たく響いてくる。

 ああ、そうか。この人達は、わたしのことが嫌いなんだ。

 わたしがいったい何をしたのか。それともしなかったのか。

 意味もなく悲しくなる。泣き叫びたくなる。誰かに縋り付きたくなる。膝から力が抜け、その場に崩れ落ちてしまう。頬を、煙にやられたのではない涙が伝う。

 そして、ゆらゆらとした視界に、黒い、大きな獣が映し出されて。

 その、大きくて、赤い口のなかに、だらりとした舌と、黄ばんだ巨大な牙が。

 すごく、ゆっくりと、荒々しい吐息が、近づいてきて。

 わたしは、きっと、ここで。

 このまま。

 

 おとうさん、おかあさん、ごめんなさい。

 

 そしてテセルは目を覚ました。

 

 まただ。

 また、この夢。

 あの夜、回帰祭の生け贄に捧げた少女の、夢。

 もう何度も何度も、あの夜以来、毎晩見続けている。

 私は、あの少女が、いったいどのような人生を歩んできたかなど、知らないというのに。

 私が知っているのは、あの少女の小さな体が、群がる狼たちによって少しずつ削り取られ、更に小さく、少しずつ人の形ではなくなっていく場面だけだというのに。

 夢の中の私はあの少女となって、生まれ、愛され、誰よりも努力し、そして積み重ねてきた。

 そして最後に、それら全てを無惨に奪われたのだ。

 柔い肉を牙で毟られ、細い骨を噛み砕かれ、湯気立つはらわたを取り合う狼どもを、為す術もなくただ見遣り。

 少女は、肉になった。

 だからどうした。私に、どうしろというのだ。今更。

 私にどうすることが出来た。飾り物でしかない私が何をしようと、あの少女の運命は変わらなかった。変えられるはずがなかった。

 だから、悪いのは私ではないのだ。私は、ちっとも悪くはない。

 そうともさ。

 だけれども。

 ならば、頬を伝うこの生暖かい感触は、いったい何なのだろう。

 私は、どうして泣いているのか。

 どうして、声を限りに、許しを乞うているのか。

 まるであの少女のように。

 どうして。

 

「おい、そろそろ起きろよ」

 

 未だ終わらぬ悪夢の残滓に魘されるテセルを完全に叩き起こしたのは、しかしその声ではなく、腹部に感じた激しい衝撃であった。

 一切の準備も覚悟も許されず緩んだままの腹筋は、衝撃をそのまま内臓に伝え、横隔膜を麻痺させ、胃の腑を踊らせる。

 熱せられた剥き出しの苦痛が、テセルの脳髄を貫いた。

 

「げ、がぁぁ……」

 

 突然生々しい苦痛を突きつけられたテセルは、両手で腹を抱えようとしたが、その両手が後ろに回されたまま思うように動かない。痺れた横隔膜は呼気交換の使命を放棄し、蹴り出された酸素の補給すらままならない。

 そうだった。自分は、あの金色の少年──いや、少年の姿をした何かに襲われ、こんな目に遭わされているのだ。

 自分の好き勝手にのたうつことすら許されないテセルは、陸に打ち上げられた魚のような姿勢のまま、吐瀉物を吐き出し、苦痛に呻いた。

 

「ぎぃ、ごっほ、ごほごほ……」

 

 それでも自分をこんな目に遭わせた誰かを、見上げ、睨み付けることが出来たのは、彼がヴェロニカ教の指導者として培ってきた自負と自尊心からだろう。首だけを巡らせて、自分を見下ろす誰かを見上げる。

 テセルは、そこに金色の髪があると思った。眩しい緑色の瞳があると思った。

 だがそこにあったのは、くすんだような銀色の髪と、憎悪に煮えたぎる紫色の瞳だった。

 

「……き、きさまは、いったい……あぐぅっ!」

 

 誰何の台詞を最後まで伝えることすら、今のテセルには許されなかった。銀髪の少年が、テセルの細い顎を、爪先で蹴り上げたからだ。

 異様な角度に首を曲げたテセルの体は、蹴りの勢いそのままに、大きく後方へ跳ね飛ばされた。口元からだらだらと血が垂れ落ちるのは舌の一部を噛み切ったからだろう。

 憐れな様子で呻き声をあげるテセルに、だが少年は一切の憐憫を覚えていないようだった。無造作に近寄って、苦痛と衝撃に朦朧としたテセルの傍にしゃがみ込み、その法衣の襟を捻り持ち上げた。

 そして囁くような声で、

 

「無駄口を叩くなよこの外道。てめぇがその臭ぇ口を開いていいのは、俺が聞いたことに答える時だけでいいんだよ」

「な、なにを……」

「ああ、なるほど、神様の言うことは聞けても人様の言うことは聞けねぇってかい?それならそれもいいさ」

 

 銀髪の少年は、テセルを持ち上げた腕を思い切り引き、その顔を自分の額に思い切りぶつけた。

 ごしゃっ、と、肉の潰れる音がした。

 

「ほらな、人の言うことを聞かねぇと、こういう目に遭うのさ。よくわかったかい?」

「う、がはっ……」

 

 にんまりと微笑む少年、その視線の先で、テセルの形の良い鼻は無惨に折れ曲がっていた。

 鼻の穴からは、とめどなく血が流れ落ちる。その血はテセルの顔面の下半分をあっという間に赤く染め上げ、なお止まる気配すらなかった。

 

「ごほ、こほこほ……」

 

 今の今まで、選ばれた者としての道を邁進していたテセルである。武術の素養はあっても、このようなかたちで剥き出しの殺気に晒されるのは初めての経験だ。 

 テセルは下腹部に生暖かさを覚えた。鼻をつくアンモニア臭で、ようやくそれが自身の失禁によるものだと理解した。

 

「いいか、よく聞けよ小便たれの糞坊主。てめぇは今、生きると死ぬとの瀬戸際にいるんだ。それを理解した上で、誠心誠意、正直に質問に答えやがれ。もしも忘れたとか知りませんとか言ってみろ、鼻の穴から焼けた火箸を突っ込んでその脳みその中身を掻き混ぜてから答えを思い出させてやる」

 

 その言葉に、一切の虚飾も妥協の余地も無いことを、テセルは察した。

 飲み下した唾は、鼻から逆流した血液で、不自然に鉄臭かった。

 

「ウォルを、どこにやった」

 

 歯を食いしばった少年の声が、まるで猛獣の唸り声のように聞こえた。

 その声に込められていたのは、例えば目の前で我が子を殺された獣の、腸を千々に断たれるほどの無念であり、或いは極限まで飢えた獣が、目の前の獲物を掻っ攫われたときの怒りであった。

 どちらか片方でも、それは致死の怒りである。

 そしておそらく少年の瞳の奥にある怒りは、それらを合わせたよりもなお激烈であるに違いない、危険な気配を撒き散らしていた。

 テセルは口を開かなかった。

 だがそれは、ヴェロニカ教最高指導者としての意地ではない。

 ただただひたすらの恐怖によって、一言の言葉をすら発することが出来なかったからだ。

 

「よし、お前は死にたいんだな」

 

 少年は、爽やかな声と顔で、微笑んでいた。しかし弓を引き絞るようにして構えた拳には満身の力が込められ、小刻みに震える手の甲にまざまざと骨が浮きあがるほどである。

 テセルは、反射的に許しを乞おうとした。それこそ、夢の中の少女と同じように。

 例えその許しが誰に聞き届けられるものでなかったとしても。

 

「た、たすけ……!」

 

 無論、その声は誰の耳にも届かない。

 拳が疾駆し、テセルの顔面に突き刺さろうとした、その瞬間である。

 

「おい、やめときなインユェ」

 

 ぱしん、と、乾いた音が鳴った。

 あと一歩。あと少しで少年の拳がテセルの顔面を陥没させていたであろう、その拍子に、少年の拳を、容易く止めた者がいたのだ。

 テセルはぎゅっと目を瞑っていたから、それが誰なのか、一瞬分からない。

 だが、誰かが自分を助けてくれたらしい。無論、それは本当の意味で自分を助けたのではないだろうが、それでも命の恩人である。この少年よりは話の通じる相手なのではないか。

 うすらうすらと目を開けたテセル、その瞳に飛び込んできたのは、しかし尋常の光景ではなかった。

 目の前で少年の拳を受け止めているのは、到底人のサイズとは思えないほどに巨大な掌であり、その掌の辿り着く先にいたのは、人類というカテゴリに入れるのが憚られるほどに巨大な巨人だったのだ。

 その巨人の、小さくて感情の籠もらない視線が、テセルのそれと交錯する。

 喰い殺される。テセルは自身の運命を悟った。

 

「あ、ああ、あああ……」

 

 口元を戦慄かせたテセルに、しかし巨人はにっこりと笑い、

 

「災難だったなぁ、あんたも。悪かった、ちょっと目を離した隙にこいつがとんだ悪さをしでかしたもんだ。謝るよ」

 

 テセルをさんざ痛めつけた少年を片手で制しながら、巨人は笑っていた。

 だが、その、葡萄の粒のように小さな瞳の、さらに奥にある何かが、少年の怒りと同種の不吉に染まっている。それはきっと、自分の命を容易く刈り取るものだ。

 テセルは、何とか逃げ出そうとした。しかし頑丈な紐で縛られた手足ではそれも叶わず、もぞもぞと、まるで芋虫のように這いずるのが精一杯である。

 腹ばいで、匍匐前進をするような様子で逃げようと試みるテセル、その視界に、今度は幾本かの足が飛び込んできた。

 おそるおそると顔を持ち上げる。

 そして、見た。

 緑。紫。青。

 三色の、宝石のような、いや、最高級の宝石よりもなお美しい、瞳の群れ。

 それらが、まるきり無価値なものを見るように、自分を見下ろしているのだ。

 テセルは、唐突に理解した。

 

 ここにいるのは、人間ではない。

 

 天使だ。

 

 しかしその天使は、神の福音を知らしめる御使いとしてのそれでは決してない。

 神の怒りと滅びをもたらすために使わされた、黙示録の騎士としての、天使。

 ああ、そうか、自分は神の怒りに触れてしまったのか。

 テセルは、自分の罪を理解する前に、その結果だけを理解した。

 自分はきっと、未来永劫、地獄の業火に晒されるのだ、と。

 逃げる気力をすら失ったテセルは、呆けた様子で口を開けたまま、三人を見上げていた。

 

「さて、陽も上がって少し暑くなってきたな。良い頃合いだ。そろそろ、あんたには話してもらわなけりゃならないことがあるんだが、いいかな?」

 

 そう言ったのは、テセルを拉致した、金色の少年だった。

 

 

 手足を縛られたまま椅子に座らされたテセルは、薄汚い倉庫のような小部屋の片隅で、五匹の猛獣の前に晒されることになった。

 一番剣呑な気配を放っているのが、睨め上げるように卑屈な視線を寄越す銀髪の少年だ。あんまり聞き分けなく暴れ回るものだから今はテセルと同じように椅子に縛り付けられているが、その戒めを解けば今にも飛びかかってくるに違いない。

 その横に座る、人類のサイズとは到底思えない、大型の熊か象かそれともゴリラかと紹介されたほうがしっくりくるほどの大男。口元ににやにやとした笑みを張り付かせ事態の推移を楽しんでいるようにも見えるが、小さな瞳の奥は全く笑っていない。

 そして二人の背後に立つ三人。

 一人は件の少年と同じく、銀髪に紫の瞳。全く感情というものを感じさせない無機質な瞳で、テセルを眺めている。

 一人はテセルを拉致した、金髪と緑色の瞳の少年。視線は誰よりも一直線で、話し合いや譲歩を最初から拒絶しているようだ。

 最後の一人が、黒髪に青色の瞳の、柔らかい雰囲気の青年。あまりになよやかな気配から、男とも女ともつかない不可思議な気配を放っている。

 たった一人であっても人の目を集めるであろうほどに特異な人間が五人、自分を凝視しているのだ。テセルは鏡に囲まれた蝦蟇のように、粘い汗をたらたらと流した。

 加えて彼らの後方、この部屋唯一の出入り口である扉に、腕を組んでもたれかかった少女。赤毛でいかにも勝ち気な顔立ちである。この少女も、おそらくは尋常の少女ではあるまい。

 

「……き、君たちは、私をこんなところに連れてきて、いったい何のつもりだ。一刻も早く解放したまえ。今自首すれば、罪の程度も……」

 

 テセルが言葉を句切ったのは、言いたいことを言い切ったからではない。

 目の前の六人、先ほど自分を手酷く痛めつけた少年ですらが、自分の言葉に一切の反応をしていないことに気が付いたからだ。

 何を言っても仕方がない、交渉の無駄を悟ったのだ。

 口先だけの脅しや懐柔など、彼らは歯牙にもかけないだろう。ならば自分が何を言ったところで意味がないということ。

 土気色の顔をしたテセルの細い喉がぐびりと動いた瞬間、五人のうちの一人、金髪の少年のかたちをした何かがゆっくりと口を開き、

 

「おれがお前に聞きたいことは一つだけだ。正直に答えるなら生かしておいてやる」

 

 つまり、正直に答えないならば命の保証はしないということだ。

 

「な、なにを……」

「ウォルはどこにいる」

 

 ぼそりと言った。

 

「な、何のことだ、それは。ウォルだと、私はそんなものは……」

「知らないとでも言うつもりか?あいつを攫ったのは、お前らの取り仕切る儀式の生け贄に捧げるためだと聞いたぞ?」

「し、知らない!そんなことは……」

「知らないのか?本当に?」

 

 少年が、ゆらりと前に出た。手にした短剣の鞘、その鯉口は既に切られている。

 殺される。無条件にテセルは理解した。

 

「駄目だエディ。早まっちゃいけない」

 

 半ば抜かれた剣、それを押さえたのは黒髪の青年の手だった。

 

「何故止める、ルーファ」

「全く、それじゃあさっきのインユェと一緒じゃないか。少しは落ち着きなさい」

「おれは十分に落ち着いてる。インユェみたいに殺すようなヘマはしないさ。こいつが聞く耳をもたないなら、役立たずの耳の片方でも斬り飛ばしてやろうとしただけだ」

「それが落ち着いてないっていうんだよ、世間一般では」

「そうなのか?」

 

 素っ気ない様子で少年が聞き返した。

 青年が止めなければ、少年の振るった刃は容赦なくテセルの耳を切断していたということか。冗談や脅しではあり得ない気配を感じたテセルの顔が、よりいっそうに青ざめた。

 

「お、おまえらはいったい……」

「さっきも言っただろう。俺はウォルの同盟者であり、義理の兄であり、妻としての配偶者であり、夫としての婚約者だ」

「ぼくはこの子とあの子の仲人になる予定の一般市民、かな?」

「わたしはこの方とあの方に仕えている」

「腐れ縁ってやつだなぁ。だが、あいつと一緒にいると賑やかでいいやな」

「一度は任務の標的だったわ。それだけの間柄。今も特別な感情を抱いてはいない」

「あいつはおれの奴隷で!おれはあいつのご主人様だ!」

 

 ふー、ふー、と鼻息荒い少年に、全員が不思議な視線を浴びせたが、直後にテセルの方に向き直る。

 

「ということだ。で、あんたらはあいつを攫った。おれたちは、何があってもあいつを取り返す。だから一番事情を知ってそうなあんたを攫った。何か質問は?」

 

 質問は、と言われても、困るというのがテセルの本音であった。

 無言のテセルを一瞥した金髪の少年は、

 

「質問が無いなら話を前に進めようか。あんたらが、あいつを太陽として生け贄に捧げようとしているのは分かっている。なら、教団の最高幹部であるあんたがその詳細を知らない筈はないよな?それとも、あんたはお飾りの最高幹部で、実権を握っているのは他にいるのか?」

「そんなものはいない!ヴェロニカ教の指導者たる老師は、今はわたしただ一人だ!」

 

 テセルは椅子に縛り付けられたまま胸を張ったが、答えた直後にしまったと顔を顰めた。

 こういう時は、相手の質問などひたすら無視すればいいのだ。そうでないと相手に主導権を握られてしまう。

 だが、自分は名実ともに教団のトップに立ったのだという自負がある。そして相応の覚悟もある。加えていえば、自分が大統領の傀儡に過ぎないのだという苦い認識もある。

 だから年若いテセルは、少なくとも見た目だけで言えば中等部そこそこの少年からお前はお飾りなのかと問われて、その質問を無視することが出来なかったのだ。

 テセルの苦み走った顔を見て、少年はほんの少しだけ笑った。

 

「じゃあ次の質問だな。あんたは今日の夜、どこであいつを生け贄に捧げる予定なんだ?あれだけの逸品だ、そんじょそこらの祭壇で生け贄の儀式を執り行ったんじゃ器の格が低すぎる。相応の場所を用意してるんだろう?」

 

 この質問にテセルは答えなかった。明後日の方向に首をやり、完全に無視を決め込む。無論、報復として暴力を振るわれるのは覚悟の上である。

 だが、想定していた罵声はないし、いつまでたっても衝撃や痛みもない。

 不気味になって視線を戻してみれば、金髪の少年は静かな笑みを浮かべて、じっとテセルを眺めていた。

 

「な、なんだ、何か言いたいことがあるのか」

「いや、あんた、結構可愛いところがあるなって思ってさ」

「可愛いだと?」

 

 思わずテセルは問い返した。

 その間の抜けた表情を見て、少年はさらに笑みを深める。

 

「あんた、そういう態度をしてたら痛い目に遭わされるってのは分かってるんだろう?」

「ふん、やはりその程度の輩か!げす共め、貴様らの思うようにすればいい!しかし神は全てをご覧になっている!遠からず神罰が貴様らの頭上に……」

「ご託はいい。痛い目に遭わされるのが分かっているなら重畳。それでもあんたは何もしゃべらない自信があるわけだ」

「む、無論だ!神の忠実な使途である私が、肉体的な苦痛如きに屈してたまるか!」

「じゃああんた、これまでにこんな感じで誰かに捕まって、拷問された経験があるわけだよな」

 

 テセルは口ごもった。

 少年の、緑色の瞳と桜色の唇が、より一層不吉な色彩を帯びていく。

 

「実際に体験してないと、耐えられるかどうかなんて分かるはずもない。そうだろう?じゃあ聞かせてくれ。あんたはその時、どういうふうに痛い目に遭ったんだ?殴られたのか?蹴られたのか?まさかその程度で拷問されたなんて言わないよな?爪を剥がされて歯を一本一本引き抜かれて、真っ赤な焼きごてを押し当てられる苦痛くらいまでは体験したのかな?」

 

 くすくすと笑いながらそんなことを言う。

 テセルのこめかみ辺りを、冷たい汗が伝った。

 

「指の関節を全部逆方向に曲げられたことは?全身の皮を剥がされたことは?ピンセットで腕の筋肉の繊維を一本一本引き千切られたことは?頭蓋骨を外され、剥き出しになった脳髄に電極を刺されて、痛覚を知覚する部位を刺激された状態で、筋繊維がばらばらに解れた腕を濃硫酸の水槽に突っ込まれたことは?」

「な、なにを、おまえはなにを……」

「おれは全部ある」

 

 黒目の上下に白目が浮くほど目を見開いたテセルは、冗談を言うなとばかりに口を大きく開き、しかし目の前の少年の瞳の奥の方を見て、その口を閉じざるを得なかった。

 この少年は、一切の嘘を吐いていない。それが理解出来たからだ。

 

「痛いぞ、あれは」

「い、いたい……」

「そりゃあそうだ。普通の人間なら、何度も痛みでショック死してるはずだ。それくらいに痛い」

「……」

「それでもあんたはしゃべらないんだ」

 

 そうだ、とは、テセルは言わなかった。

 言おうとしたのだが、恐怖に戦慄く唇は、その言葉を発することを許さなかったのだ。

 

「幸い、こっちにはそういうことのプロがいる。痛みでショック死させるようなヘマはしないさ。なぁシェラ?」

「ええ、仰るとおりですねリィ。拷問に熱を入れ過ぎて対象を嬲り殺してしまうなど行者の風上にも置けないへぼです。わたしに任せて頂ければ、必ず入り用の情報を聞き出してみせましょう。無論、結果としてこの男が廃人になることもあるでしょうが、その後の人生までは責任を持てません」

 

 今度は、まるで少女のように美しい銀髪の少年が、酷薄な笑みと視線でテセルの頬を撫でた。

 テセルは戦慄した。

 まるで死神に撫でられたような、その視線の冷たさ!

 少年の視線は、テセルを人間として扱っていなかった。まるで、自らの技術を発揮できる機会を喜んでいる皮職人が、極上の牛を見るような、暗い情熱に溢れた視線だった。

 駄目だ。この少年達は、自らの言葉に完全に忠実たるだろう。その熱意の対象である自分がいったいどんな目に遭わされるのか、テセルは想像することすら出来なかった。

 

「人は、自分がやられたことを他人にするのに、ためらわないものだ。おれは、おれが体験した拷問を五割増しにして、これからあんたに味あわせてやる」

「……」

「立派なもんだ。それでもあんたはしゃべらないんだな」

「……」

「それならそれでいいさ。おれも、あんたがどれだけ耐えられるのか、興味が出てきた。こっちはこっちで勝手にやるから、あんたはしゃべりたいことを適当にしゃべってくれ」

 

 いつの間にかテセルの横に大きめの机が用意され、その上には何に使うのか聞くのも憚られる、恐ろしげな器具が並んでいた。

 その一つを手に取った銀髪の少年が、嬉しそうに、無邪気な調子で笑った。

 

「懐かしいものです。こちらでは中々こういう器具は手に入らないと思っていたのですが、そうでもないのですね」

「蛇の道は蛇ってやつだな。いつの時代だって需要がある以上、こういう商品を専門で扱ってる業者はいくらでもあるぜ」

「それはいいことを聞きました。ヴォルフ、また後で詳しく教えて下さいね」

 

 少年はテセルの方を向き直り、

 

「さ、あれだけの啖呵を切ったのですから、覚悟はいいかとは聞きません。久しぶりなので手加減が出来ませんが、その点はご容赦下さいね」

 

 そう言って、テセルの方に一歩を踏み出した。

 何気ないその一歩が、テセルには、地獄の獄卒の歩みにしか思えない。

 今の今まで麻痺したように動かなかった口が、意味不明の悲鳴を喚き散らかそうとした、その瞬間。

 

「はい、それまでね。エディもシェラも、そろそろ気が済んだでしょう?」

 

 先ほどまでほとんどしゃべっていなかった黒髪の青年が、シェラと呼ばれた銀髪の少年の肩を押さえた。

 シェラはそうなることを予想していたのだろう、苦笑に近い表情を浮かべて、肩を一つ竦めた。少しだけ残念そうに見えたのは、テセルの臆病が度を過ぎたものだったからではないだろう。

 一歩下がった少年、その代わりに青年が一歩前に出て、がっくりと項垂れたテセルの前にしゃがみ込んだ。

 椅子に腰掛けたまま前のめりになったテセルの伏せた顔は、この数分のやり取りで十も老け込んだように見えたが、その疲れ切った表情を覗き込みながら青年は口を開いた。

 

「さて、色々とご愁傷様でした。疲れたよね?でも、もう少しだけ付き合って欲しい」

 

 テセルは如何にも弱々しい仕草で顔を持ち上げた。頬がごっそりと削げ、目の下には重たい隈が浮いている。

 それはまるきり病人の顔であった。あるいは、長時間の残虐な拷問に晒された捕虜の顔。

 

「色々と脅かしたけど、彼らはいつでもそれを脅しじゃなくすことが出来る。その点は理解してもらえた?」

 

 虚ろな瞳のテセルは、否とも応とも答えなかったが、黒髪の青年は満足げに頷いた。

 

「じゃあ改めて自己紹介をしようか。ぼくの名前はルウ。あなたの名前は?」

「……テセル。テセル・マニクマール……」

「じゃあテセルさん。ぼくたちは、ぼくたちの大切な人を助けに来た。そして、あなたはその人の居場所を知っているはずだ。だから、それを教えてほしい」

 

 テセルは、首を横に振った。

 

「……わたしは、あの少女がどこに監禁されているか、知らされていない……」

「本当に?」

「ああ、本当だ。仮に、先ほど君らが口にした拷問を私に施したところで、それ以上の答えはできない……」

 

 この答えに、椅子に縛られた方の銀髪の少年が何かを言いかけたが、その口を赤毛の少女が塞いだ。

 

「そう。残念だけど仕方ないね」

「……信じるのか、いまさら私の言ったことを……?」

 

 青年はにこりと笑った。

 それだけだ。

 

「質問を変えよう。あの子は、今夜、いったいどこで生け贄に捧げられるのかな?さっきエディも聞いてたけど、それくらいは分かるんでしょ?なにせ、あなたが祭司を勤める儀式なんだから」

「……どうして私が祭司を勤めると?」

「さっきエディが言ってたとおりだよ。儀式には格というものがある。生け贄が最上級の代物なら、それを捧げる祭壇も、儀式を司る祭司も、それに合わせたものじゃないと意味がなくなってしまう。儀式とは正しくそういうものだ」

「……」

「あの子がヴェロニカ教の神への供物ならば、それを捧げる神官はヴェロニカ教団の最高の位を持つ者でなければならない。それはつまりあなたのことだ。そして、そのあなたが、儀式の執り行われる祭壇の場所すらを知らないなんてあり得べき話じゃない。違うかな?」

 

 テセルは、やはり無言で首を振った。

 

「……認めよう。私が、かの少女を捧げる儀式の祭司を勤めるのだ。そして、その祭壇の場所も知っている。だが、私はその場所を話すことは出来ない。それが不服ならば、よろしい、どのような拷問にでも私をかけるがよかろう。それでも私は、たった一晩程度、どのような苦痛にでも耐え忍んでみせる……」

「一晩耐えれば、あなた以外の誰かが祭司を勤めて、あの子を生け贄に捧げる儀式は完遂される、そういうことかな?」

 

 疲労困憊の様子のテセルが、俯いたまま、弱々しく頷いた。

 それを見て、青年は悲しげに微笑んだ。

 

「無理だよ。そんなことをしても時間の無駄だし、あなたがつらい思いをするだけで何の意味もない。だって、あなたはさっきエディが言ったような過酷な拷問をするまでもなく、絶対に話してしまうだろうから」

「私を侮辱するのか。私はこれでもヴェロニカ教の老師だ。ならば、ヴェロニカ教に仇為す輩にそう易々と口を割ってたまるものか」

「そうだね。あなたが守ろうとしているのがヴェロニカ教そのものならば、あなたはどんな苦痛にだって屈しないだろう。けれども、今あなたが守ろうとしているのは、本当にヴェロニカ教そのものなのかな?」

 

 テセルが弾かれたように顔を上げ、青年と視線を合わせた。

 自分を真っ直ぐに見つめる、青い瞳。

 その輝きを恐れるかのように、テセルは再び項垂れた。

 

「あの子も、この前の満月の晩に死んだ可哀相な女の子も、他の人間と比べて特別の罪悪を犯したようなことはない、普通の女の子だ。なのに、そんな罪もない子供の命を生け贄に捧げてまで自然を絶対的に崇拝するのが、聖女ヴェロニカの教えなの?」

 

 違う。

 だから、テセルは精一杯に反対したのだ。そのような野蛮な行為を犯せば聖女ヴェロニカの教えが地に堕ちてしまう、と。

 しかし、今やヴェロニカ教団の主流を占めるのは大統領派であり、その言に唯々諾々と従うだけの操り人形しかいない。その中で、いくらただ一人の老師といえど自分の意見を貫くのが如何に困難か。

 そして何より、アーロン・レイノルズ、あの男の底知れぬ恐ろしさ。あの男の、死んだ魚のように熱の無い瞳に自分の姿が映ったとき、まるで魂を悪魔に握り締められたように、名状し難い畏怖を感じるのだ。それに、もしもあの男の言葉に逆らったとすれば、自分がビアンキ老をはじめとする旧指導陣を裏切った事実が暴露されるだろう。そうすれば自分は背教徒としてこの星から放逐されるに違いない……。

 仕方なかったのだ。自分には、あの男の言葉に従う以外の選択肢が存在しなかった。

 だから……。

 

「……そうだ。私は、ヴェロニカ教を守りたいのだ。少女を生け贄に捧げるのも、ここで秘密を守るのも、全ては聖女ヴェロニカの教えを守るために……」

「正しいことをしている、そう言いたいの?」

「……そうだ」

「正しいことをしている、そう言い切れるの?」

「……」

「じゃああなたは、夢の中で、誰に対して許しを乞うているの?」

「……何を……」

「すまない、すまないって、涙を流しながらあんなにも苦しそうに、あなたは誰に謝っていたの?」

 

 青年は、テセルの目の下を指で拭い、その指をそっと差し出した。

 指の先は、透明な液体で濡れていた。

 

「……私は、謝っていたのか」

「聞いてる方がつらくなるような、悲しい声で」

「……」

 

 テセルは、先ほど見た夢を思い出していた。

 生け贄に捧げられる、少女の夢。

 それを見ながら、自分は詫びていたのか。涙を流しながら。

 なるほど、神を失い信仰を失い、人間としての品性を悪魔に売り渡した自分にも、罪を罪と分別するだけの羞恥心は残されていたらしい。

 

「それでも、それなら尚のこと、私は君たちに祭壇の場所を教えるわけにはいかない」

 

 テセルは、奇妙な熱を瞳に孕ませて、言った。

 

「もう、歯車は回り出してしまったのだ。それが間違えていることであったとしても、いや、間違えていることだからこそ、止めるためには犠牲と覚悟が必要になる。私にはそのどちらも無い。だから……」

 

 そこまで言って、はたと気づいた。

 この台詞は、誰かが、どこかで言っていたのではないか。

 そう考えたテセルは、すぐに思い当たった。

 そうだ、この台詞は、師であるビアンキ老師が、総本山を訪れた大柄な赤毛の女性に言っていた──

 

『あなたは、おそらく全てを終わらせるためのこの星に使わされたのでしょう。しかし、わしにはあなたの礎になる勇気がありません。だから、お願いします。どうかこの老人から、荷物を奪わないでください。わしを、ただ朽ちゆく肉にしないでください』

 

 そうか。

 あの時、ビアンキ老師は、自分が今のようになることを見越して、奥義の伝授を拒まれたのか。

 テセルは全てを理解した。そして、ミイラと見紛うばかりに痩せこけたビアンキの肩に、どれほど重たい荷物がのし掛かっていたのかも。

 そして、その荷物が今、自分の肩にのし掛かっているのだ。

 荷物の声が、聞こえる気がした。それはしゃがれた老人の声で、こう囁き続けるのだ。

 自分をいつまでも抱え続けろ、と。

 何事も変化させずに次の世代へ引き渡せ、と。

 自分に逆らうのは許さん、と。

 これでは逆ではないか。抱えられている荷物のほうが、いつの間にか全ての人間を支配している……。

 ならば、ヴェロニカ教はいつまでもこのままなのか。トリジウムを秘匿し、鉱毒で異教徒を殺し続け、その益で自分達だけが肥え太り、信徒の心は醜く堕落していく。

 その醜悪な循環が、聖女の教えの本質だったのか。

 そんなもののためにこれまでの人生を費消してしまったのか。

 いや、そうではない。そうではないはずだ。そうだなんて、認めることはできない。

 

「くっだらねぇ」

 

 吐き捨てるような声がした。

 銀髪の、拗ねた目つきの少年が、椅子に縛り付けられたまま、テセルの顔を睨め上げていた。

 

「宗教だ神様だ偉そうなことばっかり宣ってて結局はそれかよ。あんた、そう言って殺し続けるのかよ。一度始まったことは止められないとか言って、あいつを生け贄に捧げるのか。あいつは、そんなくだらないことのために生け贄にされるのか。そんなの絶対に許さねぇぞ!」

「ぼくもそう思う。そんな後ろ向きの理由のために生け贄にされたんじゃ、あの子だってきっとたまらないはずだ。それに、今までこの星で密かに葬られてきた人達、トリジウムの毒で死んだ人、戯れに嬲られて殺された少女、彼らが可哀相だ」

 

 テセルは頬を歪めて笑った。

 

「可哀相だと?無論その通りだ。しかし、だからどうしろというのだ。彼らは既に物言わぬ死人だ。今更彼らにどう詫びることが出来る?涙を流して土下座しろというのか?金銭で贖えというのか?ああ、その程度ならいくらでもしてやるさ。しかし私の謝罪はどうしたって彼らには届かない!何故なら彼らは既にこの世の者ではなく、彼らと我らを繋ぐべき神は、この星にはいないからだ!」

 

 この星にいるのは、トリジウムという名の疫病神でしかないのだから。

 

「そうかも知れない。この星に、神様はいないのかも知れない」

 

 でもね、と、青年は沈鬱な声で、

 

「神がいようといまいと、死ねばそこには魂が残る。魂が残れば無念が残る。無念が残れば、鬼になる」

「鬼だと?何を馬鹿な……」

「本当だよ。悪霊、祟り神、呼び方は何だっていい。死して後に生者を道連れにする存在。それは、この宇宙のどこにだって存在しうる」

「……そうかも知れないな。彼らは無為に殺されたのだ。今まで積み重ねてきた人生を台無しにされたのだ。ならば、さぞ腹立たしいことだろう。さぞ我らを恨んでいることだろう……」

「違う。彼らが恨んでいるのは、あなた達じゃない」

「なんだと?」

「彼らが恨んでいるのは、いつだって彼ら自身なんだ」

 

 黒髪の青年の瞳には、薄い涙が浮いていた。

 

「恨みや未練を残さない死なんてこの世にそうそうあるものじゃない。むしろ、恨みや未練を残して死ぬ人間が大半だ。でも、たったそれだけのことで一々人の思念がこの世に残されたんじゃあ、世界は救われない魂であっという間にいっぱいだ」

「それは……そうだろう。だが……」

「彼らを悪霊に、祟り神に、鬼にするには、そんなものじゃない。彼らの無念を知る生きた人間の後悔、罪悪感、後ろめたさ、そういうものが混じり合って彼らを負の存在に仕立て上げていくんだ。そしてその場合、彼らは誰を恨むことも出来ない。自分を殺した人間を恨んでも、もう自分達が解放されることはないんだからね。かといって世界全てなんて大きなものを恨み続ける事なんて不可能だ。ならば、恨むことが出来るのは、恨みに縛り付けられている自分だけ。だから彼らは鬼になる」

 

 鬼になる。

 何の罪もなく、何の意味もなく、狼たちに喰い殺された憐れな少女が、鬼に。

 

「そんな馬鹿な話が……」

「そうだろうか?事実、あなたはもう歯車を止められないと言った。それは、既に生け贄に捧げられた少女がいるからであり、今まで歴史の中であなた達が葬ってきた死者がいるからだ。あなた達はその重さから目を逸らすために、今回っている歯車を回し続けようとしている。違うかな?」

「……」

「ならば、これからあなた達に殺された人間は、鬼になった彼らに取り殺されたのと同じことだ。そして彼らは殺し続ける。殺し続ければ、いずれ本物の鬼になり、誰にも救うことの出来ない憐れな存在として永劫を生き続ける……」

 

 テセルの背を、粘い寒気が遡った。

 その悪寒を振り払うように、テセルは激しく首を振った。

 

「で、でたらめだ!そんなことがあるはずない!そんな馬鹿な話を信じられるものか!」

「そのとおり、これは馬鹿な話かも知れない。全くの嘘っぱち、口からの出任せかも知れない。でも──」

 

 ──そうじゃ無いかも知れない。

 

 その時、テセルは、青年の瞳をまざまざと覗き込んだ。

 思わずテセルは声を上げそうになった。

 そこにあったのは、生け贄に捧げられた少女の顔であり、トリジウムの毒素によって化け物の姿になって死んだ無数の誰かであり、そして何より、かつて熱い理想をもってヴェロニカ教典を紐解いていた頃の自分だったからだ。

 そしてかつての自分が今の自分を眺める、無味乾燥な瞳はまるで、自分があの老人達に向けた──

 

「もう一度聞くよ?あなたが守ろうとしているものは一体何なのかな?本当にヴェロニカ教そのものなのか、それとも──」

 

 

「ルウも中々容赦がないですね」

 

 出発の準備を淡々と進めながら、テーブルで作業を進めるシェラが呟いた。

 その呟きを聞いたリィが、窓の外の緑木を眺めながら苦笑した。

 

「それを言うならシェラ、お前のお芝居も真に迫るものだったじゃないか。拷問器具を選んでいる時の嬉しそうな顔、まさか本気だったんじゃないだろうな?」

 

 一族独自の武器である銀線や鉛玉を一つ一つ入念に点検しながら、シェラも苦笑いを浮かべた。

 

「やれと言われればいつでもやるつもりでしたけどね。ああいうのは先に自分の作った雰囲気の中に相手を飲み込んだ側の勝ちですから。それに、今まで習い覚えた技術を試すのが楽しくないはずがないでしょう?」

「拷問が好きなのか?」

「ええ、好きですよ。無論、人を痛めつけて興奮するような醜い性癖を持ち合わせているわけではありませんが、生かさず殺さず相手の自我を保ったまま欲しい情報を聞き出すというのは中々高い技術を要求されますから、自分の力量を発揮する場として猛るものがあるのは否定できません」

 

 あっけらかんと言う。

 普通であれば、美しい少年の罪悪感の欠落ぶりに顔を顰めさせたり憐れを感じたりするのだろうが、リィは平然と頷いた。

 

「それはそうだ。誰だって自分が苦労して研鑽した技術を使える機会、楽しまない筈がないもんな」

 

 シェラは輝くように微笑んだ。

 

「ええ、ご理解賜れたようで幸いです」

「でも、あまりおおっぴらには言わないでくれよ。この世界、基本的に血生臭いことは御法度なんだから」

「もちろんですとも。だからこそ、こういうことを気兼ねなく話すことの出来る人は大事にしたいものです」

 

 その言葉が誰のことを指しているのか、あらためて問うまでもない。今からその誰かさんを助けに行くのだから。

 

「それにしても、あの男、もう少し粘ると思いましたが意外とあっさりでしたね。実際には針の一本も刺されずに口を割ってしまうとは。それとも、これがこの世界、この時代の標準なのでしょうか?」

「いや、それは多分違う。ルーファも言っていたけど、もしもこれが心底あの男が正しいと信じていることだとしたら、おれが言ったような拷問をしたとしても口を割らなかったはずだ。シェラ、お前の腕を疑うわけじゃないけど、お前でも相当苦労したと思うぞ」

「そんなものですか。ちなみに何故?」

「ぼくにも彼の心の声が聞こえなかったからね」

 

 シェラが鉛玉をテーブルに置く。その、ごとりと重たい音と合わせて、部屋のドアが開いた。

 姿を現したのは、黒テンの毛皮のように滑らかな黒髪を持つ、柔和な青年だった。

 

「ルウ」

「これは今までの経験則だけど、ぼく達にも心が見えず聞こえない人っていうのは、相当偏屈な人か頑固者が多くてね。言い方を変えれば、凄く一途なんだよ。だから、口説き落とすのにも凄く苦労させられる」

 

 ルウには、普通の人間が心で思ったことは、まるで自分の耳元で喚き散らかされたかのように聞こえるのだ。特別な力を使うまでもなく、それが普通なのだ。だから、普段はそういう声を一々聞かないよう、もう一つの耳を閉じてしまっている。

 だが、その耳を傾けても、心の声が聞こえない人間というのは稀に存在する。例えばそれは宇宙を股にかける凄腕のゲートジャンパーだったり、あるいは小型の戦闘機で艦隊一つを相手にしかねない赤毛の女性であったり。

 そして、今は悄然と項垂れ、虚ろな視線で床を見つめるだけの男も、そのごく少数の中の一員だったらしい。

 

「もっとも彼の場合は他の人と事情が違うんだと思うよ。例えばぼくはシェラの心の声は聞こえない。もちろんシェラの方から語りかけてくれたら別なんだけどね。シェラは多分生まれた時から声を外に漏らさない人だったんだ。それはキングやジャスミンも同じだね。でも、あの人は違う」

「違う、というと?」

「稀にいるんだよ。特に多いのが、お坊さんやスポーツ選手、あとは学者さんかな?何か一つの物事に邁進して脇目も振らないような人の中に、後天的に心の声を外に漏らさなくなる人がね」

「それがあの男だと?」

 

 シェラの疑念に、ルウが頷いて返した。

 

「そういう人は、自分の打ち込んだたった一つのために人生そのものを費やしていることがほとんどだ。言い方を変えれば求道者、それとも頭のネジの巻き具合のおかしな人達。そんな人は、心の声を話すことすらも忘れてしまうのかも知れないね」

「ですがルウ、あなたは先ほど、あの男の心を読んでいたでしょう?」

「流石シェラ、気が付いていたの?」

 

 ルウは照れくさそうに頬を掻いた。

 

「確かに何度か彼の心の声は聞こえたよ。でもそれは、聞こえたんじゃなくて、彼の方から語りかけてきたんだよ。つらい、苦しい、助けて欲しいって」

 

 だからこそ、ウォルの監禁されている場所を知らないと言ったテセルの言葉を、ルウは鵜呑みに信じたのだ。

 

「要するに彼は、体が大きくなっただけの子供なんだよ。どれだけ知識が多くても、彼の魂にはたった一つのことしか刻み込まれていない。例え間違えていると分かっていても、そこに刻まれたものに従った行動しか取るほかなかったんだ。でも、彼の魂の奥底はそれに猛烈に反発していた。だから、子供だましみたいな方便にでも引っかかってくれた。いや、彼自身がそれを求めていたんだろう」

 

 リィが頷いた。

 

「まぁ何にせよ上手くいってよかった。もしもあの男があんまり渋るようなら、非常手段を取らざるを得なかったしな」

「リィ、非常手段とは?」

「うん?ヴェロニカ教徒が心底嫌がること、こないだの事件で学んだじゃないか」

 

 こないだの事件。

 それはきっと、彼らが全くのとばっちりで未開の惑星に置き去りにされた事件に違いない。ということは……。

 

「でも、嫌がる人間に無理矢理肉を食べさせるなんて勿体ないにも程があるし、出来れば使いたくなかったんだ。ほっとしたよ」

「……今度こそ人権審議委員会で申し開きが出来なくなるところでしたね」

「申し開きなんかするつもりはないぞ?おれがやったならやったってはっきり言うさ。この場合は同盟者の命を守るための緊急避難だな。仕方ないことだろう?」

「仕方ない……確かにそうなのでしょうが……」

「いいじゃないの、結局その手段は使わずに済んだんだから」

 

 頬を緩めながらそう言ったルウは、窓の外に目を向けた。

 太陽は、既に中天に差し掛かっている。

 あれが地に隠れ、もう一つの天体が夜空を支配したとき、彼らの大切な人の命が一つ消え失せるのだ。

 

「さぁ、そろそろ行こうか。もう、あまり時間はないらしい」

 

 先ほどまでの和やかな空気を一切合切振り払い、リィとシェラが同時に立ち上がった。

 目指すは聖地ナハトガル。

 そこは、聖女ヴェロニカが火刑に処され、聖獣とともに天へと昇った、ヴェロニカ教で最も神聖とされる伝説の地である。

 

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