懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第八十二話:凶報

 インユェにとって丸二日ぶりの食事は、彼らの船である宇宙船《スタープラチナ》号の食堂で執り行われた。 

 パーソナルスペースには少々変わった造りの部屋も多いこの船だが、さすがに共用スペースである食堂はごくごく一般的な造りである。逆に言えば、ひどく殺風景で味気なく、取り柄といえば広いだけ。 

 だが、今日はまことに彩り鮮やかであった。 

 まず、普段はせいぜい三人しか集まらないこの場所に、今日は十人近い人が溢れている。 

 また、その個性も極めつけに豊かである。頭髪の色からしても、金、銀、黒に赤と目に楽しく、また瞳の色などは黒に緑、紫に青に茶に琥珀色と、片手では数え切れないほどである。 

 何より、その全ての者が、各人の個性豊かな外見でも到底包み込めないほどに強烈であくの強い内面を有しているものだから、むしろ殺風景なくらいの風景でないと演者に舞台が負けてしまう。そういう意味では、この食堂は彼らに相応しいのかも知れなかった。 

 彼らは、半病人であるインユェとマルゴ、そしてウォルを除いて、みんな忙しく動き回っていた。宇宙では『働かざる者喰うべからず』が大原則であるから、現役の宇宙生活者であるメイフゥは言うに及ばず、ケリーやジャスミンも自分たちが大財閥の実質的支配者であることなど鼻にもかけず働いた。リィも小さな体をてきぱきと動かし、ルウはのんびりとした表情ではあったが手足は機敏に動かした。 

 だが、誰よりも忙しかったのはシェラであろう。左手はフライパンを握り、右手は菜箸を動かしながら、目は隣の鍋で作っている魚の煮汁の具合に注意を配り、耳はオーブンで焼けるローストビーフの油の弾ける音に向けられ、口は揃いも揃って個性的な面々に指令を下し続けていたのだから。 

 

「ルウ、申し訳ありませんがテーブルの飾り付けをお願いしてもよろしいですか?ケリー、そのサラダは完成ですからテーブルへ運んでください。ジャスミン、この煮汁はその浅い皿ではなく……そうそう、その深皿でお願いします。リィ、そろそろローストビーフが焼けるはずですので切り分けをお願いできますか?わたしはグレービーソースを作りますので。……メイフゥ!つまみ食いしている暇があるならそこに並んでいる缶詰を片っ端から開けておきなさい!」 

 

 その有り様は戦場の敏腕指揮官といった風情だったから、誰一人として逆らわない。戦場では、優れた指揮官の命令に逆らうことは、即ち死を──この場合には上等の料理にありつけないことを──意味するのだ。 

 一方、まだ傷の癒えない、もしくは癒えて間もない、ウォル、インユェとマルゴの三人は、置物のように椅子に腰掛けながら、目の前のテーブルに綺麗なクロスが掛けられ、見事な花が生けられ、そして美味しそうな料理が次々と並んでいく様子を、まるでマジックショーの観客のように眺めていた。 

  

「こりゃあすげぇ……」 

 

 インユェが呆然と呟いた。彼自身、人並み以上に料理には覚えがあるから、シェラの腕前が素人の域に収まらないことを思い知らされたのだ。 

 料理が上手なのは当たり前。それよりなにより、限られた時間、限られた食材で、これほど多彩な料理を短時間に完成させる手際が尋常ではない。中には缶詰を数種盛りつけただけの皿もあるのに、誰が見てもそんなお手軽料理には思えない見事さである。 

 この様子には、マルゴも目を丸くしていた。 

 

「あの子、何者?本職の料理人……にはどうしても見えないのだけど」 

 

 ウォルが苦笑した。 

 

「あれは、いわゆる女の仕事というやつには、ありとあらゆる職域で信じられない手際を発揮するぞ。しかし、そのどれもが本職ではないときている。将来、シェラの嫁になる女性はさぞかし苦労をするのだろうなぁ」 

 

 インユェとマルゴは無条件に頷いた。特に、リィやルウに比べればシェラは一枚落ちるのだと思い込んでいたインユェなどは、シェラを心底見直していた。宇宙において、こういう日常生活の技術は存外重要な意味を持つ。それこそ、単純な腕っ節などとは比べものにならないほどに。 

 今度、料理を習おうか。インユェが真剣にそう考えている間に、テーブルはいっぱいの料理で埋め尽くされていた。 

 豚肉と刻み野菜の炒め煮、ぶつ切りにした魚の煮汁、大海老の椀、たっぷりとソースのかかったローストビーフ、鶏肉と豚の臓物と芋の煮込み、魚介の擂り身の揚げ物、そして焼きたてのパン……。 

 例えようもないほど良い香りが、三人の食欲を刺激する。特に、丸二日もお預けをくらっていたインユェの胃は、溢れんばかりの期待の念を、盛大な腹の虫の鳴き声に変えて喜んだ。つまり、ぐぅという間抜けな音が盛大に響き渡った。 

 まるで女の子のように頬を赤らめたインユェに、ウォルは意地悪な目つきで笑いかけた。 

 

「あまりがっついて喉に詰まらせるなよ」 

「わかってるよ、うっせえな!」 

 

 ウォルはからからと笑った。くすくすと笑わないところがなんとも彼女らしい。 

 インユェは、喉元まででかかった『ドレイの分際で!』という言葉を飲み込んだ。もう、ウォルには自分の気持ちが痛いほどに伝わってしまっているのだ。今更そんなことを言っても滑稽なだけで、自分が恥ずかしい思いをするだけだ。 

 そうだ、自分はこの少女に、思いの丈をぶつけてしまっているのだった。そのことに考えが至ると、どうにも気恥ずかしく、むず痒かった。それに、思い返せば返事はまだもらっていない。 

 もじもじと体を揺すりながら自分の顔をちらちら見遣るインユェに、ウォルは不審の念を抱き、何か言いたいことがあるのかと首を傾げて見せた。その様がまた可愛らしくて、あどけなくて、インユェはいっそう顔を赤らめた。 

 そんな二人を見て、マルゴが溜息をついた。 

 

「何やってんだか……」 

 

 マルゴが行儀悪くテーブルに肘をついたのと、残りの料理を両手に抱えたシェラ達が調理場から姿を現したのとが、ほとんど同時だった。 

 

「これで料理は全部揃いました。さぁ、頂くとしましょうか。あと、言うまでもないことですが、この星の食材は一切使っていませんから、肉類を食べても中毒の心配はありませんのでご安心を」 

 

 おそらく、《スタープラチナ》号に積まれていた食材と、あとは『パラスアテナ』から取り寄せた食材で料理に必要な材料をまかなったということだろう。 

 それにしてもこの料理の量は……。 

 ただでさえ料理で溢れかえっていたテーブルの僅かに残された隙間が、まるでブロック型パズルゲームのように、最後の料理で埋め尽くされていく。 

 その光景を見たインユェとマルゴはぽかんと口を開けた。 

 

「あの、シェラ、ちょっといいかしら」 

 

 行儀良く椅子に腰掛けたシェラが、笑顔とともに訊いた。 

 

「なんでしょうか、マルゴ」 

「その、あなたの料理の腕前が素晴らしいことは十分に分かったわ。でも、これはちょっとやり過ぎじゃないの?」 

「やり過ぎ、とは?」 

 

 不思議そうな顔をしたシェラに、マルゴはテーブルの料理を指さし、 

 

「いくらなんでも、これを全部食べるのは無理でしょう?そりゃあ、ケリーやジャスミンは人一倍食べるんでしょうけど、それでも十人前そこそこもあれば十分なはずよ?これ、どう見ても二十人前は軽くあるみたいだけど……」 

 

 ああ、そういうことかとシェラは合点がいった。そして、くすくすと笑った。マルゴの感覚が、いわゆる普通の人間並のそれだったので、逆に新鮮だったのだ。 

 

「何がおかしいの?」 

「いえ、失礼。確かに、普通ならあなたの言うとおりなんでしょうね。でも、あなたはリィやケリー、そしてジャスミンがどれだけ食べるかご存じない」 

「おれも食べるぞ」 

 

 ウォルが手を上げたのを、シェラは慇懃に無視をして、 

 

「断言しておきます。この食卓に残り物は絶対に発生しません。マルゴもインユェも、もしお腹いっぱいに食べたいのなら遠慮は無用と思ってください。ちなみに──」 

「……ちなみに?」 

「今、テーブルに並んでいるのと同じだけの料理が、まだキッチンで準備中です。わたしはそれでも足りるかどうか心配をしているといえば、あなた方の置かれた状況が理解出来るでしょうか」 

 

 シェラの密やかな声が、何故だか恐ろしかった。 

 マルゴとインユェが、同時に唾を飲み下した。食欲がそうさせたのではない。戦慄がそうさせたのだ。 

 かくして食事は始まった。 

 席はもちろん自由だったのだが、ウォルを基準にして、右側にリィ、左側にインユェ、そのさらに左にメイフゥ。反対側には、右側からジャスミン、ケリー、マルゴ、一番厨房に近い席にシェラが座るという配席となった。 

 

「お、これは西離宮でご馳走になった件の料理ではないか。懐かしいな」 

「こっちはシッサスの酒場の名物だった、臓物の煮込みだぞ!シェラ、こんな料理、よく覚えていたな!」 

「ええ、団長があそこの料理は絶品だという話をしておられたので、一度こっそりと味見をしにいったことがありまして。どうですか、お味の方は?」 

「うむ、正しく絶品だ!……それにしても、こんな旨いものを思うように喰うことすら出来んのだから、国王とは本当に因果な商売だったなぁ……」 

「泣くなよウォル、うっとうしい」 

「ふむ、ということは、この料理はあちらの世界の料理というわけか。どれどれ……」 

「どうだ、女王?」 

「……お前も食べてみろ、海賊。元々この料理が旨いのか、シェラの腕が素晴らしいのか、その両方か、どちらにせよほっぺたが落ちそうだという比喩の意味がよく分かる」 

「……こりゃ旨ぇ!シェラ、今度ダイアンにレシピを教えてやってくれよ!この料理をお前さんの頭の中だけで独占させるのは、国家的な損失だぜ!」 

「そんな、大げさですよケリー……」 

 

 そんなふうに長閑な会話を楽しみつつ、彼らは大いに食べたのだ。 

 リィもケリーもジャスミンも、もちろんウォルも、がつがつと料理を胃に押し込むようなことはしない。淡々と口に運ぶだけだ。ただ、そのスピードが常人のそれと比べれば尋常ではなく、また速度がいつまでたっても落ちない。 

 ケリーとジャスミンはまだいい。体格が常人とは桁違いなのだから、食べる量が多いのだって理解の範疇である。 

 しかし、子供から大人に脱皮しつつある程度の体格でしかないリィとウォルが、これほどの量を食べて、まだ次の料理に目を光らせているのはどういうことだろう。 

 テーブルの料理の半ばまでが姿を消したというのに、あの様子ではまだ腹三分目といったところか。 

 それに加えてメイフゥもよく食べる。こちらは小気味よいほどがつがつと、本当に美味しそうに食べ、賞賛の言葉も忘れないものだから、作り手であるシェラもまんざらではなさそうだ。 

 インユェとマルゴは、おそるおそるといった様子で料理を口に運んだ。別に何を恐れているわけではなかったのだが、何故だかそういう動作になってしまったのだ。 

 

「あれ、マルゴ、そういえばお前は肉の料理を食べても平気なのか?」 

 

 ケリーがそう訊いた。 

 マルゴは、曲がりなりにも惑星ヴェロニカ出身である。そしてこの国で生まれた人間のほとんどは、ヴェロニカ教徒としてその教義に身を捧げる。言うまでもない、肉食の禁止である。 

 その質問は十分に予想していたのだろう、マルゴは平然としながら、 

 

「生憎わたしは肉を食べないと力が出ない体質なの。軍人なんだから、教義の前に任務の達成よ」 

 

 つまり、純粋な意味でのヴェロニカ教徒ではないということか。 

 大統領としても、色々な意味で大切な我が子への食事だ。トリジウムで汚染されていない肉を用意したことだろう。 

 

「しかし、俺がお前らに拉致されて最初に招かれた食事では、野菜しか食ってなかったんじゃないか?」 

「部隊には、ヴェロニカ教に帰依している子ももちろんいたわ。ああいう食事は楽しく食べるのが大切なんだもの。わたしだってそれに合わせるわよ。今は、どうしたって肉を食べることの出来ない人は遠慮して席を外してくれているのだから仕方ないけどね」 

 

 年に似合わぬ優雅さで、マルゴはワイングラスを傾けた。 

 インユェも、とりあえずマルゴの真似をしてぎこちなくグラスを飲み干した。酒の味がまだ分からないのか、少し顔を蹙めながら。 

 

「おいおいチビガキ、ワインくらいで顔顰めるんじゃねぇよ。こんなもん、水だろうが水」

 

 せせら笑いながら、メイフゥがかっぱかっぱとグラスを空にしていく。

 

「ふん、俺は酒の味を楽しんで味わってるだけだよ!強い弱いなんてくだらねぇぜ!」

「お、いっちょまえに言うじゃねえか。じゃこれ呑んでみろ。味は保証付きだぜ。その代わり、ちぃとばかし強い酒だから、お子ちゃまには向かないかもなぁ?」

「おう、望むところだ!寄越しやがれ!」

 

 そうこうしているうちに、かなりの料理が姿を消した。頃合いを見計らって、シェラが席を立った。 

 

「さて、それでは追加の料理の仕上げをしてきますので、少々お待ち頂けますか?」 

 

 かなりの料理を平らげて人心地ついたらしいウォルが、ナプキンで口元を拭いながら、 

 

「おう、悪いなシェラ。何か手伝えることがあったら言ってくれ」 

「……ウォル。今更あなた陛下とは呼びませんが、それでも元の身分の差というものをもっと弁えてください。誰にも平等に接するあなたの有り様は得難いものだとは思いますが、度を過ぎれば残酷です」 

「……どういう意味だ?」 

「あなたに手伝われては、わたしの立つ瀬がないということです」 

 

 ぴしゃりとそう言い、特大の溜息を吐き出したシェラが、厨房の方に姿を消した。 

 ウォルが、ワインを一口飲んでから憮然とした様子で、 

 

「そんなに気にすることはないと思うのだが……なぁ、リィ」 

「ああ、おれもそうは思うけど……中々難しいんじゃないか?」 

 

 そんなやりとりを不思議そうに眺めていたメイフゥが、思う存分がつがつと食べていた料理を強引に飲み下し、口の周りをソースでべたべたにしたまま訊いた。 

 

「おい、リィ、今のはどういう意味だい?どうしてシェラは、あんなにウォルに気を遣ってるんだ?」 

 

 リィはパンを千切って口に放り込んでから、 

 

「別に面白い話でもない。ただ、ウォルはあっちの世界では伝説に名を残すような名君で、シェラは王女付きの女官だったってだけさ。だから、ちょっとばかり立ち位置に困ってるんだ」 

「……そりゃあ、シェラも大変だわなぁ」 

 

 厨房の方を眺めながら、気の毒そうに言った。メイフゥは、世間一般の常識からは隔絶した世界である資源探索者としての生活を好んでいるから、いわゆる身分の差とかそういうものには殊更疎い。それでも、国王が偉いのだということは理解出来るし、決して台所仕事を手伝うような存在ではないことも理解出来る。 

 もしも国王が台所に立って皿洗いでも始めれば、厨房担当の女官は泣いて止めるだろうし、気が触れでもしたのかと御典医を呼ぶかもしれない。とにかく、蜂の巣をつついたような大騒ぎになることは目に見えている。 

 メイフゥですらそう思うのだから、実際にウォルに仕えたことのあるシェラなどは、どうしたってウォルを厨房に立たせようとは思わないだろう。 

 

「しかしリィよ、俺だっていつまでも据え膳上げ膳という訳にはいかんのだ。いつになれば役に立つのかは置いておいて、花嫁修業というやつもそろそろ始めんとな。シェラには迷惑をかけるが……」 

 

 ウォルが憮然と言った。 

 リィが、思いっきり渋面を作った。これは、彼にとってあまりありがたくない会話の開始を告げる号砲だったからである。 

 予想通り、この場に居合わせたほとんどの人間が瞳をきらきらとさせていた。 

 

「そうだ、忘れていた。きみとウォルの馴れ初めを、訊かなければならないんだったな」 

 

 ジャスミンがわくわくしながらそう言えば、 

 

「それに、結婚式の日取りもだぜ。連邦大学は中等部、高等部は無理でも、大学生になれば学生結婚を認めているはずだからな、四年後には正々堂々、式を挙げられるって訳だ」 

 

 ルウはにこにこと頷き、 

 

「中には赤ちゃんを保育室に預けて講義を受けてる生徒もいるくらいだからね。結婚はもちろん、赤ちゃんだって作れるよ!」 

 

 メイフゥはグラス片手に不敵な笑みを浮かべ、 

 

「いーや駄目だね、こいつはインユェの嫁なんだ。もう、連邦大学なんてかび臭ぇところに戻る必要なんてないのさ。今日、この場所で式を挙げて、そんでこの船で資源探索の旅に出るんだ。さぁウォル、あたしのことはお姉様って呼んでいいぞ!リィも一緒に行こうぜ!なんならあたしがあんたの嫁になってやるからさ!」 

 

 マルゴは我関せずといった調子で食事を口に運びながら、しかし耳はこちらを向いて一言も聞き逃すまいとしている。 

 そんな面々に、リィとウォルはたじたじに追い詰められた。 

 リィが、厳しい視線でウォルにメッセージを送る。『おい馬鹿、どうするんだ、全部お前のせいだぞ!』の意味である。 

 ウォルも、情けない視線でメッセージを返す。『まことに相済まん、俺が軽率だった、許せ』の意味である。 

 リィは、顔を押さえながら深く溜息を吐き出した。これは、諦観の念を込めた溜息である。 

 そして、ぶっきらぼうな声で言った。 

 

「順々に答えるぞ?まずこいつとの馴れ初めは、あっちの世界の野原で、おれが良い気分で昼寝をしていたら、隣でこいつが殺されかけてた。それを助けたのがきっかけだ。結婚式の予定は未定。もちろん子供も当分もうけるつもりはなし。それに悪いけどメイフゥ、こいつもおれも補修が山のように溜まってる」

  

 おー、と声が上がる。 

 

「そうか、出会いからしてドラマチックだったのだな、きみ達は。美貌の少女の危ない場面に馳せ参じた少年騎士、まるでお伽噺か少女向けの漫画のストーリーのようじゃないか」 

「全然違うぞジャスミン。だってそのとき、おれは何の因果か女の子で、こいつはいい年こいた大人の男だったんだからな。配役が全く逆だ」 

「おお、そういえば」 

 

 ジャスミンがぽんと手を叩く。 

 

「そんでどうしたんだ?」 

「どうもこうもないさ。行きがかりで助けてしまったんだ、そのまま見捨てるのも寝覚めが悪いし、こいつは中々面白いやつだった。だからくっついていったらいつのまにか王女にさせられるわ王妃にさせられるわ……。おれがどれだけ苦労をさせられたか……」 

 

 ウォルがきまりが悪そうに頭を下げた。 

 

「いや、ほんとにすまん。お前には苦労ばかりかけとおしだったなぁ」 

「……別にいいさ。大半はおれが好きでやったことだ。だいたい、お前が王座にふんぞり返っていられるようなやつだったら、おれは後腐れ無くあの城からおさらばできた。結局、お前が好きだったからおれはあの城に留まっていたんだ。自業自得ってやつさ」 

 

 あっけらかんとこういうことを言う。 

 ケリーとジャスミンは大いに喜んだ。もう、指笛を今にも吹かんばかりの有様だ。それに対してメイフゥは、これは望み薄かと天を仰いだものだ。 

 だが、この会話を承伏しかねる者が、一人いた。 

  

「駄目だ!こいつは俺のだからな!」 

 

 ウォルの手をぐいと引き、そのほっそりした体を後ろから抱き寄せたのはインユェであった。 

  

「リィ!ウォルはぁ、俺とぉ、結婚するんだぁ!だってぇ、俺は月でぇ、こいつは太陽なんだぁ!それがぁ、一番しっくりくるじゃねぇかぁ!」 

 

 インユェの声は不自然に調子が乱れていて、そして瞳は霞がかったようにとろけている。 つまり、思い切り酔っ払っているのだ。 

 

「おい、どうしてこんなに酔っ払っているんだ?精々ワインくらいだろう、ここに並んでいるのは?」

 

 ジャスミンが不思議そうに言うと、

 

「……ごめん、お姉様。ちょっとあたしが悪のりし過ぎた……」

 

 珍しいことに、普段は明朗快活なメイフゥが、申し訳なさそうに小さくなっているではないか。

 だいたいの経緯を察したジャスミンが溜息を吐き、

 

「……いったい何を飲ませた?」

「……見よう見まねで作って見たんだけど、凄く美味しかったんだ。だから冗談で飲ませてみた。それを、まさか本当にグラス一杯も空けるとは思って無くてさ……」

「だから、何を飲ませたんだ?怒らないから正直に言ってみろ」

「……トリオンファン」

「トリオンファンだと!?」

 

 『撃墜王』の異名を持つ凶悪なカクテルの名前を、まさかこのようなところで耳にするとは思っていなかったジャスミンは、流石に唖然とした。

 

「……色々と言いたいことがあるのだが、あれを未成年に勧めようとはわたしでも思わないぞ」

「だって凄く美味しかったんだもん!だからインユェにも飲ませてあげようって思って!それにインユェもあたしの双子の弟だから、きっと酒は強いはずだと思ったんだ!」

 

 狼狽したメイフゥが、目に薄く涙を浮かべながらそう言った。

 そも、どうしてパイロットの飲み比べ用のカクテルの作り方をこのような少女が知っているのか、ジャスミンは大きな疑問だったのだが、今更それを言っても始まらない。

 

「……まぁ、大の男がカクテルグラス一杯で意識を飛ばすような酒だ。ああして元気に酔っ払えているあたり、インユェも酒飲みの資質はあるのだろうが……」

 

 こうなってしまっては、なるようにしかならない。少なくとも、酔っ払いを一息で素面に戻す魔法を、ジャスミンもメイフゥも使えない。もしかしたらリィやルウの能力ならばそれも可能なのかも知れないが、そんな馬鹿馬鹿しいことを彼らに頼み込むのは流石に憚られる。

 ジャスミンがうんざりとした視線を向ける中、なおも一人の少女を巡って、二人の少年が火花を散らしている。もっとも、敵意を盛大に燃やしているのは片方の少年だけなのだが。

 期せずして恋のさや当ての当事者となってしまったウォルが、自分を背後から抱きかかえたインユェに対して口を開きかけた時、

 

「おい、インユェ。一応、これはおれの婚約者なんだ。横取りはなしだぞ」 

 

 今度はリィがウォルの手を引っ張り、そのすんなりした体をすっぽりと胸に納めた。 

 またしてもウォルは何かを言いたげだったのだが、 

  

「いーや違うね!だって、こいつは確かに言ったんだ!お前との婚約は破棄するってな!」 

 

 再び、インユェがウォルの手をぐいと引き、その柔らかな体を抱き締め、二度と渡してたまるかとばかりに後ろに隠す。 

  

「だから、俺とお前の条件は一緒だぜ!そんで、こいつのご主人様は俺なんだ!だから、こいつは俺と結婚するの!」 

「おい、今、インユェが言ったことは本当か、ウォル?」 

 

 リィが不思議そうに訊いた。もちろん、真偽を尋ねたのは『婚約を破棄した』の部分である。 

 まるでテーブルテニスのボールのように行ったり来たりで目を回していたウォルだったが、しばし瞑目してからはたと手を打った。 

 

「おお、そういえばそんなことも言ったな」 

「言ったのか?」 

「ほら見ろ!」 

 

 意外そうなリィと、勝ち誇ったインユェである。 

 そして聴衆はといえば、心底楽しそうにこの愉快な愛憎劇の行く末を見守っている。 

 

「いったいどういうことなんだ?そんな話、おれは初めて聞いたぞ」 

「すまんすまん、すっかり忘れていた」 

 

 ウォルがインユェに抱きつかれたまま、弱り切った調子で話す。 

 

「あれは二週間も前の話、いったん敵城から脱出し、森の中に逃げ込み、しかしもう一度敵に囲まれてもはやこれまでとなった時だったな」 

 

 それは、聞き手であるケリーとジャスミン、そしてマルゴにも覚えがある。敵味方と立場の違いはあったにせよ、あの城での激闘は昨日のことのようにまざまざと思い出せるのだ。 

 結果は、ケリーやジャスミン、そしてウォル達の敗北であった。ケリーとジャスミンは敵の捕虜となり、ウォルは儀式の生け贄として牢屋に囲われた。マルゴは父を庇って重傷を負い、メイフゥは心臓を銃弾で貫かれて一時的な戦線離脱を余儀なくされたのである。 

 

「もちろん、俺は全てを諦めたわけではなかったが、しかし生きてお前と再会するのはどうにも無理に思えたからなぁ。リィよ、お前はこういう約束はきっちり破棄しておかないと、一生俺のために独身を貫きかねん奴だ。俺のわがままでお前の人生を縛りつけるのは絶対に不味いと思った。だからインユェに婚約の破棄を伝えてくれるようお願いしたのだ」 

「へへーん、どうだ思い知ったかリィ!だから、お前はウォルの婚約者でも何でもないんだぜ!」 

 

 胸を反らしたインユェであったが、彼の姉も含めた全ての聴衆は、インユェに生暖かい視線を送っていた。 

 確かに、ウォルの置かれた状況は緊急事態であった。そして、ウォルの懸念はよく分かる。リィには、他人との約束を愚かしいほど一途に守る一面があるのだ。だから、婚約を破棄しないままウォルがこの世の人でなくなれば、それを理由に生涯独身を貫いても不思議ではない。 

 だが、それはあくまで緊急事態にのみ適応されるべき契約破棄だ。危難が去った今となっては、その契約破棄こそが無効になっているのだと、例え子供が聞いても分かるはずである。 

 しかし、酔っ払いにはその程度の理屈も通じないのだ。大事なのは、リィとウォルの婚約が破棄されたという一事なのである。 

 

「おい、インユェ、てめぇの理屈は流石に……」 

 

 本来味方であるはずの姉が、酔いに目を据わらせた弟を諫めようとした、その時である。 誰よりもインユェの言葉に意義を唱えるべきリィが、 

 

「うーん、そういうことなら仕方ないな。他ならぬウォルが婚約を破棄したいって言ったなら、おれがそれを拒否する理由もないんだし」 

 

 深く納得して頷いてしまった。 

 これには、アルコールに理性の大半を奪われているインユェも呆気にとられた。無論他の人間も呆れ顔を浮かべ、それでいいのかよと内心に突っ込んだ。 

 だが、インユェの腕の中からよいしょと抜け出たウォルが、只一人神妙な顔つきで、リィに向けて頭を下げる。 

  

「すまんな、リィ。俺から婚約を申し込んでおいて自分勝手なことだが、そういう理屈なのだ。許して欲しい」 

「気にすることはないさ、事情は人それぞれだ。でもウォル、本当におれとの婚約は解消したいのか?」 

「いや、そんなことはない。あれはあくまで緊急事態だったからで、今もお前と結婚するのだという決意に揺らぎはないぞ」 

「なるほど、じゃあ前の婚約は破棄で、今ここで新しい婚約をすれば問題は何も無いわけだ」 

 

 リィはそう言ってウォルを引き寄せ、腕の中に抱き締めてからその唇に顔を寄せ、自分の唇を重ねた。 

 熱烈でこそないが、それははっきりと口づけであった。 

 インユェが抗議の言葉を挟む隙もない早業であった。 

 

「はい、これで契約完了だな」 

 

 にこりともせずに言った。 

 いきなり唇を奪われたウォルは、胡散臭そうに眉根を寄せ、 

 

「……おい、リィ。別に、婚約に接吻は必要ではないと思うのだが」 

「そうなのか?でも、あの時もしたじゃないか」 

「それはそうだが……まさか、こんなところでいきなりする必要もないだろうに」 

「それじゃあ、この後ベッドの中でしたほうがいいのか?おれは別に構わないけど」 

「……いや、いい。お前は間違えていない、たぶん」 

 

 ウォルががっくりと肩を落とした。 

 一同は、二人のやりとりを呆然と眺めていた。半分は焚き付け役であったケリーとジャスミンですら、目の前の出来事に咄嗟の反応を返すことが出来なかった。冷やかしに怒ったり顔を赤らめたりすることは十分に予想していたが、まさか目の前で再婚約と、その証としての口づけが交わされるとは……。 

 静まりかえった食堂を不思議に思ったのか、シェラが厨房の方からひょっこりと顔を出す。 

 

「どうかしましたか、皆さん?」 

 

 そして目にしたのは、目を丸くした一同と、リィに抱きしめられながら肩を落としたウォルの姿である。 

 シェラは、一度頷き、ああ、またかと爽やかな笑顔を浮かべた。 

 

「どうぞごゆっくり……」 

 

 シェラが再び厨房に引っ込むと、あらかたの予想通り、目の前で繰り広げられた光景に逆鱗を逆なでされたインユェが、大いに吠えた。 

 

「て、てめぇ、リィ!人の女に何してやがんだぁ!」 

 

 完全に涙目のインユェに、リィはあくまで平然と、 

 

「だから、これでこいつはおれの婚約者に戻ったんだ。何の問題もないだろう?」 

 

 これが、例えば雄としての優越感とともに言われた言葉であるならばまだ理解の範疇なのだが、リィの言葉には少しもそういうところはなく、淡々と事実を語っているのである。 それがまた、インユェのプライドを傷つけ、嫉妬の炎に風を送った。 

 

「よし、分かった!リィ、お前、こないだ言ったよな!おれと喧嘩したいならもっと強くなれってよ!なら、俺は強くなったぜ!だから、今からウォルを賭けて、男と男の決闘だぁ!」 

 

 この言葉にリィはにやりとした。 

 

「よし、いいぜ。お前の、そういう分かりやすいところは結構好きだぞインユェ」 

 

 インユェもにやりと笑った。リィは、きっとまだ知らないのだ。自分の本当の姿を。 

 あの晩、インユェは理解した。自分がどういう生き物か。ウォルの瞳に映った自分の姿は、銀毛紫眼の狼であった。それも、恐ろしく巨大な。 

 あの姿の自分なら、勝てる。間違いなく。そしてウォルを自分のものにするのだ。インユェはほくそ笑んだ。 

 

「俺の本当の姿を見て、小便漏らすなよリィ!」 

  

 テーブルから離れ、手を地面に突き、四足獣の姿勢になる。 

 背の毛が、ちりちりとざわめく。あの姿に戻るための手順は、理屈ではなく体が覚えている。単純な話だ。全てを解放してやるだけでいい。 

  

「おい、インユェ、よせ!」 

 

 メイフゥが、大声で叫んだ。今のインユェは酔っ払いだ。あの様子で形態変化をしては、いったいどんな大暴れをしでかすか分かったものではない。 

 これは自分が止めるしかないか。紬の帯に手をかけたとき、その手を押さえた者がいた。 ジャスミンであった。 

 

「姐さん!」 

「お前らしくもないぞ、メイフゥ。あまり慌てるな」 

「だけど……!」 

「例えインユェがあの狼になっても、リィなら何とかするだろう。それに、たぶんそんなことにはならない」 

「どうして!?」 

 

 珍しく切羽詰まった表情のメイフゥに、ジャスミンは片目を瞑った。 

 

「これでも、お前よりもたくさんの修羅場を潜っているとは思うんだが、その勘が言っているのさ。大丈夫だから見ていろ、とな」 

 

 メイフゥは不服そうだったが、いざとなったときは自分が止めるという覚悟とともに、弟の方に視線を戻し、愕然とした。 

 そこに、巨大な狼の姿はなかった。そして、インユェの姿もなかった。 

 ただ、乱雑に脱ぎ捨てられたように、インユェの着ていた麻の服が散らかっているのである。 

 

「……あれ?」 

 

 内側から張り裂けてぼろ布になった服があるなら、形態変化は成功したということだろう。逆に失敗したなら、そこにインユェがいないとおかしい。 

 これはどういうことだろうか。流石のメイフゥも首を傾げた、その時。 

 インユェが着ていた服の下で、何かがもぞもぞと動くのだ。 

  

「……」 

 

 表情を消したリィが服を持ち上げると、その中から、どう見ても生後一月にも満たない、赤ん坊のような狼が一匹、ころりと落っこちた。 

 狼というよりも、狼を模したぬいぐるみのようなその生き物は、周囲を見回して不思議そうに目を丸くし、そしてようやく目の前のリィを見つけて、驚いたようにきゃんきゃん吠えた。その吠え声を人の言葉に翻訳するなら、『どうしてお前がそんなに大きくなっていやがんだ!』になるかも知れない。 

 どうやら本当の姿に戻ったらしいインユェを見て、こみ上げてくる笑いを必死に堪えながらリィは言った。 

  

「なるほど、それがお前の本当の姿なのか。ずいぶんと可愛らしいな、インユェ」 

 

 それがきっかけだった。先ほどまで緊張していたのが馬鹿らしくなるようなその光景に、ジャスミンもケリーもマルゴもルウも、そしてインユェの姉であるメイフゥですらもが大いに笑った。 

 腹を抱えて笑った。 

 笑いすぎて言葉にならないほど笑った。 

 子狼はそれが気に入らなかったのか、目の前のリィの足に必死に噛みついたのだが、まだ顎の発達していない子狼である。牙もまだ未成熟。当然、痛いはずがない。リィはしゃがみ込み、指で子狼の頭を突っつきながら微笑んでいた。 

 どう見ても、惚れた女を賭けて決闘しているふうには見えない。少年と子狼がじゃれ合っている、まことに心和む光景なのだ。 

 それがまたおかしくて、全員が笑った。 

  

「まぁ、そこらへんにしておけ、インユェ」 

 

 必死で唸りながらリィの足を噛み続けていたインユェを、後ろから持ち上げたのはウォルだった。 

 くぅん、と、しょんぼりとしてしまった子狼を目の高さまで持ち上げ、満面の笑みで語りかける。 

 

「しょげた顔をするな。お前の本当の姿の勇ましいことは、俺が誰よりも知っている。それに、今のお前の愛らしい姿も俺は好きだぞ。遠い昔、故郷の森で生まれたての子狼と戯れたときのことを思い出す」 

 

 そういって、子狼の柔らかい毛皮を撫でた。 

 成熟した巨浪のときは最高級の天鵞絨のように滑らかだった毛並みは、ふんわりとした綿毛のような撫で心地に変わっているが、それがまた心地よく、ウォルは思わず腕の中の子狼に頬ずりをした。 

 

「うむ、これはたまらん。インユェ、悪いがもう少し、その姿でいてくれんか?実は、動物の赤子の幼気な姿には目が無くてな」 

 

 ウォルはインユェをすっぽりと胸に抱いて、その背をわしゃわしゃと撫でた。 

 子狼は、うぉんと一度、嬉しげに鳴いた。『仕方ねぇな!お前がそこまで言うなら撫でさせてやるから感謝しろ!』とでも言ったのかも知れない。ただ、インユェのふさふさした尻尾は、とても嬉しそうに揺れていた。 

 なんとも可愛らしくなってしまった弟を見て、ようやく笑いを収めたメイフゥが溜息をついた。 

 

「あー、やっと形態変化を覚えたと思ったら、今度はあの有様か。いつまでたっても手が焼ける弟だぜ」 

 

 それでも嬉しそうなメイフゥを、ジャスミンが優しく見遣る。 

 

「確か、月というやつは、闇と太陽がどちらも力を発揮できない時でないと、本当の力を発揮できないらしいぞ。あのときは、ウォルが深い傷を負っていた。闇についてはよく分からんが、つまりはそういうことだろう」 

「なるほどねぇ。ま、確かにまだまだ半人前の未熟者だから、形態変化してもあれくらいの姿がしっくりくるのかねぇ。それにしても手がかかる……っと、そういえば……」 

 

 ふと、難しい顔で黙り込んだメイフゥに、ジャスミンは怪訝な視線を向けた。 

 

「どうした?」 

「いや、大したことじゃない……と思うんだけど。ねぇ、姐さん。あの祭壇で、口髭を蓄えた、見た目六十歳くらいの体格の良い爺さんを見なかったかい?ヤームルって名前なんだけど……」 

「ヤームル?ちなみにその方は……」 

「あたしやインユェの後見人さ。何かと世話になってる」 

 

 ということは、ヴェロニカ教徒ではないということだ。 

 ジャスミンは記憶を探ったが、残念ながらそんな人間は会場にはいた覚えがない。 

  

「いや、見覚えはないな」 

「そっか。兄さんはどうだい?」 

 

 ケリーも首を横に振った。 

 

「俺も、そんな爺さんを会場で見た覚えはない。だが……」 

「だが?」 

「俺があの城の地下牢に放り込まれたとき、俺を裏切り者と罵った男がいた。その時は義眼も外されていたから、その男がいったいどういう姿形だったのかは分からねぇが、もしかするとそいつがヤームルって男じゃないのかという気がする」 

「ああ、たぶんそいつだ。あの時は、ウォルと一緒にヤームルも攫われていたからな。あんたと一緒の牢屋にいたんだとしても無理はない」 

 

 メイフゥは一人頷いた。 

 そんなメイフゥに、ジャスミンが不思議そうに言った。 

 

「その御仁、城に囚われていたのならば、今もそこにおられるのではないか?それが、どうしてあの場にいたという話になる?」 

 

 メイフゥはにやりと笑った。 

 

「簡単な話だ。ヤームルは、あたしらと一緒さ。人間用に作った鎖なんざ、糞の役にも立ちゃしねぇよ」 

 

 つまり、人の形の他に、別の姿を持っているということか。 

 この少女は翼を持った虎、その弟は巨大な銀狼。ではその後見人はいったいどんな猛獣に変化するというのだろう。 

 

「ヤームルが城を脱出したのは間違いないんだ。あの後、何度か連絡を取り合ったりしたしね。だけど、てっきりあの祭壇に来ているもんだと思ったのにどこにも姿が無いし……。どこに行っちまったのかな……」 

 

 さっぱりとした性分のメイフゥには珍しく、気遣わしげな表情であった。 

 その時、ジャスミンははたと思い出した。 

 

「そういえばメイフゥ。きみは少し前、ヴェロニカシティにほど近い酒場の劇場でショーをしていたことがなかったか?」 

「うん?ああ、ブルットおじさんの店のことかい?ああ、そうだよ、ウォルと一緒にあの店で働いてた。だいたいはバニーガールの姿で男連中の酌をしていたけど、確かにショーの真似事もしていたな。それがどうしたい?」 

「そうか、ならば是が非にでも聞きたいことがある。いいか?」 

 

 ジャスミンが意外なくらい真剣な顔をしているので、メイフゥは怪訝な顔色を浮かべた。 まさか、今更、未成年がああいういかがわしい店で働くのは駄目だとか、手垢じみた説教をするとは思えない。だが、それ以外にどんな話があるというのか。 

 訝しむメイフゥに、ジャスミンはやはり真剣な口調で、 

 

「あのショーで、ピエロの役を演じていたのがヤームル氏か」 

「ああ、よく分かったね。そのとおりだよ」 

「そしてきみは、ヤームル氏の舞台の手伝いをしていたな」 

 

 メイフゥが頷く。 

 

「その演目の一つに、女性が檻の中で虎と入れ替わるマジックがあったと思うのだが……」 

「ああ、そのこと!」 

 

 メイフゥはようやく合点がいったのか、手を合わせて破顔した。 

 その隣で、ケリーがくすくすと笑っている。 

 あのとき、ジャスミンは、虎と女性が入れ替わったのは床下にトリックのあるマジックではないかと予測した。だが、ケリーはそんな安っぽいトリックではないと断言した。そして、これほど見事なマジックを見たことはないと。 

  

「あれは、マジックなんてたいそうなものじゃないのさ。だって、本当に種も仕掛けもありゃしない。あたしが、檻の中で形態変化をして、翼をしまった虎の姿になっただけなんだからね。それだけで観客が大受けして、おひねりを投げてくれるんだ。こんな安い仕事も他にねぇぜ」 

 

 にひひ、と、猫のようにメイフゥは笑った。 

 ケリーも、ついに堪えられなくなったのか、人の悪い笑みをこぼす。 

 

「いや、あのときはぶったまげたぜ。ほんの悪戯心で右目のスパイアイを作動させてみれば、覆いの被された檻の中で、べっぴんさんがあっという間に虎に変わっちまったんだからな。本当、瞬きする間もない早業だった。むしろそういう瞬間入替のトリックなのかとも疑ったが、それなら覆いを被せる意味が無い。これはもう、伝説にある狼男とかヴァンパイアとか、そういう類の人間が本当にいたんだと思うしかない。だからあんたに言っただろう、俺はあんなに見事なマジック、つまり魔法を見るのは初めてだってな」 

 

 得意げにそう言い、グラスになみなみと注がれたワインを一息で空にした。 

 そんなケリーに、ジャスミンは思い切り冷ややかな視線を寄越した。 

 

「ほぉお、つまり海賊、お前は自慢の義眼を使って、メイフゥの着替えを覗いていたと、そういうわけだな?」 

「ぶっ!」 

 

 予想外の方向からの奇襲を受けて、ケリーは口に含んでいたワインを思い切り吹き出した。 

 夫の醜態に、妻は情け容赦ない追撃をかける。 

  

「海賊。わたしはあのホテルで貴様に言ったよな。『わたしは、わたしの夫に覗き魔のように不名誉な疑いをかけられて、黙っている自信がない』と。しかし、まさか本当にその手の犯罪を犯すとは、至極残念だ」 

「なぁんだ、兄さん、あんた、あたしの裸に興味があったのかい?水臭い、言ってくれればそれくらいいくらでも見せてやるのに。あんたの子供なら、いつだって産んでやるぜ?むしろこっちからお相手を願いたいくらいさ」 

 

 メイフゥが人の悪そうな笑みを浮かべてジャスミンに援軍を出す。 

 げほげほと咳き込んでいるケリーには、弁解の機会すら与えられない。 

 そんなケリーの様子に、ジャスミンは冷たい形相で一つ頷き、 

 

「なるほど、言い訳をするつもりはないということか。いいだろう、その潔さに免じて、少しは手加減をしてやる」 

 

 ジャスミンはケリーの襟首を掴み、ずるずると奥の部屋へと引きずっていった。 

 

「姐さん、不能にはしないでおくれよ!兄さんの種は、十年後の予約済みなんだからね!」 

 

 メイフゥは笑いながら二人を見送った。 

 三人の会話を聞いていなかったウォルが、不思議そうに怪獣夫婦の後ろ姿を見送る。 

 

「ん?ケリーどのとジャスミンどのは如何されたのだ?」 

「さぁねぇ?腹もくちくなって、夫婦の営みでもしにいったんじゃねぇの?」 

 

 機嫌の良さそうなメイフゥに、ウォルは首を傾げた。益体のない会話をしている間も、ウォルの胸にすっぽりと収められたインユェは、なんともだらしない表情でにやけているのだ。 

 メイフゥが、子狼の頭を、ごちんと一つ小突いた。 

 一方ジャスミンは、人気の無い物置のような部屋にケリーを放り込み、ばたんとドアを閉めた。 

 ジャスミンは、仁王立ちにケリーを見下ろした。それは、浮気のばれた夫を折檻する鬼嫁といった風情だったが、折檻されるべき夫はちっとも怯えることなく、むしろ不敵に笑いながらジャスミンを見上げている。 

 

「おい、女王。そろそろいいだろう?」 

「ああ、まぁ件のトリックを話さなかったお前には少し腹も立つが、この程度で収めてやる」 

「おいおい、あれはあんたが話すなって言ったんだぜ?ばらしたら離婚だなんて言われたら、黙っておくしかねぇじゃねぇか」 

「それも時と場合だ馬鹿者。メイフゥがああいう存在だと分かれば、自ずと作戦の立て方も違ってくる。負け惜しみではないが、もし知っているばあるいはお前とウォルの救出作戦は成功していたかも知れないのに……まぁしかし、どちらが悪いかと言えば、ばらすなと言ったわたしが悪い気もするな」 

 

 ケリーはくつくつと笑った。 

 

「我が妻の寛容に感謝するぜ。で、こんな場所に俺を連れ込んで、要件は何だい?」 

「あの姉弟の前で、こういう話をするのが憚られた。要件は、彼女たちの父親のことだ」 

「奇遇だな。俺も、そのことであんたに確認をしたいことがあった」 

 

 ケリーは億劫そうに立ち上がり、尻のあたりを軽く叩いた。 

 

「ヤームルって爺さん。あの牢屋の中でシェンブラックの名前を出した俺に、烈火の如く激昂したんだ。そんで、俺を裏切り者って呼んだ」 

 

 ジャスミンは頷いた。 

 

「さて、お前のどんな行為をもって大海賊シェンブラックに対する背信とするのかは置いておいて、そのヤームルという老人がシェンブラック老に縁の深い人間であることは想像に難くないな」 

「それも、一味の末端とかそういうレベルじゃないと思うぜ、シェンブラックを親父って呼ぶのはな。幹部か、もしくはそれに類するくらいの立場で、相当の恩義のある人間ってのが妥当な線だろう」 

「そんな人間が、あの姉弟の父親を御館様、海賊王と呼んで敬っているらしい。つまり、彼らの父親も、シェンブラック海賊団の極々中枢にいた人間という可能性が高いな」 

「ああ。それにしても、海賊王、ねぇ。ヤームルって男が、中央銀河の有名人様だった海賊王のことをまるっきり知らなかったって可能性もあるにはあるが……。ま、普通に考えればあり得る話じゃねぇな」 

 

 他ならぬ海賊王本人であるケリーの言葉に、ジャスミンも同意する。

 

「あの時代に生きた海賊が、海賊王という呼称の意味するところを知らないとは到底思えない。ならば、少なからずお前への当てつけが含まれていると考えるべきだ。そして、一匹狼のケリー・キングなどよりも、彼らの父親の方が王と呼ばれるに相応しいのだという確信のようなものがあるのだろう。それだけの男が、やはり単なる木っ端海賊とは考えにくい……」 

 

 ケリーはジャスミンの意見を是とした。その上で別の話を切り出した。 

 

「女王。あんた、この船をどう思う?」 

「《スタープラチナ》号のことか?」 

 

 ケリーは首肯した。 

 ジャスミンは、正直な感想を答えた。 

 

「不思議な船だと思う」 

 

 彼女らしい端的な意見だった。 

 ケリーは苦笑した。 

 

「何とも簡潔な答えだが、俺も同意見だ。この船、外用型探査宇宙船って名目だが、それにしちゃ造りがあまりに頑強すぎるし、足も速い」 

「それだけではないぞ。わたしはそれなりに宇宙船には造形の深いほうだと思っているのだが、市販のどの船にもこれと同じ型は見覚えがない。おそらく、完全なオリジナル設計だ」 

「これで砲台の一つも積めば、あっという間に立派な海賊船の出来上がりだぜ。それも、連邦警察に正面から喧嘩を売れるような、厄介な海賊船のな」 

「資源探索者の船には相応しくないな」 

「相応しい相応しくないってレベルじゃねぇぜ。だが大事なのは、この船の造りに、俺は見覚えがあるってことだ。女王、お前はどうだ?この船に似た造りの、もっとどでかい別の船に乗ったことはないか?」 

 

 ジャスミンは、確信をもって頷いた。 

 

「まったく、今の今まで気がつかなかった自分に腹が立つ。しかも、この船の名前ときたら《スタープラチナ》だぞ。あからさまじゃないか。それに加えてインユェの名前。確か、銀色の月と書くんじゃなかったか?」 

「あんたと俺の共通の知人で、宇宙生活者の匂いのする人間。そして、シェンブラック爺さんと縁のある人間。もう、該当する男は宇宙広しといえど一人しかいねぇじゃねぇか。ったく、ひでえ冗談だ」 

「問題は、その事実を彼らに伝えるのか、それとも秘密にするのかだが……」 

 

 彼らの父親が、行き先も自身の正体も告げずに姉弟の前から姿を消した意図を汲むなら、無論秘密にするべきなのだろう。それに、そもそもケリーもジャスミンも、二人の父親と思われる人物が生きているのかどうかすら知らないのだ。おそらく、クーア財団の調査力をもってしてもその生死を調べるのは困難を極めるに違いない。ならば事実を伝えたところで、今更どうなるものでもないという考え方も出来る。 

 だが、あの姉弟が自分たちの父親を捜しているのは間違いない。そして、その努力が実る可能性は著しく低い。それなら、無駄な努力を早々に諦めさせるためにも事実を事実として伝えてやるのも選択肢の一つではある。もしも父親とおぼしき人物が既に故人ならばなおさらに。 

 メイフゥもインユェも、自分たちの出生についての真実を受け止められるくらいには成長している。ならば、それを伝える義務が、自分にはあるのではないか。ケリーは、あの時代に生きた海賊の一人として、その子供達への責任のようなものを感じていた。 

 

「一番楽なのは無視を決め込むことなんだがなぁ」 

 

 珍しく弱り切った表情でケリーが呟いた。 

 ジャスミンもそれに倣い、彼女らしからぬ渋面で前髪を掻き上げた。 

 

「それは薄情というものだろう。袖振り合うも多生の縁というが、袖振り合った程度ならともかく、彼らには何度も命を助けられている。無論その逆もあるが、どちらにせよもう他人と呼べる間柄ではないはずだ」 

「だけど、事実を教えたからってどうなるもんでもないしなぁ」 

 

 二人が頭を抱えていたその時、ケリーの携帯端末の呼び出し音がなった。 

 確かめるまでもない。相手は、ケリーの相棒であり愛船でもある、ダイアナだった。 

 通信機のスイッチを入れる前に、義眼越しにダイアナの姿が映し出された。彼女の美貌はいつも通りだったが、その表情がいつもとは違う。真剣な顔、そして険しい瞳に色。それらは、何か、のっぴきならない事態が差し迫っていることをケリーに教えた。 

 

「どうしたダイアン」 

『ケリー!あなた、まだ惑星ヴェロニカにいるの!?』 

「ああ、そのとおりだが?」 

『なら、今すぐ送迎艇の手配をするから、到着次第そこを出立して!その星は危険よ!遅くとも一週間以内に、惑星ヴェロニカに住む全ての人間が死滅するわ!』 

 

 何かの冗談かと聞き返そうとしたケリーだったが、あまりに必死なダイアナの声に、その言葉を飲み込んだ。 

 二人の通信を聞いたジャスミンが、間に割り込む。 

 

「どういうことだ、ダイアナ!もう少し詳しく説明しろ!」 

 

 時を同じくして、食堂で待機していたリィの通信端末にも、遠く離れた星からの通信が入っていた。 

 

「あれ、珍しいな、アーサーだ」 

 

 自らの遺伝上の父親の名前を口にして、リィは端末の通話スイッチを入れた。 

  

「もしもし、どうしたんだ、いきなり」 

『エドワードか!?よかった、無事なんだな!今どこにいる!?』 

 

 かなり性急な口調で、しかも高圧的な言葉遣いである。それが普段のアーサーのものではないことにリィは気がついた。 

 

「どうしたアーサー、いったい何があった?」 

『いいから答えてくれ!今、どこにいるんだ!?』 

「おれは今、ウォルを迎えに惑星ヴェロニカに滞在している。それがどうかしたのか?」 

 

 通信機の向こう側で、アーサーが息を飲む気配が伝わってきた。 

 何か、決して吉事ではない何かが起こっているのは間違いなかった。 

 それでもリィは冷静な口調で、 

 

「おれはお前の質問に答えたんだ。今度はお前の番だぞ。いったい何が起こっていて、どうしておれが今いる場所が重要なんだ。答えろアーサー」 

 

 数瞬の間があって、絞り出すような声が端末の向こうから聞こえた。 

 

『……先ほど、共和連邦の首脳部から極秘の通信があった。もちろん、内容はお前に関することだ。通信文をそのまま伝えるぞ。……『エドワード・ヴィクトリアス・ヴァレンタインの婚約者の件はまことに遺憾であり、共和政府としても慚愧に耐えない事件である。だがその責任は全てヴェロニカ政府に帰することは明らかであり、その襟を正す責務は共和連邦政府に帰属する。どうか以前のような振る舞いを慎んで頂き、全ての後始末は我々に任せて心静かにその結果を待たれたい』……』 

「……どういう意味だ、それは?」 

 

 アーサーの叫び声が、静寂に包まれた食堂にこだました。 

 

『つまり共和連邦政府は、ヴェロニカ政府と惑星ヴェロニカに居住する全ての人間に対して、無差別のジェノサイドを決定したんだ!頼むから早く逃げてくれエドワード!でないと、私はウォルに続いてお前までも失うことになってしまう!そんな恐ろしいこと、私には耐えられない!』 

 

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