懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他) 作:shellfish
「おい、アーサー!それはいったいどういうことだ!おい!」
リィは携帯端末に向けて何度も叫んだが、聞こえるのは砂が擦れるような雑音だけで、最後には通話が切れてしまった。リダイヤルボタンを押してかけ直すが、何度かけ直しても繋がらない。
「ルウ、頼む。お前の携帯端末から、アーサーに連絡を取ってくれるか?」
「うん、いいけど……。あ、駄目だ、繋がらない」
「どうして?」
「おそらく、宇宙嵐のせいだ。ダイアンも難儀してるみたいだぜ」
リィの疑問に答えたのは、ルウではなく、食堂に戻ってきたケリーであった。その後ろにはジャスミンの姿も見える。
「黄金狼、今の通信は誰からだ?」
「アーサーだ。最初から様子がおかしかったんだけど、最後にとんでもないことを言っていたぞ」
「それは、例えばこの星が、大規模な殲滅作戦の標的にされてるとか、その手の話か?」
リィは流石に少し驚き、しかしすぐに表情を消して頷いた。
それを見たケリーの顔も、色濃い緊張に満ちている。
「ねぇ、エディ、キング。悪いけど、何の話かちっとも伝わってこない。お願いだから詳しく説明してくれる?」
「ああ、もちろんだぜ天使。だが、それよりも俺たちには大切なことがある」
「大切なこと?」
面持ちを意図的に崩しながら、ケリーは軽く微笑んだ。
「そろそろ、シェラの用意してくれるデザートの準備が整う頃だ。話は、それを頂きながらにしようぜ」
そして、一同はテーブルに着席した。席には、シェラの煎れた薫り高い紅茶と、同じくシェラ手製の焼き菓子が並んでいる。
先ほどのアーサーからの通信の内容を語り終えたリィは、ストレートのままの紅茶に口をつけ、少し乾いた喉を潤した。当然のことながら、彼の前だけは焼き菓子が並んでいない。
「……以上が、さっきの電話の内容だ。当たり前の話だが、アーサーの言葉の真偽は分からない。嘘を言っているようには聞こえなかったが、そもそもアーサーの掴んだ情報自体が偽の可能性もあるからな。だけど、その可能性は低いように思う」
「ああ、俺も同感だぜ。アーサー氏は地方の州知事にしておくのがもったいない程に知識も分別もある方だ。それが、荒唐無稽な嘘話に踊らされて狼狽えているっていうのはちょっと考えにくい」
リィは、ケリーの方を見て頷いた。アーサーを自分の父親とは頑なに認めようとしないリィではあるが、だからといってアーサーを侮っているわけではない。むしろ、その高い識見と能力を評価していると言っていい。
そのアーサーが、あれほどまでに狼狽した様子で通信を寄越したのだ。おそらく、共和連邦政府からの直通回線あたりを使った連絡があったのではないか。リィはそう推察していた。
「それにしても、共和宇宙政府が、惑星ヴェロニカにジェノサイドを仕掛けるだと?いったいどうしてそんな馬鹿げた作戦に許可が下りたんだ?」
ジャスミンが、少し苛立ったように呟いた。過去に共和連邦に属する軍人だった彼女は、無抵抗の市民に銃を向けるのは、何よりも恥ずべき行いであると確信している。その恥ずべき行為を、まさか誇り高い共和宇宙軍が率先して行うならば、軍も落ちるところまで落ちたのだと言わざるを得ない。
ジャスミンの意見に、スクリーンに映し出されたダイアナは首を横に振った。
『それがちょっと違うみたいなの。わたしも詳しいところまでは掴めていないんだけど、今回の作戦を実行するのは共和宇宙軍じゃないわ。エストリア共和国宇宙軍第十三艦隊に、惑星ヴェロニカを含む星系での秘密任務が下されているみたい。おそらく彼らが実行部隊ね』
「エストリア共和国宇宙軍……つまり、作戦の音頭を取っていやがるのはエストリア共和国政府か」
通常の軍事情報はその一切が徹底した秘密主義に守られるものだ。それをここまで丸裸にされてはエストリア軍人にとって良い面の皮だというべきだが、しかし相手が悪すぎる。 情報戦においては敵無しを誇るダイアナが、真剣な表情で続ける。
スクリーンが切り替わり、ダイアナの代わりに壮年の男性が映し出された。
太い首、贅肉の刮げ落ちた鋭い頬、そして鷹のように油断のない目つき。
『第十三艦隊の司令は、エストリア宇宙軍中将フォルクマール・アンドレーエ。主席の成績で士官学校を卒業後、主に前線勤務を進んで希望しめざましい戦果を重ね、同期の中でも一番早く将官階級を得ているわ。当然、素行や家庭には一切の問題は認められず、国家に対する忠誠にも疑うところがない。絵に描いたようなエリート軍人さんね』
「そして、階級に相応しいだけの能力と自負を有しているに違いないな。わたしの経験では、そういう経歴の軍人が勲章をぶら下げただけの人形であったためしは一度もない」
ジャスミンの言葉に、ケリーは頷いた。彼は、常に共和宇宙軍や連邦警察とは敵する立場に身を置いていたが、尊敬すべき敵というのは確かに存在して、今スクリーンに映し出された軍人の覇気漲る顔つきからも、それと同じ匂いを嗅ぎ取っていた。
「ダイアン、部隊の規模は?」
『旗艦《ネプトゥーン》を筆頭に、ハッチンソン級戦艦が五隻。ウェルナー級戦艦が三十隻、ギルフォード級戦艦が六十隻。それを警護する駆逐艦、巡洋艦クラスの小型艦艇が併せて五百隻ほど。随行人員は約七十万人。完全な軍事行動よ』
「それも、平時には到底お目にかかれない、とびきり物騒な軍事行動だ」
ケリーはお手上げというふうに捨て鉢な声を上げた。
「しっかし、お偉いエストリア軍人さまが、どうしてこんな辺鄙な場所に、ジェノサイドなんて物騒な任務を帯びて向かってやがるんだ?その辺は、ダイアナ、何か分からないのか?」
スクリーンに映し出された女性が、申し訳なさそうに眉根を寄せた。
『ごめんなさいケリー。もう少し電波状況がよければ色々と探れるんだけど、この宙域、色んな妨害電波が飛び交っているの。ほとんどは宇宙嵐のせいだと思うけど、一部、人為的な妨害電波もキャッチ出来たわ。きっと、この軍事行動の布石として、以前から用意していたのね』
だとすれば、この軍事行動は発作的なものではなく、用意周到に計画されていたことになる。
では、いったい何のために?
リィが、静かに口を開いた。
「ケリー。あまり気持ちのいい話じゃないけど、この作戦に対して共和宇宙連邦の首脳陣が許可を出した理由はなんとなく理解出来る」
「へぇ?」
「おれと、ルーファだ。彼らは、何よりもおれ達が怒りに駆られて暴走するのを恐れているんだと思う」
ルウも、少し青い顔で、リィの意見に首肯した。
「それは、アーサーの通信からもはっきりしている。連邦政府が、本来は極秘事項である軍事行動、それも星一つを対象としたジェノサイドなんていう馬鹿げた行動についてアーサーに事前連絡を入れたのは、ぼく達にそのことを知らせるためだ」
「何のために?」
ジャスミンの問いに、リィが応えた。
「こないだの、おれの試験細胞の処分が不十分だったことに端を発した事件で、連邦政府の中枢の人間は、おれ達に手を出したらどんな目に遭うか、骨身に染みるほどに理解したはずだ。おれも、そういうふうにプレッシャーをかけたつもりだし、あれだけ言ってもその程度のことが理解出来ないほど頭の悪い連中でもないだろう」
シェラとルウとウォル、そしてジャスミンとケリーは頷いた。ウォルは、伝聞ではあるがその一件の顛末は心得ているし、彼女以外は当事者として事件に関わった人間ばかりだ。 それに対して、インユェ、メイフゥ、マルゴは何のことか分からない。ただ、連邦政府の中枢に属する誰かさんが、虎の尾を踏んで手酷い目に遭わされたのだということだけは十分に理解した。
「そして、今回の事件だ。どうやらアーサーは、ウォル、お前が既に殺されていると思い込んでいるようだった。つまり、アーサーに連絡を寄越した何者かも、おそらく同じ認識だ」
ウォルが、底冷えのする笑みを浮かべた。
「なるほど、つまり、奴らにとって超特大の危険物であるリィの、婚約者であり配偶者であり同盟者でもある俺が、既にこの世のものではなくなっていると、そういう認識なわけか。それは、さぞ生きた心地がしないに違いないな」
ひんやりとしたその笑みは、インユェやメイフゥには異質なものとして映った。彼らの知るウォルは、いつだって太陽のような少女だったのに。
──俺は、異世界の王だった。
そう言っていた少女の言葉の正しさを、姉弟は悟った。
「なるほど、理解した。つまり、連邦政府はきみ達が怒り狂い、前回のような危機を引き起こされては困るから、事態を自分たちで収めようとしたわけか」
腕を組んだジャスミンの呟きに、ケリーが唸った。
「ウォルを生け贄に捧げ、野犬の餌にしたのはヴェロニカ教徒だ。つまり、悪いのはヴェロニカ教徒をはじめとしたヴェロニカ共和国の人間だ。その人間は、全て我々で処分した。だから、どうか怒りを収めてくれってわけか。いくらなんでも思考が短絡に過ぎるぜ」
ケリーは開いた口がふさがらないといった様子で呟いたのだが、リィは真剣な声で反駁した。
「いや、ケリー、ある意味において彼らの判断は正しい。もしもおれかルーファが怒りにまかせて暴走すれば、惑星ヴェロニカの全人口を超えるだけの被害が発生してもおかしくはないんだ。事実、前回は惑星セントラル星系が、ルーファの暴走によって危機に曝された。その危機を回避するための手段として、蛮行の行為者であるヴェロニカ教徒を生け贄の羊に捧げるのは、十分に理に適った選択だ」
隣に座ったルウも大いに頷いた。
しかし、その意見に納得できない者もいる。
「だ、だけど、現にウォルは生きているじゃないか。なら、エストリアみたいなでっかい国がさ、こんな、言っちゃ悪いけど毒にも薬にもならないようなちんけな国を、何でわざわざそんなふうに目の敵にするんだよ。元々仲だって悪くなかったんだろう?それが今更、皆殺しってのは……」
インユェの固い声は、目の前の現実から目を背けようとしているかのようだった。
その声に、ジャスミンが、首を振ってから応えた。
「いや、ヴェロニカ共和国がちんけな国だという意見には賛成だが、毒にも薬にもならないという意見は、今となっては通らない」
「どうして?罪も無い人間を生け贄に捧げるような物騒な宗教が信じられているからかい?」
今度はケリーが首を振り、
「違う。そんなことは、それこそエストリアにとって取るに足らないことだ。もっと大事なことがあるじゃねぇか。この星に何が埋まってる?エストリアのお偉方が、涎を垂らして欲しがるものが埋まってるだろう?」
メイフゥは、ぱん、と手を打ち合わせた。
「あ、トリジウム……!」
ジャスミンが頷いた。
「今になって考えてみれば、長期間に渡るエストリアとヴェロニカ共和国の蜜月も、それが鎹になっていたと考えるのが自然だろうな。ヴェロニカ共和国の連邦政府加盟決議の記録的な早期決定、その後のエストリアの不可解な庇護も、その代価がトリジウムの横流しであったとすれば辻褄が合う」
「それだけじゃねぇぜ、女王。ヴェロニカ共和国の、作物品種改良に使われた高度な遺伝子改良技実、その発展に投下された多額の資本も、おそらくはエストリアが一枚噛んでいると考えるべきだろうぜ。たかだか数十年前にようやく連邦加盟を果たしたような後進国が、今では遺伝子工学の先進国ってのはいくらなんでも出来過ぎた話だ。学問の発展には、その下地となる経済成長と、核となる人的資源が必要不可欠だが、その両方に手厚い支援があったとしたら、これだけの急発展も頷ける」
つまり、エストリアが一方的にヴェロニカ共和国を庇護する関係ではなく、両者はトリジウムを仲立ちとした相互補完関係にあったと考えるほうが自然だということだ。
沈黙を守っていたマルゴが、青い顔で、
「……もしその意見が正しいのだとして、このタイミングでエストリアがヴェロニカ共和国を襲う理由は何なのかしら。ヴェロニカのトリジウムを全部自分のものにしようっていう考えは理解出来るとして、それならずっと前にそうしていてもよかったんじゃないの?」
なかなか鋭い意見に、ジャスミンは腕を組んで唸った。
「……そればかりはエストリアの首脳陣に直接聞かなければ本当のところは分からないのだろうが、可能性はいくつか考えられる」
「例えば?」
「まずは、リィ、シェラ、君たちが原因だ」
話に置いていかれていたリィとシェラが、突然のご指名に目を丸くした。
「おれが原因?」
「あの……いったいどういうことでしょうか」
ジャスミンはくすりと微笑み、豊かな前髪をかきあげた。
「何を言っているんだ。いまさら知らぬ存ぜぬは通らないぞ。トリジウムとは色々と円深い君たちじゃないか」
リィとシェラははっとした
「そうか、あの事件……」
「課外活動が、ちょっとしたキャンプになってしまった、あの?」
ちょっとしたキャンプなどと言ってしまえば、あの事件に巻き込まれた他の生徒は、全力でその意見を否定するだろう。何せ、あれは世間一般でいうところの誘拐事件であり、冗談抜きで死にかけたのだから。
しかし、金銀天使にすれば、屋根付き風呂付きの場所で二週間程の休暇を楽しんだだけである。確かに水も食料も用意はされていなかったが、辺りには湖もあれば森もあり、狩猟能力の高い二人には何も不満も恐れるものも無かったのだ。
「でも、あの事件が今回の件とどう関わるんだ?」
リィの不思議そうな顔に、ケリーが不敵な笑みを浮かべ、
「ま、それは、俺や女王、それに天使も無関係じゃない。あの、お前らが置き去りにされた惑星Xで、最後の最後に何をした?」
「あ……」
リィははたと手を打った。
すっかり忘れていた。
ケリーは長い足を行儀悪く組み、くつくつと笑った。
「あんな大事件を忘れてやるなよ。密輸組織の皆さんがちっとばかり可哀想だぜ」
「何を言ってるんだよ。可哀想なのはどう考えたっておれの方だ。あの事件では、危うく二度と走れない足になるところだったんだぞ」
リィはぷりぷりしながら口を尖らせたが、果たして本当に可哀想だったのはどちらだろう。
あんな辺鄙な星で、ひっそりと悪事に勤しんでいたところを、突然現れた人外生物の群れに一網打尽に壊滅させられた密輸組織の方も、災難以外の何物でもなかったはずだが……。
自分たちを人畜無害とでも思っているのか、ジャスミンとケリーは曖昧な笑みを浮かべた。
同じく、ウォルも苦笑して、
「しかしリィよ、お前はあちらの世界でもそうだったが、平穏無事という言葉とは最も縁遠い生き方をしているのだなぁ」
かつての配偶者のしみじみとした呟きである。
誰が聞いても頷くしかない意見に、リィは鼻を一つ鳴らしてそっぽを向いた。
その様子を見たジャスミンが僅かに居住まいを正し、
「話を戻すぞ。我々が関わったあの事件で押収されたトリジウムだが、その純度やあの惑星の位置的な特殊性から考えて、ヴェロニカ共和国で採掘されたものであることは間違いない。では輸出をしようとしたのがヴェロニカ共和国だとして、輸入をする側はどこだったのだろうな?」
ジャスミンの質問に、メイフゥが答えた。
「トリジウムなんて、そこらの麻薬とは比較にならないくらいに厄介で高価で取引先も限られるもんさ。そんなもんの顧客がそうそういると思えないね。さっきまでの話が正しいとすりゃ、考えられるのはエストリアだ」
ジャスミンも、頷くことでメイフゥの意見を是とした。
トリジウムは、主に宇宙開発分野において費消される金属だ。特に、クーアシステムやショウドライブといった外洋宇宙船になくてはならない機構に多く使われる。
外洋宇宙船の数は即ち軍事力や交易力の指標であり、国家としての力に直結する。
それだけに、国家間のパワーバランスの維持に腐心する連邦政府にしても無視できるものではなく、密貿易された場合、厳重な取り締まりの対象とされるのである。
そして、トリジウムがこれだけ厳重に管理される以上、違法薬物のように密輸に成功してしまえば万々歳というわけにはいかない。その後も、例えば帳簿の改ざんや廃棄中古船の水増しなどで、トリジウムの管理量を巧みに誤魔化し続けなければならない。
そんな離れ業が出来る顧客など、簡単に見つかるはずがない。また、機密維持のためには関係者の数が少なければ少ない程良いというのは言うまでもないことである。
「リィたちの活躍で密輸組織は壊滅的な被害を受け、ヴェロニカ共和国とエストリアのトリジウム密貿易は一時的に途絶えた訳だ。必然、現在のエストリアはトリジウムが不足している状況にあるはずだ」
「そして目の前にぶら下げられたチャンスに食いついたって訳か。なるほどなぁ」
感心したメイフゥの声である。
しかし、リィは首を傾げた。
「でも、それにしちゃエストリアの動きが早すぎないか?理由はどうあれ、惑星一つの人間を皆殺しにしようって作戦だ。その立案にも準備にも、何よりその決心そのものに、普通はもっと時間がかかると思うんだけど」
「ああ、わたしもそう思う。だから、これは比較的穏便な推測だ」
インユェが、ゴクリと唾を飲んだ。
「今の話より物騒な推測があるのかよ?」
「推測の上に推測を重ねたような話だ。これにどこまでの蓋然性があるかの判断は、わたし自身がつきかねているんだが……」
珍しく躊躇う様子を見せたジャスミンであった。
まずジャスミンは、少し前にビアンキ老師に聞かせた自説を披露した。
つまり、リィやシェラが巻き込まれた例の事件は、エリック・オーデンという男の単純な復讐心によるものではなく、アーロン・レイノルズが権力を握るための布石であったという説だ。
その途中で、ジャスミンはちらりとケリーを見やった。ケリーはその視線を受け、軽く頷いた。
「……アーロン・レイノルズの究極的な目的は、この星で内戦を起こし、住民に殺し合いを行わせることだった。そのための火種としてトリジウム鉱山の地図まで巧妙にばら撒いていた訳だが……」
「内戦を起こすことが目的?何でだよ、そんなことして何の得があるっていうんだ?」
インユェの、ある意味当然の質問であった。
これにジャスミンは、
「彼の信じる神の問題さ。我々の理解の及ぶ話ではないよ」
素知らぬふうでこう答えた。本当のことを話せば、惑星ウィノアの悲劇に話が及び、引いてはケリーやマルゴの出自まで詳らかにする必要が出てくるかも知れない。
それだけは、どんな事情があろうとも避けなければならないのだとジャスミンは確信していた。例え背中を合わせて命を預けた戦友の間にも、あるいはそんな信頼すべき間柄だからこそ、守られるべき秘密というものは存在するのだ。
「とにかく、以上の仮説はアーロン・レイノルズという一種の狂人をストーリーの中心に据えたものだ。だが、この仮説に、エストリアがトリジウムの独占を図り策動していたという仮定を加味し、アーロン・レイノルズを脇にどかして考えてみる。すると、この事件に全く異なる側面が見えてくる」
ジャスミンはぐるりと一同を見渡した。リィとシェラ、そしてルウは平然とした面持ちで話を聴いている。それに比べると、インユェは話の大きさに些か呆然とした面持ちであり、自分の国の危機に今まさしく立ち会っているマルゴは表情が固い。そしてメイフゥは、牙を剥き出すようにして笑っていた。もしかしたら、これが緊張したときの彼女の癖なのかもしれない。
「エストリアはトリジウムが欲しい。ヴェロニカ共和国はそのいくらかを融通してくれるが、代価を求めてくるし、量も限られる。当然だ。トリジウム採掘の際に不可避の廃液や廃土はそれだけで致死の鉱毒症を引き起こすのだから、一度に開発を進めれば、遠からずこの星は死の星になる。どれだけ金を積まれても、信仰の対象でもあり自分たちの住む場所でもある惑星ヴェロニカを切り売りしようとは考えないだろうからな」
ウォルは大きく頷いた。
「当然だな。目の前に積まれた金銀財宝に目が眩んで国土を切り売りするのは、為政者として最も愚かな行いだ」
その視線は厳しく声は鋭いもので、愛らしく整った顔立ちとの落差が凄まじい。
ジャスミンは、男性であった頃のウォルと会ってみたかったものだと、ほんの少しだけ残念に思った。
「では、エストリアがヴェロニカに埋蔵されているトリジウムを独占するにはどうすればいいか。軍事的に占領するのは以ての外だ。国際的な非難は免れず孤立をやむなくされるだろうし、各種経済制裁も覚悟しなければならない。かといって非軍事的に、例えば経済的にヴェロニカ共和国を追い込めば、トリジウムを手土産に他国へ、最悪の場合はエストリアのライバルであるマースなどへ秋波を送られる可能性が高い」
ジャスミンの言葉にマルゴは指先を噛む様に呟いた。
「そうか、トリジウムという武器をヴェロニカ共和国が握っている以上、実は交渉的優位に立っているのは小国であるヴェロニカの方だったのか……」
ケリーが頷き、
「ままあることだな。貴重な資源ってのはそれだけで外交上の最強の武器になる。特に、今みたいな安定した国際情勢なら尚更だ。エストリアのお偉方はさぞかし臍を噛んだことだろうぜ。どうして圧倒的強者であるはずの自分達が、ヴェロニカ共和国如き小国のご機嫌伺いをしなけりゃならないのかってな」
くつくつと笑いながら言った。海賊時代、そしてクーアの総統時代に、その手の輩とは飽きる程に顔を合わせたケリーである。彼らは、和やかな人格者の皮を顔に貼り付け、その下に煮え滾った本心を隠している。いつだって虎視眈々と、彼我の立場を入れ替えよう暗い努力を続けている。
「軍事的に占領するのが無理。非軍事的な支配も難しい。何故なら、ここは坊さんの支配する国だ。頭の硬い坊さん連中の支持無しじゃあ、傀儡政権の樹立にもひとかたなら苦労をするのは目に見えている。なら、あとはどさくさに紛れるしか方法はない……」
ケリーの言葉が途切れた拍子に、ジャスミンが再び口を開いた。
「内戦を起こすことが出来れば、エストリアは現政権の支持を名目に内戦に介入することは可能だし、エストリアとヴェロニカ共和国政府の関係からいってもそれは少しも不自然ではない。そうすれば、トリジウムを半ば独占することも可能だ。しかし、この場合、トリジウムを餌に内戦を引き起こす以上、その存在がある程度表沙汰になるのもいた仕方ない。当然、おこぼれにあずかろうという他国も介入してくるだろう。もしかすると内戦自体は他国が介入する前に電撃的に終結させ、その後に傀儡政権を樹立するつもりなのかも知れないが、それでもヴェロニカ国民は依然としてこの地に住み続ける以上、大規模開発には根強い非難と抵抗が残るのは間違いない」
ジャスミンの仮説が正しければ、この時点でアーロン・レイノルズとエストリアの利害関係は相反せざるを得ない。何故ならアーロンの狙いは泥濘のような内戦が永く続き、この地を惑星ウィノアの二の舞になることだからである。
いったん起きた内戦が早期に終結し、その後に傀儡政権とはいえある種の秩序が確立されてしまうのでは、全くもって意味がないのである。
アーロンが密かにエストリアの援助を受けていたことはほとんど間違いないが、それはエストリアの手のひらの上で踊らされていただけなのではないだろうか。
「エストリアにとって最も望ましいのは、惑星ヴェロニカを軍事的に占領した上で、住民を強制的に排除することだ。無人となったこの星はさぞ効率的に膨大な量のトリジウムを産出してくれるだろう」
そうなれば、共和宇宙の軍事的パワーバランスは完全に崩壊する。大量のヴェロニカ産トリジウムでもって建造された高性能宇宙艦隊が、共和宇宙軍を蹂躙するのも夢物語ではあるまい。
「エストリアは、当初はこのプランでヴェロニカ共和国に傀儡政権を樹立しようとしていた。しかし、ここで事情が変わる」
「事情って?」
リィの声に、ジャスミンはくつくつと笑った。
「リィ、ルウ、他ならぬ、君たちの出現だ」
ジャスミンの視線を受けたリィとルウが、固い表情で頷いた。
「二度……ウォルの件を合わせれば三度。君たちは共和連邦首脳陣に煮え湯を飲ませている。エストリアも、超大国として多数の議員を連邦に送り込んでいるからな、それらの件について無知であるはずが無い」
「それどころか、違法な人体実験を主導していたのは、連邦の中でもエストリアが幅を効かせた一派だ。お前らが研究所をめちゃめちゃにした時は、さぞ愉快な顔色だったに違いないぜ」
ケリーは見る者の背筋を薄ら寒くさせる笑みを浮かべた。
「あれだけのことをしでかしたんだ。事の正否がどちらにあるのかなんてうっちゃって、奴等はお前らに報復をしようとしただろう」
「やってみればいい。いくらだって受けてたってやる」
いかにもリィらしい言葉にケリーは苦笑した。
「だが、現実にそんなことがあったか?」
ケリーの言葉にルウが首を振って答えた。
「少なくとも、表立ってそんなことは無かった」
「そうだろうな。エストリアがどれだけ報復を望んだとしても連邦政府が必死になって止めるだろう。一国の面子を守るためだけに共和宇宙全体が危機に晒されたのでは間尺に合わないこと夥しい」
「だが、逆に考えればここに一つの推論が成り立つのさ。黄金狼や天使に関わる事件は、連邦首脳陣にとってアンタッチャブルだ。それを上手く利用すれば、本来は連邦のちゃちゃが入るような荒事でも大っぴらに進められるんじゃないかってな」
ずっと聞き役を勤めていたシェラが、おずおずと口を開き、
「あの、お話は分かるのですが、それと例の誘拐事件にどんな関係が?」
「それはな、シェラ、おれたちを、そしてケリーとジャスミンをトリジウム絡みの一件に巻き込むことそのものが、この事件の裏で糸を引いているエストリアの思惑だったってことだ。そうだろうジャスミン?」
ジャスミンは大きく頷いた。
「君たちと、そして我々の孫、さらには犯人のターゲットであった少年を、一緒のグループにして例の星へ送り込む。当然、世間は大騒ぎ、我々も事件の対応に追われることになった。結果として、残された各種資料から、ヴェロニカ共和国とトリジウムの関係が明らかになり、わたしたちはこの星を訪れた」
「だが、それ自体が罠だった。巧妙に撒かれた餌に、俺たちはまんまと食いついてしまったのさ」
自嘲の笑みをケリーは浮かべた。
「少し考えてみればいくらでも違和感はあったんだ。本来ありえない珍客──お前らのことだぜ、黄金狼、天使──に急襲されたかたちの密輸組織の基地から、どうして奴等の大元に辿り着くための証拠の一切が見つからないんだ?連邦警察の連中が目の色を変えて嗅ぎ回ってるんだぜ?どんな僅かな証拠でも、奴等はたちまち犯人まで辿り着くだろうに違いないのにな」
「元々、あの施設自体既に廃棄するつもりだったのだろう。あらかじめ全ての証拠は抹消されていた」
「それでも、俺たちにはヴェロニカに辿り着くために必要な最小限の証拠が手に入るよう仕向ける」
「そういう意味では、我々も餌だったわけさ。君たちをこの星に関わらせるためのな。あるいはもっと直截的に、わたしたちを殺害することで君たちの怒りを煽るつもりだったのかも知れない」
リィもルウも、ケリーやジャスミンとは浅からぬ縁を結んでいる。二人が無惨に殺されることでもあれば、怒りに囚われても不思議はない。
少なくとも連邦の首脳陣はそう思う。
「しかし、俺たち以上に都合のいい餌が、のこのこヴェロニカ共和国にやってきた」
餌と呼ばれた少女──ウォルが、ほろ苦い笑みで応えた。
「つまり、俺のことだな」
ジャスミンは頷いた。
「リィの配偶者であり婚約者。そして無二の戦友。どこまで正確な情報が伝わっているのかが分からないが、君がリィにとって最優先で守るべき人間であることは間違いない。実際に君絡みの事件で、現政権は一度恐慌状態に陥っているのだからな」
「ウォル、そんなあんたがこの星で非業の死を遂げるようなことがあれば、三世辺りの髪が処女雪みたいに真っ白になるのは間違いないぜ。っていうか、今まさしく真っ白になりつつあるのかも知れねえな」
ケリーが人の悪い笑みで笑った。
現政権のメンバーは、半分物理的な意味でルウに痛い目に遭わされている。現実と変わらない幻の中で、死をこいねがうような苦痛を味合わされたのだ。その体験がトラウマとなっていれば、彼らがリィたち一行を恐れること甚だしいのは十分予想出来るし、ウォルの死で狼狽する議場を操ることも容易くなるだろう。
「ウォルを死んだものと思い込んだ連邦首脳陣。彼らは君たちをひたすら恐れ、実行行為者であるヴェロニカ共和国を切り捨てる決断をした」
「これで、エストリアの連中は大義名分が出来たってわけだな。全共和宇宙の人民の安全と平和のために、ヴェロニカ共和国には尊い犠牲になってもらおう。そう説明すれば、頭の硬い連邦主席や実行行為者の軍人連中も、思い通りに動いてくれるってもんさ」
「いったん惑星ヴェロニカを占領してしまえば、例え事実が明らかになっても痛くも痒くもないないだろう。トリジウムは全て自分たちのものだ。ジェノサイドを告発しようにも、連邦政府がその実行に、明示か黙示かを問わずお墨付きを与えてしまっているのだからな。いわば共犯者だ。告発など出来るはずがない。これでエストリアは、何の犠牲も払わずにトリジウムの独り占めが出来るというわけだ」
『今の話、ジャスミンは蓋然性に疑問があるって言ってたけど、わたしが調べた限りでは最も蓋然性の高い推論ね。この宇宙嵐と妨害電波で、調べられる範囲には限界があるのだけれど……』
深刻な表情のダイアナが、ジャスミンの説にお墨付きを与えた。
その言葉を受けて、マルゴが腕を組み、
「ウォルの居場所を私たちが常に把握出来ていたのも、エストリアが、連邦内のスパイ経由でお父様に情報を送っていた可能性が高いわね。ヴォルフが、上官の命令でウォルの体内に発信機を仕込んだのだと言っていたわ。怪しいのはその上官ね」
冷静な調子で言った。敵方だったマルゴの言葉だけに、ひとかたならぬ真実味が含まれていた。
マルゴの言葉を聞いて、ウォルが下腹の辺りを撫でさすった。
「その発信機とやら、虫下しでも飲めば出てくるかな?」
配偶者であり婚約者でもある少女ののんびりとした意見に、妻であり未来の夫でもある少年は真剣な顔で、
「一度飲んだらもう外せないってことはないんだろうけど、虫下しで大丈夫かなぁ」
こちらももしかしたら発信機を仕込まれているかも知れないから、やはりお腹に手を当てて不安そうな面持ちである。
ケリーとジャスミンは込み上げる笑いを堪えるのに苦労した。何せ二人がお腹をさする様子が、育ち盛りの子供が二人、空腹に耐えかねて腹の虫を宥めているようにしか見えなかったからだ。
「とにかく、エストリアがこの国を攻め落とすメリットがあるとすれば、それは間違いなくトリジウムの奪取だ。その過程で、おそらくジェノサイドかそれに近い大虐殺が起きる。我々はそれに対してどう行動するのか。まずはそれが問題だな」
「そんなの考えるまでもないわ」
ジャスミンの問題提議に、間髪入れずに答えた者がいた。
マルゴであった。
「相手はそこらのごろつきじゃないわ。超大国エストリアの正規軍よ。あなたたちがどれだけ強くても限界がある。命が惜しければさっさとこの星を離れなさい」
そう言って立ち上がり、ドアの方に向けて歩きだした。
その背中にケリーが問いかける。
「どこへ行く?」
マルゴは振り返ることなく答えた。
「決まってるでしょう。わたしはヴェロニカ共和国の軍人よ。この国を守る義務があるわ。そしてわたしはその義務を全うするだけ。それじゃあ、短い間だったけど楽しかった。本当にありがとう」
マルゴの小さな体が、閉じられたドアの向こうに消えた。