梅雨が鳴りを潜め、代わりとばかりに、呪術高専一帯にセミの鳴く声が木霊する。
寮から校舎へと続く道を歩きながら、夏を感じさせるその風物詩に、俺は感想を抱いた。
クソうるせぇ、死ぬほど不愉快だ。セミ、失せろ…!!
──呪術高専の敷地内は、緑が多い、すなわち木が多い。加えて立地も山の中だ。そのため都市部と比べて、異様にセミの数がいる。
それにプラスして、俺は耳がいい。どれくらい耳がいいかというと、落ちた小銭の種類を聞き分けられるレベル。この特技で俺はこの前日下部さんに、落とした小銭の金額を当てられたら貰うという条件で賭けをし、589円をむしり取った実績も持っている。
これらの要素が組み合わさった結果、高専の建物外に出るのが俺には地獄と化してしまっているのだ。もう1度言おう、クソうるせぇ。
耳障りなセミの合唱に顔をしかめつつ、足早に校舎へと入る。
校内は壁が分厚いからか、もしくは結界でも張っているのか、遮音性は高くセミの声は聞こえない。
心地好い静けさにほっと一息を吐き、教室に向かう。てくてく廊下を行きながら考えるのは、今後の予定だ。
昨日の任務終わりに夜蛾先生から聞いたのだが、なんでも彼、今日の午後から出張に出るらしい。けれどそうすると、その間は俺を指導してくれる人がいなくなってしまうので、今日の午前中にでも誰か代わりを連れてくると言っていたのだが……と、着いた。
お馴染みの教室の扉を開け、中へ。広々とした空間にポツリと置かれた机に哀愁を感じつつ近付き、椅子を引いて、長ランの裾をバサリとしながら座り。背もたれに体重を預け、椅子の前足を上げてカターン、カターンとゆらゆらさせながら、思案を続ける。
……しっかし、代わりを連れてくると言っても……どんな人が来るんだろうか?既知の人だったら冥さんがいいけど……美人の女教師って男子の夢じゃない?
知らん人を連れてくるんだったら……そうだな、なんでもいいからとにかく態度良さげな人でお願いしたい。仲良くなれる感じの。
バイトしてたとき居たんだよなー、クッソ態度悪いやつ。初めたての頃、その人に仕事の内容の確認をしたら、いちいち舌打ちしてから説明してくんの。で、説明終わってもそれくらい自分で考えろよ……とかブチブチ言ってんのね。ほんと何?あれ。親類に罵倒やら暴行されても笑っていられる俺の面の皮の厚さがなかったら泣いてたぞ???
……まぁでも、贅沢言うならそりゃ可愛い女の人の方が嬉しいけどな……そろそろ俺も青春したいし。生きるため、青春するために高専に入ったのに、この数ヵ月でやったそれらしいことといえば、夜蛾先生と飯行ったり、日下部さんと飯行ったり、夜蛾先生とショッピングしたりくらいだ。むさ苦しすぎる。いや、楽しかったけどな?
まだ見ぬ指導者に思いを馳せつつ椅子をカターン、カターンさせてゆらゆらすること、数分。
にわかに廊下が騒がしくなる。どうやらご到着のようだ。
やがてガラリと開く扉、いつも通りの強面で入ってくる夜蛾先生に連れられ入ってきたのは、1人の少女だった。
艶やかな黒の髪をおさげにしており、やや吊り目がちであるものの整った顔立ちをしている。背はそこまで高くなく、すらっとしたその体躯を、高専のものと思われる黒の制服で包んでいた。
そんな彼女と共に教壇に上がった夜蛾先生が、口を開く。
「──すまない墓之瀬、少し遅れた。待たせたか?」
「ううん、今来たとこ!……なんちゃって、きゃっ♡」
「なるほど、つまりオマエも遅刻していたということでいいな?」
「よくないですよ、冗談よ冗談!ちゃんと早くに来てましたよっ、ちょっと待ちましたよっ!」
「はぁ……なら最初からそう言え。……と、それよりもだ」
そこで彼は一旦言葉を切ると、隣に立つ少女を手で示し。
「紹介しよう。彼女が俺の代わりにオマエの指導を務めてくれる……」
「庵歌姫、あなたの2つ上の先輩になるわ。よろしく」
受けて彼女は、にこやかに告げる。本当に可愛い女の人が来たことに、驚きと感動を覚えつつを俺は挨拶を返す。
「はい、よろしくお願いします、いおりん先輩!俺は墓之瀬聡人です!」
「墓之瀬くんね、うん、分かっ……いおりん先輩???」
「うん、いおりん先輩。あ、馴れ馴れしすぎました?じゃあ分かりました、マライア・キャリー先輩はどうですか?」
「それマジもんの歌姫じゃないの、やめてちょうだい。普通に歌姫でいいわよ」
「いいんスか?じゃあ……これからよろしくな、歌姫」
「呼び捨てにして良いとは言ってないわよ、先輩を付けなさい先輩を。……ちょっと夜蛾先生、この子何なんですか?」
「問題を起こさない問題児だ。俺も手を焼いている」
疲れた様子を見せる2人。ってか問題を起こさない問題児とかめちゃくちゃ厄介じゃん、可哀想に……と思っていると、夜蛾先生が思い出したように腕時計を見やり。
「……む……しまったな、そろそろ時間だ。すまないが、俺はもう仕事に出向かなければいけない。歌姫、後は頼んだ」
「はぁ……とりあえず、なんとかやってみます」
「ああ。それと聡人、オマエは自重するように。あまり歌姫に迷惑はかけるなよ?」
「あー……前向きに検討し、予定を調整していく方向で善処します」
「その回答、次またしたら殴るから、覚えておけ」
「ひゃい……」
俺の返事を聞き届け、こちらに一睨みした夜蛾先生は、足早に教室を後にし。
教室には、教壇に立つ歌姫先輩と、椅子に座る俺だけが残される。
何とも言い難い奇妙な沈黙が教室に流れる中、夜蛾先生を見送っていた歌姫先輩が視線をこちらに戻し、口を開いた。
「……さて。それじゃあ今日から少しの間、私が墓之瀬くんの指導を担当するわけだけど……私も人様に授業できるほど、まだ呪術に精通してるとは言えないのよね。だから私が教えられるのは、呪力を扱う上でのコツとか、そういうちょっとした部分になるわ」
「ほぉ……いや、むしろ願ったり叶ったりって感じですね。俺、基本戦うときは大雑把なんで……」
「あら、そうなの?ふふっ、なら丁度良かったわ」
俺の言葉に、小さく笑ってみせる歌姫先輩。……え、可愛い……俺、こんなキューティーでハニーな先輩に、これからアレコレ教えてもらえるの?勝ち組じゃん……!
「まずは……そうね、口頭でコツを伝えて……あ、黒板も使っちゃおうかしら?まぁ、色々簡単に説明するから、それを大まかに理解してもらった後、グラウンドで練習してもらうわ。いいかしら?」
「はーい!」
「いい返事ね。ああそれと、午後は実習するから、そのつもりでいてちょうだい。……じゃあ、説明を始めるわね──」
▼▼▼
──密室で2人きり、美人の先輩にみっちりイロイロと仕込まれ (語弊ありまくりんぐ)。
グラウンドに出て、実際に教えられたことを意識しての動きを軽く練習した後。
俺は歌姫先輩と共に、補助監督さんの車で、東京の郊外にある小さな町の、空き家が集合している地帯にやって来ていた。
順々に並ぶその空き家たちは、形は崩れ、何とか残っている外壁も蔦で覆われている。また周囲の地面には、窓ガラスの破片や、建材の板木、屋根の瓦が散らばっていた。
「──この辺りね、呪いが出るのは。たしかに特有の気配もしているし……うん、間違いないでしょう。それじゃあ墓之瀬くん、早速帳を……墓之瀬くん?どうかしたの?」
「んー……いや、やっぱり歌姫先輩、巫女服めちゃくちゃ似合ってるなって思って。イイ趣味っスね」
「ちょっ……!だからこれはっ、趣味とかそういうのじゃないって言ってるでしょ!?これは戦闘服みたいなものでっ……!」
改めて漏らした俺の感想に、頬と耳を羞恥で赤くして、猛抗議してくる歌姫先輩。
その彼女が身に纏っているのは、楚々とした紅白の巫女装束だ。清廉な衣装は、彼女の射干玉の美しいおさげ髪と相まって、歌姫先輩の魅力を十二分に引き出していた。
「もぉっ、また口聞かないわよ!?」
「すいやせん、それはご勘弁を……!」
腰に手を当てこちらを指差し、お叱りをもたらす彼女に、たまらず白旗を上げる。
既に高専からここに来る前、巫女服に着替えた彼女に褒め言葉やらからかいやらをお見舞いした俺は、車中でお昼をとっている間、口を聞いてもらえていなかったのだ。運転していた補助監督さんは、とても居心地の悪そうな顔をしていた。
またもそんな事態になられても困るので、俺は彼女を宥めつつ、すぐに実習に取りかかることにする。
「帳ね、帳下ろせばいいんスよね。任せてください、じゃんじゃか下ろしちゃいます。帳のタイムセールしちゃいます」
「やめなさい、1つで充分よ」
「うぃっす。……でも俺、帳下ろすの苦手なんスよね……以前住宅街の廃屋敷でやったときは、その町の1丁目から4丁目まで全部囲っちゃったし」
「むしろそれだけ広範囲に触媒なしで帳を下ろせる呪力量がスゴいわね……。大丈夫よ、午前中に教えたときは、呪力の制御も簡単な結界術も、きちんとできてたもの」
「……まぁ、歌姫先輩がそこまで言うなら……」
諭されて。
彼女から学んだことを意識しつつ、俺は印を結び、祝詞を諳じる。
「──闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え……!」
囲むべき端から端までを確認、帳の規模を頭に描く。流れ出させる呪力はほんの少し、かつ一定量に設定、広大なものにならないように注意し──訪れる夜。
呪力の供給接続が切られた、すなわち帳が完成したことを理解した俺は、小さく息を漏らしながら辺りを見渡す。
パッと見た感じ、範囲は以前とは比べものにならないほどの小ささだ。帳の縁がしっかりと視認できる。けれども奥に見える廃屋どもまでしっかりと囲まれているし……これは、上手くいったんではないだろうか?
「……どうですかね、歌姫先輩?」
「そうね……うん、綺麗にできてると思うわよ。大きさも広すぎず狭すぎず、ぴったり。花丸をあげられるわ」
「わーい。でも歌姫先輩にご教授いただいたおかげっスけどね」
「教わったことを実践できてる時点で充分花丸なのよ……っと、お喋りしてる場合じゃないみたいよ、墓之瀬くん」
彼女がぴしっと指を、空き家たちに向ける。辿った先には、蠢く黒い影。
「──呪霊のお出ましね。情報によると、低級の群れらしいから、1匹残らず祓ってちょうだい。ああでも、その最中、廃屋を傷付けたりしたらダメだから」
「え、マジですか?」
「ええ。これから先、狭い場所で戦うこともあるでしょうから、今の内に教えた呪力制御をしっかり身に付けて、コンパクトに戦えるようにしておきなさい」
「なるほど、りょーかいです」
刀袋から刀を取り出し、腰に差しつつ言葉を返す。
そして俺は、その場に歌姫先輩を残し。
徐々に形をなしていく呪霊たちに向けて、呪力で身体を強化しながら、近付いていった。
▼▼▼
──1つの廃屋から伸びる黒い影が、不規則に揺らめく。ゆらゆらと動きながら、その大きさを拡げていく影は、周りにある廃屋の影に交じり──トプ、トプトプンと。影が、次々立体に浮き出ていく。
現れた呪霊たちの姿は、皆一様であった。
ソレらは、ネズミのような見た目をしていた。大きめの犬ほどの体躯で、胴の至る所から巨大な眼が覗く。頭部から生える耳は尖っており、眼は胴のものと同じく巨大で、ギョロついていた。
「シャしン……トロう……」
「クラい……」
「スシ……タベたイ……」
「相変わらず何言ってるか分かんねぇな……寿司は俺も食べたい。ウニとか食ってみてぇ」
呪霊たちの戯言に反応しつつ、抜刀する。鈍く輝く刀に呪力を纏わせている合間も、ネズミの呪霊たちは数を増やしていき──今では、空き家と空き家の間道を埋め尽くすほどになっていた。呪霊たちの大きさと廃屋の大きさからして、数は100前後といったところだろうか。
止めどなく増殖を続けたネズミの呪霊たちは、やがて道に入り切らなくなり、溢れる。寄声を発しながら駆けてゆく先にいるのは、学帽に長ラン姿のイカした青年、つまり俺だ。
「廃屋は壊しちゃいけないから、出力は抑え気味、でも祓えるくらいに呪力は籠める、か……むずかし」
ひとりごちつ、刀を腰だめに構える。
さながら特急電車のように突っ込んでくるネズミの呪霊の群れ、それに向けて、俺は刀を振るい──飛ぶ青黒の、太き斬撃。
斬撃は、駆ける呪霊たちを、一路に沿って呑み込んで進んでいく。一頻り呪霊を祓ったところで、斬撃は姿を散らした。
しかしてそれでも、ネズミの呪霊は依然半数ほどが残っており、突進を続けている。
2度3度と、俺はまた建物に注意しながら斬撃を飛ばし、ヤツらの数を減らしていく。
残りの数が20ほどになった辺りで、呪霊たちは危機感を抱いたのか、家々の狭間、散り散りに脇道へ逃げ込み始める。
それに対し俺は、1匹も取り逃すまいと脚に力を籠め、駆け出し──呪霊たちを飛び越え、その前へと降り立つ。
「はーい、おいでおいでー」
期せずして俺に飛び込むことになったネズミの呪霊たちは、慌てて止まろうとするも、勢いは殺せず。
俺の放つ呪力の斬撃に呑まれ、姿を消した。
「これぞ俺式ネズミ取り……って言っても、ただの先回りだけどな。さて、残りは……」
一旦刀を鞘に仕舞い。
高く跳ぶと、崩れかけの廃屋の1つに屋根に、静かに乗る。
風に長ランがはためく中、目視で呪霊の生き残りを探す。
おそらく残るは1匹……呪いの気配を感じる。しかし、その気配が微かすぎて、上手く辿れないのだ。
呪力で強化した目を皿のようにして、辺りを見渡し──いた、向かいの家の3つ隣の家の影、ネズミが隠れてる。
俺はふわりと軽く跳び、屋根を発つ。
学帽が僅かに浮き、長ランがパタパタと音を立ててなびく。
全身に風を感じながら、俺は潜んでいたネズミの呪霊の背後に着地すると。
呪霊が振り向く前にソレの身体を蹴り飛ばす。
呪霊はその衝撃に耐え切れず、パァンッと破裂音を上げ肉塊となり舞った。
「たまやー、ってか?」
恒例の台詞を吐きつつ、呪霊の肉塊が消失したのを確認してから、再度気配が残っていないかを探る。
念入りに索敵をし、ようやく残りがいないことを確認した俺は、最初の通りに戻り、待っていた歌姫先輩に手を振る。
「──終わりました、歌姫先ぱーい」
「ええ、見てたわ。お疲れさま」
微笑んで、彼女が労いの言葉をくれる。優しい……実家のような安心感……まぁ実家に安心感なんてなかったけどな!
「で、見てた感じどうでした?個人的には割と良くできていた思うんスけど……」
「私も同意見ね。呪力制御はきちんとできていたし、動きも良かった。また花丸をあげられるわね」
「お、2個目。けどそれもこれも、歌姫先輩のおかげですよ。マンモス感謝」
「おべっかなんて使われても、何も出ないわよ?」
呆れたように笑って、歌姫先輩が言う。本当に感謝はしてるし、本当に歌姫先輩のおかげなんだけどな……まぁ面と向かっては恥ずかしいから伝えないが。
そんな風に軽く談笑しながら、帳を上げる。
戻ってくる昼の高い日差しの下、次いで歌姫先輩からアドバイスなんかも貰い、いざ高専へ帰ろうかとなったところで。
PiPiPiPiPi……と鳴り響く電子音。
なんぞやと思っていると、歌姫先輩が巫女服の袖口から携帯電話を取り出し、こちらに少し待つよう指示してから耳に当てる。
はい、や、ええ、といった相槌を打ちつつ、彼女は通話先の相手と言葉を交わしていき──段々と、その表情が固くなる。……悪い報せなのだろうか?
心配している内に、やがて通話を終えた歌姫先輩が、俺を見て。
「……墓之瀬くん、緊急の任務よ。準備して」
「緊急ねぇ……内容は?」
「呪霊の巣と思われる場所に訪れた一般人の、生存の確認ないし救出。ただし、派遣されるのは私とあなただけで、想定される任務の等級は……準1級よ」
「シンプルヤバいやつ来たなぁ、おい……」
重苦しい声で、歌姫先輩が告げる。
しっかし準1級相当とは……たまげた。明らかに手に余る任務だ。けれどもこの業界は人手不足が常らしいし、これから先も、似たようなことが起きるのかもしれない。尤も、これから先があるのかという話にもなってくるわけだが……。
……まぁ、せっかく呪術師になってある程度自由に生きられるようになったというのに、まだろくすっぽ青春じみたことはできてないんだ。こんなところで死ぬなんて、絶対ごめんだ。それにようやく歌姫先輩という、可愛い先輩にも会えたのだ。必ず任務を生き延びて、もっと仲良くならなければ。
「……覚悟はいいわね?墓之瀬くん」
「もちのろん……全力を尽くしましょう、歌姫先輩」
「ええ、頑張りましょう」
──強く、決意を固めて。
俺は歌姫先輩と共に、現場へと急行した。