有栖川学院は昔から続く伝統のある名門校で,社会に貢献できる淑女を育成することを目的とした学院である。
その為,共学ではなく女子高で美夢は男の子と話したり接したりした経験は少ない。
それこそ父の付き添いでパーティーで父の仕事仲間やお偉いさんとか,そのお偉いさんの息子とかと話したことがある程度。ましてや手を繋ぐことなど父親位しかなかった筈なのに
(大きくて……優しい手)
別荘近くの湖までの道を2人は無言で歩いていた。美夢の左手の先には獅子がいた。
(どうして……悪い人になりきろうとするんですか)
今だって,さりげなく車道側を歩いてくれている。
星朋大学でも,前のテロの時も,獅子はその余裕の……全部を見下したような眼で事に当たり敵を圧倒した。
救われた側の人間が彼を称えようともせず目の敵にするのは,一重にその行動が原因だ。
そして獅子自身も別にそれで構わないと思っている節がある。寧ろそうやって自分から遠ざけようともしているように美夢には見えた。
「なんだ」
獅子の事を見ていたからか反応された
「男の人とこうやって歩くのが初めてで,なんだかドキドキしちゃいますね」
「……そうか」
テロがあった日にも手は繋いでいたが,状況が状況だったのでそんな事を思う余裕が無かった。けれども今はあの日のようにどこから危険が襲ってくるか分からないと言う状況でもなかったので改めて意識してしまう。
獅子もそれ以上何も言わずに,美夢の歩幅に合わせて歩いて行く。
暫くすると,大きな湖に出た。
「わぁ……! 綺麗……」
湖の向こうでは朝日が昇っていて,湖に反射してどこか幻想的な光景を醸し出していた。
隣の獅子を見上げると,彼の顔も朝日に照らされていて目が光っているように見えた。
だけどその瞳は湖じゃなくてその遥か先を見ているように感じた。
「獅子……さん」
美夢が名前を呼ぶとチラリと美夢を見た
「綺麗ですね」
「……そうだな」
「あ,あそこベンチありますよ」
ずっと走ってたり落ち込んだり歩いてたのでちょっと疲れたようである。
美夢はちょっぴり強引に獅子を連れ出した。
(私……なんて大胆なことを……)
普段の自分ならこんな事はしない。相手の意見も聞いて決める筈なのに。美夢の身体は知らない内に熱を帯びていた。
獅子は獅子で振りほどくことは簡単だが,めんどくさくてしていない。2人は同じベンチで隣同士で座ってまた湖を眺めていた。
ふと美夢は獅子のジャケットを見た。炎を思い起こさせる真紅のジャケット。それで夢の最後に見た男を思い出した。
「今日……夢を見たんです」
独りでに美夢は語り始めた
「小さい子供が,炎と崩れた街で1人で走っていました。色んな人がその子供に助けを求めていました」
「……」
「でも,子供は……誰も助ける事が出来ませんでした」
周りの人間が亡くなり,たった1人の生き残りがどんな考えを持つのか美夢には分からない。
けれども,サイバイバーズ・ギルトという有名な言葉がある。
奇跡的な生還を遂げたにもかかわらず,自分だけが生き残った事に罪悪感を持つことだ。
「次に見たのが荒廃した街で,詰みあがった人達の上に立っていたのは……赤いジャケットを着ていた人でした」
言いながら獅子を見つめる。彼が着ている真紅のジャケット,それが夢の中の男が着ていたジャケットだったから。
獅子も美夢が誰の話をしているのか分かったが,敢えてとぼける。
「……お前は随分想像力豊かなんだな」
「お前じゃ……ないです」
どこか震えた声を出す美夢を見ると,彼女も獅子の顔を見ていた
天使のような微笑みを浮かべる彼女は,美しかった
「美夢とお呼びください」
「……別にいいだろ。どうせ今日で会わなくなるんだから」
元々今日来たのは連星から両親の話を聞くためでありその目的を達した以上これ以上ここに留まる理由はない。
連星があのボロアパートの場所を美夢に教えるかもしれないが,あそこはどの道もう直ぐ出ていく事になるのだから。
それに大学で待伏せしようにも平日は美夢も学校だからほぼほぼ会えないだろう。それこそさおりが協力しない限り。
「そんなの……嫌です!」
だけども,想像以上に強い声が獅子の隣から聞こえた。
リリリリの面子は知っているが,美夢は嫌だとかダメだとかネガティブな言葉を使う事は滅多にない。それこそ学校の倉庫でレコードプレーヤーを見つけた時位だ。
「私……もっと獅子さんとお話ししたい。獅子さんの事を知りたい」
「昨日言ったはずだ。死にたくないのなら関わるなって」
「死ぬのなんて怖くないです! だって……あなたが守ってくれるでしょう? あの時みたいに」
確信を持った言葉で獅子に迫る。
獅子が強い事を知っているから……あの日自分を守ってくれた獅子の事を信じているから
しかし,獅子は面倒だと思っているのか他の理由があるのか美夢から眼を逸らす
「……俺は他人を守れるほど強くない」
「うそです」
耳元から囁くように聞こえたその声の持ち主の指が獅子の顔に迫る
「ちょ……」
美夢の細い指がそっと獅子の顔に触れた
彼女の触り方はどこか甘美的で,どこか背中がぞわりとする。
おまけになまめかしく,ただの獣ならきっと彼女の虜になっているのだろうなと獅子は心のどこかで思った。
「じゃあ……どうして強くなろうとするんですか。どうして危険な場所にまで行って戦うんですか。どうして……悪い人になりきろうなんてするんですか?」
強くなる理由,戦う理由,自分のためにという理由もない訳ではない。
だけど,周りを敵にしてまでするのは自分の為なんて事は嘘だ。
そんなの自分の為でもなんでもない。何のメリットもないからだ。
なら考えられるのは,周りを敵にまわす事で,自分と言う死神から遠ざけようとしているんだと。
「……強くなるのに理由なんざ必要ないだろ。お前だって周りの人間を楽しませたいから音楽をしているんだろ。それと一緒だ」
今日の彼女はどうしてこんなに積極的なのだろうか,そう思いながら湖を見渡す。このまま美夢を見ていたら自分の何かが壊れる気がしたから。
自分とは生きて来た道が違うはずの美夢が,何故自分なんかにそれほど執着するのか分からなかった。
……隣から不服そうな声が聞こえて来た
「お前じゃなくて美夢です。耳噛んじゃいますよ」
「ネコかおま……美夢は」
一瞬美夢の顔が自分に近づいてきたのを感じて不本意だが名前を呼んだ。
名前を呼ばれた美夢は「えへへ」とはにかんだ。
「そうですよ。私も……私達も音楽を通じて皆を幸せにしたい。だからもっともっと上手になりたい。でも……獅子さんはそれだけですか?」
「……」
「本当は周りの人を守りたいからじゃないのですか?」
「……違うな」
「違いません」
「いい加減にしろよ」
獅子は美夢をひと睨みした。しかし美夢はペースを掴んだのか,はたまた虎舞獅子という人間を少しずつ分かり始めたのか続けた。
「獅子さんが優しい事を私は知っています」
「だから」
「でも……同時に寂しそうなのも知っています」
それは彼女が初めて獅子を見た時から感じていた事。
獅子の生き方を美夢は知らない。だからこそ知りたい。
寂しそうと言われた本人は訝し気な様子だ。
「……獅子さんのご両親はどんな人達だったんですか?」
じいやが獅子の両親は……正確にはアルスの方が親友だと言っていた。昨日獅子と連星が何を話したのかなんて決まっている。十中八九獅子の両親の事だ。
美夢の問に眉をひそめた。
「なんだ藪から棒に」
「じいやが獅子さんのご両親はお父さんの親友だったって言っていたので」
そのじいやは一体いつから美夢の家に仕えていたんだよ,と内心思った。
自分の事を知っていると言う事は少なくとも14年前には既に仕えていた事になる。
そこでテロの日,美夢を送り届けた時のじいやの反応を思い出した。少し眼を大きくし驚いた様子だったじいやの様子を。
(あれは俺が見知らぬ男だったからじゃなくて,アルスの息子だと気が付いていたからか)
もしかしたら自分の事をあれだけ調べられていたのは,じいやが調べていたからかもしれないと思った。
それはさておいて,隣からは興味津々な様子を見せる美夢がいる。正直居心地が少し悪かったが……ペースを掴まれた気がする。
「……強い人だった。ただただ愚直に強さを磨いていた武人だって聞いてる。当時の俺と弟が2人でかかっても全く勝てなかった」
「弟さんがいらっしゃるんですか?」
その初耳情報に美夢は大きく眼を見開いた。今までそんな話は聞いたことがないから当然である。
「ああ」
どこか郷愁を含んだ表情で湖の先を見ていた。それは自分には決して手の届かない場所にいる家族を思っているようだ。
それを見た美夢は,何かを察してしまったように……躊躇いながら聞いた
「獅子さんのお父様は……もしかして」
「もう死んでるよ。弟も母さんも。飼っていた犬も」
「あ……ごめんなさい」
辛い事を思い出させたと思った彼女は謝る。でも獅子からしたら今更なので興味なさげな反応で答える
「別に,どの道お前の父親は知ってるみたいだし」
人の過去をあれこれ娘に教えるような人物ではないが,そんな事は獅子は知らないのでどうせ美夢に知られると思って答えたようだ。
ふと,背中に悪寒がした。なんだろうと思うのも束の間
「……はむっ!」
「ちょお!」
目の前を向いてこの世じゃないどこかに思いを馳せていた獅子の耳に何とも言えない感覚が襲ってきた。
久々に背筋がぞわりとした獅子は顔を美夢から離すと,美夢は悪戯成功と言った顔で獅子を見ていた。自分の指を少しなまめかしい唇に添えてる
「んだよいきなり」
「む,獅子さんがまたお前って言うからですよ」
(……こいつ,意識してるのか知らんが結構Sな所あるよな)
何をどう思ったら耳を噛む……いやさっきは甘噛みだったが噛むなんていう発想に至るのか。
それも結構なお嬢様が。
(あああ,私なんてことを)
でも美夢は美夢で自分の行動に頭を抱えていた。確かに耳を噛むとは言ったが本当に噛んでしまうとは思わなかった。しかし獅子に名前で呼ばれなかった時に悪戯をしたくなった。
そして……
(ちょっと……ぞくぞくしちゃった)
胸の奥で心臓が高鳴っていたのは美夢にしか分からない事である。
そんな美夢を呆れた眼で見る獅子。彼の中で,もしかして美夢はS疑惑が出てきてしまった。
しかし,彼女はSなんて言われても意味を恐らく知らないので胸の内に留める事にした。
(…女って,面倒なんだな)
ある一つの誤解を抱きながら