お嬢様言葉とか普段書かないから不安である
6月の第二木曜日,加賀美達に約束させられた日だ。
今日の大学は3限目に終わりなので授業が終わり次第そのままニルヴァーナへと向かう。
俺の通う星朋大学は東京大学や早稲田大学みたいに特別有名な大学と言う訳ではない。中堅よりも少し上程度の大学だ。
だけど,やっぱりどんな大学だろうが人間がいようが,民度は変わらないらしい。
「ねえ,あれが?」
「そうそう」
「やだ怖い」
校門に向かう俺に向かって囁かれただろう恐れが混じった声。多分向こうは自分の声が聞こえていないと思っているのかもしれないが,俺の耳は地獄耳なので音として発せられているものなら多少離れていても聞こえるし,昔見てくれたお医者さん曰く訓練すれば絶対音感も身に付けられたらしい。
音楽に興味ないからいらないがな。
「はぁ……」
一瞬視線を向けたら,こっちを見ていた奴らが眼を逸らして『自分達は最初から見てませんでしたよ』感を出してきやがる。
俺の事を好きになれとは言わないがもう少し感情を隠す事は出来んのか。餓鬼じゃないんだから。
……ま,あいつらがこんなになるまでにやった俺の方にも問題はあるのかもしれないけどな
っと……約束の時間が迫って来てるからさっさと行かねえとな。
★
ニルヴァーナについた俺は事務室に自分の荷物を置いた後,ロッカールームで着替えた。
いつもなら運動着の類を着ているが今回は水泳の為,ニルヴァーナのスタッフ用のスイムウェアをに着替えた。
いつもならこれで行くのだが,今回はその子が練習にしやすいようにラッシュガードも着る事にした。俺の身体には古傷が少しあるから,それ見て怖がる奴もいるみたいだし。
ロッカーに着替えを叩き込んだら,ここの施設を案内された時以来初めてのプールまで向かった。
「いつも一か所にしかいないから気にしなかったけど……ここデカすぎだよな」
ニルヴァーナの広さは東京ドームよりも少々狭い程度で,二階もあるので合計面積に関しては東京ドーム以上の広さを誇っている。
俺が普段いるのは1階の端っこにある体育館の為,トレーニング器具とかがある二階にはたまにしか行かない。
俺はインストラクターとして働いてはいるが無資格なのでピンチヒッターとして先輩らの手伝いに行くくらい。インストラクターは基本的にここの施設を使ってもいいけどな。
そういう訳で俺は一階の大部分を占めてるプールへと辿り着いた。25mのレーンがいくつも並んでいて,既に幾つかにはマダムっぽい人達がアニメにいそうなイケメンな先生に教わったりしてたりする光景が目に入った。それを横目に俺は歩き続ける
「確か最終レースにいるって……」
俺が右端の最後のレースを見ると,多分今回見る子がいた。その子は入念な準備運動をしていていた。にしても……
(地毛でピンクって……)
ピンクの髪のショートな女の子がいた。その子の所に向かいながら観察してみる。
昔から水泳をしていただけあって体つきは女性の理想とも言える体型をしている。
肌は遠目から見ても日焼けなんて知らなさそうな白色だし,体のラインも出る所は出て引っ込むところは引っ込んでる。世間一般の女性が見たら嫉妬してしまうんじゃないかな。
近づいてきた俺に気が付いたのか彼女は準備運動を止めてこちらを見た。その所作の1つ1つが,どこかお嬢様感が溢れている。俺とは住む世界が違う住人だな。それに……
(加賀美が可愛がるのも分かる気がするな)
体型だけに留まらず,顔も整って所謂美少女ともなれば加賀美さんの指導の力も入る訳だ。……何故か向こうも少し驚いた顔をしているが。だけどその表情を直ぐに笑顔に変えて綺麗な姿勢のまま頭を下げて来た
「ごきげんよう。本日私の練習を見てくださる方ですか?」
ごきげんようとかいうお嬢様さながらの挨拶もそうだが,彼女から発せられる声は穏やかで,綺麗な声だった。
「ああ。虎舞
「私,桜田美夢と言います。こちらこそよろしくお願いいたします」
桜田……何かどこかで聞いたことのある名前だ。どこだっけ……まあいいや。そんなのは大した問題じゃない。そんな事を思っていたら桜田は少し首をこてんと傾げていた。
「どうした?」
「い,いえ……珍しいお名前だなって思いまして」
「まあな。当て字でも獅子って珍しいよ」
産まれた時からこの名前だったから別に名前に疑問なんて持たなかったが,確かに周りの普通の名前の奴らに比べればイレギュラー感はある。
だけど別にそんな事を語りに来たわけじゃないので切り替える
「そんな事より,加賀美さんからレッスンメニューは貰ってるんだが──」
それから数十分間,桜田の練習を見ていた。基本のバタ足からクロールにバタフライ等々……昔から加賀美に教わっているだけあって素人目から見てもフォームは綺麗だ。タイムに関しては一般人から少し早い程度だがまるで人魚が泳いでるように見えるフォームは,何かのパフォーマンスにも見える。
それに,驚いたのは彼女の潜水時間だ。
「あれだけ長く潜って息継ぎなしとは……尋常じゃない肺活量だ」
今彼女は一度折り返し10mと言ったところでようやく息継ぎをして戻って来た。こっちの壁に手を付けた彼女はゆっくりと浮き上がって来た。
「ぷはぁ!」
お嬢様らしからぬ声が聞こえた気がするが,あれだけの時間を潜ってこの位の消費って凄いな。それに泳ぎの方も俺から特段教える事はない。
強いて言うなら体力の方かもしれないが,この子はガチの競技をしている訳じゃないからそれも本人がやろうと思わない限り必要ないと思うし。
「どうでしたか……?」
「いや,凄いな。フォームも綺麗だし何より潜水時間が半端ない」
「えへへ,潜水は私が得意なことなんです」
褒められたことが嬉しいのか顔がはにかんでいる。けどなん十分も泳ぎっぱなしだからそろそろ休憩を取らせないと
「一回休憩をしよう」
「はい!」
桜田はよいしょとプールから上がりキャップを取って顔を揺らした。
そのワンシーンは人によっては写真を取っておきたいのかもしれないほど綺麗なものだった。
水によって煌めく彼女の繊細な髪は美しく,俺がただの人なら惚れていたのかもしれない。まあ恋愛感情なんてものは俺には無縁の話なんだが。
「? どうされました?」
俺の様子を不審に思ったのか桜田が首を傾げた
「何でもない。ほい」
「ありがとうございます!」
予めクーラーボックスに放り込んでおいたスポーツドリンクを渡し,近くにあるベンチに2人で並んで座った。
辺りを見渡せばいつのまにか先程のマダムっぽい人達もいなくなっていて,この広いプールには俺と桜田の2人だけになっていた。それを意識したら少し落ち着かなくなる。
隣を見てみると桜田がスポーツドリンクを飲んでいたのだが
(お嬢様って皆キラキラしてるものなのか?)
飲み物1つ飲む姿でも,一般人とは違うオーラのようなものを感じる。
「ふぅ……」
一息つくのもやはりどこか一般とは違う気がする。とか思っていたら見ていたのがバレたのか桜田がこちらを向いて聞いてきた
「あの……どうしてラッシュガードを着ていらっしゃるんですか?」
ラッシュガードは本来日焼け防止の意味合いが強く,それも海でする事が多いので気になったのかもしれない。
「初めて見た人が大概びっくりして練習に集中出来なくなるから着てるだけだ」
「びっくり……ですか?」
しまった……こんないい方したら気になるのが人の性と言う奴ではないか。
こちらを疑問一杯の顔で見てくる桜田。
「古傷が結構あるんだ。だから見た人が驚くのも無理はないんだがな」
「そうだったんですか……私が練習に集中できるように……」
「もう言っちゃったから余り関係気もするがな」
あー何かっこつけてんだろ俺ダサすぎだろ。
「お優しいんですね」
だけど,隣から聞こえて来たのは慈愛に満ちた声だった。桜田の方を見ると薄く微笑んでて眩しかった。俺とは正反対の光。
この子に裏の顔があるのかは知らないし興味もない。この子が俺の事をどう思っているのかも。
……馬鹿を言え,最後には全部を敵にしても良いって俺は決めてるじゃないか
「馬鹿言え。俺はただのクズだ」
桜田は呆けた顔で此方を見てくるが知った事じゃない。
「さ,続きするぞ」
もう追撃が来ないように立ち上がった。彼女が潜っている間は勿論追撃は来ないし,そもそも彼女に教えられる事も俺にはない。ただ彼女が事故らないようにすればいい。
これ以上彼女と話していたら,自分の中の決意が鈍る気がしたから
……これが美夢との馴れ初めになるとは思わなかったが