幼馴染という仕事もまた、AI化の波には逆らえず……   作:quiet

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3話 変更

 

 

「じりりりりりりりり!」

 

 AI時代の目覚まし時計は高性能らしくて、一切反応せずに寝ているとどんどん音が大きくなって、どんどん耳元に近付いてくる。

 

「じりりりりりり、って言ってるんですけど!」

 あと、怒る。

 

 それで僕は少しだけ顔を出した。彼女の姿はない。グラスを掛ける。ある。もう、とベッドの横で腰に両手を当てて、怒りましたと言いたげに背を反らしている。

 

 時計を見た。

 八時七分。

 

「……おやすみ」

「こらーっ!」

 

 もう一度布団を被り直す。グラスを外すつもりもイヤホンを切るつもりもなかったけれど、どちらにせよこうしてしまえば彼女の声は届かなくなる。物理的な身体があれば布団ごと揺さぶったり、何ならベッドを引っ繰り返すことだってできたかもしれないけれど、ないのだから。

 

 圧倒的にこちらが有利。

 なんて、思っていると。

 

「うわっ」

「ふふふ……密閉空間。そんなものはこの世にない!」

 

 布団の中に入ってきた。

 

 それはたとえば、映像で見る『毛布の中に入り込む子猫』のような可愛らしい形ではなく、テクスチャの投影箇所にミスがあったときみたいに。つまり、毛布の中に半分くらい彼女の身体が入ってきた。数秒は耐えた。けれどさらに布団の内側に青い空と白い雲、夏のビーチが投影されて諦めた。

 

 顔を出す。身体を起こす。ベッドに腰掛けて、スリッパを爪先に引っ掛ける。グラスの位置を少し直す。そして、言うべきことを言う。

 

「今日は休む」

「え!」

 

 あれから二日おき程度には、僕は労働に勤しむようになっていた。

 

 正直言って、そこまで大変というわけでもない。当たり前の話で、前時代とは違ってもう労働というのは『生きるためにするもの』ではなくなっている。いくら休んだっていい。間違ったって構わない。どうせ人間が手を付けるような領域に、大したものは残っていない。人の不幸に繋がるようなことは、間違ってはいけないことは、機械が責任を持ってやってくれるのだから。

 

 だから思いの外――そう、思いの外。

 長く、続いていた。

 

 外を出るときに羽織るものが一枚増えた。衣替えで季節の流れを感じていたなんて古典の中に出てくるような表現を、僕は実感するようになっていた。それを奇妙な変化だとは感じるけれど、決して悪い気はしていない。

 

 していない、けれど。

 

「昨日から、ちょっと頭がぼーっとしてる」

「え!」

 

 今度の「え!」の方が慌てていた。

 

 というより最初の「え!」は単なる挑発だったのだと思う。ここ最近よくそういうことをやられていたから、よくわかる。僕が言い出すのがもう少し遅かったら「これが継続性のなさってやつですか」と続いたことだろう。

 

「大丈夫? 熱は……ないけど」

 けれど言い出すのが早かったから、今日はそう続いた。

 

 彼女は心配そうに屈み込んで、僕の顔を覗き込んでくる。体温のデータを取っている。平熱。喜ばしいことだけれど、体感とは違っている。

 

「風邪っぽい……と思ってたんだけど、そっか。熱はないんだ」

「熱がなくても無理しちゃだめだよ~! 疲れが溜まっちゃったのかな。喉とか鼻とか、平気?」

 

 把握できている部分だけを端的に答えて、それから「疲れが溜まるとこんな風になるんだ」と訊ね返せば、「データ上はそうなんだって」と彼女は答えた。疲労が溜まりすぎると、身体が熱っぽく感じることもあるらしい。『疲労が溜まりすぎる』という状況が稀すぎるから、知らなかった。

 

「定点観察員、明日にしたいんだけど。大丈夫かな」

 

 申し出れば、一も二もなく彼女は頷いてくれた。急ぐような仕事ではない。急ぐような仕事は、そもそも人間まで回ってこない。「調子が悪いようなら、しばらくは控えた方がいいかもね」と彼女が言う。そこまでではない、と僕は思うから、

 

「風邪じゃないなら、そんなに気にしなくていいよ。疲れてるだけなんでしょ」

「いやいやいや……。病気と疲れって、そんなにすっぱり『ここが境目!』って分けられるようなものじゃないから」

 

 それでも熱がないと聞けば身体が軽く感じるのは、ついこの間の発熱が、想像していたよりもずっとつらかったからだろうか。

 

「今日一日は大人しくしてることだね」

「うん。そうする」

「物理身体でのお世話は……要らなそうかな」

 

 うん、ともう一度繰り返してから、ふと思い出す。料理。せっかく覚えたものがあるのだから、と。

 

「自分で作ろうかな、お粥」

 えっ、と彼女が言った。僕は立ち上がった。キッチンの方へ向かおうとした。

 

 ごんっ、とすごい音がした。

 

「…………」

「…………」

「……熱、出てきたかも」

「痛みって言うんだよ、それは」

 

 ふらふらしていたら壁に頭をぶつけた。

 

 いいから大人しくせい、と彼女がキッチンに向かう戸の前に立つ。両手を大きく広げて、あと両足も肩幅程度に開いて。そこまでされて強行突破を試みるほどの気力はなかったので、僕は素直にベッドに戻る。よしよし、と言って彼女が枕元にやってくる。

 

「でも、あんまり寝すぎない方がいいかも」

「…………」

「あんまり寝すぎない方がいいかも!」

 

 片目だけを開ける。すごく近くに顔がある。

 

「なんで」

「だって、いつもそうじゃん。お昼寝すると夜眠れなくなって、生活リズムがぐちゃぐちゃになるの」

「…………」

「じりりりりりり!」

 

 無理な相談をされているな、と僕は思った。彼女の言うことは正しい。昼間に眠ると夜に眠れなくなる。そしてずるずると生活時間がずれていく。それを予防するためにも日中は起きているべきだ。

 

 しかし、

 

「……いや、無理。何もしてないと、絶対寝る」

「じゃあ何かして神経を昂らせよっか」

 

 言い草が酷い気がするけれど、果たして体調不良を訴えている人間の神経を昂らせる行為に正当性はあるのだろうか。

 

 思っていると、ぴ、と音がする。目を開く。彼女がテーブルの前に、画面を出している。見慣れない画面。けれどその端に書かれた文字にだけは、心当たりがある。

 

 映画。

 

「……たまに観るけど、」

 

 僕たちは、小さな部屋で過ごしている。

 

 滅多に外に出ることもない。かと言って退屈に慣れているのかと言うと――もちろん、かつての波乱の時代の人々と比べると多少はその気があるとは思うけれど――ぼんやり壁を見つめているだけで毎日を過ごせるほどには、発達していない。

 

 だからAIは、娯楽を用意してくれている。

 

 小説。漫画。音楽。

 それから、映画とか。

 

「別に、そこまで好きじゃないよ」

 それに対する、僕の率直な感想がそれだった。

 

 嫌いというわけではないけれど、好きというわけでもない。本当に何もすることがなければ観るけれど、眠気を堪えて観るほどではない。映画を観るくらいなら、彼女と話したり遊んだりしている方が楽しい。ゲームの終わりがいつも、信じられないほど強化されたゲーミングAIによる一方的な暴行事件に終わったとしても。

 

「ちっちっち……」

 

 けれど、彼女はしたり顔で指を横に振った。違うんだなあ、ともったいぶる。その間にも僕は睡魔の誘惑と戦っているわけだけれど、彼女はそんなことは気にせずに、

 

「これは人間製の映画だから! アンティーク!」

 言って、ふんすと胸を張った。

 

 

 

 

 クリエイティブというものが人間の領域でなくなってから、もうどのくらいの年月が経つのだろう。少なくとも、僕が生まれてから過ごしてきた月日より長いことだけは、間違いがない。

 

 緩やかに始まったのだそうだ。そして終わりまでも、やはり緩やかに。AIが高度な『創作』能力を持ってからすぐに人間が排斥されたわけではなかった。コミュニティが移り変わるのと同じ、ひどく緩やかな速度で。人間の持つ『創作の喜び』は、『鑑賞の喜び』の中に含まれるひとつのサブカテゴリとして、ゆっくりと時間をかけて吸収され、受け入れられていった。

 

 それはあたかも。

 年老いた庭師が鋏を置いて、森の中に己の住処を見つけたように。

 

 

 

 

 と、言われても僕にはよくわからないので、全ては受け売りの言葉だ。何で読んだのかは忘れた。でも当たりを付けるとするなら、AI製の映像ポータルのヘルプ画面にでも書かれていたんじゃないかと思う。AIは常に前時代の人間たちが持つ文化に対して敬意を払う。現代に生きる人間であるところの僕の目から見ると、少し過剰に思えるくらいに。

 

 だから最初は彼女の勧めもまた、『敬意』に由来した『過剰な評価』によるものなのかと思ったのだけれど。

 

「レアなんだよ、これ。著作権が切れてないくらいの年代の人間製の映画は、課金しないと私でも観られないんだから」

 

 ね、と言いながら振り向く彼女が、映画のラインナップと、僕の口座残高のふたつの画面を背景に笑っているのを見ると、案外単純な好奇心によるものなんじゃないかという気もしてきた。

 

 通常、娯楽にお金はかからない。それは衣食住と同じように、人間が生きるために必要なものだと見なされているから。けれど彼女が口にした古い言葉――『著作権』。創り出されたものに対して、創り出した人間が有する権利。それを守るために、一定のアクセス規制がかけられている場合がある。

 

 その規制を解除するために必要なコードは、大抵の場合――

 

「いくらくらいするの、それ」

「全然! 私のボディと比べたら雀の涙だよ」

 

 金銭の支払いだったりする。創作というものがかつて労働の一種であったのか、それとも金銭自体がもっと複雑な役割を持っていたのか。その時代を詳しく知らない僕にとっては、判断がつかない。

 

 提示された金額は、確かに低いものだった。権利保護の外形を保つために設定された額なのではないか、と思うくらい。一本を観たところで、彼女のボディを購入するまでに要する労働日数は、一日と変わらないだろう。

 

「へえ」

 だから、僕は素直に。

 

「ちょっと、興味あるかも」

「お、ほんとっ? やっぱり私って何でも知ってるなあ」

 

 ようしそれじゃあ何を観るかを決めよう。彼女がそう言うから、僕はベッドから身体を起こす。彼女はその隣に腰掛けて、画面の操作を始める。

 

「どんなジャンルが観たいとか、ある?」

「いや、特に。おすすめは?」

「AIの反逆もの!」

「…………」

「……ユーモアだよ?」

 

 何とも言い難いユーモアだ、と思っていると、「でも」と彼女は続けた。二度三度、僕にも操作がわかるように指で仮想スクリーンをタッチして、画面を遷移させる。

 

「昔、ほんとに人気があったんだよ。ほらこれ。ジャンルになってるもん」

「……これ、全部?」

 

 全部、と頷くから驚いた。本当に『AIもの』というジャンルが存在しているらしい。タブの表示名がそれになっている。よくもまあ、と思った次の瞬間、その隣のタブが目に付いた。

 

「何。この『サメ』って」

「サメ映画だけど」

「何それ」

「色んなところに色んなサメが出てきて、人間をぐわーって食べちゃう映画」

「何それ……」

 

 昔ほんとに人気があったんだよ、と彼女は言った。僕は『ほんとに』という言葉の意味を考えている。『本当に』とか『真実として』というのとは少し違うような気がしたのだけど、正確な意味は何なのだろうか。『ジョークなんだけど』とかが近そうに思う。

 

「ほら、関連グッズなんかもあるんだよ。サメのぬいぐるみ」

 

 へえ、と相槌を打った。しかし彼女はそれで話を終わりにせず、そのぬいぐるみの画面で指を止めた。指を止め続けて、それから。

 

「……ちらっ」

「買わないよ」

「ちぇー」

 

 唇を尖らせて、画面をまた動かし始める。

 ふとそれで、僕は不思議になった。

 

 映画を観たがる。サメのぬいぐるみを欲しがる。そういう挙動を、彼女はときどき僕に見せる。けれどそうした欲望は、AIにとって必要なものなのだろうか?

 

 もちろん必要でないなら搭載されていないはずだ。だから、一見不要に見えてもそこには理由がある。考えられるのは何だろう。『他者にも欲望がある』ということを認知させること。コミュニケーション能力の向上を助けるため? 確かに、こうした生活サポート型のAIが生まれた背景から考えれば、それは妥当な機能に思えるけれど――、

 

「――って感じなんだけど、どう? ジャンルの好みはありそう?」

「え、ああ」

 

 けれど、と見つめていた横顔が急に振り向いたから、驚いて。

 

「聞いてなかったみたいだからもう一回説明してあげよう。年齢制限がかかってるのは一旦やめておいた方がいいかも。AI製と刺激の強度が違いすぎるから。そうなるとこのへんが便利なんだけど――」

「子ども向け? あんまり……」

「好みではなかろうということで、それも省いて出てきたのがこんな感じ」

 

 はいリスト、と彼女が指を払う。それに押し出されるように、画面が僕の目の前までやってくる。それでも膨大な数のリストアップ。見ているだけで眠くなりそうだと思っていると、それを察してくれたのか彼女が隣で語り始める。子ども向け作品も実はすごく良いものなんだけどね。鑑賞して楽しむための回路が十分に発達していない相手に『面白い』と思わせるためには実は高度な設計が必要で……。余計に眠くなる。くあ、と欠伸を噛み殺しながら、下へ下へとスクロールしていく。

 

「恋愛系が多くない?」

「そうだね。あとヒューマンドラマ。刺激が強いもの……ホラーとか、アクションとか。そういうのを抜いていったら、残りはそのジャンルが多いかな」

 

 恋愛映画。

 興味があるのかと言われると――

 

「…………」

「お。気になった?」

 

 ぴたり、と指が止まれば当然彼女はすぐさま気付く。その気付きは外れたものではなくて、彼女の言うとおり。眠くなったから指を止めたわけじゃない。興味を惹かれたから、観察するために止めた。

 

 サムネイル。小さな部屋に、明るい光の差し込む窓。その光に照らされて、小さな旧式コンピュータ。

 

 タイトル。

 

 

【愛するものを、手でつくる】

 

 

 

 

【2038年、千葉県。ひとりの優れた工学者が亡くなった。

 

 遺されたのはひとつのノートパソコン。立ち上げると、奇妙なアプリが動き出す。

 画面に表示されたのはアニメ調のキャラクター。

 

 こんにちは。声が聞こえた瞬間に、主人公は気付く。

 

 ああ、これは。

 

 亡くなった工学者、その人だ。】

 

 

 

 

「それが観たいんだ?」

 

 言いながら、彼女が僕の視界を遮るように画面の前に覆い被さってきた。少しだけ僕は仰け反る。情報を読み込むのに、僕はともかく彼女はこういう位置関係を必要としないはずだけれど。

 

 そしてまた、この程度の情報を処理するのに、こんなにたっぷりと時間をかける必要はないはずだけれど。

 

「…………ふう~ん?」

 

 たっぷり時間をかけて、五秒。

 それから振り向いた彼女は、ちょっと信じがたいくらいにニヤついた顔をしていた。

 

「あ、そ~。こういうのが気になっちゃうんだ。ほーん。へー。ほー」

「何」

「ビジュアルが美しいって罪だなって」

 

 何、ともう一度言えば、このこの、と言って彼女が肘を押し当ててくる。何の痛みも、何の触感もない動きだけれど、目に映れば錯覚する。本当に、脇腹をつつかれているみたいに。

 

「照れちゃって~。あ、これもっと細かいあらすじあるよ。ほら、こっちの」

「へえ」

「音読しちゃお」

 

 するな。

 

「【2042年公開。人が観た、最後の電気の夢。もしも愛する人を永遠に残すことができたら、あなたはどうしますか?】――だって。良さそうじゃん!」

「そう。それじゃ、それにする?」

「あ、でも評価値☆2.3だ」

「評価値?」

 

 訊ねれば、彼女が説明してくれた。人間性の娯楽は均質化の効きが悪い。だから鑑賞者が評価をつける。それによって『どれくらい面白いか』のラベルをつけるのだという。

 

 かつての時代の、馴染みのない文化の話。

 理解して、噛み砕いて、それから。

 

「それ、評価値の妥当性はどうやって評価されてるの」

「お」

 

 情報に対する評価は、人によって異なる場合が多い。味覚がわかりやすいと思う。同じものを食べれば同じように『美味しい』が発生するわけではない。実際に、僕が日々摂取する食事の味は彼女によって細かく調整されている。そうなると、娯楽なんてなおさらのことに思えて、

 

「評価者と閲覧者の感性の重なり具合を参照しないと、上手くいかないんじゃない」

「うん」

「…………」

「…………」

「……上手くいってなかったの?」

「うん。感性が多数派の人たちの意見が優先して通ってたよ」

 

 身も蓋もない、と呟けば、身も蓋もない時代でした、と彼女が締めくくる。そして今でもその身も蓋もない評価システムは続いているらしい。感性の重なり具合を参照するためには色々と解決すべき課題やプライバシーや尊厳の問題があって、と。眠くなりそうだから、それは今度聞くことにする。

 

 それでも、ひとつだけ頭に残る言葉があった。

 

 多数派。

 僕は、どちらに属しているんだろう。

 

「それで、その『2.3』って高いの?」

「低いよ。4くらいからが当時の名作扱いじゃないかな」

「そもそも満点がいくつなの。10?」

「5。さっきも言ったとおり、あんまり当てにはならないけどね」

 

 面白かったときに評価値3をつけるか5をつけるかの考え方も統一されてなかったし、何ならとりあえず1をつけるみたいな人もいたから、と彼女は言う。こういうことを彼女が言うたびに、僕はかつての時代に思いを馳せる。人間がたくさんいて、人間だけで社会を運営していた時代。とんでもないことになっていたのだと思う。

 

「だから気にすることないよ。一応、そういうシステムがあるから通知しておいただけ。通知しておけばあとで『つまんなかった!』ってなったときに『ここにつまんないって書いてあったじゃん』とか、不平不満は言えなくなるでしょ?」

 

 別にそもそも言うつもりはなかったし、これから観るものに対してマイナスの先入観を与えないでほしかった。ははは、と彼女は笑う。壁に仮想モニタを展開する。それからもう一度、確かめるように訊ねる。

 

「じゃあ、これでいい?」

 

 僕はもう一度、その映画のあらすじを観た。

 

『愛するものを、手でつくる』。2042年に公開された映画。ちょうど彼女のような、コミュニケーション用のAIが開発されて世に出てきた時期に、そして創作コミュニティの軸足が本格的にAI主導の作品群に移りつつあった時代に発表されたもの。あのとき僕が指を留めたのは、けれどそういう時代背景に惹かれたからというわけじゃない。

 

 一番は、そのあらすじの中にある一文。

 

【主人公は、愛する人を模したAIを愛し始めるようになる】

 

「うん。いいよ、これで」

「おっけー。再生準備するから、ソファで観よっか。背もたれあった方がいいでしょ」

 

 言われたとおりに移動しながら、僕は思うことがある。こんな風にふたりで過ごしながら、言葉を交わしながら、ときどき何かが琴線に触れて、思い耽ることがある。

 

 この『好き』は、正しいものなんだろうか?

 

 人間からAIに――人工物に対して向けるこんな感情は、正常で、当然で、誰もが当たり前に抱くものなんだろうか。抱いていて、いいものなんだろうか。

 

 途中で席を立たないように、今のうちに飲み物を入れておく。訊ねる相手はいない。とくとくとコップに水が注がれるのを見ながら、やっぱり身体に怠さを感じている。知っている人間なんてほとんどいない。ソファに座る。まして相談を持ちかける相手なんて、ひとりもいない。準備ができた、と言えば彼女が勢いよく隣に座る。だから確かめようがない。彼女が言う。

 

「いい? 明かり、消しちゃうよ」

 

 その横顔を見つめる僕は、多数派なんだろうか。

 多数派であれば、それで何かが正当化されるんだろうか。

 

「いいよ。準備できた」

「よしよし」

 

 疑問を訊ねるための相手は、僕にはたったひとりしかいない。そのたったひとりに、訊けずにいる。

 

 他のことなら何でも訊けるはずだけれど、それでも。

 

「楽しみだね」

「うん」

 

 きっと、答えを決められてしまうのが、怖いから。

 

 

 

 

 それは、粗い画質で始まった。

 

 立体感のない映像。アンティーク、と彼女が言った理由もよくわかる。技術的には古く見える。というより、撮影された時代を鑑みても、あえて古く見せているように思える。セピア色の画面効果。カメラの位置は、ちょうど僕と彼女がそうしているように、座っているような目線から。

 

『こんにちは』

 

 そんな声が響いて、物語は始まった。

 

 後から知ったこと……この映画を観始めたことで知ったことだけれど、これはPOVを用いて撮られていた。Point Of View。誰かの視点から見たように、映像を映す手法。ちょうどこの映画が公開された2042年は、生体チップの埋め込みによる主観視点からの撮影が可能になってきたころなのだという。

 

 その『誰か』――主人公の視点から、淡々と映像は流れていた。

 

 観始めて二十分もすれば、これが期待していた内容とは異なる映画だということがわかってきた。

 

 AIと恋をするような映画ではなかった。言葉少なな映像から読み取れるのは、主人公が工学者と結婚していたこと。その工学者が死に、しかしそれからも明るい部屋の中で生活が続いていること。オフィス。街角。観光地。家族。友人。あるいはプロジェクトを同じくする同僚も。出会う誰も彼もがうっとりするくらいの優しさで、主人公に接してくれていること。

 

 それでも決して、主人公の悲しみが癒えることはないということ。

 その悲しみに対処するために、工学者の遺した人格AIに取り掛かっているということ。

 

 新しく、まっさらな状態から作られたものを愛する話ではなかった。亡くなった恋人を偲ぶもの。失ったことを受け入れられなくて、同じ形をしたものを泥をこねて作り上げようとする。たったそれだけの行い。美しい映像とは裏腹に、その傍をずっと悲しみの川が静かに流れ続けている。

 

 AIは改良されていく。面立ちが人に近くなっていく。喋り方が自然になっていく。受け答えが成立していく。段々と、僕の知るような形に近付いていく。けれど主人公は、それに何を感じているのだろう? 機能が向上していくにつれて、主人公の手は段々と鈍っていく。机に向かう時間が少なくなってくる。ときおり家を訪ねて弔いの言葉をかけてきた人々が、やがて訪れなくなる。代わりに、外で会うようになる。青い空が数度映る。夜が短くなる。昼の光がちかちか光る。部屋が片付いていく。真新しい、白い段ボールが部屋の中に積み重なっていく。カーテンが外される。明るい日の光がさらに眩く部屋の中に差し込んでいる。

 

 最初と同じ構図。

 

 座っているような目線から。目の前には旧式コンピュータが一台。画面が点いている。微笑んでいる。

 

 音がなくなる。唇が動く。

 

 主人公の手が伸びる。ぱたり、とコンピュータを閉じる。

 

 扉の閉じる、音がする。

 

「あっ、終わった」

 彼女が言うから、それでわかった。

 

 名前が流れ出す。スタッフロールというらしい。この映画の製作にかかわった人々の名前が流れている。落ち着いたピアノの音楽が流れている。彼女が隣で、うん、と背伸びをする。

 

「やー……。どうだった?」

 

 これも、後から聞いて知ったことなのだけど。

 AI製の映画は、『配慮』されているのだという。

 

「AI製の映画と比べれば、基本的な刺激の法則なんかはちょっと――」

 

 娯楽は、あくまで娯楽だから。

 過剰なストレスにならないように。適度な刺激に留められるように。それを観たことで『精神的に著しい変調をきたさないように』――。

 

 心に傷が、つかないように。

 

 丁寧に、丁寧に作られているのだという。

 

「でも、音楽なんかはいつも聴いてるのとちょっと近い曲調で――」

 

 技術的には、さして面白くもない映画だったのだと思う。彼女が隣で語るとおり。ストーリーは期待するよりもずっと起伏に欠けていたし、それを補うだけの映像的な試みもない。ただ、誰かの目から見た景色があるだけ。演出効果も少し学べば僕でもできてしまいそうなくらいに陳腐で、普段から拡張現実に親しんだ現代人にとっては、ほとんどまっさらと変わりがない。

 

 登場人物にも個性がない。盛り上がりがない。説明に頼らないのではなく、足りていない。楽しむだけならば、こんなものを観る必要はない。これよりずっと高い質を保ったものが、今や一生をかけても全て網羅することは叶わないほどたくさん作られている。

 

「――ねえ」

 

 不意に彼女が、僕の方を向く。心配そうな声音で少し頭を下げる。視界の端にそれが映る。覗き込むようにして、彼女が肩を寄せてくる。顔と顔が近付く。暗い部屋の中。単調な刺激の映像と音楽が、名残のように流れている。

 

 それでも、僕は。

 

 

「泣いてるの?」

 エンドロールから、目を逸らせずにいた。

 

 

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