トニー・主水
今から三十数年前の話だ。
イタリア系移民の親父と日本人留学生だったお袋は交際から一年、アメリカで結婚式を挙げた。
お袋のたっての願いで挙式から一週間後には機上の人となり日本の床主市に移住。それから程なくして俺が生まれた。俺のバースデーは6月の28日、悪くない日取りだろ。
ハーフとして生まれた俺は日本語ネイティブのままデカくなり、7歳の時に親父とお袋が交通事故で死んだことで天涯孤独の身となった。それからだった、俺の俺としての人生が始まったのは。
当時としてはまだまだ珍しい国際結婚のお陰でお袋は勘当されていたから必然、俺が頼れるのはアメリカの親戚だけだった。だが、そんなことを主体的に学ぶ前に一人になった俺は飛行機のチケットの買い方も知らなかった。
結局、家賃の滞納で追い出された俺は吹っ切れた状態で政府の御厄介になった。手続きやら、面倒くさい手順を踏まされてから言葉もわからないアメリカの親戚のとこへ飛ばされた。自分でする面倒が省けてよかった。俺の荷物はボストンバッグ一杯分しかなかったが。
新天地アメリカはおっかないところだった。言葉が分からないのに外見が馴染んでるやつってのは物珍しいらしく、初めはさながらパンダみたいな扱いだった。が、時間がたてば言葉が通じない不自由が祟っていじめに遭い始めたんだ。このせいでただでさえおかしかった俺は完全に吹っ切れちまった。向こうの手荒い歓迎には手荒いお返しで返したのさ。お陰で俺にはそっちの方に才能があることが理解できた。俺の面倒を見てくれた親戚は陽気な人たちだったが、イタリア語も英語も不得意な俺にとっては愛着を持つのが難儀な場所だった。
9歳の時に家を出た。そのころにはもう立派な強面が板についちまった所為か舐められることはなくなった。白人の凶暴な餓鬼どもの中で育てば、そりゃ荒んで大人びても見えるわな。変な納得を覚えた俺は日雇いの仕事をしつつ、現場にいちゃもんをつけてくる迷惑な奴を拳で黙らせる毎日を送っていた。今思えばこのことが俺の人生の飛躍につながったのさ。
日雇いの肉体労働者兼ボランティア用心棒から、ある日正式に用心棒に昇格したんだ。どうやら、俺はいつの間にか有名人になっていたらしい。名前を売るつもりなんてさっぱりなかったんだが、もっと金が貰えるなら受けない手はなかった。後々、指名した現場の上役の人の話を聞けば俺がボコった輩の中には名の知れたアウトローなんかもいたらしい。その話を聞いて報復が怖くなったが、俺はその報復もボコっていたらしい。気づかぬうちにとはいえ、このことがきっかけで俺の名前が方々で話題に上がるようになったんだとか。人生ってのは何が起こるかわからねえもんだな。
若干10歳で用心棒になった俺だが、このとき既に顔も体も出来上がってたお陰で同業者や商売敵から恐れられていたらしい。まあ年齢さえ聞かなけりゃ、身長189cm体重200kgの奴には誰であれ好きで喧嘩を売る奴は居ないわな。特別な体質でも何でもない筈の俺だったが、不思議なことに身体能力の高さと傷の治り易さは異常なくらいだった。アメリカは誰がなんて言おうと完全な銃社会なのだから銃創を拵えたことだって十や二十じゃ効かない。こうやって今、年を食った俺が身の上話に花を咲かせていられるのもこのカラダのおかげって訳さ。あ、あとこれは自慢なんだが貧乏な時から俺はめっぽう女からモテた。なんでだろう、正直自分事の筈なんだがさっぱりわかんねえ。同じ男からは怖がられて避けられてたから友達は常にゼロだったが、女からはよく向こうから声を掛けられていた。男には嫌われて、女にしか分からない俺の魅力でもあるのだろうか?
大体10年間、俺はアメリカでプロの用心棒やボディガードとして働いた。初任給は日系人の女友達に通訳のアルバイト代として半分支払い、残りの金で俺は生まれて初めてケンタ〇キーフライドチキンを買った。これがな、果てしなく旨かったんだ。初めて口にした瞬間に俺は腰を抜かしたのさ。ライフルの弾だって俺を斃せなかったのに、そんな俺が腰を抜かしたんだぜ?カーネルおじさんは誇ってくれて良い。お陰でアメリカに来てからの苦労が全部吹き飛んだくらいだ。いや、少し大げさだったな。兎に角それぐらい、俺はこのチキンが大好きになったって話だ。
成りたくてなったわけじゃなかった用心棒稼業だったが今や俺の右に出る者は居ない、そう自負できるくらいになった。土建会社の用心棒からスタートして、マフィアやギャングの幹部や大ボス、州の議員やウォール街の大物、そして遂には司法長官に大統領だって俺に守られたんだ。これがアメリカンドリームってやつなのかもな。俺には学こそなかったが、目に見えて日に日に跳ね上がる自分の報酬金額をみてれば気づくものもある。昨日まで数百ドルだったのが今じゃあ依頼が多すぎて、俺の知らないところで白紙の小切手以外受け付けないことが暗黙の了解になっているらしい。会社を立ち上げなかったことが良かったのか、ずっとワンマンでやって来た俺への依頼にはプレミアが付くまでになっていた。特に趣味もない俺にとって本国や欧州の軍やPMCに招待されて教練っぽいことを感覚で教授することは新鮮な経験だったし、その帰りに観光するのが実質趣味みたいなもんだった。忙しすぎて自分にお土産を買って帰る以外には何も金の使いどころがなかったからコネと金はたまる一方だった。色々あったが総括すれば悪くない道程だろう。過去を振り返って、俺は自信をもっていい程度には自分の仕事を全うしてきたのだと思えた。
そして気がつけば二十歳手前って所で、ようやく俺にも良い出会いがあった。
なにより忙しすぎるし、若い内に売れすぎたせいで嫉妬やら恨みやらを買いすぎてた。諸々に疲れてそろそろ潮時だと思った俺は惜しまれつつも稼業をきっぱりと止めた。自信もつき、金も貰いすぎたぐらい稼いだ俺に仕事への執着はなかった。仕事道具や仕事の傍ら集めたコレクションを密輸した以外は正規の法令に則って日本国籍を取得し、俺は晴れて生まれ故郷である日本の床主市に移住した。少し気の早い悠々自適な生活を始めることにしたのだ。
家も買い、コッチの免許も取得し、久々に通訳を介さずに会話が出来ることに感動していた。向こうでの話し相手は専ら旅行で来た日本人女性や、留学生の日本人女性ばかりだったから少したどたどしかったかもしれないが。何はともあれ生活基盤構築作業にもひと段落付いた。規制の厳しい日本ではアメリカと同じ趣味を続けるわけにもいかずに結局暇になった俺は、小遣い稼ぎに公機関やら個人からの依頼を国内限定ではあるが再び受付始めた。順調だが単調な日常にどっぷりつかり切っていた、そんな時だった。
俺は仕事先で偶然助けた女性と縁ができ、怖いものナシの俺は訳アリだった年上の彼女との交際を始めた。
交際から半年、俺は大分荒んだ様子の彼女との結婚を決めた。理由は単純だ、子供が生まれたのだ。髪色も目の色も肌の色も骨格も、何一つ俺には似ていなかったがそんなことはどうでもよかった。俺は彼女と、俺たちの子供である浩一を俺の家に呼んで三人で暮らし始めた。無駄にデカいだけだった俺の城にもようやく光が灯ったって訳だ。夜は寝るだけだった生活が、子育てでがらりと変わった。正式に妻になった彼女は産後鬱にも拍車がかかって苦しんでいた。あの頃は右手で泣いてる赤ん坊をあやしつつ、左手で泣いてる嫁を慰めて寝かしつけてたっけな。どこのお宅もこうなのかは知らねえが、俺にとっちゃボディーガードより子育ての方がよっぽどしんどかったぜ。
浩一が大きくなるにつれて、俺と浩一の間に血縁上のつながりが無いことは明らかになっていった。酒に逃げ始めた彼女を見ていられなかった俺は、自分に出来ることは何でもやった。それまでした覚えのない料理を作ってみたり、ドライブに三人で行ったり、床主から遠い地方に旅行に行ったり。でも、もう一人子供が欲しいと言う彼女の頼みだけは叶えられなかった。俺は浩一のことが可愛かったからな。何か変な気負いを子供にさせたくなかった。
結婚から十六年後、彼女は死んだ。死因は癌だった。ボロボロの精神が快方に向かってからは、いつも三人で過ごしていた。授業参観には彼女と二人で行くようになった。思春期に入った浩一は全く似ていない上に矢鱈と目立つ俺に気恥ずかしさを覚えていたようだった。会話が減って溝を感じていたが、それでも夕飯時には必ず三人が揃った。金の心配はさせなかった。日々を穏やかに暮らす彼女は結婚した時よりも綺麗になっていた。10歳は年上の彼女は俺によく甘えてくれた。それが嬉しくて彼女に対して、兄の様な心地で接する時間が好きだった。結婚式は彼女が望まなかったから挙げなかったが、病める時も健やかなるときもの誓いはきっと守れたはずだ。
三年くらい前、癌の診断と余命宣告を受けた。余命は一年だった。彼女のココロはすっかりよくなっていたが、一度ボロボロになったカラダを元通りにすることは一筋縄じゃいかないよな。学のない俺でも分かることだった。彼女は抗がん剤を打たないことを決めた。残りの時間を俺たちと一緒に過ごしたいと言ってくれた。俺は泣いた。泣いて、それから二人で相談してこのことを浩一にも話すことに決めた。
話を聞いた浩一は驚かなかった。まあ俺の風貌に慣れたお前ならそうそう驚くこともないだろうがな。家族会議は特に紛糾することなく終わり、次の日から俺は全ての仕事をキャンセルして彼女の隣に居座った。毎日旅行をするとか、毎日豪遊するとかも悪くなかったかもしれない。けど彼女が望んだのはいつも通りの日常生活だったから、俺はその通りに過ごした。仕事はしなかったが、それも一年目だけだった。ずっと隣にいられるのは疲れると言われた。まあ、俺の顔はちょっぴり怖いかもしれないしな。
すこしずつ仕事を再開した。朝は八時前に家を出て浩一を学校に乗せていく。家を出る前には必ず彼女に「いってきます」と二人で言う。浩一はそれまでの気恥ずかしそうな声じゃなくて、ちゃんと二階にも聞こえるくらい大きな声で言うようになった。俺も負けじと大きな声を出した。彼女は朝が弱いから、たぶん布団の中で返事をしてくれたはずだ。浩一を送ったら職場に行く。職場と言っても個人宅だったり、公共機関のビルだったり様々だ。立ったり座ったりして時間を過ごし、たまに怪しいやつをくらつけたり、怪しいやつのナイフを圧し折ったり、怪しいやつの銃弾から雇主を庇って撃たれたら赤チンで消毒したり、そうやって何事もなければそのまま一日の業務を終了する。帰りにアイスを買ったりする。遠出したって日帰りまで。夜には帰ってきて二人に「ただいま」と言い、二人からは「おかえりなさい」と言って貰う。普通の声でただいまと言う、前は朝と同じくらいのボリュームだったのだがご近所迷惑だからと彼女に叱られた。手を洗って、不安なので足も入念に洗ってから彼女と浩一と夕飯を食べる。帰ってきた順番がそのまま風呂の順番になっていたりする。俺はたいてい三人の中で一番最後に風呂に入って、リビングのソファで彼女と並んでその日のバラエティなんかを見て、十二時前には彼女の隣のベッドで寝る。浩一は自分の部屋に籠って勉強をするらしい。熱心なヤツだ。誰に似たんだろう、彼女似なんだな顔も怖くないし可愛いやつだ。寝るころになっても電気が漏れていたら、勉強もいいけど早く寝ろよなんて父親っぽく言ってやろう。なんてことはないいつも通りの日常だった。
三人で過ごした最後の年、彼女はそれまできっぱりやめていた晩酌を再開した。俺は身構えたが杞憂だった。すっかり酔いやすい体質になっていた彼女はとても穏やかな雰囲気で俺にも勧めて来た。あまりにも勧めるもんだから蒸留酒しか飲まない俺もその日から晩酌を解禁した。浩一は何も言わなかったが、不安を感じさせたくなかったから夕飯の後、寝る前の一時間に限ると二人で決めた。彼女は酒に酔いたかった訳ではなかったんじゃないか、そんな風に今は思う。恐らく、思うように動かなくなっていく自分の体のことで少しづつ追いつめられていたんだろう。彼女はしばしば泣くようになった。布団の中で、晩酌の最中に、早朝の目覚めと共に、いろんな時と場所で彼女は泣くようになった。俺は何もできなかった。隣に居て、背中を摩ってやることしかできなかった。きっと今同じことになっても同じことしかしてやれないだろう。
彼女は怖かったんだろう。怖くないはずがないよな。やっと手に入れた暮らしだ。しがらみにも、過去にも縛られない暮らし。手放し難い今が、きっと彼女には自分から徐々に遠のいていくように感じたはずだ。俺は学もない、彼女のことを完全に理解できるなんて思っちゃいない。でもなあ、俺はあんまりにも理不尽じゃないかと思わずにはいられなかった。胸が苦しくって仕方ない。それから暫くして、彼女は入院した。長く、は無理だよな。俺は何にも惜しくなかったが、今の何変哲の無い日常が泡みたいに崩れて消えてなくなっちまうことに耐えられるのかわからなかった。案外、すぐに立ち直るのかもしれない。俺は、目を逸らせるほど賢くない。もう目の前まで来てしまったのだから。
浩一と一緒に毎日のようにお見舞いに行った。多い時は半日も入り浸っていた。千羽鶴なんか折れねえよ。余命から既に二年も超過してる。もう十分すぎるくらい奇跡は起きたのだ。俺の家族は三人だけだ。そんで、もう直に二人になるんだ。毎日、然う思って彼女のところに通った。そして、その日が来た。
休みの日だった。朝起きて、浩一を連れて病院に行って食堂で一緒に朝飯を食べた。面会の時間になって病室に入ると彼女に一緒に朝食を摂りたいと誘われた。俺と浩一は満腹の腹を揺らしながら急いで病院の売店へ向かった。俺は昆布と鶏五目のおにぎりとペットボトルの緑茶、浩一は卵とチーズが乗っかった惣菜パンと紙パックの豆乳なんかを買って彼女の病室で食べた。彼女は点滴を受けながら白湯みたいな粥をよく噛んで食べてた。昼飯も一緒に食べた。彼女はまたあの薄い粥をゆっくりゆっくり噛んで味わうように食べていた。何か特別なことなんて何もなかった。他愛のない話をした。浩一はいつものように自分は将来は子供を守り、誰かの為に動ける教師になりたいということや学校での成績が良いと言う話をした。俺も仕事で見たことや聞いたことを話した、やれ外務省の外交文書にコーヒーを溢したとか陸自と在日米軍の共同格闘術の教練で全員に勝ったとかそんな話をした。彼女は声を上げずに、ゆっくり静かに笑ったり、頷いたりして俺と浩一の話を聞いていた。
夕日で病室が真っ赤に染まる頃、俺たちは病室を退出した。家に帰って浩一と二人で夕飯を食べた。夕飯は俺が作った。浩一を風呂に先に入れて、俺はTVを見てた。特番らしく、何でも中国だかロシアだかの奥地で新種の病原菌が見つかったらしい。ぼうっとTVキャスターの説明を聞いていると、俺の携帯電話が鳴った。病院からだった。通話に切り替えてスピーカーを耳に当てると主治医の先生から彼女が危篤だと伝えられた。俺は風呂場に突撃して素っ裸の浩一をタオルで巻くと、適当な着替えを引っ掴んで車に放り込んだ。
病室に着いた時、主治医から看取りの為に家族だけにすることを伝えられた。その晩に彼女は死んだ。朝日が差し込んで、目が覚めた。目の前にはまだ彼女が居た。俺は泣かなかった。浩一は泣いていた。初めてあんなに泣いている息子を見た。俺は泣くに泣けなかった。死んでしまった彼女があんまりにも美しかったから。まだ生きてるんじゃないかと思って。
彼女は頬がこけて、鎖骨も浮き出ていた。眼も落ちくぼんでしまっていて、唇も乾き切っていた。だが、ふんわりと持ち上げられた口角と、穏やかに軌跡を描く眉の形ははっきりと笑顔を浮かべているように見えた。主治医に聴いたさ、「あんた、あいつに死に化粧をしてくれたのかい?」って。そしたら首を横に振るんだ。俺はわからねえな、と彼女の死に顔を見つめた。浩一は日に日に痩せて衰えていく彼女に酷くショックを受けていた。抑えていたものが堰を切って溢れた様だった。縋りついて泣いて、それから怖い顔で俺を見る。言いたいことはわかる。でも、母親が乗り越えた過去に子供のお前が縛られてはイカンのだ。俺は浩一の頭を撫でた。その手で頭をひねり上げた状態で病室の窓から足を掴んでつるし上げた。地上20mの景色に泡をくったように慌てる俺の息子を見つめつつ、一分間ほど赤ん坊の時ぶりに高い高いをしてやった。無言で息子をつるし上げる俺に主治医は腰を抜かしていたがどうだってよかった。だが念のためパトカーのサイレンが聞こえる前に浩一を引き上げて言った。「頭は冷えたか」と。
すっかり泣き止んだ浩一は俺になんと返そうかと戸惑っていた。俺は返事を待たずに病室の椅子に座らせると、死んだ彼女の冷たい唇を食んだ。味なんかしない。少ししょっぱいかもな。俺は感謝の気持ちを伝えてから、呆然としている浩一を連れて家に帰った。葬式を上げたのは二日後の事だった。家族だけ、あとは坊主と斎場のプランナーだけで挙げた。焼く時になって、俺はようやく泣いた。いや、彼女に口づけた時には泣いていたが、今になってようやくもう二度と戻らないのだと理解したのだ。頭が痛くなり、その日は浩一に何一つ声をかけてやれずに一人、部屋で眠った。
小さくなった彼女を受け取った俺は、骨壺を開けて跡形もない灰に指を沈めた。ぬめるような汗が噴き出して来て、指を引き上げた。指先に塗され灰を指ごと口に含んだ。俺は無性に情けなくなってきて、出続ける唾液と一緒にのみ込んだ。冷え切った筈の灰が、余りにも温かったのだ。幻覚じゃない。俺は骨壺を大事に大事に閉じて仏壇に飾った。灰を食んだ時に零れたのか、真っ黒な喪服に白い跡が遺っていた。スーツはクリーニングに出さずにそのままにしてある。
彼女の死後、浩一は家を出た。全寮制の高校に移ると言っていた。手続きを済ませてから、浩一が家を出る前に二人で夕飯を囲んだ。夕飯は俺が作った。最後まで上達しなかった無骨な男飯だ。茶碗一杯に炊いた米、豆腐とわかめの味噌汁、焼いた分厚い豚肉に塩コショウを振っただけのもの、レタスとキュウリと黄パプリカとトマトを切って盛ったサラダただしドレッシングは各自にお任せ、それから市販のたくあんとかつお梅干。二人で揃って「いただきます」と言い黙々と食べ始めた。結局終始無言で食べ終わり、作法無視で淹れた緑茶を二人で飲んだ。暫しの沈黙。浩一は少し笑った。
浩一は言った。「父さん、僕は家を出る。僕には母さんを追いつめた紫藤の家が許せないんだ。どうしたって、許せそうにない。だから、僕は家を出る。母さんが望んでないことなんて理解してる。だけど、僕は母さんを追いつめた紫藤への恨みを忘れて生きるなんて死んでも出来ないんだ。…こんな自分を、これまで育ててくれて、本当にありがとうございました。
「これからは貴方の人生を生きてください。私も、浩一も本来なら貴方と出逢うことがなかったはずの人間でした。でも、何の因果か貴方は私たちを迎えに来てくれた。でもその所為で貴方には本当に苦労を掛けてしまいましたね。あっという間の16年間、私はずっと幸せでした。だから後悔は在りません。貴方は強い人ですから、私は特別心配なんかしていません。だけど、一つだけ貴方にお願いがあります。それは私が貴方のお陰で過去を乗り越えられたように、貴方も私という過去を踏み越えて行って欲しいのです。人見知りな貴方は家族のことを大切にしてくれました。でも、これからも貴方は私みたいな人と出会う筈。16年間の間に、貴方は私と浩一以外の全てを振り捨てて私たちの事だけを見ていてくれました。でも、その16年の間にも私たちが居なければ貴方が手を伸ばしたであろう人達との出逢いのきっかけが幾つもあったことを私は知っています。私と浩一の番はそろそろ終わるのだと、そう思って欲しいのです。あの子もかなり頑固だから、きっと自分で選んだ道を歩いていくでしょう。根っこの部分が優しくてお節介な貴方にはまた素敵な出逢いがある。だから、その時にはどうか迷わずにその手を伸ばして欲しいの。きっと貴方のその手に救われる人はもっとたくさんいる筈だから。それにね、実は寂しがり屋の貴方には貴方を理解してくれる家族がこれからも必ず必要になるから。だから、これからの貴方は自由に生きて。自分の為に、それと貴方と一緒に歩いてくれる誰かの為に。」
俺は浩一の声で紡がれる彼女の言葉に耳を傾けた。俺は彼女が死んだことを受け止められる。でも忘れることは出来ないだろう。そして、そのことを彼女も望まないと思ってきた。だから、浩一の口から彼女自身の言葉でいっそ忘れてしまってもいいから前へと進むように諭されたことは大きな衝撃だった。俺は自分の頭で考えるよりも、今感じていることをそのままに浩一を通してその向こうの彼女に向けて告げた。
「君を忘れることは出来ないよ。だが、うん、君が言うなら自由に生きてみようと思う。うまく言えないけど、少し戸惑ってる。浩一のことは俺に任せろ。困ったことがあれば必ず助ける。正直に助けを呼ぶように言い聞かせておくよ。ああ、そうだ。一番最初に俺が俺の為にすることは決まってるんだった。本当の俺はわがままなんだ、だから死んだ君のことを抱いたまま、これからは自由に生きるよ。誰になんて言われようと、自由に。だから君の事も忘れない。浩一も俺の息子のままだ。」
俺は浩一をしっかりと抱きしめて、それから風呂には入らないで眠った。次の日、浩一は家を出た。仕送りだけはさせてくれと浩一には言っておいたから飢えることはないだろう。教えられた口座の名義は既に紫藤に変わっていた。行動が早いと言うか何というか、呆れた心地でため息を一つ。それとは別に覚悟を決めた息子を誇らしく感じる気持ちで俺は最初の仕送りを振り込んだ。
あれから俺は自由に生きることを決めた。家はまた無駄に広くなっちまった。とはいえ俺に出来ることなんてたかが知れてる。彼女が言った「その時」がくるまではまた依頼をこなすこととする。なあに、金は幾らあっても困らないし何より彼女と出逢ったのも仕事の最中だった。
俺は俺にできることをするよ。俺の仕事は専ら守ることだからな。人も守る、物も守る。当然、妻との約束も守る。今も昔もそこは変わっちゃいない。
地獄の窯の蓋が開くのはまだ先。