黙示録狂騒満喫譚   作:ヤン・デ・レェ

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黙示録顕現
番外:福音Z九号


その生物はシベリアの極限の環境でのみ生存を許されていた。

 

マイナス50度を超える極寒の地で、全てのエネルギーの源である太陽からの光を、ほんの僅かに注ぐ光だけを頼りにしてその遺伝子を脈々と繋いできた。

 

その生物は極めて微少だった。いや、微少にならざるを得なかったのだ。

 

食料もなく、日射も極稀。しかし、あらゆる生態系に順応する為には太陽と言うほぼ無限のエネルギーによる生命維持機構の完成こそが、或いはその生命体における究極の進化の終着点であった。

 

その生命体は極限の環境の中で、莫大に増殖することを選んだ。微弱な太陽光を糧として、一瞬にして爆発的な生産能力を誇り、その全力を自身の<クローン>生産に注ぎ込んだ。

 

極寒の中で一瞬で莫大な熱量を発揮し、オリジナルをコピーし、コピーをコピーし、そのコピーをコピーし…そして、コピーが死ぬよりも一歩速い生産を可能にするまでに進化することで、オリジナルの遺伝子を絶え間なく複製し続けることで、その遺伝子を後世に遺そうとしたのである。

 

それは、いわば子孫繁栄と言う思考を放棄した、生物らしからぬ孤独な生命体であった。

 

 

 

その特異な生物誕生から数十万年。人類はこの不可思議な生物を巨大な氷塊の中から偶然発見した。

 

人類はこの生物の研究により、代謝、酸化による老化を遥かに上回る、圧倒的な細胞複製の技術を実現することで、永遠の若さ、引いては永遠の命の実現を夢見ていたのだ。

 

生物の発見から数年と経たずに、その生物の増殖力を大幅に増強する研究が成功裏に終わった。

 

秘密裏に始まった研究は、次第にこの研究により得られる利権に目を付けた国家権力により、より秘密裏に、より潤沢な資金の元、より加速度的に進められていった。

 

その結果、人類史上初の究極の心身増強薬、或いは万病へのワクチンとも呼ぶべき生物が人工的に培養された。

 

某国の政治局員の命名によれば、その生物の名は<福音Z九号>。即ち、最後にして最大の福音である…という願いと野望を込めて命名されたのである。

 

ある研究員は言った。

 

「元より極微少のエネルギーを超高効率で変換できるのに、どうして自分の生命維持だけに利用しなかったのか…理解に苦しみますね。剰え自分自身のコピーを無限に生成するだなんて複雑なことの為に費やすだなんて…あはははは!!この生物は相当に頭がワルかったんでしょう。しかし、お陰で我々人類こそが<福音Z九号>の真の適格者であることを証明できます。」

 

またある某国政府高官は言った。

 

「この生物が我が祖国の極寒の大地から発見されたことは、いうなれば神が望んだことなのだ。神の御加護により我々は西側諸国に最終的な勝利を得るのだ。」

 

またある活動家は言った。

 

「生物の神秘が齎す恵みで我々は新時代を築くことが出来るのです。将来の我々の子孫の為、我々はより豊かでより素晴らしい世界を譲り渡す責任があるのです。そして、この奇跡の生物を利用すれば、我々は食糧危機を克服し、老いを克服し、行く行くは死すらも克服できるようになるのです。エネルギー資源を争い合うこともなくなれば、戦争すらもなくなるかもしれません。まさに、これこそ人類史を変える奇跡の生物なのです。」

 

 

 

その生物はあらゆる分野に生かされただろう。だが、それを望まぬものも世の中には居る訳で…。ましてや、強硬な外交や人を人とも思わない政策を平然と推し進める、核兵器や生物化学兵器が悪い意味でお似合いの国家になど、持たせておける訳が無かった。

 

そして同時に、利益の独占を望むものもいる訳で。より多くの幸福を安価に提供するのではなく、少しでも釣り上げて出し渋り、より多くの利潤を自分達だけのものにしておきたいと考える輩もこの世の中には居る訳で。

 

 

奇しくも、また運悪くも、この時正にその二つの正義とも不正義ともなり得る思想は同時期同時刻に実践されてしまった。

 

 

 

極東のある研究所が某国の工作員により破壊された。表向きは化学反応による劇的な爆発として処理されたが、その実は工作員により設置されたプラスチック爆弾によるものであった。

 

第一の悲劇として、この研究所の崩壊により、この地上からその生物に関するありとあらゆる記録が抹消されてしまった。デジタルデータには僅かなものを遺すばかりとなり、極めて局所的な穴だらけの真相しか我々が知ることは出来なくなってしまった。それは過去と未来に時間の浪費を強いると同時に、恐るべき悲劇への特効薬の開発すら事実上不可能とするほどの損失であった。

 

そして第二の悲劇として、前日に東西双方の巨大資本の意向によって、買収された研究員の手でかの生物は試験管の中に移され、複数の出張役員の鞄に入れられ、そして飛行機によって世界中に運ばれたのである。

 

そして、無断でこのような暴挙に出たがゆえに少なくない試験管が秘密裏の高高度飛行の弊害により、あるいは役員の不注意により、あるいは偶然と不運により鞄の中で真空密閉状態を解かれ、外気と鞄の隙間から注いだ微弱な太陽光によって増殖を開始した。

 

 

 

結論から言えば、その生物は限界をとうの昔に迎えていたのだ。

 

「あの生物は頭がワルい」と結論付けるのは簡単だ。だが、実情はそこがその生物が崩壊しないための、生態系を壊さないための最大限の進化だったのだとすれば…無理やりにその最後の箍を外してしまったことは、頭がワルいことではないのだろうか。

 

箍を外された生物に起きたことは酷く単純だった。

 

適応した生態系と比較して圧倒的に日射の多い土地で、しかも増殖による熱と極寒の外気で維持していた人間と比較してかなり低い平熱を遥かに凌駕する温暖な土地で生き残ることは、結果的に過増殖と異常な発熱を引き起こした。

 

そしてそれは、生物にとって耐え難い苦しみであると同時に、なりふり構わぬ進化を要請した。

 

生物が着目したのは最も身近な存在…即ち、人間だった。

 

急激な進化を控えた、所謂潜伏期間中に、生物は少しでも多くの人間の体内に侵入し、その体温を下げ、またその血流の循環によって発熱を緩和すると共に、根本的な日射への対策を取った。それは、肉体内部の奥へ奥へと目指して進むことであった。

 

生物の涙ぐましい努力により、いくつかのことが分かった。

 

一つは、どれだけ肉体の奥に向かっても人間の中でも過増殖は続くと言う事。そして、人間を最も冷たくさせるには脳の機能を奪い取り、その生命活動を停止させるほかないということ。

 

また、死んだ人間が腐ることで宿主の喪失を防ぐと同時に過増殖したエネルギーを放出する為に、宿主へとそれらの養分を還元し、免疫や善玉菌、白血球などを意図的に繁殖させ、脳に正常な代謝が行われていると錯覚させることで、バクテリアの増殖や多の病原菌の増殖を防ぐことが可能だと言う事。

 

そして最後に、それでも完全に抑制させることのできない過増殖に対する最終的な回答こそ、<他の宿主へ余剰分を漸次引っ越しさせること>であった。

 

試験薬として最初の人体…この場合は最新薬の利用者となれる大富豪など…の肉体を手に入れたことで生まれた最初の感染者は、脳の機能を奪われると同時に他者への引っ越しを開始した。

 

人間の肉体の中で生命活動を行うように適合した生物は、唾液等に引っ越し予定者を含ませ、宿主の肉体に物理的接触の後、血管を通り脳へと到達し、瞬く間にその機能を奪ってしまう。

 

脳に到達すれば一巻の終わりであり、到達した瞬間に全身の血管が急激に収縮し、強制的にポンプアップされる。これにともなう血管の破裂などが頻発するとともに大量の吐血が始まる。心臓の決壊と脳機能が奪われることで完全に人間としての生命活動は半永久的に停止する。

 

最大熱量を誇る脳へと到達すると血管や心臓ではなく生物そのものによる血液の運搬を開始するため、例えるならば開放血管系への転換にも近しいかもしれない。人間からすれば微弱な発熱に過ぎないためサーモ上での変化を読み取ることは極めて困難であり、人間からすれば死体が動いているようにも見える為、高度な擬態として機能するのである。

 

優秀過ぎるコストパフォーマンスの生存システムが結果的に、莫大過ぎるリソースを捌ききれずパンクした結果、本来生存できずに自壊絶滅するはずが、最も環境にとって優しい進化を遂げたことにより奇跡的にその遺伝子を世界中に拡散したのである。

 

人間とこの生物の融合した、一見すれば生ける死体は、その特徴をおうおうにして人類種に対して不都合な代物へと改善して言った。

 

皮膚の感覚など、元来有していなかった感覚に対して無反応であることに対して、その腕力や咬合力には目を見張るものがあり、これ等は我々の文明でいう所の油圧を血圧で無理やりに代替したものだと考えられ、無数に増殖したこの生物の作用によるものだと考えられている。

 

またその機能開拓に至った背景には、より大きく太い血管…つまり動脈への到達を意図するものが大きいと考えられる。

 

動脈へ到達するのか否かにより、この生物の脳への到達するまでの時間には大きな隔たりがあるため、奇跡的に表皮を噛まれた程度や静脈に到達した程度の場合、即座に脳への道を断絶する処置が生命延長に繋がり、難しくとも完全な回復と噛まれても人間のままでいられる可能性を大幅に向上させることは想像に難くないのである。

 

実例として、手首を半ばまで食いちぎられた者と、手の一部や足の一部を噛まれた者ではその肉体が完全に生命活動を停止するまでに行動できる時間も可能性も大きく異なる。前者は抵抗の余地なく生ける死体に変わってしまったのに対して、後者は救急処置のために行動する時間的猶予や、会話をこなせるだけの猶予が残される傾向にある。

 

血流が肉体の最奥での行き来に限定されることで、またこの生物そのものも有する防腐作用により、有機物でありながら宿主となった人間の肉体は腐乱せず、また身体中心での極めて緩やかで微量の血液による液冷機能により、肉体表面の色は時間と共に青ばんだ黒などに変色する。

 

振動を敏感に感知する点や、上半身に対して下半身が脆弱なのは上半身に機能中枢が集中しており、脳からの指令を正確に実行できる範囲が脳に近ければ近いほど精密である、という仮説も現実味を帯びよう。

 

また、視力を有していないにもかかわらず音には敏感という特徴には、脳機能を占領した生物の視力が退化しており、代わりに振動や特定の波長などを正確に聞き分ける能力を有していると推測される。この点に加えて、人間と言う特定の動物にのみ寄生する傾向は言わば第二進化に時間がかかる、もしくはこれ以上の進化が難しく、部分的な進歩や退化を漸次進行する他ない、生物としての行き詰まりの証左である可能性も捨てきれない。

 

現時点での結論としては、実際に聴覚を有するのかはさておき、特異な聴覚或いは嗅覚により、人間の持つ特定の波長や符号を聞き分け嗅ぎ分けていることは間違いないであろう。

 

経口摂取による感染の可能性は、実験結果が乏しいために判断できないが、恐らく罹患はしないだろう。根拠としては、感染に至る過程での感染者からの身体への物理的接触が重要であり、また新鮮な脳でなければこの生物が生存することは難しく、他の人間への<引っ越し>のために余剰に生産された生物群を口腔内に集中させる機能を失えば、感染させることは難しだろう。

 

また、根本的な問題であるが、この生物は適応できない環境に無理やり適合しただけに過ぎず、もしも経口摂取されて血管から脳を目指したとしても、腸内でほぼ完全に消滅するだろう。また、極寒への適応力だけに特化しているため、その機能が正常に機能することはシベリアを含めて極めて限られており、人間の肉体に取り込まれた瞬間から体温にやられ、自分自身の熱にやられ、最終的に何もせずとも自壊することが考えられる。ある種でフグ毒にも似た、いわば死ぬか我慢強さで勝利するかの二択だけが人間にもこの生物にも双方に言える最終的な生存上の了解である。

 

 

 

さて、日本国内最初の保菌者もまた複数人いたが、その内の一人には奇跡的な<適合者>が存在した。極寒の研究所への視察と称した人体実験の被験者としてその屈強かつ特異な肉体に目を付けた某国政府によるものであった。

 

彼の血液は奇跡的な一致により体内での共存が確認され、学会を騒がせたものの、その突然変異遺伝子が余りにも強力過ぎる以上、希釈しなければ万民への薬効を望むことは難しいことが判明していた。

 

某国の研究所から持ち出された奇跡の血液は冷凍保存され、大統領用の緊急血清として保管されていたものの、その大統領が主教から噛まれて死亡し、今や所在は完全に不明である。

 

例えその所在がはっきりしていようとも、政府機関その他すべてが悉く崩壊した世界において、その奇跡を世界中に散布できるだけの余裕は遺されていなかっただろうが……。

 

これは人間とかの生物との生存競争か、あるいは共存のための戦い、その幕開けに過ぎないのかもしれない…。

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