「メーデー!メーデー!マリーン・ワン、ダウンッ!!!」
「メーデー!メーデー!マリーン・ワン、ダウンッ!!!」
<<ガガッ!ジジッ!…ブッ!ザ――――ッ………>>
Z・DAY当日、午後一時過ぎのことである。アメリカ合衆国は未曽有の危機に瀕していいた。正体不明の感染症の急速な拡大により、全土で人が人を喰い、喰われた人が更に人を喰うという地獄絵図が繰り広げられていた。
その日の正午までに既に三人の大統領が<戦死>しており、最短の例は大統領令署名から一時間と経たずに<戦死>した。
緊急事態にも関わらず、連邦の中枢が麻痺したために地方単位、州単位での独断の武力行使が開始され、遂には州兵と武装市民との間に銃撃戦が勃発する有様であった。
数千キロ離れた場所で終末世界の狂騒が開幕した頃、日本国床主市在住のトニー・主水は何変哲の無い朝を迎えた。
リカ宅で静香と美玖を拾い、藤美学園まで朝の送迎を終えたトニーのもとに在日米軍基地で務める仕事の関係者からの連絡が来たのが正午前、そしてその非常識なまでの内容に驚きつつも、冷静に有識者への国際電話を繋げたのが午後1時過ぎであった。
「おい、おいッ!聞いてるのかトニー!?」
受話器越しに呼び戻されたトニーはハッとして顔を上げた。
「あ、ぁあ聞いてる…だが…冗談、だろう?」
先ほどまで違和感で納まっていた知人から電話越しに聞いた話は、トニーの知る中で最も情報に通じる知人からの裏付けが取れたことで紛れもない現実として彼に襲い掛かった。
「…いいや、残念ながら全て事実だ。今日一日で俺が大統領宣誓を聞いたのは三人目になる。まったく…言葉にならないよ。」
信じ難い。しかし事実である。受話器の向こうの相手も、今のトニーと同じくさぞかし苦い表情を浮かべているに違いない。
「ロシアや中国、それと欧州は?」
「既にいくつかの政府機関が音信不通になりかけてる…ロシアは大統領が主教に噛まれ、中国は委員会が大会場で互いを食い散らかし合った末に全滅だ…どの受話器を取っても背後で発砲音が聞こえたよ…そっちは?」
聞きたくなかった情報だった。暗に<明確な敵>が居れば国や組織を団結させられたものを…諸悪の根源足り得る存在までもがこの混乱の中に沈んでいるのだ。
「まだテレビも電話も通じてる、政府機関の知り合いからは何も…。」
青い顔になりそうになるのを堪えながら答えると、受話器の向こうで別の電話が鳴った。
「おっと…ちょっと待ってくれよ……」
「あぁ…」
激しい英語でのやり取りに嫌な予感がした。受話器を叩きつける音と共に男が帰って来た。
「……悪いニュースだ。聞くか?」
「あぁ…。」
息を吹き込むようなか細い声で男が言った。トニーは生唾を呑み込んで頷いた。
「東京都で狂犬病患者が暴走中…だとよ。」
「おい、それって…。」
「ああ間違いないだろうな…そのうち狂犬病の部分が未知のウイルスやら暴力事件に挿げ変わるに違いない…だが、その時には全て手遅れだろうな…。」
息をするのも忘れて、トニーは膝が震えるのを覚えた。この訳の分からない状況が、まさか日本にまで上陸しようとは。
「大使館はどうするんだ?お前の古巣だろう?」
「ジャパンの大使館は既に撤収を始めてる。いや、大統領令でね。」
「こんなときだ、仕方ない。」
電話の向こうの男とは大使館に勤めていた頃に仕事で知己となった間柄だった。大使館が撤収することは予想の範囲内だったからトニーも安堵とも納得ともとれる答えを吐いた。
「在日米軍の方は聞かないのか?」
「今朝がた基地の知り合いから電話が来た。大陸の核の防衛ラインを動かす筈が無いのは分かってた。だが、本土での混乱は伝わっていたようでな、俺からアンタへの電話に繋がるわけだ。」
電話の向こうから意地の悪い質問が飛んできたが、トニーにとっては既知の事柄であったため余裕をもって答えた。
「なるほど、それでか…運が良かったな。早いとこ、ご自慢のマイホームに籠城することだ。守る者は最低限。果断な決断に時間がかかるジャパンじゃあ、無秩序無政府状態になるのも時間の問題だよ…。」
「そっちこそ…既に暴徒が出始めてるんじゃないのか?」
「あぁ、あまりアメリカを舐めないほうがイイ。既に全ての州で暴動が確認されてる。州警察と軍の最大の敵は統制を失った生きる人間だよ。ん?…おぉっと、新しいニュースだ。」
アメリカの荒んだ現状に苦笑いを浮かべるトニーだったが、またしても向こうで電話が鳴った。受話器を取る音と英語の会話が聞こえてくるが、トニーにはさっぱりだった。
「今度はなんだ?」
軽く問うたトニーの声に対して、男の口から飛び出したのは予想以上に悪い知らせだった。
「記念すべき五人目の大統領がこれから就任するらしいぞ。それじゃあ私は人生で7度目の宣誓を聞いて来るかね。」
「……」
「……」
両者が無言になるのも仕方が無かった。
その後も男が御呼出しされるまで会話は続いた。お互いにこれが最後の会話となるやも知れなかったからだ。
「元在日本大使館勤務でCIA職員のコネは貴重だ。死ぬなよ。」
トニーの声は硬かったが、男の声は反対に柔らかかった。諦観と楽観主義の入り混じった声で男はトニーに忠告した。
「死ぬときは死ぬよ。君こそ気をつけたまえ…さっきのは冗談じゃないぞ?早いとこ、家族と共に籠城することだ。既にこの謎の脅威の首都圏上陸は確認されている、君の住むトコノスにも直に手が届くだろう。警察や軍の封鎖じゃ間に合わんよ…全く、フリーはこういう時に身軽で羨ましいよ。」
男の言葉にトニーも意識して明るい声で応えた。
「じゃあな、アンタの忠告には従うから安心しろ。しぶとく生き残れよ。」
「ああ、達者でな。」
肩の力を抜いて、今は先ず行動せねば。日常が終わってしまったという現実を受け止めるのは後からでも出来るのだ。
「……リカか?」
「ハイ!もしもし…トニー?」
トニーは男との通話が終わるや否や今度はリカへと繋げた。
「あぁ、俺だ…今どこだ?」
「さっき殺人事件の通報で出動要請を受けて、今は洋上空港にヘリで向かってる所。そっちでも何か動きがあったの?」
運よく繋がると、トニーはリカの所在を問い、今後行動する上で必要となる大まかなプランを頭に巡らせた。
「いいやニュースを付けたままだが…まだ新しい情報は何も…だがそうか、そこならまだ大丈夫だろう」
「ニュースの件かしら?…何か知ってるの?」
隔絶された洋上空港に向かっていることに安堵すると共に、トニーは手短に今自分が知り得るこの混乱の詳細についてリカに説明した。
「狂犬病じゃないことは知ってる。それ以外は不明だ。確かな情報筋によればアメリカはダメだな…既に大統領の頭が4回も変わってる…こっちには届いてないニュースだが。」
「えぇッ!?嘘ッ…いえ、アナタが言うなら本当なのね…。それに議論は後でも出来るから、私はアナタを信じるわ。」
「あぁ、信じて貰えると助かる。」
リカは驚きつつも、トニーの言葉を信じていることを伝え、彼の言葉を促した。
「それで?私はこれからどうすれば?トニーのプランが聞きたいわね。」
「合流は後でだな。そっちの方が武器も人も潤沢な筈だ、急ぎ籠城の準備をしたほうが良い。くれぐれも仲間内で感染者を出さないことだ…狂ったヤツは片っ端から撃っておけ。アメリカでは驚異的なスピードで広がっているらしい…潜伏期間が短く、オマケに罹患した際の殺傷力が生物兵器並みに高い様だ…空気感染の恐れが無いのだけが救いか。今わかってるのはそれだけだ。」
背後に聞こえる無線の掛け合いやヘリの爆音の中でもリカに聞こえるように、トニーは大きな声で感染症の特徴を説明し、リカは忘れないように必死に記憶していく。
「了解、上司に掛け合うわ!それで、アナタはどうするの?」
「一先ず静香や美玖、浩一たちを回収して籠城するつもりだ。
リカの問いにトニーは即答した。この非常事態がどれだけ拡大し、またどれだけ長期化するかもわからない現状での合流は時間的にも物理的にも、合流後に必ず無理が生じるはずだ。早期の合流は必須だが、互いに十分な準備が必要になることは明白であった。
「わかったわ…でもアナタの言葉通りだとすれば、今は午後2時だから…最新のニュースから既に2時間が経過してるわ…東京は地獄絵図かもね。」
「ゾッとしないな…静香たちのことは任せろ、
電話越しに鳥肌のたった肩を抱きながらリカが言った。トニーもまた、想像に難くない光景に表情を硬くした。
「最寄りの
「ああ、そっちも死ぬなよ?」
「ええ、いざとなったらアナタを呼ぶから。」
彼女の胸元のポケットには何時ぞやにトニーから受け取ったメモ紙が入っていた。
緊急時用無線の番号が記された、何時か命綱になるかもしれないそれを見つめてから、リカは次の通話まで自身の任務へ専念する為に意識を切り替えた。
「その時は迎えに行くよ。じゃあ、また後で。」
「えぇ、お互い幸運を祈るわ。」
電話が切れると同時にトニーは私室のクローゼットを開き、地下室の武器保管庫に駆け込んだ。
今すぐに用意できる装備をかき集めた彼はすぐさま家を出た。
向かう先は浩一たちが居る藤美学園。トニーは愛車のクライスラー300Cに飛び乗りエンジンを掛けると、目一杯にアクセルを踏み込んだ。