葉巻の味その1:南リカ
浩一が家を出たことで再び俺の一人の暮らしが始まった。俺は寂しさを埋めるように受ける仕事を増やしつつ、三人で暮らしていた時には考えたこともなかった趣味や道楽に精を出すことにした。
手始めに俺は日本に移住してからはキッパリやめていたあるモノの蒐集を再開させるべく、それまで国内に限定していた仕事を「海外出張も可」に変更。告知後即日で入札された合衆国シークレットサービスからの依頼を受注し、早速軽い足取りで羽田空港からアメリカ本土へと飛び発った。
機内ではほとんど眠りこけていた俺だったが、偶然隣に居合わせた日本人女性と仲良くなることが出来た。彼女の名は南リカと言うらしく観光目的でアメリカに行くらしかった。目的地が同じことを知った俺は着陸直前になって彼女との会話を楽しんだ。恒例の「ビーフ or チキン?」には勿論チキンと答えた。俺は鶏肉が好物なんだ。
リカとはほんの僅かな時間しか交流しなかったが、かなり話しやすかったな。彼女は年上で尚且つ威圧感マシマシの俺にも物おじせずに話を振ってくれた。もとより俺は男には避けられて女には声を掛けられる魔法が掛かっているから、女性との会話の方がこっちとしても変に緊張せずに済むしで何かと助かったぜ。
シートに並んで他愛のない話をだらだら続けていたんだが、間もなく着陸することを伝えるアナウンスが放送されるとリカは俺に紙切れを押し付けてきた。
二つに折られた紙を開くと電話番号が書かれていた。
「これは?」と俺が問うと、リカは「気が向いたら掛けて来て。これも何かの縁だし、折角だから向こうでもう一度会いたいわ。」と答えた。
嬉しいことを言ってくれるねえ。俺は「喜んで。」とだけ答えて、お返しに自分の衛星電話の番号と、あと蛇足だとは思いつつも遊び心で非常用に何時も使ってる無線トランシーバーの周波数を紙に書き、彼女に倣って二つに折ってから手渡した。
「ありがとう。貰っておくわ。でも、貴方から先に私に掛けて来てね。約束よ?」
リカは少し驚いてるような感じだったが笑顔を浮かべてそう言った。俺は二度首を縦に振り、そこで話は終わった。
アメリカでの再会の約束を取り付けたのと時を同じくして、俺たちの乗る機体は着陸した。ターミナルに移動したところでリカとは暫しの別れである。
空港から出るとそこには既に迎えの車が来ていた。分厚い防弾ドアの黒いセダンに乗せられた俺は車内で今回の依頼内容についての説明を受けた。概要はこうだ、式典に参加するどっかの特使を三日間護衛する。以上だ。まあ、値段の割には普通の仕事だな。今までもこの手の仕事は何度も受けて来た経験があった俺は少し緊張を解いた。
首都に向かう間は日本じゃお目にかかれないだだっ広い弾丸道路をガンガン飛ばして進んだ。ここは雄大な自然を人間の力で捻じ伏せて出来た国だ。摩天楼のそびえ立つ都心に入るとザ・アメリカと言った感じの何でもかんでもBIGな景色を懐かしいような新鮮なような気持ちで眺めていた。暫く暇な時間が出来た俺は一服することにして、隣で鎮座するエージェントと運転手に断りを入れてからポケットをまさぐった。家にある定価で買った無駄にデカいヒュミドールから無造作につかんで持ってきた数本、その中から一本選んで取り出した。指先の手触りを根拠に取り出したのはお気に入りのシガーだった。
火もつけずに口に咥える。煙の良し悪しはわからん。口寂しさを少しでも長く、かつ邪魔にならない範囲で楽しむためのものだと割り切っている。無論、モノや道具自体へのこだわり自体は強いのだが。
俺は酒もタバコも嗜むし、趣味は専ら腕時計と拳銃の蒐集だった。だったのだが、浩一が生まれてからは酒もタバコも全く手を出さなくなっていた。たまに家の外でブランデーやウィスキーを一、二杯呷ることはあったが、それ以外だと彼女の晩年に一緒に呑んだくらいだ。それだって少し舐める程度だったから、一人で誰に断る必要もなくなった今こうして堂々と人前でタバコに手を伸ばすというのは少し感慨深いものがあった。音信不通だった幼馴染に十数年ぶりに再会したような気分だ。
蒐集癖のトリガーはどこに転がっているのかわからん。トリガーと言えば、であっさりと感慨の扉が開いた俺は細身の葉巻を口に咥えた。自由になった利き手で腰に手を遣る。冷たくて硬い感触が手に馴染んだ。
銃の蒐集は日本に移住してからは完全に止めていた。家の暗い地下空間に置いてけぼりにされてきたコレクション達を思い、グリップのウッドを後ろ手に撫ぜつつも少し冷静になって考えてみる。うん、これは否応の無い問題だな。そもそも規制が厳しいし、何より仕事もほとんど入れてなかったから使う機会など訪れる訳もない。必要性がないからこれは仕方ない。とは言え、個人的に外見が好みのモノばかりを集めていたのでモノへの愛着だけは一入だ。蜘蛛の巣の張ったままで死蔵するのも勿体ない。この際だから色々と整備してからモスボールしておこう。それから新しく趣味を探そうか。うん、折角アメリカに来たんだし前々から欲しかったアメ車でも集めようかな。向こうで防弾仕様にするのは面倒くさいし…この際だからまとめてアメリカで改装してから密輸してしまおう。そうしよう。
火をつけていないタバコを咥えぼやぼやと今後の道楽に想いを馳せつつ、俺はライターを探した。お気に入りのCOLIBRIの黒革巻きを旅行用に用意していたはずなんだが。むむむ、なかなか見つからない…。
火を見つけられないままガサゴソやっていると景色が変わった。遠目に白くてデカい建物が見えて来た。しぶとく手を動かしたが結局探し物は見つからなかった。あーあ、タバコは持ってきたのに肝心のライターを忘れたみたいだ。全く何やってんだか。エージェントから目的地に到着したことを知らせられた俺は、運転手からの貸し火を丁重に断り、荒野の用心棒よろしく硬めのシガーを咥えて車を降りた。
雇主と護衛対象との顔合わせは上首尾で終わった。久しぶりに会った大統領は火のついてないシガーを噛み噛みやってきた俺に、自分のカッターとガスライターを貸してくれた。身体検査の前に足に差してるBUCK119でVカットにしても良かったんだが、流石に国家元首の前で刃物は出せない。相変わらず気さくなもんだと感心しつつ、有難く使わせてもらう。フラットカットよりもパンチカット派の俺だが今はしょうがない。おお、金のデュポンか。吸い口のカットで少し気持ちが萎えたが、ガスなら何でもよくない俺は大満足でシガーの先を炙った。
歓談用のコニャックを手酌で楽しみつつ、大統領はアップマンとかモンテクリストあたりを、どっかの全権大使は紙巻きのキャメルを、俺はサンタダミアナのセレクシオンをぷかぷかしつつ当日の進行予定やらを把握した。あとは、なんだ。今回の護衛対象がどこから恨みを買っているのかとかを中心に聞き出しながら暢気にジョークを飛ばしたりして過ごした。シガリロばかり好むので、しっかりとした葉巻は久しぶりである。少し野性的なハーブ感が何とも言えない、濃厚になるまでじっくりと待つ必要があるからせっかちな俺はついつい強く吸ってしまう。うーむ、旨いのだがシガリロの15分でも満足してしまう俺には少し長いかな?
一時間とちょっとの歓談だった。俺は後半はコニャックだけで過ごした。根本3センチの吸い残しは日本に帰ってから刻んでパイプに詰めて楽しむことにする。一時間でかなり仲良くなった二人に見送られつつ、次の日からの任務に向けてこの日は早めに眠ることにした。宿泊予定のホテルまで車で送迎して貰う。なんだかVIP待遇がこそばゆいな。エージェントには明朝6時までに俺がこっちに預けてある指定の車をホテル前の駐車場に届けてもらうように言伝てた。もう外は真っ暗だ。ロビーで部屋のキーを受け取った俺はジャケットだけを脱ぐとそのままベッドにインした。
次の日の朝、腰が痛くて起きた。寝ぼけ眼でつけっぱなしだった腕時計を覗くとまだ朝の4時前だ。二度見したが元祖MARATHONが売りにするトリチウムガス充填管の発光によりくっきりと浮かび上がる二針を見間違う筈もなかった。腰を摩る。二度寝する気も起きなかったので時間が来るまで散歩でもしようか。放り捨てたパンツと同じ色のブルーのジャケットをのそのそと身に纏う。今は煙を吸いたい気分じゃない。けれど口が寂しい。そんな微妙な気分の俺は懐から取り出した円柱のスチール缶を開けた。元はロミオ・イ・ジュリエッタの何方かが居座っていたソレからビリガープレミアムの8番を取り出して咥え、俺はぶらぶらと朝靄の街に繰り出した。
煙なし。香りオンリーで口寂しさを紛らわして散歩しつつ、朝早くからやっている店を探索した。一向に見つからないまま、俺は結局6時前にホテルに戻ってそこで朝飯を食った。コーヒーと焼いただけのトースト、あとベーコン三枚と卵二個の目玉焼き。食後は十分ほど散歩をしてから駐車場へ、デリバリーを待つことにした。時刻ぴったりに届いた70mm防弾仕様のクライスラー300Cをその場で受け取り、いざ合流地点へと向かった。
俺はそれから三日間、それはもう普通に働いた。勤労へのやりがいを感じつつも自己犠牲の精神に満ちた仕事ぶりだったと自負している。折角だし軽く振り返ることにする。俺の仕事内容は怪しい奴を無線を使って割り当てられた部下に指示して片っ端から会場の外にたたき出すことと、もしもの時には体を張って全権大使、外交官、軍高官の順で彼らを危ない奴から守ることである。現場組の班長として少しでも怪しいと思ったやつには部下を送り付けた。今回は大使にもよくしてもらったので気持ちの入り方も十分だ。お陰で初日は何事もなく一日の日程を終えることができた。三人ほど怪しい奴をたたき出したが、実際に二人が小型の刃物を携行していたので俺の判断は概ね間違ってなかったと思いたい。
そして二日目と三日目。なぜ二つを一緒にするのかと言うと、二日目は基本的に何事もないので語るには及ばず、三日目で火器を持った危険人物が押し入ったからである。野外で大規模な演説中の大使に向けて小銃弾が計12発発砲されたんだ。幸いにもけが人は俺一人。十何キロのセラミックプレートを体の前後に入れた状態で大使を抱えてうずくまった。その時にセラミックで覆われてなかった腕に一発掠って肉を少し持ってかれた。そのあと背中に三発撃ち込まれて肋骨を三本折った。やはり自動小銃の弾は痛い。全治一週間と言った所か。
犯人は13発目で運よく弾詰りを起こしたので、その隙を逃さずに奴を囲んだ俺以外の警備員がテーザーを打ち込んで沈黙させた。そのあと俺は無傷の大使を避難させ、正規の武官に受け渡してからその日は終了した。
判定としては自分以外が無傷なので依頼は成功したと言えるだろう。三日間で実働合計60時間の護衛依頼で新札50万USドル。口座はスイスと昔の拠点であるアメリカのメガバンク、それから今の拠点である日本のメガバンクの三つに分けてある。今回はアメリカでの依頼だったが個人ではなく政府からの依頼だったからスイスの方に全額振り込まれているはずだ。俺は基本的に依頼失敗の経験が無いが、もしも失敗した場合は違約金として全額を払い戻すことを事前に契約内容に含めてある。個人の依頼だと時たまにこの項目に付け入るような奴がいるが、今回は公的機関だから安心だな。
依頼を終えた翌日の昼飯をハンバーガー三個で済ませた俺はこじゃれたカフェテラスに陣取り食後のコーヒーを楽しんでいた。スーツは昨日の奴をそのまま着てる。肩のあたりに赤黒い染みが出来ているが俺が気にしてないからヨシ!だ。
アメリカでの仕事終わりの一服をしようとスーツの内ポケットを探った俺は出先で買った真新しいラッキーストライクフィルターシガリロの、箱から一本取り出して口に咥えて火で炙った。因みにこの時使ったのは3日目の夜に
そしてゆっくりと一つ、二つ吸ったところで何かを忘れていることに気がついた。
「なんだったか、なにか約束した様な…。」
半分ほどに減っていた大好きなカフェモカ(Toraniキャラメルソースマシマシ)を一気に飲み干すと、タバコを口に咥えてポケットをまさぐった。両手をあちこちのポケットに突っ込んでみる、俺がもごもご呟いた所為で振動がシガリロに伝わり煙とタバコの細身が忙しなく上下した。
「あった…。」
そんな声を溢し、指先でポケットからサルベージしたのはくしゃくしゃの赤茶けたメモ用紙だった。小銃弾が掠った時に流れた血がそのまま体を伝い、ポケットの中のメモ紙を汚したみたいだ。恐る恐る紙を解していくと、目に飛び込んできたのはインクが滲んでいるもののまだはっきりと読み取れる数字の羅列だった。
「よかったぜ、やっと思い出せた。そうだったな、リカと約束したんだった。」
俺は三日前の機内で出会った凛々しい彼女との、つい先ほどまで忘れていた約束のことを思い出して苦笑した。
腕時計を見るとまだ午後1時過ぎ、俺は急いで携帯電話を取り出して彼女にコールした。
prrrrr prrrrr
プツっと通話が繋がる音がした。