二人は段ボールから取り出したペットボトルの3年長期保存水と乾パン、トニーがとっておいたキャンディー…昼間のMREに入っていたアタリ…で細やかな夕食を摂ることにした。
食事の前に、冴子はヒーターで温めた水で体の汚れを落とした。藤美学園の制服は夕日に照らされ繰り広げた激闘ですっかり血脂や汗や泥で汚れており、倍の重さにも感じられた。制服を脱ぎ捨て、汗…それから甘酸っぱい香りを放つ無色透明な体液…を吸って重くなった下着からも解放された冴子は、一糸まとわぬ姿となった。
鍛え抜かれた肉体にはしかし女性の柔らかい肉感が非凡にも強調されていた。推定Dカップの胸の膨らみの先端、桜色に華やぐ蕾は上向きである。その豊満な母性の山脈に根を下ろす峰々、その造形美の絵画的完璧は正に奇跡的な均衡により維持されていた。うっすらと見える腹筋の筋は鍛錬の賜物であり彼女が並々ならぬ求道者たるの、即ち内に宿した男性的強さ、隠匿された獰猛性を象徴するものである。しかし、その屈強さを薄氷の如く張りたる脂肪により文字通り包み隠すことで、強く気高き女性という一方の本質が見え隠れするのと同時に、その柔らかい肉の艶と稜線に皆は唸り悶え、そこに妄りに、か弱さと愛らしさ、女性的エロスの真理について懐古するのだ。
下腹より下に下がるとそこには戦ぐ程度の芽生えと、穢れを知らぬ火照りの
正に恵体の極みであり、スポーツ選手の特定の目的を突き詰めて鍛え抜かれた機能美と、野生の肉食獣のような本能的、詰まる所才能に銘打たれた生来の力強さと美しさを兼ね備えていた。頑強な肉体をしかし、完璧なものとして非凡なるものに押し上げる最後の妙味こそ、彼女が彼女たる由縁である。如何に求道の虜として在れど、冴子は自らを細胞単位で磨きぬくことに余念が無いのだ。荒れも傷も何一つない絹肌。手足の爪の先に至るまで磨かれた肉体美には隙が無い。肉体を覆う筋肉は脂肪と、その生来生粋の柔らかい筋肉に恵まれたことも相乗して、筋骨の重なる箇所を避けて軟な筋肉と脂肪の集まるところを指で突けば、突きたての餅に手指が沈み込むような包容力と満足感に加えて瑞々しいハリに押し戻される感触を味わうことが出来るだろう。
そんな、毒島冴子は惜しげもなく裸になると片膝をつき床にしゃがみ、タオルに貴重な湯をじっくりと染み込ませてから肌にのせた。感じたのは得も言われぬ温もりが芯まで届く様な、疲れた肉体には効き過ぎる柔らかい刺激だった。少し熱いくらいに感じた湯も、春先だとすぐにその熱が逃げてしまう。体の上を伝う水滴の筋が増えるたびに、徐々に失われる自分以外の確かな温度に寂しさを感じてしまうのは人の性か、それとも生物の性か。少し離れた所に靴下を詰めたローファーと、その脇に畳まれて置かれた制服が見える。美少女の行水には一種の厳しさが垣間見え、湯が少なくとも恋い慕う異性と同じ空間で一夜を過ごす身の上となれば、寸分の汚れも許さない覚悟を感じさせた。
肌にタオルを乗せてじわじわと押す様に、乾き火照った肉体を湯で一通り癒し潤わせてから、次にゆっくりと肌を磨いていった。垢すりをしつつ、湯を足しつ布を搾りつ。胴を濯ぎ、脇を腕を気持ち強く、胸の壮観なる双峯の川走る谷には湯を惜しまず、腹から下腹へ、秘めし奥の宮と臀部に続く道には湯を惜しまず、そして更に足へ、足から爪先へと移ってゆく。足の指の間に何か挟まっていた。首を傾げよく見れば、挟まっていたのは、ローファーで踏ん張り傷ついた、自身の指から出た血が黒く凝固したものだった。水を含んだタオルを充てて溶かし清めた。ふと気配を感じて周囲を見渡すと、案の定、それは真顔でこちらを見遣る、壁に背を預けたトニーだった。近くの窓辺で外の様子を伺っていた彼は、散弾銃を胸の前で組んだ腕の上にのせて両手で銃身を押さえながら冴子の方に顔を向けていた。
冴子は最低限の秘部を遮ると、自信に満ちた声でトニーに語り掛けた。二人の掛け合いはトニーの生来の断言する様な力強い物言いが言質になり、彼に冴子を女として強く意識させることに繋がった。
「見ていてくれたのなら君の感想を聴こう。」
「綺麗な髪と体だ。大事にしないとな。」
「大事にしてくれたら嬉しいな。」
「…本気で言ってるのか?」
「でなければ、君は今頃ここに一人だっただろう。」
「それもそうか…言うようになった。ああ分かった。光栄だよ…大事にする。約束するよ。」
「漢に二言は禁物だぞ?」
「約束は守る。妻とも、冴子とも。俺のポリシーって奴だから安心しろ。そこはずっと変えてないんだ。例え黙示録の世界に変わったとしても、だ。」
「そうか、なら…なら安心できるな。……約束だよ?」
「ああ、そうさ。約束だ、約束……。」
トニーは冴子の問いに答えると、さっさとそっぽを向いた。視線の先には窓の外の<奴ら>がいた。冴子とは比べるべくもなく醜悪で、危険で、それでもって不運な奴らだった。思わぬ機会にトニーから返事を貰った冴子は、何か実感が湧かない様子だった。熱で浮いたような顔、頬に朱が差した柔らかい表情で、どこか虚空をぼんやり見つめながら、彼女は自身の長く美しい御髪を丁寧に丁寧に、細く陶のような指と、新たに濡らした自身のまだ汚れを吸っていないハンカチで、じっくりと梳り、その身嗜みに費やす労の最後を彩った。
「…ふ、んんッ……はは、凄い匂いだな、これは…。」
ありとあらゆる汚れを吸って赤黒く変色したトニーのポケットタオルと、頭皮や髪にこびりついた汗や砂埃や血を吸って水で浚った絵具筆を包んだ様になった冴子のハンカチ。どちらも二度は使えないだろう。それくらい汚れが酷かった。臓物や血が散乱する教室や廊下を走り回ったのだから当然だが、それでも、こうして今すっかり汚れを落として初めて気がつくこともある。その証拠に、磨かれて艶を取り戻した冴子が胸いっぱいに吸い込んだ空気はお世辞にも美味と呼べるものではなかった。
採光窓から注いだ赤とオレンジの斜光に照らされて、水気を含んだ彼女の髪と肉体はその輪郭に淡い煌めきを纏っていた。燃えるような熱を視る者に想起させる神々しさとは真逆に、彼女の体は少しずつ冷えていく。日没は今日までの日常の終わり、美しさの終わり、それまでの世界の完全な終わりを象徴する。冴子の凛々しくも儚い妖艶な立ち姿は、沈みかけた夕日の最後の足搔きにも見えた。
「やはり嗅覚がリセットされれば臭いよな。だが…今は着ていた服をそのまま着るしかなさそうだ。」
「体育着でもあれば話は別だったかもしれないが…私はこのまま下着だけで過ごすことにするよ。」
拾い上げた制服に顔を寄せずとも漂う悪臭に顔を歪めた冴子が、下着だけの姿でトニーに言った。壁に背を預けて二人並んで座る。冴子はお尻の下にスカートを強いて冷たさを直に感じない様にしていた。トニーは銃を冴子と肩隣り合うの反対に置くと、身体を覆っていたカーボンやケブラーで補強された両手両脚部のプロテクター、首回りまで補強された防弾プレート挿入式のアーマーベスト、それから散弾銃の弾薬や救急キットの詰め込まれた二つのウェストポーチ、衛星電話を収納する樹脂製ホルスター付きのハーネス、ベルトから吊り下げられていた鞘に納められたククリナイフを外した。身軽になった今のトニーは防刃素材で織られたカーキのジップシャツと同色同素材製のカーゴパンツ、足には5.11社製タクティカルブーツを履いていた。冴子の行水の裏番組で、トニーは頭から500mlペットボトル2本分の水を被りつつ、装備に付着した汚れを粗方流し終えていた。互いに体臭を嗅ぎ合う仕草が滑稽でクスクスと笑いが零れた。笑うと頭が揺れて二人の髪から水滴が滴り落ちた。トニーは食事の前に冴子の足のケガを消毒してガーゼを巻いた。初めて触れる冴子の足の指は、とても今日同じ道を駆け抜けたとは考えられないほどに細く、軟らかかった。よく手入れされた爪には艶があり、親指から小指までが歪とは無縁な、完璧な形と色をしていた。トニーは自分の足よりもかなり小ぶりな冴子の足を大事に大事に手当てした。
乾パンのプラスチックの外蓋を取ると、プルタブに指を掛けて缶の蓋を開けた。ガパッとスチールの蓋がめくれ上がり開くと、中から香ばしい固焼きビスケットの匂いがした。少し缶をゆすると、カラコロと氷砂糖とビスケットが缶に打ち合う音が聞こえた。こんな些細なことにも、過酷な戦闘経験で感覚が擦れた後だと酷く家庭的で、懐かしく楽しいことの様に思えてくる。二人とも頬が緩んだ。鋭い缶の縁や蓋の残骸に気を付けながら、冴子は一つずつ、トニーは二つ三つまとめて口に放り込んだ。バリボリ音を立てて咀嚼すると、すぐさま唾液が分泌される。じゅわあっと唾液が勢いよくしみ出すのを感じ、同時に顎の関節が痛くなり耳の付け根を揉んだ。ゆっくりと顎を動かし、小麦と胡麻の素朴な旨味甘みを楽しむ。顎をもごもごさせながら、トニーがふと左腕にナイロンベルトで巻いてあるMWC社製Type6ブラックチタンモデルに一瞥をくれてやると、時刻は既に20:00を迎えていた。二針を含む14のトリチウム管が薄暗い倉庫の中でも自動発光しており、職員室で静香と交換した冷たいMREを食べてから既に4時間も経過していることを正確に教えてくれた。腕時計から視線を切り、また二つほど摘み口に放り込んだ。今度はゴリゴリと音がして、じんわりと広がるように氷砂糖の甘さが広がった。混じりけの無い甘味に、トニーも隣の冴子もほっこりしていた。
思った以上に空腹だったようだ。半分ほど食べ切り、残りにプラスチックの蓋を被せてから、ペットボトルの水を喉を鳴らしてゴクゴクと飲んだ。乾パンは喉が渇くが、今はそれ以上にしっかり噛んで口の中で味が広がる感触が貴重に感じられて、水で流し込むことがもったいなかった。食事中は二人とも無言でビスケットを咀嚼して、ドロドロになってから嚥下するのを繰り返した。時々M&Mのキャンディーを口で転がすと、あれほど美味しく感じていた氷砂糖やビスケットが一瞬で味気なく感じてしまうのだから不思議だった。甘い砂糖のコーティングを体温で溶かしながら、外側が溶けてなくなり露出したチョコレートの薫りがフワリと鼻に広がると、とんでもない贅沢をしたように感じた。舌に沁みるような濃厚なカカオと強烈な砂糖の甘み。一粒目でこれなのだから、二粒目にはすこしフライングして完全にコーティングが溶ける前に噛み砕いてチョコに舌を押し付けてしまう。ザリザリとした薄い膜のような砂糖が割れる音が二人からほぼ同時に聞こえてきた。舌に絡んでいたチョコレートが完全に溶けてなくなっても、勢いよく噛んだ時に奥歯に挟まったり詰まったりしたチョコが余韻の様にあの、他に替えの効かない幸せな味を残してくれた。しばらく麻痺した様に気分をウロウロさせてから、また乾パンと氷砂糖を噛み砕く食事に戻るのだ。氷砂糖の助けがないと、呑み込むときには既に唾液が品切れ状態になって、呑み込むときは…ごっくり…と音が聞こえるくらいだった。
一時間くらいか、水で口の中をさっぱり潤す頃には、すっかり外は真っ暗になっていた。生き残っている街灯がちらほら町の向こうで浮かんでいるばかり。自然の中と言った感じか、人工の光のない夜は人間そのものの営みが綺麗サッパリ消えたみたいで静かだった。でも、よくよく耳を澄ませてみると。遠くで聞こえてくる音があった。それは主に三つ、何かが燃える音、何かが叫ぶ音、それから何かが何かを食べる音。他に探せば、極稀に発砲音が聞こえたような気もする。結局、人間が営んでいた生活には不釣り合いな類の音が倉庫の外の世界、そこに今ある音の全てだった。いや、本当はどこかで何か希望を見出せるような、素晴らしい音が聞こえて来ることもあったかもしれない。だがそれは、少なくともこの場所この時には存在しなかったのだ。