ボーダーの自室。
二、三人前の大きさがあるであろう鍋を温めながら零の目の前に座る仏頂面の男に目を向ける。
本当に何を考えているのかわからない仏頂面。零は中身を混ぜながら口を開く。
「……………久々ですね。一緒に鍋をつつくの」
「………そうだな」
表情に変化が見られない。零は必死に頭を回す。夕食に城戸を招待したはいいものの、全然会話が弾まない。
「いやー、最近玉狛も賑やかになって来たんですよ。城戸さんも知ってるでしょ?人型
「───────」
「あ、あの………」
笑顔で話しかけても、帰ってくるのは懐疑的な視線と無言のみだ。
とは言え、それも当たり前だろう、と零も鍋を混ぜなら逡巡する。思い起こすのは、自分と同じ顔を持った人型
実際、疑いが向いた本人ですら、自分が何者なのか、本当に風切零なのか、と今だって自分の存在を疑っている。
顔も違う。身体も違う。あるのは実体のない記憶のみ。
「お前は、何者だ?」
何者か。
城戸がそれを問わなければならない立場であることは理解している。それでも、そんなことを城戸からは聞きたくなかった、と鍋を混ぜる手が止まる。
ゆっくりと、零は顔を上げると、悲しそうな顔で告げた。
「風切零。………だと、思いたいですね」
予想していなかった回答だったのか、城戸の眉がピクリと動く。だが、すぐに鉄の仮面を被り直した。
「─────わかっているとは思うが、今の状況ではお前にトリガーを持たせることは難しい。その上で、お前の潔白が証明されるまで身柄を拘束しなければならない」
「それは………まぁ、そうでしょうね。でもね、城戸さん。俺はまだトリガーを没収される訳にはいきません。次の大規模侵攻。そこまでは俺も戦います」
「駄目だ」
即答だった。
零が何かを言うより先に、更に城戸が言葉を続けた。
「お前の疑いが晴れない以上、戦いに導入することはできない。もし戦いたいのであれば、お前はそれまでに疑いを晴らす必要がある」
「疑いを晴らす………」
自分が疑っている状態で、疑いなんて晴らせるわけがない。
さて、どうやって疑いを晴らして行こうか、と思案している最中に無性にムシャクシャしてきた。
零は力任せに机を叩いて、城戸を睨み付ける。
「………城戸さん。俺は今、怒ってます!俺、アンタと前みたいに飯食いたいから誘ったんですよ!なのに、何ですか!さっきから事務的な話ばっかり!い、ま、は!俺と鍋をつつくんです!もう、喋らないならそれでもいいですからせめて一緒に食べてください!」
まったくもう、と鍋の具材をよそって城戸へと突き出す。
城戸もそれを受け取って、ゆっくりと中の豚肉を一枚口に含んだ。
「………美味い」
「………そっすか」
零の方も、茶碗に鍋をよそって白菜を食べ始める。
短い会話であったとしても、零はそれだけでも嬉しかった。この約四年間二人の間では日常会話などというものがほとんどなかった。あるとしたら、任務を直接受ける時か、報告のための呼び出しを受けたときくらい。
だから、一度しっかりと話をするために今日の食事会を作ったわけだ。
最近は、食べてばかりではあるが、正直それは零も思っている。まぁ、食べるのも大好き風切くんではある為、問題はあまりない。
ただ、事務的な話が嫌だと言った手前だが、意外にも城戸がこの食事会に来た以上、これだけは言っておかなければならない。
鍋の中身も無くなってきた辺りで、ようやく零は口を開く。
「………城戸司令。お話があります」
「………何だ?」
「やっぱり、俺を次の大規模侵攻で戦わせて下さい」
「その件は先程も却下したはずだが?」
「俺に考えがあります」
「………考え?」
城戸が聞き返すと、零は小さく頷いた。
◇◆◇◆
零との食事会もお開きとなり、自身の執務室で書類を眺めながら先程聞いた話を反芻する。
初めは、馬鹿げていると思った。聞いている内にその計画に目を見張った。そして最後には、その計画に賛同してしまった。
「──────」
目の前の書類に書かれているのは、零のトリガーを没収するための命令書だ。自身が主導して作った命令書。それを、今、議事録も取らないような、非公式の話し合いで廃棄しようとしている。
明日にはこの話を他の幹部にも通達するつもりだが、皆なんと言うのだろう。
自身の意見に賛同した根付メディア対策室長や鬼怒田開発室長はきっと理由を求めることだろう。唐沢外部・営業室長はあまり想像がつかない。
忍田本部長と林道支部長は理由はきくだろうが、あまり深く聞いてこない気もする。
………いや、今回の話をすればきっと反対することだろう。
書類を机に置いて、クルリ、と回転椅子を回して、背後の窓からの景色を一望する。
ボーダーの周りを飲み込む闇の向こうに見える街明かり。
この景色を守ってきたのは、ボーダーであり、まだまだ若い少年少女であり、間違いなく、自称風切零本人だ。
本物だろうと偽物だろうと、そこだけは揺るがしようのない事実である。
食事会の最後に告げられた言葉を思い出すだけで、城戸の握り拳に少しだけ力が籠る。
『城戸司令。俺が貴方を今日の食事に読んだのはおそらくこれが最後のチャンスだと思ったからです。貴方とこうやって食事をする最後のチャンスです。俺は今まで貴方に色々なものを貰って、色々な人間に出会いました。これは、私から貴方への恩返しです。俺は自分の疑いを晴らすことがきっとできない。だから、別のアプローチを行います。証明しましょう。風切零というボーダー隊員が、ボーダーの為であるならば、命すらも擲つのだ、と言うことを』
目を閉じれば思い浮かぶ思い出の数々。忍田に真っ二つにされた車を見て、ゲラゲラと笑われた。
トマトジュースの差し入れをくれたと思ったら、タバスコが三割入っていた。
烏龍茶を入れてくれたと思ったら、ウォッカのテキーラ割りだった。
部屋に開けっぱなしのシュールストレミングを投げ込まれた。
………思えば、碌な記憶がない。
一度小さく深呼吸をして、もう一度目を開ける。しかし、やはり落ち着けるわけがない。
要するに、風切零は次の大規模侵攻で死ぬ、と言っているのだから。