「ソラちゃん、ちょっと待って!」
ましろの声で、ソラは伸ばしていた手を引っ込めた。
ましろは、ソラがつかもうとしていたのが「毒キノコ」だったことに気づき、とっさに制止したのだ。
薄いあずき色をした髪を、お団子にまとめた虹ヶ丘ましろ。
青い頭髪をサイドで結わえたソラ・ハレワタール。
二人の少女はこの日、ましろの家の裏手にある山に来ていた。
それは、ソラと共に
「山には危険なものもあるから、よくわからないものはむやみに触っちゃダメだよ」
「は、はい。危ないところでした」
ましろの注意に素直にうなずくソラ。
ソラ・ハレワタールは、今二人がいる街である「ソラシド市」とは別の世界──「スカイランド」からやって来たのだ。
異世界の人間であるソラは、まだこの世界の常識を身に着けておらず、あからさまに毒々しい色を放つ植物にも
「あ、でも待ってください、ましろさん」
「どうしたの?」
「これ毒があるんですよね? かじったような跡がありますよ」
ソラが指さす赤と紫のキノコには、確かに動物かなにかがかじり取った形跡が残されていた。
辺りを見れば、そこかしこに毒キノコの破片が、食い散らかしたように散乱している。
「うわ~、本当だ。しかもいっぱい食べられてる」
「こちらの世界には、毒でも食べられる生き物がいるんですか?」
ソラの疑問に、ましろは首を横に振った。
「そもそもこの山には、クマとかイノシシとか、大きな動物はいないはずだよ」
「鳥が食べたにしては、歯形が大きいですよね」
「あ……もしかして、あの人かな? ほら、あの……座布団さん?」
「ああ、カツ丼ですか。確かにあの人なら、毒キノコでも平気そうですね」
ソラと、彼女が抱いている赤ん坊を狙って襲い来る、謎の怪人。
名前は憶えていないが、確かにあの太った見た目なら、なんでも食べてしまいそうだと二人は思った。
と、食べ物の話をしていたせいか……赤ん坊──エルちゃん、とソラが名付けた──が、泣いて空腹を訴え始める。
事前に食事の用意をして来たましろは、早速とその場でシートを広げた。
エルちゃんには、出かける前に家で準備していた粉ミルクを。
ソラと自分用にましろは、雲のような形をした、真っ白なパンを箱から取りだす。
天空に浮かぶ国から来たというソラの話を聞いてイメージした、ましろオリジナルの創作パンだ。
「うわぁ、美味しそう! ほら、エルちゃん。雲パンですよ~」
「えるぅ~」
ふわふわとした見た目の柔らかそうなパンに、赤ん坊も興味をひかれ笑顔を見せる。
ソラも早速とパンを口に運ぼうとしたが、ふとしたことでその動きを止めた。
「……霧?」
だしぬけに少女らの周囲に、霧のような白いモヤが立ち込め始めたからだ。
モヤはあっという間に、その濃度を深めていく。
すぐ隣にいるはずのソラとましろが、ふとすると互いの姿を見失ってしまいそうなほどに。
「ましろさん、この山はこんな急に霧が出てくるものなんですか?」
「ううん。今日のお天気はずっと晴れだって、予報では言ってたのに……」
次いで白いモヤの向こう側から、草を踏みしめる何者かの足音が二人の耳に聞こえてきた。
動物の歩行音とは違う。
ザッザッザッと二本の足で草を踏む音は、明らかに人間のそれだ。
「誰ですか!?」
ソラの問いに返答はない。
大声をあげたのだから、聞こえないはずはないのに。
ただ足音だけが、確実に少女らの元へ近づいてくる。
不気味な雰囲気に
「ましろさんとエルちゃんは、私の後ろに」
ソラが二人を
果たして足音の主が、モヤの中から姿を現した。
頭は「ブタ」を思わせる形をしており、首から下は服とは言えないわずかな布切れをまとうのみ。
むき出しの体は不健康なピンク色に染まり、腕や足首には身体を拘束するためかのような、「
ソラとましろは、その異様な存在を見て息をのんだ。
「ブギロボン・ビゴギ……ブギロボン・ビゴギグ・グス……」*1
「ぇ……な、なんて言ったの?」
「わかりません。聞いたこともない言葉です」
ブタ人間の発した言葉に聞き覚えのないましろはソラにたずねる。
英語やフランス語など、外国のものともまったく違う。
どこか恐ろしさを感じさせる響きの言葉だった。
ましろは、異世界の文字を使うスカイランド人のソラならと思ったが、彼女の耳にも初め入る言語のようだ。
「もしかして、座布団さんの仲間なんじゃ」
「いえ、あのランボーグとかいう奴とは違う気がします」
ソラは二度ほど戦ったことのある「敵」の姿を思い出した。
それらは少女の目から見てもどこか可愛らしい姿をしていたが、目の前のブタ人間のビジュアルは次元の違う異質さを放っている。
ランボーグなんかより、もっと恐ろしいモノではないか……。
そんな気配を、ソラは目の前の怪人物から感じ取っていた。
「ブギロボ・ジョボゲ……!」*2
「危ないッ」
ブタ人間は突然、少女らに飛びかかった。
ソラはとっさにましろと、彼女が抱くエルちゃんをかかえ飛びのく。
「何者かは知りませんが、危害を加えるつもりならこちらも容赦しませんよ!」
ゆっくりと近寄って来るブタ人間を前に、ソラはなんらかの拳法の構えをとる。
眼前まで迫った怪人の胸部に、溜め込んだパワーを解き放つように右拳を打ち付けた。
バシンッ!と派手な衝撃音が鳴るが
「……効いてない!? 私のスカイランド神拳が!」
「ジャラ……ザ!」*3
「うぁっ!」
岩をも砕く自慢の技が通じなかったことにショックを受けるソラ。
そのまま羽虫を払うように、ブタ人間の振るった腕になぎ倒されてしまう。
「ソラちゃん!」
「ブギロボ……ブギロボ……」*4
「ひッ」
ブタ人間は標的をましろに向ける。
ましろは赤ん坊を抱えたまま、異様な雰囲気を放つ怪人に身がすくんでしまい、動けなくなってしまっていた。
「クッ、待ちなさ……」
「伏せて!!」
ましろたちを助けんとするソラ。
彼女が急いで立ち上がろうとするより前に、この場にいない第三者の声が響いた。
「ッ」
「おりゃあーッ!」
声に反応し、瞬間的に身をかがめるましろ。
その上を飛び越えるように、一人の男性がブタ人間に飛び蹴りを食らわせた。
強烈な一撃をまともに受けたブタ人間は、受け身をとる間もなく吹っ飛ばされる。
「ビガラ……クウガ……」*5
その一言を最後に、怪人は力を失い倒れ伏した。
ましろとソラが見てる前で、ブタ人間の体はドロドロとした液体と化し、地面のシミへと変わる。
夢だったかのように、ましろたちを襲ったモノは消え失せてしまった。
残されたのは、二人の少女と一人の赤ん坊。
そして、子供たちを救いに現れた、一人の青年。
「大丈夫だった? 怪我はない?」
青年は腰をかがめ、背後にいたましろに視線を合わせてたずねた。
大きなリュックサックを背負い、登山服に身をつつんだ姿は「ベテランの冒険者」といった風格を漂わせている。
ましろは突然の救い主の出現に驚いて、うなづくしかできない。
男は続けてソラにも手を貸し、立ち上がるのを支えてやる。
「君は平気?」
「はい! ヒーローならこれくらい、なんでもありません!」
「ヒーロー?」
青髪の少女の口から出た単語に、男は不思議そうな顔を見せた。
と一転して青年は、さきほど消滅したブタ人間のいた方に顔を向け、神妙な様子でつぶやく。
「……やっぱり、この山にはグロンギの生き残りがいたんだ」
「ぐろんぎ……って、さっきの怪しい人のことですか?」
「うん。もしかしたら、他にもまだいるかもしれない」
「えぇ!? あんなのがウチの山にまだいるの……!?」
青年の発した奇妙な響きの単語に反応するソラ。
他にもあんなバケモノが
「ウチの山? ここって君の家が所有してる土地なの?」
「は、はい。そうですけど」
「あれ、おかしいなぁ? ここは国の所有だったはずだけど……」
青年は山の名前を出して、ましろに確認する。
だが男の言う山の名は、ましろには聞き覚えが無いものだった。
「そういえば、なんだかさっきまでと風景も違うような……」
そう言って、男は周囲を見回す。
濃いモヤが辺りを埋め尽くし、ソラとましろにはなにも見えない。
青年は目を
「って、のんびりしてる場合じゃないか。君たちも、すぐにここから離れた方がいいよ」
「あ、でも私たち、探しものがあって……」
「うーん。でもこんなに霧が出てたら、その探しものも見つけるのは難しいんじゃないかな」
「確かにそうですね。ましろさん。今日の所は、このお兄さんの言う通りにしましょう」
「……そうだね」
エルちゃんのために目的のものを見つけてあげたかったましろだが、青年の言うように濃霧の中でこれ以上の探索は不可能だろう。
ソラにうながされ、仕方ないといった風に肩を落として諦める。
「俺が先導するから、君たちも離れないよう、後ろからついて来てね」
「は、はい」
「お願いします!」
青年が先頭に立って、ましろとエルちゃんを抱えたソラがあとに続く。
山道に慣れているのか、青年は少女らを
やがて四人は問題なく霧の中を抜けて、ふもとにある虹ヶ丘家の前まで降りることが出来た。
家の周りはごく普通の光景で、どうやら山の中だけに霧がとどまっている様子。
なんとも不思議な現象だった。
モヤが無くなり、ソラとましろは改めて青年の顔を見やる。
歳は二十代くらいだろうか。
黒髪で、優しそうな顔立ちの中にも力強さを感じさせる、不思議な雰囲気を二人の少女は見て取った。
その青年は今、目の前に広がるソラシド市の光景を見て、驚いたように目を開いて辺りをキョロキョロとうかがっていた。
男の行動を疑問に思ったましろが声をかける。
「あの……どうかしたんですか?」
「もしかして、ここって──市じゃないの?」
青年のいう都市の名は、ましろには初耳のものだった。学校でも習ったことが無い。
当然、この世界の人間ではないソラも同様だ。
「ここはソラシド市という所ですよ」
「そらしど……? うーん、それって外国? 俺色んな国を旅してきたけど、ソラシドって街の名前は聞いたことが無いなぁ」
ソラの言葉に青年は、アゴに手を当てて困ったようなしぐさを見せた。
「お兄さんも旅人なんですか! 実は私も、スカイランドの色んな所を旅していて……」
「スカイランド? また知らない国だなぁ」
「はい! 実は私、異世界から来たんです!」
「ちょっとソラちゃん……!」
青年に自分との共通点を見つけたたソラは、嬉しくなったのかつい自らの素性を明かしてしまった。
ましろが慌てるが、時すでに遅しだ。
「異世界……そっか、ここは異世界だったんだ!」
「えぇ、すぐに信じちゃうんだ……」
どうりで見たことのない風景が広がっているはずだ、と青年はいたく納得した様子。
妙に理解力の早い彼の思考回路に、ましろも苦笑を浮かべるしかなかった。
「初めまして、異世界の人。俺、こういう者です」
そう言って、青年は背負っていたカバンから名刺を二枚取り出し、少女らに渡す。
「二〇〇〇の技を持つ男……」
「
ソラとましろがそれぞれに、名刺に印刷されている文字を読み上げる。
五代、それが青年の名前だった。
「よろしくね!」
そう言って親指を立てる五代は、子供のようなあどけない笑顔を二人に向けた。
これが、かつての英雄と現在のヒーローとの出会いだった。
そして、これから始まる新たな戦いの始まりでもあることを、まだ少女らは知らない──。