余生はロアナプラで   作:ヤン・デ・レェ

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プロローグ
モンタナ


平穏の地を求めて生きている俺にとって暴力の行使は不本意の極みだ。だが、俺には初めから暴力以外のあらゆる手段が遺されてなどいなかった。

 

 

191X年に日本の片田舎で俺は生まれた。生まれてすぐに養子に出され、出された先で外国に売られた。第一次大戦の真っ最中の事だった。

 

俺は行き先もわからず船に揺られた。揺られること数週間、俺は陸に上がった。見知らぬ土地で軍人に連れられて巨大な施設に放り込まれた。病人が身に纏うような消毒の匂いが強い服を着せられて、畜生のように檻に監禁された。やけに硬いパンと雑炊みたいなスープを与えられた。

 

一週間ほど監禁されて、ようやく解放されたと思ったら麻酔を打たれて物みたいに箱に詰めて運搬された。運び込まれた先で対面したのは鋭い目つきの白衣の白人の男だった。傍らには数か国語の通訳が控えており、こいつの説明のお陰で俺は自分を買ったのがドイツの科学者だったことを知った。戦争で日に日に負けが込んでくるドイツ帝国では戦局打開のための極秘実験を盛んに執り行い、その中の一つである『超戦士実験』のために多種多様な人種や民族から実験に使うためのサンプルを蒐集していたらしい。

 

俺もまた屈強な兵士として評価が高い日本人の遺伝子を利用した超戦士開発のためのモルモットとして人買いから買われたのだ。この日から俺は無数の非人道的な実験をこの身で体験することとなった。

 

 

博士と呼ばれたドイツ人の科学者が求めた超戦士像は人間のそもそものスペックや限界を理解していれば到底実現不可能なものだった。

 

博士は言った。「私と帝国が求める真の超戦士とは、一日に千キロの行軍に耐え、数か月の栄養欠乏をものともせず、水中での超長時間格闘能力目覚ましく、馬よりも俊足であり、戦艦よりも丈夫、如何なる毒ガスや薬品にも耐性を有し、小銃の腕は百発百中、機関銃陣地を真正面から撃破し、戦車を素手で破壊せしめ、砂漠から一本の針を見つけ出し、百メートル先の蝶の羽ばたきにすら反応し、何よりも上官の命令に絶対服従の兵士である。」

 

非現実的な注文の数々。しかし、少なくとも博士は本気で超戦士の開発に全身全霊を尽くすつもりだったらしい。世界中から集められた千人近くの被検体はまず血液検査、防疫検査を受け、それから生息地別にグループ分けされた。分類が終わればそこから更に血液型や身長体重、両親の血統や民族的遠近などを主軸として分類され、班ごとに区切られた。

 

俺は朝鮮半島出身だと言う663番と黒竜江近辺から連れてこられた520番、ロシアから拉致されたのだと言う136番と同じ班になった。俺に割り振られた番号は666番だった。

 

番号が割り振られ班の顔合わせが終わったら即座に耐久実験と名付けられた篩へと掛けられた。これは極限状態でどれだけ生き残れるのか、四人の中で最も生命力が強いものを選別するための試験だった。俺はこの試験で一週間の完全な飢餓に耐久した。俺が生き残ったということは、一度顔を合わせたきりの残りの三人が全員死んだという事実の裏返しだった。

 

それから俺は数か月にわたって数々の耐久実験を体験した。極寒冷環境下での生存実験、極温暖環境下での生存実験、感染症や毒物への耐性実験、痛覚への限界耐久実験、超高高度における生存実験、自然治癒力測定実験…無数の実験を体験し、そして俺はその全てに生き残った。

 

既にこの時の俺には痛覚も味覚も嗅覚も聴覚も失われていた。残ったのは言葉を発するだけの抜け殻の様な肉体だった。髪は真っ白に脱色し、全身には大小無数の傷痕が遺されていた。

 

そして最後におとずれたのが超戦士変態実験並びに人造強化手術実験だった。これは前者が人間を生物学的な究極形態へと押し上げる実験であり、後者が人間を機械化学的、工学的な技術によって人工的に強化された肉体へと全身を置き換えるための手術だった。

 

巨大な手術台が俺の他に五つ存在し、俺を含めて六人の被検体がこの最終関門にたどり着いたことを示唆していた。千人近い被検体が今やたったの六人…いや、たったの六個体しか生存していなかったのだ。なんという、なんという非人間的な光景だっただろう。

 

全身を固定され、周囲は一気に物々しい赤色灯に照らされた恐怖の実験室へと変貌した。急速に浸透する全身麻酔により俺は意識を完全に喪失した。

 

 

まず初めに感じたことは余りの情報量の多さへの恐怖だった。意識の覚醒と共に驚くほどクリアな視界、清澄な聴覚、過敏な嗅覚、空気すら判別する味覚に驚いた。次に、俺はその全てが完全に自分自身の制御下に置かれていることに驚愕し、その事実を把握している自分自身の思考速度の異常性を理解した。

 

今の自分はどうなっているのか、首を動かして周囲を見れば其処にはもぬけの殻の五つの手術台とこちらを見つめる博士の姿があった。

 

博士は通訳を介さずにドイツ語で俺に語り掛けた。

 

「お目覚めかな?どうだね君、新人類として第二の誕生を迎えた今の気分は。」

 

俺はドイツ語は疎か日本語すら十全に扱えなかった十歳にも満たない子供だったはずだ。だと言うのに、これはどういうことなのか。俺には博士の話した言葉を理解することが出来た。書けと言われれば文書化することも可能だと、この新しい肉体が俺に判断させた。

 

博士は続けて言った。

 

「君は千にも上った被検体の中で唯一全ての実験に合格した。そしていま、こうして最終実験に適合してその生命を完全なものとして存在しているのだよ。君は正に新人類のアダムなのだ。そして、この大ドイツ帝国が地球上の全領域を征服するための最大の盾にして最強の矛なのだよ。さあ、君の言葉を聞かせてくれたまえ。言語に対する完全なる理解能力が十全に機能していることを実演するのだ。」

 

俺は博士の言葉を理解し、その命令を実現すべく声を出そうとした。が、俺の声帯は震えることが無かった。俺は瞬時に理解した。俺は声を失ったのだ、と。

 

 

博士は完璧主義であり、発声機能の喪失に対してヒステリーを発症した。だが、唯一の実験成功例である俺を処分することは出来ず、またそもそも俺を殺傷することが可能な兵器が存在していないことも後押しして、俺は監視下で厳重な拘束を受けることとなった。

 

実験の部分的失敗が明らかになってから数週間、俺は幾度かの試験運用を経て性能の更なる向上のために数種類の実験に使用された。

 

物理的耐久実験、真空環境下での行動実験、生身での殺傷能力測定実験、そして命令に対する服従度を測る実験。俺はこの全ての実験にパスしたが、最後の服従度を測る実験において主体的な意志に基づいて服従の擬態を試みこれに成功した。

 

完全な服従状態にあった筈の俺が自分の意志を取り戻したのは、最後の実験の最後の項目である殺人実験で老若男女を含めた無抵抗の人間を殺すように命令されたときの違和感がきっかけである。その違和感は怒りであり、明確な反抗意識であった。だが、新しい頭脳はこの場での不服従や反抗的な態度が自分自身への疑惑や不利益に繋がると判断し、極めて強い不快感を感じつつも命令を即座に遂行した。

 

こうして、俺は科学者の目の届かぬところで自分自身の意志を取り戻した。俺が意志を奪還して最初に欲したことは復讐と脱出だった。

 

無機質で極めて従順な殺人機械を演じつつ、俺は只管自身を強化改良する実験を受けて力を蓄え続けた。より強く、より賢く。俺は自分が最早科学者という論理的かつ合理的な生物の理解を超越した存在へと自らが昇華される、その瞬間を只管待ち続けた。

 

そして、その機会は第一次世界大戦末期に訪れた。

 

 

キール軍港での騒動により帝都が混乱を極め始め、遂に各種実験の停止命令が皇帝の名において発令されたのである。この報に博士たちは憤慨した。しかし逆らう余裕など残されておらず、全被検体の抹消命令が下された。博士は自分の夢見た全てが抹消されると言う、己の人生への全否定ともとれる命令に反発し、遂に研究所に籠城することを決断した。

 

博士は完全武装の兵士たちを連れて俺の前に現れて言った。

 

「本来、私の人生唯一の完成品である君を祖国に向けて解き放つことは誠に遺憾である。だが、私の人生を全否定しようとする国家などもはや何の価値もない。さあ、君の全能力を使って我が愚かしき祖国に、我々の研究成果を理解しようとしない異端者共に正義の鉄槌を下すのだ!!」

 

俺は鷹揚に頷いた。そして、自身の全身を拘束する紙切れの如き鋼材を引きちぎり、勢いに任せて博士の首をもぎ取った。

 

呆然と立ち尽くす他の科学者たちや兵士を待つことなく、俺は目につく人間を片っ端から抹消していった。

 

「被検体666号が暴走!被害多数!至急射殺せよ!繰り返す!被検体666号が暴走!被害多数!至急射殺せよ!」

 

緊急のベルが鳴り響き、非常事態を告げる放送が発令され続けていた。だが、どれだけ強力な兵器を以てしても最早俺を止めることなど不可能だった。

 

「撃て!撃て!撃て!」

 

「機関銃設置完了!目標被検体666号!撃ち方はじめ!」

 

兵士たちの掛け声とともに、研究所を血の海に染める俺めがけて一斉に鉄の嵐が降り注いだ。毎秒一千発にも及ぶ弾丸の雨を物ともせず、俺は生身のまま次々に完全武装の兵士達を殺戮していく。ある者はパンのように引き裂いて投げ捨て、またある者はミンチ肉を造る要領で拳により全身を粉砕した。

 

恐怖のあまり戦意を喪失した者にも容赦なく、俺は必殺の拳で挽肉に変えて行った。俺は自分の事を知る全ての関係者を抹殺しなければ完全な復讐と真の自由を得ることは不可能であると判断した。電光石火の勢いで職員や兵士を全員抹殺した俺は全身の機能を最大限に生かして残りの生存者を索敵、発見次第抹殺した。

 

 

研究所の制圧を完了した俺は施設全域にガソリンをまいて着火した。俺に関する全ての情報を記憶した後、あらゆる書類を完全に焼却した。

 

 

研究所を後にした俺は上層部の生き残りを抹殺する為に一年の潜伏の後に聾唖者として物乞いに扮して各都市を巡り、強盗殺人として処理されるように、また旅費に充てるために現金を奪いながら一人一人着実に抹殺していった。

 

 

 

そして192X年、俺は遂に書類に残されていた全ての関係者の抹殺を完遂した。この時ほど清清しい体験は後にも先にも未だ経験が無かった。俺はこの時やっと、真の自由を手にしたのだ。

 

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