深淵を穿つ 前編
ーーーーーーー深い、深い、深淵にいる。
私は彼女が欲しかった。私は彼女に笑って欲しかった。私は彼女に怒って欲しかった。私は彼女に泣いて欲しかった。私は彼女に楽しんで欲しかった。私は彼女に頼ってもらいたかった。私は彼女に信じて欲しかった。
私は彼女がーーーーーーーーーーーーーー好きだった。
救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。
彼女は水泡と共に溶けてしまった。彼女はどこにも居らず、私の心には孔が空く。孔には深淵が詰まっている。私は深淵に飲み込まれ、沈んでいく。
ーーーーーーーーーーーーーー全ては昏い海に閉ざされる。私の悔恨も親愛も、何もかもは流される。意識は消え、全ては深淵に塗りつぶされる。
ああ、これがーーーーーーー私の終わり。何も為せず、消えていく。ーーーーーーーだけど。
ほしが、みえた。
私の目覚めは、いつも最悪だ。
「…………また、あの夢か」
私は同じ夢をいつも見る。深い水底に沈み、全てが消えていく夢だ。どうしようもない悪夢だが、いつも見るのだからしょうがない。最悪なのは、その夢が私に与える影響だ。夢の私はどうやら誰かを亡くしたらしい。その喪失感が、私には常にある。物心ついた時から、ーーーーーーー私は得体の知れない喪失感を抱えて、誰かを探している。
それは欠落だ。私は顔も分からぬ誰かを探してる異常者なのだ。それでも時は巡っていく。いつも通りの喪失感を抱えた朝がやってくる。
「頂きます」
自分で作った朝食を食べる。この喪失感のせいで、私は孤独だった。誰にも理解されず、いや誰とも打ち解けようともせず壁を作っている。表面上は取り繕っているが、心では誰も信じていない。何故かは分からない。ただ私は両親含めあらゆる人間を信じることができない。だから、高校では無理を言って一人暮らしをしている。別に両親が嫌いだとかそういうわけではない。むしろこんな異常者を心配し、好きにさせてくれる両親には感謝しているくらいだ。ただ、信じられないのだ。胸の喪失感は誰も信じるなと言っているようで、私に疑心の鬼を宿らせる。この胸の喪失感が埋まる日は来るのだろうか、と無駄なことを考えながら登校の用意をする。
「…………いってきます」
無機質な声が、無人の部屋に虚しく響く。今日もいつも通り登校し、いつも通り授業を受け、いつも通り帰るだけだ。
「おはよう」
「あ、藤丸さん、おはよー」
クラスメイトに挨拶をして、自分の席に座る。そしてHRが始まるまで読書でもしようとしたが、クラスの雰囲気が妙にざわついてることに気づいた。
「どうしたの?」
と、隣の席に聞いてみる。
「ああ、何でも転校生が来るらしいよ」
「転校生? この時期に? 珍しいね」
「そうでしょ? だからみんな浮ついてるみたい」
「ふーん」
今の時期は7月。もうすぐ夏休みという時期に転校生が来るとは。まあそういうこともあるかと思い読書を始める。
そして、HRが始まり、噂の転校生がやってくる。大した興味も無く、読書をしていると自己紹介が始まる。
「あ、あの…………海外からやってきました、クリュティエ=ゴッホです。ど、どうかよろしくお願いします…………」
「外国人?」「かわいー」「ゴッホって、あの…………?」
と、クラスメイトが騒ぎ立てる中、私の心は酷く動揺していた。
「おいどうした藤丸? いきなり立ち上がって」
と、教師に言われて、私は席を立っていることに気づいたくらいには。
「す、すいません。ちょっとボーッとしてて…………」
そう答え、席に座り直す。
「そうか? まあいい。えーゴッホさんは、ギリシャの方から来た人でまだ日本に不慣れだそうだ。皆でサポートしてもらえると助かる。そうだなぁ…………よし藤丸。おまえの隣空いてるしおまえがサポートしてやれ」
「…………何故私が?」
「おまえ、部活も入ってないし暇だろ? それに成績も悪くないしな、適任だろう」
「…………まあ、わかりました」
「よし、じゃあゴッホさんは藤丸の隣へ」
「は、はい…………わかりました…………」
そう答え、彼女ーーーーーーーゴッホさんが隣に座る。
「私、藤丸立香。よろしくね、ゴッホさん」
「エヘヘ…………よろしくお願いします、立香さん…………」
ーーーーーーー正直、おかしくなりそうだった。胸の喪失感は彼女を見るとますます強くなり、苦しい。外面には全く出ていないはずだが、内面は荒れ狂っている。何故彼女にここまで揺さぶられるのだろうか。
昼休みになった。彼女に質問しようとクラスメイトがやってきたが、彼女は内気な性格らしく、追い詰めたらいけないと思ったのか、すぐに離れていった。あと、地味に日本語が完璧で、思ったより溶け込みが早かった、というのはあったかもしれない。
「ゴッホさん、お昼、一緒に食べる?」
と彼女に持ちかける。
「で、ではぜひ…………」
「オッケー」
彼女から許しが出たので机を合体させて昼食を囲む。
「ゴッホさんって、何が好きなの?」
と軽く聞いてみる。
「か、絵画を描くのが好きです…………」
「絵画かぁ…………なるほどねぇ」
苗字だから関係ないだろうけど、絵を描くのが好きなゴッホさんか、まるでかのヴァン・ゴッホみたいでちょっとおかしくなる。
「…………立香様、ゴッホは…………」
頭に走る違和感。何だ今のは。まるで彼女と昔会っていたような…………
「…………どうかされました? 立香さん」
「い、いや別に何でもないよ? じゃあ放課後、美術室を案内しようか? うちの高校、美術部もあるし」
「本当ですか⁉︎で、ではぜひお願いします…………」
と違和感もあったが、他愛のない会話をしながら、放課後まで時間は過ぎていった。
放課後。彼女を約束通り美術室に案内する。美術部は活動を開始していて、彼女を紹介すると、体験入部ということで彼女を部活動に加えてくれた。正直絵のことなんてある一枚以外はよくわからないので椅子を借りて美術部で彼女が終わるのを待とうとしたらーーーーーーー
「…………何で私を見てるの、ゴッホさん」
「…………ハウッ⁉︎そ、その立香さんにモデルになってもらえたらなと思いまして…………」
「何だ、そういうこと。別に良いよ、どうせ貴女が終わるまで待つつもりだったし」
「ありがとうございます! そ、それでは遠慮なく…………」
何故かモデルになってしまった。まあ別に構わないのだけれど。
「それで、どうすればいい? 何かポーズ取る必要ある?」
「い、いえ椅子に座っていただければ何をしてもらっても大丈夫です!」
「そう? じゃあ、終わるまで読書させてもらうね? 終わったら呼んで欲しいな、いつまでも付き合うから、遠慮しなくて良いからね」
「そ、そんな…………畏れ多いですよ…………」
「別に先生の言った通りいつも暇だから気にしないで」
「そ、そうですか…………」
何故か彼女を見ると放って置けない。こんな気持ちになったのは初めてで、自分でも戸惑いながら読書でそれを誤魔化す。
彼女が終わった頃には、夏なのに夜空は真っ暗で、随分遅い時間まで付き合っていたと実感する(なお先生には怒られた。当たり前である)
「す、すいませんこんな遅くまで付き合わせて…………」
「良いって良いって。まあ夜だし心配だから送ってくよ。ゴッホさんの家ってどのあたり?」
「えーっと、このあたりです…………」
「ん? ここ…………私の住んでるところだ。というか、隣の部屋だ。もしかして、ご近所さんだった?」
「えっ、立香さんもここに住んでるんですか? ゴッホと同じように、一人暮らしを?」
「うん、まあね。…………もし良かったら、これからも一緒に帰る?」
「えっ、良いのですか…………では、ぜひお願いします! ウフフ…………」
こうして、私たちは同じ帰路に着いた。
その日は夢を見なかった。