昨日は、あの夢を見なかった。これは初めてのことで何故だか自分でもわからない。ただ、胸の喪失感はいつもよりも強くなっている。何故だろう。彼女が来てから喪失感はますます強くなっている。良くも悪くも幼い頃から変わることはない感情だったが故に、この現状にどう対処すれば良いのか、私は分からない。彼女は私の胸をざわつかせる。私は、どうすれば良い。
とはいえ、世界は私の感情に関係なく廻っていく。だから、いつも通りに朝食を用意して、いつも通りに学校へ向かう。
ふと、隣の彼女が気になったので、彼女の部屋のベルを押す。
「ゴッホさーん。良かったら、一緒に登校しない?」
「ハウッ⁉︎あ、立香さん。ちょ、ちょっと待ってください〜!」
「…………ッ。わかったよー」
まただ。また、強くなる。一体夢の私は彼女と何の関係があるんだ。
しばらくすると、ゴッホさんがやってくる。彼女と一緒に他愛ない世間話をしながら、学校に向かう。
しばらくぶりに人と一緒に歩いたな。
「…………まだ、思い出してはいないのですね…………」
「? ゴッホ
何か言われた気がしたのでそうゴッホ
「ハウッ⁉︎い、いえ何でもないです…………そ、それよりもその呼び方は…………?」
「ん? …………アッ⁉︎ごめんね、馴れ馴れしくて」
何故いきなりちゃんづけで呼んだのだろうか。そんな馴れ馴れしく呼ぶタイプだっけ私。
「い、いえ別に大丈夫です! むしろ立香さんが構わないならそう呼んで欲しいです!」
「そう? ならこれからはゴッホちゃんで」
「ゴッホちゃん…………ウフフ…………」
「?」
幸い、彼女には不快ではなかったようで、ゴッホちゃんと呼ぶことにした。うん、何故だかゴッホさんよりしっくりくる。
ふと、胸の喪失感が弱くなっていることに気づく。何故かは分からないけど、強くなるよりは良いかと思い、そこでは何も思わなかった。
学校に着いた後は、特に何も変わらない1日を過ごした。ただ、喪失感は薄く、いつもよりも心なしか嬉しかった。
「藤丸さん、なんか良いことあった?」
「? いや特にないと思うけどなぁ」
「そう? いつもより明るい顔してるから何かあったのかと思っちゃった」
クラスメイトから見てもわかるくらいには、顔に出ていたらしい。
昼休み、昨日と同じくゴッホちゃんと一緒に食べる。
「ゴッホちゃん、今日も美術部にいく?」
「ハ、はい…………」
「そう、ならまた付き合うよ。まだ絵も完成してないでしょ? まあ、今日は早めに終わらせないとね、昨日怒られたちゃったし」
「そ、そうですね…………ありがとうございます…………ウフフ…………」
そうして放課後まで時間は過ぎ、昨日と同じく美術室でモデルになる。
私は本を読み、ゴッホちゃんは絵を描く。そんな時間が過ぎていく。
「…………そういえばゴッホちゃんてさ、どうしてこっちに来たの?」
気になって問いかけてみる。昨日見た描きかけの絵は、素人目に見ても、この美術部とはレベルが違い、日本に来るにしてももっと良い場所があっただろうに、何で取り柄も特にないこの普通な学校を選んだのだろう。
「…………探している人が、いたからです」
「いたってことは、もう見つけたの?」
「…………はい。ただその人は、ゴッホの事を覚えていませんでした」
「…………そう。ごめんね、変な事聞いちゃって」
ちくりと胸が痛む。何故だか、彼女にとてつもない罪悪感を感じる。彼女に会ったことなんてないはずなのに。
「い、いえ、覚えてないのなら、また新しく思い出を作っていけば良いのです。だから謝ってもらわなくても大丈夫です…………」
「…………」
気まずい時間が過ぎていく。何か重要な事を忘れている気がする。私はそれを取り戻さなきゃいけないという使命感に駆られている。
でも何を探しているのかは分からず、深淵に私は沈んでいく。
そして、時間は過ぎ、ゴッホちゃんと一緒に帰る。
「…………それじゃまた明日、ゴッホちゃん」
「はい…………また明日…………ウフフ…………」
彼女と別れ、部屋に入る。今日は何故か疲れた。夕食を用意する気もなく、軽くシャワーを浴びて、ベッドに入る。すぐに意識は沈んでいく。
ーーーーーーー深い、深い、深淵にいる。
わたしは彼女が欲しかった。わたしは彼女に笑って欲しかった。わたしは彼女に怒って欲しかった。わたしは彼女に泣いて欲しかった。わたしは彼女に楽しんで欲しかった。わたしは彼女に頼ってもらいたかった。わたしは彼女に信じて欲しかった。
わたしは彼女がーーーーーーーーーーーーーー好きだった。
救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。救えなかった。
彼女は水泡と共に溶けてしまった。彼女はどこにも居らず、わたしの心には孔が空く。孔には深淵が詰まっている。わたしは深淵に飲み込まれ、沈んでいく。
ーーーーーーーーーーーーーー全ては昏い海に閉ざされる。私の悔恨も親愛も、何もかもは流される。意識は消え、全ては深淵に塗りつぶされる。
ああ、これがーーーーーーーわたしの終わり。何も為せず、消えていく。ーーーーーーーだけど。
たいようが、みえた。
「ーーーーーーーゴッホちゃん!!」
「ああ、立香様ーーーーーーー」
だれかにてを、つかまれた、きがした。
「…………なに、いまの」
今日は夢を見た。でもいつもとは違った。いつも見る夢に出たのは星だった。今日の夢は太陽だった。そして、夢のわたしは誰かにひっぱりあげられた。あれは誰だろう。どうしようもなく、嫌悪を覚える…………嫌悪? それはおかしい。あの誰かに感じる思いは、郷愁や憧れ、親愛など正の感情であるはずだ。何故嫌悪を覚える? いや、これはーーーーーーー嫉妬? 私は嫉妬しているのか。あの誰とも知らぬ誰かに。私をひっぱり上げてくれる誰かに。
「…………今日は学校休も」
どうしても、胸がざわつき、学校に行く気にならない。普段は出てるし、1日くらいは良いだろうと学校に連絡する。
「ハァ…………」
ベッドに横たわり、天井を眺める。
ドアベルが鳴る。
「立香さん? ゴッホですけど…………大丈夫ですか?」
「ゴッホちゃん? …………うん、大丈夫だよ。ただ今日はしんどいから、ちょっと学校は休むかな」
「そ、それならゴッホを側にいさせてください!」
「どうして? 学校に行った方が良いんじゃない?」
「…………ゴッホは、立香さんの側にいたいからです」
「それって…………」
「と、とにかく入れてください!」
「…………わかったよ」
ゴッホちゃんを中に入れる。
こっちはパジャマであっちは学生服だから、ちょっとおかしかった。
「それで、どうしたの? 私の側にいたいって…………うわっ⁉︎」
ゴッホちゃんに問い掛けようとしたら、ベッドに押し倒された。彼女が馬乗りに私の上にいる。
「…………覚えては、いないのですね」
「覚えてないって、いったい何を…………「立香さん」」
「ゴッホは、立香さん、いえ立香様のことをお慕い申しております。貴女がいなければ生きる価値なんてない、と思うほどに。貴女が覚えていなくても良い、それでも、ゴッホは、わたしは、貴女の側に居続けたいのです」
「…………なんで、そこまで…………」
「理由は言えません。ただ、わたしは貴女をもう手放したくないのです。もう、貴女と別れたくないのです…………だから、どうか、お側にいさせてくださいーーーーーーー」
彼女は泣いていた。その泣き顔は無性に私をざわつかせ、私の心を刺激する。彼女に手を伸ばせ、と。気づくと身体が、彼女を抱きしめていた。彼女を抱きしめると、喪失感が少し、薄れた。そして、ずっとこうしていたいと思った。
「立香、様…………?」
「ゴッホちゃんには申し訳ないけど、私はキミの事を知らない、覚えてない。ーーーーーーーでも、キミと一緒に居たい。それだけは、キミと同じ気持ちだ。だから、いいよ」
「あ、ありがとうございます…………ウフフ…………」
ーーーーーーーその日は彼女と一緒に学校をサボり、一緒に抱き合って眠った。