──────夜の帷が落ち、決着の刻がやってきた。
私には狂気がある。好きな人を害したいという狂気。その狂気は肥大したエゴとして私の心を塗り潰し、醜い獣へと堕とす。──────だけど、私は狂気の奥底に沈む想いに気付く事ができた。だから、きっと大丈夫。狂気というものに善悪は無い。ただそこに在るだけだ。その根源を理解すれば、ジャバウォックの怪物はヴォーパルの剣で打ち倒される。
…………なんて、色々心の中で、述べるけど本当は怖い。私のこの想いは彼女に伝わるだろうか。気持ちというものは複雑だ。どんなに言の葉を重ねても、それが本来の意思とは違う方向にズレることなんて星の数のようにある。私は彼女に、この気持ちを余すことなく伝えられるだろうか。受け入れてくれるだろうか。不安で胸が張り裂けそうになる。でも、初めての恋なんだ。例えそれが儚く散るものだとしても、私は、この気持ちを伝えたい。このままじゃ進められないから。
そして、やきもきしながらマイルームで待っていると、その時間はやってきた。控えめにドアが叩かれる。
「…………どうぞ」
「エヘヘ…………失礼します立香様…………」
「…………ゴッホちゃん」
「はい、立香様」
「君に、伝えたいことがあるんだ」
「…………なんでしょう? …………ハッ⁉︎もしかして、ゴッホがいらなくなったのでしょうか解雇通知なのでしょうか差し出がましい真似でしたでしょうかごめんなさいごめんなさいごめんなさい改めるのでどうか解雇だけは許してくださいお願いします」
「いや違う違う違う! 落ちついてゴッホちゃん!」
なんだか、慌てているゴッホちゃんを見ていると、不安な気持ちが吹き飛んだ。ゴッホちゃんを落ち着かせて、一緒に深呼吸して、告白を始める。
「別にゴッホちゃんが嫌いになったとかいらないとかそういう訳じゃないんだ。むしろその逆」
「へ…………? どういうこと、でしょうか?」
「…………私は、ゴッホちゃん、君が好きだ。君を愛してる」
色々考えていたけど、結局シンプルな言葉になってしまう。さて、ゴッホちゃんは受け入れてくれるだろうか──────
「………………」
「ゴッホちゃん?」
どうしたんだろう、とゴッホちゃんを見ていると、彼女は頬を真っ赤に染めて呆けた顔をしていた。
「…………りつか、さま。それは、このゴッホを、このいぎょうのばけものをすいている、ということでしょうか」
震える声で彼女が紡ぐ。誠意を持って私は答える。
「そうだよ。私は君が好き。絵を描く君が好き。海月の君が好き。白い向日葵の異形の君が好き。君を愛してる。私は君という海の月に狂わされたんだよ」
「…………ゴッホにとって立香様、貴女は太陽です。焦がれるほど恋しく、そして時にその輝きを疎ましく思う。深い水底に堕ちてきて欲しいと願う、醜い化け物です。それでも良いのですか?」
「醜いというなら私も同じだよ。ゴッホちゃん、私は君が好きだ。だけどどうしようもなく君を傷つけたいと思ってる」
「それはどういう…………」
「君のことを見ると愛しいと思うと同時に君を傷つけたい、君を貪りたい、君を独り占めにしたいって思うんだ。そんな醜い欲望が私の中で渦巻いてる。そんな醜い私を君は受け入れてくれる?」
「…………ゴッホは、わたしは、正直言って恋というものがよくわかりません。だけど、貴女はわたしという自己すら不確かなサーヴァントを救い上げてくれた。そんな貴女からの好意は、どのような形でも嬉しいです。貴女の側にいつまでもいたいと思います。貴女がよろしいのであれば…………わたしといっしょに、深く昏い海の底に堕ちてくれますか?」
「もちろん。君といっしょなら私はどんな場所にでも堕ちていくよ」
そう答えると彼女の姿が美しい向日葵の異形に変わる。
「ゴッホちゃん?」
「…………エヘヘ…………立香様はゴッホを傷つけたいんですよね? ゴッホも、痛いのは好きです…………だから…………どうか、この異形に愛をください…………」
部屋の明かりが消え、鍵が閉まる。
「私は、君が思っている以上に、君に狂ってるよ」
そして、狂宴が始まる。だけど、昨日までと違い、苦しみはなかった。本能と理性は共に狂い、彼女を貪ることにはただ悦びを感じるだけ。そして、彼女もまた悦んでいる。お互いの気持ちが通じ合っていることが何よりも嬉しい。狂った夜は幸せに過ぎていく。
私達の関係は狂っている。だけど、これで良い。どこまでも彼女と堕ちていこう──────
朝の雲雀が鳴き、夜の帷は上がる。私達は血だらけで、側から見ればどう見ても事件現場だったが、お互いに笑っていた。幸せだったからだ。
「ゴッホちゃん、これからもよろしくね」
「いつまでも貴女の隣に…………例え死が訪れようとも、わたしと貴女は共に在ります」
そして、どちらからでもなくキスをする。初めてのキスは、血の味がした。
いつも通りに部屋を片付け、一緒に食堂に向かう。
だけど、昨日までとは違い、彼女に手を絡める。
「…………立香様?」
「ゴッホちゃんと手を繋ぎたかったんだけど…………ダメ、かな?」
「〜〜〜〜〜〜〜ッ」
彼女の顔が紅く染まる、だけど彼女も私に握り返してくれる。
私達の進む先は、深い水底だけど、水底には光が満ちていた。
あの日から数日経った。告白し、受け入れられたことで私とゴッホちゃんは恋仲になったが、基本的には以前と変わらない生活を送っている。変わった点は、ゴッホちゃんと一緒に過ごす時間が増えたことだ。何も無い日は一日中ゴッホちゃんと一緒に過ごしていることもある。
私達の関係は狂気的としか言えないが、普通の恋人、らしいこともしている。例えば、一緒に絵を描くこともあるし、何もせずダラダラと一緒のベッドで過ごしている時もある。
特に何も他の人達には言ってないけど、隠すつもりもないからか皆にバレていて、よく色んな人に冷やかされる。だけど悪い気はしない。私と彼女の仲を認めてくれるようで。ああ、私は幸せだ。
ゴッホは、とんでもないことをしたと今でも思っている。あのバレンタインの日、立香様に贈った絵にはゴッホでも気づかない無意識の仕掛けが施されてあったのだ。ゴッホが無意識に立香様の事を想い、だけどその情念を奥底に留めたのが悪かった。あの絵には若干ながら虚数美術が掛けられていて、絵の所有者はその効果により、自分の内なる狂気を増幅させてしまう。
狂気とは感情だ。つまり、あらゆる感情は狂気的に歪んでしまう。実際立香様はしばらくゴッホの事を避けていたし、気になってゴッホが訪れた時は、発狂寸前だった、と言えるだろう。それ故に、毎夜繰り返される夜の出来事は当然役得の意味合いもあったが正直立香様への贖罪と、発狂を抑える意味が強かった。痛いのは好きだから悦べるはずなのだが──────苦しみながらゴッホを貪る彼女の顔を見ると、どうしても悦ぶ気にはならなかった。
そしてある夜の折、立香様は限界に達してしまった。彼女は善性の人間だ。だからこそ、彼女はゴッホを貪る自分に耐えられなかった。応急処置的に眠らせたが、限界を迎えつつある彼女にどう応えればいいか、正直途方に暮れていた。
──────だけど、この時のわたしには一つ気づいていない事があった。あの絵は狂気を、感情を増幅させる。1を100にするようなものだ。つまり、0から1は生み出せない。彼女が己の内なる狂気に苦しんでいたのは、ゴッホを忌むから、嫌うからではなく、ゴッホを想い、愛してるからこそ傷付けるという矛盾を孕んでいたからだ。
そして、朝、立香様が目覚めた時、彼女の目には、光が宿っていた。ゴッホが恋焦がれ疎ましく思う、太陽の輝きがあった。
そこから、この関係を終わりにしようと言われた時は、正直世界が反転しそうなほど動揺したし、その日はずっとネガティブだったけど。夜呼ばれた時もすわ解雇通知かと動揺して恥ずかしいとこを見せてしまった。いや、恥ずかしいというならいつも通りな気もするけど。
閑話休題。
その後、彼女に告白された時、わたしはさらに動揺した。彼女が、この異形の化け物をそんなにも想っていたことに。その時わたしの内に沸いた感情は、罪悪感であり悦びだった。
太陽の貴女には太陽のままでいて欲しかった。わたしのために堕ちてきて欲しくなかった。きっと、灼き尽くされてしまうから。だけど、太陽の貴女は堕ちてくれた。わたしという海の月のために。貴女の輝きはわたしのものだ。そんな感情に支配される。
しかし、それだけじゃなかった。彼女はわたしを傷つけたいという狂気を持っている。故にこそ苦しんでいた。その告白を聞いて、わたしは認識を変えた。彼女は太陽であることは間違いない。だけど、それ以前に普通の人間なのだと。太陽が堕ちたのではなく、人として、わたしに堕ちてくれたのだと。ああ、わたしは幸せものだ。だってこんなにも愛されている。だから、もう逃さない。貴女はわたしといつまでも深い深い水底に行くのだ。大丈夫、怖くはない。貴女がいれば昏い海の底も明るい光の世界へ生まれ変わるのだから──────
──────立香様の独占欲に負けないくらい、ゴッホは、クリュティエは、わたしは、貴女を逃したくないですよ? エヘヘ!
世界が漂白され、この惑星が私達数人だけの寂しい惑星になっても、日常は巡っていく。
さあ、今日は彼女と何をしようか。
ゴッホちゃんはかわいい
多分後日談的に続き書きます