若干テイストを変えてみました
見直してみてちょっと気になったから加筆修正
今日も私は仕事を終えて帰路につく。辺りは既に真っ暗だ。
「あ゛〜つっかれたぁ〜〜今日もキツかったなぁ…………」
私の名前は藤丸立香。職業は会社員。どこにでもいるただの社会人だ。私が勤めている会社は繁忙期こそ残業上等な忙しさになるが、閑散期は暇だし給料も悪くない。きっちり残業代も出るし、完全に週休二日だし(繁忙期を除く)で居心地も良い。個人的には、ホワイト企業と言えるだろう。
今は繁忙期で全員忙しい時期だ。まだまだ新人の私も容赦なく駆り出され、クタクタになって家に帰る。
そんな、ある夜の事。
「…………ん?」
視界に妙なものが入る。よく見ると、誰か蹲っているようだ。酔っ払いかな。
「…………まあ、ほっとけないか」
季節は冬。こんな場所にいたら凍死しかねない。急いでその人物に駆け寄る。
「おーい、大丈夫ですかー?」
「…………………………」
反応がない。脈はある。とりあえず上着を着せて警察でも呼ぼうとすると
「うん?」
腕を掴まれる。
「…………優しい方。警察は、勘弁してもらえると、助かります…………エヘヘ…………」
聞こえて来たのは、低いような高いような不思議な声。察するに、蹲っている誰かは女の子らしい。なんか小さいし。
「でも、放っておくわけにも…………」
「エヘヘ、ゴッホは慣れてますので…………それに、いっそもう死んだ方が…………」
「…………はぁ。仕方ないか」
上着を彼女に着せて、背中に背負う。
「え、ちょっと何を…………」
「警察は嫌なんでしょ? 目の前で死にそうな女の子を放置するのも後味が悪いし…………」
見るからに厄介な事情を抱えていそうだけど、だからと言って目の前で死にそうなのを見捨てるのもなぁ。そんな個人的な感情で、新しい荷物を抱えて帰路につく。
「…………酷い方。エヘヘ…………」
そんな声と共に、寝息が聞こえ始める。気が抜けたのだろう、そう思い気持ち急いで暖かい家に戻る。
数分後。家に着いたので、とりあえず彼女をベッドに運ぶ。布団を被せて暖房を入れて、と。とりあえずこれで大丈夫だろう、と思い遅めの夕食の準備や着替えなどをやっていく。
ちょうど夕食の準備が終わる頃、彼女の声が聞こえる。
「…………ここは…………」
「あ、起きた? 私の家だよ。…………ああ、私の名前は藤丸立香だよ。お腹空いてる? とりあえず君の分も用意したけど…………」
「いえ、これ以上迷惑をかけるわけには…………」
そう言いかけた彼女の声を遮るように、大きな腹の虫が鳴る。
「なんだ、空いてるじゃない。別に迷惑なんて思ってないからさ、食べてよ」
「…………………………はい…………………………」
恥ずかしいのか、赤面しながら彼女は起き上がった。
「いただきます」
「い、いただきます…………」
夕食を始める。随分食べていなかったのか、彼女の食べっぷりは気持ちいい。直ぐに夕食を平らげてしまう。
「…………おかわり、いる?」
「え、えっと、その…………お願いします…………すいません…………」
「良いって良いって。気にしないで。はいこれ。詰まらせないようにね」
彼女におかわりを用意する。おかわりもさっきと同じ速さではないけど、それでも目を見張るくらいの速さで平らげる。
「…………ごちそうさまでした」
「どうだった? 口にあっていたら嬉しんだけど」
「…………美味しかったです。わたしには勿体無いくらい…………」
「それなら良かった。お皿、そのままで良いから布団で休んでても良いよ。君の自由にして」
「え、と…………じゃあ、その、ご飯、ありがとうございました…………あの、これ以上迷惑はかけられないのでゴッホはここで…………」
そう言うと、彼女は立ち上がって部屋から出ようとする。慌ててその手を掴んで止める。
「待ってよ、どうするつもり?」
「もう、疲れたので…………最後に美味しいご飯、ありがとうございました…………これで…………」
「…………とりあえず、座りなよ。話くらいは、聞くからさ」
「…………………………」
しばらく逡巡していたようだったが、どうやら諦めたらしく、座りなおす。そこから、ぽつりぽつりと語り出した。
彼女の名前はゴッホ。というか、自分の名前を忘れたらしい。絵が好きで、ゴッホのようと言われていたから歴史的・世界的に有名なかの画家の名前を名乗っているとか。
「…………どうして、自分の名前を忘れたの? いや、言いたくないなら言わないで良いんだけど」
「…………………………えっと、ゴッホは両親を亡くしていまして…………親戚に引き取られたのですが、親戚とソリが合わなくて…………ウフフ、まるで彼のよう…………彼もわたしのように、親戚とソリが合わなかった…………! …………ならば、やっぱりわたしの末路は…………!」
「落ち着いて、ゴッホちゃん」
彼女の手をとって静かに握り締める。
「ハウッ…………あ、すいません…………親戚に引き取られてからの記憶は辛く…………思い出すとつい心がざわめくのです…………わかっているのです、わたしは彼ではないと…………だけど…………彼にわたしを重ねなければ、耐え難く…………」
よく見ると、彼女はこんな寒い時期にも関わらず、私が着せた上着以外の服を着ていない。大きなズボンを無理矢理胸の方まであげているだけだ。そして、顕になっている箇所からちらほら傷跡のようなものが見える。…………虐待、だろうか。
「…………なんで、こんな寒い中行き倒れてたの?」
「ゴッホが18歳になった、からでしょうか…………用済みと家を追い出されたのです…………もう帰ってくるな、と…………エヘヘ…………彼と、一緒…………」
18歳。私が最初に見た時の印象よりも遥かに上だ。よほど酷い環境だったのだろう。彼女の身体は碌に成長していない。…………子供に見えるほど。
「…………ですので、どうかゴッホにはお構いなく…………忘れてください…………どこか遠くに消えますので…………あ、これもお返ししますね…………暖かくて、忘れてました…………エヘヘ…………」
彼女が私の上着を脱いで再び立ち上がる。このまま座っていたら、今度こそ彼女は消えるだろう。この寒い空に。行くあてもなく。…………うん。正直言って、後味が悪すぎる。
「…………なんでしょうか」
気づけば、彼女の腕を掴んでいた。
「やっぱり、放っておけないよ」
「…………なら、どうするというのでしょうか…………ゴッホに、もう関わらないでください…………」
彼女に腕を払われる。でも、諦めない。もう一回掴み直す。
「ね、ゴッホちゃん。君、帰る家が無いんだよね」
「…………はい。それが何か…………?」
「じゃあ、ウチにいてよ。別に外行っても良いからさ、ウチに帰ってきて。ここを、帰る場所にしたら良い」
正直言って最初に拾った時に、半分覚悟は決めていた。
「…………何故、そこまで──────」
「言ったでしょ、後味が悪いって。拾ったんだし、最後まで面倒みるよ」
「…………まるで、動物みたい、ですね…………エヘヘ…………」
「それで、どう?」
彼女に問いかける。彼女は長い間逡巡した後、折れたらしい。おずおずと座り直す。
「…………えっと、迷惑を沢山かけると思いますが…………お願いします…………」
冬のある日。彼女との生活が始まった。
しばらく後。
「じゃあ、行ってくるねゴッホちゃん!」
「エヘヘ…………行ってらっしゃいませ…………」
彼女──────立香様を見送り、鍵を締める。部屋にはわたし一人が残される。
「さて…………今日の家事を、しましょうか…………」
ここに来て最初の数日は、日中ぼーっと過ごすだけだった。何もしなくて良い、という状況は初めてで、逆に何もする気がなくなっていた。自由に何かをやる、ということを忘れていたとも言う。ベッドで天井を眺めるだけ。彼女が、立香様が帰って来たら一緒にご飯を食べて一緒に眠る。
しばらく経つと、ベッドから抜け出すようになった。…………まあ、それ以外は変わらないのだが。リビングでぼーっと窓の様子を眺めていた。
そんな風に時間が経つうちに、ダラダラ過ごす罪悪感の方が強くなり、気づけば家事をしていた。
…………罪悪感から逃げるための逃避でしか無いけど。立香様も喜んでくれるし、と自分を納得させて立香様がいない日中は家事をしている。…………多分、無意識で立香様に捨てられたく無いと思っていたのだろう。背負ってくれた彼女の暖かさを零したくないと。
幸い、親戚の家で一通りの家事は叩き込まれている。あの日々は辛い記憶だが今役に立っているのを見ると、人生何があるかわからない。
そんな穏やかな日々を送っていた時のことだ。
「…………これは」
今日はいつもより細かい場所の掃除をしようと思って収納を片付けていると、埃を被ったスケッチブックを見つけた。スケッチブックは長年使われていないようで、若干端が古びていた。中を見てみると、中ほどまで絵が描かれているが、後のページは白紙だ。
「立香様のもの、ですよね…………」
表紙を拭うと、彼女の名前が出て来た。学校の文字が見えることから、学生時代に使っていたものだと推測できる。学校の授業で使っていたものだろうか。
パラパラと彼女が描いただろう絵を見てみる。純粋に評価するなら、下手ではない、と言ったところか。でもわたしは好きな絵だ。彼女の人柄を表しているような絵で。そんな風にしばらく眺めていると、胸に懐かしい気持ちが去来する。
「絵、描いてみたい、ですね…………」
口に出してしまうと、止められない。長年描いていなかったが、わたしは絵が好きなのだ。…………だから、ゴッホを名乗っているのだ。心に余裕が出来たからだろうか、久しく抱いて無かったはずの欲望が溢れて止まらない。
「1枚だけなら、大丈夫、ですよね…………」
スケッチブックはまだまだ白紙が多い。後ろの方を使えば、きっと大丈夫。埃も被ってたし、バレないバレない。そんな考えが頭の中を駆け巡る。わたしはその誘惑に勝てず、立香様の思い出の品を汚すという最低な行為の自覚を持ちながら、震える手で鉛筆を持った。
静かに絵を描く。久しぶりに描いたからか、線が歪む。そんな自分に苛立ちながらも修正していく。頭の中に思い浮かぶのは、彼女の顔。それをイメージしながら白紙に線を重ねていく。しばらく続けると、絵が完成する。だけど
「…………違う、こうじゃ無い。やり直し」
完成させた絵は、わたしが思い描く彼女の顔から、酷く掛け離れていた。昔のわたしなら、もっとちゃんと出来たのに! 衰えてしまったわたしの腕に嘆きながら、先程描いた絵の裏にもう一度やり直す。今度こそは、と思いながら。
しかし、次も駄目だった。さっきよりは上手く出来たが、不満は残る。
「…………こんなのは、
気づけば、1枚だけという制約を忘れて、わたしは次のページを汚していた。
時が経つのも忘れて、何度も何度も線画を繰り返す。自分が誇れる輝きを失うことが怖くて、紙を浪費していく。周囲の景色が消えていく。わたしには、もうスケッチブックしか見えていなかった。
そして、どれほどの時が経っただろうか。
ようやく、納得のいく一枚が出来た。
正直不満はまだ残っているが、現状ではこれが限界だ。スケッチブックをみると、後数枚というとこまで使いこんでいた。
それを見て正気に戻る。
「あ…………ど、どうしましょう、立香様に怒られる…………」
流石にここまで使ってしまえば、バレてしまう。立香様に怒られる、いや立香様に捨てられてしまうかもしれない──────
「いや別に怒る気なんて無いけど…………」
「…………え?」
声のした方向を見ると、立香様がいた。血の気が引く。
家に帰ると、ゴッホちゃんが何かやっていた。私が帰ったのに気づかないくらい熱中しているらしい。何やってるんだろうと思って見てみると、スケッチブックに絵を描いている。そういえば絵を描くのが好きって言ってたな。思い返しつつ、楽しそうなので邪魔しないようにしばらく見守る。
1時間くらい経っただろうか、満足したのか彼女が鉛筆を置く。
と、何かに気がついたのかいきなり震え出した。
「あ…………ど、どうしましょう、立香様に怒られる…………」
と彼女が呟く。よく見ると、スケッチブックは私が昔、学生時代に使っていたものだった。きっと掃除をしていた時に見つけたんだろう。正直、存在を忘れていた。
「いや別に怒る気なんて無いけど…………」
「…………え?」
あ。うっかり声に出てた。ゴッホちゃんがこっちを向く。しばらく見守るつもりだったけどまあ言っちゃったものは仕方ないので方針切り替え。
「えっと、別にゴッホちゃんが絵を描いてたからって怒んないよ?」
「…………ッ立香様⁉︎一体いつから⁉︎」
「あー、えっと、1時間前からくらい? ゴッホちゃん楽しそうだったから声かけづらくて」
「す、すいません…………すぐ片付けますので! …………あ」
彼女が片付けようと慌てて立ち上がると、何かに気付いたのか立ち止まる。
「どうしたの?」
「…………これ、立香様のでした…………たまたま見つけたのを見たら我慢出来なくてつい…………汚してしまってすみません…………」
彼女にスケッチブックを渡される。正直なんで実家から持って来たのか忘れるくらいにはどうでも良いんだけどな…………
「ね、中見て良い?」
「? …………はい、どうぞ…………」
パラパラとめくっていく。最初の方は私が昔描いた絵。懐かしいと思いながらめくり続けると、中盤から彼女が描いたであろう絵に切り替わる。彼女が描いていたのは─────私の顔だった。私の顔が何枚も描かれている。何枚もある私の顔にちょっと恐怖を覚えなくも無いが、冷静に見てみると違いがあることに気づく。後ろの方から前、つまりスケッチブックの裏から表にかけて少しずつ少しずつ修正? されているのだ。例えば一番後ろに描いてある絵は、若干線が歪んだような跡が見られるけど、ページを追う事にそんな跡が無くなっていく。一番最後の絵は、瑕疵がどこにも見当たらない、素晴らしい絵だった。…………美化されてて若干恥ずかしいけど。
「とりあえずさ、私は怒ってないよ。このスケッチブックだって長い間使って無かったし。むしろ使ってくれてありがとうって感じ」
彼女を安心させるために怒ってないことを示す。まあ、本音だしね。
「は、はい…………ありがとうございます…………」
「それよりも、さ」
「な、なんでしょうか…………?」
「なんで私をモデルにしたの? あ、いや怒ってるんじゃなくて、気になっただけで」
一番気になる疑問を聞いてみる。絵を描くのはわかるけど、なんで私がモデルなんだろ?
「…………えっと、それはですね…………気付いたら、そうなっていたというか…………すいません、よくわかりません…………」
「ふーん。まあ、良いや。絵、上手かったし」
「…………本当ですか?」
「ん? うん、上手だったよ? ゴッホを名乗るだけはあるなーって感じ。…………もし良かったら、今度また描いてみる?」
「…………はい…………描いてみたいです…………」
「ん、オッケー。じゃあ今度一緒に道具を買いに行こう」
「…………へ?」
「だって、絵が好きなんでしょ? じゃあスケッチブックと鉛筆だけじゃなくて、ゴッホちゃんが描きたい絵を描けるようにしようよ」
「…………………………」
沈黙が流れる。やがて、彼女が口を開く。
「本当に、良いのでしょうか…………わたしは、所詮穀潰し…………そんなわたしにあなたの財を注ぎ込むことが、許されるのでしょうか…………」
「別に良いよ。使い道無くて余ってるし…………私が君の絵を見たいんだもの」
実際、鉛筆だけでこんなに上手なのだ。きちんとした道具を与えたらどうなるか、気になって仕方がない。
「本当に、良いんですか…………わたし、絵に妥協は出来ませんよ…………」
「良いって良いって。君の好きな絵を描きなよ」
「…………………………」
彼女が俯く。しばらく悩んでるようだったが、やがて顔を上げる。
「では、図々しくも、貴女にお願いして良いでしょうか…………絵を、描きたいと」
「良いよ。君の、ゴッホちゃんの思うままに描いた絵を、私に見せて欲しいな」
「はい…………! 立香様、ありがとうございます…………! ゴッホに、再び絵を描かせてくれて…………!」
そう言った彼女の目は、涙に満ちていた。
「ほらほら、泣かない泣かない。君を拾った時点で、これは私がやるべき事なんだから。さ、ご飯食べよ?」
彼女の涙を拭く。
「…………はい!」
大輪の笑顔が、そこには咲いていた。
立香様のおかげで、わたしはもう一度絵を描くようになった。日々の家事を終わらせて、残りの時間で絵を描く。絵を描くのは楽しくて、つい時間を忘れてしまう。気付いたら立香様が覗いていて、ついドキリとする。
何故だろう。彼女といると心が温かくて、ドキドキする。そんなことを思いながら、鉛筆を走らせると無意識に彼女を描いている。そういえば、スケッチブックを無断使用した時も何故か無意識に立香様を描いていた。
彼女はわたしの拠り所だ。温かさの象徴とも言える。だから彼女を無意識に描いているのではないだろうか、と考える。─────それは、正しいけど何か足りない。それは、この胸の高鳴りを説明しない。
無意識に彼女を描き続けながら、考える。やがて、思考は一つの答えを導き出す。
───────わたしは、彼女に恋してると。理由はきっと、彼女の温かさ、だろう。わたしは彼女の温かさに惹かれている。あの温かさにわたしの凍てついた心は溶かされたのだ。
自覚すると、顔が赤くなる。…………………………でもきっと、立香様はわたしの事を恋愛対象と思っていない。妹みたいなものと思ってるだろう。きっと、今のままでは成就しない。
だったら、その認識を塗り替える。今は立香様の庇護下にあるけど、いつか抜け出して、彼女に並ぼう。そして、告白しよう。
大丈夫、わたしはゴッホ。彼の名前を借りるもの。それに相応しくあれば、きっと並び立てる。
──────さあ、描かなければ。
エルダーフラワー・コーディアルは美味しい