single-minded Agnes Tachyon. 作:Nautilus
『ティアラ路線の女王の勝利か、史上5頭目の連覇か、それとも伝説が有終の美を飾るのか、冬晴れの中山競馬場に、様々な思いが渦巻いて第〇〇回有馬記念を迎えようとしています』
嗚呼そうだ、執着や意地、存在証明といった様々な感情、思い、決意をここに集う者たちは抱いている。それらは決して純真なものではない、酷くエゴに満ちたものだ。だからこそ美しい。さあもうすぐだ、鼻先が触れるほど近くにあるゲートがもう開こうとしている。
『さあ大歓声の中、第〇〇回有馬記念、今スタートしました。おっとアグネスタキオン出遅れたか』
各々が自らの狙うポジションへと、蹄鉄を芝へと打ち鳴らす音がコートに響き渡る激しく目まぐるしい展開の中私はそれ等に追いすがるように少し遅れてゲートを出た。
出遅れたか、まあ、久し振りのレースでブランクがあるから仕方ない、と選手や観客など誰もがそう考えるだろう。
違う、これも作戦の内だ。狙い通りカフェの後ろの位置に自然に付けた。さあ、後はインコースギリギリを突きスタミナの温存に努めながら、後半まで追走するだけだ。
『1000ⅿの通過タイムは1分を切りました』
流石スカーレット君だ、なかなかのペースを刻んでいる、しかし予想通りだ。そしてレースは中盤を迎えたという事はもう来るはずだ、カフェによる常識外れの戦法が。
(よし!外枠だったけど上手くハナをとれた!あとは、レースプラン通りに走ればスタミナは持つ!)
スカーレットは春天までは厳しいが有馬記念であったら問題なく走り切れるスタミナは持っていた。その上、坂路なども苦手としなかった。そして、秋天での後悔によりレースプランナーになるため特訓を重ねていた。
そのとき、順調に走っていたスカーレットに突然、疲れがドッと押し寄せてきた。
(な、なんで急に!?)
突如として息が荒くなり、足が重くなり始めた。それは、その瞬間スカーレットのレースプランが崩壊したことを意味している。
(だけど、もうレースは後半に入ってる!コーナーで息を入れることができれば走り切れるはず!)
プランが崩壊してなお、レースプランナーとして、即座に計画立案を行ったスカーレットは落ち着きを取り戻そうとしていた。
レースは第三コーナーに差し掛かろうとしていた
(いやはや、データでは把握していたが、まだ私は疑いを持っていたようだねえ)
タキオンは、前の集団が今までののペースを維持しようと急くがスカーレットが勢いを抑えるのを見てペースを落とすという流れが行われるのを見ながら、密かに驚いていた。そして先頭をひた走るスカーレットを見遣り考える。
(スカーレット君は息を入れ、最後の直線に備えようとするだろう。だがカフェがそれ許さないだろうねぇ)
生粋のレースプランナーたるタキオンがそう考えた時、タキオンは前を走るカフェの影が不自然に伸び、その体躯を膨張させたかと思えば、カフェの姿がブレたような、二重になったような気がした。
タキオンはハッと、一瞬だけ持っていかれた思考を戻すと同時に、前の集団を観察し、先ほどのスローな展開に移行しようとしていたのとは打って変わってハイペースになっていた。
(ここまでの展開はすべて予想通りに進んでいる!さあ攻勢に出ようか)
第三コーナー中盤というところで、スタミナを失った上で何者かに追われているように掛かっている前の集団がコーナーを膨らみながら通過している。タキオンは空いた内をグングンと進行し、直線に入るころには先行集団の中でも最前に位置していた。順番で言うと3番手ぐらいであろうというところにいる。
(さあ、スタミナは十分残っている。カフェは先行集団が壁になって大外を走りざるを得ないだろう、差し切らせてもらうよ、スカーレット君)
アグネスタキオンの、幻の無敗三冠バの、日本競バ史に名を遺す閃光の末脚が、真紅の女王を捉えていた。
タキオンさんが最内を通っていきましたか、私を、お友達を利用する形で…。流石に、レースプランニングや作戦の域であの人に敵うわけはありませんでしたか。ですが、不思議と焦りや苛立ちは全く湧いてこない。
思えば、この有馬記念が決まったときから、魂が奥底で震えるような、叫ぶような感覚が止まなかった。正確にはあの人とレースで走れると思い至ったときからですが。その時から、いえ、さらに前から私の心に募っていたあの人とレースをしたいという欲望が。酷く明快でありながら醜いほどドロリとした感情が。私はそれに諦念で蓋をしていたのに、今、この場において、魂が自らを縛っていたものを取り払い赴くままにふるまっている。
前には先行集団が壁となって私に立ち塞がっている。普段であったら影に潜み大外を回るのが定石。しかし、今日に限ってはあの子のような、いや、それ以上の威圧感を以て道を切り拓く。間を縫うのではなく、間を作り出すように、あの子の足跡を辿るのではなく踏み荒らし、上書きするかのように。
私はあの、待ち焦がれていた背中を追うように、追い越すために駆け出した。
この第三コーナーで息を入れたらまだ走り切れる!
そう考え、実行しようとしたとき、後ろで何か酷く恐ろしいものがこちらへ向かってきたような気配がした。
(な、なにこれ、頭では落ち着かないとってわかっているのに、本能がここでスピードを落とすことを拒んでる?いったい何が追ってきてるの!?)
『スローなペースになるかと思われましたが、一転してハイペースになりました。現在、第三コーナーを通過しているところで、おおっとここで仕掛けたかアグネスタキオン、空いている最内をスルスルと通って今先頭集団に加わろうかというところです!』
自らの視界の端からカフェさんのようななにかが来て、そのままアタシを置いていこうというところでその姿はほどけたように消えて、見えなくなった。
あれが恐怖の正体?そう考えたら体を支配していた恐怖が何処か暖かなモノに代わるのを感じた。運命的な何かを感じるあの子はアタシ達と空間やレイヤが違うだけで、根源的なものは同じなんだ。
『さあ全員最終直線に入りました。ダイワスカーレット逃げる、しかしアグネスタキオンが有利な位置取りかいや、待ってください、マンハッタンカフェがいつの間にか一団から抜け出している!』
アタシは気付いたらホームストレッチをファンの声援を一身に背負って無いスタミナを振り絞り、ラストスパートをかけていた。
もう、タキオンさんとカフェさんの息遣いが聞こえる位置まで迫ってきてる。アタシの脚と呼吸器が限界を叫ぶ中、ふと、聞き馴染みのある声が聞こえた気がして、横目で観客席を見てみた。
「スカーレットさーん!!!頑張ってください!!!」
「スカーレット!!!最後まで気を抜くんじゃねー!そのまま、走れェ!!!」
「スカーレットさん!!!しっかりと前をみて、走り抜けてくださいまし!」
スピカのみんなが、アタシに全力で声援を送ってくれているのが見えて、アイツはどんな顔しているのか気になって探したら、
「・・・」
ただ何も言わずこっちを見てて、アタシの勝利を信じているっていう信頼が伝わってきて、体が軽くなって、この大歓声に、スピカのみんなに、アイツに応えてやろうっていう気概が湧いてきて、
『アグネスタキオンが、マンハッタンカフェがダイワスカーレットに迫る!差を2バ身1バ身と詰めてきた!ダイワスカーレットはここまでか!』
アタシは、思いを、意地を、心根まで燃やし尽くして残りの直線を走り抜ける。虚勢ではなく張りぼてでもなく、全身全霊をもって芝を踏み抜く。姿勢をさらに前傾に、ストライドを更に広くし、脚の回転のギアを一段階上げる。そして、これら全ての動作を根性によって完了させる。あとは前を向くだけ。
『今、差が1バ身から半バ身へとな…らない!ダイワスカーレット再加速!!!ダイワスカーレット再加速!!!残り100m!マンハッタンカフェが迫ってくる!』
誇りを胸に、無数のバラを開花させる。スピカのみんなに、すべてのファンに報いるかのように、そしてただ一人に顕示するかのように。
『ダイワスカーレットは逃げきれるか!?マンハッタンカフェは追っているが…半バ身が届かない!ダイワスカーレットだ!勝ったのは13番ダイワスカーレット!夢の扉が今、開かれました!』
視界が朦朧としている。息が、今までにないほど荒い、心臓が、バクバクと、破裂しそうな程、鼓動を重ねている。何度も、何度も深呼吸をしてやっと息が安定してきた。震える脚をこらえ、顔を上げて、掲示板を確認する。
「勝てたの…アタシの勝ち?」
「おめでとうございます、スカーレットさん」
「…ああ、いい走りだったよ、スカーレット君」
「タキオンさん!カフェさん!ありがとうございます」
あたしは先輩たちにお礼を告げた後、逸る気持ちのままスピカの皆のもとへ駆け寄った。次々とみんなから贈られる言葉にほおを緩ませながら宣言した。
「言ったでしょ、アタシが一番なんだから!」
スピカの方へと走り出したダイワスカーレットを見送りながら、タキオンは呟く。
「しかし、私が3着とは…作戦も成功し、100%の実力を出せたというのに、全くもって不甲斐ない」
「タキオンさんは、私を、スカーレットさんをどう見ていましたか?」
「…すまないが質問の意図を図りかねる」
「私はこのレース、あなたに勝つために走りました。言い換えるならば、あなたをライバルだと考えました」
「スカーレットさんは、今も鳴りやまぬ歓声を、全身で受け止めながら走っておられました。また、あそこの観客席には彼女のライバルであるウオッカさんの姿も見えます」
「なるほど、君はライバルという要素を、スカーレット君は声援とライバルを背負っていたという事か。対して、わたしにはそういった要素は何もない」
「私は限界を超えるものを見ようと考えた結果、視野狭窄に陥っていたということか」
「可能ならば100%以上の実力を出したあなたと、走ってみたかった」
「すまないねぇ、私の専門分野だというのに、いや、専門分野だからこそ見落としてしまったよ」
タキオンは下を向き、考え込んでいるようだったが勢いよくカフェと顔を合わせた。
「だがカフェ!安心したまえ、私はドリームトロフィーリーグに行くことにする。そこでもう一度走ろうじゃないか」
「あなたは行かないのではなかったのですか」
「研究はいつでもできるが、このようなレースは今しか出来ないのでは、と考えたまでだよ」
「それで、君はどうする?」
「あなたが行くのなら、私も」
タキオンは当然だというように頷いた。