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辺境の街から、歩いて2日ほどの場所にある開拓村。そこに1人の少年がいた。
少年は生まれつき体が小さく、そして弱かった。無邪気な村の子供は、そんな少年を嘲笑の対象とした。大人たちは何度も子供を叱って止めたが、こっそりとそれは続けられた。
ある日、村外れの小屋に見知らぬ大男が住み始めた。小屋は川の近くにあり、以前は釣り人の老人が住んでいたが、老人が亡くなってからは誰も住まなくなっていた。
大男は鉄仮面を着けており、盗賊や逃亡した囚人のようであった。本来なら冒険者ギルドに知らせるべきだが、村は貧しく報酬を払う余裕がなかった。
幸いなことに、大男は川辺の小屋から動こうとせず、村に何か被害を与えることもなかった。そこで、村人は小屋に近づかないようにし、様子を見ることにした。もちろん、子供にも小屋に行かないように伝えた。
しかし、子供は好奇心旺盛で危険を冒しがちだ。勇気と無謀を履き違えている子なら尚更である。
「おい、チビ。お前、あの小屋に行けるか?」
少年にそう言って来たのは、いつも揶揄ってくる男の子たちであった。いつもなら無視して耐えるが、この日は違った。朝に両親と軽い喧嘩をして、気が立っていたのだ。あるいは、朝食を食べ損ねて空腹だったことが原因かもしれない。
大きな声で言い返して、口論になった。そして、少年は度胸試しに大男のもとへ行くことになったのだ。
やばくないか?
平気だろ。どうせ直ぐに逃げ出すさ。
背後から聞こえて来る声を振り切って、少年は川辺の小屋へ向かった。
少年に勇気があった訳ではない。ただ、腹が立って感情的になっていただけであった。実際、興奮が収まるころには言い返したことを後悔し始めていた。少年は道中、大男が留守であることを祈っていた。
少年の祈りも虚しく、大男は小屋の側に居た。鍋で何か作っているようだ。
少年は本心では逃げ出したかったが、背後から感じる視線がそれを止めていた。話しかけるのは怖かったが、逃げて笑われるのも嫌だった。感情がごちゃ混ぜになった少年は、自棄になって声を出した。
「あの!」
「……ああん?」
大男は少年を睨む。それだけで、少年は腰を抜かしそうになる。
「何だ、ガキ。文句でもあるのか」
声が出なくなり、体が震えて涙が出てくる。
「後ろにいるガキ共もだ!何コソコソと見てやがる!」
大男が立ち上がり、大きな声を出す。少年は今度こそ腰を抜かし、後ろの茂みに隠れていた子供たちは泣き叫びながら逃げ出す。
大男は子供たちが逃げ出したのを見て、満足そうに座る。少年は恐怖で動けないでいたが、大男は気にせず鍋の様子を見始めた。
しばらく時間が経ち、漸く大男が少年に声を掛けた。
「いつまで腰抜かしてやがる。邪魔だ」
そう言われても、体が動かないのでどうしようもない。少年もこのままでは、良くないことはわかっている。
そんな時、大男の鍋から香る匂いのせいか、少年のお腹が空腹を訴える音を立てた。
「ん?……お前、腹減ってんか?」
大男の質問に、少年は首を縦に振って答える。
「出すもん出してくれたら、譲ってやらんこともないがな。金になりそうな物も持ってなさそうだよな、お前」
漸く体に力が入り、立ち上がる。鍋を見るとザリガニを茹でているようだった。香ばしい匂いがして、とても美味しそうだ。しかし、分けてくれる様子はない。
少年が物欲しそうに、鍋を見ていると背後から両親が駆けてきた。両親は少年の無事を確認し、急いで少年の手を引いて連れ帰る。
「おい、ガキ。ゆでエビを食いたかったら、何か持ってきな」
立ち去る少年に、大男が声を掛ける。あれってザリガニのはずだけど、という疑問が少年の心に残った。
家に帰ると、両親は少年をキツく叱り、小屋には絶対に近づかないよう約束させた。他の子供も同様であり、しばらく揶揄われることはなくなったので、少年にとっては悪い事ばかりではなかったと言えよう。
──────────
「お、おい。どうした、しっかりしろ!」
「う、うぅ……」
開拓村の農民がその日の仕事を終え、帰り道を歩いていた時のこと。血塗れの男が、道中に横たわっていたのだ。それは、隣の村の男であった。
農民は急いで人を呼んで来て、手当てを施した。だが、その甲斐はなく男は息絶えてしまった。しかし息絶える前、何があったのか男から聞くことができた。
「熊だと?」
「ああ、確かに熊に襲われたと言っていた。猟師、どう思う?」
「かなり不味い。人の味を覚えた熊は、また人を襲う。狩るのも大変だし、罠を仕掛けるにも道具が足りない」
「でも狩るしかないだろ」
「危険すぎる。冒険者に依頼すべきだ」
「そんな金が何処にあるんだ?」
「隣の村の様子も気になる。生き残りがいるかどうか、確かめるべきじゃないか?」
「それより、他の村に知らせるのが先だろ」
熊の出現は、直ぐ村中に広まった。女子供は家に避難し、村の男たちは武器を、武器が無い者は農具を持って見回りをしている。そして、村長や猟師などの主だった者は、どうするか話し合っていた。しかし、結論は出そうにない。
埒が明かないので、村長がどうするか決断を出そうとした時、大きな獣の咆哮が聞こえて来た。
周囲の家から、子供の泣き声と慌てふためく女たちの声が聞こえ、男たちにも緊張が走る。咆哮がした方へ注意を向けるが、何も見えない。
しばらくの間、警戒していたが何も起きることは無かった。もう何処か移動したのでは、と村人が思い始めた時、破壊音と悲鳴が村中に響き渡った。
家のドアが突然破れ、母親が壁に叩きつけられ気絶する。数瞬の間、少年は何が起きたか理解できなかった。熊が気絶した母親に近づこうとした時、咄嗟に持っていたナイフで熊を傷つけてしまった。
ギロリと睨まれて、少年は自分がした事を理解してパニックに陥る。
壊れたドアから外へ逃げ出した時は、何処に逃げるかも考えられなかった。両親には、何かあれば村の中央へ行くよう言われていたが、それも思い出せないくらい混乱していた。
背後から追って来る獣から、ひたすら逃げ続ける。逃げて、逃げて、逃げ続ける。すると、信じられないことに前からも熊が現れた。
「あん?何の騒ぎだ?」
目の前の熊が何か喋ってる。背後の熊が追いつくと、前にいた熊も立ち上がる。
もう駄目だ……
「何だ、この野郎!!」
その大声を聞いて、少年は漸く大男だと気づいた。熊が大男に襲い掛かり、少年は尻餅をついて目を瞑る。大男が殺されたら、次は自分の番だ。
咆哮が響き、重い音が何度も地面を揺らす。
しかし、いつまで経っても少年が襲われることはなかった。少年が恐る恐る目を開けると、信じられない光景が見えた。
「ルーンベアでも無いくせに!俺を誰だと思ってやがる!」
大男が倒れた熊を一方的に殴っていた。拳には鉄球のようなものがはめられ、その一撃はハンマーのように重たそうだ。頭部を鉄球の拳に潰された熊は、もう二度と動くことが無かった。
大男が殴り終わったところで、村人たちが駆けつけて来た。熊の遺体と大男を警戒する村人たちに、少年はここで起きたことを説明する。熊に襲われた自分を、大男が助けてくれたと。
少年の父親が礼を言うと、大男は何も言わずに小屋へ戻っていった。
偶然とは言え、熊を倒してくれた恩人の背中は、少年にとって大きく頼もしく見えた。
後日、少年は大男を訪ねていた。理由は改めてお礼を言うこと、そしてもう一つ。
「何だ、そりゃ?」
「干し肉だよ」
少年は大男の料理を食べたいと思い、言われた通りに物を持って来たのだ。大男としては金目の物を期待していたが、貧乏な村の子供にそれは厳しい。
大男は溜息をつく。
「期待するだけ無駄か。ゆでエビと交換してやるよ」
「ありがとう。でもこれ、ザリガニだよね?」
「……エビだ」
「?」
「これはエビなんだよ!」
「う、うん。わかった」
大男に気圧されて、少年は首を縦に振る。どう見てもザリガニだが、これ以上聞いても怒るだけだ。
少年は出来立てのゆでエビを受け取ると、早速食べ始める。
「これ美味しい!」
「は、当然だ」
少年が笑顔になり、大男も何処か嬉しそうである。少年は直ぐに食べ終わってしまい、物欲しそうに鍋を見る。
しかし、大男は分けるつもりは無い。干し肉との交換だって特別なのだ。過去に一度だけ、とある亜人にただで渡したこともあるが、今回は渡すつもりは無い。
少年は頬を膨らませながら、大男を見つめる。しばらくして、大男に尋ねた。
「エビ食べたら、僕も大きくなれる?」
「あ?何言ってやがる?」
「僕ね、大きくなりたいんだ。大きい男は、強いし何も怖くないでしょ?馬鹿にされることも無くなるし」
「……確かに、俺は強いし怖いもの知らずだ。馬鹿にした奴らはいたが、直ぐに後悔することになったな」
「いいなぁ」
「食い終わったんだろ?邪魔だから、もう帰りな」
「え?う、うん。また明日来るね」
大男は少し強引に少年を家に帰す。少年としてはもう少し居たかったが、素直に帰ることにする。
少年は挨拶すると、駆け足で家へ向かった。
「……悪い冗談だぜ。畜生」
少年が居なくなったことを確認し、大男は悔しそうに呟く。
彼は知っている。自分が、小悪党のならず者に過ぎないことを。本当に強く偉大な者が、どんな存在なのかを。
忘れられる訳がない。狭間の地でそれを見た、あの日のことを。
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糞食いは死んだ
もう誰も穢れて死ぬことは無い
エビ好きであり、カニ好きな褪せ人が、ゆでカニを買いに来た時の事だ。耳に入ってきた言葉が信じられなかった。
己のような小悪党とは訳が違う、あの恐ろしい男が死んだ?
詳しく聞くと、褪せ人が糞食いを倒したらしい。
聞いた時は、自分を安心させるための冗談かと思った。しかし、今目の前で起きている事を見れば、あの褪せ人ならやりかねないと思う。
あれだけ輝いていた黄金樹が、真っ赤に燃え盛っているのだから。
燃やした理由なんて分からない。だが、あの褪せ人が王になるためには必要なことだったのだろう。どの道、導きが見えていない自分には関係ないことだ。
そう思った時、大きな獣の咆哮が響き渡った。その咆哮を聞いて、風の噂で聞いた話を思い出す。最初の王が、再び王になるため帰還したと。
王になろうとする者が2人、されど玉座は1つだけ。何が起こるかは考えるまでも無い。
今まで王の事など、微塵も興味が無かった。しかし獣の咆哮を聞いた時、ほんの少しだけ興味が湧いた。王都は灰に埋もれており、今なら騎士も兵士もいないはず。
ならず者は、王都の中へ入ることにした。
東側の入口から中に入り、城壁を抜ける。そこには、灰に埋もれた王都が広がっていた。黄金樹が燃えると同時に、王都も死んだと言える。
よく見ると灰の上に誰かがいた。近づき、その正体が分かると、ならず者は驚いた。
「亜人?何でここに……」
亜人は高原にもいるが、1人で灰の王都にいる理由が考えつかなかった。亜人は遠くに見える玉座の舞台を、まるで祈るような姿勢で見つめていた。
「……お前、何してんだ?」
「え?だ、誰ですか?」
亜人に声をかけると、明らかに怯えた声を出す。その姿に、ならず者は安心する。己に怯える者など、恐るに足りない。亜人のお針子は怯えながらも、ならず者を観察する。
「もしかして、ゆでエビとゆでカニを作ってる方ですか?」
「あん?確かにそうだが……何で知っている?」
「我が王が教えてくれました。ゆで料理が上手い、鉄仮面の大男がいると」
「お前の王って、まさか玉座の舞台で……」
「はい、最初の王と戦っている方です」
その時、大きな獣の声が響く。咆哮ではなく、苦しげな悲鳴であった。
そして響き渡る、戦士の咆哮。
最初の王が、己で背負った枷を捨てて戦士に戻ったのだ。巨人戦争時代の闘志を取り戻し、より激しくなる戦闘音。
素手で地面を抉り、大気を揺らす猛攻の数々。
褪せ人とて、それを受けて無事な筈が無く……
「あ、あぁぁ……」
お針子が悲鳴に似た声を出す。
玉座の舞台では、褪せ人の体が宙に浮いたと思ったら、最初の王に掴まれ地面に叩きつけられていた。
(……何でだよ)
常人なら絶命しているだろう一撃。こうして遠くから見ているだけで、心がへし折られる衝撃。
(何で……立ち上がれるんだよ)
それでも褪せ人は立ち上がり、大剣を構える。褪せ人の心は、微塵も折れていない。
(苦しくて辛いだけだろ。王なんて、最初の王にやらせればいいじゃねぇか。そこまでする理由があるのか?)
理由はある。導いてくれた者を犠牲にした。支えてくれた者に頼まれた。契りを交わした相手に約束した。だから、苦しくても辛くても、王の道を歩む。
(理由があったところで……俺には絶対に無理なのに)
糞食いに友が穢された時、子供のように怯えて何も出来なかった。自分の強さと危うさが、ただの虚勢に成り下がり、心が折れた瞬間であった。
しばらくして、王都が静かになる。あれだけ響いていた咆哮も戦闘音も、もう聞こえない。王をめぐる戦いが終わったのだ。
「どうなったんでしょう?」
「……勝ったのが最初の王なら、勝利の雄叫びを上げるだろう。だが、雄叫びは無かった」
「では、我が王が勝利したんですね!」
お針子が喜んでいる間に、ならず者は挨拶もせずに立ち去る。真に強く偉大な者を目の前にして、自分の弱さと矮小さに我慢できなくなったのだ。
その後、ならず者は気を紛らすように、鍋でエビとカニをゆでる日々を送った。世界の変化に目もくれず、1人静かな時を過ごすのであった。
どれくらいの時が流れたであろうか。大きな流星を見た、その次の日のこと。お針子が、ならず者のもとを訪れた。遠出をするので、挨拶に来たという。
「あいつのもとへ?」
「はい。あの流星は、我が王に違いありません」
「そうか。……ほらよ、餞別だ」
「ゆでカニですか。ありがとうございます。我が王も喜ぶでしょう」
ならず者は、ゆでカニを幾つか渡す。亜人に見返りは期待できないし、あの褪せ人に仕えている者から何か受け取るのは気が引けたので、特別にただで渡した。
お針子は嬉しそうにゆでカニを受け取ると、立ち去って行った。
(……遠い場所なら、俺も変われるか?)
ずっと、惨めな自分を変えたいと思っていた。だが、ここで過ごす限りそれは難しい。自分の事を知らない、遠い場所なら或いは変われるかもしれない。
ならず者は、ほんの少しだけ期待を抱いて、四方世界を訪れるのであった。
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期待したような成果は得られなかった。
冒険者になろうと思ったこともあったが、街を訪れた際に鉄仮面を身につけているせいで、軽い揉め事が起きてしまった。
ならず者にとって、鉄仮面は己を守るための虚勢の殻。外せと言われても、おいそれと外せるものではない。見知らぬ土地で、見知らぬ人と接触するなら尚更である。
ギルドは信頼で成り立っているため、怪しい人物を冒険者にする訳にはいかない。結局、冒険者になって出世することは諦めるしか無かった。仕掛け人になる気にもなれず、自然と街から離れた場所で過ごすようになった。
そして開拓村の小屋に行きつき、再びゆでエビを作る日々に戻る。変われない自分と、機会を与えない世界が憎くて仕方なかった。
しかし、少年に慕われるようになり、少しずつだが変わり始めていた。ならず者にとって、少年のことは鬱陶しいと思う反面、新しい友ができたみたいで嬉しい気持ちもあったのだ。
少年の家族も、ゆでエビを気に入ったらしい。少年と共に、食料を持参して物々交換をするようになった。
「店を出したら、繁盛するぞ」
少年の父親が半分冗談で語り、作り方を聞いてきた。教えるつもりは無かったが、作るところを隠すことも無かった。ゆで方も塩加減も、簡単に真似できるものでは無かったから。
熊の襲撃から、しばらく経ったある日のこと。少年が何も持たないで、暗い顔をしてやって来た。ゆでエビも食べずに、ならず者の隣に座る。
「街に引っ越すことになったんだ」
「そいつは急な話だな。何かあったのか?」
「この前、叔母さんが来てね。街の商売で人手が必要になったから、一緒に住まないかって。父さんも母さんも悩んでいたけど、村の生活は厳しいから引越すことに決めたって」
元から厳しい生活を送っていたが、隣の村が壊滅したことにより、更に状況は厳しくなった。行商人が足を運ぶ回数も減り、いつ限界を迎えるか分からない。
「それでね。母さんが引っ越す前に恩人にご馳走をしたいって」
「……待て。まさかと思うが、俺を夕食に誘ってんのか?」
「うん、そうだよ。恩は少しでも報いたいってさ」
「正気かよ……人が良いにも程があるぜ」
ならず者としては断りたいところだが、少年が悲しそうな顔を浮かべている。喚かれても面倒である。これが最初で最後だと思って、ならず者は少年の誘いに応えることにした。
少年と共に家に行き、テーブルの上に並べられた料理を見る。量も申し分なく、貧しい村にしては確かに豪勢であった。
「それ、外さないの?」
席に着くと、少年が鉄仮面を指差して聞いて来た。
「強くても、油断は禁物だ。いつ何が起きても良いように、食事する時も外さないようにしてるのさ」
何処かの変な奴と似たようなことを言って、ならず者は誤魔化す。少年としては、最後に顔を見ておきたいと思ったのだろう。申し訳ない気持ちもあったが、やはり外す気になれない。
全員が席に着き、食事を始めようとして──
「ゴブリンだぁ!ゴブリンの大軍が……」
叫ぶ声が途中で途切れ、代わりに周囲から悲鳴と破壊音が聞こえて来る。窓の外を見ると、火の手が上がり人が次々と倒れていく姿が見えた。
「よりによって今日、襲撃が起きるなんて……」
「で、でも、ゴブリンなんて弱いでしょ?」
「馬鹿を言うな!奴らが村を襲撃するときは、100匹を超えることだってあるんだぞ!」
少年の言葉を、父親が否定する。ゴブリンの襲撃が、数の暴力であることを父親は知っていた。
ならず者も窓の外を見る。既に大量のゴブリンが、村の中に入り込んでいる。
「逃げるのは厳しそうだな。隠れる場所はあるか?」
「床下に隠れる場所を作ってあるが……」
熊の襲撃から反省して、即席で用意した場所だった。父親が床板を外すと、隠れる場所が出てくる。
「俺が入る空間は無いな」
少年の一家なら身を縮めれば何とか入れそうだが、ならず者には無理だ。体格的に1人でも入れるか怪しい。
「お前たちは隠れろ」
「で、でも……」
「いいから隠れろ!早くしろ!」
少年は、ならず者がゴブリンと戦ってくれることを期待していた。しかし、ならず者は戦うつもりなど無かった。少年との日々は悪くなかったが、そこまでするつもりは無い。
ならず者は、少年と両親を強引に床下に押し込んで閉じる。手早く済ませないと、自分が逃げられなくなる。少年たちを連れて逃げるのは無理だが、自分1人なら逃げ切れると思っていた。
ならず者は、床板を塞がないようにテーブルを移動させ、少しでも見えづらくする。これで最低限の義理は果たした。後は、神の賽の目次第だろう。
ならず者が外へ出ると、既にゴブリンに取り囲まれていた。もう川辺の小屋に行っても、意味がないだろう。
何処へ逃げるか必死に考えていると、後頭部に何かをぶつけられた。家の屋根に登っていたゴブリンが、大きな石を投げつけたのだ。鉄仮面越しとは言え、強い衝撃が脳に伝わり、ならず者は倒れた。
意識が朦朧として、記憶が混濁する。
「う、ぐぅ……俺は一体……」
何が起きたのか、どういう状況なのか分からなくなる。顔を何とか上げて、目の前を見る。
(……何だ?誰なんだ?)
歪んだ視界の中で何かが、誰かが自分を指差しているのが見えた。視界がはっきりしてくると、その表情も明らかになる。
(何を……笑ってやがる……)
それは、こちらを指差してゲラゲラと笑っていた。言葉はよく分からないが、馬鹿だ、間抜けだと嘲笑っているのが分かる。
「……らうな」
沸々と湧き上がって来る怒りと共に、ならず者は立ち上がる。そして、全身に力を込めて叫ぶ。
俺を、笑うんじゃねぇ!!!
それは己の危うさを誇示する咆哮だった。周囲から笑い声が消えると同時に、ならず者は鉄球の拳で近くにいたゴブリンの頭を潰す。目につく者を、次から次へと潰していく。放たれた矢が肉体に突き刺さるが、その勢いが止まることは無い。
ゴブリンの表情は、笑顔から恐怖に変わる。
(そうだ!ビビれ!)
怯えるゴブリンを容赦なく潰していく。次はお前、その次はお前だという具合に。血塗れになりながら拳を振り回す男に、ゴブリンはすっかり恐怖して逃げ出す。
(思い知れ!俺の拳の重さを!)
ならず者は、逃げるゴブリンを追い回す。すると今度は大きなゴブリン、ホブゴブリンが立ち塞がる。
「邪魔だぁ!」
だが、ホブゴブリンでは止められない。頭を殴り、倒れたところを踏み潰す。頭蓋骨が潰れる感触が、ならず者の足に伝わって来る。
ホブゴブリンを殺すと、ならず者は大声で笑った。その笑い声にも、ゴブリンは怯えてしまう。
しかし、忘れてはならない。彼が何者なのかを。
ならず者のもとに、また大きなゴブリンが現れる。そいつにも、鉄球の拳を浴びせようとして──
「グッ!ガハッ!」
武器で防がれて、カウンターを受ける。吹き飛ばされ、誰かの家の壁に体を打ちつける。ホブゴブリンより遥かに強い上位種に、ならず者の拳は届かなかった。
その一撃を受けて、ならず者は我に返る。
(何やってんだ俺……逃げようとしてたのに)
気がつけば怒りに任せて拳を振るい、逃げる機会を失った。ゴブリンの上位種が、止めを刺そうと近づいてくる。
(……そうだよな。勘違いした小悪党の最後なんてこんなもんさ)
ならず者は、もっと救いのない最後を知っている。それに比べれば、遥かにマシな最後だ。
次こそはもっと上手くやろうと目を瞑り、その時が訪れるのを待つ。ならず者が目を瞑るのを見て、ゴブリンの上位種は勝利を確信した。
しかし次の瞬間、轟音と共に何かに頭を潰されて絶命した。
「あ?」
ならず者は音を聞いて、思わず目を開けた。そこには、ゴブリンの上位種の頭を尻で潰す、大きな騎士がいた。巨大な山羊の角が施された鎧を着る、大角の騎士であった。
大角の騎士は尻餅をつきながら、ヨッと気さくに腕を振って挨拶をする。
彼がここに居る理由は、深く考える必要はない。彼は戦う者の物言わぬ友、助勢の騎士なのだから。戦う者が入れば、何も言わずに手を貸す。そうして多くの者が、救われてきた。あの王となった褪せ人も、彼に救われた1人なのだ。
ならず者も、彼のことは聞いたことがある。狭間の地にいる、真に大きい者の1人。その武器は、ならず者でも持ち上げることが困難なほど大きい。その力強さは妬ましいが、今は素直に感謝しておく。
大角の騎士が立ち上がると共に、ならず者も立ち上がる。そして、ゴブリン達を睨む。
「……舐めた真似してくれたな。覚悟できてんだろうなぁ?」
ならず者は再び咆哮を上げると、大角の騎士と共にゴブリンに向かっていった。
ゴブリンが居なくなり、周囲が静かになる。全てを倒しきることはできなかったが、大部分は殺した。生き残りが再び群れになるには、かなりの時間を要するだろう。
大角の騎士は、戦いが終わると同時に立ち去った。また、何処かで誰かを救うのだろう。
ならず者は疲れ切って、地べたに腰を下ろしていた。周囲を見ると、ゴブリンと人の死体だらけ。もう、この開拓村はお終いだ。復興もできないだろう。
あの家族に、行く宛があって良かった。自分は、また何処か適当な場所を見つければ良い。
「おーい!」
遠くから少年の声が聞こえた。振り向くと同時に、少年と両親もこちらに気づく。
彼らには、自分だけがゴブリンと戦ったように見えるだろう。そんなことは無いのに。それどころか、逃げようとしていたのに。
どうしたものかと考えていると、口から赤い液体が溢れて来た。それがどういうことなのか、直ぐに理解できた。
今度は湧き上がるように血が込み上げて来て、盛大に吐き出して仰向けに倒れる。ならず者の異変に気づき、一家が悲鳴を上げる。
(……どうしてだろうな?)
苔薬は無い、祈祷も使えない。毒を治す術が、一つも無いのだ。もう助かる見込みは無い。
(想像していたより、ずっとマシな終わりだってのに……)
穢されて死ぬより、ゴブリンに嬲り殺しにされるより遥かにマシ。寧ろ、英雄的な最後である。
こんな終わり方を望んでいた。そして生まれ変わったら、もっとマシな人生を送るのだ。ずっと、そう考えていた。
それなのに、涙が溢れて止まらない。
「嫌だ……死にたくねぇよ……」
その呟きが、誰かに聞こえることは無かった。
ならず者がゆでエビとゆでカニを作っていた理由は、友の好物あるいは友が良く作ってくれた物だったからとか思ってます。