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大襲撃から少し経ったある日。
お針子は水の街に来ていた。辺境の街から東へ二日、歴史ある大きな街だ。以前、この街に来たことがある妖精弓手の先導のもとお針子たちは進んで行く。
「もう、そんなにキョロキョロしないでよ」
「はい、すいません……」
辺境の街より都会と言える街の中、お針子はずっとキョロキョロしている。ギルドに初めて訪れた時と同様に。そんなお針子に、妖精弓手はため息を吐く。
「まぁ、お針子さんの気持ちも分かりますよ。辺境の街と、こんなにも雰囲気が違いますから」
女神官もお針子ほどでは無いが、周囲に目を奪われてしまう。活発な商人たちが絶えず行き交い、美しい建物には全て彫刻が施されている。このような光景は、辺境の街では見られないものだ。
歩きながら道行く人々の衣服と自分の衣服を比べたり、闇人の商人にちょっと驚いたり、軽い観光気分に浸ってしまう。
景色を楽しみながら歩き続け、ある建物が見えてきたところで一行は立ち止まる。
「ほら、あそこよ」
妖精弓手が、目的地である法の神殿を指さす。
白亜の大理石を用いた、壮麗な社。
法と正義、光と秩序の神殿。
「わぁー……」
「……ゴクリ」
女神官は声を漏らし、お針子は固唾を呑む。
神殿に見惚れた女神官が興奮で頰を紅潮させれば、お針子は緊張で青褪めていく。
二人の反応は、実に対照的だ。
「あ、そういえば」
女神官がお針子に振り返って聞く。
「お呼びになった方は、どなたですか?」
「え、え〜と……」
お針子が鞄から手紙を取り出し、確認する。
「大司教って書いてあります」
「えぇっ!?」
女神官は、驚きのあまり思わず大きな声をあげてしまう。
「あの、どうかしたんですか?」
「どうかしたって、そっか知らないのね……」
「お針子さん、法の神殿の大司教は──」
この法の神殿にいる大司教と言えば、至高神の大司教。西方辺境一帯の法を負って立つ人物。10年前に魔神王を討ち取った6人の英雄の一人。
金等級、剣の乙女だ。
「そ、そんな凄い人が…どうしよう……」
女神官の説明を聞いたお針子は、軽いパニックになる。女神官と妖精弓手も不安そうな表情を浮かべる。彼女たちは法の神殿に呼ばれたお針子に付き添い、3人でこの街までやって来たのだから。
そのきっかけは、数日前まで遡る。
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数日前、辺境の街のギルド。
「お針子さん、ちょっとよろしいですか?」
もはや定位置になりつつある壁際に座るお針子に、カウンターから声が掛かった。お針子がカウンターに行くと、受付嬢が手紙を差し出してきた。
「ゴブリンスレイヤーさんへの手紙ですか?」
「いえ、違います。お針子さん、あなた宛ですよ」
はて?
自分宛に手紙?
誰からだろう?
この世界の知り合いは、この街にいる人たちだけだ。黒曜等級の自分に、指名依頼が来るはずもない。もちろん王から、なんて事はないはずだ。そうだったら、とても嬉しいが。
一先ず、手紙を見てみる。
「え〜と……水の街にある法の神殿ってところが呼んでいるみたいです」
「……へ?」
受付嬢は、思わず変な声を出して固まる。お針子はそれに気付かず、受付嬢に問う。
「法の神殿って何ですか?」
「……至高神の神殿です。この辺り一帯の司法を取り仕切る場所で、裁判所とかがあるところです」
「……え?」
今度はお針子が、声を出して固まる。しばらくの硬直の後、震えながら話し始める。
「オ、オイラ裁かれるんですか?何もしてないですよ!」
「ちょっと、拝見してもよろしいですか?」
お針子は受付嬢に手紙を渡し、内容を確認してもらう。一通り目を通すと、落ち着いた声で説明を始める。
「大丈夫です。書類は司法関連に使われるものではありません。法の神殿の方が、聞きたい事があるだけみたいです。罪を問うようなものではありませんよ」
「そうですか。良かった」
(呼んでいる人物が、大司教様というのが非常に気になりますがね……)
可能性として考えられると、お針子の王のことか異世界のことだろうか。大司教は金等級だから、お針子が異世界出身であることを知っているはず。
「あの、これって断っちゃダメですか?知らない街に一人で行きたくないんですが……」
「ダメではないです。しかし、断る明確な理由がないなら行くべきですね」
「そうですよね。うーん……」
(正直、呼んでいる人物が大司教様なので、断るなんて絶対に良くないんですよね)
法の神殿に呼ばれた時点で、余程の事情がない限り行かなければ外聞が悪い。相手が大司教なら尚更である。しかし、そのことをお針子に説明したら、身を強張らせ余計行くことを拒むかもしれない。
見知らぬ街に1人で行くのは、お針子には厳しいことだ。誰かに同行してもらえれば話は別であろうが、ゴブリンスレイヤーは絶対に同行しないだろう。他の人に頼むしかない。
「……とりあえず、皆さんに相談してみます」
──────────
「じゃあ、行ってくるわね」
「はい、お気を付けて」
女神官はギルドに入ったところで、冒険に出発する女魔術師と出会った。女魔術師は大襲撃後の宴で自由騎士とすっかり意気投合し、自由騎士が率いる一党に加わることになったのだ。
聞いた話によると、女魔術師は大襲撃でゴブリンシャーマンの杖を折ったらしい。それは、最初の冒険の失敗を自ら乗り越えたようなもので、女魔術師が自信を取り戻すには十分なできごとであった。
「出遅れたけど、あなたにもちゃんと追いついて見せるわ」
自信を取り戻した女魔術師の言葉を聞いて、女神官は素直に嬉しかった。機会があれば、一緒に冒険することもできるだろう。
いつか、青年剣士と女武闘家の故郷へ一緒に行こう。あの場所には、もう墓場しかない。それでも、女神官と女魔術師にとっては行く意味がとても大きい。
女神官は女魔術師と別れると、ゴブリンスレイヤーたちが集まっているテーブルを見る。どうやら自分以外は、もう集まっているようだ。
女神官は、慌ててテーブルの方へ向かう。
「別に行けば良いだろう?」
女神官がテーブルに近づくと、ゴブリンスレイヤーがお針子にそんなことを言っていた。
「あの、一緒に行ってくれたりとかは……」
「ゴブリンではない」
「ですよね」
ゴブリンスレイヤーの言葉を聞いて、お針子は泣きそうな顔になり、周りは呆れた表情になる。どうやら、お針子が何か相談していたらしい。
女神官は挨拶しながら、話しかける。
「おはようございます。お針子さん、何かありましたか?」
お針子は女神官に挨拶を返すと、受け取った手紙について簡潔に説明をする。
「なるほど、法の神殿ですか」
「はい。行ったことがない場所なので、同行してもらおうと思ったのですが……」
「ああ、なるほど……」
先ほどのやり取りについて察しが付き、女神官もゴブリンスレイヤーを見ながら呆れた表情になる。いつもの通りとは言え、溜息が出てしまう。
「しかし、法の神殿がお針子に何の用かしら?」
「ふむ。恐らく、お針子殿の王のことか故郷のことを聞きたいのかと」
「わしも同意見じゃな。まさか針仕事しろとは言わんじゃろう」
妖精弓手が疑問を口にすると、蜥蜴僧侶と鉱山道士が答える。お針子が罪を犯したなど、誰も考えもしない。
女神官が少し考えた後、お針子に話しかける。
「お針子さん、良ければ私が一緒に行きましょうか?」
「え?本当ですか?」
「はい。法の神殿があるのは近隣で一番大きい水の街、前々から一度行ってみたかったんですよね」
「ああ、ありがとうございます!」
女神官が笑顔で語り、お針子は喜びながら感謝する。女神官は噓をついていない。彼女とて、年頃の少女だから興味があるのは当然だ。
「2人だけで平気?あの街、本当に広いわよ?」
「平気ですよ。法の神殿のお膝元で、治安も良いと聞きますし」
「表通りはね。でも裏通りとか入り込むと、ガラの悪いのが沢山いるわよ。もしもの場合、自分の身を守れる?」
「うっ……」
妖精弓手の話を聞いて、女神官は困ったような表情を浮かべる。他の街に行くことは彼女も初めてだから、不安が無いと言えば噓になる。お針子も話を聞いて、不安そうな表情になる。
お針子と女神官の表情を見て、妖精弓手が溜息をつく。
「仕方ないわね。私も一緒に行ってあげるわ」
「いいんですか?」
「ええ。水の街には行ったことがあるし、最近はゴブリン退治ばかりで気分転換もしたいしね」
妖精弓手は、ゴブリンスレイヤーをジト目で見ながら理由を説明する。ゴブリンスレイヤーは何も言わない。仮に口を開いたところで、嫌ならゴブリン退治に同行しなくて良いと言われるだけだろうが。
「野伏殿が同行されるのなら安心ですな。拙僧は、今回は待機で」
「わしも同じく待機じゃ。美味い酒なら、この街でも飲める」
「俺は……」
「オルクボルグは言わなくてもわかるわ。ていうか、さっき答えてたわよ」
蜥蜴僧侶と鉱山道士が答えて、結論が出た。女神官、妖精弓手がお針子に同行し、残りは辺境の街に待機かゴブリン退治。
こうして、お針子は2人の同行者と共に水の街に向かうのであった。
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時間を戻して、法の神殿の待合室。
法の神殿は、小さな揉め事から人の生死に関わる事まで審判と裁きを行う場である。待合室には、そうした裁きを求める沢山の人で満たされている。
そんな待合室の中で、お針子は緊張した様子で案内を待っている。他の2人は、お針子を心配そうに見つめている。
しばらくして、待合室に声が響く。
「お針子様、お待たせしました。ご案内いたします。お連れの方は、引き続き待合室でお待ちください」
お針子は不安そうな表情を浮かべて、2人の方を見る。
「お針子さん、大丈夫ですよ。ここで待っていますから」
「そうよ。早く終わらせてきなさい」
2人の言葉を聞いて、お針子は立ち上がり声のもとへ行く。案内を任された女性は、お針子を確認すると先導して神殿の中を進んで行く。
待合室を抜けて、審判の行われる法廷や、書庫の並ぶ廊下を更に奥へと進んでいく。そして、神殿の最奥に到着する。そこは、白亜の円柱が立ち並び神像が祀られる礼拝堂であった。
礼拝堂は聖域と呼ぶに相応しい光景であったが、お針子の心情はそれどころではない。待っているのは四方世界の英雄だ。無礼などあってはならない。緊張で体をガチガチに固めながら、祭壇へと向かう。
「大司教様、お針子様がいらっしゃいました」
案内人の声を聞いて、祭壇で祈りを掲げていた女性がこちらに振り向く。
その女性を見て、お針子は本物の石のように固まってしまった。元々、緊張していたこともあるが、それ以上に驚愕してしまったのだ。
目の前にいる大司教、剣の乙女は手には天秤剣の杖を持ち、薄い白衣で身を覆い、煌めく金の髪を持つ美女であった。だが、お針子が驚いたのはそこではない。
剣の乙女はお針子に挨拶をする。
「ようこそ、法の神殿へ。お針子様」
しかし、お針子からの返事はない。剣の乙女は怪訝な表情を浮かべる。
「……あの、どうかなさいましたか?」
剣の乙女の問いを聞いて、お針子はようやく我に返る。そして、必死に口を動かした。
「あ、あの……その目は……」
「ああ、これですか」
剣の乙女は、自身の目元を覆う黒い帯を手で撫でながら説明する。
「故あって、目が弱くなってしまいまして……外しますわね」
剣の乙女は眼帯を外し、その目を開いた。その瞳はどこか弱く儚いように感じたが、その色を見てお針子は安心した。
剣の乙女が、悪戯に成功した少女のように微笑む。
「ふふ、狂い火の病人かと思いましたか?」
「え?……その、ご存知でしたか」
「はい、貴方が伝えてくれた知識は一通り」
剣の乙女は眼帯を付け直し、お針子は先ほどの無礼を詫びる。
「大変申し訳ございません。緊張と驚きで、声が出なくなってしまい……」
「構いませんよ。こちらこそ、驚かせたことをお詫びしますね」
剣の乙女が穏やかな声で謝罪し、お針子はようやく緊張が解けてきた。
「それで、お呼びした理由は何でしょう?」
「はい、幾つかお聞きしたいことがございます。主にお針子様の故郷に関することで」
予想していたことで、お針子は安心した。故郷である狭間の地に関することで、自分の知ることを答えれば良いのであれば、造作もないことだ。
「最初に興味本位でお聞きしますが、貴方はご自分の血族が混沌に与したとして、殺せますか?」
「はい?」
自分の血族?混沌?何を言っているのだろう?
お針子はこの世界の秩序と混沌を理解していない。そもそも自分の血族は、乱暴な獣のような者ばかりだ。
お針子は少し考えてから答える。
「その……乱暴な奴がいるとしたら、退治されてもしょうがないと思います」
「ふふ、そうですか」
お針子の返答を聞いて、剣の乙女は微笑む。今の返答で良かったのだろうか?
「申し訳ございません、関係ない質問をしてしまって。初対面の方には、聞くようにしてますの」
「はぁ……なるほど」
「それでは、本題に入らせていただきますわ」
剣の乙女が床に座り、お針子にも座るように促す。案内人は、剣の乙女の側でメモを取る準備をする。
お針子が床に座ると、剣の乙女はゆっくりと話し始めた。
「改めて確認させていただきたいのですが、狂い火の病を治す術は無いのですか?それと、三本指についても」
お針子は質問に丁寧に答えていく。
狂い火の病は発症を抑える予防薬は有るが、治す薬は無いこと。
三本指については、あまり詳しくない。しかし、人が抗えるものではない。指というのは元来、人智を超える存在の使者である。
「なるほど……魔神王が狂い火を患ったのも納得できますわね」
剣の乙女は魔神王と対峙した経験がある。だからこそ、三本指が人ではどうにもならないことが理解できる。
「次の質問です。ある場所に、巨大な樹が出現しました。出現した時期は不明です。その樹を中心に水と大地が変色し始め、奇妙な菌類が目撃されておりますわ。恐らく、異世界に由来するものと推察しております」
「菌類……変色した色は朱い色でしょうか?」
「はい、その通りです」
「それは、朱い腐敗だと思います。巨大な樹は聖樹かと」
朱い腐敗は、外なる神が起源とされる狭間の地を蝕むもの。火の力が、朱い腐敗に対抗できる。ある場所では、今でも火を用いて腐敗と戦う者たちがいる。また、大変希少ではあるが治療薬が存在する。
聖樹は、生まれつき朱い腐敗に蝕まれた妹のために、ある神人が宿って育てていたもの。だが、神人は誘拐されてしまい、聖樹は朱い腐敗に蝕まれ醜く育ってしまった。
お針子の知識は、王と結びの司祭から聞かされたものであるため完璧とは言えない。しかし、無知に比べれば遥かにマシである。
一通り、話し終えたところでお針子はあることを思い出した。
「あ、そういえば……」
「どうかなさいましたか?」
「……先ほどの誘拐された神人ですが、朱い腐敗と狂い火に対抗する力を持っていたようです。その力で作られた針があれば、宿った狂い火を鎮めることができます」
「その針はどちらに?」
「針は、我が王が所持しています。しかし、針は未完成で使えないと聞きます」
「その針を完成させることはできないのですか?」
「誘拐された神人にしかできないそうです。神人は我が王が見つけましたが、その時には目覚めぬ眠りについていたそうです」
一つだけ針を使う方法がある。しかし、その方法はお針子の王にしかできない。時の狭間、その嵐の中心に行けるのは王のみである。
「最後にお針子様の王について聞かせてください」
「はい、どうぞ」
「まずは、黄金の傭兵たちとの関係と噂についてお聞きしたいです」
「……それは、狭間の地に深く関わることです。上手く説明できないと思います。説明できたとしても、ご理解できるか」
「異世界のことですからね。常識も違うことでしょう。こちらで可能な限り咀嚼いたしますわ」
お針子は言い淀みながらも、できるだけ詳しく王について語る。黄金樹のこと、律のこと、王都のこと、王が歩んだ苦悩の旅路のこと。
剣の乙女は、語り終わるまでただ静かに聴いていた。
お針子が語り終わると、剣の乙女は天を仰ぐように顔を上に向け、ゆっくりと口を開いた。
「やはり、理解が及ばぬことが多いですね。律というものは特に。我々にとっての秩序のようなものかと思いましたが、根本的に異なっている……」
秩序がもし律のようなものだとしたら、それが壊れてしまったとき、己は世界のために秩序に反逆できるのか。秩序と常に共にあった剣の乙女には、とても想像できないことだ。
「黄金の傭兵たちにも、話を聞きました。彼らの言い分に嘘は無く、こちらを騙してもいなかった……」
彼らが誇っていたものを燃やし、守ってきた故郷を灰に埋め、神を殺した。その怒りと憎しみは、計り知れないものだろう。
「お針子様の王は、魔神王を討伐し勇者様をお救いになられました。だから、何か力になれたらと思いましたが……」
これは文字通り、どちらかが倒れるまで終わらない問題だろう。第三者が入り込んだところで何も解決しない。むしろ、問題が複雑になるだけだ。
剣の乙女は申し訳なさそうに、お針子へ向き直る。
「その……我が王は裁かれるのですか?」
「そのようなつもりはございません。……正直に申しますと、わたくしは口実が欲しかった」
「口実?」
「ええ、あの傭兵たちと国が縁を切るための口実が」
剣の乙女は危惧していた。あの傭兵たちは、いつか大きな問題を引き起こす。実際、彼らは根城である要塞に何かを隠しているようだった。だから問題が起きる前に縁を切り、できることなら国から追放したかった。
しかし辺境では兎も角、王都付近では彼らの人気は高い。そのため、縁を切るには相応の理由が必要であった。
「国王には何度か進言したのですが、やはり理由なしでは縁を切れない。むしろ、国王も理由を欲しているようでした」
国王個人は、傭兵たちと縁を切りたかった。しかし、今は魔神王の残党狩りを行っており、少しでも戦力が欲しい。個人の感情を押し殺して雇うことが、為政者というもの。政治とは、思うようにならないものである。
話を終えて、剣の乙女は立ち上がり礼を言う。
「お針子様、本日はご足労いただきありがとうございます。お聞きした話は、わたくしから国王に報告させていただきます」
お針子も立ち上がり、頭を下げる。そして、案内人の先導のもと礼拝堂をあとにする。
お針子は嬉しかった。この地の英雄の1人が、我が王に少しでも理解を示してくれたことが。
これで何かが変わるわけではないだろう。しかし、無意味でもないはずだ。
お針子は急いで待合室に行く。思っていたよりも長くなってしまった。
「あ、妖精弓手さん、終わったみたいですよ」
「ん~……やっとね」
「お待たせしました」
女神官がお針子に気付き、妖精弓手は背伸びしながら立ち上がる。女神官がお針子に小声で尋ねる。
「お針子さん、剣の乙女様はどのような方でしたか」
「素晴らしいお方でした。お会いできて良かったです」
「ああ、やっぱり。私もいつか会ってみたいです」
お針子の話を聞いて、女神官は目を輝かせる。そんな2人を妖精弓手は早く外へ出るよう促す。法の神殿を出たところで、妖精弓手が一つの提案をする。
「まだ日が高いわね。今日は水の街を見て回って、明日は馬車で帰る。どうかしら?」
「賛成です!折角なので色々と見て回りたいです!」
「オイラも、それで良いと思います」
こうして、妖精弓手の案内で水の街を一日楽しんだ。冷たく甘いお菓子を食べたり、吟遊詩人の歌を聞いたり、水の街の冒険者ギルドを見学したり。泊まった宿は中々良いところだったが、お針子は落ち着かず一晩中星を見ていた。
次の日の朝、帰りの馬車の中で。
「…………」
「お針子さん、どうかしましたか?」
「いえ、何でも……」
お針子は星を見ている時に、あれが自分たちのいる場所を見ているような気がした。何かを用意しているような。
思案していると、妖精弓手が話しかけてきた。
「もしかして、牧場の時みたいに何か感じ取ったの?それは、この街の冒険者や法の神殿が対処する問題よ」
「はい……そうですよね」
例え、この街の冒険者ギルドに伝えたところで何も解決しないだろう。見知らぬ者の、訳も分からぬ警告に耳を傾ける人などいない。
更に言えば、この街の冒険者ギルドを訪れた際の自分に向けられる目線が怖かった。汚いものを見るような目線が。妖精弓手が側にいてくれて、本当に良かった。
剣の乙女なら耳を傾けてくれるかもしれないと思ったが、法の神殿に行っても会うことはできなかった。お針子が訪れる前、朝早くに王都へ出立してしまったらしい。
お針子は無念の想いを抱えたまま、辺境の街へ帰還するのであった。
──────────
お針子と剣の乙女が対談を終えた後。
剣の乙女と案内人が、法の神殿の私室で話し合いをしていた。案内人は、剣の乙女の侍女であった。
「大司教様、例の件はどうなさいますか?」
「……予定通り、狂い火と三本指の調査は行います」
狂い火の病を治す術が無い。だが、病を患った者の友人や家族が簡単に諦めるわけがない。彼らは剣の乙女に、狂い火と三本指が封印されている扉の調査を嘆願していた。
調査したところで得られることはたかが知れているが、何もしないわけにもいかない。国王へ報告しなければならないこともある。
「王都に行く準備は?」
「今日中には整います。お針子様が、王都に行く前に来られて助かりましたね」
「ええ、間に合って良かったですわ。では、明日の早朝に出発いたしましょう」
その後、剣の乙女は予定通り早朝に水の街を出立し、王都で国王への報告を終えた後、三本指の調査に出た。
しかし、調査は中止されることになった。
調査中に水の街で事件が発生したのだ。邪教徒による侍祭殺し。それと同時に起きた、地下水道へのある者の侵入。剣の乙女は地下水道の使徒たちを通して、それに気づいてしまった。
最悪のタイミングであった。
襲い来るトラウマと悪夢、それにより精神を疲弊した剣の乙女は、三本指の格好の餌食だった。剣の乙女は調査中に半狂乱に陥ってしまった。
目を閉じているのに見える灯。
耳を塞いでも聞こえてくる絶望の怨嗟。
剣の乙女は、己に起きた異変の正体に気づいた。やむを得ず、自害しようとしたが周りの人たちが力づくで止めた。
国王と至高神の司教たちの協議により、剣の乙女は正気を完全に失う前に《保存》を用いて、王都の至高神の神殿で長き眠りにつくことになった。
《保存》は、生体の変化を止めて眠りにつく奇跡。これにより、狂い火を患うことを防げる。目覚めの条件を決めることもできるので、剣の乙女が三本指に操られることも防ぐことができる。
しかし、精神の変化までは止められない。
その変化は、剣の乙女と精神で繋がりを持っている者たちにも影響が出る。
地下水道の使徒たちは暴走し、誰の手にも負えなくなってしまった。
次回は来週水曜日の予定です。