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「ありがとう、これで今日の分は終わりだね」
「お役に立てて、何よりです」
夕方、牧場のとある小屋の中で、牛飼娘は牧場の仕事を終えて、お針子にお礼を言う。小屋の中には木製の型が並んでおり、中には加工された乳が入っている。この加工された乳が、時間をかけて蜥蜴僧侶の大好物であるチーズになるのだ。
「いつも不思議に思うんですが、どうしてこれがチーズになるんでしょう?」
「あれ?熟成とか発酵とか聞いたことないの?」
「聞いたことはありますが、詳しいことは……」
「そうなんだ」
牛飼娘は熟成と発酵について簡潔に説明する。説明を聞いたお針子は不思議そうな顔をする。
「それって、その……腐らせてるってことですか?大丈夫なんでしょうか?」
「まぁ、そうとも言えるかな。腐ることは人に害を与える物が殆どだけど、人に有益な物に変わることもあるんだよ。それが熟成や発酵なの」
「腐ったものが有益なんて不思議な話です。オイラの故郷では、ほとんどの物が腐ることは無かったし、腐敗は有害な物ばかりだったから」
「腐らない?お針子さんの故郷って寒いところなの?」
「え……は、はい。そういう場所もあります」
お針子はとっさに誤魔化す。故郷のことは、秘密にするようギルドに言われている。牛飼娘なら問題ないと思うが、受付嬢が笑顔で念を押して言ってきたことだ。あの笑顔は、正直怖かった。
牛飼娘は小首を傾げるが、詳しくは聞かない。お針子にも、話したくないことはあるだろう。
(この世界の物は、狭間の地より腐りやすい……)
狭間の地にある物は、簡単には腐らない。血や排泄物でさえ物によっては腐らず、状態を保つ。無論、キノコなどの例外もあり、排泄物を発酵させ猛毒を作り出すこともあるが。
狭間の地で腐敗と言えば、主に朱い腐敗を指す。思い出すのは、王と共に一度だけ訪れた朱い腐敗に侵された地。まさに、この世の地獄と言える光景だった。
この世界に流れてきた聖樹は、西方辺境からはかなり離れた場所にある。しかし、狭間の地よりも腐敗が広まるのは早いかもしれない。
「あ、おかえり。夕飯はもう少し待っててね」
「お疲れ様です、ゴブリンスレイヤーさん」
「ああ」
お針子が思案していると、ゴブリンスレイヤーが帰宅した。挨拶を簡単に済ませると、牛飼娘は夕飯の準備に、ゴブリンスレイヤーは納屋に戻る。
お針子は、ゴブリンスレイヤーを追って納屋を訪れる。
「どうかしたか?」
「聞いて欲しい話がありまして」
お針子は、朱い腐敗についてゴブリンスレイヤーに相談する。聖樹の話を剣の乙女から聞いた後、お針子は親しい人物たちに腐敗のことを話した。しかし、それは狭間の地を基準にしたことだった。この世界では、腐敗がどれだけ脅威になるのか深く考えていなかった。
「ふむ……」
お針子の話を聞いて、ゴブリンスレイヤーは思案する。それから、ゆっくりと話し出す。
「腐敗というものを、俺はよく知らない。だから、的確な助言とは言えないかもしれないが」
ゴブリンスレイヤーは自分の知識と経験から、お針子に語る。
「変化を見逃さないことだな」
「どういうことでしょう?」
「悪意を持って腐敗を広める者がいる場合は、何らかの変化があるはずだ」
自然に広まる腐敗は、個人ではどうにもならない。しかし、何者かの介入があるなら、何処かに変化があるものだ。ゴブリンが襲撃する際に、必ず斥候を出すように。
朱い腐敗は花が咲いた時に、最も広く侵蝕する。かつて、花を意図的に咲かせようとした者がいた。しかし、王がその悪意に気づき隻腕の娘に協力した時、その計画は頓挫したのだ。
「オイラに防げるでしょうか……」
「できることをやるしかない」
全ての被害を防ぐことなどできない。ゴブリンスレイヤーとて、全てのゴブリンの被害を防いでるわけではないのだ。
お針子は懸命に自分にできることを考える。
「星の動きとギルドの情報を確認します。気づいたことがあれば、必ず報告します」
「それが良いだろう」
やる事はいつもと大して変わらない。されど、目的を持って行動すれば、普段は気づかないものに気づけるというもの。
お針子は、納屋を出ると見え始めた星を見る。聖樹のある方角を見ると、星の動きが確認できた。昨日は気づかなかった、ほんの微かな動きだ。
お針子の星見の技術は少しずつ向上している。毎晩、欠かすことなく星を見続けた成果だ。
他の方角を見ると、聖樹の方角以外に大きな動きが確認できた。これほど星を動かせる存在は、お針子の知る限りただ1人。明日、ギルドに確認することが決まった。
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「さて、全員集まったな。各々の報告を聞こうか」
玉座に座る若き国王は己の心労を表に出さず、大広間に集まった国の重鎮たちに問う。彼の心労をよく知る者は、その堂々たる態度に改めて感心する。軟弱者なら倒れていてもおかしくない。
国王は全員集まったと言ったが、いつもならこの場にいる国王の友であり、英雄でもある女性がいない。いつも、ゴブリンは滅ぶべきと口にする女性が。それに気づかない者はいないが、その事をあえて口に出す者もいない。
「まず、例の病の治療について聞きたい」
「残念ながら、両方とも芳しい成果は得られておりません」
医学者が立ち上がり、報告を始める。
「霊薬を含め、様々な手を試しました。しかし、火の病には全く効果がなく、腐敗は生来身体が丈夫な者が回復しただけです」
免疫が元々高い者たちは助かったが、低い者たちは助からなかった。火の病に至っては、全く進展が無い。
「念の為、学院と神殿から手を借りて古文書も含め調べましたが、過去の記録にこのような病は見つかりませんでした」
「異界から来た病だ。症例がないのは仕方ないことだ。聖樹の調査はどうなっている?」
「麓に辿り着くのが限界ですわ。お手上げですぜ、陛下」
金等級冒険者の獣人が唸り声を出しながら、首を横に振る。
「防毒マスクを着けて麓までは行けたんですがね、キノコ野郎と怪物共が蔓延っていて登ることができません」
「腐敗の信者と腐敗に侵された怪物か」
全身をキノコに身に包んだ異常な集団。彼らは腐敗を信仰し、腐敗した地に根付こうとしている。防毒マスクでも防げない毒を使い、聖樹へ近づく者たちの行く手を阻んでいる。
怪物たちもかなり厄介である。大概の怪物は腐敗に侵された時に死ぬが、生き残った怪物は凶暴化する。おまけに肉体が巨大化する者、異常な生命力を身につける者などもいる。
仮に信者と怪物を突破できても、その先には聖樹の守護者たちがいる。命を賭しても聖樹を守ろうとする者たちが。
どうしたものかと考えていると、出席者の貴族が声をあげた。
「陛下、やはり例のお針子を呼び出すべきでは?」
「得られる情報は、剣の乙女が一通り聞き出した。これ以上は、何も望めないだろう。例の傭兵たちのこともある。彼の存在を、傭兵たちに知られる訳にはいかない」
出席者の何名かが、傭兵の事を聞いて顔をしかめる。あの傭兵たちは、正に獅子身中の虫だ。
万が一、あの傭兵たちにお針子の存在が知られたらどうなるか。お針子が死ぬだけではすまない。下手したら、褪せ人が自分たちと敵対する事もあり得る。
「何かあれば、ギルドを通して連絡できるよう手筈は整えてある。今はそれで充分であろう」
「畏まりました」
「次、腐敗の侵蝕はどうなっている?」
平民出の将軍が立ち上がり、説明を始める。
「例の都市を除き、聖樹から来る朱い腐敗の侵蝕は軍の包囲によって食い止められています。残念なことに、聖樹周辺にある森や草原を焼き払うことになりましたが」
「そうか……」
朱い腐敗について情報を得たときに、森や草原を焦土に変える作戦が直ぐに考案された。しかし、安易に実行できるものではない。戦争の焦土作戦にも近いこの作戦は、農民や森人から反発が出ることが予想されるため、できることなら実行したくはなかった。今は腐敗を食い止められただけ、良しと思うしかない。
「やはり問題は怪物たちだな。特に腐敗の都市、如何に対処すべきか」
聖樹から離れた場所、軍の包囲網の外側に位置する古い都市。数年前に放棄された都市だ。そこに、腐敗に侵された亡者をはじめとした様々な怪物たちが集結していた。
1体や2体の怪物が朱い腐敗に侵されたところで、その被害は大したことはない。その怪物を殺し、死体を燃やせば良い。だが、一度に大量の怪物が集まれば話は別だ。
怪物たちから放出される朱い腐敗は、都市を覆い尽くしたあと周囲の大地を侵食し始めてしまった。
国は朱い腐敗は聖樹の方からしか侵蝕してこないと考えていたため、都市の腐敗に気づくのが遅れてしまった。
「軍の主力は、聖樹の包囲から動かせん。あの傭兵たちは腐敗の相手はしない。そうなると残る手は……」
国王の声を遮るように、大広間の扉を開く音が聞こえた。見ると将軍の側近が、早足で将軍のもとへ向かって来た。
「会議中、失礼致します。腐敗の都市について急報が入りました」
将軍が国王の方を向き、彼らは互いに首を縦に振る。
「よろしい、報告せよ」
「はっ!都市を見張らせていた斥候たちより、怪物たちが壊滅したとのことです。壊滅させた人物は不明。大至急、都市を焼き払う手筈を整えるべきとのことです」
大広間に騒めきが広がる。腐敗の都市は、今回の会議の主題であった。国王が、将軍の側近に声をかける。
「その報告は確かなものか?」
「斥候たちは熟練の兵士から選びました。間違いは起こり得ないかと」
「なるほどな。将軍、会議はこちらで進めておく。急いで都市の対処に取り掛かれ」
「畏まりました。失礼致します」
将軍は側近を連れて、大広間から出て行く。扉が閉まると同時に、大広間は静かになる。国王が息を吐きながら呟いた。
「素直に喜ぶべきだろう。しかし、一体誰が……」
「恐らく、褪せ人だと思われます」
巨漢の宮廷魔術師が、立ち上がる。
「占星術師らが気になることがあると申しておりまして、星の動きと褪せ人は関連があるようなのです」
「どういうことだ?」
「褪せ人が現れたと思われる場所では、星が必ず動きを見せるそうです。つい先日も、腐敗の都市の方向で星に動きがありました。まるで、褪せ人が星を率いているようだと」
宮廷魔術師の話から、国王は褪せ人に関する話を思い出す。星の世紀とその王の話だ。
「夜の王、とても信じられるものではなかったが……占星術師たちは他に何か言っていたか?」
「月に違和感を感じること、聖樹の方で微かに星の動きがあるとのことです」
「月に違和感?どういうことだ?」
「分かりません。月が月だと思えなくなっただの、月を見てると不快な感覚がするだの、要領を得ない返答ばかりです」
「星の動きについては?」
「そちらも詳細は分かりませんが、褪せ人と関連があるのは間違いないと語っておりました。推測ですが、褪せ人は聖樹を目指していると考えられます」
宮廷魔術師の話を聞いて、国王は思案する。月に関しては分からないが、星の動きが本当に褪せ人と関連があるのなら、これは千載一遇の機会かもしれない。
「我々は、何としても褪せ人に会わなければならない。聖樹の調査も必須だ。ここは、彼女の出番であろうな」
国王の言葉に反対する者はいない。実力と実績だけではなく、彼女は褪せ人と出会ったことがあるのだ。これ以上の適任者はいない。国王は、彼女に連絡を取るよう命じた。
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腐敗した怪物たちに占領された都市は、最盛期がどの様なものだったかを想像できないほどに醜く荒れ果てている。とりわけ、中央の広場は地獄のような有様だ。美しかったであろう木々は全て枯れ果て、噴水は朱く濁った水が泥のように溜まっている。特に吐き気を催すものは、朱く染まった地面を埋め尽くす、数多の腐敗した死体であった。
死体は人ではなく、獣や巨人などの怪物のものであり、周囲の森や山などから集められたものだ。その怪物の死体に腐敗した魔犬やゴブリン、グールが群がり貪っている。魔犬とゴブリンは兎も角、本来グールが好むのは人の死体であり、旅人を騙して食う事もある。しかし、彼らはどんな死体でも構わず貪り続けている。朱い腐敗に侵されて思考を失い、その有り様は獣以下だ。
だから、石像が動いて怪物たちに忍び寄っていることなど、誰も気づきようがなかった。
怪物たちのすぐ側まで移動した石像は、擬態を解いて杖を振りかざし、怪物が密集している場所に魔術を放つ。放たれた魔術は着弾した後、爆発を起こして周囲に溶岩を降り注ぐ。突然の出来事に、死体に夢中であった怪物たちは抵抗できず溶岩に焼かれていく。
爆発音からようやく侵入者に気づいた怪物たちは、食事を止めて侵入者に襲いかかる。食らいつこうとする者、吐瀉物を吐き出す者、腐った息を吹き出す者。吐瀉物と息に含まれる朱い腐敗は、とても耐え切れる代物ではない。
だがそれは、治療法を持たない者に限る。あいにく侵入者は治療法を持っているため、腐敗に触れても取り乱す様子がなく、平然としている。
怪物が集まって来た所で、侵入者は杖を地面に突き立てる。そして杖を中心に、火山が噴火したかのように溶岩を噴き出させる。噴火が収まり、溶岩が冷え始めた頃には、広場にいた怪物たちは全員焼けた死体になっていた。
怪物たちを焼き殺した侵入者、褪せ人は広場の先にある一際大きな建造物へ向かう。その建造物は、かつて都市の象徴でもあった精巧な石造りの神殿である。近づいて観察すると、神の像もその印も全て破壊され、元が何の神を祀っていたのか分からなくなっていた。今では、この都市を腐敗の温床に変えた者が居座っている。まるで、己こそ神であると言いたげに。
褪せ人が神殿の中に入ると、広場にはなかった人の死体が石床を埋め尽くしていた。死体からは血が抜かれており、朱い腐敗に侵されているにも関わらず肌が青白かった。怪物たちはいない。この神殿の新しい主は、己以外の怪物が入り込むことを許していないようだ。
空の部屋の前を通り過ぎながら、奥へ進むと礼拝堂と思わしき場所にでる。すると、話し声が聞こえて来た。
「中々見事だが、ここまでだな老いぼれ」
声の主は、この神殿の新しい主のようだ。跪いた何者かに話し掛けている。
「お前はこの腐敗を嫌っているようだ。愚かな我が同族たちと同様にな」
神殿の主は、人の血を好む最も著名な恐ろしいアンデッド、吸血鬼であった。手にワイン瓶を持ち、そのワイン瓶には人の血が入っている。
「腐敗は、実に素晴らしいぞ。腐った果実から作られる酒を知っているか?白いカビが生えて腐った果実から作られる酒は、極上の甘味を持つのだ。初めて聞いた時は何を馬鹿な、と思っていたが……」
吸血鬼は、グラスに血を注ぐと一気に飲み干す。そして恍惚とした表情を浮かべ、興奮したように語り出す。
「この腐敗に侵された者の血。ああ、何と甘美なことよ!同族たちは、私が気が狂ったなどと言っていたが、無知で愚かなだけだ。この腐敗の、いや発酵の素晴らしさを理解できないとはな」
「……哀れな者よ」
跪いていた者が再び立ち上がる。片手に剣をもう片手には杖を持ち、道化師を連想する色鮮やかな鎧とボロ布のフードを被っている奇矯騎士であった。
「おぬしは腐敗を利用しているつもりであろうが、実際には腐敗に利用されているだけよ。何と滑稽であろうか」
「ほざけ!我こそが腐敗の支配者、腐敗の王よ!」
吸血鬼が奇矯騎士の息の根を止めようとした時、黒く燃え盛る炎が投げ込まれた。間一髪、吸血鬼が驚きながら黒炎を避ける。吸血鬼が奇矯騎士に視線を戻そうとすると、今度は黄金の光が瞬き、堪らず目を細める。黄金の光が収まった後、改めて奇矯騎士を見ると、銀の甲冑を身に付けた乱入者、褪せ人がいた。
褪せ人は奇矯騎士を祈祷で癒すと、直剣を抜いて斬りかかる。奇矯騎士も、剣を構えて炎撃を喰らわせようとする。新たな乱入者に怒りを覚えた吸血鬼は、真正面から向かっていった。
──────────
吸血鬼の腹部には、分かたれぬ双児の剣が深々と刺さっている。そして、徐々に灰となって滅んでゆく。黄金と白銀が絡み合い結合したその剣は、死に生きる者を狩る聖剣だ。その力は、この世界のアンデッドたちにも有効で、吸血鬼を完全に滅ぼすことができる。褪せ人は、死に生きる者を否定しない。しかし、朱い腐敗を広めた者を見過ごすことなどできない。
褪せ人は吸血鬼が滅びた事を確認し、分かたれぬ双児の剣を回収する。そして、奇矯騎士に話しかけた。
……また、助けられてしまったな
この恩は忘れぬよ、感謝する
祭りを探しにこの地まで来た際に
腐敗を広める愚か者の話を聞いてな
何としても防ごうとここまで来たが
不覚をとってしまった
しかし、久しいな
流星が落ちたと聞き、もしやと思ったが
祭りの勇者が、いや夜の王が
地上に降り立っていたか
時におぬし、暗月の女王は息災かの
星は見えるが月はここからでは
見えんのでな
……そうか、何よりじゃ
おぬし、あの方のことを頼むぞ
儂は祭りでも見て回ろうと思っている
あの戦祭りに勝るものは無いだろうが
どんなものであれ、素晴らしい祭りは
この老いぼれの楽しみなのじゃよ
秋には収穫祭があるようでな
王都の空気は肌身に合わんから
西の辺境に行くつもりじゃ
地母神の神殿がある街では
中々に大きな祭りをやるらしい
……ふむ、亜人のお針子か
残念ながら見かけておらんな
もし見かけたら気にかけよう
おぬしには幾度も助けられたからな
これぐらいは構わぬよ
さて、儂はもう行くとしよう
縁があれば、またどこかで会おう
新たなる王よ
連休中にも一話投稿するかもしれません。
諸事情で連休が短くなってますが。
吸血鬼の言っていた酒ですが、実在する酒です。
貴腐ワインと言う高級品らしいです。
あの騎士たちの語源ですね。
酒は苦手ですが、一度は味見してみたいものです。