404 not found—From missing— 作:疎遠
白く、白く、どこまでも白い部屋だった。
まるで無菌室のような、白以外の全てが追放された広大な空間。
かつての少年にとって、そこが世界の全てだった。
「…………、」
白い床に座り込んだまま世界を眺める。
少年と同じくらいの年頃の少女が目の前を駆けていった。薄緑一色の簡素な服の裾が視界をはためく。釣られるように視線を動かして、その先にもまた同じ服装をした別の少女。彼女たちは無垢な笑い声を上げながら、じゃれ合うように転がっていく。
カンカン、という軽い音が聞こえてきた。
転げ回る彼女たちの奥では、幾人かの少年が棒を振り回して遊んでいる。自分たちで編み出しただろう、カッコイイポーズや雄叫びをあげて彼らは棒をぶつけ合う。激しく動き回る度に、片腕の袖だけが大きく揺れている。
彼らの横では、片脚のない少女達が座りこんで人形遊びをしていた。
その向かいには、手を繋いだまま回り続ける、頭に包帯を巻いた少年少女達。
誰も彼も、みんな楽しそうだった。
ぽんっ、と少年の背中に何かが軽く当たる。
振り向いてみる。
少年の頭くらいの大きさのボールが転がっていた。
「…………、」
なんとなく拾ってみる。
ボールを両手で抱えたまま、視線を少し上げる。
子犬のように駆け寄ってくる少女がいた。
「ボール……!」
少し離れたところで立ち止まった彼女は笑顔でそう言った。
手は届かない。少年は投げるために立ち上がろうとして、バランスを崩したように転んだ。
自分の下半身に目をやる。
両脚が不自然な方向に曲がっていた。
実験の時に砕けたのか、と他人事のように思った。
「……痛い?」
少女は悲しそうに眉尻を下げていた。
分からない。
痛いという言葉の意味も、どうして少女がそんなに悲しそうな顔をしているのかも————少年には、何も分からない。
三日後。都内某所。
本日の天気は曇り。熱帯性低気圧の影響でジメジメとした一日になるでしょう。夕方から夜にかけて雨天になるため、お出かけの方は傘をお忘れなく。
「でっけー……」
立ち並ぶ高層ビルの中でも頭抜けて大きい一棟の前で、
ヨツバ特定生物系技術開発機構本棟。目の前の自動ドアの上にはそう書いてある。
世の中大きければいいと言うものでは無いが、大きさというのは一つの指標にはなる。頭抜けて大きいということは、それだけ力がある『企業』なのだろう。
これは厄介なことになりそうだ、と一織はそっと腰に手をやった。ジャケットの裏へ隠す形で差し込んである『それ』の感触を確かめる。
可能な限り『それ』を使う事は避けたいが、今回は準備期間が少なすぎた。二日半————六〇時間弱では、大した装弾数を見込めない。
覚悟だけは決めておこう、と一息吐いてビル内へ踏み込む。
『いらっしゃいませ、本日のご要件は?』
「あーはいはい。
自動ドアを抜けてすぐ左手。カウンターの奥から無機質な声を投げてくる受付ドローンに向かって、五センチ四方のカード端末をかざす。
『————……認識しました。第二開発課所属、新庄一織主務補佐。お疲れ様です』
「どーもどーも」
電気的なセキュリティは、『
とにかく、少しでも楽に
目の前で開く隔壁(厚さ五〇〇ミリの特殊鋼版。大型トラックの正面衝突でも破れない)を潜り、エントランスロビーへ入る。
所々に向かい合う形で点在するソファ。その間に挟まる形で置かれているガラステーブル。一織から見て左手側の壁際には自動販売機が置かれ、コーヒーメーカーと思しき機械もひっそりと並んでいる。
ロビーを仕切る形でいくつか立ち並ぶ仕切りはレンガ調の生垣か、と思ったが、よく見たら仕切りの上に生えている草は全部作り物だった。
会社と言うより、ホテルのロビーに近い雰囲気かもしれない。
人気はなかった。
午前十時を少し回った現在、職員は大方各々の部署で仕事に励んでいるのだろう。
生垣の間に真っ直ぐ通った通路を歩きながら、一織は脳内の情報をさらう。
ヨツバ特定生物系技術開発機構グランドタワー。
総敷地面積約一三〇〇〇平方メートル、地上高二二〇メートル。本棟と分棟の二つからなり、階数はどちらも四〇。二棟は地上二〇階の連絡通路を通して表参道を挟む形で繋がっている。
本来、公道の上空は法的に国有のはずだ。それを無視しているということ自体がヨツバという『企業』の力を物語っていた。
法とは、抑止力があって始めて機能する。
例えば、ある組織が犯罪を犯したとしよう。窃盗でも、密売でも、内容はなんでもいい。
その場合、警察という抑止力が動く。検挙し、摘発することで組織は解体され、それを見た他の民衆は「犯罪を犯せば自分もこうなる」と理解して法を守る。
では、仮に。
分かりやすく言えば武力。全国の警察機構が束になっても敵わないような武力を組織が手に入れてしまったらどうなるか。
迂闊に手を出せば警察の方が返り討ちにあう。故に警察は手をこまねいて静観するしかなく、それを見た他の民衆は「力があれば犯罪を犯しても止められない」という価値観を得る。
抑止力の瓦解。
高度発展した技術という力を持った『企業』の敵は、同じく新たな技術を生み出す他の『企業』でしかなく、そこに法や倫理といったブレーキは存在しない。
過熱しすぎた技術競争が産んだ負の連鎖の結果が、今の社会である。
「……ま、そういうのを止めるために俺みたいなのがいるんですけれども」
エントランスロビーの最奥、無駄に豪華なエレベーターの前で一織はそう呟いた。
「さて、と。どうしたもんかね」
本棟は恐らく『表』、ヨツバの本来の事業内容である医療薬剤系の研究施設がずらりと並んでいる。故に、臭いのは分棟。
ただし、
「あのタヌキババアめ……なにが『可能であれば』、だ」
用途不明の空間————その数が多すぎる。
地上四〇階の分棟の中に、総数七二ヶ所。面積的に小さすぎる空間を除いても五七ヶ所。これだけの数をしらみ潰しにしていくとなれば、かなりの時間と労力がかかる。
前回の『
前回のように傭兵として雇われることで堂々と潜入したわけではなく、電気的な誤魔化しによって入り込んでいるのだ。『
そうなれば最悪、数百人を超えるヨツバの職員全員を相手取ることになる。いくら一織でもその状況で
タイムリミットは保って一日。それ以上は事実上失敗になる。
であれば、まずはその情報を得るところから始めるしかない。
「所詮雇われは踊らされるのが定めってわけね」
ボヤきつつエレベーターを呼ぶ。開いたドアから乗り込んで押した階数は二〇。
どの道、まずはその猟犬とやらを見つけなければ話にならない。
捕らえられているという線は捨てていい。もし『
となると、どこかで身を隠しているということになるが……このグランドタワーがいかに広大なビルとは言え、所詮壁に囲まれた空間だ。職員や監視カメラの目に触れない場所は限られる。
即ち、用途不明の空間————面積の小さすぎる一五ヶ所のうち、どこか。
恐らくそこは『構造上不可欠な隙間』だ。内部にあるのは配管だったり防音材だったり、まあいろいろだろうが、いずれにしても何か目的のある部屋と言うわけではない。
身を隠すと言えば、そこくらいしかないだろう。
ポーン、という軽い音と共にエレベーターのドアが開く。
二〇階の床を踏んだ一織は、迷いのない足取りで連絡通路へ向かう。
『お疲れ様です。ここより先の立ち入りはレベル三以上の権限が必要で————』
「はいはいカチコミカチコミ」
『————……認識しました。特三研究推進課、新庄一織実務主任。通行を許可します』
ドローンに偽造IDをかざし、開いた隔壁を通り抜ける。
ここから先は時間との勝負だ。
どの道一度でもバレれば終わり。クラッキングにいちいち躊躇っている場合ではない。
連絡通路を抜ける。
潜んでいる猟犬と『
ヨツバに潜り込まされる程の腕だ。あらゆる能力が自分と同じかそれ以上、最悪一五ヶ所をしらみ潰しに当たってようやく見つけられるかどうか。
見つけたとして、そこから
もうこうなれば後は運任せしかない。
いかに早く猟犬と出会えるか、一織は分棟の通路を進みながら脳内でタイムスケジュールを計算して、
「……、は?」
二〇階中腹、特二開発研究課横の通路。一五ヶ所のうちの一ヶ所。
そこで、一織はありえないものを見た。
一見すれば普通の壁だ。鉄筋コンクリートの上から白い塗料を塗りつけた、周囲と比べて見ても何も変わらない普通の壁。
一織のような裏稼業の人間であれば一目で気づく。
白一色の壁、その足元部分。床と接地する部分に、明らかに人為的であろう破壊の痕跡があった。
範囲は直径一メートル程度の半円形。
確かにこの大きさであれば人間一人くらいギリギリ潜り込めるだろうが、
(……杜撰すぎる)
この程度の偽装、もはや見つけてくださいと言っているようなものだ。仮に一織が本気で隠れるつもりならば、こんな分かりやすい偽装はしない。
罠か、それともあえて敵の目をここに向けさせるための
「…………、」
一織は少し悩んでからしゃがみ込む。
罠だろうとブラフだろうと、隠れ潜む猟犬を見つけるには現状これしか当てがない。
壁をなぞるように手を滑らせて————やはり、手応えが消えた。
ジッ、という微かな音と共に何の変哲もない壁だった風景が乱れる。破壊した半円に、破壊する前の『
(……ワイヤー無し。レーザー無し。地雷はこの状況じゃ埋められない。後の懸念は『
ホログラフの乱れ方と手探りで罠の可能性を潰していく。
一通り可能性を潰し切って、少なくとも入った瞬間に死ぬようなことは無いと判断した一織は、周囲を確認した後顔だけ突っ込んでみる。
内部は暗い。が、穴を抜けたすぐ下に何本かパイプらしきものが通っているのが見て取れた。
足場があることを確認して、頭を引き抜く。ついで、穴の上辺に手をかけたまま足から滑り込むように潜り込んだ。
カツン、と足が金属に触れる音がする。
感触からして円形。やはり配管の通る空間か、と当たりを付けて、
瞬間。
視界の端で何かが煌めいた。
「い——っ!?」
慌ててそちらへ首を回すが、もう遅い。
失敗した。察知が遅い、この暗闇では自分の目も機能しない。その判断を見誤った。罠の可能性ばかりを警戒して、内部への注意を怠った。そもそも、あえて敵を誘い込む罠など王道中の王道だろう。どうして中に誰も居ないと無根拠に信じ込んだ!?
濁流のような思考が脳裏を埋め尽くすが、体はピクリとも動かない。
その間にも鈍い光は線となって、硬直した一織の首へと軌道を描く。
到達は瞬、絶命は秒————!
(……やば、これ間に合わな————)
直後。
配管の隙間を落ちていく重い音がした。