酒場の窓の外が薄暗くなっても、二人は勝負を続けていた。
ウタ「さあ、これで56戦56勝!あたしの勝ちよ!」
ルフィ「今のはおれが勝ってたぞ!」
ウタ「あたしの方が早かった早かったに決まってるでしょ! ま、あんたもなかなかの手際だったし、良くて引き分けね」
二人はロープを使った早結び対決をしていた。
こればかりはルフィも船上で経験があるため実力が拮抗していたが、手指の短さが勝敗を分ける結果となった。
ルフィ「ふん!なら次はお前に勝つ!」
ウタ「もうしないわよ」
ルフィ「えっ!?」
ウタ「なんであたしがいつまでもあんたと勝負してなきゃいけないのよ!あたしには仕事があるの」
そう言うと、ウタは座っていた椅子から降りて外へと歩き出した。
ルフィも急いでその後を追う。
ルフィ「お前! 負けそうになったからって勝負を降りるなんて卑怯だぞ!」
ウタ「なにが卑怯よ!これは海賊の勝負って言ったでしょ? 勝った方が偉いのよ」
ルフィ「ぐぬぬぬぬ……!」
シャンクス「ウタ」
呼ばれて振り返ると、シャンクスが二人が結んだロープを手に持って立っていた。
左手には綺麗に結ばれたロープ、右手には無骨だがぎゅっと強く結ばれたロープ。
両手に一本ずつ持って吊り上げると、左のロープの結び目がはらりと解けて落ちた。
ウタ「えっ? ええ~~~っ!?」
シャンクス「ウタのロープはきちんと結べてなかったようだな」
ルフィ「よっしゃ! 勝ったァァ!!」
初勝利に湧くルフィに対しウタはぎりりと歯ぎしりする。
ウタ「結んだのが早かったのはあたしよ!引き分け!」
ルフィ「ちゃんと結べてたのはおれだ! 勝ち!」
ウタ「引き分け!!」
ルフィ「勝ち!!!」
ウタ「引き分け!!!!」
シャンクス「はァ……いい加減にしろ」
シャンクスが剣の鞘でコツン、コツン、と二人の頭を小突いた。
ウタ「いたっ! 子供に剣を使うなんて海賊の風上にも置けないぞ、シャンクス!」
シャンクス「ばーか。今のは愛の鞭ってやつだ」
ルフィ「鞭じゃなくて剣だったぞ……」
頭を押さえてボヤくルフィ。ゴムの身体じゃないので普通に痛かった。
ウタ「もう、愛だなんてェ♡ 私を愛してるってこと? シャンクスぅ」
頬を染めたウタがシャンクスの脚にまとわりつく。
ルフィは少し羨ましく思ったが、もう子供ではないので我慢した。
と同時に、懐かしさを覚える。
フーシャ村に赤髪海賊団がいた頃はみんなの肩や背中によじ登り、笑ったり叱られたりしたものだ。
ウタ「あ~、シャンクスに愛されて嬉しいから唄っちゃお! みんな、準備はいい?」
ウタはシャンクスから離れると、広場の真ん中でくるくると回って機嫌良く両手を上げた。
『よしきた!』『ウタのステージだな』『誰か楽器もってこい!』
声を聞いて表に出てきた海賊たちが、やんややんやと囃し立てる。
その様子に、大人のウタが唄っていたライブを思い出した。
ルフィ「あいつも唄うのか?」
ボンク・パンチ「知らないのか? 海賊には歌が付き物なんだぞ」
ウタ「そう! あたしは赤髪海賊団の音楽家、ウタ! みーんなが自由になれる新時代を、歌で作る女よ」
シャンクス「さあ、うちの音楽家のステージだ!」
しゃがんでルフィの肩に手を置き、シャンクスがウタを見るように促す。
どこからか流れるピアノの旋律に合わせて、ウタはゆっくりと唄い始めた。
《この風は どこからきたのと》
《問いかけても 空は何も言わない》
《この歌は どこへ辿り着くの》
《見つけたいよ 自分だけの答えを》
《まだ知らない海の果てへと 漕ぎ出そう》
大人のウタが歌った時のような、豪華な演奏も派手な舞台演出もない。
ともすれば煩く騒ぎ出す海の男たちが静まり返る中、たった一人、澄んだ歌声で唄うウタ。
ルフィは、どこか心を揺さぶられる思いがした。
ルフィ「この曲……」
そうだ、確かあの時……
* * *
――回想・ルフィの記憶
フーシャ村に赤髪海賊団が滞在していた頃。
いつものように山で修行をしていたら、いつの間にか日が暮れてしまった。
……そうだ、今日はシャンクスたちが船で帰ってくる日だった!
急いで山を下りたルフィはそのまま酒場へ向かったが、もうすっかり暗くなって人気もなく、マキノが店じまいを始めていた。
マキノ「あらルフィ。今日は遅かったのね」
ルフィ「シャンクスたちは?」
マキノ「もう船に戻ったわ。ああでも、シャンクスさんはまだ飲んでるかしら」
小首をかしげるマキノの横をすりぬけて、ルフィは酒場に入った。
窓際のテーブル席に一人座って、椅子をゆっくり揺らしている男がそこにいた。
テーブルの上には空の酒瓶が何本も立っている。
シャンクス、と声を掛けようとしてルフィは立ち止まった。
奥の方から、何か声が聞こえてきたからだ。
シャンクス「……たーった、ひとつの、ゆめ……、決してゆずれ……な…い……」
低く響くその歌は、決して上手いとはいえないものだったが、それでもルフィの耳に強く残った。
いつも陽気に歌う『ビンクスの酒』とは、違うメロディ。
初めて聞くその歌は、いったい何の歌なのだろう。
「今は一人にしてやってくれねェか」
背中をポンと押されて、振り返るとベックマンが立っていた。
手を引かれて酒場を出た後、ルフィはむん、と顔を上げる。
ルフィ「シャンクスは、一体どうしたんだ?」
ベックマン「男はたまに一人で飲みたいときがあるのさ」
ルフィ「……歌ってるのは?」
ベックマン「人間、他人に喋れねェ事も一つや二つ、あるものさ」
ルフィ「なんだよそれ……ベックマンも言えないのか?」
ベックマン「お頭が言わねェんならな」
なんだか除け者にされた気がして、ルフィはムッとした。
けれど、二人が聞かれたくないことなのだろうというのは、なんとなく分かったのだ。
ルフィ「わかった。もう聞かねェ」
ベックマン「悪いな」
ルフィ「いいってことよ!」
その場は、そう言ってベックマンと別れた。
いつか、大人になったら教えてもらおう。
そう思ったことを、すっかり忘れていた……――
* * *
《ただ一つの夢 決して譲れない》
《心に帆を揚げて 願いのまま進め》
《いつだって あなたへ 届くように 歌うわ》
《大海原を駆ける 新しい風になれ》
同じ曲、同じ歌だった。
ルフィの頭の中で今やっと、目の前にいる海賊たちと“赤髪海賊団”が繋がったのだ。
一番を歌い終わったウタは、男たちの傍へ行き一緒に歌うように促している。
ボンク・パンチがフィドルを鳴らし、ライムジュースがビートを刻み。
ラッキー・ルウとヤソップが肩を組んで体を揺らすと、他の海賊たちも集まって大口を開けて合唱し始めた。
シャンクスも楽しそうに唄っている。
あの日、一人で歌っていたシャンクスの面影はどこにもない。
でもきっと、あの日のシャンクスは、このシャンクスから続いているのだろう。そんな気がした。
《どこまでもあなたへ 届くように 歌うわ》
ウタはシャンクスの隣で身体を揺らし、楽しそうに笑っている。
彼女にとっての歌は、みんなで唄うものなのだ。
視線で促されて、気が付くと、ルフィも口を開いていた。
《大海原を駆ける 新しい風になれ》
* * *
――最後のフレーズを唄い、歌が終わりを迎える。
『よかったぞウター!』『やっぱりうちの歌姫は最高だ!』
海賊たちは互いの背中を叩き合い、大きなごつい手で小さな歌姫に賞賛の拍手を贈った。
その歌姫はというと。
ウタ「……すー……すー……」
柱の陰に座ってこくりこくりと舟を漕いでいた。
小さな唇が薄く開き、安らかな寝息を立てている。
ルフィ「……なんで寝てんだ?」
しゃがんで顔を覗き込みながら、ルフィは指先でつんつんと肩をつつく。
シャンクス「思いっきり歌うといつも寝ちまうのさ。よっぽど楽しかったんだろうなァ」
シャンクスは着ていたマントでウタを包むと両腕でひょいと抱き上げた。
柔らかい頬を胸に預け、すっぽり丸く収まる姿はまるでそこが定位置であるかのように見える。
シャンクス「……一度でも勝ったら、教えてやる約束だったな」
愛おしく背中を撫でながら、シャンクスは顔を上げる。
シャンクス「この世界は“夢”だ。夢だからこそ、肉体より精神の影響を受けやすい」
シャンクス「お前がずっと子供の姿でいるのは、ウタの能力に“心”が負けているからだ。だから、“心”を強く持てば反発できる」
ルフィ「……そんな簡単でいいのか?」
今まで駄目だったのにそんな精神論で解決できるのかと、ルフィは心配そうに眉を顰める。
実際、何度やっても出られなかったし、ルフィはウタに負け続けた。
シャンクス「心だってずっと同じ強さじゃないさ。弱い時もあればたわむ時もある。海の波と同じだ」
シャンクス「今この世界には、たくさんの“心”が集まってる。ウタが“ウタウタの実”の能力で呼び寄せた人々の“心”だ」
シャンクス「これだけ大勢の人間が“ウタウタの世界”に来るのは初めてだからな。どっかかしらで綻びが起こっていても不思議じゃない」
シャンクス「例えば、おれたちがこうして好きに行動できていること、とかな」
ルフィ「!」
ニッと笑ってシャンクスはウタを右腕で抱えたまま、左腕を前に突き出す。
シャンクス「ウタの心から生まれたおれたちァここから出ようなんて思わねェが、部外者のお前ならできるだろう」
シャンクス「強く願え。お前のなりたい姿に」
――お前がなりたいのは何だ?
ルフィ「おれは……おれは……!!」
シャンクスの被っている麦わら帽子に自然と目が吸い寄せられる。
その麦わら帽子に誓った。
いつか必ず返しに行くと。
海賊のように自由に生き、世界中を冒険したいと願って、航海に出て。
仲間と出会い、果てを知り。
強さを知り、弱さを知った。
左目の下がチリチリと痛む。心臓の音がドントットと鼓動を打つ。
なりたいもののために。作りたい世界のために。
……欲しいもののために!
ルフィ「おれは……海賊王に!」
ルフィ「海賊王に、おれは、なる!!!!!」
シャンクス「ほう……!! それがお前の今の姿か」
19歳の姿に戻ったルフィは、海賊らしい二角帽を被り、分厚い黒のレザージャケット、腰には剣を身に着けていた。
身体はゴムに戻り、髪の毛から足先まで全身に力がみなぎっている。
今のルフィは――“麦わらの一味”の船長、モンキー・D・ルフィだ。
ルフィ「おれは行くぞ」
シャンクス「ああ」
踵を返そうとしたルフィは、しかし一度だけ立ち止まった。
シャンクスの腕の中で眠る少女をちらりと見る。
ルフィ「礼は言わねェ」
シャンクス「当然だ」
ルフィ「おれはあいつをぶっとばすぞ」
シャンクス「やれるものならやってみろ。おれたちの娘は強いぞ?」
シャンクスの後ろで男たちが、赤髪海賊団が挑発するように笑っている。
ルフィはそれに乗らなかった。元より戦う理由はない。
背を向けると、両足に力を込めて天に飛び上がる。
そして、眼下の海賊たちには目もくれずに空を蹴って翔け上がっていった。
* * *
ウタ「……シャンクス」
シャンクス「おっ、ウタ。もう狸寝入りはいいのか?」
腕の中でもぞもぞと動く娘をしっかり抱え直して、シャンクスはにやにやと笑った。
シャンクス「わざと結び目を緩くして勝たせてやることもなかったろうに。いいのか?」
ウタ「……うるさい。引き分けよ」
まだ眠そうにまばたきすると、少女は“海賊”が去って行った空を見上げた。
夢と現実、最初から相容れない存在だ。
心のクローゼットに紛れ込んだ異物を、ただ元の場所に返したに過ぎない。
ここはあたしと赤髪海賊団の、幸せな思い出。
そういう閉じた世界に……自由を望む『あいつはいらない』のだから。