「……嫌な予感がする」
――覚えているのは、そこまでだった。
気が付けば、ルフィ達はライブ会場の枡席に寝転がっていた。
海の向こうでは今にも太陽が西に沈もうとしている。
ウソップ「……いま、何時だ?」
目を覚ましたウソップが頭を振り、眠気を振り払おうとしていると、
麦わら帽子を腹の上に乗せて寝息を立てていたルフィが、ばっと飛び起きた。
ゾロ「よく寝てたな。お前が最後だぞ」
ルフィ「ウタは?」
ゾロ「おう」
ゾロが指差した先は、ステージの上。
そこに見えたのは、海兵に取り押さえられコビーに手錠を掛けられるウタの姿だった。
ウソップ「プリンセス・ウタが!……うぎっ!」
ビキィッ
背中からした嫌な音にウソップは思わず突っ伏して悶えた。
隣でルフィが立ち上がろうとしてバタン、とひっくり返る。
ルフィ「な……だ……これ、身体が……イテェ…!!」
ゴムのはずの全身が動かそうとする度に悲鳴を上げ、筋肉が収縮する。
見れば、他の仲間たちも腰を押さえたり起き上がれなかったりと散々な有様だった。
チョッパー「イテテ、これ……たぶん、筋肉痛……っ」
ロビン「ひょっとして……ネズキノコを食べて、現実でも身体を動かしたせいなのかしら……」
ナミ「ちょっと動きにくいだけかと思ってたら、思わぬ副作用ね……っ、いたたたっ、足が……」
ゾロ「ケッ、情けねェ。鍛え方が足りねーな」
サンジ「お前は座ったまま動けねェだけだろ!見栄張るなクソマリモ!」
ゾロ「なんだとぐる眉!悔しかったら起き上がってみろ!」
サンジ「あんだとコンチキショ~~!!」
ジンベエ「お前さんたち元気じゃのう……わしゃ何とか身体が動くが……そっちはどうじゃ?」
フランキー「アウ……あちこちの関節がオーバーヒートしてやがるぜ……」
ブルック「骨身に染みる痛みですねェ……アッ、私身がないんですけど!ヨホホホホ」
“麦わらの一味”が悪戦苦闘している間にウタの両手には海楼石つきの手錠がかけられ、コビーが冷静な声で海兵たちに指示を出していた。
コビー「もう押さえなくて大丈夫です。“悪魔の実”の能力は使えませんから」
身体を押さえつけていた海兵たちが離れると、ウタはふらつきながらもゆっくりと立ち上がった。
海楼石で力を奪われているせいか顔は青ざめ、身体が小刻みに震えている。
コビー「……大丈夫ですか? 眠ったのもほんの数十分でしょう」
連行しようと近づいたコビーが小声で尋ねると、ウタは弱弱しく微笑みを浮かべた。
ウタ「うん。大丈夫……頭はすっきりしてるよ。身体はもうガタガタだけどね」
『トットムジカ』が消えた後、力尽きてステージ上に倒れ込んだウタを支えたのは、ブリュレを抱えたカタクリだった。
彼はブリュレとオーブンが一向に目を覚まさないことに焦り、ウタに直接問い質そうとしたのだ。
カタクリ「おい、どういうことだ。魔王を倒せば心が戻って来るんじゃないのか!!」
――自分が眠れば、みんな目覚める。
小さな声でそう答えたウタは、眦からはらはらと涙を流した。
そして、憑き物が落ちたかのように晴れやかな顔で笑うと、そのまま目を閉じて眠りに落ちたのだ―――
そしてその後、最初に目覚めたのはコビーだった。
ネズキノコを食べていなかった彼は現実世界の状況を把握すると、イッショウたちに掛け合い目覚めつつある観客たちの避難誘導を優先させた。
そして地獄の筋肉痛に悲鳴を上げるヘルメッポを眠るウタの傍に置くと、ウタを逮捕するための諸手続きをほんの十数分の間に済ませたのだった。
それもこれも、歌姫ウタの討伐命令を撤回するための方策である。
一方、ウタの身柄を海兵に預けたカタクリはブリュレとオーブンを連れてライブ会場を離れていた。
“モチモチの実”の能力で作り出した移動ベッドの上で、眠っていたブリュレが僅かな振動に目を覚ます。
ブリュレ「……カタクリお兄ちゃん? ここは……」
カタクリ「起きたか、ブリュレ。急いでここを離れるぞ」
ブリュレ「……え? (ビキッ)ひぎっ!」
オーブン「なんだ、うるさいぞブリュレ……(ビシッ)ぐおォっ!」
筋肉痛に苦しむ二人を他所に、カタクリは徐々に暗くなる夕空を仰いで厳しい視線を向けた。
カタクリ「……嫌な予感がする」
海兵「コビー大佐、船の準備が整いました」
コビー「ありがとうございます。皆さんも、観客の避難救助お疲れさまでした」
海兵「いえ……」
コビー「先程も言いましたが、ウタの身柄はこちらで預かります」
指揮系統が異なることをアピールし、あえて固い口調でコビーは立場を主張した。
海兵「寝ている海賊たちはどうしますか」
コビー「……眠っているだけなら害はないでしょう。指名手配中の海賊を一網打尽にする機会ではありますが、そちらに余力はないのでは?」
避難活動に精一杯だった海兵らは、疲れた顔でお互いを見る。
先程仲間を連れて逃走したカタクリを含め、懸賞金が憶を超える賞金首たちがこの会場にはゴロゴロしている。
上の命令があれば逮捕するが、積極的にはやりたがらない顔をしていた。
コビー「では、ぼくたちは先に行きます。ヘルメッポさんは落ち着いたら船に来てくださいね」
ヘルメッポ「イチチ……お、おう」
ボルサリーノ「そうはいかないよォ? コビー大佐」
声に振り向くと、新たに武装した海兵を引き連れたボルサリーノが現れた。
ボルサリーノ「歌姫の身柄はこっちで預からせてもらうよォ、何せ世界を滅ぼそうとした極悪人だからねェ~」
イッショウ「悪く思わねェでくだせえ。あっしらもサカズキ元帥から直接、討伐命令を受けてるもんで……」
コビー「……っ」
コビーは唇を噛む。こちらが任務を先行しているとはいえ、階級は向こうが上。
立場上、命令に従わなければならないコビーは必死に知恵を絞り打開策を考えていた。
コビー(どうしよう、このままじゃウタはすぐに処刑されてしまう……!)
コビー(まだ世界中のファンは混乱したままだ、何の弁明もなくただ悪として断罪するのが海軍のやることなのか……?)
コビー「じ、自分はウタの能力を解明するためにエレジアへ潜入しました。まだ任務は完了していません。それに……」
ボルサリーノ「ア~~、そういうのはこっちで引き取るから大丈夫大丈夫。“悪魔の実”のことならDr.ベガパンクが第一人者だからねェ」
ボルサリーノ「コビー大佐は大人しく歌姫を渡すだけでいいんだ。分かるかい~?……このままじゃ面子が立たないんだよ」
ゆっくり近づくボルサリーノの黒い影がコビーに覆いかぶさる。
戦艦三十隻を出して、被害も甚大で。
何の収穫もなく立ち去るわけにはいかないと言っているのだ。
ガープ「なんじゃなんじゃ、モメとるのか」
そこへやってきたのはガープだった。
『トットムジカ』の脅威が去り無事に上陸した部下たちと共に歩いてくる。
コビー「ガープ中将!」
ガープ「ひさしぶりじゃのう、コビー。……ヘルメッポは何を腰抜かしとるんじゃ、しゃっきりせんかい!」
ヘルメッポ「あだっ! は、はいいいィ!」
背中を強く叩かれてヘルメッポは慌てて直立する。修行時代を思い出して咄嗟に反応してしまった。
ガープはさらに手錠をかけたウタにも近づいて顔を覗き込む。
ガープ「嬢ちゃんもしばらくぶりじゃ。前に会った時はこーんなにちまっこかったが、成長したのう!ぶわっはっは」
コビー「お知り合い……でしたか」
ガープ「うむ、ここにいるゴードンとわしは古い友人での。それに13年前にここで起こった事件はわしが担当しとったんじゃ」
かつて赤髪海賊団がエレジアを去った後、入れ替わりにやってきた海軍の船に乗っていたのがモンキー・D・ガープだった。
彼は被害者である国王の証言を通じて“赤髪海賊団がエレジアを滅ぼした”と記録に残したが、それは表向きのこと。
信頼のおける友人である彼に秘密を隠し通すことは、当時悲しみに暮れていたゴードンにはできなかった。
そして真実を打ち明けられたガープも友の心を慮り、残された少女と『トットムジカ』、二つの秘密を守ることを固く約束した。
それが13年前の出来事である。
ゴードン「英雄のあなたにまた世話になるとは……すまない」
ガープ「こらこら、元国王が易々と頭を下げるもんじゃないわい」
豪快に笑いながらゴードンの肩をばしばしと叩く。こうして並ぶとゴードンの方が年若く見えた。
ガープ「それでウタ嬢ちゃんともその時に知り合うての。『トットムジカ』もそうじゃが嬢ちゃんが“赤髪”の娘だというのも、全部隠せと世界政府に言われて難儀したわい」
ヘルメッポ「あのー……それ言っていいんですか。隠蔽工作なんじゃ……」
ガープ「ん? ああ……そういやダメなんじゃったな。今のナシ!」
とんでもないことを抜かす英雄に一同はあきれ返った。
モモンガ「ナシも何も……」
イッショウ「ばっちり聞こえてるんですがね……」
ボルサリーノ「やれやれ、相変わらず食えない御人だ」
海軍の重鎮が揃って嘆息する中でガープは改めてウタと向き合い、大人が子供にするようにしゃがんで視線の高さを揃える。
ガープ「大体の事情は世界政府の調査員に聞いたぞ。一度目は過失でも、二度目は故意になる。……わかっとるな?」
ウタ「……はい」
前回も、今回もウタが引き起こしたことだ。
一度目は大人の優しさでもみ消され、二度目は自らの意志で魔王を呼び出した。
……今度こそ責任をとらなくちゃ。
覚悟の眼差しを見て、ガープは大きく頷いた。
ガープ「よし! ならこの件はわしが預かるとしよう」
立ち上がってボルサリーノの方を向き「いいな?」と念を押す。ボルサリーノは肩を竦めて答えた。
ボルサリーノ「よくないと言ってもアナタ首突っ込んでくるでしょう。まったく……あんまりサカズキを苛めないでやってくださいよォ」
ガープ「ぶわっはっは、どうせ過去の事例だの聴取だので後から呼ばれるんじゃ、ひとまとめにしてやった方が早いわい」
ガープ「それに当時のわしらがあえて事実を伏せたことも嬢ちゃんには重荷だったんじゃろう。……すまなんだ」
ガープにまでそう言われてウタは涙ぐみそうになり、顔を俯けた。
……どうして誰も彼もが優しくするのだろう。悔しくてならない。
まるで一人では何もできない子供のようだ。
* * *
ロビン「……ウタはこのままガープ中将が連れて行くようね」
サンジ「ああ、おれも聞こえた」
ルフィたち“麦わらの一味”は枡席の中で身を伏せ、隠れながらステージの様子を伺っていた。
ロビンは横になったまま“ハナハナの実”の能力で目と耳を咲かせ、うつ伏せのサンジは見聞色を研ぎ澄ませて向こうの状況を聴き取っている。
筋肉痛の痛みにも慣れてきて、みんな少しずつ身体を動かせるようになっていた。
ブルック「ウタさんは騒ぎを起こした責任を一人で取るつもりなんですね……」
フランキー「『トットムジカ』なんてヤバいもんを2体も呼んじまったからなァ……だが、このまま行かせちまっていいのか?」
フランキーの視線の先にはウソップとチョッパー、そしてルフィがいる。
ウソップ「……プリンセス・ウタが自分で決めたことなら、おれは何も言わねェよ」
チョッパー「でも大丈夫かな、ひどいことされないといいんだけど……」
枡席の岩壁に身体を寄せながら、ウソップは何とかステージを覗こうとしている。
その背中によじ登りながらチョッパーも不安そうな顔をしていた。
ウソップ「大丈夫だって!海軍にもプリンセス・ウタのファンはいるだろうし、コビーやルフィの爺さんがついてるし……なっ!」
チョッパー「そうかなあ……」
ウソップはチョッパーを励ますように明るく伝えるが、それはまるで自らに言い聞かせているように聞こえた。
一方のルフィはというと。
ルフィ「考えても仕方ねェことは今考えねェでいいさ。あいつの人生だ。サニー号に戻ろうぜ!」
あっけらかんとそんな風に言うので拍子抜けしてしまった。
ゾロ「ハッ、お前がそう言うんならそれでいいさ」
サンジ「よくねェよ! ウタちゃんがこのまま逮捕されるのを黙って見てろってのか!?」
ゾロ「うるせェ、カタギにはカタギの決着のつけ方ってモンがあるだろうが!」
ナミ「ちょっと、あんまり大声を出すと見つかるわよ! 今私たち思うように動けないんだから!」
ジンベエ「こっそり逃げ出すにしても船は港の反対側じゃからのう……」
フランキー「まあいざとなりゃ何とかなるさ」
ブルック「そうですよ、ヨホホホ」
ナミ「あんたたちはすぐ動けるからって……!」
ロビン「みんな静かに。そろそろ向こうで動きがあるみたいよ」
ルフィ「でもなー、なーんか忘れてる気がするんだよなァ……」
* * *
コビー「さあ、行きましょうか」
コビーに促され、ウタは静かな足取りでステージを降りた。
眠気や疲労が酷く今にも倒れそうになるが、奥歯を食いしばってゆっくり、ゆっくり一歩ずつ歩みを進める。
ゴードン「ウタ……!」
心配して駆け寄ろうとするゴードンをガープ中将が片手で制している。
もしかしたら、彼とももう話せなくなるのだろうか。
……謝れなかったな。
会場裏の小さな船着き場に辿り着くと、そこにはたくさんの軍艦が停泊していた。
大勢の海兵たちの他に、会場から運ばれて避難していた観客たちが起きて船の上からこちらを見下ろしている。
『おいあれ、手錠をかけられてるぞ』『ウタ、連れてかれちゃうの?』『おれたちには一言もナシかよ』『ウタ……』
投げかけられる心配や非難の声。思い。音。音。音。
ぜんぶ聴こえる。
すうっと息を吸って、大きく吐く。自然と背筋がまっすぐ伸びた。
……みんなの前では、歌姫でいなきゃ。
そう思い、顔を上げて笑顔で呼びかけようとした――その時だった。
ドクンッ!!
ウタ「……えっ?」
周りにいた海兵がバタバタと倒れるのを見て、ウタは息を呑んだ。
船着き場の軍艦が大きく揺れ、波がざわつき始めている。
『な、なんだ?』『海兵たちが!』『なんだこの揺れ!』『おい、どこかに掴まってろ!』
ウタ「なに……?」
観客も、ウタも。
何が起こったか分からず戸惑っているうちに……第二波が来た。
ドンッ!