[ウタ、ウタ! 聞こえるかね、準備ができたぞ]
モモンガ「なんだ、どこから声が!?」
モモンガ中将が驚いて周囲を見回すと、生い茂った木々に隠れるように置かれたスピーカーが見えた。
モモンガ「こんなところに……」
ウタが近づいて雑草をかき分けると、電伝虫がひょっこり顔を覗かせる。
スピーカー用のマイクと繋がっていることを確認すると、ウタは電伝虫の殻をそっと撫でて、受話器を取り上げた。
ウタ「……聞こえるよゴードン、ありがとう」
* * *
ゴードン「こちらも聞こえたぞ。繋がったな、良かった……さあウタ、音楽の時間だ」
[はい。よろしくお願いします、先生]
ゴードン「何にしようか?」
[あの曲がいい。いつも私、ひとりで唄ってたでしょ]
ゴードン「あの曲だな。たくさん練習したんだ、良い機会だから彼らにも聴かせるといい。始めるぞ」
電伝虫を使った会話を終えたゴードンは、大きく深呼吸して機械の鍵盤に指を乗せると、軽やかに動かし始めた。
* * *
どこからともなく、優しい旋律が流れ始める。
受話器を持って立ち上がったウタは、前奏に合わせて短く呼吸しながら前を向いた。
……うまく唄えるだろうか。体力も心許ない。“ウタウタの能力”も使えない。
……ううん、うまく唄おうとしなくていい。伝えるんだ。
この胸の思いを。みんなの想いを。歌に乗せて。
私の声で伝えたい。
――いま私は“ここにいるよ”って。
《どうして あの日遊んだ海のにおいは》
《どうして すぎる季節に消えてしまうの》
《またおんなじ歌を歌うたび あなたを誘うでしょう》
海賊の脅威に怯えていた観客たちは、聞き覚えのある歌が耳に届くと次第に落ち着きを取り戻していった。
『この歌……』『おい、ウタが歌ってるぞ』
《信じられる? 信じられる?》
《あの星あかりを 海の広さを》
『海賊に……?』『いや、きっとわしらのためじゃ』『ウタ……』
《信じられる? 信じられるかい?》
《朝を待つ この羽に吹く 追い風の いざなう空を》
* * *
ルフィ「すっげー、これ自分で動いてんのか」
目の前で鍵盤がひとりでに演奏する様子を見て、ルフィは感嘆の声を洩らした。
ゴードン「元々楽曲を覚えさせていたんだ。最初のフレーズさえ弾いてしまえば、あとは勝手にやってくれる」
二人がいる音楽院にもウタの歌声は届いていた。
電伝虫を通して伝わる歌声が機械の中で反響し、増幅して、城の外へ流れていく。
伴奏つきのそれは一つの完成された音楽として、エレジア中に響き渡っていた。
ゴードン「この楽器の名は『エレジア』という」
ゴードン「13年前、私はウタの歌声を国民にも聞かせようと、これを使って国中に聞こえるようにしたんだ」
それがいけなかったのだろう。歌声は、城の地下に封じ込めていた楽譜を招き寄せてしまった。
その楽譜『トットムジカ』は“ウタウタの実”の能力で封印を解き自由になると、小さな少女を飲み込み猛威を振るい始めた。
すべては、それがきっかけだったのだ。
* * *
《どうして かわることなく見えた笑顔は》
《どうして よせる波に隠れてしまうの》
ウタ(……ずっと子供だった。私は、あの頃から何も変わっていない)
唄いながらウタは、自分の中の記憶を掘り起こしていた。
《またおんなじ歌を歌うたび あなたを想うでしょう》
赤髪海賊団の音楽家の、小さなウタでいたかった。
だから幻のシャンクス達を作って甘え、叱って欲しいと駄々をこねて。
結局初対面の男に叱られるまでそれが分かってなかった。
ウタ(でもそんな子供の私をゴードンが、世界中のファンが、今まで支えてくれていたんだね)
ウタ(ガープさんも、海軍の人も。……赤髪海賊団も)
ウタ(こんなにたくさんの人たちに守られた私に、一体何が返せるだろう?)
《信じてみる 信じてみる》
《この路の果てで 手を振る君を》
ボルサリーノ「ほォ……」
モモンガ「これは……」
ウタの周りから、地面から、光の粒が次々と生まれて宙に浮かんでいく。
イッショウ「まさか、『トットムジカ』の残滓ですかい……?!」
一瞬警戒したが、しかし敵意は微塵も感じられず。
目の見えないイッショウにはそれが不思議と優しい温もりをもった何かに思えた。
ガープ「“悪魔の実”に頼らず、歌声だけで奇跡を呼び起こすか……」
ガープ「立派な生徒を育てたのう、ゴードン」
《信じてみる 信じてみるんだ》
《この歌は 私の歌と やがて会う 君の呼ぶ声と》
島のあちこちに聳え立つ柱とそれを支えるロープが、まるで竪琴のように弦を鳴らし音楽を奏でている。
波の飛沫が、滝の落ちる音が、風のざわめきが、木々の揺れる音が。
すべてがひとつの音楽となって海へ流れていく様子を、コビーとヘルメッポが抱えた映像電伝虫が撮影していた。
ヘルメッポ「すげェ……」
コビー「まるで、島が歌ってるみたいだ……!」
《信じられる? 信じられる?》
《あの星あかりを 海の広さを》
音楽の島から流れる歌声と光の粒子は、風に乗ってレッド・フォース号に届いていた。
赤髪海賊団の古参幹部たちは、久しぶりに聞くウタの歌声に聞き惚れている。
「上手くなったなぁ……」
「ああ、綺麗だ……」
しばし聴き入っていた海賊たちは、船が大きく揺れたのに気づいてハッと我に返った。
「おい、船が……」
「止まってるぞ!?」
船首楼から下を覗くと、無数の光の粒が手のひらのような形を作り、船体を優しく包み込んでいる。
ベン・ベックマン「……攻撃の意志はねェ。だが、これ以上近づかせちゃくれないようだな」
慌てる船員たちを他所に、副船長は煙草を咥えながら傍らの船長を見た。
赤髪海賊団の大頭は、エレジアに真っ直ぐ身体を向けて微動だにせずにいる。
船着き場の縁に立ち、手錠をかけられたまま歌う少女の様子をシャンクスは“見聞色の覇気”ではっきり捉えていた。
歌い続ける彼女と視線が交わることはない。
それでもこちらへ向けて祈りを届けようとする娘の心を感じ取り、シャンクスの口元は自然と綻んでいた。
シャンクス「……大きくなったな、ウタ」
オーブン「……ん? 何だ、どこからだ?」
ブリュレ「どうしたの、オーブンお兄ちゃん」
カタクリの船に乗せられ、疲労からうとうとしていた眼に周囲をきょろきょろと見回す兄の姿が映った。
やがて、透明感のある音色がブリュレの耳にも届く。
カタクリ「エレジアの方角からだ」
オーブン「なら、あの歌姫の歌だな。ここまで届くとは大したもんだ」
もう島影も見えないほど遠く離れているのに、伸びやかな歌声を乗せた風が頬をするりと撫でていく。
ブリュレ「……私この歌、嫌いじゃないわ。優しい感じがするもの」
カタクリ「……そうだな」
妹の言葉にカタクリも頷いた。
穏やかな旋律が家族のやさしい思い出を呼び起こす歌だ。
あと少しで“
だがそれまでの、もう少しだけ。束の間の平和なひとときを兄妹たちは楽しんだ。
《信じてみる 信じられる》
《夢のつづきで また会いましょう 暁の輝く今日に》
ヨルエカ「し、信じられる! 信じられる……」
歌声を聴く観客の少年の口から思わず声が飛び出していた。
映像電伝虫越しでは分からなかった、彼女自身の本当の願い。
ウタは救世主ではなく、自分と同じ弱い人間だったのだと今になって気づかされた。
ヨルエカ(夢の中で怖い思いはしたけど、ウタは今ぼくたちを守ろうとしてくれてる……)
ヨルエカ(応援したい……弱い自分でも誰かの力になれるって、信じたいんだ)
――おれたちファンだって、プリンセス・ウタを扶けられるはずさ。
――頼りきりじゃなくて、一緒に頑張ろうじゃねェか!
夢で聴いた誰かの言葉が、ヨルエカを突き動かす。
少年の小さな歌声はやがて複数の声と重なり、いつしか大きな合唱となっていった。
ヨルエカ(ねえウタ、もし新しい時代が来るなら、ぼくはウタを信じていられる世界がいいよ!)
ウソップ・チョッパー「「信じられる~~! 信じられるゥ……!」」
枡席の中では号泣する男たちの大合唱が響いていた。
後ろの観客席からはバルトロメオとクラゲ団らしき野太い涙声も聞こえてくる。
ゾロ「泣くか唄うかどっちかにしろよ……」
サンジ「あのほじあがりを~~! う゛み゛の゛ひ゛ろ゛さ゛を゛~~!!」
ゾロ「オメーもか!!」
ロビン「ナミは歌わないの?」
ナミ「いや私は……ちょっと」
ナミはやや引き気味に首を横に振った。
歌いたい気持ちはあるが、どうしても気恥ずかしさが勝ってしまう。
ブルック「ヨホッ、音楽の楽しみ方は人それぞれです。……ああ私、演奏したくなってきました!」
ロビン「フフッ、いいわね」
ロビンは微笑むと音楽に合わせて体を揺らし始めた。
フランキーやジンベエもそれぞれ思い思いに歌を楽しんでいる。
《信じられる 信じられる》
《夢のつづきで 共に生きよう》
ウタ(シャンクス、ベック、ルウ、ライム、ホンゴウさん、ガブ、パンチ、スネイク、モンスター……みんな)
両手を前に向かって伸ばせば、レッド・フォース号の影がこの手の中に入る。
近いけど、遠い。
今はまだ、あそこへは行けない。だから……
ウタはそっと手のひらを広げ、船を解放した。
ウタ(いつか、また会おうね)
《暁の輝く 今日に》
* * *
歌声と『エレジア』の音楽が島全体を包む様子を、高台の上でルフィとゴードンも眺めていた。
ゴードン「……“赤髪海賊団の船が島の近くを通りかかったら、絶対に聴こえるようにするんだ”と」
ゴードン「長年、ウタと一緒に整備していてよかったよ」
ルフィ「にっしっし、じゃあ今その通りの状況なんだな」
これだけの大音量で聞こえないはずがないだろう。
なんか光るゴマ粒みたいなのも船に向かって伸びてるし。
ルフィは遠くに見えるレッド・フォース号に視線を向けた。
あの日酒場で見た、寂しそうなシャンクスの背中を思い出す。
宴で笑っている海賊たちを思い出す。
あの宴の中にいつか彼女が混ざることがあるだろうか。
その時彼らは一体、どんな顔をするのだろうか……。
想像すると少し楽しくなるような気がして。ルフィはニカッと笑った。
ルフィ「娘が生きてて、よかったな! シャンクス」
* * *
歌声が消えて、音楽が止むと。
船を覆っていた光の粒も静かに消えていった。
穏やかな波に浮かぶレッド・フォース号の上で、余韻に浸る者たちの元にウタの声が再び届く。
[聞いてくれてありがとう! 色々あったけど、今日のライブはこれでおしまい]
[みんな、気を付けておうちに帰ってね!]
ベン・ベックマン「……だとさ。どうする?お頭」
水を向けられたシャンクスは眉間にしわを寄せて考え込んだ後、大きく溜息を吐いた。
シャンクス「……あーあー、ライブが終わっちまったな」
ロック・スター「お頭?」
シャンクス「まあ元々チケットもねェのに来たんだ、1曲聴けただけでも儲けモンだろ」
シャンクス「よし、野郎ども! “気を付けておうちに帰る”か」
『ええーっ!!』
不満の声が上がる中をスタスタと横断してシャンクスは船尾へと戻っていった。
ラッキー・ルウ「お頭!ウタに会わなくていいのかよ?」
ビルディング・スネイク「馬鹿、野暮なこと言うな」
ライムジュース「お頭だって会いたい気持ちは十分あるさ」
赤髪海賊団の幹部たちは船長の意を汲んでそれぞれの持ち場に戻った。
船の上では船長が絶対。
それに娘の言いたいことが分からぬほど野暮な男たちではない。機会は去ったのだ。
ベン・ベックマン「取り舵いっぱいだ野郎ども! 船の修理に向かうぞ!」
『おーっ!』
軋む音を立てて回頭する船の中で、慌ただしく動く船員たちの声がシャンクスの耳に飛び込んでくる。
「あーあ、せっかく嵐を乗り越えてきたってのになァ」
「でも歌姫のあの歌、凄かったな……」
「だろ? 俺も好きなんだよな~歌姫ウタ!」
幹部以外の者に事情は話していないが、突然の進路変更にも付き合ってくれたいいやつらだ。
港に着いたら酒の一つでも奢ってやろう。それで……
気が向いたら、昔話の一つでも話そうか。
シャンクス(ウタ。離れていてもお前は一生、おれの娘だ。だから……)
笑って、