――少し前のエレジア
小雨がぱらぱらと降り始めていた。
ライブ会場となったステージはがらんどうで、煌びやか映像設備も見当たらない。
観客席では意識を失った人々が倒れ、雨に打たれていた。
ウタはそんな中で一人、ステージから伸びた桟橋を歩いている。
片腕にはネズキノコが入ったバスケットを下げている。定期的に食べないと眠気が襲ってきてしまうのだ。
ウタ(やっぱり美味しくないなァ……もっと食べやすかったらよかったのに)
ウタの“ウタウタの実”の能力は体力の消耗が激しい。普段の配信なら一曲歌っただけで全身がずっしり重くなりベッドに辿り着くのもやっとになるのだが、
このネズキノコを食べてからは体が軽く、頭もすっきりと冴えている。
しかし体力の消耗は抑えられないため、ウタはトボトボと歩いて桟橋から小舟に乗り移り、中央の小島になっている枡席の一つに上陸した。
ライブに来た観客たちはすべて、ウタが“ウタウタの実”の能力で作り出した“ウタウタの世界(ウタワールド)”に心を取り込まれている。
この枡席にいる客も同じだ。例外は無い。
オレンジ色の髪と黒い髪色の女性が、向かい合って倒れている。
妙に体の大きな男や太った魚人、骸骨のように細身で背の高い大人や三本も武器を抱いている男。
大きな帽子を被ったぬいぐるみに、すね毛の生えた金髪の男性。
顔を白塗りメイクにした鼻の長い青年は、雨のせいで白粉が半分溶けて流れていた。
中央で大口を開けて寝ている若い男の元に辿り着くと、ウタはしゃがみ込んでそっと胸に手を当てる。
分かっているが、起きないことを念のため確認した後、頭の下敷きになっている潰れた麦わら帽子を苦労して引っ張り出した。
ウタ「やだ、曲がってるじゃない……」
付着した泥を払い、歪んだ鍔(つば)を戻し、くるりと裏返してすべりに指を引っかける。
裏側に記された字を見て確信を得たように頷いた。
ウタ「……うん。やっぱりシャンクスの被ってた麦わら帽子だ」
“ウタウタの世界”の中で見た時から気になっていたが、こうして確かめに来てよかった。
なぜこの男が持っているのかは分からないが……そんなことはどうでもいい。
雨に濡れた頭に、そっと麦わら帽子を乗せてみる。
……結んだ髪の毛に引っかかって上手く被れなかった。こんなに軽くて小さかっただろうか。
昔はこの帽子に憧れて、欲しい欲しいと何度もねだったものだ。
ウタ「…………」
嫌な記憶を思い起こしそうになって、頭(かぶり)を振る。すると……
『全員、到着しました!』『周囲に敵の姿なし』『武装偵察第四班、進め!』
人の声が遠くから聞こえて、ウタは慌てて岩陰に身を寄せて姿を隠した。
持っていた帽子は元の持ち主にぽいっと返す。
こっそりと岩陰から様子を覗くと、制服を着た海兵たちが武器を構えてステージに上がっているのが見えた。
沖合に海軍の船が集結しているのは知っていたが、遂にここまで来たのか。
海兵には指を折って数える程しか会ったことがないが、住民が二人しかいないこのエレジアでみんなゴードンとウタに親切にしてくれた。
だが今来ているのは怖い顔をして武器を構えている……ならずものと変わらない集団だ。
海兵を乗せた小舟が幾つか、観客席の方へと向かっている。ウタが隠れている小島の横を通り過ぎた。
ステージの中央では、背の高いモヒカンの男が電伝虫を使って何か喋っている。きっと偉い立場なのだろう。
モモンガ「どうした、武装偵察第四班、報告しろ!」
モモンガ「なにィ…!? まさか、死んでいるのか!?」
ウタ「寝てるだけ!」
ウタは立ち上がって呼びかけた。死んでいると思われたら可哀想だ。
ウタ「でも起きないよ絶対に」
枡席からジャンプして桟橋に着地する。ちょっとふらついたがやせ我慢だ。ダンスで鍛えた体幹で踏ん張り背筋を正す。
ステージに向かって歩いてくるウタに対して周囲の海兵たちが銃を向ける。だが――
ウタ「私を殺したら、ここにいるみんなの心は永遠に戻ってこないけど……それでもいいのかなァ」
そう告げると、モヒカンの男がさっと手を振り、海兵たちを静止させた。やっぱり偉い人だ。
イッショウ「お嬢さん」
ウタがステージの中央に座ると、顔に大きな傷のある着物姿の男が下駄を鳴らして現れた。
肩に白いコートを羽織っているということは、この人も海兵なのだろう。
イッショウ「お嬢さんの悪魔の実の能力については、十分理解していやすよ」
ウタ「なら説明いらないよね。はーい!帰ってー」
ウタは片手を上に挙げてひらひらと手を振る。
ウタ「それにさ、どうせあと少しで私はこっちから消えるんだから……」
バスケットから2本目のネズキノコを取り出してぱくっと食べると、着物の男が怪訝そうに眉をひそめた。
イッショウ「この匂いは……ネズキノコですかい?」
ウタ「ん!」(頷く)
モモンガ「ネズキノコ?」
イッショウ「そのキノコを食べた者は眠ることができなくなり、やがて死に至る――」
モモンガ「……貴様! 観客を巻き込んで死ぬつもりか!」
ウタ「“死ぬ”って何?」
確かにそのつもりだが、何も分かってない。
ウタ「大切なのは身体より心じゃないの? 新時代はみんな一緒に“心”で生き続けるものなんだよ」
だからここで死のうと何も変わらない。
海兵に殺されようとも、自分でナイフを首に突き刺そうとも。
観客や自分の身体が雨ざらしになっても、“心”さえあればいい。
“ウタウタの世界”ではウタが望まぬ限り、雨が降ることはないのだから……
イッショウ「できれば血は流したくねェんで。やめてもらうことはできやせんか? 世界転覆計画を」
ウタ「え、なにそれ?」
仰々しい言葉が出てきてウタはきょとんとする。
ウタ「私はみんなに幸せになってほしいだけだって」
なんとも嚙み合わない回答に着物の男は深く溜息を吐く。
イッショウ「どうやら話の通じる相手じゃあ、ないようですね」
ウタ「あなたたちこそね」
交渉決裂と見た海兵が銃を構えるのに対し、ウタは微笑むとすぅっと息を吸った。
モモンガ「おっとォ! 歌声さえ塞げば貴様は無力だ」
歌を警戒した海兵たちが、何やら機械式のヘッドフォンを取り出して頭に装着した。
あれで音を遮断するつもりなのだろう。そういうことならば、こっちも考えがある――
イッショウ「お前さんを捕えさせていただきやす」
着物の男が刀を抜き、一歩踏み出そうとしている。
もはや袋の鼠。絶体絶命。万事休す。
しかし……ウタは座ったまま余裕の笑みを浮かべた。
ウタ「残念。もう遅いの」
ドォン!!
上空から降ってきた何かがステージに激突し、周囲の海兵たちが吹き飛ばされた。
もうもうと巻き上がる煙が引くと、二人の男がウタをかばうように両側に立っている。
それは眠ったままのコビーとヘルメッポだった。
イッショウ「コビー大佐? こいつァどういう了見だい?」
思わず叫ぶが、コビーも、ククリ刀を構えたヘルメッポも、目を閉じたままふらふらと身体が揺れている。
……まさか操られているのか!?
海兵たちが気づいた瞬間、ウタの声がライブ会場に響き渡った。
「みんなー! 悪い人たちがいるよ! 新時代のためにみんなでやっつけよう!」
* * *
《みんなー! 悪い人たちがいるよ! 新時代のためにみんなでやっつけよう!》
ルフィ「!!」
いきなりウタが叫んだ。すると足元の海面から黒いシミが湧き出し、雫のように浮かび上がると音符兵の姿を取った。
武器はなぜか持たず、黒い音符兵たちは次々と現れてルフィを取り押さえようとする。
ルフィ「くっ!」
音符兵を避けてウタに近づこうとするも、武器を持った赤と青の音符兵の攻撃も入り混じり収拾がつかない。
* * *
海兵「うわっ!」
海兵「わあっ!」
ウタの呼びかけに応えるかのように、倒れていた観客たちがゆらりと起き上がり海兵たちに近づいてくる。
腕を伸ばして身体にまとわりつき、ヘッドフォンを奪おうとする様子に気味が悪いと海兵の一人が銃を構える。
イッショウ「傷つけちゃいけねェ! 操られているのは罪なき一般市民だ!」
一発でも撃てば海軍は民衆の敵になってしまう。そうなっては元も子もない。
かくなる上は武器を使わず無力化する他ないが、イッショウやモモンガはともかく一般海兵にそんな力は無く。
あっという間に取りつかれて幾人かのヘッドフォンが奪われてしまった。
ウタは薄く笑い、その唇を開く。
《ひとりぼっちには飽き飽きなの 繋がっていたいの》
雨の中で歌姫の歌声が悲しく、遠く響く。
《純真無垢な想いのまま Loud out(loud out) Huh~》
夢と現実、二つの世界でウタの歌唱が始まった。
* * *
ポップでダンサブルなメロディが流れる中、音符兵の群れに囲まれてウタが踊る。
《Listen up baby 消えない染みのようなハピネス》
《君の耳の奥へホーミング 逃げちゃダメよ浴びて》
赤、黒、青の兵士たちが音に合わせて波打つように進軍する。
《他の追随許さないウタの綴るサプライズ》
リズミカルなステップに合わせてウタが口ずさむ。
《リアルなんて要らないよね?》
ルフィ「……こいつらッ(ドカッ)、攻撃がッ(バシッ)、効いてねェッ!!(ズドォン!)」
音符兵たちを片っ端から殴り、捻じ伏せ、蹴り飛ばしても続々と新しいのが現れる。
背後から手を伸ばしまとわりつく黒音符兵を振り払い、槍の攻撃を躱し、武装色を纏った拳で銃乱打しようとも、
しばらくするとすぐに復活してしまうのだ。
ルフィ「ッ、キリがねえ……ッ!!」
《後で気付いたってもう遅い 入れてあげないんだから》
《手間取らせないで be my good, good, good boys & girls》
静かな水面だった足元は今やぐねぐねと波打ち、踏み出した脚を絡め捕ろうとする。
ルフィはドン!と力強く水面を踏みしめると反対の脚を天高く伸ばし、一気に振り下ろした。
ルフィ「ゴムゴムのォ……“
ドゴォン!!!
衝撃が波打つように伝わり、押し上げた水面が音符兵たちの身体を宙に浮かせる。
ルフィ「からの……JET“
音速で伸びたゴムの脚で全員に足払いすると、倒れた兵たちを踏み越えてウタに接近しようとした。
ルフィ「あああああ!!!」
《全てが楽しいこのステージ上 一緒に歌おうよ》
《Haha!》
* * *
一方の海軍。イッショウたちは操られた観客に襲われて苦戦していた。
怪我をさせまいと鞘に収めた刀で小突き、足を払い、組み伏せても、“気絶”することない人間はじたばたと暴れる。
いつの間にか背後に回られ隙を突かれ、ヘッドフォンを奪われたらもうおしまいだ。
ウタの歌声に誘われて眠りに落ちてしまう。
友が、味方が、同僚が、次々と寝返っていく様子にパニックに陥る海兵もいた。そうなったら思いのまま。
”ウタの
《この場はユートピア だって望み通りでしょ? Ha!Ha!》
《突発的な泡沫なんて言わせない Ooh-oh-oh-yeah, oh-yeah-oh-oh》
《慈悲深いがゆえ灼たか もう止まれない》
《ないものねだりじゃないこの願い》
イッショウ(このお嬢さん……ただ者ではない!)
モモンガ「ひるむな! 耳当てを奪われた者には再び被せろ! 歌声を塞げば止まるかもしれん!」
モモンガ中将の一喝で辛うじて攻勢に出る海兵たち。
しかし、それを聞いた観客はヘッドフォンを拾って次々と海中に投げ捨て始めた。
ウタの意志一つで行動が変わる。まさにこの場は“歌姫”が制していた。
イッショウ(やはり直接狙うしかねェんですかい……!)
自身の“ズシズシの実”の能力を解放すれば広範囲に重力を及ぼしウタを制することができるだろう。
しかし民衆の巻き添えは避けられない。
かくなる上はと鯉口を切ったイッショウの背後に突如
さらに目を閉じたままのトラファルガー・ローが愛刀“鬼哭”を抜き放って攻撃を仕掛けてくる。
二人の気配を察知したイッショウは彼らの攻撃を瞬時に躱し、観客の合間を縫って一気に前に躍り出た。
コビーとヘルメッポが立ち塞がるが刀の柄でいなし、歌姫目掛けて突進する。
見聞色の覇気で視るウタの感情は、驚くほどに無邪気だった。
(――海兵さんなら、ケンカしても許してくれるよね)
世界転覆計画を目論み、まるで遊びのように民衆を操る驚異の“
その本人が幼い子供のように視えることに困惑し、一瞬迷いが生じたときにそれは起こった。
イッショウ「!!」
ドン!!
横合いから来た強い攻撃を受け止め切れず、イッショウは弾き飛ばされる。
イッショウ「……っ、な…ッ!?」
体を捻って着地し、顔を上げた彼はすさまじい気迫を浴びて言葉を失くした。
……この気配には覚えがある。
『麦わら……!?』