第113話
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「ちょっと伺いたいんですが」
と彼は、朝、宿を出る時、受付の男に尋ねた。
「あぁ、あの村ね。もちろん知っていますとも。結構ビッグニュースでしたからね」
いまひとつ冴えない飛脚のオットーと、才色兼備の令嬢のリーザは、いよいよ、ゲールフェルト村の近傍まで来たのだった。
オットーだけであれば二、三日で行けた旅路だったが、体力的に大人に劣る少女を連れていたので、その倍ほどの時間がかかった。小刻みに休憩し、足取りも速くないのだから、そうなるのは理の当然だった。
「今、当地はどういう状況です?」
「さぁね。わたしはよく知らない。まぁ、でも、こっぴどくやられたっていう噂だから、何となく察しが付くけどね」
「そうですか」
「あなた方、もしかして村へお行きになるおつもりじゃ……?」
「わたしのパパとママがあの村にいたのよ」
「左様でございますか……」
受付の男は気の毒がるように眉を下げてまだ背の小さいリーザを見下ろした。
「お気持ちは痛いほど分かりますが、あなた方は、お二人きりですよね?」
「そうです」
「もし、当地へ行かれるのであれば、ちゃんとしたキャラバン隊でも組まないと、万が一賊か何かに襲われた時、大変ですよ」
「あなたのおっしゃる通りです。ぼくらは軽装備だし、戦闘のノウハウもない。だけど、ぼくらは決して観光に行くわけじゃなく、少しだけ視察したいのですよ」
「成るほど。分かりました。こういうことを述べるのは恐縮ですが、わたしにアドバイスできることは特にありません。精々、気を付けてお行きになるよう、お祈りするくらいです」
「ありがとう。その気持ちだけでも、十分励みになります」
――彼は、旅人たちに、安全祈念の気持ちに加え、お菓子を選別として渡した。甘い味のするウエハースだった。
オットーとリーザは礼を述べて宿を出た。秋の晴れ空は明るかった。
「行きましょうか」
「えぇ」
どこか白けたムードが漂っていた。
宿が建つ正面は、ずっと向こうまで、緩やかな下り坂となってカーブしており、坂道の両側には住宅が軒を連ねている。小高い丘が、彼方で、まだ青々として夏の風情を残している。
学校に出席せず、親の安否を案じて意気軒高に長旅をしてきたものの、リーザは、段々としょげていった。
旅の道すがら、また、人里に滞在した時など、彼女はオットー共々、欠かさずひとを捕まえてはゲールフェルト村の状況について聞き込みをした。
しかし、これといった詳細な情報は皆無に等しく、誰も彼も、異口同音に、村の状況には悲観的な意見しか述べず、リーザはやがて感化され、彼女までも、当初の活気が挫けて、もう有効な動機付けがなくなったいた。足の運びは遅鈍で、もはや半ば、オットーの付き人みたいになっていた。
オットーはやれやれという風に控えめにため息を吐き、「元気ないですね」、と言った。
「そう?」
下り坂をゆっくりと下りながら、彼女は白々しいく答えた。
「これからが正念場ですよ。もうちょっと、覇気を出さないと」
「あなたに言われたくないわ。ひとの態度にケチを付けられるほど、あなたはシャキッとしているのかしら」
きつい突っ込みに、オットーは苦笑せざるを得なかった。
「ハハ。返す言葉もありません」、と、彼は後頭部を掻きながら、ヘナヘナ笑う。
「しかし」、と彼は続ける。「この辺まで来ると、警備の真剣度が違いますね。やっぱり、村の異変に応じて、前よりも多い人数を動員してるんでしょうね」
「そうね。しばらくの間は、厳戒態勢なんじゃないかしら」
「――やめますか?」
「え?」
二人は立ち止まる。
「村に行くの、やめておきますか?」、とオットーがリーザをまじめに見つめる。
「何で」、と彼女は、呆然と彼の目を見返す。
「決して安全ではないところへ赴くんでね、決心が出来ないのであれば、断念するのがいいと思うんです」
「決心……」
リーザは俯いて考え込む。
「確かに」、と彼女は呟く。「決心は付いていない、という気がする。わたし、とにかく怖いし、何より、行ったところで、何をどうすればいいのか、何か意味のある行動が出来るのか、自信がない。でも、引き返すには遅すぎると思う。惰性――というとよくないけど、今まで歩んできたその余力で、わたしは動いてる。もうはっきりとした意志はないし、覚悟もない。そう思う。けど、ここでやめようとは思わない。最後までやり抜きたい」
そう言って、彼女はオットーを見つめた。
オットーは、彼女の瞳に、微かだが小さく燃える執念のようなものを見る気がした。彼女は慣れない旅で疲弊し、よからぬ噂を多々耳にし、意気阻喪しているに違いない。だが、根底には、粘り強い目的への思念が生きており、それが彼女を暗々裏に突き動かしているようだった。
オットーは、彼女に頷いて見せ、二人は、再び、歩を運び始めたのだった。
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