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彼にとっては、ひとのものを奪い取り、わが物とするのは、優越感や、全能感をもたらしてくれるという点でよいことであり、また、自尊心や、満足感を得、保つために、必須だった。そう、賊であり、日々劣等感と不如意に苛立つことの多いエルにとっては。
だが、反対に、じぶんのものを奪われたり、傷付けられたりするのは、ひとのものを奪うことの美点とはすっかり真逆の汚点を持つことであった。
売り払って現金にしてもいいが、とにかく便利だからと、エルは、ある執事だった老人より強奪した馬について、しばらく手元に置いておこうと思っていた。自分の代わりに駆けてくれるというのが、定住しない者にとってどれだけ気楽か、エルは痛感し、思い知ったのだった。また、汗ばむ陽気に快足を飛ばせば、涼しい向かい風を全身に浴びられるのだった。
真っ暗な村の中を、エルは歩き回り、テントが設営してある広場のキャンプを見つけると、やや用心して観察し、すっかり敵である騎兵たちが寝静まっていることを確認し、ホッとした。
エルは、馬を盗んでいった(あるいは、取り戻しに来たともいえる)男の風貌を思い返した。
短い褪せたブロンドの髪に、ぼんやりした覇気のない眼差しをしている。目尻が下がっており、そのせいで、かおばせが、いつも何となく申し訳なさそうにひとの目に移り、優しいひとには同情され、厳しいひとには軽蔑されるのだった。鼻も遠慮がちに低く、口はキッと閉じて両端がやや下がり気味で、表情をつまらないものにしている。
確か、飛脚だと言っていたが……エルは、段々と男の素性を振り返っていく。
飛脚であるということは、物品の配達が主な仕事である。従って男は軍の者ではない。恰好だって、鎧を着ているわけでもなければ、武装しているわけでもなく、至って地味で、軽装だった。
彼もキャンプで寝ているのだろうか。いや、彼はただの飛脚であり、ここに来たのは、配達の用があったからであり、廃れた状況を見て、事件のあったことを知り、その後は――。
男が村に留まる必要はなかった。彼は単に仕事で訪問したに過ぎず、それ以上の用はなかったのである。
エルは嫌な感じを持ちつつ、厩舎に向かい、中を窺った。糞便や独特の体臭や干し草の臭気が混ざり合って、何ともいいがたい空気が、厩舎には充満していた。
馬房にいる馬を一頭一頭、エルは息を殺して、しげしげと見て進んだ。夜中だが、全ての馬が寝ているわけではなく、中には起きている馬もおり、見慣れない侵入者を見、どこか警戒して睨むような眼光を、暗闇に妖しく光らせるのだった。
違う、違う――と、逐一、彼は、目当ての馬でないことを確認して厩舎を進んでいく。
やがて最後の馬房に来、半ば諦観した心境で、馬のたてがみや、毛色や、体付きを注意深く目視し、やはり違う、と憮然と確認するのだった。騎兵の馬は装備が各自すっかり一緒なので、仲間外れを探せばよいだけだった。一頭だけハーネスの違う馬を見つけられれば、それが、彼の奪った馬なのである。全部そっくりである中から正しいのを見つけるということなら、困難だろうが、実際はそうでなく、簡単だった。
従って、いないことを確認するのも、簡単なのだった。
「クソッ……」
エルは拳を握り締め、悔しそうに歯噛みした。
その時、「エル」、と呼び声がした。
エルは後ろを振り向き、人影を見つけた。小さい人影で、クロロだった。彼は、エルに言われた通り、仲間を連れてきたようだった。
「クロロ。全員連れてきたか」
「うん」
「そうか」
「馬は、見つかった?」
「いや……ダメだ。多分、逃げやがった」
「そう、残念だね」
――しょんぼりしたムードの中、ふと、何かの気配がした。足音が微かに聞こえ、外を見遣れば、地面を照らす灯影が見える。
「チッ。じゃまくせぇ……」
と、エルは失望して呟く。
たいまつを持った者が、厩舎に入ってくる。
「よお」、と、彼はあえて軽薄を装って、出入口の枠にもたれて挨拶する。
「お前ら、いくら夜中だからって、そんな大人数でまったくバレずに隠密行動出来ると思ったのかよ」
騎兵のひとりだった。そう、ひとりの騎兵だった。だが、姿を現したのが彼ひとりであるというだけのことで、厩舎一帯には、いつの間にか、ひとの気配が広がっているのだった。
「エルさん、ヤバいでがすよ、こりゃあ……」
と、賊のひとりがガタガタ震えて言う。クロロも、口を半開きにしてへっぴり腰になり、すっかり委縮した様子だ。
賊は厩舎の一点に、あらゆる方向からの攻撃に対処出来るように、輪をなして固まり、外側を向いていた。
「前は見逃してやったが、それはお前らがみずからの立場をわきまえて、潔く退散すると思ってのことだ。こういう風に、夜中コソコソ兵隊様の縄張りに侵入して、悪事でも働くような真似をするなら、もう容赦してやる必要はねぇなぁ」
騎兵はニヤニヤしてそう言い、厩舎の出入口から、続々と、他の騎兵たちが入り込んできた。騎兵と賊の勢力を比べれば、賊の頭数がより少なく不利で、騎兵の方が、より多く有利なのは、明々白々だった。
「今度は逃げられないぜ」
騎兵がそう脅し、威圧感を露わにする。
エルは、だが、他の仲間がビクつく中、ポケットの中に手をやってナイフを探り、相手を注意深く見つめ、相手の出方に敏活に反応する姿勢を整えるのだった。
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