さまよえるフリッツ【完結】   作:Yuki_Mar12

140 / 451
第140話

***

 

 

 

 ブルーノは一向に帰らなかった。彼の留守の間に、秋はどんどん深まり、朝晩は涼しいを越して寒いほどになった。空気の質がすっかり変わってしまったようだった。

 

 決して、期間を限った単純労働だと侮っていたわけではないが、かといって本気で取り組むつもりもなかった仕事に、ぼくとミアは、どんどんと、必要以上に慣れていった。最初はいるだけのでくの坊だったのが、今ではある程度の作業が出来るようになり、一定の地歩を占め、頼られるようにすらなった。

 

 老いたコンラートさんも、パン屋のメルさんも、ぼくらと同様、お互いを結び付ける関係が永続的なものでないことは分かっていたし、深い間柄になることなどまるで想定していなかったので、ぼくらがすでに当初思ったより長く滞在しており、これから先もまだ滞在し続けるだろうという見通しを持ったせいで、お互いの関係は、どこかぎこちない、気遣わしいものになった。

 

 コンラートさんも、メルさんも、いつまでもいてくれて構わない、と寛大に言ってはくれたが、ただの甘言であり、気休めに過ぎないと思って、ぼくは依存しないようにした。

 

 せいぜい数日で帰ってくるだろうという漠然とした予想は当たらなかった。彼を探しに行こうにも行方知れずだし、何より危険だった。

 

 

 

 ところが、ある日のことだった――

 

 

 

 

 その朝の目覚めは不愉快だった。

 

 ドンドン、ドンドン、と、騒がしい音がやまないのである。誰かが扉を外より叩いているのだ。

 

 ぐっすり寝ている最中だというのに、いったい誰が何の用で来たのかと、ぼくは嫌々起き上がり、文句をぶつける気満々で扉を開けた。

 

 だが、目の前の相手を見てぼくは拍子抜けしてしまった。

 

 ミアが立っているのだった。

 

「まだ暗いじゃないか。いったいどうしたっていうんだ」

 

「大変よ。フリッツ。ブルーノさんが――」

 

 その名を聞き、またミアの物々しい雰囲気にただならぬ事態を察知し、ぼくは急激に頭が冴え渡って来るようだった。

 

 ぼくは、ぼくと同様、騒音で無理矢理起こされたコンラートさんに頷いて見せると、緊急事態だと目線でほのめかした。

 

 どうやら、ブルーノが帰ってきたらしかった。

 

 しかし、満身創痍の重態で……。

 

 ミアによると、運ばれて連れてこられたようだが、連れてきてくれたのは、行商の男で、彼は牛車に乗って薬売りをしているのだった。

 

 明々と燃えるたいまつを持っている、布にくるんだ四角い荷物を背負う男と、メルさんと思しき肌の黒い女性が牛車のそばに立っており、ぼくとミアは急いで駆け寄った。

 

 大慌てで来たぼくの気配にハッと気付いた行商の男は、振り返ると、「お知り合いですか」、と訊いた。

 

 ぼくは「はい」、と肯定するが早いか、名前を名乗ったりもせず、早々と牛車の荷台に目を向けた。

 

 薬籠の載る荷台には、痛々しく傷付いたブルーノが瞑目して横たわっている。

 

「ブルーノ!」

 

 大声でそう呼ぶと、彼はゆっくりと目を開き、瞳をぼくに向けた。だが、何も発せず、その瞳は、最初健全に潤んでいたが、やがて濁っていった。意識がぼんやりとしているらしい。お腹が上下しているので、かろうじて呼吸はちゃんとしているようだ。

 

「倒れてたらしいわよ。このひとによると」

 

 メルさんが教えてくれる。

 

「えぇ」、と薬屋が、おだやかに答える。「山中を歩いている時、谷川が見えて、川辺に何か見慣れないものがあると思って目を凝らすと、ひとだったわけです。しかも、傷だらけの。近寄らなければ分からなかったですが」

 

 ブルーノは、持っていた剣も盾もなくしており、大小の傷だらけで、大きい傷は左腕にあり、裂傷であり、血がずっと止まらずに、繁殖する細菌で化膿し始めていた。足は裸足で、土汚れで真っ黒になっている。

 

「わたしは薬屋ですから、救出して、応急処置はほどこしました。ですが、この方ほどの状態となると、薬効で全て治癒するというのは無理と思われます。万全は尽くしましたが……」

 

「ブルーノは」、とぼくは、落ち着かない気持ちで口走った。

 

「ブルーノは、どうなるんですか……?」

 

 薬屋は、答えかねるように、目線を落として顎を手で持った。

 

「死に至るほどの重態ではないでしょうが、重い後遺症が残る傷は、ちらほら見受けられます。ですが、経過を見ないとはっきりしたことは言えません」

 

 死ぬわけではない。そのメッセージだけで、ぼくはとりあえず安堵出来た。ミアも、同じように、多少、不安が癒えたようだった。だが、牛車の荷台を見下ろしている全員が、浮かない表情をしていた。

 

 そう、たとえ死なずに済んだとしても、傷付いたブルーノは、決して予断を許さない状態にあるのだった。

 

「いったいぜんたい、なぜ、このように傷だらけに……?」

 

 薬屋がポツリと呟いた問いだったが、その問いは、ここにいるぼくら全てが共有しているものだった。

 

 

 

***

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。