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親なり、師なり、そういう、じぶんが慕い、信頼を寄せている、決して完璧ではなく、いくつか残念と思う点があるにしても、破綻を生じず、互いに持続的な関係を維持できる相手がいるとして、その相手が、じぶんの思いも寄らないところで、じぶんがまったく想像すら出来ない悪事なり、卑しい振る舞いなり、じぶんがすっかり見下げているような真似をしていると知った時というのは、もちろん、びっくりするし、また、落胆し、あるいは憤然とすらするかも知れない。
ブルーノの出自を知らなかったぼくは、彼の話――悲しい話を聞いて、彼への同情を禁じ得なかった。
彼の人生にサッと嵐が訪れ、猛然と通り、彼はすっかり挫けてしまった。強風に折れた植物のように、彼は意気阻喪し、力をなくした。
だが、彼が人生の明るい光を諦めない限り、人生の方も、彼をそう邪慳には見捨てないものだ。どれだけ厚い雲が光明を阻もうと、その彼方にはいつでも、太陽が燦然と輝いている。
確かに食欲はないし、ずっと寝てばっかりいたけど、ブルーノは、死にゆく定めにある重病人などとは違い、その傷の深いことに関わらず、徐々に、けれど着実に、回復していった。からだの健全に近い状態のところが早く治り、遠いところは、中々思い通りにならなかったが、時間の問題だった。
ある日、ブルーノは、ずっと寝てばかりいるのは退屈だし、散歩にでも行きたいと言いだし、杖がないと歩けないけど、活動的になる気配を見せた。ぼくとリフレは喜び、しばしば様子を見に、パンの差し入れを持って来るミアも、ブルーノの予後について、明るい見通しを持った。
ブルーノの散歩には、ぼくが付いていく場合と、リフレが付いていく場合と、三人でいっしょに行く場合とがあった。
杖を突きながらの歩行は、亀のように遅かったけど、苦労しながら、からだを動かすブルーノ姿は、健気で、胸打つものがあり、ぼくもリフレも、支援を惜しまなかった。
秋という季節も、レジャーには相応しく、過ごしよかった。
ある日、散歩にて、ブルーノは、ちょっと疲れたと木陰で杖を置いて腰を下ろした。息が荒く、額には細かい汗が浮かんでいた。
「けっこうタフだなぁ」、とブルーノ。
「ずっと寝たきりだったんだもの、仕方ないよ」、とぼくも、彼と共に涼しい木陰に腰を下ろす。
頭上では、やがて色付いて散っていくであろう、まだ青い木の葉が、秋風に揺れている。
その時は、ぼくと二人きりでの散歩だった。
フゥ、とブルーノが深呼吸する。
「ねぇ、ブルーノ」
「ん?」
「髭、伸ばしてるの?」
――ブルーノの髭は、剃る習慣が中断してしばらく経つので、相応に濃くなっていた。
「別に、剃るのが面倒くさいから、サボっているだけだ」
「どうせ外に出るんなら、剃るのがいいんじゃない? あんまり似合わないよ。見た目も悪いし」
「そうだなぁ……」
彼の返事は、どこか気が抜けたようで、彼は、目線を遠くにやり、あまり真剣に会話しようとはせず、率直に言えば、投げ槍だった。
責めるほどでもないので、ぼくは口を噤んで静かにしていると、ブルーノは目を瞑り、寝息を立て始めた。
傷のある右腕はダラリと下がり、同じく右脚は、伸び切っている。左脚は膝のところで折れ、左腕は、膝の上に組まれ、その腕に、彼は顔を伏せて寝ていた。
――確かにブルーノはよくなりつつある。たとえその速度が牛歩でも、回復への方向へ、緩やかでも追い風が吹いているのは、喜ぶべきことだった。
だが、ぼくはどこか、ブルーノに対して違和感を持つようになった。リフレは彼と知り合ったばかりだから、何も感じなかったようだけど、そこそこ長く付き合っているぼくは、彼が、前と比べて、多くのことに対して、等閑視するようになったと気付いた。生活の細々としたことは勿論、ぼくとの会話にも、ミアとの、リフレとの、コンラートさんとの会話にも、いい加減に応じるようになった。
ブルーノは、やがて勝手に一人で散歩に出ていくようになり、随伴しようと声をかけるなり、肩に手をやるなりしても、頑なに拒むようになった。
そしてある朝、ブルーノは誰よりも早く起きて、家からいなくなった。忽然と、杖と共に、空っぽの寝床だけを残して、行方不明になった。
ぼくはちょっと驚いたが、思い当たることがあり、一人納得し、あえて急ごうとはせず、落ち着いて、彼を探しに後で出かけようと思った。
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