第160話
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「ねぇ、何か知ってるのなら、教えてよ」
ミアが、不安そうに言ってくる。
「ブルーノさんは、どこへ行っちゃったの?」
彼女は、何か感じているのだ。うっすらと、気配のようなものを。それも、不吉な気配だ。女の勘というものがあるけど、それとは、多分、違う。つまり、予感なのだ。
「フリッツさん」、と、リフレが、やはり不安そうに言う。
だが、彼はミアよりは鋭い感覚であるべき事態を予測し、ぼくに、厳しい眼光を投げた。直言すべきではない事柄への示唆を強く含んだ眼光だった。
ぼくが首を縦に振って頷くと、リフレも同様に返した。
コンラートさんは、ベッドにどっかりと座って、開いた脚の膝に、両手を置き、悲しそうに眉を下げ、じっと押し黙っていた。
「心配しないでよ、ミア」、と、ぼくは彼女の不安に慄く眼を見つめて、少しでも安心出来るように、落ち着いた声色で平静に言った。
「いつものことさ。ブルーノは、散歩に出かけたんだよ。ほら、何か最近、ひとりで外出するようになっただろう? 今朝もそうに違いないよ」
――だが、ぼくとて、全く不安でないことはなく、ミアにも、リフレにも、コンラートさんにも、負けず劣らず、不安で、心配で、悲観的であり、微笑みの仮面の後ろに、焦燥感を隠していた。
内面では、ザワザワと荒波が立ち、ブルーノの安否を確かめることまではしなくとも、歩き回ったり、走り回ったり、体を激しく動かさないと、ふつうの立ち居振る舞いが出来そうになかった。何となく熱っぽく額はヌルヌルと脂汗をかいた。
「……。」
ミアは、落胆したように俯き、ぼくの励ましに対して、返答をしなかった。
落ち着かないぼくは、下唇を噛み、その痛みで、不安を和らげた。
「探してくるよ。みんなは、ここで待っていてくれればいい」
「フリッツさん」
リフレが、随行しようという提案を含んだ口調で呼びかける。
「いえ、いいんです。ぼくひとりで大丈夫です。ひょっとしたら、入れ違いになってブルーノが帰ってくるかも知れませんから、ふつうに朝を過ごしてください」
ぼくは、そう言い残し、コンラートさんの家を出た。
冷たい秋風が、朝日の煌めきに通り、ふと目を向ければ、木々が、微かに色付き始めている。空気は乾燥し、季節の進行を感じる。
フゥ、と一息吐いて、呼吸を整え、まずは、ぼくがブルーノといつも歩いた定番のコースを辿る。
小川の沿道、パン屋――店に立つメルさんに挨拶する――広場、そして木立。
ブルーノは見当たらず、その痕跡もないようだった。
だが、ぼくは急ぐつもりはなかった。ぼくがほのかに予感し、待ち受けている何かは、決して逃げたりしないという気がする。根拠もないのに、確信さえされる。
心臓がドキドキする。恋をした時もドキドキするけど、今しているドキドキは、てんで異なり、とにかく苦しかった。
「ブルーノ」、と、まるで彼が近くにいでもするかのように、小声で呼びかける真似をしてみたが、それは、ぼくが彼を必要とし、会いたがっているからだった。
――声は届かず、寒く、冷たい空気の中に沈んでいき、跡には、うつろな喪失感以外、何も残らなかった。
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